みぎブログ

主観で語りますフットボールを。

分かりあえるなんて夢物語だ

migiright8.hatenablog.com

先日のブログに対して、こんなコメントを頂いた。

「一切ささらない」

いやキッッッツ!!いや刺されし!何でもいいから刺されよ何か。こんなど直球な言葉、妻以外で貰ったことないぜ俺は(妻は変化球を覚えてくれません)。文字数の無駄遣いとか言うなしマジで(そこまで言ってない)。

ていうのは、半分冗談で半分本気。

とある鳥栖サポーター(知り合い)(いや知り合いかよ)から頂いたもので、真摯に受け止めた次第である。

後述するが、正直にいえば刺さらないだろう人がいることは分かってた。分かってて書いているから仕方ない。むしろ、正直にそれを言葉にしていただき、考えるきっかけ(とブログへの意欲)が生まれたことに感謝です。


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それにしても、負け続けるってホント嫌っすよね。

先日開催されたJ1リーグ第8節。ガンバ大阪サガン鳥栖の試合は、後半99分にガンバ大阪に逆転弾を喫し、またしても鳥栖は勝利に恵まれず。単独最下位となった。

ここまで勝てないとマジで荒むのよく分かる。私も(名古屋サポーターのくせに)その後は全気力を失ったよ。

負けるってシンドイ。負け続けるのはほんとツラい。

負け続けて何が嫌かって、ファンサポーター同士のいざこざが嫌。軋轢が生まれて、なぜか互いに罵りあって(2019年に19試合で1勝しか出来なかった苦い経験)。

そもそもさ、たまたま好きなクラブが同じだったってだけで、基本的に共通項はそれしかない。特段、人間関係(人付き合い)の気が合うかも分からないし、そのクラブを好きになったキッカケも、何故そのクラブが好きなのかも、更にいえばそのクラブに何を求めているかだって千差万別。「このクラブが好きだ」って共通項だけで同じように括られてるだけで、そこには見えない(互いが知らない)グラデーションがこれでもかと実はある。

でも勝ってる時は分からないし、見向きもしない。

問題は負けが込んだ時だ。そこでそれぞれの価値観(クラブに何を求めているか)が露呈し、気づき、相容れない点に摩擦が起こった結果、激しく衝突してしまう。

好きなクラブだからといって、全てを受け入れてるわけではない。当然、長く応援していれば不満もある。我慢もする。裏を返せば、それらは〝勝利〟によって有耶無耶になるし、ボヤけるものだ。それは、決して「都合が良い」との話ではなく、愛するクラブが勝利することで「納得させている」のが正直なところのはず。不満はあるが、それで勝てているのなら己のエゴなど取るに足らないと、グッと堪えられるのだ。もちろん、結果のおかげで、見て見ぬ振りが出来ていたとも言えるだろう。

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だからこそ、負けが続くと本音がでる。

勝負事である以上は、それに対する価値観も違う。とにかく勝利を求める者もいれば、ある種、勝利は二の次というか、まずは(自分にとって)面白いと感じられるものを見せてくれと願う者もいる。例えば、トップチームを応援している者もいれば、アカデミーに軸足を移して、クラブの宝たちを家族(親)のような想い(眼差し)で眺めている者だっているだろう。バラバラだ。

だから、同じクラブが好きだからといって、そもそも全部が全部、気が合うはずがない。そんなのは無理。

勝っているときは互いの事情など気にも留めない。一方で、負けが続くとそれぞれの本音がでる。そこで初めて互いの価値観の違いを認識し、人間性を知り、気が合う合わないと自覚するのだ。つまり、そういった価値観や背景の違いに、向き合わざるを得ない(否応なしに自覚せざるを得ない)のが負けが続く時期なのだろう。

例えばこのブログにしたってさ、「全ての人に共感して欲しい、理解して欲しい」なんて気持ちは皆無に近い。

いやそりゃ共感してもらえれば嬉しい。そういう声をたくさん貰えたら感謝もする。でも、一番はこの時この瞬間のこの感情を、どうしても言葉にしたい。言葉にしなきゃやってらんない。だからこそ形にしてるだけだし、つまり自分にとっては抑えきれない感情の逃げ道がこのブログにあるというだけ。ただ、「書く」以上は「読む」人がいるわけで、少しでも読んでくださる方に伝わるような形で書きたい。結果として、何か琴線に触れるものがあるなら、それほど有難いことはないわけで。あ、「金銭」を払いたい人はいつでもウェルカムです。

では、言葉を尽くせば誰とでも分かりあえるのか。

そんなのはどだい無理な話だ。もちろん、言葉は尽くすし、それは少しでも相手(ブログでいえば読み手)に意図が伝わって欲しいと願うからそうしているだけであり、しかしそれで「分かりあいたい」わけではない。

冒頭のコメントをくれた方を、自分は(それはそれとして)めちゃくちゃリスペクトしてるし(どんなサポーターさんか存じ上げているので)、それで嫌いにもならない。むしろ正直に言われて「そうだよね」と思った。

本当は、もっと媚を売るようなことも書けた(何に不満を抱いているのか、多少は理解しているはず)。きっと、それを書いていたら激しく共感を呼んだのかもしれない。でも、このブログはそのためのものではない。納得のいかない言い回しも多々あっただろう。また、こういう些細なことから、見ず知らずのサポーター同士に距離(軋轢)が生まれることも知っている(この方とはそんなことにはならないが)。でも、何度も書くけれど価値観が違うのは当たり前のことだ。それを受け入れて、尊重し、「でも同じクラブを愛してるからこそ起きる衝突だな」と思えるのなら、それは素敵なことだと思う。

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結局、出来ることは「相手を尊重すること」だけだ。

その価値観の違いを認めること。違う価値観があるのだと知り、それを否定しないこと。そして尊重すること。

どうしたらこの目線が揃うんだろうと四苦八苦しているケースも見受けられるが、そもそも(同じクラブを応援する仲間とはいえ)他人の目線を無理矢理揃えようなんて行為が私はおこがましいと思う。余計なお世話だ。

違いを認めること。その違いを尊重すること。綺麗事と言われようが、答えは至ってシンプルだと思う。

そりゃ腹立つことだってある。やたらと敵意向けられて、頼んでないのに勝手に泥かけていきやがる。ふざけんな絡んでくんじゃねえクソが(急に溢れだす本音)。

と、これだって本心だけど、そこまでいくと無視する他ない。「ああ(価値観の違う)誰かに己の怒りをぶつけないと自己コントロール出来ない人なんだな」と思うだけだ。そこと同じ土俵に立っても得することないもの。誰かに怒りをぶつけたとて、何も解決はしないのだ。

別に違ってもいい。共感なんか出来なくてもいい。

でも、どれもこれも根底にあるのは「みんなそのクラブのことがどうしようもなく好き」これだけでしょう?

それだけで充分じゃん。そんな関係性の方がレアだよ。

バラバラになったのではなくて、そもそもがバラバラの関係性だっただけ。本質的には何も変わってない。

負けが込むと、当たり前だったことが急に一大事みたいになってしまう。別にこれまでだって同じだった。いつもバラバラだったし、価値観が揃った試しなどない。それでも、たった一つのクラブの存在が、それらを繋げていたのだ。各々の「好き」の熱量が凄いから、上手くいかない時にその熱量が様々な言葉や態度で放出されてしまうのも至極当然のこと。問題ない、普通のことだ。

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監督に納得いかない。そんな気持ちも理解できる。

そういった感情が強くなればなるほどに、「どうせなら負ければいいのに」と、気づけば愛するクラブの勝利すら素直に願えなくなる気持ちも、正直にいえば分かる。

例えば、私だったらまず田嶋ね(呼び捨てかよ)。2018年のワールドカップは、マジで素直に日本代表を応援出来なかった。無です無。何も感じなかった。要は「自分ごと」ではなかったのだ。あれは日本代表の姿をした、(俺の中で)他国のチームだったわ。あと、名古屋グランパスでいえば2019年。風間八宏解任後のマッシモフィッカデンティな。最初はマジで嫌ってた(時効)。「アイツハ、ケムリヲウルオトコダ」とか無言の八宏を切り刻みやがってさ、なんだか応援していた私(達)まで否定されたようで、当時はほんと許せなかったんだ。

好きなクラブのはずなのに。負けていいなんて思わないのに。でも、なんだか素直には喜べない。凄え分かる。

こういうモードのときが一番ツラい。でも、嫌いになってしまうのは何かしらの原因があるわけで、それを無視して「もっと好きになれ」「もっと素直に応援しろ」と無理強いする権利も当然ない。その人はその人で、自分の中に生まれる矛盾と葛藤して、戦っているのだから。

本当は誰だって素直に応援したいんだ。だって、そうじゃないと勝ったときに心の底から喜べないもの。でも、「好き」が強いからこそ、譲れないことだってある。

それでいいと思う。何一つ、否定されることではない。

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書きながら気づいたが、サポーター生活は夫婦生活と同じでは(やめろ)。相手の嫌なところは結婚して共に生活することで分かるしさ(本当にやめろ)。「逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ」と碇シンジくんより唱えてる自信もある(それ以上は駄目だ)。なんでや逃げりゃええやろと思うのに逃げられない。「穏やかでもいられた人生に無理やり起伏を与えてくれる趣味それがフットボール」と東大クイズ王も言ってたよ。私にとっては家の中も外も起伏だらけだが(やかましい)。

結局のところ、誰しもがその対象を好きだから逃げられない。でも、その事実だけで充分な気もするのだ。

おっと、ここに私の妻の話は該当しませんよええ。

あー勝ちたいよねー。みんな勝ちたいよ。勝ちたい。

ファンサポーターだけではない。選手たちも、スタッフも、なにより監督だって、皆勝ちたいに決まってる。

どれだけそこに軋轢が生まれようと、その気持ちが最後は皆を一つにしてくれるよ。それが、フットボールの持つ力であり、素晴らしさなのだと信じて疑いません。

みんな頑張れ。俺も頑張れ。折れんなよみんな。

週末は、首位セレッソ大阪を私は倒しに行きますが、遠い愛知の地から、懲りることなく勝ちを願ってます。

交錯する想い、譲れない哲学

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川井健太監督への風当たりが強い。とても、強い。

重っ。出だしから重いぜ。重いブログは読み手にも重荷になるので、正直ふざけながら書きたい。ただ、ふざけるのは不謹慎だし、そもそもふざけたいわけでもない。

それにしても勝てないねえ....スポナビの速報見るの恐えもん。昨季の段階で「(内容に反して)勝ちきれない」課題は露呈していたので、まだシーズンが始まったばかりとはいえ、懸念していた状況が早速訪れてしまった。

そうだ皆さん元気です?元気ないですよねわかります。

だってSNS見てるとツラいんだもんよー。言葉が荒んでんじゃん(仕方ない)。もちろん辛辣な言葉も多い。

シンプルに「辞めてくれ」との言葉は胸に刺さる。しかし、それ以上に「アイツは嫌いだ」「鳥栖は貴方の道具じゃない」「実験台にするな」なんて指摘はもっとグサリと突き刺さる。言葉のボキャブラリーが豊富すぎだ。

最初に断ると、これらの言及を否定するためにこのブログは書いてはいない。噛みつく気持ちもさらさらない。

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結局いま何が問題かって、そりゃ勝てていないことだ(元も子もない結論)。それはそうなんだが、そんな状況だからこそ表面化する問題もある。それは、鳥栖らしさを改めて問う声であり、或いは、今それがピッチで体現できているか、との疑念である。大きな溝の原因だ。

鳥栖らしさ」の定義は人それぞれだろうし、そもそもお前がそこに言及するのかと今ツッコんだところです。ただ、多くの人にとってそれは「最後まで走りきり、球際で戦い続け、目の前の試合で勝利を掴むために全力を注ぐことである」という認識であろうことは伝わっている(細かいディテールのツッコミはお許しください)。

その意味において、川井監督はどうだろう。

貫きすぎですね(分かっていた結論)。ゴール前にバス置いた(勝つためになりふり構わず選択した)の監督業最大の後悔って言ってたもん。バルセロナのシャビと同じじゃん。ポリシーが強すぎる。ブレろ、もっとブレてください。そしてバスを買ってください。プロとして、フットボールを(お金を払って)観てもらう、応援してもらうために、果たしてどんな振舞いをするべきか。この点で非常に強い信念を感じるし、それが川井監督にとって「ブレてはならない核のようなもの」なのだろう。

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この記事、皆さんは読んだだろうか(読んでるわな)。

鳥栖にとって天敵ともいえるアビスパ福岡にホームで敗れた夜。しかし、やりたかったフットボールは表現できたと、その日の夜は「よく眠れた」と発言している。

この部分の文意が汲み取れているのか、誤読していないか、もっといえば本人の意図していたことがこの文章でどこまで表現されているのか分からない。とはいえ、この記事がリリースされた当時はさすがの私もツッコんだ。いや、意図はわかるよ。でもさ、もし鳥栖サポーターが悔しくて眠れなかったら?同様に、監督にも「あの日は悔しくて眠れなかった。アイツらだけには絶対に負けたくなかった」と言って欲しいんじゃないかって。

勝つために、やれることは全部やったのか。なりふり構わず、勝利を目指したと言えるのか。戦い抜いたのか。

反発する鳥栖サポーターが指摘しているのはまさにこの点で、とりわけ古参のサポーターや、ユースまで応援するような生粋の鳥栖サポーターほど反発が強い(ように映る)のは偶然ではないと感じる。川井監督に強い信念があるように、彼らにだって強い信念、誇りがある。歴史もある。その想いが交錯し、結果として一部の層から強い反発を招いた点は、重く受け止めるべきだろう。

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鳥栖の人たちが何を求め、何に誇りを抱いているか。

その見込みが甘かったのか、或いは、分かっていて尚、今のスタンスを崩さないのか。それは分からない。

ただ、反発する鳥栖サポーターの人たちからすれば、「今のチームは(勝つために)やれることをやりきっていない」とおそらく感じているはずだ。「アンタの信念が勝負事の邪魔をしている」と。そう思えてしまうのが、歯痒いし許せないのも分かる。何故ならそれは、彼らの誇りすら傷つける行為だから。そんな鳥栖は、鳥栖ではない。きっと、到底認められることではないのだ。

何が正解なんだろう。頭がグルグルと回っている。

最近、空き時間に過去の鳥栖の試合を見直してた。仕事後眠いマジで。でも、なんで勝てないのだろうと思うと居ても立っても居られない。そのせいで寝不足です。

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試合の内容(とりわけ相手に対してのアプローチ)だけをみても、質はめちゃくちゃ高い。例えば町田ゼルビア戦。4-2-4気味でハイプレスを仕掛けてくる相手に対して、作為的にビルドアップし、2枚(の町田ボランチ)の脇取って前進して。芸も細かいやることも論理的。仕込みのレベルが高い。自陣側ビルドアップ選手権なら普通に優勝でしょう。ただ、相手陣地に侵入以降が課題だなあ....自陣での振舞い(と、そのために必要な人員・質)にかなりのリソースを割いている印象はあって、だからこそ「その先」がパワー不足の印象は否めない。

取っているリスクに対して、それに見合う対価を得られていないのだ。一言でいえば、この印象が非常に強い。

ボールを保持しているわりには、相手ゴール前のシーンが乏しい。攻めの姿勢(とメンバー構成)を貫くがゆえに、失点はかさむ。現状は、誰がみても悪循環である。

そもそもが難しいことにチャレンジしてると思うんだ。

決して戦力に恵まれているとは言い難く、資金に乏しいことも周知の事実。ああ憎し、債務超過のクソ野郎。

それでも鳥栖は「強者のフットボール」を目指していく。守って守ってカウンターでなく、ボールは大切にするものだと主張する。立ち位置にフォーカスした攻撃、様々なシステムを駆使し相手へ襲いかかるようにボールを狩る守備。前任者であるキムミョンヒ氏が築いた鳥栖の新たな礎に満足せず、そこに「個々の技術」を要求し、「相手の型に捉われない(それで自らの型まで変えることのない)守備」に挑んだ川井監督。特に前者に関しては、昨季からのJのトレンドであるマンツーマン気味のハイプレス対策(カウンター)にもなっている。

弱者の立場を受け入れるのではなく、やる以上は強者(優勝)を目指すべき。川井監督の信念は揺るぎない。

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また、こういったロジカルなフットボールは、2020年から鳥栖が取り組んできた文脈を汲んだものであり、今となってはこれも「鳥栖らしさ」だと私は思っている。

だから、ある角度から見たときに「そこに鳥栖らしさ」を感じられないからと、「アンタのやってることは自己中そのもの、鳥栖というチームをそのツールに使うな」なんて指摘は、正直にいえば私は寂しい。違う角度から同じ対象を眺めれば、もしかしたらまだ気づけていなかった新たな魅力があるかもしれない。それだって、「鳥栖らしさ」だと呼べないだろうか。白か黒、ではなく、「今はこちらの要素が不足しているのでは」と指摘するのは大賛成だ。魅力はいくつあってもいいのだから。

とはいえ、川井監督の譲れない信念と、そもそも紡がれてきた「鳥栖らしさ」の相性が悪いのも事実であろう。

フットボールの質が高いのも、それがある一定の層からみてウケがいいのも認めよう。でも、結果がついてこないとき貴方はそれ以外の策を取れるのか。泥臭く、ときに手段を選ばず、目の前の一戦を死に物狂いで奪いに行けるのか。川井監督が問われているのは、そこにある。

貫くには、いや貫くために〝結果〟が必要なのだ。

それでもなお譲れない信念があるのなら、それが〝結果〟に繋がることを証明する必要がある。何故か。どれだけ高尚な信念も、結果がでなきゃ終わるからだ。名古屋グランパスの指揮官が風間八宏だった時代に、私はそれを痛感している。結果が残らなければ強制リセット。本人の想いも、ファンサポーターの想いもお構いなしだ。希望に満ちた道は、突然目の前から消えてしまう。

はやく監督をクビにしろ。こんな声もよく目にする。

しかし、では代わりに誰が監督をやるのか。果たしてどんなスタイルを求めるのか。そんな疑問も残る。

この文脈において悩ましいのは、鳥栖の選手たちの能力を、川井監督以上に調理できる監督が果たして何人いるのか、という点にある。後ろにバスを置く、或いは最前線はとにかくカウンター狙い。そういったフットボールが成り立つ戦力を今の鳥栖保有しているのかは、議論の余地があるはずである。裏を返せば、それほどまでに川井監督の哲学に沿ったメンバー構成を3年かけて築いてきた印象が強い。スタイルが振り切っている分、「人(選手)」は良くも悪くも選んできた。ゆえに、そもそも今残っている選手たち自身に、どれほど他のスタイルへの適性があるのかは考える必要がありそうだ。

悩ましいな。書いていても答えなんて持ってねえわ。

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でもさ、だからこそ見てみたい。

このまま力づくで突き抜けていけるのか。それとも、理想と現実の帳尻を噛み合わせるのか。はたまた、ロマンを追い求めて(譲れぬものがあると)沈んでいくのか。

川井監督は、どんなアンサーを提示するのだろう。

特定の人物を槍玉にあげ、悪者に仕立てるのが一番楽だ。アイツが悪い、アイツのせいでぐちゃぐちゃだと。

でもね、きっと誰もが「鳥栖のため」に戦っている。

少なくともこの一点において、私はこの約3年間で川井健太監督を疑ったことは、一度たりともない。

であるなら、せめて指揮官として戦ってくれている内は上手くいってくれと願いたい。素直に応援したいのだ。

突き抜けろ。或いは、変化し、進化しろ、と。

Never Give Up for the Win

どれだけ時間がなかろうが今日は書く。深夜だけどな!

2024年3月30日。会場は豊田スタジアム。第5節、名古屋グランパスvs横浜F・マリノス長谷川健太体制も3年目。個人的には、これが紛れもなくベストゲームだ。


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77分の森島司の同点弾以降、ずっと興奮は冷めることなく、全身に武者震いのような感覚を覚えていた。

正直にいえば、前半早々に山岸祐也のアクシデントがあり、負傷交代したときは内心お通夜状態だった。終わった....膝気にしだした終わったと。今の名古屋にとって、ポストプレーヤーを失うのはあまりに痛い。その後、後を追うように守備の要であるハチャンレまで脳震盪に倒れ、挙げ句、マリノスに先制点まで奪われる始末。「今日は仕方ねえ言い訳は山ほどあるから」と弱メンタルの自分に言い聞かせていた気がするごめんなさい。でも、同じ気持ちだった人もこの場で正直に手を挙げなさい。

たださ、選手たちは諦めなかったよ。諦めなかった。

山岸やチャンレがいなかろうが、それこそチームのエースであるキャスパー・ユンカーに至っては試合にすらいなかったのに。それでも、最後の最後まで戦ったのだ。

この試合の前に、心を打つようなコラムを読んだ。

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赤鯱新報に掲載された内田宅哉のインタビューだ。

内田は以下のようなコメントを残した。「みんなが身体を張って球際で戦うこと。それが名古屋らしさ」だと。

名古屋らしさ、か。これ実は耳の痛い話だったりする。

例えば、過去に名古屋サポーターではない知り合いからはこう言われたよ。「名古屋ってコレといったスタイルがないよね」。クッ....なんと腹立たしいセリフなんだ!

ただ、言葉に詰まるのも事実だった。例えば、川崎フロンターレマリノスと聞いたら、誰しもが何となくは彼らのイメージを想起するだろう。でも、名古屋は?毎回ころころスタイルが変わって、選手も金使って獲ってきてってか。うるせえコンチクショウ(自暴自棄)。実際のところ、クラブにもその問題意識はあったはずだ。2017年に風間八宏がやってこれば、明らかに「攻撃的なチーム」を標榜していたし、行き当たりばったりで(と言ったら怒られそうだが)マッシモ・フィッカデンティが就任すれば、今度はカッチカチの堅守を売りにし始めて高低差に耳やられた。そうだ大森さんは元気ですか。

一向に、スタイルが確立されたとは言えなかった。

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そして、2022年に長谷川健太が就任する。

正直に述べよう。ますますスタイルが分からなくなっていた(すまん)。アグレッシブにいくのか、結局は堅守なのか、はたまた今度はショートカウンター(ファストブレイク)か。分からない分からないよパトラッシュ。

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とりわけ今季に限っていえば、「俺たちはボール保持に挑んでいく」と宣言をし、遂には「可変」なるワードまで飛び出した。いや、それ自体はやったれ健太!と大賛成だったのだが、案の定、路頭に迷うかの如く開幕三連敗。あまりにも険しいその道のりに、勝つのが先か監督交代が先か、健太さんも首の皮一枚感は否めなかった。

しかし、だ。そこは百戦錬磨の長谷川健太である。

2024年3月16日。第4節の柏レイソル戦で、名古屋は慣れ親しんだダブルボランチに形を戻すことを決断する。


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この試合に至るまで、今季の目玉はキャスパーと山岸のツートップにあった。だからこそアンカーシステムを選択し、そのうえでキャンプから可変ありきのボール保持にまで拘った。慣れないシステムとスタイルに四苦八苦するのは構わない。なにより問題だったのは、そのシステムに適応できる人材がそもそも不足していたこと(特に名古屋の中盤のキャラクターは、アンカーにもインサイドにもハマらない選手が多くいた)。また、その慣れないタスクに意識が囚われたことで、もともとの自分たちの強みを発揮できない状況まで生まれてしまった。

では、果たして名古屋の(彼らの)強みとは何なのか。

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それは球際をしっかり作れる状況を生みだし(そのために慣れ親しんだダブルボランチにし)、身体を張り、そして徹底的にその局面で「闘う」ことにある。それは地味で、決して華麗でもない。観る者からすれば面白みだって欠けるだろう。しかし、ともすればそんな当たり前のような行為にこそ、彼ら一人一人の強みがあった。そして、そこに「名古屋らしさ」が宿っていた。その強度で相手に負けないこと。勝つために徹底的に闘うこと。

つまり、名古屋には「立ち帰る場所」があったのだ。

我々(と、あえて表現する)が、あの柏戦で改めて気づいたのは、原点(それは〝本質〟とも言い換えられる)を見失ってはいけないということ。保持だろうが堅守だろうが、それは我々にとって土台の「上」にあるものであり、決して土台にはなり得ない。攻撃的?守備的?美しいフットボール?表現するスタイルはなんでもいい。

外見(見た目)ではないのだ。どんなスタイルであれ、大切なのは「名古屋らしさ」が常に存在すること。

チームが苦しいとき、なにをやっても上手くいかないとき。立ち帰るべきは、この「名古屋らしさ」を問うことにある。今、そこを見失っていないかと。立ち帰る場所があるチームは、強い。それに改めて気づかされた。

更にもう一つ、大切なアイデンティティがある。

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それは、今回のマリノス戦で選手たちが魅せてくれた「勝つために、最後まで絶対に諦めないこと」である。

勝利に向かって身体を張り、そして球際で徹底的に闘う。そのうえで、試合の最後まで絶対に諦めない。そういう姿に、我々は興奮し、そして感動するのだろう。

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熱という、やっぱり熱いサッカーをしていきたいと思っています。そういうサッカーを見て皆さんが熱くなって、エキサイトして喜んでいただければと

健太さんの就任会見を思いだす。彼が目指す姿として挙げた言葉は、「観ている人がアツくなるような試合をしたい」だ。そのために必要なものが、このマリノス戦でやっと理解できた。我々の根底に流れる「名古屋らしさ(闘う姿勢)」と、胸に刻んだDNAである「Never Give Up for the Win」の言葉にあることを。勝利という目的のもと、それらが全て噛みあった先に健太さんの目指す姿があったことに感動し、だからこそ、このマリノス戦をこれまでのベストゲームだと強調したい。

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このゴール裏を見てくれよ。自分にとって、名古屋のゴール裏は最も硬派でアツく、そして闘う集団である。

やっぱり、名古屋ってそうなんだよ。そう思った。

アツくなる試合を目指せ。ピッチでも、そしてピッチ外からも。俺は山岸の離脱でヒヨる小心者。山中亮輔の決勝弾にオッサン同士で抱き合う硬派と無縁の人生だ。でも、培われたこの「名古屋らしさ」と、〝ピクシー〟ドラガン・ストイコビッチがクラブに残してくれたDNAを胸に刻もうと改めて思った。誇れるものがあったのだ。

スタイル?大いに結構。それは「積み上げるもの」だ。

絶対に変わってはいけないものは何なのか。大切なのは、自分たちのアイデンティティを失わないこと。

それにしても健太さん、やっとマリノスに勝てましたね(文通形式)。あれは2年前でした。ホームでマリノス相手に4発ぶち込まれたあの試合。忘れてない。忘れてません。正直、ブチギレて帰宅しました。まずは、そのリベンジに乾杯。もう一つ、長らく呪縛に苦しんだ「脱マテウス期間」からやっと、やっとこさ一歩踏みだせた実感を得られました。長かったですね。長すぎました。ほんとに乾杯。今回のマリノス戦、70分以降をもう4回は観ました。病気です。過去は全て忘れてあげます。

外見(見せかけのスタイル)に執着せず、中身(譲れないもの)にこだわれ、か。外見に拘りたい人生だった。

本当にありがとう。誇らしい。最高の試合だった。

いざ因縁の地、広島へ

広島の恨みを忘れない。

半年に一度この台詞を吐き捨てる妻。原因は私にある。

あれは、二人目の娘を授かったときだった。子供たちを連れ実家に帰った妻を後目に、私はとにかく暇だった。与えられたこの貴重な数週間をどう活かすか。悩み抜いて私がだした結論に、今も後悔はない(反省はある)。

そうだ、広島に行こう。試合を、観に行こう。

こうして私は意気揚々と広島に向かったのだ。観戦したのはサンフレッチェ広島名古屋グランパス。試合の内容はたいしたことなかったが、その日はたまたま森崎和幸の現役ラストマッチだったことを覚えている。

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試合の翌日、調子に乗った私は一人でフェリーに乗り、宮島に向かった。宮島はすごいぞ。もみじ饅頭がその場で食べられるのだ(今さら)。その旅イチのハイテンションになった私は、つい、そのもみじ饅頭を写真に収め妻に送ってしまった。あまりに軽率。ケアレスミス

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※当時の写真(仕方ないやん魔が差しただけやん)

「......は? それ、広島だよね?」

あの返信が届いたとき、私の右手はガタガタ震えていたと思う(かなり脚色しています)。なぜなら、広島行きは一切伝えていなかったのだから!!(これは真実)。

あれ以来、妻に弱みを握られた私は、冒頭の台詞をことあるごとに嫌味っぽく吐かれては、「いつか家族で広島に」この言葉を胸に秘め、今日まで生きてきたのだ。

そして今回、私は機が熟したと判断した。

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今しかない。この呪われた台詞とオサラバするなら、もう今しかないの。行こう、広島へ行こう俺(と家族)。

しかし、計画は思い通りに進まなかった。名古屋戦の開催は、2024年5月6日。ゴールデンウィーク。ええやんええやん、めっちゃええやん。家族旅行に最適やん。

「その日は私仕事だから無理。諦めて」

F××k!!!!やめだ!こんな家族旅行やめてしまえ!

いや諦めるな。あきらめたらそこで試合終了ですよ。

他に行くとすれば....そりゃあ鳥栖戦しかないだろう。(どれどれ....)2024年3月9日。近っ。これは全力土下座不可避では。それから私は、毎日妻に言ったんだ。広島に行こう、そうだ広島に行こうと。平和の街にこの妻を連れて行きたいのだ(そこまでは言っていません)。

あのときの後悔にケリをつけたい。君に広島の地を踏ませてやりたい。あぁ怖い。とめどなく溢れる誘い文句。

こうして私は手に入れた、念願の広島行きの切符を。

 

「街中スタジアム」の街中具合に驚いた

当日。私は広島の八丁堀にいた。

予約したホテルに荷物を預けるべく、フロントのある13階に向かった私は、外の景色を見て驚愕する。

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ビルとビルの隙間からスタジアムがこんにちは。

待ってそんな急な挨拶。まさかこんな近いとは....。頑張れば広島駅から歩いて行けるとは聞いていたが、実際にこの目で見るとマジでめちゃくちゃ近いことに驚いた。

これが街中スタジアム....その言葉に偽りなし。これは余裕でアクセス可能と理解した私は意気揚々と街にでた。

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最低限の義務(おい)。お好み焼きで妻の機嫌取りだ。

同じ店には隣に広島サポーター。入口には鳥栖サポーター。皆考えることは一緒で試合前にはソウルフード。食べて飲んで広島を堪能する。「これ隣の人もサッカーでしょ....」おい妻のご機嫌を損ねたぞ広島サポーター。

よいよい今日は無礼講じゃ(ご機嫌)。すっかりお腹が満たされた私は、遂にスタジアムに歩みを進めた。

あまりの気温の低さのせいか、空からはあられのような雨が降っている。寒い。少しも寒い。シャレオなる地下街を見つけ、スタジアムまで下から攻めることにした。

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凄い。地下街もサンフレッチェ一色。りおた先生のデザインで所狭しと彩られたこのロードを、紫のユニフォームを着た人々が闊歩している。こんなところからも「街中スタジアム」であることが感じられる。街中にスタジアムがあることの価値はきっとこれだ。結果として、その街自体がクラブカラーで彩られる。その役割を担うのは、紫のユニフォームを着用して歩く者たち。最終的な主役は、やはり応援するファンサポーターなのだ。

地下街を10分程歩き、地上へと繋がる階段を昇る。

この時点で、読んでいる皆様は大きな誤解をしている。

良かったね。家族でついにスタジアムデビューじゃん。よ!粘り勝ち!きっとそう思っていることでしょう。

アッハッハ残念残念。ここから妻とは別行動ですがなにか。

 

家族に溝があろうとお構いなしな広島の街

私たちのように、フットボールで家族の仲に溝ができた家庭にとって、広島の地は寛大な措置を取った。

gate-park.jp

スタジアムの導線上に出来たのは「ひろしまゲートパーク」。2023年春に旧市民球場跡地(こんないい場所にあったんか)にできたこの施設には、食事にカフェ、子どもの遊び場まで併設され、まさに「フットボールには付き合いたくない家族向け施設」としてスタジアム前にそびえ立っている(少なくとも私にはそう思えた)。

ありがとうひろしまゲートパーク。さようなら私の妻。

「ここで私も遊びたい」と突然同行を拒否る長女。それは駄目だ。何を思ったか君のチケットだけは購入済。明らかに後ろ髪を引かれる長女の腕を掴み、妻と次女と別れた私の歩みは速度を増す。もうそこはスタジアムだ。

(この章は支障がありそうなのでとっとと終わる)。

 

いよいよこの旅のメインディッシュへ

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おおおおおおおおお!

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ぬおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!

着いた....近え....街からめっちゃ近え!!(二度目)

これがこの旅、最大の目的地(←)の

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エディオンピースウイング広島である。

すげえ!興奮を止められない私は、嫌がる娘をモデルに見立て撮って撮って撮りまくった。何気にスタジアム名の看板をどかーんと設置するのがイイ。ある種の観光スポットと化したこの場所で、多くの人が記念撮影に勤しんでいる。分かる、私にはその気持ちが分かるよ。

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ちなみに、この日は満員御礼。

やれば分かるが、チケットはマジで争奪戦。ゴールデンウィークの名古屋戦とか、この時点で地獄しか見えません。販売開始時刻の30分前から控え室に入れます。皆さん遅れずにお集まりください(この意味がわかる)。

一連の行為に満足した後、スタジアムの外をちょろちょろと散策したが、正直、外は何もない(バックスタンド裏の工事現場にお店が出来ると聞こえた)。いわゆる「スタグル」的なものはスタジアム内コンコースだけで(私が見た範疇)、外の見所はグッズショップくらい。しかも、コンコース内の飲食はかなり並ぶので、この点は想定のうえスタジアムに向かいたい。ちなみに、パパはビールと娘に告げ、娘にはドリンクをと提案したが、「ママだけ可哀想じゃん。買ったら言うからね」と娘に脅され購入を断念。もはやミニチュアの妻。マズい。

では、そろそろ中に入ることにしよう。行け、この旅最大の目的地へ(二度目)、行け己の欲望のままに。

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感動する父。とにかく寒そうでうんざりする娘。

広島の皆さん、本当におめでとうございます。よくぞあの地に、こんなエグいものを建てられたもので。

これからは毎年、試合があるたびに広島の皆さんは街の中心地に集い、このスタジアムに通うのですね。同じJリーグを愛するファンサポーターの一人として、素直に羨ましい限りだ。こんなん、絶対最高やん。住んでたら100%シーチケ購入する。だってこんな最高の舞台装置で、毎試合フットボールが観られるのだから。こんな日常が、自分の人生に、自分の日々の生活に欲しいやん。

 

スタジアムのせいか鬼のように元気な広島


www.youtube.com

でさ、試合が始まったら始まったで広島が鬼強え。

隣の席に座っていたお父さんは、広島在住、新スタ初観戦組だった(たぶんおそらく)。座席に着くなり

「うわあ......こんなん最高じゃん......凄いわ」

感慨深そうにそう呟く。更に、いざ試合が始まれば

「いやー!惜しい!!めっちゃ良いわあ」

と、川村拓夢のエグいシュートに声をあげ、ピッチ上でみせる広島のフットボールに終始興奮している様子だ。

そう、どれだけ器が立派でも、肝心のピッチ上がお寒い内容なら成立しないと思うのだ。しかし、今の広島のフットボールは、間違いなくこの器の質に負けていない。正直、あまりの強さに言葉を失ったのが本音だ。あのスタジアムの雰囲気と、有無を言わさず前に前にと突き進む広島のイレブン、ゴールが入れば爆音で観衆を煽る演出に、どこか飲まれている自分に気づく。ピッチ上に描くそのフットボールも、スタジアム全体の様子も、なんだかそこにドイツの匂いを感じるのは何故だろう。スキッベ体制で築いたものに見合うだけのスタジアムが、遂に用意された広島の「全てが噛みあった感」は異常だ。

ちなみに、もう一人のお隣さんこと我が娘はどうなった。フットボールのルールを知らないスポーツ音痴。試合前、鳥栖の選手たちが登場すると「これもう試合始まってるの?」と聞いてきたね。コートを見てごらんなさい。片面だけで20人はいるでしょう。服の色もバラバラだ。どうやら娘にとってのフットボールは、オシム顔負けに40人で行うスポーツらしい。そんな娘は試合中も終始静かにしていたが、時折声をあげて盛り上がる。

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「ギャハハなにあれwwww」

セットプレーで広島にチャンスが訪れると、ミニサンチェが「てめえらタオルまわして盛り上げろや」と観衆を煽るのだが、どうやら娘はこれに草が生えたらしい。

子どもが喜ぶポイントは面白い。マスコットは偉大だ。

ちなみに、このセットプレーの演出。スタジアムが結構な雰囲気になるので(マジでスタジアム中、タオルぶんぶん回す仕様)、全然侮れないことも加えておく。

ここで前半が終了。あまりにも圧倒的な広島のフットボールに、(鳥栖を応援していた私は)心が折れかかっていた。鳥栖、しんどいな....。しかし、どうやら心が折れかかっていたのは私だけではなかったようだ。ハーフタイム、隣にいた娘が思いがけない台詞を言い放った。

 

あろうことか試合から離脱しようとする娘

「パパ、わたし、ママと合流したい」

ファ-----------!!!今、試合中なんですけどー。パパと貴方、今、スタジアムの中なんですけどー。合流?......合流!?!?(言葉の意味を確認する)え、個人的に前代未聞なんですけど。鳥栖鳥栖が全部悪いぞ!娘に「周りはみんな紫のチームを応援しているけど、パパと◯◯は白(アウェーユニ)のチームを応援しようね」って話してたから、娘めっちゃ応援したんだからな!「紫嫌い、紫嫌い(涙)」って、娘までグッタリしてたわ!

マジでか....。仕方ない、妻にLINEするしかねえ....。

「◯◯がサッカー飽きたみたいで、そっち行きたいって駄々こねてる。こっち迎え来れる?ごめん」と、メールをする。妻からの返答が届く。「いいけど、◯◯(次女)のお腹の調子悪いから、歩くの時間かかりそう」。

....仕方ねえ、こうなりゃ娘を俺が連れて行く(決心)。

スタジアムをでた私は娘を連れ、スタジアムへの上り坂を涙目で下っていく。行き先はそう、俺たちの友、ひろしまゲートパークだ。娘には申し訳ないが、お父ちゃんのためにどうぞ小走りでお願いします。ただでさえグッタリしていた娘の手を取り、父ちゃんは走った。小走りとかいいつつ、正直結構な速度で走ったんだ。

妻からLINEが届いた。「今、こども文化科学館のトイレにいるよ」。いるよ、じゃねえ!目的地変えんな!!

www.pyonta.city.hiroshima.jp

実は、ひろしまゲートパークとスタジアムの間には更にもう一箇所、俺たちの味方がいる。それが「広島市こども文化科学館」。神。広島の地にはどうやら神がいる。

そうこうしているうちに目的地に到着。妻を発見。

スタジアムから科学館まで5分もかかっていないかもしれない。しかし、後半が始まっていることに気づいていた私は、「あああああなんで俺が連れてこなアカンのじゃ!!!!」と自己中にイライラし、試合後に聞いたところ娘はションボリしていたらしい。本当にダメな父ちゃんでごめん。父ちゃん、試合が観れないとこの地に来た意味がないんだよ(暴言)。そこからは一人全力ダッシュでスタジアムに戻り、着いたのが後半2分過ぎ。いやこの立地エグいでしょ(改めて)。ハーフタイムに子供の瞬間移動(注:親の都合で走っただけです)ができる街中スタジアムえぐっ!一人で席に戻ったとき、隣のおじさんが「アイツ子どもどこ置いてきたんだよ....」とコチラの様子を伺っていた気がするが気にしない。

 

試合が終わっても広島の夜は終わらない

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試合は完敗だった。忘れます家族旅行がメインだから。

スタジアムを出て紙屋町方面に歩いていくと、広島ゲートパークの遊び場ではしゃぐ子供たちを見つけた。

帰り道に子供たちと合流できるこの圧倒的導線。「試合はどうだった」と妻。「0-4でボッコボコ」と俺。「ギャッハッハ」悪魔だ。この出来すぎたやりとりは悪魔の仕業。

帰り道。堤防沿いを歩いていると、酒を無料で振る舞うお兄さん達にでくわした。「サンフレッチェサポーターの皆さんおめでとう!どうぞ無料なんで飲んでって!わっしょーい」みたいなノリだったと思うが、あまりの声のデカさと引くほどノリノリな様に、うちの娘は「広島の人って怖いんだね」とそっと呟いた。サンフレッチェのせいで、広島の思い出が怖い一色に染まりつつある。

あっという間に、原爆ドーム前の交差点に辿り着いた。

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信号待ちをしていると、後ろからぎんぎんのママチャリに乗る加藤陸次樹ユニのおっちゃんに気がついた。そのおっちゃん、青信号になった途端、スーパーに向かう母ちゃんの如く自転車を漕ぎはじめた。背中には51番の文字。スーパーに行きたいのか、スタジアム帰りなのか一切悟られないその姿は「まさに日常」。ていうか本当は私と同じような家庭環境で、一刻を争う勢いで自宅に向かっていたのではないか。分かるその気持ち。そんな背中をみて隣で笑いが止まらない悪魔(妻のことです)。

www.soccer-king.jp

私にとってのフットボールは「日常にある『非日常』」だった。なんともない日常の中に、劇場のような非日常が存在する。普段は、涙がでるくらい感動したり鳥肌が立つような興奮もなく、誰かに向かって怒りをぶつけることだってない。でも、スタジアムにはそんな普段味わえない非日常がある。ずっと、そんな風に思ってきた。

ただ、広島の新スタジアムは、まさに『日常』にある。

繁華街のような街中に、原爆ドームのような誰もが知る歴史的建造物と変わらずに、当たり前のようにそこにそびえ立つ。休みになれば、目的の異なる者たちを吸い込むようにして集めるその場所に、何の違和感もなく追加されたのが新スタジアムだ。買い物や映画館に行くそのノリと何ら変わることなく、選択肢の一つに「スタジアム」が存在し、終わればママチャリで自宅に戻る。そんな日常の風景に、広島の新スタジアムがある。これを日常と言わずして何と言う。きっと多くの広島サポーターが羨ましがっていたであろうマツダスタジアムは、他県からも容易に集客可能な都市型スタジアムといった具合。対して、エディオンピースウイング広島は、あなたの日常の一部と化したまさに街中スタジアムだった。

www.orizurutower.jp

試合後に立ち寄った「おりづるタワー」。

試合に負けたばかりの鳥栖サポーター達が、物欲で悔しさを消化していた(その言い方やめろ)。大丈夫、気持ちは分かってる。私だって同じだ。隣にいた娘が「パパ」と呼ぶ。「パパのお友達の絵がまたあるよ」。

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娘よスマン。パパは「この人のこと知ってるんだ」と自慢げに言っただけで、ぶっちゃけ会ったことはない。

時刻は18時前を指している。夕食は近場に予約済みだ。

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tabelog.com

えらく他サポに親切な広島サポさんが、近隣の旨い飯屋をまとめたポストをXで発見。それを参考に予約した。この場を借りて感謝します(ノリック様 @noric9 )。

[http://:title]

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広島の夜が俺の心を温める。乾杯、街中スタジアム。

このお店、呑兵衛向けと聞いていたので子ども連れはどうかと心配だったが、店員のおばちゃん(お姉さん)は皆優しく子どもに構ってくれるし、疲れきった次女が寝ても部屋が座敷で問題なく、終いには(頼んでないのに)座布団たくさん用意してくれたりと、私も妻も大満足。家族で行っても実家で飯をご馳走してもらう感覚に近いので(有料です)、どうか安心して行って欲しい。

その後、ホテルに戻った私は自慢の大浴場に向かった。

どうやら同じホテルには、鳥栖サポファミリーが泊まっていたようだ。お子ちゃんがパパに話しかける。「パパ、(コンサドーレ)札幌戦はPK止めたのに、どうして今日は止められなかったの?」。貴方のパパではないが黙っていられない愛知県のパパは心の中で呟いた。「落ち着くんだ坊や。そもそも開幕から二戦連続でPKを止めていたこと自体が異常だし、もっといえば三戦連続でPKを献上していること自体、疑問に思うべきなんだよ」。

馬鹿野郎っ!!そんなこと口にしたら、この子の将来がバスケットボールに靡くかもしれない。絶対に口にするな。本物のお父さんを見ろ。引き攣った笑顔で対応しているじゃないか。子どもの純粋さが羨ましい。安心してください。未来の鳥栖サポーター、守りましたよ。

 

禊を済ませたものの大きな課題が残った

かくして、私の広島リベンジは成功した(翌日、宮島チャレンジも実行し、もはや後ろめたいことなどない)。

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(↑  やりきった俺)(ていうか誰)

もし悔いがあるとすれば、愛するフットボールの世界に娘がいまだピンときていないこと。ゴールが決まっても微動だにしないその姿に、若かれし頃、ゴールに湧き立つ観衆に一切共鳴することなく、ボーッとピッチを見つめていたあの日の妻を思い出した。「ゴールが入りました」。この解像度で解説をしたのは、あれっきりだ。

どうすれば娘はフットボールを好きになるのか。

試合の後半、一人で悩んで悩み抜いた私は、試合後にスタジアム外のグッズショップに駆け込み、実はこれを買ったのだった。イケメン推しでいってみよう。目黒蓮が好きな我が娘。彼女のバッグを、イケメンで彩るのだ。

次の候補はもう決まっている。山岸祐也、一択です。

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「可変」〜美しい、その響き〜

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行けるときに一気に行かないと駄目。

長谷川健太氏(以下、健太さん)が名古屋グランパスの監督に就任した際、FC東京時代をよく知る知り合いから真っ先にかけられた言葉がコレである。

その言葉を携え、まさに行けそうなので一気に行こうとした2023シーズン。しかし、まさかまさかの大失速。終わった、そのターン終わった。ここからは、巷で噂の健太カーブを描き年々成績が降下していくのだろうか。

オフになるとチームの中心として活躍した選手が一人、また一人とクラブを去っていく。丸山祐市中谷進之介、森下龍矢、藤井陽也....これが以前に健太さんが語っていた「代表クラスを抜かれると同等レベルの選手は獲れないから三年目くらいからキツくなる」現象か。見事なまでに予想通りの流れなだけに、改めて「行けるときに行っとけ」の言葉が重くのしかかる。先人は偉大。

しかし、一方でフロントは興味深い動きも見せていた。

 

就任三年目にして予想の斜め上をいく新顔の嵐

それが、超積極的な補強策。

これだけ選手が抜けたのだ。当たり前といえば当たり前。しかし就任三年目でこれほど選手が入れ替わるとは斜め上。2016年に降格、ほぼ知った顔が抜け選手をかき集めるしかなかった2017年を思い出す程には新顔の嵐。

正直にいえば、抜けた穴を埋める程度では健太カーブを描くだけだと思っていた私的には、むしろこれくらい顔が変わった方が面白いのだが。一部の他サポの方々には、「名古屋ヤバすぎだろ」とこの動きを揶揄されたりもしたが、いやいや健太さんで長期政権を築くのならこれは悪くない動きだ。名古屋だから成せる芸当と言え。

かくして今季のスカッドが確定した。

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予想フォーメーションでも考えるかと妄想を始めた俺。なるほどこれは優勝だ(シーズン前全サポ風物詩デタ)。しかし、ここで大きな疑問に気づいたのだ。

 

山中と小野は死ぬまで(死ぬな)走れるのか問題

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2023年の名古屋の基本システムは3-4-2-1。5枚で壁を築いて森下を鬼のように走らせるこのシステム。つまり、ウイングバックに求められる大前提は圧倒的な走力だ。しかし、代わりにやってきたのは山中亮輔と小野雅史。どちらも左足を武器とし、ビルドアップを得意とするタイプである。加えてウイングバック適性があるとも言いきれず(小野は未経験)、森下の代わりにしてはえらく異なる特徴の選手を捕まえたものだと思った。

だったら彼らの本職ともいえるサイドバックの起用では。しかしその想定、今度は逆側の右サイドバックを本職とする人材に難がある。野上結貴なら器用にこなすだろうが、その代わりとなりそうなのが(本職とは言い切れない)内田宅哉という時点で、明らかにこのポジションの補強が後回しであると気づくはず。また、それなら個人的には成瀬竣平を推したいのだが、悲しいかなそもそも健太さんの構想に入っているのかすら怪しい。

nagoya-grampus.jp

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なぜ、ウイングバックの補強が山中と小野なのか。

これが(個人的に)このオフ最大の謎であり、最も興味を抱かせるポイントだった。今季を予想する際に、彼らの獲得をどう解釈するかがなにより面白い部分のはず。

そもそも「謎」と表現してしまう理由は根が深いのだ。

 

健太さん良くも悪くも古風やんという固定観念

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あくまでも個人的な見解だが、健太さんの戦術にはそこまで柔軟性はないだろうとタカを括っていたのがその理由である。つまり、最終ラインが3枚なら3枚、4枚なら4枚と「型ありき」になるだろうと思っていたのだ。とはいえ、前述の通り3(ウイングバック)なら適性に疑問が残り、4なら右サイドバックの補強がないことが疑問だった。だから、謎。その意味でいえば、私の健太さんに対する評価(見方)は思っていた以上に冷めた部分もあったのだろう。単純に彼の人物像であったり、マネジメント能力や決断力、もちろん若手に対する接し方(育成能力)には感心しきりで、絶大な信頼がある。ただ、一方でピッチ上で作りあげるフットボール自体はどうにもクラシックな印象があり、その要因の一つが「柔軟性の無さ」に起因している部分は大いにあると思う。

気づけば過度な期待(妄想)を抱くこともなく、良くも悪くも過去からの「現実路線」で判断をしていたのだ。

よって、おそらく今季は「脱マテウス後」の仕切直し。要は調子の良かった昨季前半戦の形を(今季のメンバーで)どれだけ復元できるか、になるのだろうと思っていたし、個性が変わることで多少なりともプラスアルファが生まれてくれれば御の字だと考えていた。とはいえ、正直にいえば、そういうアプローチこそが成績を降下させる原因になりえるのだと思っていたし、一つの型に縛ることで、結果的に死んでしまう個性もあるのだとすれば、それは一人のファンサポーターとして悲しかった。

楽しみだが過度な期待はしない。これが本音だった。

 

俺の見込みの甘さよ恥を知れ!!!!!!!

ただ。

ただ(二度目)。

どうやら、この予想が大外れになりそうなのだ......

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「可変」......。......「可変」、だと......!?!?!?

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間違いねえ!「可変」って書いてあるぞおい(くどい)

昨今のフットボールにおいて、もはやベーシックに装備されつつある可変システムだが、正直いって健太さんのチームに(とりわけ保持の局面において)可変とのワードがでるのは驚きだった。やっぱり嘘なんじゃねえか?

新聞......もう一度その新聞寄越せ。もう一度だ。

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「可変の新布陣」......素敵。優勝だ(言いたいだけ)。

そもそもまだ観てもいなければ、情報漏洩の観点からもこれ以上の言及は避けるが、どうやら健太さん、名古屋初年度ならともかく、三年目にしてお初にチャレンジしているらしいのだ(地元紙でも大々的に「可変」の文字が踊っている)。凄い。これ、健太さんにとっても今後の監督キャリアに影響するほどの分岐点でなかろうか。

ちなみに一言で「可変」といっても、いやいや試合が始まれば常に選手は動くわけで様々に可変はする。これまでの名古屋にだって仕込まれた可変は存在しただろう。ただ、今回フォーカスしている「可変」は、より明確に分かりやすい形としてピッチで表現されるものである。


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思えば、新体制発表会のコメントは印象的だった。

「このままでは優勝出来ねえなと思って」

あのときは、会話の冒頭、オッチャンのウケ狙い程度の台詞だと流していた(失礼)。ただ、実際にわざわざドイツまで出向き、ボルシア・メンヘングラードバッハと1.FCケルンの練習見学をし、同行した竹谷昂祐コーチに至ってはバイヤー・レーバークーゼンに行ったらしい。

健太さん(とその仲間たち)といえば、昨年からスリーバックの研究に余念がなく、シーズン前には各国のスリーバックのチームを死ぬほど観たと、クラブ公式ドキュメンタリー「INSIDE GRAMPUS THE DEEP」でも言及があったばかり。そもそも健太さん、全然海外の試合は観てなかったけど、スリーバックを始めてから興味が湧いたと以前に話してたっけ。「戦術も細かくなった」とは選手談。そこにきて今度はドイツ遠征ときた。

このままじゃ優勝出来ねえこのままじゃ優勝出来ねえ。

分かった....きっとこれ本音で言ってんな(今さら)。

これさ、実はめちゃくちゃ重要なエピソードなのでは。今のままでは優勝出来ない、そう心から思えた事実が。ならば、仮説の域をでないものの、一つの可能性として昨季途中からの大失速が相当堪えた説で考えてみたい。

 

開幕から全てがうまく転がりすぎた故の落とし穴

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これは裏を返せば飛ぶ鳥を落とす勢いだった前半戦に、それだけ手応えがあった証拠でもある。但し、それがたった一つのピースを失っただけで瞬く間に機能不全と化した。全ての歯車が狂ったのだ。森島司を獲得したものの、「型ありき」であの手この手で無理くりハメ込んでも一向にしっくりこない現実。もちろんシーズンど真ん中(の待ったなし)な状況では仕込むにも限度があり、そこに同情の余地があったのは以前に書いた通りだ。とはいえ、(健太さんの言葉を借りれば)一丁目一番地の選手だとしても、それだけでチームが壊れてしまうメカニズムには誰もが大きなショック(と失望)を受けた。

migiright8.hatenablog.com

では、あのとき、何が一番問題だったのか。

自分なりに一言でまとめてしまうと、「戦い方に幅がなかった」ことに尽きる。一点特化型に問題があった。

固い守備からカウンター。名古屋の武器はスリートップ。この分かりやすい代名詞を機能させていた一丁目一番地こそが、マテウスカストロだ。低い位置で奪っても、マテウスにさえ預ければ起点ができる。前にいる二人(キャスパーユンカーと永井謙佑)は迷いなく走りだし、後方から加勢してウイングバック(森下)も躊躇なく後を追った。どれもこれも可能にしていたのは「奪われない、前が向ける」マテウスの個性があってこそだ。

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また、そういった名古屋の個性、つまり「相手ゴールにダイレクトに向かっていくフットボール」を展開できる『毛色の近い選手たち』でパズル(組合せ)を見事組み合わせた健太さんも、完璧に近い仕事だったと言える。

だからこそ、皮肉にもそれが大きな落とし穴となった。

エンジンを失った途端に大失速。試行錯誤もした。森島司が同じ毛色に染まることを願い、彼個人への期待と同時に、何度もパズルを組み替えてはチームよ好転してくれと願ったわけだ。しかし、結果は知っての通り。最後まで理想の姿には辿り着かず。そもそもこのアプローチに限界があったことは、誰の目にも明らかだった。

現在の取組みは、間違いなくこの反省の先にある。

 

多様な個性よ集まれ(ボール保持も大歓迎)

今季のポイントに関しては、二つにまとめてみたい。

一つは、毛色を「揃える」のではなく、あえて「異なる」多様な個性を前提とし(組み合わせ)、フットボールの幅を広げること。昨季のように、ダイレクトなフットボールを得意とする面々だけで揃えない。その中に、例えばポゼッション(つまり、ゆっくりと攻撃すること)が得意な個性もあえて組み合わせる。問題は、誰をどのように組み合わせるのが最適解か。このパズルを組み立てるのは言うまでもなく健太さんだ。なお、この点は前述の通りマテウス離脱後にカウンターの術を失い、攻撃の手札自体を失ってしまった苦い経験に起因した変化だと考える。健太さんが強化部にリクエストした内容はこうだ。「特徴のはっきりした選手を揃えたい」。

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二つ目は、そういった多様な個性をピッチに配置する(繋げる)うえで、ただ型にハメて並べるだけでなく、より各々の個性が発揮できるようチームとしてのガイドラインを設けることにある。それぞれのポジションごとに画一的なタスクが与えられるわけではなく、あくまで前提は選手の個性を尊重したタスクとなる。ゆえに、それらをチームとしてどう機能させていくか、より戦術的で(つまり)具体的な落とし込みも(選手の組み合わせと同時に)進めていく。竹谷コーチに全力で祈れ。

今季の目指すフットボールを、森島はこう表現した。

「特徴に秀でる選手を活かすのが今の戦術」

ズバリこれだろう。そもそもの方向性があって、そこに波長があう選手たちを「揃える」のではない。あくまでも選手たちの個性が前提にあり、その異なる個性を「活かす」ために組み合わせを考える。チーム戦術を考える。当然、チームとして譲れないベース(二年間で積み上げたもの)はあるだろう。ただ、とりわけ「ボールを保持するフェーズ」においては、そもそもの発想からして大きなメスを入れていることは間違いない。

なお、その文脈においての不安要素も挙げておこう。

 

結果的に唯一無二になり得る森島司の個性

一つは、中盤のキャラクターが似通っている点。

稲垣祥米本拓司、内田宅哉、新加入の椎橋慧也。どの選手もボールが狩り取れ、どちらかといえば「縦」に力強い選手である(内田のキャラクターは多少異なるが)。ゆえに、仮に(当初からすれば予想外にも)「ボールを動かせる」選手が重宝された場合(要は吉田温紀だ)、彼に似通ったキャラクターの選手が見当たらないのは気掛かりだ。そう考えると、一年で名古屋を去った山田陸はもう一年我慢しても面白かったのではないか。

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もう一つ、今季の期待の選手として、健太さんは「森島司」を挙げている。その言葉の通り、これまでの報道を見聞きする限り、どうやら本当に今季は森島司のチームになる可能性が高い(このまま上手くキャンプが進めば、だが)。要は、彼がこのチームの攻撃でアクセントをつけるキープレーヤーとなる。その場合に、彼のキャラクターもまた現在の名古屋では唯一無二であることは気になる点だ。「なんだ結局はマテウスのケースと同じじゃねえか」とならないためには、個性が抜けて穴になるのではなく、「個性が変わることでチームにも変化が生まれる」循環を作ることが重要な要素となるはずだ。森島ならこれが出来る、和泉竜司になればこれが出来る。同じタスクで縛るのではなく、個性に応じて色が変わる。その変化にチームが呼応する。今季のチームは、そうでなければならない。目指す方向性は、それだ。

キャスパーと永井、山岸祐也とパトリック(酒井宣福)、久保藤次郎と中山克広、和泉と倍井謙。

各ポジション毎に、ある程度は似たタスクをこなせそうな個性は揃えている。だからこそ、「代替不可」にみえる森島や吉田のような個性(キープレーヤーの箇所)を、年間でどう運用するかが腕の見せどころにもなる。

 

今んとこ満点!いやまだ何も始まってないけど!

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さあ、今季のこの取り組み、果たしてどうなることか。

伸るか反るか。駄目だったときは「この期待返せバカヤロー」と笑ってやるんだ(悲しみに暮れながらだけどな)。ただ、もし成功した(この賭けに勝った)場合は、健太さんにとっても監督としての評価をさらに何段階も上げるターニングポイントになる可能性がある。「新しいものを貪欲に取り入れ、変化を恐れない監督」と言われること待ったなしになる可能性が。ていうか、良いんですよ今はこれで。最終的に当たろうが外れようが(いや外れたら困るけど)、プレシーズンで一番大事なのは「どれだけファンサポーターの期待を煽れるか」なのだ。現状は満点!その取り組み、まだ取り組みの段階だが満点あげる!何も観てないのにこれだけの文字数を割かせた健太さんのチャレンジとりあえず満点!!!

上にある予想フォメ、もう全然違ってきてるけど教えない、今の名古屋を俺教えない。つまり分かりますか。何が言いたいか結論書きます。長々と書いてるけどそろそろ結論書きます(二度目)。要はこれが言いたいだけ。

どう転んでも三年目の今が最もアツい。健太がアツい。

「貴方は結果しか見ていない」


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話題になったミシャのスピーチ。これ、凄いよね。

ミシャの通訳さんがかなり意訳していたとか、あるいは、ミシャと浦和レッズのプロレス云々には正直興味がなく、なにより関心をひいたのは、ミシャが“勝敗”と“内容”について、ここまでド直球に意見したことだ。

面白いもので、その点について大きな話題とはならなかった。ただ、例えば成績がふるわないクラブにおいて、ファンサポーター内で拗れるケースは往々にしてこういった価値観の違いに起因する。結果を伴うスポーツはある意味でゲンキンなもので、勝ってる間は平和一色。「勝った」事実の説得力に勝るものはなく、目の前にある悩みごとなど全て覆い隠してしまう。しかし、問題は負け始めてそれが続くパターン。負け始めた途端にこの価値観のズレが邪魔をして、本来仲間であるはずの身内のファンサポーター同士に争いごとが生じてしまう。

正直にいって、この議論においてどちらが正しいとか間違っているなんて答えは出せない。ゆえに、冒頭のミシャのスピーチも、「よく言った!貴方のおっしゃる通り!」などと言うつもりもない(が、「よく自身の価値観でここまでド直球なボールを放ったな」とは思う)。そのスタンスを、まず明確にしておきたい。

ただ、この投げかけは本当に良いテーマだ。

各々が自身の応援するクラブのシーズンを振り返る際、このスピーチも心の片隅に残しつつ、一体、自分は目の前のクラブに何を求め、期待しているのかを問いながら振り返ると、より意義深いものとなるのではないか。

 

面白いかどうかで意見の割れるサガン鳥栖

さて、私の推しクラブは言うまでもなく名古屋グランパスなのだが、とりわけフットボールの観点で魅力を感じているのがサガン鳥栖徳島ヴォルティスだ。

特にサガン鳥栖については語りたいことが山ほどある。

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今季を振り返った際に、(あくまでも私の観測範囲ではあるが)賛否分かれたチームだったことは確かだ。結果に関わらず面白いと支持する人もいれば、いやいや面白くなかったとバッサリ切り捨てるコメントも見た。

まず、そもそも論から入りたい。

私も「面白い面白くない論争」に常にいたい

大前提として「応援するクラブのフットボールが面白いかどうか」が議論になる時点で羨ましい(そこ)。鳥栖の人たちが自覚的かはさておき、多くのクラブのファンサポーターは日常的にそのような話題で議論はしていない(気がする)。では、なぜそこが(必然的に)論点になるかといえば、それは(監督を筆頭に)現場が自分たちのやりたいフットボールを提示することに成功しているからではないか。やりたいことが明確だから、好みが分かれる。自然とフットボールの“質”に目が向かう。

これ、早速話は脱線するが、今季の徳島も同じだ。

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シーズン途中に吉田達磨監督が就任してからというもの、「俺たちのスタイルはどうなった!」とか「スペイン路線忘れたんか!」なんて声をよく目にした。あえて変な日本語をかますが、そもそも羨ましい(二度目)。

徳島に至ってはスペイン路線ではや6年。もはや身も心もどっぷり浸かり、なによりそのスタイル、というか方針(路線)を“誇り”としているのがよく分かる。だから、道を逸れそうになるクラブに黙っていられるわけがない。ファンサポーターの目はバキバキ(怖い)。それらがフットボールの“質”を根底に育まれた文化であることは、徳島にとって一つの成功の証だといえるだろう。

鳥栖も徳島もいろいろあるけれど、要は素直に羨ましい(三度目)。そういう議論が起こること自体、稀です。

やさぐれてきたので話を戻す。鳥栖の話だった。そんな鳥栖だが、なぜ「面白くない」と感じる人もいたのか。これは私の意見にはなるのだが、目の前にあるその「未完成さ」が、そう思わせたのではないだろうか。

自分たちにフォーカスするチームの難しさ

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「現状は」中途半端なのだ。勝つでもない、というか、勝つためになりふり構わず手を尽くすチームではない(良くも悪くも自分たちの“型”にこだわる)から、「負け方」が似る。つまり、同じような負け方を毎試合繰り返しているように見える。だから面白くない。今の鳥栖は、「なりたい自分たちの姿」にフォーカスしており、出来ないことをチーム戦術で補おう(それで包み隠してしまおう)という手段を取らなくなったように思う(この変化がなにより大きい)。もう少し噛み砕くと、もちろん今だって走れるチームなのだが、一方で「走ることに頼らないチーム」になった。走ることが前提にある戦術は武器になるが、一方で、その戦術だけに頼ることへの限界も感じた末のアプローチ、というべきか。もっといえば、その特色はもはや鳥栖だけのものでもない(それこそが今季のトレンドだ)。なお、私なりに考えた今季の鳥栖の取組については以下を参照してみてほしい。

migiright8.hatenablog.com

しかし、“個人”に特化したアプローチは時間がかかるのがとにかく難点。当たり前だろう。出来ることを駆使するわけでなく、出来ないことを出来るよう努力するのだから、昨日の今日で劇的に変わることはない。つまり、短期間での変化が乏しい。もちろん奇を衒うこともしなければ、目先の結果欲しさにスタイルに反することもしない。それは己の美学が許さないからだ。そうやって毎試合臨めば、負けるパターンが似通うのは必然である。

では、お前(私です)も同様に面白くなかっただろう?と問われるかもしれないが、決してそんなことはない。

そもそも“面白い”と感じるポイントは人それぞれ

そりゃあ、過去数シーズンに比べると、目の前の出来に惚れ惚れするとか、ワクワクが止まらないなんて衝動は薄かったかもしれない。ボールを狩る(襲いかかる)チームから、まずはボールを繋ぐチームにシフトしつつある停滞感。やっぱり、難しいことにチャレンジしてるなあ......とは感じていた。しかも、決して恵まれた戦力ではない中で。でも、そういうもどかしさって、自分にとって許容範囲なんだ。目の前の一試合一試合の出来(完成度)には正直こだわってない。むしろその「上手くいかなさ加減」が面白かったりもして、要は“面白い”と感じる定義(解釈)が違うのだと思う。3ヶ月前に出来なかったことが、気づいたら出来ている。そういう実感を感じられる、その過程を見届けたい欲の方が強い。

ただ、その文脈が成立するための条件は当然ある。

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そのチームがどんなフットボールをしたいのか、目指しているのか。それが、観ている側にメッセージとして明確に伝わっているかどうか。そのピッチ上から、多少なりとも感じ取れるものがあるかどうか。これが重要だ。

目指している姿があり、目の前には現実(現状)の姿がある。その差異を毎試合楽しむ。もう少し噛み砕いていえば、「きっとこんな姿を目指しているのだろう」と『(それが)出来ている未来』を想像しながら、目の前のチームを追いかけることこそ、自分は「フットボールが身近にある生活」の最大の魅力だと思っているのだ。

ただ、そう言ってしまうときっとツッコまれてしまう。

「それはお前が『生粋の』サガン鳥栖サポーターではないからだ」と。「所詮は外野の人間」であり、「お前に分かってたまるか」だ。価値観がぶつかる時、こういったレッテル貼り(線引き)は悲しいかな発生する。

ただ、そんなものは別に関係ないんだ。

プロの試合に果たして何を求めるか

自分のような価値観だと、同じように名古屋のことも見てしまうから。そりゃあ勝ってほしいよ。いつだって、応援するチームには勝ってほしい。絶対に譲れない戦いだってある。例えば、2017年のJ1昇格を賭けたプレーオフや、あるいは、2021年のルヴァン杯決勝で、「内容が良ければ勝敗は二の次」なんて思うはずもない。なんでもいい、とにかくこの試合だけは勝ってくれと、ただ一点、「勝敗のみ」にこだわることは当たり前だがある。


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でも、一方のリーグ戦に関していえば、自分は目の前の一戦一戦の勝ち負け「のみ」にフォーカスはしていなくて、そのチームの歩む文脈を感じ取りたいと思って観ている。だから、誤解を恐れずいえば、結果は所詮結果でしかない、のだ。もちろん、勝ってほしいし、勝てば嬉しい。が、勝てないことも含めてフットボールだと思っているから、最終的に1年間(リーグトータルで)観る喜びがそこにあったか、がなにより重要だと捉えている。

そう考えると、やっぱり自分にとってのフットボールは勝負事、ではなく、エンタテイメントなのだろう。

勝敗だけを競う(問う)ことに魅力を感じていない。そこにチームや選手たちの成長を感じたいし、それを感じられるような土壌があって欲しい。仮に、ただ勝敗を競うだけのリーグ戦なら。私のような価値観では、目の前の一試合が記憶に残らないだろう。逆に、勝敗以外の魅力がそこにあれば、負け試合でも強く記憶に刻まれる。チームの歩むストーリーに入れ込むことができれば(強い思い入れがあれば)、どうしても勝ち『だけ』が欲しい試合に、自分の人生を全部乗っけて応援できる。

もうこればっかりは私個人の価値観であり、当然そんな価値観は認めない、嫌いだと罵る人がいることも知っている(し、実際に罵られたことは何度もある)。私のような価値観がある一方で、いわゆる「勝利至上主義」な人たちがいるのも理解できるし、そこの議論はいつまで経っても平行線だ。そもそも成長、ってね。プロの世界で成長もクソもないだろと言われたら、そういう価値観もあるよね、としか思わない。で、あるからして、正直気は合わないだろうが対極の価値観を否定するつもりもさらさらなく、お互い自分の土俵で楽しもうぜの一言でさらっと解散するのが私のアナザースカイです。

自分にとっての「あるべき姿」と現実が違う問題

でも、一つだけ考えさせられたこともあったんだ。

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そもそも「鳥栖のスタイル」とは、勝利のためになりふり構わず勝ち点3を掴み取りにいくことだ、という意見。それが、長年鳥栖が積み上げてきたスタイルだと。これは、私が信頼する(大好きな)古参?サポさんがコメントしていたのだが、なるほど。正直、この価値観の擦り合わせがなにより難しい。なぜなら、川井監督の思想というのか、フットボールの考え方(つまり美学)はおそらく対極だから。この噛み合わなさって、それこそ前述の徳島も同じで、「自分にとってのあるべき姿はコレだけど、クラブが同じ方向を向いていない(ように感じる)」ことって絶対にある。起こり得るし、というか、避けられない。自分の思い通りに進むはずもない。

でも、それで全てがつまらなくなるのはやっぱり嫌で。応援するチームに負けて欲しいなんて願いたくないじゃん。嫌いでも(好みでなくても)、付き合わないといけないときはきっとある。そうなると、出来ることは二つのみ。ひたすらに受け付けないか、その相手(クラブや現場)のことを「(少しでも)理解しようと」努めるか。私自身も、これまでこういった現実(矛盾)に何度もぶち当たってきたわけだが、結果、選んだ(楽しくいられた)のは後者だった。なんでこんなことするんだろうと悩んで、自分なりに考えて観察するしかない。それが相手(クラブや現場)といい距離感を保つための(現状の)私が持ち得る答えだ。もちろん、それで明らかにマズイ方向に進んでいると思えば批判もすればいいと思う。理解をしたうえで、「でもやってること違くね!?」となればさ、そりゃ黙ってはいられない。

私は今の鳥栖、すごく好きだよ

ちなみに、私は今の鳥栖の方向性を支持してる立場。

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債務超過真っ只中のクラブにあって、目指すものは残留のみ、そのためならスタイルには拘らないなんてチームに、果たしてどれだけの選手たちが集まるのかと疑問が残る。Jリーグ自体の競争力が上がり、予算規模にも差がついてきた際に、このスタンスではジリ貧だというのが私の考え。もっといえば、前述の通り、そもそもリーグの流れが本来鳥栖の得意としていた土俵側に寄ってきているジレンマもある。それでは先がないと判断したのは鳥栖の前任者も同様で、だから2020年から新たなスタイルを模索した。「フットボールの『質』をみて、文化にする」ことを望んだのだ。これは徳島も、今季躍進を遂げたアルビレックス新潟も同様。選手たちは「上手くなりたい」。そう思わせるだけのフットボールと、それを育む環境が必要だと思う。「そんなこと言って、その選手がいつまでこのクラブに残ってくれるか分からないじゃないか」そういった意見があるのも知っている。その文脈において、即効性(効率)が悪すぎると。

だったらユース生を使って欲しい、そんな気持ちも痛いほど分かる。というか、クラブにとってそれは必要なことだ。でも、もしかしたらユース生の方がもっと時間を要するかもしれない。優秀なユース生が現れれば、外から触手が伸びるのは彼らだって同じだ。私は、席は譲るものではなく、最終的には「奪い取るもの」だと思う。むしろ問うべきは、チーム内に競争原理が働いているかどうかであり、その優劣が、果たしてどんな基準によって決められているかだ。その基準に妥当性はあるか。議論の焦点は、この点にあるべきだと主張したい。その意味において、今季の鳥栖(というか川井監督)はシーズンを通して一切ブレなかったと思う。一貫していた。

なんにせよ、2021年シーズン終了後を想えば、その後の2シーズンを「残留を目指し残留した」のではなく、「それより高みを目指した結果、残留した」事実を、私は最大限評価する。この違いには、雲泥の差がある。

クラブ、マスコミの皆さんに私はこう伝えたい

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鳥栖に関しては、この文脈で問題提起もしておきたい。

それは、鳥栖のような我が道を突き進むスタイルでいくのなら、やはり今以上に観る側の解像度が上がるような、つまり観ている者たちの目線が揃うような発信がもっともっと必要ではないのか、という点だ。

どんなフットボールに取り組んでいるのか。目標をどの位置においているのか。勝負の年は今年なのか、それとも長期的な計画なのか。例えば小林祐三スポーツダイレクターとかさ、それをもっともっと発信してもいいと思う。目先の結果にとらわれない、自分たちにフォーカスしたフットボールって、特に停滞期は観るものの目が揃わないんだ。あれ、なんで毎回こんなことやってんの?と。いい加減にしろよ、勝つために守れよって。負けるべくして負けているように映る。どうしても各々で観ている景色はズレてくる。もしかすると私だってズレまくってる可能性ある。その事実を軽視しないで。「自分たちのなりたい姿」を明確に提示し、今のチーム状況や選手たちの様子がもっと伝わるといいと思う。

いやあ......長くなった。言いたいことは全部書いた。

つまるところ何を願ってるかって、(全員とは言わないが)多くの人にとって今のクラブ(チーム)が誇りに思える、自慢したくなるような対象になって欲しいのだ。結果が「要らない」とは言ってない。何かを追い求めた先に結果がある、ついてくる。それが一番いい。

そういえば、もう一つのアナザースカイこと名古屋の話題に触れてない。ここまできたら名古屋で締めるから←

 

まだこのブログは続く名古屋編

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ごちゃごちゃ書いても仕方ないので、マテウスが中東に飛び立ってからのアプローチにフォーカスしたい。結論から言ってしまうと、あの(長谷川健太氏の)アプローチは、私個人の意見としては面白くはなかった。このブログの文脈でいえば、好みではない、が適切か。

なんだろう、やっぱりずーっとパズルを組み合わせていた印象が強い。でも、マテウスがいたときに完成していた(ピタッ!とハマっていた)そのパズルの枠組みでは、もう何を(誰を)どう組み合わせても(ピースをはめ替えても)絶対にピッタリはハマらないと誰しもが薄々気づいていたと思う。だから、もういっそその枠組みから改めて、今あるピースで土台から調整しようとなれば良かったんだけれど、そこまでの時間も、勇気もなかったなというのが、私個人の感想である。

でも、難題だったのもすごく分かるんだ。理由は三つあって、一つは開幕から(そのパズルが)あまりにも上手くハマりすぎたこと、疑う余地がなかったこと。二つ目は、シーズン真っ只中の夏以降では、そこまで大掛かりな工事をするのがそもそも難しい事実。そして三つ目は、どのコンペティションにおいても“タイトル”が懸かっている位置にいたこと。そんな悠長な時間がそもそもなかった。もちろん、健太さんにも問題がなかったわけではない。マテウスがいる前提ならBやらCのパターンもあったのだろう。ただ、皮肉にも「マテウスがいない」Bパターンを全く持ちあわせていなかった事実は痛恨の極みだった。正直、後半戦大失速の最大の原因はそこにある。......が、まあ簡単ではなかったと納得してる。

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そのような理由により、結果的には(一縷の望みをかけて)毎試合パズルを組み替えてはある種の神頼み(上手くいけ!との出たとこ勝負)状態が続いた。その試行錯誤という意味においては文脈も成立していたが、私個人の好みは(このブログで散々書いてきた通り)少しずつでも練度を上げていくアプローチ。ゆえに、どうにも後半戦に関しては毎試合流れがぶった斬られる想いで、試しては替え、試しては替えの繰り返しが(しかも上手くいかないのが都度伝わる分)、継続して観ていく面白さを削いでいるような感覚は正直あったように思う。

(長谷川)健太さんは、選手の育成においては実績も十分だ。得意技「俺が育てた」によって、身内を代表に送りこむエキスパートでもある。ただ、やはり彼の本分というのか、一番の魅力は“勝負師”としての顔であり、そのためのマネジメント力にあると思う。

“育成”と“結果”。この相反するような二頭を苦心しつつも追いかけていたのは伝わっている。だが、とりわけマテウス離脱後の後半戦に関しては、やはり“結果(タイトル)”を追いかけなければならない現実が比重として上回った印象は強く(当然だと思う)、その結果、期待して送りだされた若手たちがその狭間で振り回されてしまった感は否めない。それを若手たちの力不足との言葉で片付けるのは簡単だが、それはどうにも酷なように思う。

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観ている側の一人として、このブログで書いてきた“勝敗”と“内容”の文脈で付け足すとすれば、“勝敗(結果)”をひたすらに追いかけ、しかしその結果がついてこない日々は、やはり虚しかった。勝てなかった事実以上に残るものがなく(何かを積み重ねている感覚が乏しく)、毎試合ダメだったの繰り返しでしかない日々は、なんだか寂しい。もちろん、トライアンドエラーを繰り返す積み重ねはあったのは分かる。なにより、選手たちは本当に頑張っていた。ただ、少なくとも今季の名古屋は、「勝つこと」にこそ価値のあるチームだった。

以上(ブログの更新頻度の悪さが文字数に現れる)。

鳥栖の健太さんの課題が攻守におけるゴール前の質にあったのなら、一方で名古屋の健太さんの課題もまた明白。マテウスなき名古屋の再構築、それも特定の人物に依存しない仕組み作りが来季は問われている(もしくは夏の移籍の断固拒否な姿勢、中東を追い払う術)。

さて、名古屋と鳥栖の3年目はどうなるか。徳島の皆は笑ってシーズンを過ごせるのか。私は来季もぶつぶつ文句言いながらシーチケ民としてスタジアム通います。

それぞれ、フットボールのある日常を楽しもう。

“結果”を得るために、何を選ぶか

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この記事がめちゃくちゃ面白かった。

アカデミーは「結果より育成」。でも、育成のためにはトップカテゴリーにこだわりたい。だから、(苦しいシーズンを過ごす今は)結果を取りにいく。課題は守備の立て直しにあり、そのための5バックへの変更。葛藤。

これを読み、真っ先に思い浮かんだのはトップチーム。

直近の8試合で3分5敗。たしかに重症だ。順位は12位、降格圏とは(現状)縁もなさそうなのが唯一の救いか。

ただ、ツラいのは応援するファンサポーターだ。

トップチームこそ「育成より結果」。負けて、負けて、勝てると思ったら毎度のように追いつかれる。同じ光景の繰り返し。だから、時にこう揶揄される。「目の前の一試合にこだわっていない」と。勝つためにやれることを、このチームは全部やっているのか。そんな憤り。

この指摘は、あながち間違っているとも断言しづらい。

例えば直近で戦った第25節のガンバ大阪戦。また、その後の第26節サンフレッチェ広島戦のホーム二連戦。


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攻め込まれる展開の中、パクイルギュがスーパーなセーブの連続で救い続けたこの二試合は、力の差というよりむしろ「構造(噛合せ)で殴られている」印象だった。

つまり、他にやりようがあったのでは、ということだ。

そもそも、これまでのサガン鳥栖はそれが売りだった。それ、とは「相手の形(型)に応じて自分たちの形も変化させる」ことにある。3バックに4バック。まさに変幻自在なシステム変更は、主に相手のビルドアップに対抗した策だった。どの選手も自分の標的(相手)を明確に、そして矢印は常に前向きであるように。相手の型に対して最も噛み合わせのよい己の型とは、つまりこういった「鳥栖らしさ」が前提にあって決められていた。

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強いチームは横綱相撲ができるので、自分たちのやり方だけで勝てます。当然、僕も“やりたいことをやる”というのがベースにありますが、それはあくまで攻撃の部分です。守備は相手があるものです。要はプレスのための微調整ですね

(攻撃において常に「数的優位」を作る発想に至った理由)は、選手の質ですね。選手のところで質的優位性があれば、川崎のようにそこで立ち位置を変えずにやれるのでしょうが、僕たちがその部分を見いだすことはなかなかできません。であれば、どうズラすのか。ズラすということはつまり前の人数が足りなくなるということなので、いかに早く動き直して前に侵入するか

特にプレッシングにこだわっているので、ミーティングの半分くらいはプレッシングの映像を出して取り組んでいます

僕らの最大の武器はやっぱりプレッシングだと思うんです。どうすれば相手のビルドアップを高い位置で引っ掛けられるか。それはすごく考えています

エルゴラッソIssue2540掲載「ミョンヒサガンの思考とロジック」からも一部引用

現在の鳥栖の礎を築いたキムミョンヒの言葉である。

たしかに守ってカウンターのスタイルは脱却した。ボールも繋がるようになった。しかし、自分たちの生命線はやはり「狩る(ハントする)」ことにある。それをあえてネガティブに表現すれば、鳥栖はあくまで地方クラブで予算もなく、いわゆるビッグクラブと呼ばれる相手に対しては「挑戦者」の立場であるということだ。どれだけ保持を磨こうとも、規模の大きなクラブと渡りあうには「奪う」ことに注力しなければならない。それが、彼らにとってトップカテゴリーで生き残る生命線だった。

しかし、今季の鳥栖にはその様子がない。

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それが、「鳥栖らしさ」を感じさせない、ときに、なす術なく敗戦を喫するような印象を与えている。

ここで疑問があるとすれば、何故ここまで4バックにこだわるのか、である。鳥栖お得意の「ハント」の威力も、今季は随分とおとなしくなった印象だ。また、保持における鳥栖といえば、一人で二人分、いや三人分は走って常に数的優位を作りボールを前に運んでいくのが真骨頂では。試合の中でいくつもの陣形を駆使するのも、鳥栖が誇る運動量を存分に活かしたやり方だった。

しかし、そういった攻守におけるアグレッシブさを、今季の鳥栖から感じづらいのも確かかもしれない。

ここで思い返すのは、川井健太監督のコメントである。

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我々はやはり川崎さんを見習いたいと思っています

一番したいのは横綱相撲です。相手が何を出してこようがドンと受け止めてはね返す。相手はお手上げで、土俵に上がる前から“勝てないな”と思わせるチームにしたい

横綱相撲」っていい言葉だなと思っていて。僕のイメージですけど、1回、受けて立つと。どんな技でも来いと。で、全部返すみたいな。動じない。横綱がいきなり猫だましから入るかというと、絶対にない。でも、横綱相撲ができるには圧倒的な力が必要なんですよね。力がないから、二の手、三の手からいくというのは、僕はあまり好きではないので

エルゴラッソIssue2622掲載「川井健太という男」からも一部引用

偶然にもお互いの口からでた「横綱相撲」の言葉。

ただ、それをあくまで理想だと解釈するか、そこを目指したいと解釈するか。この違いはあまりにも大きい。

川崎のようには出来ないのか、それとも見習う、のか。

昨季、J1への残留が確定し、川井監督の契約延長が決まってから4バックをメインシステムとする挑戦は始まった。「(例え数的不利でも)味方と協力して守備をすること」「(だからこそ)奪った後にあらかじめ前線に枚数を残せる仕組みを構築すること」。つまり、これらは『相手がどんなやり方できても圧倒できるものを身につけたい』とコメントした川井監督の言葉に沿うものだ。

そうして迎えた今季の開幕戦。


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1-5。大きな期待をもって迎えられたホーム戦、そして目を覆いたくなるこの現実が、今思えば鳥栖の歩む道を決定的にしたように思う。このままではいけない、と。

本格的にJリーグに到来した、ハイプレスの波。

マンツーマン気味に押し寄せるその波は、「後方に人数をかけて相手をズラす」鳥栖の長所をむしろ短所に変えた。ズラすために後ろが重くなる(人数をかける)ゆえ、相手の矢印は強く前に向かう。ズラそうにも各々が狙われ(標的にされ)、相手に喰われる。ズラすために大きくポジションチェンジをするから、喰われた先に大きなスペースを与えてしまう。それでもボールを運ぼうと前線の選手が降りるから、鳥栖の重心は下がる一方。

徹底したハイプレス。それは本来なら鳥栖の土俵だ。

しかし、むしろ「喰われる側」になるとはなんと皮肉な話だろうか。ではビルドアップなんぞ捨て大きく蹴るフットボールに転換できるか。今の鳥栖にそんなタレントはいない。いや、その転換は、ここ数年で鳥栖が築きあげたスタイルを放棄することを意味するだろう。

であれば、鳥栖が「横綱相撲を目指す」のはむしろ必然ともいえ、もはや不可避だったように思うのだ。

「成長している気がしない。だから面白くない」。

最近そんなコメントも読んだ。ピッチ上から受け取る感想は人それぞれで、その意見も尊重されるべきだろう。

ただ、問いたいのだ。本当に成長していないのかと。


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第27節、横浜F・マリノス戦。

彼らとの試合は、毎回のように真正面からぶつかり合う。そして、だからこそ同じ土俵でボコボコに殴られた。しかし、そんな鳥栖の姿はもう見当たらない。

そもそも、「自分たちの型」にこだわった上で、対等に渡り合えている事実に、果たしてどれだけの人が気づいているだろうか。常にハイプレスをしなくとも、時に4-4のブロックをミドルサードに敷いてゾーンで守れる。選手間の(あまりに極端な)ポジションチェンジ、また、パクイルギュのビルドアップ能力に頼らなくともボールの前進も可能だ。攻撃のファイナルサードでは、執拗に相手のニアのポケットを狙い続け、結果、空いたDゾーン(バイタルエリア)を有効に活用する。

これらは、日々成長してきた成果ではないのか。

ここまでの文脈に一理あるならば、鳥栖は良くも悪くもベーシックなチームに変貌しつつあるのかもしれない。

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鳥栖フットボールは常に「尖って」いた。

2021シーズンのキムミョンヒ体制時では、攻撃になるとストッパーの中野伸哉が大外に張り、5レーンを駆使した位置的優位性を確保する超攻撃的なフットボールを展開した。2022シーズンの川井体制一年目では、両「ウイングバック」の岩崎悠人と飯野七聖が「ウイング」の役割まで担う大胆な発想で新たな可能性を提示した。毎シーズン、「今季の鳥栖はどんなフットボールをするんだろう」そんな玉手箱のような期待と驚きがそこにはあった。同時に、それらのアイデアを生み出した源泉が、傑出した“個性”にあったことも忘れてはならない。

翻って、今の鳥栖はどうだろうか。

(ネガティブに表現すれば)そういった「奇を衒う」ような大胆な発想(戦術)を駆使しない、ある種の本物の強さが求められているのかもしれない。つまり、選手の個性に依存した戦術でもなく、或いは、ひたすらに“狩る”(つまり相手に合わせる)ことを追求した戦術でもない。純粋に“保持”としてのベース(基礎能力)を高め、そのうえに個性がのってくるようなスタイルへの転換。

川井監督は「タイトルが欲しい」と常々話していた。

それは、裏を返すと「残留を目指した戦い方はしていない」とも受け取れる。長いシーズンを通してリーグでの優勝争い、或いは、カップ戦でのタイトルを狙うために、果たしてこれまでの戦い方で勝機があると考えていたか。(それこそ、この酷暑の日本において)安定して勝ち続けるためには、もう一歩、“挑戦”が必要だと考えたのではないか。もちろん、その真意は知る由もない。

とはいえ、理由はどうあれまだ足りないものがある。

それが、“結果”だ。

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どれだけ美しい理想をもってしても、或いは、どれだけ魅力的なフットボールを駆使しようとも、最終的に勝たなければファンサポーターの理解は得られない。フットボールの世界において、最も残酷な事実はここにある。悲しいかな、結果に勝るほどの説得力をもつ現実がないのだ。そうやって、夢半ばにして潰えてしまった挑戦が、これまでにどれほどあっただろうか。

今の鳥栖に、大きなジレンマがあるとすればそこだ。

最後になるが、今季の鳥栖は間違いなく成長していると思う。楽な戦い方に逃げず、ブレずにやってきたこと。積み上げてきたもの。それが評価されて欲しい。

ここからは“成長”と共に、“結果”が残ることを願って。