みぎブログ

主観で語りますフットボールを。

あの日「私達の応援するチーム」は「私達のチーム」になった

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1月。風間体制初日。

「早く練習が見たい!!」足早にあの地獄坂を上りながら期待に胸を膨らませトヨスポに向かった。客席にはJ2に降格した悲壮感はなく、新たな一年が始まる、新たな名古屋グランパスをこの目で見ることが出来る。そんな空気が充満していた。マスコミもかなりの数。それらがこの日から指揮を執る風間八宏、そして日本を代表するストライカー佐藤寿人によるものであることは誰の目にも明らかだった。

練習が始まりしばらくして私の目もやはり一人の選手の存在に釘付けになる。佐藤寿人サンフレッチェ広島のエースであり看板選手であったあの寿人が、赤いトレーニングウエアを身にまとい目の前を走っている。憧れ、そして俄かには信じがたいその光景に私の目は彼を追うことで必死だった。ほどなくして彼が妙に八反田に声をかけるシーンが多いことに気付く。「ハチ!!!ハチ!!!」愛犬のような愛称で呼ばれる八反田は、筑波大学時代、風間監督の下でプレーしていたこともあり、当分の間トレーニングリーダーのような立ち位置になるのだとそのとき理解した。ただ何故寿人が八反田とあれほど仲が良さそうだったのか、その理由を知るのはもう少し先の話。

寿人がナラさん(楢崎)をイジッている。その舞台はカラーコーンを並べたドリブル練習。カラーコーンにナラさんが引っかかる度、

「ナラさーん!!ナラさーん!!」

笑いながら「ほっとけや」と嬉しそうに応えるナラさん。あぁ、この二人はただ仲が良いだけではない。お互いがお互いの役目を理解し引き受けているのだとすぐに分かった。寄せ集めのようなこのチームを、サッカー好きなら知らない人間はいない、そんな二人が引っ張ろうとしていることに気づくまで時間はかからなかった。

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そんな佐藤寿人以上にグランパスサポーターの注目の的、待ちに待ち焦がれた男が玉田圭司だったかもしれない。3年振りにこの地へ帰ってきた男は、田口泰士とコミュニケーションを取りながら、名古屋での感触を取り戻すかのようにゆっくりとピッチを走っていた。だから初日は抑えていたんでしょう。日がたつごとに彼の要求は厳しさを増し、その対象は杉森考起と青木亮太に注がれた。玉田に怒鳴られ小さく見える青木に近づき、そっと肩に手を回し笑顔で声をかける寿人の姿を見て、日本を代表するストライカーの二人が、それぞれのやり方で名古屋の至宝達を必死に育てようとしているのだと分かった。それにしても贅沢なアメとムチだ。

名古屋の至宝といえば、彼らに厳しかったのは玉田だけではない。他でもない風間八宏である。この一年、彼らは何度風間監督に怒鳴られてきたのだろう。おそらくこの一年間、風間監督が最も手を焼き、最も愛情を注いだのがこの二人だ。余談だが、後に強化指定としてグランパスを支えた大学生、秋山陽介は全く手がかからない青年だった。だからこそ即戦力だったのも頷ける。

さて、初日の練習場ではその傍らで黙々とトレーニングをこなす男がいた。アルビレックス新潟から加入した小林裕紀。彼は昨年グランパスと残留争いを演じたライバルチームのキャプテンだった。私達はその戦いに敗れ、彼のチームが勝者だった。その勝ったチームのキャプテンが、敗れ去りカテゴリーを落としたチームにやってきた。

「上手くなるため」

彼は後にグランパスにやってきた理由をこう語っている。かくしてこの不思議な縁で結ばれた移籍劇の主人公は、今佐藤寿人と同じ赤いトレーニングウエアに身を包んでいる。誰よりも一つ一つのプレーにこだわり、風間イズムの全てを吸収しようと言わんばかりのその姿に、「この選手、好みだ。見てるだけで面白い」と私のオタク気質が疼いてしまったのは当然と言えば当然でして、そこからはパス練習一つとっても彼の姿ばかり追うようになってしまった。ミニゲームが始まれば彼はいつもピッチの指揮官だった。誰よりも声を張り上げ指示を飛ばすのは彼の役目だった。後に前所属先であるアルビレックス新潟のサポーターにも深く愛されていた事実を知り、私はこの選手を心から大切にしなければいけないと強く思った。

練習後、各々が思い思いにクールダウンをしている中、私は不思議な光景を目にする。東京ヴェルディからやってきた杉本竜士。周りに脇目もふらず、黙々と一人ドリブルを練習するその姿に目を奪われた。ルックスも相まって、その周りに媚びなそうなオーラは、こちらが期待せずにはいられない独特の雰囲気に包まれていた。「面白い選手が来た」実はあの日私が最も興味を抱いたのは彼である。何度目か練習を見に行った際、お昼休憩で田口と楽しそうに出ていった姿を見たときは嬉しかった。我が子を見るような気持ちで。「仲良くなってる!!」

練習後といえば風間八宏のエピソードも付け加えたい。初めてファンサービスを受けたとき、彼は大きな声でこう叫んだ。

「僕のサインいる人いますかー」

そのフランクな人柄と丁寧な対応に、普段マスコミの前で見せるどこかとっつきづらい印象は消え失せ、この人はサポーターを大切にする人なんだと感じたものです。ただ一つ、隣にいたサポーターが「何か今年の目標を一言添えて下さい」とお願いした際、

「そんなものはありません」

ときっぱり答える風間八宏を見て、この人は自身の信念、哲学からは絶対にブレない人なのだと悟った。だからこそ信用できると思ったのだ。

それ以降トヨスポで見た光景は忘れられないものばかり。

最初は全てのトレーニングが手取り足取り。必ず風間監督の実演からスタートするのがお約束。シーズン前から故障を抱えていたルーキー松本孝平は、松葉杖で必死に移動してはトレーニングの説明に聞き入っていたものです。誰もが風間監督の「言葉」を一言一句逃すまいと必死だった。

ミニゲームを行う際、グループ分けが2つでなく3つ出来る光景もいつしか当たり前のものになった。レギュラー組、サブ組、その他。サブ組に入れなかった選手達はクラブハウス前で全く別のトレーニングを行い、練習が終わればファンサービスもそこそこに足早にその場を立ち去る光景もまた当たり前のものとなった。いつもは丁寧にファンサービスを行う矢田旭が、それをすることもなく立ち去る光景は、真意は分からないまでもプロとしての意地、プライドを感じた。ピッチに立てなくても、同じように日々戦っている選手がいるのだと。

シーズンも半ばを迎えると、その場所から選手が一人、また一人と去っていった。大武、古林、旭、高橋、田鍋...共通したのは、昨年J2降格という苦い思いを味わった選手達であること。そして今年ほぼ出番がなく、クラブハウスの前で必死に己と葛藤しながら戦っていた選手達であるということ。

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意外だったのは磯村亮太。シーズン序盤は苦しんだものの、当時彼は小林とともにCBでコンビを組むレギュラー。グランパスの選手として最後の公開練習日。ファンサービスにやってくる彼の姿を忘れることはない。痛々しい膝のテーピング、どこか逞しくなったようなその風貌。やっと風間さんのサッカーを理解出来てきた、このタイミングで去るのはちょっと心残りだと語った彼に対し、風間監督のもとこれからイソはどう変化していくのだろうと同じ思いを抱いていたサポーターは私だけではないでしょう。この日最後にイソと走っていたのは寿人だった。移籍してしまう選手の練習最終日、私が居合わせたときはいつも寿人がその選手達の隣を走っていた。それはただ仲間との別れを惜しんでいるのではなく、私には一人のサッカー選手として後輩達にエールを送っているように思えた。

どんなときも誰よりも声を出し、常に先頭に立ち、この集団を「チーム」に変えようとしていたのは寿人だったように思う。この一年、彼がいなかったらこのチームはどうなっていたのだろう。そう思ったのは一度や二度ではない。寿人のいる練習場と、負傷でいないときの練習場は全くの別物だった。

名古屋を去った選手で忘れてはいけない選手がもう一人。宮地元貴。J2に降格し、毎日が憂鬱だった。そんなとき彼は母校である慶應義塾体育会ソッカー部のブログにこんな文章を寄せた。

今シーズン、グランパスはクラブ史上初のJ2降格という結果となり、来シーズンは新たなステージでの闘いが待ち受けています。その状況を見て、既に入団が決まっている僕に対して、ここぞとばかりに嘲笑を浴びせてくる人がいます。

今に見てろと思っています。

責任を持って選んだ僕の道です。

僕には猛烈な野心があります。

逆境を力に変えるのは自分自身です。

僕の人生は挫折の連続です。

それでも何度も這い上がってきました。

必死になってもがいてきました。

下手くそがどうやって戦うのか。

不可能だと言われることに挑戦するのか。

幼い頃からの夢を掴み獲るのか。

人生は一度きり。

他人の評価を気にして挑戦しない人生なんてつまらない。

他を凌駕する強烈な努力を積み重ねるのみです。

夢を叶えるには、どのような状況においても、全身全霊を傾けて今を生きることが最も大切なのだと信じています。

僕はグランパスを代表する、日本を代表するプロサッカー選手になります。 

慶應義塾体育会ソッカー部オフィシャルブログ(2016.11.11)より抜粋 

このブログで励まされたサポーターがどれだけいたことか。どれだけのサポーターが前を向くことが出来たか。ルーキーが1年目のシーズン途中に移籍するという異例の形で彼はグランパスを去った。ただグランパスサポーターは彼のことを決して忘れないだろう。そしてある女性サポーターが掲載した彼の涙が忘れられることもない。半年足らずだった。ただ誰よりも自主練習を熱心に行っていたその姿を私は忘れないし、彼が流した涙の意味も私達は知っている。

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抜けた選手ばかりではない。同じ夏、新たに数人の選手達がグランパスに加わった。

ガブリエルシャビエル。24歳とは思えないその風貌でトヨスポに現れたブラジル人は、最初に見せたボール回しの練習から素人目でも分かるほど類まれな技術を持った選手だった。初めてのミニゲーム。彼が入ったポジションは主力組のボランチ田口泰士の隣でプレーする彼を見て、練習後私は知人達にすぐメッセージを送った。「もしかしたら劇的にチームが生まれ変わるかも!!」。途中時差ボケで自らグラウンドの外に出たエピソードも懐かしい。その後あっという間にグランパスサポーターの心を鷲掴みにするとは思いもしなかったけれど。

横浜Fマリノスからは新井一耀がやってきた。風間八宏のサッカーに適応出来るCBなどどこにいるんだと思っていた矢先にやってきた彼。決まった際、新井と聞いてもピンとこなかった自分を今は恥じる。「中澤佑二の後継者」と期待されていたこの男は、圧倒的な高さに加えインテリジェンスも持ち合わせているのだと気づくまでに時間はかからなかった。練習初日、彼にずっと付きっきりで指導する風間監督の姿に彼への期待を感じたものです。その後彼が風間監督と高校時代から付き合いがあったこと、彼をプロに引き上げたのが他でもない下條GMであったことを知り、その縁になんだか奇跡的なものを感じた。川崎に連れてこようとした風間監督と、それを横浜に連れていった下條GMが、今この名古屋の地でタッグを組み、新井をグランパスのメンバーとして迎えたのだ。初めて写真を撮影させもらったとき、あまりの逆光とその長身で顔が全く見えなかったのも良き思い出である。

シーズンも終盤に差し掛かり、 最近こんなコメントをよく目にする。

「今年ほど応援した年はない」「今までで一番スタジアムに足を運んだ」

2016年11月3日。私達はパロマ瑞穂スタジアム湘南ベルマーレに敗れ、初のJ2降格が決定した。

絶望に打ちひしがれる私達に待っていたのは、連日のように報道されるクラブ内部の騒動であった。傷口に塩を塗るとはまさにこのことだ。あの記事の真偽はともかく、今思えばあれはグランパスサポーターに「それでもお前たちはこのチームを応援するのか」と問いただしているような、サポーターとしての覚悟を試されているような、そんなものだったように思える。

毎日苦しい想いをし、自分はこのチームが本当に好きなのか自問自答した。

毎日踏み絵の前に立たされているような気持ちだった。

そうこうしている内に、私達が応援していた選手達は次から次へとグランパスから去っていった。

J2に降格するとはこういうことなのだと、あのとき私達は初めて知ることになった。

勿論何があってもグランパスグランパスだ、そう胸を張って言えるサポーターもいるでしょう。ただ同時にこのチームを応援する沢山のサポーターが、こんな経験を経て初めてのJ2を迎えたのだ。その経験は「私達が応援しているチーム」を「私達のチーム」に変えた。だから今年ほど応援した年はない、そんな感情を抱くのは不思議ではないのだ。私達はそれを乗り越えてここにいるのだから。

名古屋グランパスは私達そのもの」になったのだ。

今シーズン妻に何度も言われた言葉がある。

「今年は特に酷いよ」

その言葉は彼女にとっては痛烈な嫌味であり、私にとっては最高の褒め言葉だ(そう思うようにしている)。

今やチームの象徴である田口泰士が移籍濃厚と目にしたときのことは忘れられない。目覚まし時計をかけているわけでもないのに毎日朝5時に目が覚め、スマホを手に取り何か情報がでていないかと漁った。毎日毎日。

数週間後、「残留決定的」と目にしたときどれだけ嬉しかったことか。友人二人にすぐにメールを送った。「最後まで残留を信じていたのは自分だけだ」と。会心のドヤ顔をしながらも、あのときから既に私の目はJ2という舞台に向けられていたのだと思う。ツライ毎日から抜け出し、このチームと歩んでいくのだと覚悟した。毎朝決まって5時に目が覚めるなんて、人生で初めての体験だった。J2降格を共に味わったキャプテンと、一緒にJ1に上がりたかった。

グランパスの戦力なら昇格して当然。他のサポーターはきっとそう言うでしょう。勿論個々の力がJ2では抜きんでた集団であることは間違いない。

ただ私が見た練習初日。あのチームはグランパスという名のもとに集められた寄せ集めの集団だった。それぞれが覚悟をしこの地にいる。ただチームとしての一体感はまだなかった。当然である。17人がこのチームを去り、18人もの選手が加わったのだ。チームスタッフもフロントも大幅に入れ替わった。紛れもなく新しいチームだった。練習が終わってクールダウンをする選手達。残留組、新加入組で分かれて走っていたその姿を私は忘れない。どこか余所余所しく、居心地の悪そうなあの感覚。あのときまだ名古屋グランパスはチームではなかった。

紆余曲折を経て、一歩ずつチームになっていった今のグランパスを誇りに思う。類まれなリーダーシップでこの「集団」を「チーム」に変えてくれた佐藤寿人。誰よりも厳しく練習に臨み、その背中でチームを引っ張った玉田圭司。一歩引いた立場でムードメーカーの役目を引き受けた楢崎正剛。そして圧倒的なカリスマ性と、「スタジアムを満員にしたい」と極上のスペクタクルをもってここまでサポーターを連れてきてくれた風間八宏。いつも笑顔でサポーターを迎え入れてくれた小西社長の存在も忘れてはならない。

昇格できるかは分からない。ただどういう結果になろうと、もうこのチームを疑うことはないだろう。何があっても応援することで支え続けるだろう。

ただ一つだけ。

私はこのチームをどうしてもJ1の舞台で見たい。

このチームでJ1に上がりたい。

泣いても笑ってもあと2試合。いや4試合かもしれない。とにかくこのシーズンが無事に終わるまで、最後までそれぞれがそれぞれのやり方でこのチームを後押ししよう。背中を押してあげよう。

そしてJ1の舞台へ共に帰ろう。

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