みぎブログ

主観で語りますフットボールを。

継続の先に生まれるものはあるか

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夢のような1ヶ月もあっという間に終わりを告げ、私達の日常が帰ってきた。

そう、Jリーグである。思い出そう、最下位の現実。

とはいえこの1ヶ月は楽しいものだった。前半戦の辛い過去を忘れるには十分な期間だったし、ワールドカップにうつつを抜かす間にグランパスは着々と戦力補強を重ねた。

今回は忘れかけていたシーズン前半戦を振り返りながら、これから始まる後半戦の展望をしていきたい。中断期間前のグランパスがどういった状態だったのか。問題はどこにあったのか。風間八宏が追い求めるサッカーとは一体どんなものなのか。あくまで私の主観で進めていく内容となるが、起きていることに目を逸らさず、一つ一つ丁寧に説明をしていきたい。長い文章になるが、読み終えたときに少しでも理解が深まり各々で考えるきっかけとなればと思う。

待ちに待ったJリーグ再開に向けて、何か一つでも楽しみが増えることを願って。

そもそもグランパスがあるべき姿とは

まず大前提のおさらい。グランパスを観戦する上での大きな指標である。

それは「相手陣地で長い時間ボールを保持し、奪われた際は高い位置で奪い返す(即時奪還)ことが出来ているか」というもの。要は相手を押し込むことが出来ているか。

これを実行するには二つの手段が鍵を握る。一つは「ビルドアップ(組立て)」、もう一つは「前からの組織的なプレッシング」だ。目的を果たすためには少なくともどちらか一つが十分に機能している必要がある。簡単に言ってしまえば、何をもって試合のリズムを掴んでいくか、自分達の土俵に相手を引きずりこんでいくかということである。勿論その土俵とは、相手陣地でボールを保持する状況を作ることだ。

果たして前半戦のグランパスは満足にそれが出来ていたのか。

◯ビルドアップ

もっとも苦戦した項目だ。「止めて蹴る」という絶対的なキーワードを掲げ昨年からチームを作り上げてきたが、これがJ1の舞台で満足に出来ていない。正直に言って、田口泰士の抜けた穴は残念ながら大きかったと誰もが認めるところだろう。新しいグランパスが見られると期待したが、風間監督の理想を実現する上でゲームメーカーの不在は想像以上のものだったと言わざるを得ない。安心してボールを預けられる場所がない。この現実は選手達の不安を駆り立て、プレーの自信のなさに繋がった。

◯前からの組織的なプレッシング

ビルドアップが機能していないことから、せめてこちらが上手くいけばよかったのだが、残念ながらこれも壊滅的だった。今年の目玉補強であるジョー、昨年からの絶対的エースであるシャビエルを前線に二枚並べたものの、共通して前からのハードワークでボールを奪いにいくタイプではなく、前線からのフィルター機能はほとんど期待できない状態。それが顕著に表れたのが豊田スタジアムで行われた横浜Fマリノス戦だろうか。ご自宅にBSの録画が残っている方は是非振り返ってもらいたい。私も久しぶりに見直してみたのだが、ワールドカップの余韻もあってか正直に言って目を覆いたくなる惨状であったことは間違いない。

ビルドアップという術が機能しないチームにおいて、残されたもう一つの術も機能しない場合どういった現象が起こるのか。

マリノス戦における名古屋の戦い方は、彼らにとって前半戦のハイライトのようなものだった。ネガティブな内容にはなるが、今回はこの項目を一つ一つ順序立てて考えていきたい。

①最前線に位置する選手達のファーストディフェンス

この試合、マリノスのビルドアップに関与する選手は名古屋の選手より常に数的優位だった。具体的にいえば中澤、デゲネク、扇原、ゴールキーパーである飯倉。時々山中といったところだろうか。それに対して名古屋のファーストディフェンスの担当はジョー、シャビエル。少なく見積もってもマリノスの三枚に対して名古屋は常に二枚。

この前提に立った時(枚数が噛み合わない時)、名古屋はどう振る舞うべきだったか。

一つは相手の三選手の内、最も足元が苦手な選手を「捨てる」。捨てると言うことは、多少のリスクがあっても放っておくということだ。また一つは意図的に狙った方向へボールを誘導する。狙ったエリアにボールを追い込めば、その局面では数的不利が解消する可能性があるためだ。そしてもう一つ、そもそも前から奪いに行かないという手段も考えられる。相手のチャンスに直結する中央のルートだけ締め、外に出されたボールに対して囲い込んでいく。

さて、名古屋はどうだったか。

残念ながらこの三つ、どの狙いもなく個々それぞれが闇雲に前からボールを追っていたというのが正解である。「前から奪う」これは本来チームとして組織だって動かなければ可能とはならない。しかしながらこの「前から奪う」という言葉だけが一人歩きし、実態は個人個人が前から奪おうと目の前の敵を潰しにかかるだけの無秩序なものだった。チームとしての奪いどころが共有されていないため、どこにボールを追い込もうとしているのか、その意図が見えない。それは例えば奪いにいく際の身体の向きや走るルートに表れる。サイドに相手を追い込んでも簡単に逆サイドに展開されてプレスを回避される。2人で相手のボール保持者に向かってしまったり、パスコースを開けたままなんとなく身体を寄せにいってしまう。ツートップの1人が相手をサイドまで追い込んでいるのに、中のパスコースを潰すべきもう1人の相棒がてんで違う場所に存在する。組織と言えるものは皆無だった。

例を挙げてみる。

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この状況におけるポイントは八反田の「立つ位置」。チームとして上手くサイドに誘導した際に重要なのは逆サイドに位置する選手のポジショニングである。何故か。縦に詰まった相手選手が考えるのは、一度バックパスして逆サイド(名古屋の選手が少ないサイド)にボールを展開することでこのプレスを回避し前進することにある。その前提に立った際、この場面でいえば八反田のポジションは「山中へ渡るボールをカット出来る」場所に立つことが正解ではないだろうか。人につくのではなく、もっとファジーなポジションを取る。そこがハマらないとどれだけ相手を追い込んでも台無しとなる。この試合に関していえば、八反田は人を意識しすぎるあまり同じようなケース、要は相手の手詰まりになったサイドの逃げ道として何度も活用され、前半途中で退くこととなった。

またマリノスに関していえば、事前のスカウティングの段階からなのか、それとも試合中に判断し意識的にやっていたのかは不明だが、ビルドアップの際にこのボールの運び方を明らかに狙っていた節がある。片方のサイドに名古屋の選手を寄せ逆サイドに展開し、稚拙な名古屋の守備応対の隙をついて前進する。これはおそらく意図的なものだったであろう。

またこの場面。

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上がってきた新井がボールを失い、そのままの勢いでボール保持者であるデゲネクに突っ込んで行ったシーン。何故かシャビエルも一緒にプレッシャーをかけに行ってしまい、それを回避すべくデゲネクが中澤にパスを出す。その直前にジョーが中澤にプレスをかける。問題だったのは、このときジョーは最も危険な中央のエリアでボールを呼び込もうとする扇原を全くケアせず(コースを切らず)真っ直ぐ中澤にプレスを掛けに行った点にある。中澤は悠々と扇原にボールをつけ、扇原は前方でフリーになった喜田にボールを預けることで中央に出来た広大なスペースを利用しボールを運んで行った。たった2本のパスで3人が外されてしまったケースである。

②後退する守備ブロック

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ファーストディフェンスがハマらないことで問題なのは、二列目、三列目で待機する残りの8人がどこにボールが展開されてくるのか予測できないことであり、それ故ボール保持者へのアプローチも遅れる現象が起こる。ボール保持者は当然その瞬間オープンな状態でボールを持つことが出来る。ドリブルで前に運ぶこともできる。手前でも、裏でもボールを配給出来る。そうなるとますます名古屋の選手はアプローチ出来なくなり、結果として陣形は後退する。相手のサイドバックが上がれば、見て見ぬ振りができない名古屋のサイドハーフの選手も付いていく。ボール保持者にプレッシャーがかかっていなければ、当然自由にパスを出される可能性があるためだ。

知らず知らずのうちに相手の動きによって名古屋の陣形は歪み、中盤に大きなスペースが生まれ始める。仮にボールを奪うことが出来ても陣形は限りなく低い位置に敷かれており、前に出ていくには大きなパワーが必要になる。言い換えれば「無駄に戻り、無駄に前にでていく」非常に非効率なサッカーとなる。それが過剰な走行距離として記録されていく。

③「人」を意識しすぎる守り方

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名古屋の自陣深くまでボールを運ばれた際にも問題は起きる。

このチームの欠点は「ゾーンかマンマークどちらで守るのかはっきりしない」点にある。言い換えれば「選手ごとの判断に依存する」守り方ともいえる。名古屋は最終ライン4枚、中盤4枚が二列になって4ー4のブロックを形成することが多いのだが、本来ピッチの横幅を4人でカバーするのは至難の技だ。だからこそ相手のボール保持者とゴールを結ぶ最も危険なルートから最優先に密度を濃くすることで相手を追い込み、その間にボールのあるエリアに全体が絞っていく(スライドし、相手のボール保持者を中心として蓋をしていくイメージ)ことが重要になる。

ただし名古屋の場合そういった組織的な守備の考え方も希薄であるため、自分が立つべき「ゾーン」を意識する選手、目の前の「相手選手」を守る際の基準に置く選手でジャッジがぶれる。一つ前に紹介した場面もそうだが、とりわけサイドの選手は「人」を意識しすぎる。結果として相手に押し込まれ、中盤にスペースが生まれる。そこでボールを保持されると、ボールと反対サイドに位置する名古屋の選手はサイドチェンジされるのを恐れ「絞る(スライドする)」ことが尚のこと出来ない。絞れないということは、ボールがあるエリアの逆サイド側に位置する相手選手を「捨てられない」ということである。結果的に横幅も間延びし、選手間のスペースを簡単に使われてしまう。「守備の際は狭く守れ」このセオリーと全く乖離した現象が名古屋には起きている。

ファーストディフェンスの重要性を理解した選手達から生まれた「機能した試合」

逆にチームが上手く機能し、選手が口々にモデルケースとして語っていた試合が、吹田で行われたルヴァン杯ガンバ戦。この試合が上手くいった要因はもはや語るまでもなく「前からの組織的なプレッシング」である。その結果手に入れたものは、風間監督の言葉を借りれば「取った後に出ていけるポジショニング」となる。相手に引っ張られることなく、各選手が高い位置を保てたからこそ、それぞれの個性が如何なく発揮された。またそれは前半戦機能しなかったビルドアップの拙さを隠す意味でも有効な手段だった。

<取った後に出ていけるポジショニングとは>

ここで少し脱線するが、この言葉の意味を改めて考えたい。

敗戦が続いた前半戦の中で度々風間監督が口にしていた発言である。「俺たちのシステムは攻撃をしやすいように作っている」と。この言葉の意味を考えた方も多くいたかもしれない。ここからは私の解釈になるが、この言葉を理解する上で非常に参考になる例を取り上げたい。今回の日本代表である。

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高い位置からプレスをかける際に彼等の何が参考になるかといえば、ボール保持者へのアプローチの掛け方、またその後方に位置する選手のポジショニングである。

特に注目したいのが乾のポジショニング。自身の背後の選手(相手サイドバック)についていくのではなく「背中に置く」。俗に言う「ハーフポジション(中間ポジション)」、これは自身が立つ位置でボール保持者を牽制し、パスコースになり得るルートをそのポジショニングで消していくことである。当然背後の選手と、横に位置する選手どちらにパスが入っても即座にアプローチをかけられる。これが風間監督が言う「1人で2人を見れるポジショニング」。自身のポジションも高い位置に保つことを可能とし、相手の動きによって陣形を歪められることもない。結果として高い位置でのボール奪取に繋がり、好守における選手の走行距離も無駄がなくなる。風間監督が言う「自分達は攻めるチーム」、これを実現するため特に前線の選手達に必要な要素である。それはこれまで振り返ってきた内容を見ても明らかだ。青木が、児玉が、自陣深くまで下がってから前に出ていくサッカーをすることで彼らの特徴が生きるか。私はそうは思わないし、この点は今回の日本代表にも通ずる話である。このような守備を一人一人が理解し体現出来るようになることが最終的な理想ではないだろうか。

どちらを改善するか。ビルドアップ?プレッシング?

これまで見てきた通り、このチームはビルドアップが機能しないと前線からの組織的な守備でも主導権を握るのが困難で、試合運びが八方塞がりになる可能性が高い。前半戦のピッチ上で何が起こっていたかはこれまでの説明通りである。

本来攻撃以上に組織力が試されるのが守備の局面。そして連動するためには共通の約束事が必要である。しかしどのエリアにおいても守備の約束事を明確に持ち合わせている印象は正直に言って乏しい。これを私は「スッピンで選手を送り出すようなものだ」と解釈している。このような例えで恐縮だが、要は化粧をすることが「組織」であるとすれば、風間監督がやっていることはスッピン(選手それぞれの素材)のまま、彼らの個人戦術を結集させて動くことを要求している印象を受ける。

あえて組織という言葉を「監督の要求する動きを選手達が一つ一つの部品となって忠実に再現していくこと」だと定義した場合、このチームがやっていることは「選手達一人一人が主体性を持って他の選手達と調和していく」サッカーだ。だからこそ個人戦術レベルを上げる必要がある。先程紹介した日本代表の選手達のように。

再現性が乏しい事実や、こと守備に関して「組織の存在しない集団で守れるはずがない」そんな考えを持つものに敬遠されるのは当然といえば当然だ。とりわけ自陣側での守備局面においてボロは出やすいだろう。出来ない選手は淘汰され、出来る選手によってチームは構成される。教えられた型を従順にこなす集団ではなく、ピッチ上で攻守に選手達が繋がり合える集団。まさに化学反応をもって計算されたもの以上のサッカーを作り上げる。これが風間八宏が理想とするサッカーだと考える。そういった意味では、攻守ともにまさに目が揃わなければこのチームは機能しない。目が揃わない選手が1人でもいれば、そこから水は溢れてしまうだろう。

果たしてこのチームは何をベースにして自分達の土俵(相手陣地でボールを保持しゲームを支配する)に試合を持ち込むべきなのか。本来であればどちらも機能しているに越したことはない。ただ風間監督のもと期待できるとすれば、それは結局のところ「ビルドアップでリズムを生み出していくサッカー」なのだろう。

グランパスが躍進するために

相手を崩すフェーズまで持ち込めなければ、結果として即時奪還という場面は生み出せない。そうなったときに例えば自陣で試合を運ばれると守りきる術もない。では相手に主導権を明け渡し組織的に前からボールを奪いに行くことが出来るかといえばそれも出来ない。これが前半戦の偽らざる姿だった。

ではビルドアップをテーマに後半戦立て直していくと考えた場合どうだろう。チームの理想的な循環はこうなる。

ビルドアップを機能させる→相手陣内でのプレー時間を長くする→崩しの局面を増やす→奪われたら即時奪還→二次三次攻撃に繋げていく。サッカーの本質を紐解いていく上で、これらの循環は全て必然的に起きるものだ。言い方を変えれば、どれか一つだけでチームが機能するものでもなければ、これらの順序が入れ替わることもない。前線からの組織的なプレッシング、これを武器とせず名古屋が相手陣地でボールを保持しゲームを支配するためには、結果的にビルドアップがまず上手くいかないことには何も始まらないということである。

だからこその「止める蹴る」。理にかなった考え方ではあるが最も困難な手法だ。いわゆる控え組でも、前からのプレッシングを徹底すれば良い試合が出来た事実がそれを物語る。技術だけは一朝一夕には上達しない。ただ風間監督が率いるチームは、この循環を回さない限りずっと機能不全であることを、前半戦の戦いにおいてサポーターは嫌という程痛感している。おそらく緻密な守備戦術は仕込んでいない。この中断期間中にそのアプローチをとっている可能性も否定は出来ないが、風間監督に限ってそこに着手している望みは薄いだろう。あるとすれば選手の入れ替えでそれが自然発生的に改善するパターン。要は日本代表のようにそれが出来る選手達でメンバー構成をするということである。ただこれまでの戦いぶりから考えれば、ビルドアップが改善して良い循環で回りだす、これが最も可能性のある上向き方である。

そんなグランパスであるが、中断期間中にこの点を改善すべく大きな投資を持ってチーム改革に乗り出した。

中盤〜最終ラインに大型補強を敢行

正直に言って予想以上の補強だった。費やした金額はともかく、あれほどの選手達が最下位に沈むチームに来てくれるとは、これが率直な感想である。

まず川崎フロンターレからエドゥアルドネット。

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田口泰士の穴を埋める男と形容するのは適切ではないかもしれない。ただ紛れもなく「安心してボールを預けられる男」である。テクニック、ビルドアップの際に見せるあの躍動感。申し分ない補強といえる。懸念があるのは試合によって波がかなりある点(川崎情報)。やる気がない時は競り合いにすら参加しないという情報もあるが果たして。また気性が激しいのも気掛かりだ。カードトラブルには要注意。ちなみにキャンプ情報で「ネットのリズムに周りが遅れている」との声も挙がっていた。とはいえ中盤に軸が出来たことは間違いない。チームの心臓が動き出せば自ずと周りの部位も動き始める。彼に関してはその「心臓」になり得る可能性を秘めている。今オフ最大の補強は間違いなくネットである。

次に柏レイソルから中谷進之介

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22歳にしてJ1出場69試合の実績を持つ柏アカデミー育ちの未来の日本代表候補。ユース時代には吉田達磨の元、とにかく攻撃偏重で育てられたセンターバックであるとのこと。苦手なプレーは落下地点を予測して競ること、そんな既視感を抱かせる特徴の持ち主は、非凡な足元のボール捌きでビルドアップに貢献してくれる(はず)である。

最後にFC東京から丸山祐市

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これまでに築いた実績で元日本代表の肩書きまで持つ彼の特徴は、「左利きのセンターバック」という唯一無二の武器。ネット加入で痛手だったのは、同じ特徴を持つホッシャの出場機会が激減する可能性が高いことであり、その意味で彼の獲得はとてつもなく大きい。タッチラインを味方にして左足でビルドアップが可能であることは、ピッチをより広く使えることを意味する。間違いなく重宝されるであろう。

失点数が多いグランパス。新加入の彼らのコメントを見ていても守備に言及する内容が多く、それは当然といえば当然かもしれない。ただ私としては彼らが加わったことで最も期待出来る点はビルドアップの改善ではないかと考える。そこさえ安定すればこのチームはJ1の舞台でもある程度やれる手応えはある。前線はタレント揃いだ。前述したマリノス戦を振り返っても、唯一マリノス側に誤算があったとすれば「守りきれる」と判断し、後半頭から前に出ていく勢いを弱めたことだろう。名古屋側からすれば、案の定カウンターは目を覆いたくなる頻度で続出していたものの、相手陣地でボールを保持する時間が増せば同点に追いつけるだけの攻撃力があったこともまた事実である。

ここさえ軌道に乗れば、あとは「八宏スコア」で毎試合楽しませてくれるのではないかと期待している。

相手のロングボールやカウンター、押し込まれた際の不用意な失点。おそらくそれはなくならない。何故ならそういったセキュリティに風間監督は関心がないからだ。相手を研究しないということは、ピッチ上の選手達が試合の中で戦況に応じた戦い方をジャッジしなければならない。当然90分間ずっとボールを保持することは出来ないし、相手の時間帯になることもある。名古屋とすれば良質なビルドアップで相手を押し込みチャンスを量産する。崩していく中で奪われれば即時奪還。この循環に反することが起きれば即失点の危険と隣り合わせである。

こればかりは理想を言っても仕方がない。であれば取られた分取り返す。

私達が目指す道は昨年から何ら変わっていない。

やるからには中途半端な形ではなく、それを全うした上で勝ち星を拾いつつ観客を楽しませてくれることを願ってやまない。昨年の後半戦に見せたようなあの怒涛の快進撃と極上のエンターテインメントに期待しようではないか。

 

 

※このブログで使用した画像は名古屋グランパス公式サイトから引用したものです

 

赤い悪魔が「挑戦者」となったとき

力のあるものが相手を格上だと認め腹を括った。この凄みを知るにはこれ以上の試合はなかった。日本に土俵際寸前まで追い詰められるものの、自力でベスト8の舞台に辿り着いたベルギー。おそらくベスト16の面々で最弱の位置づけだった日本を倒した先に待っていたのは、優勝候補の筆頭ブラジルだった。

そしてこの試合で彼らは今まで見せてこなかった「チームとしての」真価を発揮する。

日本戦とは全く異なるプランでブラジルに勝負を挑むベルギー

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試合が始まり、日本戦とは配置もプランも全く異なるベルギーの姿に誰もが驚いたことだろう。ブラジルの最終ラインにプレッシャーをかける最前線にはデブルイネ、その両脇に立っていたのがアザールルカク。中盤は本来サイドプレイヤーであるシャドリを含め3センターで陣容を組んだベルギー。ただこの形はあくまで相手のビルドアップに対抗する手段の一つにすぎない。一旦ボールを保持すれば最終ラインは3枚に変化し、シャドリとムニエがワイドに張る可変式のシステムが特徴だ。ここから彼らが何通りものオーガナイズを見せていく中で、とりわけこの試合のゲームプランをはっきり示していたのがベルギー陣内でブラジルがボール保持した際の彼らの姿にあった。

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この試合、両サイドに位置したアザールルカクは自陣に必死に戻ることはせず、高い位置にあえて「残った」。代わりにトップだと思われていたデブルイネが残りの守備ブロック7枚とともに後方に下がる役目を担う形。この試合に臨むにあたり、彼らのプランをブラジル側が想定していただろうか。ベルギーが天秤に掛けたのは、前線を一人削って3センターにした際の振る舞い方だ。両ウイングもしっかり帰陣し、4ー5で強固なブロックを形成するか、前線に2枚の「槍」を残すか。彼らのプランが秀逸だったのは、結果後者のプランを選ぶことで、ブラジル側の攻撃の人数を割くことにも成功した点だ。

ブラジルはベルギーのプランに対してルカクにはミランダを、アザールには右サイドバックであるファグネルを、また数的優位を保つためにチアゴシウバを中央に残した。両サイドバックのどちらを後方に残すかと考えた際、マルセロではなくファグネルを残すのは当然だろう。よって基本的には右ウイングに位置するウィリアンは孤立しており、彼にボールが入りファグネルがフォローしようとアザールを離せば、アンカーのフェルナンジーニョがその空けたスペースにスライドして穴を埋めた。ただしそれらの移動を伴った際、例えばフェルナンジーニョが空けたスペースを誰が埋めるのか、そこまでの準備はできていなかったように感じる。逆にブラジルの左サイドに対するベルギーの考え方は、後方から攻撃参加するマルセロにある程度自由にボールを持たれても、ネイマール-コウチーニョ-マルセロに対しムニエ-フェライニ-ウィツェルで応戦するというものだった。

ブラジルで最も危険な左サイドのエリア。ここで起点を作られてもベルギーの同サイドに位置する選手(ルカク)は決して引こうとしなかった。この試合の戦略下におけるマルティネス監督の最大の賭けだっただろう。大きなリスクが存在しても、それを受け入れることで大きなリターンを取りに行った。これがこの試合における大きな肝となった部分である。ルカクアザールが頑なに前線に残り続けたことで、ブラジルの後方3人は完璧にピンどめされた状態が続いた。

これで試合の様相は「攻めるブラジルvsカウンターのベルギー」となる。

そして前半13分、ベルギーが均衡を破る。得意のセットプレーからコンパニのヘディングで先制。続く前半31分には日本戦を彷彿とさせる高速カウンターからデブルイネの右足一閃。「高さ」と「カウンター」。まさに彼らの飛び道具とも言える二つの武器でブラジルから二点をもぎ取った。特にカウンターはスピード、精度、破壊力。どれをとっても今大会No1だろう。

前半を通して見ると、ベルギーが前線に残した2枚(ルカクアザール)にブラジルが相当手を焼いた印象だ。ブラジルが押し込む時間が続いてもこの2人の選手が高い位置から離れないため、必然的に彼らをケアするブラジルの3選手と、ベルギー陣内で押し込んでいる残りの7選手の距離感は間延びした。ブラジルとすれば、ボールを奪われるとそのスペースを駆使してカウンターのスイッチを入れるデブルイネを止めることが出来ず、単純なベルギーのクリアにしても迷いなく前線の2人めがけて蹴られるため、そこでボールを収められてしまうと即ピンチを招くシーンが何度も発生した。ベルギーとすれば前線が数的不利という感覚はおそらくなかったのではないか。極論デブルイネも含めた前線3人で十分ゴールを奪える自信があったと推測する。特にアザールは珠玉の出来だった。ボールロストはほとんどなく、特にデブルイネとのパス交換を止められるものは誰もいなかった。対して右のルカクは二点目のカウンターの立役者でありながら、試合を通してマッチアップしたミランダにほぼ完封された。

そしてデブルイネ。あの役目を彼以上のクオリティでこなせる選手はいないだろう。彼なくしてこのプランはありえなかった。その意味で彼のポジションをこの大一番の舞台で最も得意とする前目の位置に引き上げたマルティネス監督の手腕は見事だった。そしてその効力は絶大だった。

このままでは終わらなかったブラジル

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ブラジルは後半開始のタイミングで右サイドのウィリアンに代えてフィルミーノを投入。また58分にはジェズスに代えてドグラスコスタ。この結果ブラジルの攻撃は左サイドに重心を置いたコンビネーションからの崩し、また右サイドに展開してドグラスコスタが1on1を仕掛けていく流れとなる。ベルギーとすればマルセロに人をつけていないため、彼にボールが入るとどうしてもアプローチが遅れ、再三にわたりこのゾーンを起点にサイドを抉られる展開が続いた。これは日本戦同様、彼らの「中」に圧縮した守備構造を突いた盲点で、フリーで受けるマルセロに加え、中央から左サイドに流れてくるネイマール、その背後で起点となるコウチーニョのトライアングルは相当に強烈だった。

73分にはパウリーニョに代えてレナトアウグストを投入。そしてその3分後、ベルギーの一瞬の隙をつく形でそのレナトアウグストが遂にベルギーのゴールをこじ開ける。

レーンを埋め、逃げ切りを図るベルギー

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一点差に迫られ、ベルギーは陣形の変更に着手する。83分にシャドリに代えヴェルメーレンを投入。4枚で守っていた最終ラインにヴェルメーレンを追加し、5枚でレーンを埋め、サイドから攻め込むブラジルに対しスペースを消すことで応戦する。特に右サイドのムニエ、中盤のフェライニやウィツェルは横移動を頻繁に繰り返していた為疲労の色も濃かっただろう。この戦術変更でかなり負担は減ったのではないだろうか。

87分にはルカクに代えてティーレマンスを中盤に投入。これで試合をクローズすることに成功したベルギーが、優勝候補ブラジルを破り見事ベスト8進出を果たす結果となった。

突然の戦術変更に対応した高スペック集団

この試合におけるベルギーは、日本戦で観た彼らとは全く別の姿だった。相手が格上であることを認め、自分達のエゴを捨ててピッチに立った。前線に攻撃的な3選手を置き、ボランチにデブルイネを置く超攻撃的な布陣は日本戦でも弱点を露呈していた。それは例えばセットした際のブロック守備におけるバイタルエリアの対応であり、ボールを奪われた際のネガティブトランジションの強度であり。個性が強い分、チームになった時の稚拙さも同時に持ち合わせる隙の多いチームがベルギーだった。

そんな自分達の弱点を認め、3センターでブラジルの攻撃を凌ぐ決断をしたこと。しかしながら最も自分達の武器になるカウンターの影をちらつかせ、ブラジルを牽制した見事な駆け引き。そして何よりそんなこれまでとは全く異なる戦い方を実践の舞台、しかもブラジルという最強の相手に対して完璧に遂行した選手達。高い戦術スペックを備える選手達が、一つの目標に対して意思統一できたからこそ可能となったこの戦略。

個々の圧倒的な技術やスピード、パワー。高度な戦術理解力。なによりそんな彼らに「チームとして」策を授けられる監督の存在。それらが全て高度に交わった結果がブラジル撃破という事実である。この試合を制するために、彼らは彼らにしか出来ない策を講じ見事にその目標を達成した。

それは私たちの応援する日本代表にとって、もしかしたら彼らに敗戦したあの試合以上に、世界のとてつもなく高い壁を知らしめられる試合になったのかもしれない。

 

 

嫁ブロックされてる問題

まず初めに私が最近最も衝撃を受けたブログを紹介したい。

嫁という単語に既に震えるわけだが、そもそも「嫁ブロック」とは何なのか。

言葉の通り、嫁の存在が相手の行動を制限するので嫁ブロック。例えば趣味が異なる、子供の存在、ブロックする理由は様々だ。そしてこれはどうやらサッカーに限らず、どのジャンルでも存在するもののようである。

嫁ブロックなんて言うと、いまいち響きも悪い。勿論嫁いゃ奥様側からすると気持ちの良い言葉ではないだろう。これは私の経験則だが、大体嫁が正しい。ええ、まずそこの見解は触れなければならない。もう一度言う。大体嫁が正しい。ブロックされている側に問題があると仮定すれば、別に「馬鹿夫突撃問題」でもいいわけだ。

ただそうは分かっていても男の悲しい性とは救いようがないものである。駄目だと分かっていても突撃するのが馬鹿夫。

このブログは冒頭のブログに対して反論したいわけでも、嫁ブロックについて論じたいわけでもない。せっかく嫁側の気持ちが分かったのだから、駄目な夫側の紹介もするべきだという使命感。嫁ブロックとは、試合当日スタジアムに足を運べるかどうか、それだけではないのだという現実。嫁ブロックも多種多様だ。

そう、私は嫁にブロックされています。

ここからはサッカー馬鹿の夫が、サッカーなどまるで興味がない嫁とどう対峙しているか御紹介していきたい。読後の感想は下記構成を予想している。

〇しみじみ読みいるだろう層→嫁ブロックに悩む夫達。つまりは同志。

〇参考にするだろう層→未婚のサッカー馬鹿。つまりは以前の私。あとえとみほ氏。

〇きっと憤慨する層→子育て世代の奥様。つまりは私の嫁。

ではここからは様々な事例を交えながら嫁ブロックされてる問題を見ていこうと思う。

えとみほさん、その施策が成功することを愛知から祈っております(心から)。

▢ユニフォーム、調達するか、控えるか問題

サポーターにとって新シーズンの幕開けほど楽しみなイベントはないだろう。純粋にサッカー観戦ライフが始まる喜び、新加入選手を見る楽しみ、チームの進化に期待を抱くあの高揚感。そしてもう一つ、この時期の楽しみと言えば「新ユニフォーム」。

新ユニフォーム。あれは嫁ブロック問題にあえぐ旦那(以後「駄目夫」)にとってやってはいけないと分かっていても手が出てしまう麻薬のような存在。去年も買った、二年連続は買わない。どれだけそれを誓っても、忍び寄る悪魔がいる。

そう、ツイッターだ。

流れるわ流れるわ「今年は誰の背番号にしようか問題」。私は寿人、私は玉田。これがコア層になるとホームかビジターか。はたまたフィールドプレーヤーゴールキーパーか。贅沢。なんとも贅沢な悩みを聞かされたものである。そしてこれが開幕が近づくにつれ更に具体的な投稿へと変貌していく。

「ユニフォームが届いたことを画像と共に報告する」の工程である。

この段階になると駄目夫の頭の中ももはやユニフォームで頭が一杯である。罪悪感からの解放。あえて手法には触れないが、嫁すまん購入させていただきます(確定ボタン)。

商品を受け取ったら、ユニフォームが包まれているビニール袋は大切にとっておく。

何故か。試合が終わる度に畳んでそれに収納し、ひっそりと自宅で一年間運用する。間違っても部屋に飾ってはいけない。試合後気分が高揚すると時々自分が大きくなったような気分になるが、現実は駄目夫。畳んで収納、そこはおさえておきたい。

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▢有能マスコットグッズ問題

私が応援する名古屋グランパスにはご存知の通り2018年のマスコット王が存在する。とにかくその可愛さに性別問わず皆メロメロなわけであるが、そこに拍車をかけるように近年のグランパス運営陣はグッズ製作に非常に前向きときている。

試合の数日前、webで新商品発売の吉報が流れる。心が揺れる。当日スタジアムに行く。グッズ売場を覗き、新商品を確認する。嫁の顔がちらつく。何故ならこれを買っていくと嫁のリアクションは決まって「ねえ、本当にこれが家に必要なの!?」これだ。

だからこっそり買う。かさばるものは厳禁。そこは諦めてほしい。小さくて、お小遣い内で買ったと言えるグレードの物。例えば最近だとマグネットやポーチは満足度の高い商品だった。

駄目夫の駄目な所以として、これだけサッカーに嫌悪感を抱かれていても、どこかでまだ好きになってくれる可能性に期待している。そのために日常のどこかに意識付け出来るものを混ぜ込んでいく。その上でマスコットグッズは有効だ。

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▢遠征なんてもってのほか問題

ホームの試合ですら帰宅すれば嫁は不機嫌極まりないというのに、敵地への遠征などもってのほかである。であるからして、もっぱらアウェーは自宅観戦となる。

 ただここでもう一つ問題が生まれる。リアルタイムで視聴不可能問題だ。考えてみてほしい。実は外で2時間試合を観戦するより、じっとテレビに対峙して自宅で2時間試合を観ている方が軋轢が強い。「いつまで見ているのか」「いい加減家のことをやれ」自宅で観戦=嫁の監視付きという特典。この高いハードルに気づいていない方が多い。

なのでスタジアムに行けない時はもっぱら家族が寝静まった深夜観戦となる。どれだけ興奮する試合を観ても、その興奮を共有すべくSNSの世界に入れば、周りは一通り感想を述べあった後。

余談だが、海外の試合を観ることも独身時代に比べれば大幅に減った。これを読んでもらった後だと、観れるはずもないことを納得いただける自信はある。嫁の合言葉は「...またサッカー!?」これだ。このキラーワードは一生続くだろう。

ちなみに我が名古屋グランパスは昨年J2での厳しい戦を見事勝ち抜き、今年はJ1の舞台で戦っている(最下位だが)。J1のチームは比較的大都市に拠点があるチームが多い。愛知県民にとって特に狙い目は関西圏だ。名神高速道路をかっ飛ばせば二時間程度で吹田にも行ける。

ということで今年の開幕戦は吹田まで挑戦した。「豊田に行ってくる」と声をかけて。

▢駄目夫共感問題

最近の私の密かな楽しみは、私と同じ人種「駄目夫」達の駄目っぷりをツイッターの世界で垣間見ることだ。世の中は広い。同じエピソードを持つ駄目夫達が、それぞれでエピソードを披露しながら傷を舐めあっている。

よく見ると、これまで挙げてきたような嫁に内緒で購入する事例というのは後を絶たない。特にユニフォームはやはり酷い。Jリーグは今年25周年を迎える。名古屋グランパスは、ここぞとばかりに25周年記念モデルを発表した。

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先日グランパスはファン感謝デーを開催したのだが、会場にはこのユニフォームが飾られ、イベント終盤には実際に選手達がこのユニフォームを着用しお披露目もされている。

どうやら嫁に黙って購入した駄目夫達は、このタイミングで一か八か購入した事実を嫁に告げ全力土下座したようだ。イベントのテンションにすがる駄目夫達の判断が愛おしい。なんとか報告が完了し許しを得たことを知らせるいくつかの投稿に、私の心はほっこりし、皆頑張っているなと勇気づけられる。

そうだ、ユニフォームからは話が逸れるが、名古屋グランパスが取り組む「ホーム戦で勝利したときのみ販売されるビクトリーパネル」。これは曲者である。好きな選手がパネルの題材に選ばれれば勿論欲しい。購入すればそこにサインを貰うプランも考えられる。

ただ残念ながら自宅に飾れない商品は買うべきではない。運良くサインが貰えても、行き先はクローゼットの嫁視野外だ。

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ちなみに今年一番笑ったのは、テンションが上がって購入したことを告げていなかったシーズンチケットをつい嫁に見せてしまったエピソード。

それは一生の汚点である。駄目だ。今後のエピソード作りに精進して励んでほしい。

【番外編:シーズンチケットについて】

シーズンチケット購入は駄目夫にとって夢である。一回で数万円のものを一括購入など許しがでるはずもない。結果毎試合ちまちま購入する羽目になる。私だってクラブに貢献したい。私のお金をまだ見ぬスーパースター獲得に繋げてほしい。毎試合観戦するのにシーズンチケットが買えない。こんな層がいることを是非えとみほ氏には御参考にしていただきたい。

▢練習場日焼け問題

例えば嫁と子が私を置いて出掛けるときがある。そんな時、私は名古屋グランパス公式サイトに目をやる。何故か。練習のスケジュールを確認するためだ。

練習を見に行きたい。ただ練習まで手を出すと「試合がないのにまたサッカー!?」そう皮肉られるのがオチである。ただそれでも時々は行ってしまうのが我ながら駄目野郎である。ただお出掛け先が練習場であると可能なら悟られたくないものだ。

そんな時の天敵が「夏、灼熱の日差し」である。

練習後に見るは見るは日焼けしてしまった報告の数々。はっきり言おう。甘い、甘すぎる。

暑いからと言って袖を捲るなど愚の骨頂。脇の甘い人間はここに腕時計着用ときたものだ。腕はポッキー、手首はボーダー。笑わせてくれる。二重ロック双方解除か。私ならここに日傘も使用するほどだ。男性だろうが恥ずかしがらず日焼け止めも塗るべきである。眼鏡も危険。眼鏡焼けほど残念なものもない。

とにもかくにも日焼けだけは厳禁なのだ。

失敗すれば帰宅後嫁にこう聞かれる。「どこに行ってたの?」と。

 ▢幸せな家庭への嫉妬問題

ここでいう幸せな家庭とは、夫婦揃ってサッカー観戦が好きな家庭と定義したい。

駄目夫達は、この層への嫉妬が凄まじい。スタジアムに行った際、夫婦揃ってユニフォームを着用していたり、子供までキッズVerで身を包んでいる姿なんてこの世のものとは思えない。何故なら私達はユニフォームを購入したことすら告げられない情けない層。万が一嫁との観戦が成功したとしても、次は「嫁と観戦出来るのにユニフォーム着用出来ない問題」が勃発するのだ。

ちなみに今のところではあるが、もしこんな奇跡的な場面に辿り着くことが出来たら、私は嫁にこう言ってユニフォームを着てもらおうと思っている。

「あ、これ?...メルカリ。メルカリで安く仕入れといたよ」

独身サッカー馬鹿(愛を込めた表現)にアドバイスしておこう。

仮に交際中彼女がユニフォームを着て一緒にスタジアムに足を運んでくれていても、結婚後それが続くとは限らない。心の底からサッカーを、クラブを愛している女性でなければ、要は「彼氏に付き合ってくれてる感」が強い女性の場合、結婚したり出産したりするとその熱は一気に冷める。

だから今に甘えてはいけない。精一杯エスコートすること。サッカーの魅力、スタジアムの魅力を彼女に伝え、彼女から「また行きたい」そんな言葉を引き出せたら悔しいかな貴方の勝ちだ。

あぁ、娘にこんな可愛い服を着せたい。嫁と手が繋がることはなくとも、子供の手を経由して繋がりたい、グランパスの名のもとに。

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最後に今をときめく独身貴族にアドバイス

これまで様々なケースから駄目夫「嫁ブロックされてる問題」を検証してきた。

最後に現在独身でホームだろうがアウェーだろうがサッカー三昧の、自宅で一日数試合もサッカー観戦するような愛すべきサッカー馬鹿に下記アドバイスをもってこのブログを締めたいと思う。

貴方達が狙うべき女性は以下の通り。

  • サッカーが好きで好きでしょうがない女性

以上である。非常に狭き門だが、今のスタイルを崩したくないのであれば、もはや結婚しないor上記女性を狙う、の二択しかない。それに失敗すると、このブログにあるような大問題が発生することを今から肝に銘じるべきだ。

例えばスタジアムで出会った女性でお互い独り身、印象も悪くないのであればその縁は大切にするべきだ。断言する。そんな女性はどれだけ探してもなかなかいない。

ただ当然そんな女性は一握り。実際には私のような人生を歩む男性がほとんどだろう。

 ということで、そんな道を歩みそうな男性が気を付けるべき点は以下の通り。

  • まず冒頭に掲載したブログはマストで読みなさい
  • 自分のやりたいことだけ貫いていたら家庭は崩壊する
  • 家にいるときは極力妻に尽くせ。皿洗い、風呂掃除、洗濯干し。全部やれ
  • サッカー観戦を予定していない日は妻の行動に従順に
  • 自宅でのサッカー観戦は深夜のみ。見たい試合も精査しろ
  • 家庭の金銭事情は貴方が握れ。絶対に嫁に託すな。詰むぞ

どうだろうか。参考になれば幸いである。

子どもが出来たらマスコット人形を早い時期に買い与えるのも重要である。嫁が駄目なら子供を教育するしかない。子供の人生にそのマスコットが常に存在するような仕組み作り。物心がついて来たらマスコットに加え、イケメンJリーガーの存在を与えていく。そうすると順調に育っていくと嫁の教育に失敗した先人達が言っていた。

私は子どもが生まれてすぐ「おやすみグランパスくん」なる人形を買い与えている。子どもの横には私ではなくグランパスくん。もはや一緒に育てているようなものだ。

そんな我が家の娘とグランパスくんだが、最近私が朝起きると「グラっ!!!グラが悪いんだよ!!!謝って!!!!!」と真剣な怒鳴り声でグランパスくんに娘が説教している。この子は一体どんな娘に育つんだろうか。というかうちの娘に何をしたグランパスくん

さて、駄目夫の皆さん。そろそろワールドカップの時期です。

1ヶ月で64試合。64試合...。笑わせてくれる。まずは3試合、3試合を目指していこう。

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 ※このブログで使用した画像の一部は名古屋グランパス公式サイトより引用したものです

 

「モダン」を知り、「選手」を知る

 

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「戦術もいいんだけど、俺はやっぱり選手を見るのが好きなんだよね」

これは最近一緒にサッカー観戦をした仲間の口から出た言葉である。

同じチームを愛するサポーターでも観戦方法は様々だ。ボールがある局面を追い続ける人もいれば、一人の選手を追い続ける人もいる。戦術が好きで俯瞰で見ることに徹する人もいるだろう。

サッカーは観戦する上で非常に難しいスポーツだ。他のスポーツ、例えば野球のようにワンプレーごとで止まることもなく、例えばバスケットのように沢山のゴールが生まれるでもない。トイレに行っている隙にゴールが生まれるなんて悲劇もある。

90分間、ハーフタイムを除けばほぼ止まることなく動き続ける局面。

とりわけ多くの方が目で追うのはやはり「選手」である。それはボールを保持している選手かもしれないし、お気に入りの選手をただひたすらに追い続けるものかもしれない。いわゆるコア層と呼ばれるサポーターも、サッカーが分かるようで分からないと嘆くサポーターも、本質はそこまで変わらない。やはり主役は選手だ。

ただこの約10年間でサッカーは大きく変貌した。

選手を知る為には選手だけを追っていては本質が分かりづらい時代に突入した、と言えばいいだろうか。

▢選手とフォーメーションが一体となっていた時代

振り返れば海外のサッカーが今ほど身近な存在ではない時代、それらを知る上で大きな役割を果たしたのがサッカーファンなら誰もが知っているサッカーゲーム、「ウイニングイレブン」である。

試合が始まる前、時間をかけてチームのフォーメーションを考える。「このポジションにはこの選手を入れよう」「この選手がいるからこのフォーメーションにしよう」。選手とフォーメーションは常にセットの存在だった。例えばサイドバックであれば足が速くてキックの精度が良い選手を入れるのが鉄則。要はポジションごとで求められる役割がある程度決まっていた時代だ。

それから長い年月を経て、サイドバックに求められる能力は多様なものとなった。足が速く、キックの精度に優れる。ここから更に組み立て(ビルドアップ)のセンス、ときにボランチの位置で器用にプレーすることも求められる。

ポジションで選手を語る時代に終わりを告げ、チームの戦い方、対戦相手との兼ね合い、その瞬間のピッチの状況に応じてカメレオンのように姿を変えられるものこそ生き残れる時代になりつつある。同じサイドバックでも、AのチームとBのチームでは全く違う存在になりえる、それが現代のサッカーである。

個人に求められるタスクが増加し、それをチームの約束事のもと、ピッチの戦況に応じて各々の選手が認知、判断し実行する。今までであればそのポジションのイメージをもとに選手の出来不出来が語れたものだ。しかし現代のサッカーでは、まずチームを知り、その上でその選手にどんなタスクが課せられているか知らなければ上手くプレー出来ているのかどうかすら判断がつかない。

▢求められる多彩な能力、複雑化した役割

これは選手の立場からしても大きな変化である。例えばこれまでであればプレーする国のスタイル、自身の力量を考慮すればある程度チーム選びは出来たのかもしれない。ただしこれからはそのチームが自身のポジションにどんなタスクを要求するチームか、またゲームモデルを理解しそこに順応出来るだけの個人戦術を自身が兼ね備えているか、その点が非常に重要になる。マルセイユで活躍する酒井宏樹を見て、彼が出来るなら内田篤人も同じように出来るに違いないと安易に判断することはできない時代だ。

またセヴィージャでプレーした清武弘嗣の例も参考になる。彼が最も適応に苦労したと言われる点が「戦術理解」だ。希代の戦術家サンパオリ、そして「ペップグアルディオラの師匠」ことファンマリージョのもと、通訳をつけられない状況でスタメン奪取を目指した清武にとって、彼らが考える複雑怪奇なチーム戦術が理解できず苦しんだであろうことは想像に難くない。

現在スペインで苦悩する井手口もそうだが、求められる多くのタスクをこなすだけの技術、それを戦況ごとで使い分けられる個人戦術力、なによりチームのゲームモデルを理解出来る頭脳がなければこれからは生き残れない時代なのかもしれない。

▢選手をより深く知るために、チームのことを知り、理解する

国内に目を向けると、例えば横浜Fマリノスに所属する山中亮輔がいい例だろう。今シーズン彼が見せているプレーは、今までのものと異なることは誰の目にも明らかだ。彼のファンからしたら、何故彼が試合中ボランチの位置でプレーしているのかと最初は目を疑ったかもしれない。

特定の選手を熱心に応援するサポーターは、「その選手のことをもっと知りたい」そんな想いを抱いている。そのために試合を通してその選手の姿を追い続けることも勿論あるだろう。

そんなとき、ただ闇雲にその選手の姿を追うのではなく、何故そのプレーを選択したのか、何故その位置でプレーするのか、それによってどんな効果があるのかを考えてみるとどうだろうか。もしかしたら、今までにない気づきや発見が得られるかもしれない。

そのためには「チームを知る」という行為が欠かせない。チームを知ることで、そこで求められる選手の役割を知ることが出来る。矛盾するようだが、選手を知る為にはチームを知る必要があるのだ。

▢モダンサッカーと、私達の日本代表と

さて、そろそろワールドカップが始まる。

マスコミに目を向ければ、やれ3バックか4バックかと数字ありきの時代遅れな話題ばかり垂れ流しているのがこの国の現実だ。本戦メンバー発表直前には、とあるサッカー解説者が長谷部誠センターバックに苦言を呈していた。

何故3バックなのか、何故4バックなのか、そこに込められた意図を私達は考えたいものだ。「長谷部にセンターバックは出来ない」ではなく、「長谷部をただセンターバックに置くだけでは上手くいくはずがない」と声を発することが出来ればどれだけ有意義か。

もはやサッカーゲームでは現代のサッカーを忠実に再現することは難しい。決められた場所で、決められたプレーだけしていればいいサッカーはとうに時代遅れである。監督が思い描くゲームモデルを実現するためには長谷部がセンターバックでプレーする時代なのである。

かたや「ハリルホジッチ服従するのは恥ずかしい」と求められたタスクを放棄し、スタンドプレーに走った本田圭佑のような例もある。「攻撃の際は自由にプレーしろ」彼に与えられたタスクは決してリオネルメッシに与えられるそれではなかった。タスクを放棄し、自身の理想や想いを貫いたことを美談として語ってはいけない。もはやそんなことが許される選手は世界中どこを見渡しても存在しないのだ。

マスコミが未だにゲームのようなサッカーしか語れない中で、私達は現代のサッカーを知り、その上で自国の応援するチームや選手、そして代表チームを見つめていかなければならない。

オールジャパンという名のもとに代表チームが国内回帰しようが、私達サポーターは世界に目を向け、彼等に取り残されないようにしなければならない。

その重要性を教えてくれたのが他でもないハリルホジッチであり、今回のブログの冒頭に掲載した「モダンサッカーの教科書」は、改めて世界基準とは何か、世界のトップレベルの現場で今いったい何が起きているのか、そんなことを私達に教えてくれる一冊である。

 

 

 

 

 

風間八宏は私達の想いを託せる監督なのか

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連敗記録が8に伸びた名古屋グランパス

チームを指揮する風間八宏に対しサポーターから賛否両論の声が挙がる中、興味深いコメントがあった。

「継続と言っても、その理由は過去志向ではなく、未来志向で語るべきでは」

このブログを書く前に、まず私の立場を明確にする。私は風間体制「継続派」である。

だからこそ、この四月の連戦中何度となくサポーターの意見が割れていく様を見て考えていた。私は何故継続を支持するのかと。正直に言うが、風間八宏のサッカーは救いようがない。あまりにも極端で、時間のかかる、相手より自分達にフォーカスしたサッカー。ボールを保持していない時など目も覆いたくなるほどだ。これまでもその点についてはこのブログでも散々指摘してきた。

ただそれでも私は支持している。勿論未来志向として。その点について今回はまとめてみたい。

「サッカーは点が全然入らないから面白くない」

唐突な話をするが、私の妻はサッカーにまるで興味がない。興味がないどころか、私のような馬鹿夫のせいでむしろ嫌悪感でいっぱいだろう。そんな妻に一度改まって聞いたことがある。何故サッカーに興味がないのかと。その問いに対する妻の回答はこうだ。

「試合時間が長いわりに、点も全然入らないから面白くない」

聞いた時はなんて単純な理由なのだとガッカリしたが、後で冷静に考えた際になるほどそうかと納得した。試合時間90分、ハームタイムも交えれば約2時間程度だろうか。そう、とにかく長い。これだけの時間をかけて試合によっては1点も入らないこともある。そこの面白さが見出せない者からすると、この90分という長さが苦痛なのだ。

この点に関するエピソードとして、普段ゴール裏で熱心にサッカー観戦をしている女性の話にも触れておきたい。同じ時期、訳あって私はこの女性にも似た質問をしている。彼女はこう答えた。

「私もプレーのこととか、試合中どこを見ていいかなんて分からない」

彼女の場合、何かしらサッカーを好きになるきっかけがあった。戦術的な要素の理解が仮に乏しかったとしても、一つのチームを応援する楽しさに気づき、熱心なサポーターになったわけである。そんな彼女でも「誰もが反応するような目立ったプレーしか目がいかない」というのである。

サッカーはともすればボールを蹴り、相手より多くゴールを決めた方が勝利するという単純なスポーツに思える。ただ実際にはそこに至るまで細かいディテールの積み重ねがあり、ときにそれが理由で最も分かりやすく、このスポーツの本質とも言える「ゴール」するシーンが遠ざかってしまうことが往々にして起きる。

そのうえで、風間八宏の最大の魅力を私はここにあると考える。

誰が見ても面白いサッカー

今更語る必要はないだろう。風間八宏のサッカーはとにかく点がよく入る。

2017年J2リーグの成績を振り返る。チーム得点数「85(J2最多得点)」。失点数「65(J2ワースト6位)」。とにかく点がよく入り、よく取られる。彼のサッカーは得点を多くとることだけを、失点を減らすことだけを目指したサッカーではない。「得失点差のプラスをいかに積み上げるか」これが風間八宏率いるチームの最大の目標である。

誰もが忘れられない試合と言えば2017年8月6日、瑞穂で行われた愛媛FC戦だろう。幸先よく4点リードし圧勝と思われたこの試合。後半に誰もが目を疑う4失点。しかしそこから3点奪い返し最終スコアは7対4。あまりにエンターテインメント性に富んだ、言い方を変えれば杜撰な試合運びで「八宏スコア」を演じたグランパスを、誰もが面白がり、そして大きな満足感を得て家路についたのは記憶に新しいところだ。

「サポーターに楽しいと感じてもらいたい。そのためには選手にもサッカーを楽しんで欲しい。そしてスタジアムを満員にしたい」をモットーに、ぶれることなく邁進する風間八宏の哲学に多くの人間が惹かれたのは事実だろう。

点が多く入るという点において、彼のサッカーは非常に分かりやすい。

それが理由だろうか。昨シーズン、J2だったにも関わらず名古屋グランパスは降格組で唯一、前年の観客動員数を上回る結果を残した。勿論クラブの努力を私達は知っている。しかし当然ながらピッチで繰り広げられるサッカーに魅力がなければ、この結果が生まれることはない。この点に関しては非常に印象的だったことがある。男性のサポーターだけではなく、多くの女性サポーターがこのサッカーを支持していたことだ。とにかく見ていて面白い、と。魅力を感じていたのは女性だけではない。例えばJ2に降格するまでの数シーズン、グランパスへの関心が薄れ、離れていたサポーターが戻ってきたという話もよく聞いた。

コア層だけでなく、誰もが楽しみ、そして愛せるチームへ

 私はいわゆるサッカーオタクだ。小学2年生からサッカーを始めた私は、不思議なことにサッカーをするだけでなく、見ることにも強い関心がある子供だった。自分で稼いだ給料でもないのに、毎週水曜になると父親の仕事帰りに週間サッカーダイジェストを買ってきてもらうことが何よりの楽しみだった。また地元にサッカーチームがあることを知り、実際に初めてJリーグに足を運んだ試合が他でもないグランパスの試合である。

中学生になると雑誌では飽き足らず、写真で見ていた海外のサッカーをこの目で見てみたい気持ちが強くなった。父親に頼み、ケーブルテレビを部屋につけてもらい、初めてマンチェスターユナイテッドをテレビ画面を通して見たときの感動は今でも忘れない。

私のようなサッカーオタクは、いわゆる「コア層」と呼ばれる。なんとなく見るのではなく、深くプレーを追及することが何よりの楽しみだ。ただ私達のような人間は、往々にして自分達の価値観こそが正義であると勘違いする。私達の世界だけが評価の基準になるのだと。

実際にスタジアムに足を運ぶのは、決してコアなサポーターだけではない。子供から女性、年配者、普段サッカーに興味がない人、とにかく様々だ。

昨年J2の舞台であったにも関わらず、多くの人々がグランパスについて語り合った。このサッカーが大好きだと恥ずかしげもなく語る人、何失点してもその分取り返せばいいんだと笑って話す人。不思議なもので、一部のコア層だけが喜びを噛み締めるようなサッカーより、ずっと幸せだった。老若男女問わず誰もが楽しそうに地元のクラブについて語れる、それが純粋に素敵だと思った。

今更にはなるが、私がグランパス以外で最近好みだったチームは、EURO2016のコンテ率いるイタリア代表だ。戦術的な要素は勿論、チーム全員がフォアザチームでハードワークする姿が胸を打った。そう、現在の風間八宏率いるグランパスとは似ても似つかないチームである。

価値観に合うかどうではない。自分の街のチーム、自分の愛するチームには沢山の人に愛されるチームであって欲しいと思えたからこそ、風間八宏率いる名古屋グランパスを私は応援していこうと思った。

過去との比較ではなく、過去があるからこそ進みたい未来がある

先日のFC東京戦に敗れ8連敗を喫した後、小西社長は報道陣にこう答えたそうだ。

中長期でやっている。今やっていることをやり続けてもらいたい
苦しんでいるのは事実だ。得点も失点も多いことが売りだったにも拘らず、皮肉なことに今は失点ばかりで得点も多くあげられていない。試合を見ていても決して楽しくはない。それは事実である。特にこの連戦では立て直す時間もなく、短期間の内にこれだけ試合数を消化してしまったのは彼のチームビルディングの手法からして厳しいものだった。風間八宏のやり方ではこの連戦で持ち直すのは難しい。そんなこと百も承知である。だからこそ前回のブログで「12連敗か勝ち点を一でも二でも積み上げるか」こんな言い回しを使った。簡単ではないと。

私達には2016年の苦い過去がある。なす術なく連敗を重ね、J2に降格した苦い過去。クラブとして何も積み上げることが出来ず、降格と共に私達は解体した。

「あのときよりはマシだ」、当然そんな理由を挙げる人も中にはいるだろう。過去と天秤にかければ今の方がまだ救いがあると。

果たしてそれだけだろうか。

そんな苦い過去があるからこそ私達には進みたい未来があり、それが叶えられそうかどうかが何より大切なのではないか。

私の場合は前述したそれである。多くの人が愛せるクラブ、それをトップチームだけではなく、クラブ全体で後押しするような、そんな一体感を感じられるクラブであって欲しい。

だからこそ今のチームを簡単に諦めたくないのだ。

決して私が正しいとは限らない。このまま連敗が続き、何も出来ず解任の流れになることだってあるかもしれない。そうなれば「やはりあいつが間違いだった。見る目がない」と言われるかもしれない。

別にいいではないか。こうなって欲しいと願って、何が悪い。

私達にはチームを批判する権利はあっても、サポーター同士で価値観を否定しあう権利はない。

サポーターが10人集まれば、10通りの価値観がある。どれが正しいかなんて誰にも分からない。そんな10通りの人間が「このチームにどうしても勝って欲しい」そんな想いを共有し、共に勝利を願うからこそサッカーは魅力的で、サポーターという存在は価値があるのだ。

もしかしたらこの連敗をキッカケに離れてしまったサポーターもいるかもしれない。

私はしょうがないと思う。ずっと強く、負けないチームなど存在しない。苦しい時期があり、悔しい思いをするからこそ、それを乗り越えたとき、特別だった世界はなくてはならない日常の世界になる。

今までずっと応援してきたサポーターはそれを知っているし、その大きなきっかけが2016年の降格だったのだと思う。私達はそれをこのチームと乗り越えてきた。それもまた変わることのない事実である。

migiright8.hatenablog.com 

もうJ2に降格してはいけない

今の状況を我慢出来るのは中断期間までだと考えている。それを過ぎても改善が見られなければ解任すべきだろう。矛盾するように聞こえるかもしれないが、どんな理由であれ、もう降格はしてはいけない。その期間を経ても尚、勝ちに恵まれない日々が続くようであれば、それは監督としての力量がないということである。

ここで降格すれば、私達はエレベータークラブの仲間入りだ。本気でACLを目指すなら、そうはなってはいけない。まずはJ1という舞台で戦えることを証明し、来年以降優勝争いが出来るチームに変貌する為の助走期間としなければならない。勝てるチームには有力な選手が来るし、勝てないチームには来ない。それは今年のオフで嫌というほど痛感したことだ。

ただ同時に開幕15試合(中断期間前)で終わっていい冒険だとは思わない。だからこそ何があっても動じず、中断期間までは風間八宏にやらせるべきだというのが私の持論である。

正しいかどうかなど分からない。いや、分かったら面白くない。それが一番の醍醐味なのだから。

最後に。

いつかJ1に定着した時、点が入らないとつまらないと言いきった結果主義者の妻と、今はおやすみグランパスくんを蹴ることしか知らない子供をグランパスの試合に連れていこうと思う。

きっとこのクラブに、選手やサポーターに、なによりこのサッカーに魅力を感じてくれるだろう。

そんな日が近い将来訪れてくれることを願いながら、今を戦うチームを応援することが私の何よりの楽しみであり、このチームを応援する理由である。そんな日常を過ごしながら、次の水曜日、難敵セレッソ大阪に勝ってくれることをまた期待してしまうのだ。

 

 

※このブログで使用した画像は名古屋グランパス公式サイトより引用したものです

失った自信を取り戻すために

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「J2に落ちてやり直せ!」

試合後、あるサポーターは挨拶に回る選手達に向かってこう叫んだそうだ。

「お前それでもサポーターか!!」

ユニフォームを着用した年配のサポーターがこう反応し、メインスタンドでは言い争いが始まった。

七連敗。これが今私達に突き付けられた現実である。我らが名古屋グランパスは、10試合を終え2勝1分7敗、最下位。開幕から2勝1分の好スタートで発進したものの、リーグではそこから勝利に見放されてしまっている。特に3月31日、鳥栖戦から始まった毎週2試合の過密日程に耐えうる力がなかったことは明白で、そこから全て歯車が狂ってしまったように思う。怪我人、コンディション不良。満足な選手層とは言えないこのチームにおいて、この二つの足枷が想像以上に重いものであったのは事実だ。

一度狂った歯車は簡単には戻らないもので、なにより「攻撃」からアプローチしているチームである。崩せない、ミスが起きる、奪われ、走られる。ジャブの如く毎試合積み重なるこの現象に選手達は疲弊し、風間サッカーの生命線である「距離感」は失われてしまった。

そしてもう一つ失ったものが「自信」。己のミスが相手のカウンターに繋がり、失点に直結する。リスクのあるサッカーは魅力的である反面、非常に脆いものだ。そのリスクに見合うだけの成果が得られなければ、取ったリスクの分だけ跳ね返ってくるのが世の常。繰り返される相手のカウンター、失点。それが選手の自信を奪い、風間サッカーの肝である「チャレンジする」意欲すら奪ってしまっているように思う。

上手くいかないチームに残されたのは「味方任せのパス」。風間サッカーの代名詞である相手に仕掛ける行為は、本来ボールに近いゾーンで複数人が絡み合い生まれるもの。いるべき場所に仲間がいなければ当然成立はしないし、仲間を頼る以外に意図のないパスには、何かが起こる可能性も、観衆を魅了する力も存在しない。

この連戦の内容を戦術的な要素のみにフォーカスし語るのは難しいだろう。今このチームが抱えている問題はそれよりもっと根深く、戦術の根幹を成すものであると考えるからだ。

風間監督は言う。「自信とは技術だ」と。

ではその自信を失ったとき、チームは何が出来るのだろうか。

「サッカーはテクニックだけではない」

以前とあるインタビューでジョーはこう語っている。

サッカーはテクニックだけでは出来ない。試合によっては気持ちで勝つことも必要だと思う。テクニックが使えない試合だと思ったならば、気持ちで負けるのがすごく良くない。逆に気持ちさえ負けていなければ、気持ちだけは最初から最後まで負けないことが大事なんだ

この連戦で唯一勝利した試合、ルヴァン杯の広島戦を思い出す。

決勝点になったジョーのゴール。ワシントンのクロスは決して美しいものではなかった。シュートを放ったアーリアは相手とぶつかり合いながら執念でシュートまでこぎつけた。ゴールが決まった瞬間、誰もがガッツポーズをし、ベンチから選手達が飛び出した。リードしてから内田が、押谷が、球際で相手と戦い、懸命に走った。

サポーターはあの日、決して美しい試合を見たわけではない。ただピッチの中に吸い寄せられたのは、選手達から「勝ちたい」という気持ちがプレーを通して痛いほど伝わったからだ。選手の気持ちはサポーターに乗り移る。だからこそ共に戦い、勝って欲しいと願った。サポーターの声が、選手を奮い立たせ、走らせた。勝利を告げるホイッスルが鳴った瞬間、誰もが心の底から喜んだ。たかだかルヴァンの一勝である。ただあの試合は、紛れもなく選手とサポーター。共に掴んだ勝利だった。

初めて鳴り響いたブーイング

気持ちとは、相手に勝ちたいという想いだ。相手に勝ちたいという想いは、球際でのプレーに表れる。広島戦の後に行われた二試合、神戸戦と清水戦でサポーターに暗い影を落としたのは、こういった想いがプレーを通して伝わってこなかったからではないだろうか。清水戦後、誰もがシャビエルとホーシャを称賛したのは、決して彼等が喜怒哀楽を前面に表すからではない。彼らのプレーそのものに、絶対に勝ちたいという想いが満ちていたからだ。

当然ピッチに立つ選手全員が勝ちたいだろう。それぞれがそれぞれのやり方で負けたくないという想いは持っていたに違いない。ただプロの世界はそれが当たり前ではないだろうか。その上で、自分がなんとかしてやろうと自身の力を信じて戦っていた人間があのピッチに何人いたか。断言する。その想いは必ずプレーに表れ、プレーを通してサポーターに伝わる。

試合後、スタジアムには今季初めての痛烈なブーイングが鳴り響いた。

私のようなメインでまったり見るようなサポーターとは違う。ゴール裏にいるサポーター達は選手と共に戦っているのだ。ボールを蹴ることも、シュートを打つことも出来ない。だからこそ声をあげ、90分間飛び続け、声援を送ることで勝って欲しいという願いをそこに込める。

失点をすると下を向いてしまう。出来ていたことが途端に出来なくなる。そのまま為す術なく時間のみがむなしく経過する。サポーターにとってはそれが何より耐え難く、悔しいのである。

決して美しくなくてもいい。それが出来なくても、せめて最後まで相手と泥臭く戦って、ゴールを、勝利を目指してほしいのだ。

サポーターは無力である。どれだけ応援しても、毎試合スタジアムに足を運んでも、ピッチで実際に戦うことは出来ない。だからこそピッチで戦える選手達が、サポーターの為に戦わないといけない。その想いを背負って、目の前にいる敵に勝ちたいと強く思わなければいけない。そういう対象だからこそ、選手は憧れと尊敬を集めるのだ。

華麗なサッカーは観衆を魅了する。ただ観衆を熱く出来るのは勇敢なサッカーなのだ。

清水戦のロスタイム、名古屋のゴール裏からはいつもの圧倒的な声が消えていた。あれはサポーターの責任ではない。声を出す意欲を削いだのは、他でもないチーム、選手である。

あの光景は、今の名古屋そのものだった。

無抵抗のまま終わるのか

中断期間までリーグ戦は残り5試合残されている。全ての試合が中二日、ないしは三日では出来ることも限られる。せいぜいコンディショニングの調整くらいだろう。当然プレーに関するアプローチはするにしても、普通に考えれば劇的にサッカーの質が向上するとは考えづらい。なにせそこはブレない風間八宏である。組織ではなく個の成長に拘るからこそ、一日二日で技術が急に向上することはない。

ただ風間監督なりに少々の手は施しているようにも見える。相手を崩しきれないチームの状態を考慮してか、奪われたら闇雲に前から奪いに行く戦術に見切りをつけ、まずブロックを形成する形にマイナーチェンジしている。風間八宏の代名詞である「相手コートでサッカーを繰り広げる」理想から微調整をかけたことは、彼なりの勝利への意地だろう。ここ最近、ことさらに「自信」「チャレンジ」という言葉を繰り返すのも、選手への彼なりのメッセージであると窺える。

技術があるのだから自信を持ってチャレンジして欲しい。チャレンジしなければ成功はなく、成功しなければ自信は確信に変わらない。それを実現するために、風間監督も戦っている。様々なアプローチとヒントを与えることで。

リーグが中断するまでなす術なく12連敗を喫するか、勝ち点を一でも二でも積み上げるか。

最後にある女性サポーターの声を紹介したい。

「私は今、クラブが進めていこうとしていることがいつか花を咲かせるのを見たい。そのためには寒い冬にも耐えます。深い理由なんてありません。ただただ、楽しみなんです」

賛否両論ある。踏ん張ろうと声を出す人もいれば、必死だからこそ心が折れかけている人もいる。あまりにも愚直で、極端で、ブレない風間八宏のやり方に疑問を持つ者も当然いる。他のサポーターから見ていても不思議だろう。いつまで支持しているのかと。

ただそんな中できっと多くの人に共通する想い、それがこの言葉ではないだろうか。

二年前の降格。思い出したくない過去をもってしても尚、支えたい、支えようと思えるのはこの想いがあるからこそだ。そしてこのクラブを信じる気持ちこそが私達の支えである。

冒頭で紹介したサポーター同士の言い争い。一見相反するようで、彼等の根底にあるものは同じである。勝ちたい、勝つ姿を見たい。

風間八宏と、選手達の力が試されている。

 

 

 ※このブログで使用した画像は名古屋グランパス公式サイトより引用したものです

何故自分達のサッカーを捨ててしまったのか

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代表の中断期間を挟み、Jリーグが再開しました。我等がグランパスはアウェーで鳥栖と対戦。二点リードから三点奪い返される展開で大逆転負けを喫しました。

試合のレビュー的な要素は、その後ルヴァン杯のガンバ戦も終えていますので割愛します。今回のブログでは、鳥栖戦で改めて分かった名古屋の課題、そして今チームとして取り組んでいる事にフォーカスしたいと思います。次節対戦する札幌にも、鳥栖のイバルボ同様ジェイや都倉といったフィジカルに長けた選手がいます。試合を観るにあたり、要点だけ改めて抑えたいというのが今回の主旨です。

鳥栖戦の後半、名古屋に起きていた事

何故名古屋が劣勢の状況になったのか、今回のエントリーはこの前提があっての内容になりますので、簡単に振り返ります。前半にシャビエルのゴールで幸先良く先制し、後半も相手のミス絡みで追加点を奪えたところまでは、この試合の出来を考えても上出来でした。ただし鳥栖が二点を追い掛ける展開になったところで名古屋に対し攻勢をかけます。

〇イバルボへのロングボール+チョドンゴンの裏抜け

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正直非常にシンプルで単純な攻撃ですが、今の名古屋にはこれがジャブのように効きました。

〇左の小野、中で待ち構えるイバルボ+チョドンゴン+田川

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これも苦労した形です。起点を左サイドの小野で作って、中に三枚を配置。名古屋の最終ラインに対して、それぞれにデュエルさせるイメージと言えば分かりやすいでしょうか。特に名古屋の左サイド、秋山に対して田川をぶつける形は『名古屋ゴール前』という場面で切り取れば、やや分の悪いマッチアップだったと思います。

どちらの戦略も非常にシンプルなものですが、共通するのは鳥栖の土俵に持ち込み、名古屋の個(特にフィジカル)を晒すことでした。結果的にこの戦略は非常に効果的だったと思います。名古屋がこれらの攻撃に手を焼いたことは誰の目にも明らかです。

「自分達のサッカーを捨ててしまった」

これは試合後の風間監督のコメントです。名古屋サポーターならもはや聞くまでもない内容ですが、自分達のサッカーとは『ボールを握ること』です。相手のロングボールに対して、こちらも同様にロングボールを多様すれば当然選手間の距離は開きます。距離が開けば、仮にそのボールがジョーに収まってもフォローに行くまでに距離がある。走る距離、スプリントの回数も増えてしまうのはしょうがないことです。

であれば蹴らなければいいのではないか。繋げばいいじゃないか。何故分かっていてそれをやらないのか。チームとして掘り下げるべき問題は、『何故それが出来なかったのか』この点です。

私の考えは以下の二点です。

①試合の進め方、テンポが変わらない

気になったのは宮原のこのコメントです。

体力的に厳しいところもあったと思います。

この理由には当然最初に取り上げた鳥栖の攻撃が大きな影響を与えていると考えられます。蹴られて、パワープレーに屈することでどうしても背走する場面が増えていました。自陣の深い位置で奪い返して、そこから前に出ていくわけですから、特に最終ラインのメンバーは相当足にきていたのではないかと想像出来ます。

ただしこういった状況は今後も考えられます。確かにロングボールを蹴られる際の予備動作(準備)の改善は可能だとは思いますが、だからといって相手のロングボール全てを遮断出来るわけではありませんから、一つのプレーをキッカケにズルズルと後退するケースがないとは言いきれません。今回の鳥栖戦において私が最も気になったのは『ボールを奪った後』のアクションです。

チームの距離感が悪くてもボールの回し方に変化がない点は気になりました。もう少し噛み砕いて言えば緩急がない。

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この画像は名古屋自陣深くでボールを奪いカウンターを仕掛けた場面です。注目すべき点は最終ラインの高さです。前の選手達のスピードについていけていない。ラインが上がりきらない為、色を付けた部分(中盤)がアーリアを除きぽっかり空いています。この場面のボール保持者は画面手前のシャビエルでしたが、近い位置でフォロー出来る選手は皆無でした。

気になるのは時間帯や試合展開に関係なくボールを奪えば間髪入れず縦に縦にボールを進めてしまう点。要は息つく暇がないのです。押し込まれる状況でなんとか奪っても、「時間を作る」というアイデアがないので、ジェットコースターのような試合展開になってしまう。各選手に休む時間がありません。無理な状況でも前に進めるので、奪われると当然ボールが戻ってくるスピードも速い。それはこの画像が特に顕著で、前後の距離感が悪いので奪われるとプレスがかけられません。なのであっという間に自陣へボールが戻ってきます。鳥栖戦に関していえば後半は特にこの繰り返しでしたから、中盤〜最終ラインは堪えたと思います。走る距離、前後にスプリントする回数が多すぎる。足が止まるからどうしてもロングボールも蹴ってしまいます。完全に悪循環です。

「縦パス」とは

そもそも縦パスについて改めて考える必要がありそうです。縦に入れるということは当然チームのスピードも上がりますし、相手のゴールにも速く到達出来るわけですから有効に違いありません。ただ同時に縦パスは相手に狙われやすいのがデメリットです。ボールを受ける人間の背後から相手が迫ってくるわけですから、相手からすれば視野内でボールが動いている分狙いやすい。

だからこそチームの距離感が大切になります。何故大切かと言えば、狙われやすいからこそパスコースを複数作った上で相手に的を絞らせない状況を作る必要があるからです。逆に言えばチームの距離感が悪いと、パスコースが読まれやすい分狙われます。縦パスを奪われるということは、相手も『前向き』の状態でインターセプトしていますから、その勢いのまま相手ゴールに向かっていける。それくらい縦パスはリスクのあるパスです。効果が大きいということは当然リスクも大きい。

名古屋の戦い方を見ていると、苦しい時間帯(チームの距離感が悪い時間帯)でもパスを進める方向やリズムが変わらない為、例えば受けるタイミングを狙われて奪われたり、苦しい状況の中アップテンポでやろうとする為にミスがでてボールを失ってしまう場面が多々見られます。

この点を風間監督がどう考えているかは分かりませんが、私はもう少し試合展開によって『ボールを保持すること』が目的のパス回しの時間があっても良いのではないかと考えます。試合展開とは、今回の鳥栖戦の後半のような状況です。前後に走らされる展開が続いた際は、例えばチームの重心を全体に下げてでも、ゆっくりパスを回しながら少しずつ陣形を前に戻していくパス回しがあってもいいのではないか。実はこの試合でも小林が何度か前線の選手達に「下がってこい!」というジェスチャーをしています。

勿論これらの最終的な目的はチームの距離感を保つことにあります。試合のテンポをコントロールする術がないと90分間アップテンポの展開が続く為、どうしても時間帯や試合展開によっては体力の消耗、集中力の欠如が発生します。普段出来る事が出来なくなる。それは今まで見てきた通りチームとして出来なくなる事もあれば、各選手のマインドにおいてもやれなくなることがあるのではないか。このチームに関して言えば『ボールを受けられなくなる』ことと『繋ぐことが出来なくなる』。その結果一番問題になるのは『チームが間延びする』この一点に尽きます。

もう一点。各選手が口々に挙げていた課題がジョーの使い方です。

②『ジョーを見ろ』の本当の意味

前回川崎戦後のブログにおいて、ジョーの問題点を私なりに指摘しました。

migiright8.hatenablog.com

実際はジョー個人の問題というよりチーム全体の問題から起きている内容ですが、今回の鳥栖戦に向けて興味深いことに風間監督はチームにこう指示したようです。

ジョーを見ろ』

ただし鳥栖戦に関して言えば、どうやらこの指示が裏目に出た節もあります。以下は試合後の各選手のコメントです。

◯櫛引 一紀

攻撃がジョー一辺倒になってしまった部分があると思います

みんなが『最初にジョー』という意識になっていたので、終盤は受けに来る意識がほとんどなかったですね

◯秋山 陽介

それ(ジョーを観ること)は選択肢の一つであって、判断するのは自分たちです。判断という部分で全員が共通して出来ていなかったと思います

◯青木 亮太

途中からそこ(ジョー)ばかりを意識してしまった面はあると思います

特に劣勢が続く展開の中で、ジョーを見るという意識が、ジョーに逃げるという意識に変わってしまったのではないか。前述の通り試合展開をコントロール出来ず、結果的に縦に速くという選択の一つとしてロングボールが多く含まれる結果となりました。

そもそも何故ジョーを見ろと風間監督がコメントしたのか。ここは非常に重要なポイントであると考えます。

このチームのセンターフォワードに求められる役割は『相手の最終ラインに仕掛けること』です。具体的に言えば、まずは相手の背後を狙うこと、これが大前提です。この選択肢がまず存在した上で、例えば裏が難しいようであれば、降りて受ける。相手の最終ラインの間に位置して仕事をすることで、相手を引っ張ることも出来れば、そこで出来たギャップで受けることも出来る。

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ただジョーの場合、パスがでてこない場面で相手の最終ラインから離れて受けるシーンが多々あります。これは前回のブログで触れた通りです。焦れて下がってきてしまう。

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風間監督が『ジョーを見ろ』と言ったのは勿論単純にジョーをもっと意識的に活用しろという意味が含まれているでしょう。ただもう一つ、この言葉に隠されている意図があると感じます。それは意識的にジョーにボールを集めることで、彼自身に「待っていてもボールが届く」という安心感を与えたいという狙い。ボールが集まって、仕事(ゴール)が出来たときに、ジョー自身も気づくことがある。それを風間監督は言葉ではなく、プレーを通して彼自身に気づいてもらいたいのではないかと思います。

今となってはシーズン前に玉田がジョーに対してコメントしていた内容はこの問題点の核心をつくものでした。

ちょっと合わせすぎてるよね

そして今回の鳥栖戦を前に風間監督はジョーにこう言葉をかけたようです。

¨自分¨をやればいいよと。それから周りにもこういうことが分かってくるから、¨そこ¨に入っていけばいいよと。もう少し強引でもいい

ジョーを見ろという言葉は、本来周りのメンバーに対して向けられた意図、ジョー自身に向けられた意図の二つがあったはずです。それが今回の鳥栖戦に関しては、苦しい展開が続く中で違う意図としてチームが受け取ってしまった。そう感じます。当然ながらとりあえずジョーに預けろ、困ったらジョーを見ろという意味ではないことを、この試合を通して各選手痛感したのではないでしょうか。それは試合後の選手のコメントを読んでいれば伝わってきます。

不思議なもので、チームが抱える二つの問題点が結果的に一つの繋がったものとしてピッチに表れてしまったのが今回の鳥栖戦でした。そしてミッドウィークにはルヴァン杯のガンバ戦も行われました。最後に改めてこのチームの生命線「距離感」について触れて終わります。

風間サッカーの生命線「コンパクトな距離感」

後半途中からピッチに登場した小林裕紀は別格でした。彼のプレーには風間サッカーの醍醐味全てがつまっていました。誰よりも速く、正確に、そして愚直にそれを行っていたのが小林裕紀です。

  • 常に首を振り続けピッチの状況を確認する
  • 味方のボール保持者に対し、最適なポイントに、最適なタイミングで顔を出す
  • ボールを受けたら事前に確認していた次のポイントにボールを進める
  • 崩しの局面ではそこに「外す」動きを加え、受けて、出して、受け直す
  • それらを速く、正確に行う。そして繰り返す。
  • 足を止めない。絶対に味方のボール保持者に対して「隠れない」

派手なプレーはしません。テレビで見ていても俯瞰で確認できない部分があるので分かりづらいかもしれません。彼は現地で見てこそ凄みがよく分かる選手です。

全ての動作がとにかく速く、無駄がない。そして最も驚くのは「全く足を止めないこと」です。味方のパスコースを作る為に全力でそこのポイントを目指してスプリントする。走行距離が多いのも、局面ごとで必ず彼が関わっているのも、全てこれらの動作を全くサボることなくやり続けるからです。

余談ですが、彼は相手がボール保持している際も全くサボることがありません。ボールを奪われたら、間髪入れず危険なスペースを埋めに走ります。例えばガンバ戦でも、ボールを奪われた際秋山が高い位置に残っていると見るや、全力で秋山の守備位置まで戻る。秋山の様子を確認しつつ、彼が戻ってきたタイミングで自身の定位置に戻る。これらもテレビでは映らない彼ならではのプレーです。

なんにせよ彼がピッチに入った途端、急にボールがスムーズに回り始めたのは偶然ではありません。心臓が動き出し、全てが循環し始めた。

彼がやっていることこそが、風間サッカーの神髄と言っても過言ではありません。

今これらを高いレベルでこなせるのは、彼以外だと和泉、アーリア、そしてシャビエル。彼等が欠けた途端チームが機能不全に陥るのはそのためであり、ルヴァンで毎回風間監督が中盤に手を加えていくのもそれが理由です。

小林が当たり前のようにやっていることをチームとして考えれば、つまるところボールに対して常に主体的に関わることで、その局面ごとで必ず複数人が関われるようにするというものです。それを速く、正確に行う。派手なプレーは必要ありません。そしてこれらに上限は存在しません。

サボっても決して上手くはいかないし、選手の距離感が遠くなればこの前提は全て崩れます。小林には一人でドリブルで打開できる力はない。これはシャビエルも同様です。彼らは決してクリスティアーノロナウドではないのです。

何故チームの距離感が重要か。全てはこのコンセプトのもとに作られたチームだからこそです。出来なければノッキングを起こしますし、チームのバランスが崩されればコンセプト自体が崩壊します。それがルヴァン杯のガンバ戦の前半であり、鳥栖戦の後半でした。

このチームはJ1の舞台でも毎試合壁にぶち当たりながら、それを乗り越えようと前に進んでいます。それらを理解しながらこのチームを見守り、鼓舞していきたいものです。最後に菅原由勢のコメントで締めたいと思います。チームも、個人も、生き物なのです。

自分の視野を広げることが出来たと思います。『こういうこともある』ということが、自分の考えの中に増えました。

すぐに切り替えるのではなくて、前の試合の課題と成果をはっきりさせて、次の試合に挑んでいきます

 

 

※このブログで使用した画像はDAZNより引用・加工したものです