みぎブログ

主観で語りますフットボールを。

紛れもなく鬼木達のチームだった川崎フロンターレ

[http://Embed from Getty Images ]

似て非なる相手。名古屋にとって、川崎フロンターレはそんな相手だ。

風間八宏が礎を築いたチームは、鬼木達によって明らかに変化した。ジェットコースターのような驚きや興奮は薄れたかもしれないが、その分、夜のパレードの如く常に華やかで、安心して誰もが楽しめるチームに変貌した。

同じ理想を共有しているはずのチーム同士の対戦。ただそこには紛れもなく大きな差があった。

 

長崎とは異なる戦い方で真っ向から名古屋を潰しに来た川崎

7連勝中、怒涛の快進撃を続ける名古屋にストップをかけたのは最下位の長崎だった。

migiright8.hatenablog.com

 名古屋と真っ向勝負を臨むのではなく、いかに自分達の土俵で戦うか緻密に計算された長崎の術中に嵌った名古屋。その意味で名古屋が最も嵌りやすい相手だったことは事実で、噛み合わせの悪い相手だったことは否めない。

では今回の川崎がどうだったか。戦前の予想としては、名古屋同様おそらく前に出てくる川崎の方が名古屋は戦いやすいのではないか。ボールは握られても、むしろカウンターで刺す流れになれば名古屋も十分勝機があると踏んでいたのは私だけではないだろう。

川崎が狙っていた名古屋のウイークポイントは長崎と同様だった。

4-4-2のライン間に生まれる「縦の間」と「横の間」である。

f:id:migiright8:20180924105242p:plain

 名古屋の守備ブロックが「圧縮する」印象はほとんどない。中を締める意識は強いものの、ボールの動きに合わせて全体がスライドして守るオートマティズムを感じることはなく、均等に配置された選手達が個々の判断でボールにアタックしていく。

そのため「間」で受けようとする選手に滅法弱い。特に最もケアすべき「ボランチ脇」の守備が甘く、このスペースを簡単に相手に取られてしまうのはシーズン開幕時から続く大きな問題だ。

興味深い点として、長崎はこれらのスペースを「手数をかけず速く突き」、川崎は「時間をかけて正確に突く」選択をしたことだ。この選択は当然と言えば当然で、それぞれのチームスタイルがこの決断をさせたに過ぎない。前線に機動力のある選手を配置し、堅い守備をベースに名古屋をおびき寄せた上でカウンターを仕掛けた長崎。逆に技術に絶対の自信をもつ川崎は、ボールを回しながら名古屋陣地を占拠し、その急所を狙い続けた。

 

「時間」を味方にして止める蹴る外すの見本を見せ続けた川崎

「止める蹴るのレベルが違った」

試合後、名古屋サポーターの多くが同様の感想を抱いた。ただ果たして川崎との差はそれだけだったのか。

私が痛感したのは、彼等がボールを受ける際に全く急いでいないことだった。名古屋の選手と比較すると一目瞭然。常に相手のプレッシャーに晒され、ほぼトップスピードの状態で止めて蹴る動作に入る名古屋の選手達。対して川崎の選手は常にほぼフリーの状態で、スピードを緩めてボールを止める。何故それを可能にしたかと言えば、名古屋の守備ブロックの弱点を意識し、常にフリーで受けられるスペースを見つける目。そこに正確にボールを届ける技術と、止める技術、叩いては新たなスペースを見つけ貰い直す質の高い動きを擁していたからに他ならない。

f:id:migiright8:20180924110835p:plain

言い方を変えれば、現状名古屋の守備組織では、あのレベルの相手だと簡単に「時間」と「スペース」を活用されてしまうということだ。時間とスペースがあるからミスがでない。しかもその一連の動作のレベルが高ければ高いほどボールは速く回るし無駄もでない。名古屋とすれば、ボールが入ったタイミングで寄せたくても、その余地すら与えられない。どうやらその点川崎としてはスカウティング通りだったようだ。

名古屋の2トップが戻ってこないので。(中略)1点目の僚太が出したパスのところ、あんなところでは普通は僚太はフリーではいないので。そこはかなり回せるという話は試合中にしてたので(中村憲剛談) 

振り返れば、一点目の大島のパスも、二点目の阿部のシュートも全てフリーである。フリーで受けられる場所に立ち、そこを正確に使われ、無駄なく次の場所にボールを運ばれればなす術はない。この試合、どれだけの場面で中村や阿部、家長に名古屋の最終ライン前でボールを受けられたか。そのほとんどがフリーの状況だったこと、外さなくとも「そもそも外れている場所」を使われ続けた。

 

「ペナ幅」にこだわった名古屋、「ピッチ幅」も活用した川崎

「間」で受けることを手助けした術がもう一つある。それがピッチの横幅も意識したボール回しだ。風間八宏と言えば、「ゴールまで最短距離を目指す」「狭くても外せばフリー」「外は『空いているもの』」こんな名言の数々が示す通り、まず中央を意識させることをチームに課す。何故なら相手が最も警戒するエリアは中央だからだ。そこで相手を喰いつかせれば、必然的に外は「空くもの」。これは彼の理論を読み解くうえで、非常に重要な要素だ。

ただ川崎の場合、鬼木体制になってからそこに執着する意識は弱まったと感じる。中央から割れなければ一度外に広げる。その選択肢を良しとする傾向がある。相手を広げてから、タイミングを見て中央を攻略にかかる。その分名古屋よりスピード感は劣るものの、正対する相手守備陣の網に簡単にかかることはない。ということは、前がかりな状態でボールを奪われ即カウンターという場面も減少する。

同じ「止める、蹴る、外す」でも、その活用法が異なる。川崎はより合理的になったし、一人の選手への依存度が減るサッカーをしている。対して名古屋は圧倒的なスピード感、爆発力を擁するものの、より高いレベルで「外す」要素を求められるため、一人一人への依存度が高い。一つピースが欠けると、簡単には埋まらない。この違いは非常に興味深い点だ。この試合に関していえば、「間」がそもそも弱点の名古屋に対し、更に横幅を使って揺さぶることで名古屋守備陣に生まれるギャップもことごとく活用された。

フロンターレの崩し方はすごく勉強にもなったし、自分達も絶対にできると思う

金井もこんな感想を抱いたようだ。お互いが今後どんな道を歩むのか楽しみである。

 

名古屋の心臓を徹底的に潰した川崎のバンディエラ

では名古屋がボール保持した際はどうだったか。改めて川崎のメンバーを見ると、実は決して「速い」チームではない。小林、中村、家長、阿部、大島。このラインナップを見て、カウンター型のチームだと考えるサッカーファンはいないだろう。例えば長崎のように、ある程度自陣まで引いたうえで名古屋にボールを持たせ、網にかけて縦にカウンターを仕掛ける選択肢をこのチームは選ばない。ボールを支配し、相手陣地を支配するために彼等が選ぶ選択肢は「前から潰す」ことである。

狙われたのがネットだ。中断期間明け以降、名古屋のビルドアップが安定したのは彼の貢献度が非常に高い。

migiright8.hatenablog.com

 彼が後方で時間を生み出せるから他の選手達が良い形でボールを受けられる。名古屋の心臓は、紛れもなくネットだ。川崎はその心臓を徹底的に潰すことを選択した。

彼がボールを触ることから攻撃が始まることは映像を見ていても分かった。だからうちにネットがいたときに、やられて嫌なことをやってやろうと思った。つまりタイトにいこうと。とにかくネットにボールを触らせないように、意図的にポジションを取りました

f:id:migiright8:20180924112052p:plain

最終ラインに落ちるネットに対し、あそこまでぴったりついてきたチームは川崎が初めてだろう。しかもそのマークがとにかくタイトだった。対面の中村が寄せてネットが剥がせず苦労している隙に、二人目も襲いにかかる。あれほどネットが苦しめられた試合は初めてだったし、だからこそそれでも前をむこうとするネットの個人能力の高さに驚かされた試合でもあった。おそらくネットでなければ、もっと無残な形で名古屋の心臓は心肺停止していたはずだ。これで名古屋はほぼ完全に自陣コートを川崎に占領された。

名古屋としては、今回のようにネットが相手のターゲットになった際にどう状況を打開するか課題が残った。中断明け以降ネットの存在で蘇った小林に期待したいが、この試合に関していえば、ネットの調子と付随するように存在感を失ってしまった。彼自身、この点がなによりの課題ではないだろうか。「ネットが消されるなら自分が中心に」、その気概が欲しいと思ってしまうがどうだろうか。

それにしても皮肉だったのは、ネットが対戦相手である川崎から「輸入」した選手だったことだ。川崎のバンディエラには、彼を自由にすることがどれほど危険なことで、何をされると嫌がり、どんなボールの持ち方を好むのか、手に取る様に分かっていたようだ。

[http://Embed from Getty Images ]

 

苦しい時に痛感するシャビエルの不在

チームが苦しければ苦しいときほど力を発揮する選手はいるもので、名古屋にとってその存在になり得るのはシャビエルだ。前を向かせてもらえないチームにおいて、背中で相手を背負える選手がどれだけ貴重な存在か。前線のターゲットとなるジョーだけではなく、苦しい時に「繋ぎの起点役」としてターゲットになれるシャビエルの不在が、この試合では特に影響した。

しっかりボールを保持して、横に揺さぶりながら名古屋の網を緩めようとする川崎の攻撃に対し、自陣に押し込まれる分、ボールを奪うとどうしても縦に速く攻めてしまう名古屋。この傾向は前半戦、豊田スタジアムで川崎と戦った際も同様だった。後方でも、また前方でも時間を作る術を持たないから、必然的に縦に速くなる。だからこそ時間を生み出せるシャビエルの不在が大きく影響していたことは否めない。

シャビエルが欠場してからの名古屋の問題点はこれだけではない。彼がいなくなり、名古屋の配置は変わった。前田が前にでて、玉田のポジションが左右逆になった。代わりに左サイドに入っているのが和泉、そして青木。この試合、実は左サイドバックを務める金井のスプリント回数はたった「4回」。逆サイドの宮原が21回、相手の対面にいたエウシーニョが24回であることを考えれば、それがいかに異質な数値か理解出来る。決してそれが悪いと言っているわけではない。金井のプレースタイルは、そもそもサイドで縦に勝負する選手のそれではないのだから。問題は彼の代わりにサイドに張っている和泉や青木が、そこでどんな役割を果たすのか明確でないこと。この点は試合を通して非常に気になる点だった。

またジョーにしても、彼に活躍の機会を与えない最良の方法は、「そもそも彼にボールを持たせない。彼を潰すのではなく、彼に出るボールの出所を潰す」であることを証明され、試合を通してほぼ完璧な形で消されてしまった。その意味では、前述したネット潰しが、結果的にジョー潰しにもなった形だ。

余談だが、ジョーを消すという意味で、地味ながら車屋の存在は目を見張った。名古屋の決定機、ジョーを抑え込んでいた選手は実は左から絞ってくる車屋のケースが多々あった。ここ数試合センターバックとして出場した経験が非常に活きている。

[http://Embed from Getty Images ]

終わってみれば、風間八宏が理想とする「相手陣地を支配するサッカー」で、はっきりと力負けする形で川崎に屈した名古屋。長崎が名古屋を研究し、自分達の土俵に引きずり込むことで勝機を見出した前節とは違い、今回は同様に研究されたうえで、「自分達のやりたいサッカー」で真っ向から潰された形だ。前からの相手の圧力に屈し、自信を失ってしまった選手達は、さながら前半戦ずっと勝利から遠ざかっていたあの時の姿を彷彿とさせた。試合後、風間八宏はこう語った。

簡単に言うと、目に見えていないものを相手にしてしまった。矢印というものは、ボールを出して自分がもう一度動けばフリーの定義が変わるので簡単に崩せるはずなのですが、立ち上がり、それが出来ていたのは3人くらいでしたね。それ以外の選手は出して終わり、1対1を狙われてしまったということです。当たり前のものが当たり前に見えなければいけない。当たり前のものが当たり前じゃないものに、自分たちの中で錯覚してしまったというところはあったと思います

また川崎についても改めて言及したい。これまで見てきた通り、事前のスカウティングと戦略、チーム戦術としての守備の徹底、止める蹴る外すの活用法の違いなど、風間八宏が植え付けたチームのベースに、鬼木達が自身のカラーを見事に混ぜ合わせたチームに変貌していた。完全に似て非なるチーム。源流は同じでも、進んでいる先は異なるチームだった。

 

 もう一度彼等と戦い、今度こそ叩き潰したい

同じ志向をもって、相手を走らせたい、握りたいというチーム同士の戦いでは当たり前に上回りたい

二戦二敗。シーズンダブル。風間体制後、初対戦となった川崎フロンターレとの二試合は、名古屋にとって返り討ちにあう形で幕を閉じた。中村憲剛の言葉にある通り、力で徹底的にねじ伏せられた格好だ。それでも風間八宏はブレていない。問題点として挙げたのは、あくまでボール保持の場面だ。とにかくそこにこだわった。この試合でいえば、4対3、5対3のスコアで勝ち切るチームにならなければいけない。目指すべき姿は、殴られても殴り返せるチームだ。

名古屋サポーターにとっても、川崎サポーターにとってもこの試合は特別だった。

勿論そんなことはない、特別な相手なんかではないと言うサポーターがいることも承知している。オリジナル10のチームとして、長年Jリーグを盛り上げてきたのは名古屋だし、Jリーグで先にタイトルを取ったのも名古屋だ。逆に川崎としても、昨年のディフェンディングチャンピオンとしてのプライドもあっただろうし、風間八宏に特別な想いなどないと言い切るサポーターもいたことだろう。

ただそれ以上に多くのサポーターにとって、今の名古屋と川崎の試合は同じ理想を標榜するチーム同士の戦いであり、風間八宏が育てたチームという点でも関係のないチームとは言い難かった。「止める蹴る外す」を合言葉に鍛えられた両チーム。どこよりも攻撃的に、そして「魅せる」ことが出来るJ屈指の二チームだと私は思う。意識するのは当然といえば当然だった。

クラブとして見ても類似点はある。近年多くの観客をスタジアムへ呼ぶことに成功し、その街に根付いたクラブとして成長を遂げた川崎は、昨年から観客動員を増やし続ける名古屋にとってお手本のようなチームだ。勿論スタイルは違う。クラブの施策も、例えばゴール裏のチャント一つとっても違う。ただお互い目指す先は同じであろう。クラブレベルでも、現場(ピッチ)レベルでも共感の持てる相手が川崎フロンターレだ。

だからこそ、もう一度彼らに真っ向勝負を臨み、次こそは勝ちたい。そんな相手だからこそ、私達は叩き潰されて終わっていてはいけない。彼らは「乗り越えるべき壁」である。その差に圧倒されるのではなく、その差を今後の楽しみとしなければ。まだまだ強くなれる、そう思うのだ。だから残留しよう。残留して、来年こそは絶対に叩こう。残留が目的ではなく、来年また同じステージで彼らと戦うことをモチベーションに、絶対に残留しなければいけない。

試合後選手達は口々にこう発言した。「完敗だった」「相手が数段上だった」「勉強になった」と。

私達はここで終わるチームではないし、落ちていいチームでもない。この借りは、来年同じ舞台で必ず返さなければいけない。選手だけではない。サポーターも同じ気持ちなのだ。

[http://Embed from Getty Images ]

 

 

バクスターの血を受け継ぐ者と異端児の戦い

f:id:migiright8:20180918113203j:plain

「全てこの試合のために準備してきた」

1勝1分2敗。J1での成績、2戦2敗、3得点7失点。名古屋の対長崎戦における成績である。めっぽう苦手。風間八宏にとって長崎を率いる高木琢也は、マツダ出身の後輩という間柄だ。負けて笑って談笑とはいかないだろう。今シーズン、前半戦では完膚なきまでに叩き潰された(0-3)。迎えた今回は名古屋が7連勝中、かたや長崎はリーグ最下位と、誰もが名古屋の勝利を予想する中での4失点。目も当てられないとはこのことだ。

なるほど、冒頭の高木監督のコメントにも納得。

徹底的に分析された名古屋。そして風間八宏

代表ウィークを挟み、二週間ぶりのリーグ戦。どちらがその期間を有意義に使えたかといえば、おそらく高木琢也率いる長崎だったのではないだろうか。地道な積み上げをはかる名古屋と、その名古屋を叩くために二週間戦略・戦術を落とし込んできた長崎。高木琢也にとって、二週間の猶予は十分すぎたのかもしれない。

f:id:migiright8:20180917232741p:plain

長崎の布陣は前半戦と大きく変更はない。名古屋にとってまずネックだったのがシステムの噛み合わせ。4-4-2の名古屋に対して3-4-2-1の長崎では、名古屋に分が良い構図とはいえない。長崎のキーとなるのはツーシャドーの澤田、そして中村。名古屋とすれば、この二人を誰が見るかが問題となる。また名古屋の攻撃時に関していえば、ネットを含めた3プラス1(小林)でビルドアップを始める名古屋に対して、同数でプレスをかける長崎のプレス部隊が大きな問題となる。これは風間八宏にとっても苦手な形で、長崎同様、札幌相手でも同じような問題を抱え、返り討ちにあっている。

「間受け」に滅法弱い名古屋

f:id:migiright8:20180917225524p:plain

長崎の1点目のシーンである。最終的には長崎の右サイド、飯尾が全くのフリーの状態から折り返し、鈴木武蔵がゴールを決めるわけだが、私としてはこのシーンで勝負アリだったと考える。試合を通して、先ほど挙げた二人、澤田と中村に対する名古屋のマークは最後まで曖昧だった。その証拠に、長崎の3得点は全て彼ら二人が演出している。鈴木武蔵にとっては、完璧にデザインされたその崩しにおいて、最後のフィニッシャーの役目だけを務めれば良かった。このシーンでいえば、丸山の視野外にいた澤田が、ボールがでてくる瞬間に丸山の前に回り込んでボールを受けることに成功している。名古屋にとっては危険なエリアだったにも関わらず、完全フリー。例えばジョーがあの位置で受ける際、これだけフリーな状況が存在するかといえば勿論ない。丸山としても、鈴木と澤田の二枚を同時に見る状況で、ボールを受けた澤田に強くプレッシャーをかけることは出来なかった。

ただこの場面、丸山の様子を見ていると、そこまで慌てているようにも見えない。もしかすると、間受けされることもある程度許容している可能性がある。4-4-2のシステムにおいて、選手間に生まれるスペースは泣き所である。だからこそ各チーム、スライドの徹底や明確な約束事をチーム戦術として必死に取り組むわけだが、その点名古屋の場合は個人のセルフジャッジに依存しているフシがある。だからこそ最後で凌ぎきれば良いと。ただこの後で問題となるのが金井の絞りと、その背後をフォローすべき児玉の状況である。サイドバックがどれだけ絞るべきなのか、サイドハーフがどこまで戻ってくるべきなのか。仮にそこを各々のセルフジャッジで判断しているのであれば、これだけ右サイドが空いてしまった点も今後の反省材料となるのだろう。その証拠に、例えば丸山や金井の様子を見ていても、飯尾にボールが出た瞬間「何故フリーなんだ」と、その瞬間気づくようなそぶりを伺うことが出来る。

 

徹底していたビルドアップ封じ

f:id:migiright8:20180918012518p:plain

前述した通り、名古屋のビルドアップへの対処も準備していた。名古屋のビルドアップはネットが最終ラインに降りて、両センターバック(丸山・中谷)がワイドに開く。両サイドバックは高い位置を取り、小林を中継点とした3プラス1、菱形のような陣形が基本だ(図のようにネットと小林の位置が逆になるケースも有)。それに対して長崎は前線3枚が同数であたり、中盤の1枚が小林をケア。当然両ウイングバックが名古屋の両サイドバックにつく配置をとった。

f:id:migiright8:20180918014404p:plain

ただし前半戦に比べると名古屋のビルドアップも改善され、簡単にボールを失うことはない。長崎としてもそれは折り込み済みで、前から徹底して追いかけることはせず、状況が悪ければリトリートし5-4ブロックを形成(両ウイングバックと両シャドーが一列ずつ下がる)。ハーフウェーライン付近で構え、そこからパスコースを限定していく。名古屋のビルドアップ隊が前線めがけて蹴ったボールを、密度の濃いゾーンで追撃する形で回収する。

カギは「中央」をしっかり締めることである。このやり方は、昨年J2の舞台で初めて長崎と対戦した際(このときも瑞穂だった)に近いものがあった。鈴木武蔵を頂点に、両シャドーと二人のボランチの五角形で中央を封鎖する。名古屋のボールの流れを外に外に押し出していく。名古屋は時折ネットや金井が、上手くかいくぐってこの五角形の中でボールを受けることに成功していたが、この中央のエリアを使えなかったことが、試合の出来に大きく響いた。後述するが、長崎は奪った後のカウンターに備え、出来るだけ両シャドーを高い位置に置きたかったようだ。その影響で、例えば長崎のボランチ脇は狙い目であったし、対角線上からジョーにボールをつけられた際の応対にも苦慮していた。ただ試合全体を通してみれば、「中を使ってこそ外がある」名古屋にとって、肝心要の「中」を上手く活用出来なかった、いやさせてもらえなかったのは敗因の一つだろう。

振り返ると、前回対戦時は前から徹底的に潰しにきたことで、名古屋は窒息し失点を重ねた。では今回は何故このような形をベースとしたのか。

ショートカウンターではなくロングカウンター

f:id:migiright8:20180918004228p:plain

長崎2点目のシーン。この試合、予想通り名古屋のボール保持率は高い数値を誇った(60%)。ただしこれは長崎としても折り込み済みだっただろう。ここで長崎の立場になって考えてみたい。彼らにとって、名古屋がどの位置でボールを保持している時にチャンスを生み出せる可能性が高いか。仮に前から奪いに行くことをベースとすれば、自陣の背後には広大なスペースが生まれる。いまや名古屋には、J有数の「高速カウンター」という武器がある。逆に自陣深くまで追い込まれるとどうだろう。仮にボールを奪っても名古屋に自陣を支配され、セカンドボールを回収されつつ2次攻撃、3次攻撃と繋げられ、ジリ貧の可能性が高い。そう考えた時、もっとも名古屋に穴が生まれる瞬間は、ミドルサードのエリアでボールを奪った瞬間と考えていた可能性は高い。名古屋とすれば押し込みきれていない分、ボールを奪われると当然陣形は崩れている。その上で、もっともバランスが悪いエリアは、金井がいるべき名古屋の「左サイド」であることは誰の目にも明らかだ。あえて金井に高い位置を取らせることで、ボールを回収したらそのスペースを崩しの重要なポイントとしてチームで共有する。この試合、結果的に名古屋がミドルサードでプレーした割合は、実に53%という高い数値となった。

f:id:migiright8:20180918010035p:plain

長崎の3点目は、この試合の狙いが見事にハマった象徴的なシーンだ。ミドルサードでボールを奪回してからのミソは、とにかく「速く縦につけること」。ブロックを作ろうと戻る名古屋よりも速く名古屋ゴールまで辿り着く。それが彼らの重要なミッションである。長崎の中村慶太のコメントは以下の通りだ。

試合前にサワくん(澤田)と(鈴木)武蔵と3人で話をして、なるべく下げずに前にボールをつけていこうという意識をしていて、それが上手くいったと思います

何故ファンマではなく鈴木武蔵だったか。このゴールシーンにおける鈴木武蔵の一連の動き、名古屋ゴールへ向かうスピードがそれを証明している。またゴール前に飛び込む際も、必ず名古屋DF陣の「間」にポジショニングすることを徹底。中谷が見るのか、宮原が見るのか。深い位置からのクロスに対してマークの受け渡しに名古屋が問題を抱えていることも、おそらくスカウティング通りだっただろう。ただビルドアップを阻害するだけでなく、それを攻撃に繋がる術も明確に実装されていた。

最終的な両チームの走行距離は名古屋109.3㎞に対し、長崎112.0㎞。スプリント回数の比較でみると、名古屋106回に対して、長崎は脅威の141回。特に長崎の前線3人と両ウイングバックに至っては、全員が20回超えである。名古屋の最多が前田の15回だったことから考えても、それがいかに驚異的な数値であったかが理解出来る。試合を振り返れば分かることだが、そのスプリントの多くは矢印が「前向き」のものだ。8月の連戦、名古屋怒涛の快進撃を支えたのは「走り勝つ名古屋の姿」だったが、この試合に関していえば、長崎の走力にも屈してしまった。というより、名古屋は走らせてもらえず、長崎が走り勝てる環境を作られてしまったと表現する方が正しい。

試合を通して終始名古屋の問題点となっていたのは、長崎の対策によってボールの出しどころがなく、ジョーをターゲットとしたフィードが増えたこと。この点に関して、試合後に風間監督はこのようなコメントを残している。

自分たちがリズムを作りながらもスピードを上げすぎてしまった。カウンター攻撃を自分たちで起こさせてしまった

またボールを奪われれば長崎がまず裏を意識的に狙っていたこともあり、最終ラインと中盤の距離感に大きな問題が生じていた。そのギャップを突くことが出来る長崎の両シャドーの存在が厄介で、このエリアで彼等に前を向いてボールを持たれると、必然的に名古屋の最終ラインの矢印は後ろを向いた。名古屋が自分達のサッカーをピッチで表現するために重要な要素「距離感」が、長崎によって破壊されてしまったことがなによりの問題だった。

決して下を向く必要はない

審判のジャッジが大きな話題を呼んだ試合ではあるが、得点シーンを冷静に振り返れば、長崎は狙い通りの3得点、逆に名古屋は個人技による2得点とパワープレーによる1得点である。どちらの出来が良かったかといえば、それは長崎だっただろう。試合を通して両チームによる戦術の応酬というわけではなかったものの、かたや7連勝中のチームと、最下位の現実に苦しむチームである。高木琢也にとっては会心の勝利、シーズンでもベストゲームの一つではなかったか。

ただ名古屋には下を向いて欲しくない。それだけ改善の余地がある、「伸びしろ」があるチームなのだと考えれば、まだまだこのチームの成長過程を楽しめる。J1のチームでこれほどまでに相手を研究し、尚且つ、試合を通してそれを徹底出来るチームは珍しい。だからこそ力比べになれば名古屋の優位性は発揮されるし、逆に長崎の視点でいえば、今回のような戦い方がハマらない相手と対戦した際に、改めてその力量が問われるのかもしれない。どちらにせよ名古屋にとっては当然ながら噛み合わせの良い相手ではなかった。名古屋に足りない部分をしっかり提示してくれた長崎という相手は貴重であったし、厳しい残留争いの真っ只中ではあるものの、「意味のある敗戦」だったと受け止める。まだまだ強くなれるのだと。

なんにせよ、高木琢也という監督がもっと評価されるようになると、このリーグはより良いものになるのではないか。そう思えた試合だった。敵ながら素晴らしい監督だったと記し、今回は締めたいと思う。

※ご興味がある方は、この本もお勧めです

 

 

 

 

 

 

 

 

エドゥアルドネットはサラリーマン気質なのか

 

f:id:migiright8:20180716134051j:plain

「憂鬱だ...なんて憂鬱な朝なんだ...」

サラリーマンにとって、月曜日の朝は何故あんなに憂鬱なのか。いや、仕事も充実して、休日も早く会社に行きたくてしょうがない方もいるだろうから、全てのサラリーマンとは言わない。ただ月から金まで週五日間のペースで働く社会人にとって、日曜の夜から月曜の朝の時間帯は「魔の時間帯」である。月曜朝の満員電車、不思議と今後の人生について考えてしまうのは何故だろう。サラリーマンの性だろうか。

さて、そんなサラリーマンと同じ悩みを抱えているのではと心配になる選手がグランパスにやってきた。エドゥアルドネットだ。

決して馬鹿にしているつもりはない。いや、先に白状すると私は彼のプレーが大好きである。

ただ彼は普通ではない。移籍前、川崎サポーターのネット評(インターネットではない)で最も目についた言葉を、おそらく多くの名古屋サポーターが頭にインプットしたことだろう。

「やる気のあるネットの日と、やる気のないネットの日がある」

目を疑うプロスポーツ選手にあるまじき紹介。それは「金曜の夕方はやる気のある俺、月曜の午前中はやる気のない俺」に限りなく近いのではないか。私にはサポーターがいない。ただ彼には毎試合一万人以上のサポーターが頑張れと後押しをしているわけで、そんな恵まれた環境で「やる気がある、ない」そんなことが本当に存在し、通用するのか。ちょっとそれは贅沢すぎやしないかネットよ。ガチネット、ゆるネット、だめネット。ネットのコンディション三段活用なんだそれ。

ということで、ここ数試合のネットのプレーぶりを見直してみた。本当に彼は私達と同じサラリーマン然とした男なのか。私は大真面目だ。

サポーターから発信された様々な仮説

ここまで煽っておいて先に結論を申し上げるのも気が引けるが、私なりの結論を先に申し上げておきたい。

.....分かりませんでした。

食い入る様に何度も見返したが、本人に面談でもしないと分からないに決まっている。「貴方はやる気がない」と決めつけて仕事の同僚と揉めた実績のある私がいうのだから間違いない。だからサッカーの場合、インタビューは重要。ピッチ上で起きる現象を拾い上げることは出来ても、何故そのプレーを選択したか、何が見えていたのか、どんな気持ちでプレーしたのか。それは当人に聞かなければわからない。実際に現地で観戦した際の印象、テレビで見返した印象、刷り合わせてみるものの、それで断定できるかと言えば難しい。それが結論である。誤解を招かないためには、やはり本人の口から出る言葉にまず耳を傾けなければならないのだ。

ただ名古屋サポーターは毎試合様々な仮説を立てていた。特にそれが目立ったのが、豊田スタジアムで行われた浦和戦におけるネットの出来だ。多くのサポーターはこの試合のネットを「やる気がないネット」と評価した(私もその一人だ)。せっかくなのでその仮説に沿って一つずつ考察していこうではないか。

【仮説①】怪我の状態が芳しくなく、「走らないこと」を許されているのではないか

名古屋に来てからの彼の怪我は厄介なものだ。グロインペイン、そして内転筋の痛み。騙し騙しプレーしていることは間違いない。これは今シーズン、川崎に在籍しているときからそうだったのかもしれない。彼が交代する時は決まって倒れ込み、「もう走れない」とベンチに合図する。

走らなくても良い、という判断がされているかはともかく、チームメイトが彼の分まで走ろうとしていることは事実である。例えば彼が自陣に戻る気配がないことを察知した前田は、彼より相手ゴール寄りにいても全力で自陣まで戻ってくる。彼の様子を窺いながら、真っ先に自陣のバイタルを埋めるのは小林だ。そうやって、ネットの怪我が穴にならない努力をチーム全体で行っているのが今の名古屋だ。逆に言えば、手負いのネットでも、チームにいる価値が相当に高いという裏付けでもある。それにしても前田。お前いい奴すぎるだろ。

また彼のインタビューを読んでも、やはり怪我がプレーに影響していることは間違いない。思い通りにいかないことを誰よりも自覚しているのはネット自身だろう。

ここでいくつか「あ、あいつ走る気ないな」と思った瞬間をピックアップ。

f:id:migiright8:20180909230225p:plain

これは「まぁバイタルは小林に任せるか」のネット。

f:id:migiright8:20180909230326p:plain

「相手カウンターの起点読んでたけど振り切られた。あと頼むわ」のネット。

f:id:migiright8:20180909230423p:plain

「パス引っかかった。もう戻れないぜ」と嘆くネット。

どうだろうか。ちなみに私が検証する限り、明らかに自身のミスでボールを失った自覚があるときは、それなりに戻っていることが確認された。怪我を抱えたままプレーすることで思い通りに身体が動いてくれない。これは間違いない事実であり、そういった想いも彼のフラストレーションを生む原因になっているようだ。

【仮説②】彼の理想と周囲が噛み合わず、フラストレーションを抱えるのでないか

これは一見するとネットが他のメンバーより段違いに優れていて、残りのメンバーが物足りないとも受け取れる発想だが、決してそんなことはない。例えば話題となったこのシーン。

f:id:migiright8:20180909230654p:plain

ネットとしたら、小林にはワンタッチでフリーのシャビエルに叩いて欲しかった(※赤線)はずである(彼のしぐさを見ている限り)。これはネットの長所でもあり短所でもあるのだが、自陣のリスキーなエリアでも、縦に通せると判断すれば躊躇することはない。そこには彼の性格的な部分も起因しているし、自身の技術に相当な自信があるからこそだろう。ボールを持つ佇まいを見ても、そもそも相手に奪われるなんてこれっぽっちも思っていないのがネットだ。逆に小林はその点堅実な選手だ。自陣でリスクを冒すことはまずない。このシーンも小林はボールを受ける前に間違いなくシャビエルの存在を確認しているが、パスコースに対する相手の配置を考慮し「戻す ※②」選択をした。どちらが良い悪いという話でもない。こういった感覚の違い、選択の違いは試合を重ねながら刷り合わせていくしかない。なんでシャビエルにださないんだ小林とはネットの心の声。

f:id:migiright8:20180909231432p:plain

一試合に一回程度発生する「〝味方未確認″やっちまったノールックパス」である。ちなみにこの場面、ネットは確信を持ったように力強いパスで、誰もいないエリアにパスをしてボールを奪われる。このシーン、何度も見返したのだが、おそらくネットとすれば「俺がこの位置にいるときは味方はここにいるだろう」と、彼なりの確信をもってパスコースを選択しているように見えた。要は玉田の位置は、ネットにとって「平行」であるべきなのだ。

f:id:migiright8:20180909230841p:plain

 このシーンは、ジョーの横側に生まれたバイタルのスペースを使いたかったシーン。玉田にパスをしたネットは、ジョーの前に立つ浦和DFに向かって走り出す。彼としたら、玉田からワンツーで再びパスを貰い(※赤線)、ジョーからマーカーをつりだすことで、このバイタルのエリア(青色掛)でジョーをフリーにさせたかったのではないか。風間八宏の言葉を借りれば、ネットは目の前にいるこの浦和選手(個)を「壊しにかかっている」わけである。ただ結果的に玉田は小林へのパス(※②)を選択。予想通りうなだれるネット。

ちなみに浦和戦はこれらのプレーで集中力が切れたのか、その後のボールロストのシーンで奪われた相手選手を思いっきり蹴飛ばしイエローカード。「あいつの集中力がキレるのはしょうがないんでね」と悟った風間八宏は、すぐにネットを交代する決断をした。

f:id:migiright8:20180909232228p:plain

最後は話題になった「中谷突き飛ばしシーン」。御存じない方のために説明すると、このシーンで玉田からパスを受けたネットは、小林へのパスを相手にカットされカウンターのきっかけを作る張本人に。相手シュートをかろうじてランゲラックがセーブし事なきを得たものの、そのミスを強く言及した中谷にぶち切れたネットは、試合中にもかかわらず中谷の元へ突進。その後胸ぐらをど突くという信じられない行動をすることになる。盛り上がる瑞穂を一瞬で騒然とさせる千両役者ぶりに名古屋サポーターは震え上がった。

ただこの場面、確かにネットの状況は芳しいものではなかった。試合後に金井もコメントしていたが、まず金井のポジショニングが高いことで彼へのパスコースが死んでいる。本来は小林と平行な位置(※青掛エリア、ポジション)にいれば、場合によってはネット得意の左足アウトサイドで左に展開できた可能性はある。またこの場面の前段階で玉田にパスを付けた中谷も足が止まっており、相手選手に隠れてしまっている。ネットに対してしっかり顔を出すポジションを取ろうとしていれば(※赤線、青掛エリア)、ネットなら浮き球のパスで(レーンを飛ばして)、右サイドに展開していたかもしれない。

ネットは唯我独尊、孤高の存在である。誰よりもプライドが高く、基本的には「自分が正しい」世界を生きている(多分)。それ故、彼が納得できない理由で自身が責められるのは、彼のプライドが許さない。全く褒められた行為ではないが、何故あのときネットは中谷に喰ってかかったのかと考えると、それしかないのである。こういった側面もまた、彼の試合に対するモチベーションを左右していることは間違いないだろう。

ネットが名古屋にもたらしたもの

ここまで読み進めると、ネットよ何と扱いづらい選手なんだ、腫れ者じゃないかとなってしまうわけだが、いや、やはりネットは素晴らしい選手だ。中断期間後、チームがこれほどまでに変貌した理由の一つに、間違いなくネットの存在は挙げられる。

まずなにより彼がチームにもたらしたものは「パウサ(小休止)」だ。

先日発売されたナンバーで、イニエスタが日本のサッカーについてこんな発言をしていた。

スピードとテクニックがある一方で感じたのは、ゲームの中にパウサがないってことだ

パウサとは一体何を意味するのか。もう少し読み進めてみる。

Jリーグは良い意味でも悪い意味でも、前へあくまでも攻撃を続ける展開になることが多い。それは試合としては魅力的かもしれない。(中略)ただ、一定のリズムで攻め続けるのはリスクも伴う

この点は前半戦における名古屋の戦い方が顕著だっただろう。

陣形が整っていないにもかかわらず、ボールを奪えばすぐに前進しようとして相手に引っかかる。結果としてショートカウンターを受ける。また試合展開も行ったり来たりで「必要のない」走行距離が伸びる。要は「走る質が悪い」。それで潰れかけていたのが小林裕紀だ。最大の特徴であるオフェンス時における潤滑油の役目を果たすことが出来ず、守備に忙殺された小林は気づけばスタメンの座を奪われていた。

ネットが加入し、なにより変化があったのがこの時間の使い方である。

彼は全く慌てない。「走らない」と言ってしまえばこれまでに挙げた場面が頭をよぎってしまうが、彼は急ぐ必要がない時は「走らないことでチームを落ち着かせる」ことも出来る。例えば陣形が整っていない時、残り数分でハーフタイムを迎えるとき。その場面の状況、時間帯を考えながらゲームをコントロールする術がある。

日本人は良くも悪くも真面目だ。ボールを奪えばまずゴールを目指す。その刷り込みがゲーム展開を否応なく速くする。逆にネットはブラジル人らしい一面を覗かせる。「90分あるんだから、この状況ならゆっくりボールまわしておけばいいだろ」、こういった発想が出来る。簡単なようで、意外と日本人選手が苦手としている部分である。そう判断した時のネットはとにかく走らない。歩きながらボールを受けてはリターンする。そろそろ行けるなと思えば、急に動物的な動きで「外す」動きを混ぜつつビルドアップを開始する。

これによって名古屋の攻撃には緩急が生まれた。セットして攻撃を始めるときは、ネットを中心に後方でゆっくりボールを回しつつ、各選手が自身のエリアで高いポジションを取ってから攻撃が始まる。だから仮にボールを奪われても、相手陣地内で人数をかけてボールを奪い返す動作にチームとして入れる。案の定というべきだろうか。昨シーズン同様、ボールが落ち着くポイントが後方に出来ると、コンビを組む小林裕紀は輝きを取り戻す。主役になりきれないのが惜しいが、彼は名古屋一の「名脇役」だ。主演男優賞にはなれなくとも、助演男優賞なら相手役に恵まれれば狙うことも可能な男。また彼が面白いのは、脇役とはいうものの、リスクが取れるエリアでプレーさせてこそ輝ける特徴を兼ね備えていること。器用なので後ろに置きたくもなるが、彼こそ放し飼いにした方が面白い。その意味で、ネットと小林のコンビは良い組み合わせと言えるだろう。

そんなネットにしても、いざ攻撃のスイッチが入ると、高いポジションで決定的な仕事が出来るのも彼ならではの魅力。こんなエロいパス、おそらく名古屋でやる勇気があるのはネットだけだ。

あとは「ネットの100%」が見たい

 これほどまでの選手が何故獲得出来たのか。川崎側の事情やサポーターの意見は当然あるはず。そもそも大卒のスーパールーキー、守田の存在なくしてこの移籍劇は生まれなかっただろう。諸々の事情があり、チームには彼の穴を埋められる若手選手も育ってきている。あまりに突然のことで川崎側としても準備不足だった感は否めないものの、結果的にネットはチームの構想外、放出すべき選手となった。

ではその守田に比べてそもそもネットが劣っていたのか。私はそうは思わない。個人的には、川崎、名古屋それぞれの事情に加え、鬼木、風間両監督がチームにどんな選手を求めたか。その点が上手く噛み合ったからこそのネット移籍劇であったと考える。それは両者にとって選手としての実力だけではなく、パーソナルな部分も含めたトータルでの判断。少なくとも名古屋を率いる風間監督が選手に求めるものは「それぞれの100%をピッチの上で発揮してほしい」である。止める蹴る外す。この3大原則さえベースにあれば、あとはピッチを何色にでも染め上げて良し。それが風間八宏のサッカーだ。

だからこそ選手に100%を求める。当然である。それを遺憾なく発揮してもらうためにピッチは白紙の状態にしてあるのだから。その意味で、この7連勝は決してフロックではなかった。それぞれが持てる力を100%発揮した。そんな環境でやれているからこそ、選手達自身がなによりサッカーを楽しんでいるのが伝わった。だからサポーターも楽しいに決まっているのだ。好きな人が楽しそうにしていたら誰だって嬉しいだろう。

その点ネットがどうだったか。これまで見てきた通り、まだまだ試合を楽しんでいるように思えない。それは彼自身100%の力が発揮できていないからだ。無難な色に染まる必要はない。ネットはネットのまま、このチームでの居場所、100%の力を発揮出来る環境を積極的に作っていくべきだ。その点、川崎時代もチームメイトはかなり苦労したようである。「ネットが合わせる」のではなく、「ネットに合わせる」必要があったためだ。ネットの100%を引き出すためには何が必要だろうか。これからチームメイト達は、その難解な課題と向き合いながらさらなる高みを目指していくこととなる。

どうやら彼の怪我は今シーズンずっと付き合う必要があるようだ。誰よりも彼自身が苦悩を抱えながらピッチに立っているだろう。ただ私たちは彼が楽しんでサッカーをしている姿が見たい。比較的優等生揃いの名古屋に突如として現れたやんちゃ坊主。ブラジルの大エース、ジョーさんが走ってても気にも留めない王様、それがネット。面白い。

憂鬱な月曜の朝を生きるネットより、早く飲み屋に繰り出したいとウキウキした金曜夕方気分なネットに出逢いたい。そんなサラリーマン的な楽しみがあってもいいではないか。

f:id:migiright8:20180910153833j:plain

 

※このブログで使用している画像は、名古屋グランパス公式サイト、DAZNから引用したものです

 

 

 

爆買いとポイ捨て。尽きることのない賛否

f:id:migiright8:20180808223005j:plain

「爆買いポイ捨てチーム」

これ、最近友人に言われた一言である。流石にカチンときたぞ。かなり仲の良い友人だったが、売られた喧嘩はきっちり買った(謝られたけど)。

そう、これがグランパスに興味のない人達の自然なリアクションだ。このチームへの知識や理解に乏しい人達が見れば、私達のチームがやっていることは「爆買い」で「ポイ捨て」なのである。

勿論その改革を推し進める首謀者は風間八宏。情の欠片もない、自らの都合で選手を切り売りする非道な人間といったところだろうか。なにせとにかく評判が悪い。いや、評判が悪いというより、ただの嫌われ者だ。システマチックな戦術とは対極に位置し、守備は杜撰。そのくせ使う選手は選ぶのだから、嫌われるのも無理はない。そのあまりに振り切れた志向が、どうにも「サッカー通」を遠ざける。

今更彼のサッカーを掘り下げるつもりはない。散々語られてきた内容であるし、好き嫌いが分かれるのも承知している。彼のサッカーが至高で、全く欠点のないものだなんて私自身これっぽっちも思わない。

ただ冒頭の言葉が引っかかった。私達の愛すべきクラブが行っていることは、果たして本当に「爆買いポイ捨て」と言えるのか。

【第一期】このチームは一度「解体」した

風間八宏が就任してからのグランパスを語る上で、この点に触れないわけにはいかない。2016年に初のJ2降格が決まり、そこから始まったオフに起きたことを忘れる者はいないだろう。主力級の選手達は次々とチームを去り、このチームに残った選手はたった15人。内、前シーズンにスタメン争いをしていた選手達は約半数程度しかいない。

逆に加わった選手達は18人。当時のグランパスを取り巻く環境(マスコミ報道)を考えれば、「よく集まった」、これがサポーターにとっても正直な感想だった。ほぼゼロからのスタートの中で、可能な限り風間監督の志向にあった選手を獲得したい強化部。ただその意向とは裏腹に、クラブには逆風が吹き荒れる。肝心の新監督も、前チームの活動により始動が遅れるまさに二重苦の状況。今思えば、強化部側の風間監督への理解が不足していたのか、理解はあったが獲得可能な選手に限りがあったのか。そこは定かではないが、同時にどちらも間違いとは言い切れない時期だったのかもしれない。

当然ながら、このチーム立ち上げ時が「風間体制第一期」である。

【第二期】シーズン途中に加入した「足りなかったピース」

ほぼ「寄せ集め」の状態でスタートした名古屋は、J2の舞台で不安定な飛行を続けた。与えられた材料で上手い料理を作る監督なら結果も違っただろうが、風間監督は与えられた材料を育てようとする監督だった。調理をしない。結果、材料(個)の持つ味(力)がそのまま誤魔化されることなく表現されてしまう。求められる動き、スキルを体現出来る者と、どれだけやっても上手くいかない者の差は広がるばかり。そんな選手達を組み合わせ、策すら与えないのだから、苦戦するのは必然だった。志向するサッカーも十分振り切れている風間八宏。ただなにより極端だったのは、チームビルディングにおける彼の手法そのものだ。どれだけ負けても、屈辱的な敗戦を喫しようと、それが必要な順序の中で起きたことであれば、軌道修正する事はなかった。寄り道をしたり、狡賢く楽な道を選ぶこともない。その点彼は妥協を知らない。今思えば、最初の半年間は「昇格するためのベース作りと、足りないピースを確認する時期」だった。

f:id:migiright8:20180809003948j:plain

そのうえでこの夏に名古屋に加入した代表的な選手が、シャビエル、そして新井である。半年間選手達と共に風間監督の練習に触れ、会話を重ね、理解を深めた強化部の素晴らしい仕事だったことは今更言うまでもない。それと同時にこの時期から選手の放出も進んだ。出番に恵まれなかった選手達にとって、自身に飛び込んだ他チームからのオファーに対し首を横に振る理由などなかった。強化部もその点に関して、選手達の意志を最大限尊重した。当事者が他チームでプレーした方が未来があると判断すれば、強化部にも飼殺しするような意図はない。

これが「風間体制第二期」だ。

【第三期】一年での昇格。新たに加わった者、去っていった者

無事一年での昇格を果たした名古屋だったが、J1で戦い抜くための補強は思いの外滞った。後に大森氏は「プレーオフの影響で出遅れたのは事実だった」と語っているが、獲得に動いた選手はことごとく名古屋にNOを突きつけた。逆にチームの大黒柱だった田口泰士が名古屋を去る決断をしたのは、なにより風間監督にとって大誤算だっただろう。大きな補強となったのは、ジョー、そしてランゲラック。最前線と最後尾に、「日本人以外の選手」で大金を投じて補強するのが、シーズン前の名古屋には精一杯だった(それが出来るから凄いのだが)。

それでもチームはJ1レベルにはなかった。大きな期待を集めた名古屋だったが、シーズンが始まると思うような戦いは出来なかった。補強の目玉だったジョーやランゲラックも苦労していた。片や欲しい場所、欲しいタイミングでボールが届いてなんぼのストライカー。片やチームの守備があってこそのゴールキーパーである。ジョーは彼自身のコンディションにも問題があったと感じるが、ランゲラックに関しては、はっきり言って不遇の日々だったと言わざるを得ない。チーム単位で見れば、結果的にJ1で十分に戦える戦力を要していなかったというのが事実だろう。風間監督の采配に起因する部分も相当に影響があるが、では戦力が充実していたかと言えばこれも疑問が残る。特にセンターバックの駒が揃わなかったのは痛恨の極みだった。また控え選手の層にも大きな問題があった。

これが「風間体制第三期」。

【第四期】出番を失っていた実力者達にターゲットを絞った補強戦略

この夏の補強戦略は明確だった。ゴールを奪える選手とゴールを守れる選手は既に存在する。ピッチに魔法をかけられる選手もいる。必要だったのは「名脇役」だ。固まらないジョーの相棒、田口泰士が抜けて埋まりきらなかった中盤の要、ランゲラックの前で鍵をかけられるセンターバック。強化部が秀逸だったのは、「獲得できる余地のある選手」に狙いを定めたことだ。所属チームで出番を失っている選手、レギュラー格とは言えない選手。ただし将来有望な若手や、代表クラスの選手に候補を絞り、そこに潤沢な資金を投じた。シーズン中、しかも最下位のチームというハンデを乗り越えるためには理に適った戦略だ。

f:id:migiright8:20180808224110j:plain

その結果獲得に成功したのが前田直樹、エドゥアルドネット、中谷進之介、丸山裕市、金井貢史である。いずれも今のチーム状況を鑑みれば「よく獲得出来た」クラスの選手達だ。また全ての選手が即レギュラーとなって活躍していることにも注目したい。意地悪な見方をすれば「既存選手の立場は?」となるかもしれない。ただ一方で見方を変えれば、それだけ強化部が風間監督の要望にピンポイントに応えているとも言える。風間監督の言葉を借りれば、この一年半の間で、強化部の目は間違いなく風間監督のそれと揃ってきている。

これを「風間体制第四期」としたい。まさに今のチームである。

さて、ざっとこれまでの一年半に起きたことを振り返ってきた。もう第四期なのかと笑われそうである。表現の善し悪しはともかく、このチームにとっての転換期が既に四回あったことは事実だ。同時に気づくことは、今年名古屋がやっていることは、昨年やってきたことの焼き回しであるということ。「昇格」そして「残留」と大きな違いこそあれど、昨年はJ2を勝ち抜くために、今年はJ1で生き残るために、それぞれの舞台や目標に対し、シーズンを戦いながらチーム自体を作り替えてきたことが理解出来る。

では結局のところ、名古屋がやってきたことは「爆買いポイ捨て」だったのか。これまでの流れを踏まえた上で、この二点に絞って考えてみたい。

①本当に「爆買い」なのか

この言葉をどう定義づけるかが問題ではあるものの、仮に「大金を投じること」だとすれば、その指摘は決して間違いではない。いくら計画性のある補強とはいえ、これだけの選手を次々に獲得出来るのは並のチームでは不可能だ。これまで書いた通り、結果的に毎シーズン、半年間ごとに生まれた課題を「補強」することでカバーしている。

ただしこの点に関していえば、使える予算が潤沢であることを恥じる必要はない。名古屋はそのクラスのクラブであり、堂々とやれば良い。イニエスタのために費やす大金に拍手が起こり、名古屋が費やす大金に文句をつけられる筋合いなどない。どこの国のビッグクラブも、必要な選手には資金を惜しまない。これはジョー獲得の際もそうであったが、名古屋だけ目くじらを立てられる理由などないのだ。

また爆買いを「チームの補強ポイントに関係なく、次々とホームランバッターを連れてくる」との意味で使うなら、名古屋は決して爆買いなどしていない。改めて語るまでもなく、この一年半、必要な補強しかしていないのは前述の通りである。

②名古屋から出た選手は「ポイ捨て」されたのか

この点に関しては、選手の入れ替えが激しいのは紛れもない事実だ。例えば既存の選手を短期間でレベルアップさせる、不可能であるなら「監督の力で勝たせる」。そういったことが出来ているわけではない。いや、するつもりがないのかもしれない。

おそらくだが、風間監督は選手を「選別」している。より具体的に言えば、彼の求めるレベル、理想を叶えられる選手達を、加入と放出を繰り返す中で絞り込んでいる。その基準は「チームで最も目が速い選手」だ。先頭集団で走れる選手達を育てることを目的とし、同時にチーム内での誤差を限りなくゼロにするために、その時々のチームのレベル(先頭集団の速度)に準じて必要な箇所に補強をする。そして強制的にチーム全体のレベルを上げる。この点はとにかくシビアだ。彼の志向するサッカーは、ピッチに立つ選手の一人でも見ている世界が違えば、そこから水は零れてしまう。本来であればチーム戦術がその誤差を埋める役目を果たしてくれるのだが、風間監督のチームに関してはその点「個」に依存する。いや、それを理想としている。攻守において、いかに見るべきものを早く見ることが出来るか。それを可能にするための唯一の手段となる「技術」。それを下のレベルに合わせるのではなく、あくまで上のレベルに合わせる。そしてチームのレベルを引き上げる。まさに「アップデートの繰り返し」だ。その点に関する妥協は絶対にない。それが仮に補強という手段になったとしても。

ただ矛盾するようだが、彼が補強を要求することはあっても、放出を促している印象は受けない。彼以上に選手に期待している人間はいないとも思う。それと同時に、彼は選手達を「一人の事業主」として非常にリスペクトしているように映る。名古屋での出番が限られた選手に他チームからオファーが届いた際、選手の意思を最優先に尊重するのはそのためだ。

一つの例が永井龍である。正直に言って、今年の前半戦の戦いを見る限り、永井龍はまだこのチームに必要ではなかったか。ただそれでも山雅への移籍を許可したのは、他でもない彼自身のサッカー人生を尊重したからだろう。逆に昨シーズン彼ほどのインパクトを残せなかった押谷祐樹内田健太はチームに残留し、今年の前半戦、いくつかの出番を与えられていた。練習でのプレー内容が良ければ、躊躇なく起用する風間八宏の哲学もまた、一切ブレることはなかった。ただ当然そこで結果を残せなければ後退するし、チームの成長速度も待ってはくれない。そのスピードに置いて行かれてしまえば挽回のチャンスが巡ってくることもない。他チームからオファーが届けば心は揺らぐし、その決断を風間監督が止めることもないだろう。

f:id:migiright8:20180809003838j:plain

選手の入れ替えが必要以上に多い点に関しては、冒頭に挙げたこのチームの結成当初の状況がそうさせている。あれだけ多くの選手が加入し、全ての選手が風間監督の理想にハマるはずもない。後から入ってきた選手が既存の選手より優先されるのも、前述した理由から考えれば決しておかしなことではない。チーム自体も特定の色(チーム戦術)に染まっていない為、新しく来た選手が馴染むのも比較的容易である。

また多くの放出した選手に関して、こんな意見もあるかもしれない。そもそも本当に彼らの力が劣っていたのか、と。他の監督であればもっと重宝された選手がいたのではないか。この点に関しては、確かに純粋にプレースタイルが合致しなかった選手もいる。

では逆にこの一年半の間に名古屋から出て行った選手で、J1のレギュラークラスとして現在も定期的に稼働している選手が果たして何人いるか。そう考えたとき、この一年半におけるその時々の名古屋の戦力が、客観的な視点で見てどのレベルにあったのか考察することも可能となる。決して同レベルの選手を常に取っ替え引っ替えしているわけではない。これだけの入れ替えが起きたのは必然といえば必然だった。これが私の感想である。

一年半見た風間八宏という監督

結局のところ風間八宏は優秀な監督なのだろうか。この一年半、グランパスを通して見てきた風間八宏には、本当に信じられないほどの賛否がついてまわった。

一つだけ言えるのは、プロクラブにおいて彼のやり方を可能とするのは、

  1. そもそも彼の条件を満たす選手が揃っている
  2. 彼の条件を満たせる選手を揃える財力
  3. 彼に全てを預ける覚悟と時間

このどれかの条件が揃ったときだけであろう。個に依存するとはそういうことだ。与えられた材料で調理する、監督の力でデザインするわけでもなく、個々の能力を最大限伸ばすことでチーム力を底上げするには、相応の時間を要するし、時間が与えられなければそれが出来る選手に「投資」するしかない。

その意味では、最近起きたアルビレックス新潟の事例は決して他人事ではなかった。

鈴木政一監督も、ある意味で風間監督に非常に似た思想を持つ人物だった。安易に選手に答えを与えず、考えることを要求する。選手に一定の裁量を与え、「自由=最低限の約束事だけ共有させ、各々がその場その場で判断をする」ことを前提とし、選手自身の底上げを図ることを重要視する監督だった。

その象徴ともいえる内容が先の記事内にある。磯村のこのコメントだ。

今年はボールを狙えないんですよ。思い切ってバン!と取りに行けない

これは名古屋の選手にも通ずる内容だ。細かなチーム戦術で選手を縛らないからこそ起きるジレンマ。一人出来れば良しではなく、それをピッチ上の選手たちそれぞれが理解出来ないとチームとして機能することはない。

結果はシーズン途中での解任である。潤沢な資金があるわけではない新潟にとって、名古屋と同じように選手に投資をすることは出来なかった。では時間をかけて既存戦力の底上げにクラブ含め注力出来たかといえば、実際は降格チームに課せられた「一年での昇格」という暗黙の了解が彼らに重くのしかかった。

 結局のところ、この手のタイプの監督にチームを預けるには、そのチームに「何が求められているか」が重要になる。既存選手の底上げを図り、チームのベースを上げつつ強化していくのであれば、間違いなく相応の時間を費やすこととなるだろう。何故なら彼等は共通して「選手自身に考えること」を求める監督だからだ。全てを型で教えるのではなく、多くを考えさせるということは、選手の吸収速度に必ず差がつく。

ただJ2で戦っていた時の名古屋や、前述した新潟には「一年での昇格」が当然期待されていた。風間監督のように、半年が経過した時点で足りない部分を「補強」する行為は、確かに金にモノを言わせた手法ではあるものの、最も即効性がある裏技にもなる。それで時間を一気に短縮できる。クラブがどんな目標を掲げ、その納期をどの時期に設定するかでフロントや強化部がやるべきことは大きく変わる。何故なら彼等が抱えている監督達は、己の信念を曲げてまでそこに歩み寄る人物ではないからだ。

逆にそういった投資が出来ないチームの場合、なにより時間が足枷となる。新潟の場合、「育成」と「結果」、この二頭を一年で追った結果、少なくとも鈴木体制においては一頭も得ることが出来なかった。投資という手段がない以上、フロントに出来ることは「我慢と覚悟」であったと思う。ただそれを彼らは許さなかった。その意味で、結果論にはなるものの、鈴木政一アルビレックス新潟の組合せの相性は決して良いものではなかった。少なくとも、J2でそれを志すには、あまりにリスキーな組合せだった。

これらの監督に最大限働いてもらうには、フロントが一枚岩となって現場を支えないと成功することは難しい。名古屋に関しては、フロントが「信頼と投資」で風間監督を支えている。それがあったからこそ成績は最下位でも、資金を投じることで彼の要望に応えることが出来た。昨年は昇格する為に、今年は残留する為に。

f:id:migiright8:20180810004804j:plain

よって風間体制の勝負となる年は「三年目」であると考える。そのために今年のミッションは絶対に残留することだ。フロントはやるべきことをやった。そしてJ1で戦えるだけの戦力を遂に整えた。風間監督に言い訳できる余地はもはや残されていない。ここからのシーズンは、彼の手腕のみが問われるものとなるだろう。

最後に。では風間監督のサッカーがどうかという話だが。

彼が志向するサッカーを体現出来る選手が揃えば面白い。それが私の率直な感想だ。攻めていても何が起きるか分からない。パターンが存在しないからこその期待がある。信じられない奪われ方もする。何度も逆襲を受ける。その意味でも次の展開が読めない。観ている側からすれば、まさにジェットコースターに乗っているような気分だ。

再現性は乏しく、「緻密」という言葉とは程遠い。それが許せないサッカーファンも勿論いるだろう。そんな人間に愛するチームを託したくないというサポーターもいて当然だ。

ただし目の前で繰り広げられるそんなジェットコースターのようなサッカーを受け入れ、楽しむのも大いにアリだ。割り切ってしまえば、これほどスリリングなチームもないし、何をすれば上手くいき、何を怠ると上手くいかないか。これほど手に取るように分かるチームも珍しい。

土曜に行われる鹿島戦に向けて、風間監督はこんな言葉を口にしている。

専門家が見て面白いサッカーというのはないので。誰が見ても面白いものは面白いし、点がたくさん入れば面白いと思います。ゴール前のシーンをたくさん作れば面白いと思うので。我々のスタイルをいつもどおりにやれればと思います

この言葉に風間八宏の全てが凝縮している。これ以上でもこれ以下でもない。

彼のサッカーが何よりも正しいもので、誰よりも強いものだとは思わない。

ただ同時に正しいサッカーが、強いサッカーが、必ずしも魅力的とは限らない。サポーターを熱狂させるサッカーは、決してそれだけではないのだ。だからサッカーは面白い。

私に関しては、クラブが自ら決めた道にしっかり進んでくれていれば、今目の前にあるものを愛し、理解することから始めた方が、毎日が楽しく、そして幸せだ。

 

※このブログで使用している画像は、名古屋グランパス公式サイトから引用したものです

驚きと、喜びと。「ワシが帰ってきた!」

札幌戦は延期でも、名古屋の週末はこれで終わらなかった。

本当に帰ってきたよワシ。

新加入選手のリリースより盛り上がる名古屋界隈。

ネットの加入により、シーズン途中で急遽グランパスから去ることとなったワシ。サポーターは彼に「ありがとう」と伝えることも、「ワ・シン・トン!」とお得意のコールをすることも出来ぬまま突然の別れは訪れた。仕方ない。中断期間中である。とはいえ昇格の功労者であり、サポーターのアイドルだった男との別れ方としては、それはやはり寂しさの残るものだった。

昇格を狙う助っ人してはあまりに無名だった男

ワシントン。彼が名古屋にきたとき、ここまで愛される選手になると誰が予想出来ただろうか。彼に期待していたサポーターがどれだけいただろうか。失礼な表現だと百も承知であえて書くが、正直同時期に加入したフェリペの「バーター的存在」だと思っていたサポーターもいたでしょう。いや、サポーターは悪くない。ブラジルから彼らを連れてきた張本人である大森先生が悪い。シーズン前、大森先生は彼等を獲得した理由をこう説明した。

フェリペについて。「いつ中国に引き抜かれるか心配」。

もう一人のブラジル人シャルレスについて。「彼の加入は本当に大きい」。

そしてワシントン。「中盤でプレーが可能です」

どうですかこのバーター感(何度も申し訳ない)。このキャッチーさのかけらもない選手紹介。明らかにフェリペに本腰入れてた感満載の謳い文句。

これに拍車をかけたのがユーチューブ動画。

あれは選手の売り込み用においしい場面だけ抽出し、現実を理想に変換する秘密兵器ではないのでしょうか。嘘でもいいからもっと特徴が分かる動画が欲しい。それくらい淡々と中盤でプレーするワシントンの姿がそこにはあった。分かりやすい特徴は皆無だったと言ってもいい。

私達にとって初めてのJ2がスタートし、迎えた第2節、豊田スタジアムでのFC岐阜戦が彼の日本デビューだった。風間八宏の洗礼とも言える前半早々での交代劇により、ベンチに退いたのは小林裕紀。そして遂にピッチに登場し、その姿を現したワシントン。

その後のファーストプレーは衝撃的だった。

中盤のミスが許されないエリアで攻める方向とは正反対、明後日の方向へキックミスをしたワシントン。「ぇぇぇええええ!!!」なんだそのミスはワシントン。呆気にとられるサポーターの気持ちなど何処吹く風。やっちまったと首を傾げ、明後日の方向に飛んでいくボールを必死で追いかける彼の足がまた遅いんだ。「なあぁぁぁぁぁ!!!」これはやっちまったと俯き加減になる私。

大森先生いや大森さんよ。フェリペ獲得のために掴まされたな俺の目は節穴じゃないぞ(三度失礼)。試合後、重い足取りで豊田スタジアムから駅に向かったあの日のことは忘れない。

そう、おそらくだが、ワシと風間八宏の相性は決して良いものではなかった。なにより足もとの技術と広い視野、正確なパスに広い守備範囲が求められる風間八宏のサッカーと、ワシが持つ圧倒的なフィジカル能力は悲しいほどに正反対。いつまでも交わることはないだろう、あのときはそう思えた。

ワシにしかなかった才能

ただワシはこれで終わらなかった。彼には誰にも負けない類まれな才能がいくつもあった。

それは到底ブラジル人とは思えないほどの謙虚さと、並み居るブラジル人を凌ぐほどの明るさ、そして日本人よりも日本人らしい思いやりの心だった。

f:id:migiright8:20180728104103j:plain

まず彼のファンサービス。あれほどサポーターに距離を感じさせない選手はいただろうか。屈託のない笑顔と底抜けの明るさとはワシのための言葉である。彼と触れ合えば、ひとたびサポーターは彼の虜になった。例えば遠くから大声で声をかけたり、他の選手だったら少々恥ずかしい気持ちにもなりそうな握手をする行為も、彼となら何の躊躇いもなくその手を差しだすことができた。何より彼と接すれば、そこには笑顔と笑い声が常に絶えなかった。太陽のような男だった。

そして彼は誰よりも謙虚に振る舞った。

気づけば風間監督から、そして仲間達から、彼の練習に対する姿勢に感嘆する声が聞こえるようになった。ワシを見ていると自分ももっと上手くなれるんじゃないか。彼の姿に、名古屋のレジェンドである玉田圭司は素直に賞賛の言葉を口にした。

気づけば彼は中盤だけではなく、ときにセンターバックもこなすオールラウンドなプレーヤーとして、このチームでの地位を確立していく。皮肉なことに彼より期待されてこのチームに加入したシャルレスは、風間八宏のサッカーに馴染めず、この年の夏頃には名古屋を去っている。今思えば、チームに想定外のことが起こった際、常にこのチームを支えたのはワシだった。

f:id:migiright8:20180728104136j:plain

また時を同じくして、その後名古屋のエースとなるシャビエルが加入する。

どちらかというと内向的で、日本人のような繊細なイメージを抱かせる彼を救ったのもまたワシである。ブラジル人トリオの兄貴分として、シャビエルがこのチーム、そして日本という国に馴染めるよう常に寄り添ったのは他でもないワシである。このときはまだ知る由もないが、その翌年、ブラジル国内におけるスーパースターであるジョーが名古屋に加入することとなる。そんなジョーを歓迎し、チームとの仲介役となったのもワシ。そしてワシの存在に助けられ、感謝していたシャビエルも今度はジョーを最大限サポートしようとそれに続いた。これは私の勝手な想いだが、ジョーが加入したタイミングでシャビエルしかこのチームにいなければ、ジョーがここまでスムーズに馴染むことはなかっただろう。ワシの存在感は絶大だった。

migiright8.hatenablog.com

ワシがいなければ名古屋の昇格はなかった

2017シーズンも終盤に差し掛かり、一年での昇格を目標としていた名古屋は、かろうじて3位に滑り込むことに成功する。自動昇格こそ逃したものの、もう一つの昇格枠を4チームによるプレーオフで争うこととなった。

初戦のジェフユナイテッド千葉には、チームの絶対的エースであるラリベイ。第二戦目となったアビスパ福岡には、J2屈指のエアバトラーであるウェリントン。名古屋の前に立ちはだかるのは、どちらも屈強で、高さにも絶対的な自信を誇る二人のストライカーだった。

そしてここでも獅子奮迅の活躍で名古屋のゴール前に君臨したのがワシである。

f:id:migiright8:20180728105606j:plain

 中盤でプレーが出来るとの触れ込みで名古屋にやってきた男は、昇格がかかるこの大一番の二試合において、センターバックの一角として相手の攻撃を跳ね返し続けた。

特に目覚ましい活躍だったのが第二戦、決勝戦となるアビスパ福岡戦だ。

戦前の予想で懸念されたのは、ウェリントンに放り込まれるであろうロングボールへの対応だった。このシーズン、名古屋にはいわゆる純正のセンターバックがほとんどいなかった。いや、厳密に言えば「放出してしまった」。彼に次々と放り込まれるロングボールに対抗できる手段が名古屋にあるだろうか。

風間八宏が指名したのはワシだった。

決して砕かれることのない岩のような恵まれた体格を持つワシは、90分間ウェリントンと対等に渡り合った。ボールを持てば中盤の選手のように落ち着いてボールを捌き、相手がボールを持てば名古屋の防波堤の如く身体を投げ出し続けた。

初めて豊田スタジアムで見たワシの姿はそこにはなく、風間八宏のサッカーに適応し、もはやチームに欠かすことが出来ないワシの姿がそこにはあった。プレーオフの殊勲者は間違いなくワシだった。

彼がいなければ、名古屋のJ1昇格は絶対になかった。

日本に帰ってきたワシに心からのエールを

冒頭の話に戻る。気づけばたった一年で名古屋のアイドルとなったワシとの別れは突然だった。ただ今やジョーとシャビエルは名古屋の二枚看板であり、田口泰士が移籍し、一向に軸が定まらない中盤の強化としてネットが加入。層の薄いセンターバックに「左利き」という希少価値を持ったホッシャがいることを考えれば、ワシが外れるのはやむを得ない選択であったことは確かだ。

「日本でプレーしたい」

ワシの言葉、その想いが痛いほど伝わり、彼と食事を共にするシャビエルやジョーとの写真がなんだか寂しげに見えた。

f:id:migiright8:20180728184319j:plain

ただワシは帰ってきた。J2の舞台、今度はレノファ山口だ。

決して器用な選手ではない。小回りが利いて、快足を飛ばすような選手でもない。時々とんでもないミスをするし、顔を覆いたくなるような場面もあるだろう。

それでも彼ほどチームを大切に出来る、チームを前向きにさせる力を持った選手はいない。ときには中盤で気の利いたプレーを、ときには最終ラインで絶対に当たり負けすることのないボディコンタクトをもってチームを助けるに違いない。

なにより「あの」風間八宏が使い続けた男である。それはJ1の舞台でも変わることはなかった。風間八宏にとって、ワシは「頼りになる男」だった。

きっと山口のサポーターにも愛されるだろう。そして名古屋のサポーターは彼に会うために遠く山口まで遠征する。これだけ愛された選手がこれからも日本でプレーする姿が見られる。それだけで名古屋サポーターは幸せなのである。

在籍期間は約一年半と短いものだった。ただ彼の名古屋での姿、残した功績を忘れる者はいないだろう。全くの無名な助っ人として名古屋の地に降り立った男は、一からの再起を図ったこのチームにおいて、その象徴のような選手となるまでに成長した。彼が歩んだ道のりは、名古屋が歩んだ道のりそのものだった。そして山口でまた新たな道を歩んでいく。

夫が映る電光掲示板をいつも嬉しそうに撮影していた奥様も、なんだかいつも気怠そうにイヤホンを耳に当て、眠そうに母親の肩にもたれかかっていたワシにそっくりな息子君も、また日本での生活を楽しんで欲しい。

本当に良かった。その一言に尽きる。本当に良かった。

このニュースを知り、誰よりも喜んだのは他でもない、貴方が大切に、大切に想い続けたグランパスサポーターだったんだよ。

そして名古屋にいたとき以上に山口のサポーターに愛され、J1初昇格の原動力となることを、名古屋から多くのサポーターが願っています。

 

※このブログで使用している画像は名古屋グランパス公式サイトから引用しております

「四銃士」だった切り札。革命と決別した二人

セットプレー三発で沈む失態に頭を抱えた夜。「俺たち私たちのワールドカップは7月22日の広島戦からだ!」そんな意味不明な現実逃避でこの試合をなかったことにしてやろうと脳内変換していた約12時間後。

終わったと思われていた戦力補強に動きがあった。

俺たち私たちのワールドカップ戦士、まだいた。

 

おぉ...ウエルカムナオキ。

唐突に発表されたこの補強。昨日の敗戦を見越していたんじゃないかと勘繰りたくなるようなAM9時のリリース。あぁこれはワールドカップじゃない、Jリーグだ。最下位の現実を約2ヶ月ぶりに実感していた名古屋サポーターにとってはこれ以上ない朗報である。

それにしてもまたレフティー、そしてドリブラー。マンデーセレクションならぬやっひーコレクションは止まらない。

 

改めて「前田直輝」とは何者だ

前田直輝といえば個人的には横浜Fマリノス時代の印象がどうしても強いのだが、実際にはどんな選手なんだろうか。情報だ、そう情報をください。

 

そして限られた人脈によって集められた数少ない貴重な情報がこちら。

なんと有益な情報だろうか。感謝しかない。いただいた情報を一言でまとめましょう。

 

変態ドリブラーです。

前田のドリブルフェイント

 

ということで八宏フォーマットの確認。

見事に変態ドリブラー枠①or②に該当する選手である。

 

ドリブラーと一括りで語ってはいけない

そもそもドリブラーといえばやっひーコレクションは候補生揃いである。ここはやや強引に下記の通り分類してみることとする。

<(愛をもってこう呼ぶ)変態系いゃ変化系>

<ゴリゴリ系>

  • 和泉竜司
  • 秋山陽介
  • 相馬勇紀(予備軍)

風間体制下における特徴として、変化系は主に前目、ゴリゴリ系は主に後方で使われるケースが多い。役割の違いとして、変化系はスモールフィールドにおける突破口となる切り札。ゴリゴリ系は相手を剥がし、後方からボールを縦に運ぶ重責を担っている。

前田に関しては変化系であるからして、スモールフィールドでの突破口になることが求められる。要は相手ディフェンダーが密集したゾーン、スペースが限られたエリアをその変態的なドリブルテクニックを駆使し打開することがタスクとなる。縦だけではなく、横や斜めにもスルスルと抜いていけるテクニック。

このタスクが求められる理由として、当然ながら風間八宏の影響が何より大きい。後方からはロングボールを多用せず丁寧に繋ぐことを基調としているからこそ、前にボールを運んでいけるゴリゴリ系の能力が貴重となる。一方相手陣地ではピッチを広く使うことはせず、「相手の組織」ではなく「相手(個)そのもの」を攻略することを重要視している。どれだけ狭いエリアでも、技術とコンビネーションを駆使すればゴールまで最短距離で辿り着くことが出来る。そんな発想の持ち主故、必然的に選手は密集するし、当然ながらそれを死守しようと相手も密集する。ある種そのカオスとなったエリアを攻略するためには、変化系ドリブラーが持つ特異性は大変貴重なものとなる。

しかも前田は「左利き」だ。既存のメンバー、例えばシャビエルや玉田に関していえば、彼らは決してドリブラーではない。シャビエルは「スモールフィールドに魔法をかける魔術師」。玉田は持ち前のテクニックを駆使し、チームにリズムを生み出すことを可能とする。

その意味で同じ左利きでも前田の特徴は大きく異なる。例えば左利きの選手をあえて右サイドに置き、視野を確保させた状態で単独で中にカットイン出来るようなタイプはこれまで名古屋には不在だった。よって攻撃のオプションという意味では唯一無二の武器になりえるし、それが分かっていたからこそシーズン前から獲得に向けて強化部は働きかけていたのだろう。

【公式ゴール動画】前田 直輝(横浜FM) 90分+2分 横浜F・マリノス vs 浦和レッズ 明治安田生命J1リーグ 第1節 2017/2/25

【公式】ゴール動画:前田 直輝(横浜FM)53分 浦和レッズvs横浜F・マリノス 明治安田生命J1リーグ 第34節 2017/12/2

 

試合から消えないために求められる「戦術理解力」

課題があるとすれば「戦術理解力」になるのだろうか。ただこれは往々にして変化系の宿命である。

「最も相手を剥がせる可能性が高い選択肢がドリブルなので」

これは以前青木がコメントした内容である(うろ覚えだが)。いや何言ってるんだ青木宇宙人かと当時目を疑ったものだが、これに負けない男がいたんだ。

そう、榎本大輝。

f:id:migiright8:20180720015348j:plain

「とりあえず球をくれ。ドリブルだけさせろ(意訳)」

ここまでくるともはやボール中毒者ではなく、ただのドリブル中毒者である(褒めています)。詳しくは今月発売のグラン掲載「革命ウォッチャー(特別篇)」をお読みいただきたいところだが、何にせよ彼らはボールを持つことで違いを生み出し、ここまで上り詰めてきた男達。おそらくただそれだけを人一倍努力し、突き詰めてきた。逆に言えばボールを持てないとたちまち彼らは存在意義を失ってしまう。この点に関してはトップレベルになればなるほど鮮明になる部分でもある。彼らにとっては「試合から消えない」ことこそが最大の課題であり、その点が風間八宏のもとでどれだけ磨かれるかが今後のカギを握るのではないかと予想する。

とにもかくにも面白い素材が名古屋に加入したことは事実である。 

背番号はヴェルディアカデミーの先輩である杉本竜士がつけていた「25」だ。

 

来る者もいれば、去る者もいる

さて、この日あったリリースは、ご存知の通り嬉しいものだけではなかった。

彼らのことも語りだすと長くなってしまう為、一つだけ触れて終わりにしたい。

彼らのコメントを読んでいて共通していたポイントが、ルヴァン杯のガンバ戦に大きな手応えを得ていたという事実である。自分達の特徴を活かし、それが結果に結びついた。攻守に全員が連動出来た、だからこそそれをリーグに繋げたかったと。彼らの後悔には、チームの中でその役割を十分に担えなかった不甲斐なさも当然あるだろう。ただ同時に今回の移籍を決定づけた一番の要因として、自分達が感じていたその手応えのようなものを、リーグ戦で戦うチームの中で活かす場がなかったのもまた事実だったのではないだろうか。

これは根本的な話である。自分達がどこに軸足を置きサッカーを始めるのか。相手陣地を制圧するために、まず何を武器とするのか。

「前」から「走る」ことを選ぶのなら、前線には機動力が求められ、後方のビルドアップ力に関しては負担が減る。

「後」から「繋ぐ」ことを選ぶのなら、前線にそこまでの機動力は必要なく、後方のビルドアップ力が重要となる。

その方向性が影響し彼らの個性はこのチームに上手くハマらなかった。実際はそれだけのことである。決して彼らの能力が劣っていたという話ではない。押谷も畑尾も噛み合った前者のサッカーに自信を深めていた。そしてチームは前半戦の戦いにおいて後者のサッカーを選択し苦労していた。繋げないことで、結果的に攻守ともに彼らのサッカーは破綻していた。ただそれでも風間監督はどちらの戦い方を求めたか。その点を2人はよく理解し、その結果として今回の決断に至ったのではないだろうか。

そこだけは風間八宏は頑なだった。2勝3分11敗、勝点9の最下位。これが選んだ道の現実である。どれだけ負け続けようと、例え降格の危機がそこにあろうと、この点だけは一切ブレることがない。彼にとって「攻守が連動する」とは、ボールを持ってこそ生まれる循環であるべきなのだ。だからこそ彼らはチームを離れることを決意し、逆にそんなチームの戦い方に魅力を感じた前田は名古屋に来たのである。

 この日起きた三つの移籍劇は、風間八宏がチームを率いることの意味、本質を鮮明に映し出していた。あまりに極端で、食わず嫌いなその側面を残して。

さて、そろそろ終わりとしたい。この点をもっと深く追及したい方は、是非下記のブログを読んで欲しい。

驚いたでしょう。そう、最後の最後で宣伝だ。

migiright8.hatenablog.com

 

※このブログで使用している画像は名古屋グランパス公式サイトから引用したものです

 

新加入選手達をチェックすべくトヨスポに潜入した

f:id:migiright8:20180717153500j:plain

その日、私は時間を持て余す可能性のあった午前中をどう過ごすか頭を悩ませていた。

ここ最近のワールドカップフィーバーですっかりグランパススイッチを切っていた私は、灼熱の地とは理解していたものの、やはりグラサポとして練習場に行き、中断期間中に加入してくれた選手達をチェックすべきなのではないかとの結論を得た。

ご存知の通りここ最近の名古屋は連日35度を越すような猛暑が続いており、屋根のない客席で1時間以上座り続けるなど正気の沙汰ではない。ただそれでも足を運んでしまうのはやはり一にも二にもグランパス愛。

駐車場が埋まることを懸念し、9時半過ぎにはトヨタスポーツセンター(通常トヨスポ)に到着。「おぉ...」予想通り空いている。その日は午前練のみ、しかしこの暑さはトヨスポ行きを断念するには十分すぎる説得力である。

到着早々違和感を覚える。練習道具がグラウンドに出ていない。あるのはひたすらに放水を続けるグラウンドキーパーの皆々様の姿のみ。

そろそろ開始時刻の10時が迫っており、これは恒例の「30分御姿見れません」の日ではないかとの懸念を抱き始める。

「30分御姿見れません」これはトヨスポ常連の方々には恒例の行事である。開始時間を過ぎても30分程度選手が全く出てこない日。往々にして試合翌日や中1日あけた週最初の練習日に起きるこの現象は、おそらくミーティングなどを実施していることが影響している。確かに練習開始時間を10時と謳っても、それは「サポーターの皆さんの前に現れるのがその時間ですよ」とは意味しない。あくまで選手達にとっての練習開始時間である。

これは大変な持久戦が始まったと思った。

うだる様な暑さである。隣に座っている男性に至っては自宅の縁側の如く無駄に露出した姿でぐったりしている。

かく言う私も全身の汗が止まらない。日焼けだけは避けたい為当然長袖長ズボン(表現古い)着用だ。日焼け止めは死ぬほど塗ってきたものの、吹き出る汗の量は凄まじく、日焼け止めの効果すら全て流し切っている気がする。

あぁ!傘を忘れた。ペットボトルも忘れた。帽子もない。良席を確保したサポーター達は全長何メートルあるか分からない気持ちばかりの屋根ゾーンにたむろしている。

この日は本当に地獄の様なスケジュールで30分を過ぎても選手は出てこなかった。

目の前で起きていることが少々信じられなくなってきた矢先、遂に選手の姿を発見する。

「(お!!!寿人だ)」 ※心の声

もっと見える場所に出てきてくれよと叫びたくなるくらいには隅の方、客席からでは前のめりな姿勢を保たなければ視認出来ないレベルの場所に寿人の姿を確認した。いやはや、何はともあれ選手の姿が見えるだけでこの安心感はなんだ。心なしか客席全体もホッと一息ついている様な気がする。

その後続々と選手達がピッチに登場する。長かった。でもこの瞬間全てが報われた気がするのもグランパス愛あってこそ。見せて欲しい、この1ヶ月の成果を私に見せて下さい。

すると信じられない光景を私達は目にすることとなる。

ボールが違う。あれは私達の知っているサッカーボールではない。なんだあのなんとも重そうな巨大な丸い物体は。

「…体幹…トレーニングをするのか…?」

そう、灼熱のトヨスポで約1時間程度待ち続けた私達へのご褒美は体幹トレーニング(いや筋トレかもしれないがどちらでもよい)。アイツらミーティングなんてしていなかった。室内でずっと身体をいじめてたんだと確信した。私達の目線の先でボールを蹴っているはずだった選手達は今、私達の目線の遥か先で上空に体幹ボール(今名付けた)を投げ飛ばしている。おいおいお前達の十八番である止める蹴るはどこにいった。受けて投げる知らん。それにしてもさすがミッチ。上にもよく飛ばす。

これは何て日に来てしまったのだろう。いつになったらあのボールはサッカーボールに変わるのか。彼らはいつになったら私達の前まで来てくれるのか。隣の男性は長時間座り続けたのが堪えたのか、よりにもよってこのタイミングで立ち上がり、クラブハウス側の選手達を観察し始めた。待って欲しい、私は貴方のお尻を眺めに来たのではない。座って欲しい、一刻も早く、座っていただきたい。

そうこうしているうちに遂に選手達が客席側に向かって走り始めた。

「(キタ!!!!!!!!!)」 ※心の声

そのとき客席に座っていたある男性からこんな言葉が漏れ聞こえた。

「…あれ?スパイク履いてなくね?」

よくそこに目がいったなと感心した。心の声でエアトーク。「(...履いていませんね)」。

その瞬間全てを悟った私は、締めのランニングを開始した選手達を横目に「1周で終わろう、そして一刻も早くファンサービスを開始しよう」と願い続けた。ただ悲しいかな選手達はそんな願いなど知る由もなく、贅沢にも5周もグラウンドを走り続けた。

あれが丸山か。先頭集団の優等生ゾーンで走る彼の横には八反田、そして小林裕紀が加わる。娘が家に連れて来ても安心して預けられそうな良いオーラが漂っている。

中盤で走るグループに目を向けるといたぞ中谷。彼はグランパスアカデミー育ちなんだろうか。最近加入したとは思えないくらいのガキ大将感全開である。初めての移籍で心配する必要など彼には一切不要だった。むしろきっとうるさい。来てくれてありがとう。

そして最後尾にはブラジル人トリオ。あれがネットか。ジョーとほぼ同じ背丈のネットは遠目から見るとつぶらな瞳が印象的で、やる気がないときは競り合いなんてしない、そんな情報が嘘だと信じたいほどに温厚そうである。川崎の奴ら嘘ついているんじゃないだろうか(と信じたい)。

練習が終わり遂にファンサービスの時間。

トヨスポに来たのは久しぶりだったのでネットとか絡んでみたい。そう決意しファンサゾーンで待ち構えるものの、こんな日に限って選手達が一斉に向かってくる。自主練がないときのお決まりパターンである。選手の一斉投入。

あんなに長時間ピッチに現れなかった選手達は信じられない速度で私達の前を駆け抜けていく。あぁ!ネット。ネットが行ってしまったぞ!

持ち場を離れネットを追いかける。ネット!ネット!呼び止める私は選手をネットで捕まえたいわけではなく、ネットを捕まえたいのです。

なんとかネットだけは無事捕獲し写真撮影をした私の身体は、トレーニングを終えた選手達以上に汗まみれだった。体幹トレーニングをして涼しげにクラブハウスに戻る選手達と、選手達がボールを蹴る姿を見ることなく1時間以上灼熱のトヨスポに居続ける体感をした私達。

とある日の練習後、長時間のファンサを終えた佐藤寿人はこう言ったそうだ。「これは屋根を付けた方がいい。選手10人で100万ずつ出せばできるんじゃない?今後のためならオレは出すよ」

あの日トヨスポに参戦したおそらく全員のグランパスサポーターが深く頷いたことでしょう。

 f:id:migiright8:20180717195619j:plain

 (追伸)あえて最後にファンサゾーンに現れ、1人ずつ丁寧に対応していた青木選手。いつまでもそのままの貴方でいてください。

 

※このブログで使用している画像は名古屋グランパス公式サイトから引用したものです