みぎブログ

主観で語りますフットボールを。

夢、現実、混乱の果てに

試合終了のホイッスルが鳴り、隣にいた友人は呟いた。

『さあ毎朝ソワソワする日常が明日から始まるぞ』

悲喜交々な最終節も終わった今、皆さんどうお過ごしか。私はといえば、徳島ヴォルティス降格の現実を未だ嘆く日々。チームを語る際によく言われる『積み上げ』は、もちろん選手個人にも存在するわけで、降格したら一家離散みたいな展開は本当に悔しくそして悲しい。

さて、名古屋グランパスである。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

主力を死ぬほど酷使し全コンペティション生き残っていたかと思えば、気づけば全滅もあり得る展開には言葉を失いかけたが、どうにかこうにかクラブ史上初のルヴァン杯をゲット。降格後の5年間を振り返れば、道は険しくもよくぞここまで辿り着いたと感慨もひとしおだ。

とはいえ、今季最もインパクトがあった出来事がそれかといえば、今となっては最終節前に堕とされたこのニュースこそが最大級の破壊力だったことは否めない。

nagoya-grampus.jp

降格後の5年間を彼抜きで語れるはずもない。

オフになれば『さて大森先生のお眼鏡に適ったのは何処の誰だ』と興味津々。かと思えば俺たち私たちの玉様と喧嘩別れ。『風間さんは最高や!』と言ってたはずが『アイツが全ての元凶や!』と切り捨てる。『いや待てジョーだってそう言ってた!』、そうかそうか、で今ジョーとはどうなった....?善人なのか悪人なのか。彼のことを好きになり嫌いになり、一種の中毒の如く、我々は彼の一挙手一投足を追いかけた。そんな存在だった。

f:id:migiright8:20211209153930j:plain

しかし別れは突然で、彼はひっそりと姿を消した。

そう、予兆はあったのだ。クラブ内部に異変が起きている、そう受け取るには十分なシグナルが既にあった。

迎えた12月4日の最終節は試合前から騒々しかった。

契約に関して書類上の問題などを考えていくと、来年も続けるというすごく強い気持ちで自分がいるのは当然です。契約があるからただいるということではなくて、去年も今年も、2019年に残留を確定したあとも、ずっと同じような感覚で、小西社長をはじめ、クラブ側とそういった感覚で話している内容は、とにかくプロジェクトがどうあるのか。クラブはこうしたい、それに合わせて、だからあなたを監督として呼んでいて、こういうことをやってもらいたいと。そういうプロジェクトの部分がズレてきたり、チームと一体になっていないと監督という仕事はできないので、その部分に関して同じ温度を持てているかということがより大事です。「来年も残るんですか?」という質問に対しては、「残るはずです」くらいの感覚で答えなければいけないのはあるかもしれません

明らかにフロントを牽制するマッシモ。マスコミを利用した場外乱闘は本場イタリア仕込みの得意技である。

対するフロントのトップである小西社長。シーズン終了後のスピーチでは、もはや毎度お馴染みとなった来季の監督発表があるのだろうと誰もが耳を傾けた。

今年のリーグの順位が5位で確定いたしました。でも本当に選手たち、マッシモ監督が率いるこのチームは、手前味噌ですがよくやってくれたと思っています。どうか拍手をお願いします。

拍子抜けするほど歯切れの悪いスピーチに、多くの者が首を傾げた。普段の饒舌さが仇となり、これは何かあるぞと思わせるには十分な『らしくなさ』だったからだ。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

そのスピーチを引き継いだマッシモは牽制を続けた。

昨日の会見で少し触れましたが、私は来季もやるものだと思っている。そういう気持ちでいます。それが口約束だけではなくて、どういった仕事をしなければいけないかを理解した上で、本気で、全力で取り組むつもりでいます。そういったものが口約束ではなく、現実的にここから数日の間にすべてのことがはっきりして、サッカーをすることに集中できることを望んでいます

親会社の超大物である豊田章男の名をだし、彼のお墨付きも得ていると主張した彼は、同時に何度も『口約束』という言葉を発した。クラブはそう言ったのだと、マスコミを使い、スタジアムでも発することでこの事実を公に晒し、この『口約束』を絶対に破ってはならない『約束』に昇華すべく強化を図ったのだ。

しかし、やはりというべきか、両者は決裂した。

www.sponichi.co.jp

hochi.news

クラブ経営陣がルヴァン杯優勝後に約束した23年までの契約延長オファーをここに来て白紙撤回。両者の関係に亀裂が入った(スポニチ

契約期間の延長や強化方針、年俸など条件面で交渉が決裂した(スポーツ報知)

クラブがマッシモに不義理をした。いやマッシモががめつく高額な年俸を要求した。理由を挙げだせばキリがない。何故、両者は決裂した。真実は不明だ。誰がどんな意図で情報をリークしているかで悪者は自ずと決まる。

但し、一点だけ引っかかった部分がある。

なぜクラブサイドは『複数年契約』を嫌ったのか。

この点に関して、大森征之の退任と、現GMである山口素弘の存在を無視して解釈することは出来ないだろう。

風間八宏の解任以降、クラブは目先の結果を追い続けた。マッシモの緊急登板に始まり、高額年俸選手の獲得に偏った起用法。『若手』の抜擢には消極的で、頭角を表した成瀬竣平ですらシーズン終盤は出番を失った。気づけばユース組以外の新卒加入もないのが当然、『新陳代謝をするなら金』になっていたことは否めない。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

一方の山口素弘、彼の主戦場は『アカデミー』だ。

2018年から3年間アカデミーダイレクターを務め(2020年は執行役員フットボール統括との兼務)、その期間中、U-18は二冠を達成。彼らが大学に進学後も、ことあるごとに『ウォッチし続ける』と明言してきたことはグランパスを追う者なら周知の事実だ。アカデミーに目を移せば、風間なき後も主体的なフットボールは今なお健在。言葉を選んで『トップとは若干スタイルが違いますものね』と私が問えば、ユースウォッチャーのある方には『いや、若干ではなく全く違います』と遠慮なく返されるくらいには大きな溝がある。そこで育った選手たちを放流した後にクラブへ戻す。その受け皿としてトップチームが機能していたかは、ユース卒でストレート昇格を果たした選手たちの今を見れば一目瞭然だ。

つまりだ。本来クラブが目指したい未来と、今目の前で起きている現実は、おそらく大きく乖離していた。

何故それが起きてしまったのかはもやは闇の中だ。

しかし、そのターニングポイントが2019年夏の風間八宏解任劇にあったであろうこともまた想像に難くない。

ここで重要なインタビューを一つ取り上げる。

www.footballista.jp

この中谷進之介の記事は、ルヴァン杯決勝前にインタビューされたものだと記事には記されている。

有料記事なので内容には言及出来ないが、これほどまでに風間〜マッシモ期の5年間を赤裸々に語った内容は初めてだった。今となってはこのインタビューも重要な5年間の『証言』であり、名古屋を応援する者は必読だ。

さて、大森征之とマッシモが残したものは一体何か。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

それはこの世界で生き残るための『結果』への執念ではないか。残留、ACL出場権獲得、そしてクラブ初のタイトル。毎年目に見える『結果』を残してきた点でマッシモと大森征之は間違いなく『功労者』だ。しかし、それを捨ててでもクラブは大きく舵を切った。タイトルを獲ったオフに、契約交渉が拗れて縁を切る前代未聞の結末を迎えたわけだ。本人が続けたいと口にして尚。

金遣いが荒く、若手も使わず、不必要な選手は干す。

これから我々が進む道は、金を使わず、若手を使い、選手を(可能な限り)平等に扱う世界だ。一方で、『ロマンだけでは立ち行かない』悲しい事実こそ我々がこの5年間で学んだ現実でもある。だからこそ、このリーグでの実績とある程度の結果が担保でき、また今回のお家騒動でも緊急登板できる人材として長谷川健太に白羽の矢が立った文脈は、少なくともこの5年で起きた不可解な人事の数々に比べればおよそ理解できる範疇である。

但し、この結末が正しかったは誰にも分からない。

『ロマン』か『現実』か。『未来』か『現在(いま)』か。『強いチーム』か『勝てるチーム』か。

皮肉にも、現在のベストセラー本である『嫌われた監督 著:鈴木忠平』は、中日ドラゴンズ元監督の落合博満を題材とした、まさにこのテーマを存分に盛り込んだ内容となっているから面白い。我々が歩む道は、更なる常勝への道だろうか、或いは混迷への序章なのか。

勝負事は勝たなくちゃだめだということなんだ。強いチームじゃなく、勝てるチームをつくるよ

勝てば客は来る。たとえグッズか何かをくれたって、毎日負けている球団を観に行くか?俺なら負ける試合は観に行かない

あの日、落合博満が語っていた台詞の数々を聞けば、名古屋グランパスを去った大森征之とマッシモフィッカデンティはきっとその通りだと声を揃えるだろう。一方で『何故、勝つことが大事なのか』、この意味を問われたとき、彼らは果たして何と答えるだろうか。自分のため?それとも、選手たちのため?何故ルヴァン杯を制したクラブに亀裂が入ったのか。クラブ内部の問題なのか、ピッチ上にも問題があったのか。それが分かるには、きっとまだ時間が必要なのだろう。

とはいえ、彼らはこのクラブに大きな『宿題』を残して去っていった。『お前たちは果たして勝てるチームを作れるのか』と。我々のクラブは、それを携え自ら新たな道を歩むことを決めたのだ。たとえ醜態を晒してでも。

その決断に、『未来』はあるか。

皆で掴み取った『新たな歴史』

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

何故いつも彼のもとにボールが転がっていくのだろう。

まだ勝ち得ていなかったルヴァン杯のタイトルを決定づけたのは、やはり稲垣祥の右足〝一閃〟。

〝たまたま〟いい所にいる?いや誤解してはいけない。

彼は、自身が最も得意とするシチュエーションと、その局面になれば必ず『空き』、そして『点が獲れるスポット』を理解した上で、そこに誰よりも全力で走り込む。

それにしても毎度ここぞの場面で稲垣なのは何故か。

名古屋が『相手を押し込む』スタイルなら、彼がここまで点を獲ることはきっとなかった。そもそも走り込むスペースがないからだ。一方でマッシモフィッカデンティのスタイルならどうだろう。相手が攻め込んでくるのはむしろ都合が良い。手薄になった相手陣地の隙を突き、快速を飛ばしカウンターを仕掛ける名古屋の前線。一方で必死に戻る相手最終ライン。この攻防で間延びするのは相手の陣形だ。相手ゴールに迫る名古屋のスピードに、背後から遅れて(ここがミソ)、しかし誰よりも速く追ってくるのが稲垣祥。サボらず走りきれば、自身が結果的にフリーでゴール前に進入出来ることを彼は(感覚的にではなく)論理的によく分かっている。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

そう、この展開になると、誰も稲垣祥に追いつけない。

決勝の地、埼玉スタジアムで改めて分かったこと。それは、誰よりも速く、そして誰よりも走り切った者の足もとへボールは導かれるという『必然』である。

前田直輝の先制点もまさに試合のキーポイントだった。

前半が終わった段階で、名古屋側で最も危惧する点があったとすれば、それは清武弘嗣の投入だろう。名古屋の守備網を打破するべく、ピッチを広く使うセレッソ。足りない点があるとすれば、その広げた『隙間(間)』で仕事ができる選手だった。案の定、清武が投入された後半早々、しかしセットプレーから名古屋が先制。これにより長澤を投入し、木本をアンカーに配置することで4バックの隙間を(3人のボランチで)埋めることに成功した名古屋。セレッソが描いたプランは崩れ始めた。

そして生まれた稲垣祥の得点。大勢は、決した。

試合後のインタビュー。見事この試合でMVPに輝いた稲垣が口にしたのは、意外にも『絶望』なる言葉だった。

自分たちはこの二週間、絶望のような時間を過ごしてきて、だけど苦しい中で全員が戦い抜いて、そしてファミリーの皆さんも本当に最後まで熱い応援を頂いて、力になりました

この二週間といえば、ACLの敗退、そしてつい先日の天皇杯敗退が重なった週だ。もしルヴァン杯も落とせば、『たった二週間』で全てを失う可能性すらあったのだ。

苦しかったのは選手たちも同じだと、その時知った。

migiright8.hatenablog.com

ただ、選手同様この日のスタジアムは戦っていた。

バックスタンドに陣取って観ていたが、ゴール裏から発信される太鼓の音に合わせ、見渡す限りの人が全力でその手を叩いた。選手たちに『音』という声を届けた。

誤解を恐れずにいえば、この日のスタジアムにはゴール裏とそれ以外などという概念は存在しなかった。スタジアムに集った多くのグランパスファミリーが、やれることを必死にやっていたからだ。なんだかその様子が、スタジアムに(来たくとも)来れなかった人たちの想いも背負うかのようで、頼もしい、その一言だった。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

試合前に会った知人がこう言っていたことを思い出す。

勝ち負けも大事だけれど、この一日を楽しもう

私はこのブログを書くことで、誰かを感動させたり、泣かせたりしたいわけじゃない。そんな力はない。

泣けるのは、勝った瞬間、あの時間だけでいい。皆で共に闘い、そして勝った先に残るのは、『楽しかった』『最高だった』そんな想いではないだろうか。その証拠に、埼玉スタジアムを後にするグランパスファミリーの顔は、一様に明るく、笑顔に溢れたものだった。そこに涙はなかった。だからこのブログも、良い思い出を振り返るきっかけになれたら、もうそれで充分だ。

2018年の瑞穂で残留が決まった瞬間とちょっと重なりました。4年間苦しかったけど、ようやくこういう場所に立てて、しかもタイトルを獲れたというのは感慨深いものがありました。苦しかった時期が長かったですし、ほかの取材でも「名古屋のサポーターの方々はその苦しさを長いこと味わっている」と言ったと思うんですけど、そういった方のためにタイトルを獲るという想いが自分の中にあったので、それを達成できてすごくうれしいです

中谷進之介カップを掲げる姿が見れて良かった。苦楽を共にした彼らが『タイトル』で報われて良かった。

11年振りに手に入れたタイトル。俺達は歴史を作った。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

俺たちの想いで、突き動かせ

負けた。ぐうの音も出ないほどの、完敗。

名古屋の弱点といえるセットプレーから二失点。先制した試合が17勝1分1敗、先制されると0勝1分8敗なるデータも見た。今更ながら駄目だ、先制されちゃ絶対駄目。

だってマッシモよ、ちょっと物申していいですか。

先制したら用意周到なのに先制されたら急に何その試行錯誤。ねえマッシモ、システム変えたらマテウスが迷子だよ。教えてマッシモ、森下はサイドバックなのウイングバックなの。ちょっとマッシモ、森下がボランチって正気ですか。追われるのは得意でも追いかけるのが苦手なイタリア人なんてジローラモに泥塗るなよ。

どれだけ致命的な綻びがなくとも、試合の流れそっちのけでゲームの均衡が動くセットプレーが頭痛い。

セットプレーがキーになるというところで、羽田コーチを中心にスタッフが沢山の準備をしてくれた

いやはや、大一番に向け相手は用意周到だった。

それもこれも清武弘嗣という正確無比なプレスキッカーの存在あってこそ。大一番ほど試合の決め手は細部に宿る、突きつけられた課題とダメージはあまりに重い。自ら試合を壊す原因を中二日で果たしてどう改善する。

そもそもセレッソのスタメンからして度肝を抜かれた。

あれほど試合を見返して予習をしたのに、リーグで試合に絡んでた選手がほぼいない。なんて無駄な時間だったんだ小菊よ(時間返せ)。まさに『ハイリスクハイリターン』、小菊昭雄監督はああみえて勝負師だった。

直近のリーグ戦から中2日、そして、すぐに中2日でルヴァンカップのファイナルがあるということで、今日のゲームの選手起用は、正直、悩みました。ただ、やはりこの連戦を総力戦で乗り切りたいと。そして、いつも本当に、試合に絡まない時もよく準備してくれている選手たちの、勝ちたい、試合に出たい、そういったパワーを信頼して、今日のメンバーをチョイスしました

いつも、メンバー外の練習でも、普段の練習でも、一生懸命、準備してくれていた選手たちが躍動してくれたことが一番、嬉しく思います

結果はご存知の通り、セレッソの大勝ちである。

まず一つに『サブ組(と称するのも失礼だが)』で天皇杯を勝ち上がれたこと。そしてもう一つ、明確にルヴァン杯決勝へ照準を合わせたことで、主力組を丸一週間休ませることに成功したこと。対する名古屋は100日間弁当食べたマッシモがブレることなく主力を投入。分かっちゃいたが中二日で決勝戦を迎えることとなる。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

『矛vs盾』などとキャッチーなコピーがつけられる対戦ではないと思っていた。ただ今となっては『対極のマネジメント対決』になってしまったことが悩ましい。予め断っておくと、決してマッシモの決断を非難するつもりはない。確かに酷使の連続だが、でもだからこそ今の成果があることも重々承知している。とはいえこの正念場の局面で、まさか相手がこれほど極端なターンオーバーを試みると名古屋陣営は予想しただろうか。一方でセレッソの視点で見ていくと、ルヴァン杯準決勝で浦和を破り、リーグでは横浜Fマリノスを返り討ちとし、ここにきてルヴァン前哨戦をサブ組で乗り切った。いやいやこれでレギュラー組が燃えないはずはないだろう。

我々は自覚すべきだ、圧倒的に『劣勢』なのだと。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

天皇杯をみていて何が一番気になったか。(完全に主観だが)選手たちから覇気が感じられなかったことだ。プレーから、絶対に勝ちたいだとか、どんな状況でも諦めないだとか、なんだかただの根性論だが、でもそういった想いが感じられなかったのは私だけだろうか。いや、決して『気がない』という話ではない。言うまでもなく、誰しもが勝ちたいに決まってる。『身体の限界』に映ってしまったのだ。疲れ切っていないかと。

そしてセレッソ。彼らの何が脅威だろうか。

選手たちから活気を感じることだ。躍動感や一体感が日に日に増していると実感しているのは、おそらく選手たちもサポーターも同様だろう。チームの雰囲気が良く、チームの向かおうとする先に多くの選手がポジティブに向き合っている印象を受ける。決して難解なフットボールをしているわけではない。そこにあるのはシンプルで、だからこそハードワークする選手たちの姿である。

この状況だからこそ今一度考えたい。今、何が出来る。

私は....優勝して欲しいとか勝って欲しいとか、そんな『願望』だけ語ってちゃ駄目なんだと今は思う。

走らせたい。私たちの想いで、突き動かしたい。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

苦しいとき、選手たちの背中を押したい。あと一歩が必要なとき、その一歩が出るように力を貸したい。逆境に立ったとき、まだ大丈夫だと思わせたい。あの大邱戦のように、どれだけ引き離されようと、何度でも喰らいつく名古屋が観たい。苦しい選手たちを、支えたい。

いや、そんなのマジで精神論なことくらい理解してる。

でもさ、ここまできたらなんか力になりたいじゃん。あんなボロボロな姿見たら、もう結果がどうこう以前に貴方達の力になりたいわ。我々の力で勝たせてやりたい。

だからって何が出来るんだとちっぽけな存在の自分を恨むけど、みんな、何かやれることやろう。いつもよりデカい音で拍手するとかさ、めちゃくちゃ想いのこもったメッセージ掲げるとか、ひたすらスタジアムで願うでもいいし、テレビの前だって一緒に戦えるでしょう。キャンプしててもスマホで逐一チェックしてよ。子供と遊んでてもそっちのけでテレビに目を向けてよ。それが選手たちに何の役に立つか分からないけどさ、今こそ想いを一つにするときだと思うんだ。走れよ!じゃなくてさ、走れ!!!!!って土曜日は願おうみんなで。

あーなんでこんなときに限って声が出せないのか。声って貴重だ。皮肉だけど、今だからこそ痛感する。

声に出せなくともやれることって何がある。どうすればこの想いは届く。だってさ、好きな相手をじっと見て成就することなかなかないもの。声に出さなくとも想いを伝える、ならそれ以外のこと必死にやる以外道ないわ。

どの立場で言ってんだと誰より自分自身が分かってる。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

でもさ、今なんだよ。今回の天皇杯を『情けない敗戦』で終わらせちゃ駄目だ。『あれほどまでに選手たちは疲弊している』と、知るきっかけにしなきゃ駄目。

ルヴァン杯決勝の前で良かったぞ。まだ、間に合う。

我々の力で選手たちを突き動かそう。こんな俺に何が出来るんだと思うけれど、自己満でいいから力になってると信じて、それぞれがそれぞれの場所でやれることやろう。めちゃくちゃ願う、めちゃくちゃ手叩く、めちゃくちゃグラップのリズム刻む、めちゃくちゃ頑張れとSNSで叫ぶ。なんでもええやん。伝われ、選手に伝われ。

それでもし勝てるなら、例えドン引きワンチャンサッカーでも(マッシモ怒らないで)、過去に監督へ浴びせたブーイングうざいくらいぶり返されても(マッシモはやる絶対やる)、優勝賞金でジローラモとめっちゃワイン飲まれても(ジローラモ喜ぶ)、来季の年俸どかーん上がっても(拝啓トヨタ様)何でも受け入れる覚悟ある。

ほんとはこんな決戦前に狙ったかのように書くつもりなかったけどさ、一人の意見としてやっぱり言いたい。

落ち込んでる暇はないぞ、と。今、ここやぞって。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

天皇杯の敗戦は今一度、俺ら他人事じゃアカンと思い知らされた。観戦者じゃなく戦わないかん。選手たち動いてくださいじゃない。選手たちを動かすのは、俺たち。絶対にそうだと信じろ。だから落ち込むんじゃなくて、気づけてよかったって思おうよ。セーフ、セーーフ!

ファミリーファミリー言うけどさ、正直どこかのタイミングで『ん?本当にこれファミリーか?』って思うことあったさ(ぶっちゃけ)。でも、ファミリーなんでしょう、名古屋を愛する者は皆。選手たちが苦しいとき支えるのは誰だ。ファミリーしかいないじゃん。

ピッチにいるのは11名。でも、グランパスファミリーは『万』といる。選手たちの心が折れかけたときは、俺たちが勇気づけよう。俺たちが、彼等の脚を突き動かす。

駄文に付き合ってくれて感謝。でも、本気なので。

今こそ『ファミリー』の力が必要。戦うよ。

セレッソよ、そこをどいてくれ

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

試合の見どころを探そうとセレッソの試合を沢山観た。

何試合か観れば大抵は書きたい『軸』のようなものを発見するのだが、いやはや掴みどころのないセレッソ

天皇杯は準々決勝、ルヴァン杯では決勝まで勝ち上がる力を誇りながら、一方でリーグは低調。シーズン途中に監督交代も経験し、ACLでは名古屋同様、浦項の前に敗れ去る。もちろん連戦の疲労はあるに違いない。これだけ(あらゆる意味で)ハードなシーズンを送りながら、なんやかんやで主要カップ戦は生き残り続ける底力。

リーグ終盤になり、何故か名古屋にとって重要な対戦相手になってしまったのがセレッソで、ここから天皇杯、そしてルヴァン決勝、それが終われば今度はリーグ戦とお互い相手のしつこさが嫌になりそうな今日この頃。これほどどのコンペティションにも残っていると、さぞチームは絶好調だと察するわけだが、蓋を開ければ勝ったり負けたりの繰り返し。しかしこの決戦に向けて頼んでないのに帳尻を合わせてくる謎の調整力こわい。


www.youtube.com

ルヴァンカップセミファイナルで浦和相手に2試合を通してチームとして勝ち切って、内容を伴った勝利で自信を得ることができました。そして今日、優勝争いをしている横浜FMに対して、その自信を確信に変えるべく臨みました。何としても、結果を得て、確信に変えた上で、次の大事な試合に向けて前進していきたいという中で、選手たちは本当にハードワークして、厳しい試合でしたけど、勝ち切ってくれたことを嬉しく思います。選手の成長、チームの成長を感じる素晴らしい試合だったと思います

引退した松坂大輔が憑依した感のある小菊昭雄監督。

この組合せの見どころはなんだろなと何日か考えた。

 

うーんやっぱ柿谷曜一朗やろ

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

結局そこかよと元も子もない結論に行き着く芸のなさ。

ルヴァン準決勝2ndlegではついに清武が帰ってきた。セレッソの二列目をみれば、左から乾貴士清武弘嗣、坂元達裕。んー、めちゃくちゃ豪華。他サポながら思ってしまうのは『ここに柿谷曜一朗がいたら華しかねえ』。いや正直にいえばむしろちょっと観てみたい。

ただ、彼はもう、名古屋の選手だ。

彼の前にセレッソの面々が立ちはだかり、一方でセレッソゴールマウスを彼が狙う。過去にクラブを彩ったスター選手たちが続々とチームに帰還する中、あれほどセレッソの『8』に拘った彼は今、名古屋にいる。

number.bunshun.jp

自分の中では、嘉人さんと一緒にタイトルを獲って、やっぱり嘉人さんが8番を着けたからタイトルが獲れた、っていうところまでイメージしていて。だから、嘉人さんが帰ってくるときまで8番で居続けなきゃいけない、絶対的な存在になって嘉人さんが帰ってくるのを待たないといけない、と思っていたんですけど、嘉人さんが帰ってくることだけが現実になり、僕は自分が思い描いていた8番になれなかった

その大久保嘉人とタイトルを争うことになる運命。

この胸中を、サポーター視点で最も寄り添い言葉にできるのは私ではなく、きっとセレッソサポーターだ。

だから知ったふりしてそれっぽいことを書くつもりはさらさらない。セレッソサポーターの皆さんが(特にルヴァン決勝を)どんな気持ちで眺めるのか。こればかりは、我々部外者には分かり得ぬ境地だろう。

ここまできて最後にセレッソ。柿谷の胸中やいかに。

 

なんだか名古屋とは逆の運命を辿るクラブ

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

さて、現在のセレッソにも、もう少し触れておこう。

そもそも彼らとは妙な縁を感じている。ここ数年でクラブに起きた高低差のある路線変更と、それが不思議な具合に名古屋とシンクロしてる感が他人事に思えない。

風間八宏でロマン街道まっしぐらの中、しかし結果が伴わず超現実路線のマッシモフィッカデンティに舵を切った名古屋。なのにマッシモへの風当たりはそこそこ強く、ロマンはロマンで悪かなかった!と過去の女(おじさんです)を懐かしむファミリーは多くいる。一方のセレッソは対照的で、現実路線で結果もついてたロティーナ爺ちゃんと縁を切り、進んでロマン街道まっしぐらなクルピ&まさかの八宏路線を開始する。しかし予想通りと言っていいのかこの船は途中で座礁。『なんでロティーナ切ったんや』と、悲鳴にも近い声を挙げていたサポーターの声が正しかったことを皮肉にも証明した。

ロマンを懐かしむ名古屋とそんなもの不要なセレッソ

これだけ書くと名古屋ファミリーがイカれてる結論で終わりそうだが、いやこれは歩んだ順序で名古屋に分があったと結論づけたい(暴論)。そしてロマンに挫折したセレッソは、桜色一色の小菊体制でリスタートした。

チームのコンセプトを最も体現するのが加藤陸次樹。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

いやー、めちゃくちゃ走る。身体も張るし、守備も全く厭わない。小菊昭雄監督が前線からの積極的なプレッシング、そしてハードワークを基調とするのは観れば伝わるわけで、加藤を前線の軸に据えたのはなるほど理解出来るのだ。名古屋でいえば山﨑凌吾が近いだろうか。とりわけ国内ではこの手のストライカーは重宝されるし、そう考えると現状、名古屋の4番手になりつつある山﨑の去就はやべえ。だって狙われないはずがない。

前線に問題があるとすれば加藤の相棒が確立されていないことだろう。売り出し中の山田寛人も悪くないが、皮肉なのは『今の』柿谷ならきっと良いコンビが築けたはずだと思えることよ。めちゃくちゃ走るのは今や柿谷も負けてない。しかしもう彼は名古屋の選手(三度目)。あと一言付け加えるが兎にも角にも清武間に合うな←

さて、最前線の汗かき役が加藤なら、最も気をつけるべきチャンスメイカーは誰になるか。

言うまでもない、帰ってきた乾貴士だ。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

やっぱ上手いなクソ上手いな!(言葉遣い)左からカットインしてぇの身体の向きと逆にスルーパス要注意な!

(乾に関しては)コンディションも上がってきて、素晴らしい状態にあります

乾のコンディションを悪化させる方法はありませんか。

坂元達裕にも同様のことがいえるが、ボールの受け方(受ける位置)、プレーの幅(選択肢の多さ)は例えば相馬や森下にも参考になるはずだ。マテウスみたく一撃必殺も魅力だけどパスで決定的な仕事が出来るのも同じくらい魅力がある。例えば三笘薫だって同じでしょう。ボールを保持した際に何をしてくるかわからない怖さがある。そんなボールの持ち方そして運び方。ちなみに天皇杯は出てこないので(やったー)ルヴァン決勝は万全のコンディション間違いなし。天皇杯ラッキー!かと思えばそこは清武。名古屋のサイドバックは大忙しだ。

あとはセレッソセンターバック瀬古歩夢と西尾隆矢。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

21歳と20歳のアカデミーコンビ。なんて素敵な響きでしょう。もう一度書きましょうか。『21歳』と『20歳』の『アカデミー』『アカデミー』『アカデミー』コンビ。前線ならともかく、最終ラインのど真ん中が自前中の自前。そう考えると、彼らセレッソアカデミー育ちの二人と対峙するのがまたも登場、同アカデミーの大先輩にあたる柿谷曜一朗だ。なぜ見どころが結局は彼に行き着いてしまうのか、少しずつ伝わってきたでしょう。そうだアカデミーで思い出したが八宏さんは元気ですか←

セレッソはオーソドックスな4-4-2がベースだが、前述の通りチームのコンセプトを体現出来る駒が揃いつつあり、且つその駒のクオリティも申し分ない。局面ごとでの判断がチームとして共有され始めた点も脅威で、前から行くとき引いて構えるときのこの押し引きがいい塩梅だ。ただ名古屋とすれば決して苦手なスタイルではない。前からくるならドカドカ蹴って、浅いラインをガンガン突破、点を獲ったら引きこもり、以上だ(雑)。

それにしても水曜土曜で中二日の二戦連続一発勝負は改めてエグい。一週間で全て失う可能性も大いにある。

どうしてもルヴァン決勝にフォーカスしたくもなるわけだが、これほど試合が立て続けだと二戦はセットで考えるべきだ。どちらの試合も勝つ以外に道はなく、しかも一戦目の攻防が間違いなく二戦目の戦いに影響する。ホームアンドアウェーとは異なるシチュエーションの難しさに加え、その舞台が各大会の準々決勝と決勝ともなれば面白みも俄然増す。さあテンション上がってきた。

では最後に名古屋陣営の話題で締めくくることとする。

 

俺たちは勝つことに飢えていた

前述の通り、残念ながらACLは準々決勝で涙を呑んだ。


www.youtube.com

本当にこの大会に懸けていたこともあり、すごく悔しいです

中谷進之介の言葉が心に残る。名古屋の歴史上初となるアジア王者は、それほどまでに魅力的だった。

ベスト16の大邱戦、リーグ上位対決だった第29節のマリノス戦、そして先日のルヴァン杯準決勝にあたるFC東京戦と、ここ最近は刺激的で痺れる試合が続いていた。

決してどの試合も内容として魅力的だったわけではない。泥臭く勝ち切った試合だってある。ただ、それでも多くのファミリーが興奮し、熱くなり、記憶に残る試合となったのは間違いない。ここ数年でいえば、あれほど『名古屋のスタイルはー』とか、『風間とマッシモのサッカーはー』なんて勝敗とは別の議論が付きまとっていたのに、最近はもっぱらそんなこと後回しだ。

リーグ終盤やたら充実してるこの日々は一体何なのか。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

たぶん、我々は勝つことに飢えていたのだ。名古屋には勝敗のみを追求出来るような環境が久しくなかった。

だから改めて思う。勝って欲しいと願う気持ちは、サッカーの好みなど軽々と凌駕するのだと。あのフットボールは良いだ悪いだと、そんな議論がなんだか浅はかに思えるくらいに、老若男女、玄人素人の壁を飛び越えて皆が一つになる。そんなシチュエーションが、稀にある。そして、今季はそんな試合が何度も訪れている。上位争いとは、タイトル争いとはつまりそういうことなのだ。

振り返れば何かを掴み取りたい瞬間はいつもそうだ。スタジアムを包むのは『勝ちたい』その想いただ一つ。

そんな境地が4年ぶりであることに、今さら気づいた。


www.youtube.com

風間八宏もマッシモも、自分の信じた道を突き進むその姿はそっくりで、しかし与えてくれたものは正反対。フットボールの楽しさを教えてくれたのが風間八宏なら、フットボールは勝ってこそ意味があるとマッシモが証明する。行き着いた先はといえば、かたや昇格決定戦で、もう一方の目の前には国内タイトル。このコントラストがらしいっちゃらしいけれど、そんな二人で降格以降の5年間が繋がった感があるのは何というかもはや奇跡。

いや、繋がったと言い切るには、タイトルが必要だ。

その行手を阻むのがセレッソ大阪である事実を、『偶然』の一言では片付けられない選手がいるとすれば、それはおそらくただ一人、柿谷曜一朗に違いない。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

正直、セレッソの8番にずっと憧れていて。(香川)真司くん、キヨ(清武弘嗣)も背負ったけれど、セレッソの8番って、誰が何と言おうと、やっぱり森島(寛晃/現C大阪代表取締役社長)さんなんですよ。そのイメージが少しでも俺になるように、こだわって、こだわって、やってきたつもりなんですけど、現実にはできなかった。

『柿谷と言えばセレッソの8番』じゃなくて、『柿谷と言えば8番』というふうになりたいなって。憧れだった森島さんに対するリスペクトの気持ちもずっとあったし。ただ、名古屋にも今まで8番を背負ってきた選手の思いとかイメージもあるやろうから、簡単に自分の番号にならないことも分かっていて。それでも、『8番と言えば柿谷』と思ってもらえるように、と思って選びましたね

あの日の挫折はこの日の成功のためにあった。そう証明したいのは、名古屋も、そして柿谷曜一朗も同じだ。だからこそ我々に必要なものは唯一、タイトルなのだ。

名古屋の8番を選んでくれた曜一朗と共にタイトルを。

 

 

 

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

あと木本に必要なのは前線に放り込まれる準備と覚悟。

タイトルに向けてさらば苦手意識

さて、『天敵』FC東京との準決勝がやってきた。

彼らとの対戦で波紋を呼んだ9月22日のリーグ戦。内容自体は素晴らしく、しかし、ゲーム終盤のラフプレーで試合後の様相は一変。惜しむらくは、ゲーム内容すらそのワンプレーのインパクトが凌駕してしまったことだ。


www.youtube.com

ただ、今回はそのことに触れるつもりはない。

名古屋の前に立ちはだかる壁が川崎フロンターレだとすれば、『最も苦手意識が強い』のが、このFC東京ではないだろうか。なぜ、毎度彼らには苦労するのか。マッシモ、長友とイチャこいてる場合じゃないんだよ。ここからは、先日の試合で感じたことをまとめてみる。

結局のところ、FC東京をなぜ手強いと感じるのか。

 

一言でいって、個が強烈(元も子もない)

とにかくディエゴオリベイラが嫌なんです。

この結論でまとめたいところだが、ブログのボリュームに難があるので、以下、肉付けのために続けたい。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

ただ正直にいえばそれが理由だ。どっか行ってくれディエゴオリベイラ。前線と最終ラインの『個』が強烈。名古屋が苦手とする理由は、つまるところそれに尽きる。

Jリーグ史上でも過去に類を見ないほどの堅守でここまで勝ち上がってきた名古屋。その堅守のベースとなる前提は『構えた=セットした』守備である。もしくはリトリートした(=一旦引いた)守備とも言い換えられる。

常にリスクマネジメントし、人数を確保したうえで、一糸乱れぬ統率された守備が特徴の名古屋。しかも個々の守備スキルが高く、1vs1に絶対の自信を誇り、最終ラインの負担を軽減する二列目(サイド、ボランチ)の運動量は規格外と、ロジカルでありながらも実はめちゃくちゃ体育会系だからこそ、現在の堅守は築かれた。

つまり、非力な人間が緻密な組織に活かされ生まれた堅守ではなく、あくまで大前提は圧倒的な『個』であることは名古屋も同様。そのうえで嫌らしいほど守備に比重を置くからマッシモは憎たらしい(言葉遣い)。

ただ、仮に相手の個が上回れば。これが大きな問題だ。

先日の試合を観ていて感じた点。それは、東京の選手たちが名古屋の守備陣を苦にしていないのではないか、そんな疑問である。パワーで負けることもなく、狭いエリアでも卓越した技術で簡単にはボールを奪われない。さらにいえば、ポジショニングが良くも悪くも厳密ではない故、所々で密集が生まれ、結果として局所的に圧がかかる。具体的にいえば、それは『中央』だ。

さらにもう一つ、大きな特徴が『サイド』にもある。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

東京の配置をみると、常にサイドで一箇所は質的優位(担保)を設けているのが分かる。昨シーズンでいえば右サイドに位置したディエゴオリベイラ(でた)。先日の試合でいえば、左サイドのアダイウトンが該当する。

宮原和也をいたぶるアダイウトン。俺たち私たちのアイドル和也に対し、地上でも空中でも無許可でごりっごりに身体を擦りつける特権階級それがアダイウトン

さて、これらによってピッチ上に何が生まれるか。

それは、『後退する』名古屋守備陣となる。最終ラインが押し込まれ、全体が間延びする。結果として、中盤の選手たちの担当範囲が拡大する。中央に人数をかけられ、2枚のボランチでは対応不可となる。この悪循環。或いは、先日の広島戦でいえば、相手のハイプレスと徹底した名古屋最終ラインの裏を狙った動きにより全体が間延び。そう考えると、手段はともかく『名古屋の最終ライン』を狙われるのはどうやら都合が悪いようだ。

さらに、名古屋にとってはもう一つ難題が残される。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

屈強な東京センターバック陣だ。ただでさえ孤立気味な名古屋のストライカーに対し、彼らがそこへのルートを悉く遮断する。クバならなんとかするやろ!とたかを括っていたが、ここにオマリをぶつける長谷川健太(オマリの連行に成功したレバノンに乙)。全体が間延びすればパスコースは限定され、結果『相手に背を向けて』ボールを受けるケースが増える。一方で迎え撃つ相手は『前』に大きな矢印をだして身体をぶつける。

その結果、失点に繋がったのが先日の広島戦。

腹立たしいが良いケーススタディだった広島に感謝。

つまりだ。前後で起きるパワー対パワーの対決で、ことごとく劣勢に立たされているのが大きな問題といえる。横綱同士が小細工なしで正面からぶつかり、どちらが相手を寄りきれるか競い合う。裏を返せば、東京の得意な土俵にならざるを得ないのが名古屋の抱える悩みだ。ここでボール保持に舵をきれれば試合の様相も変わるだろうが、現状の名古屋はその手段を持ち得ないだろう。

乱暴な発言をすると、今のJリーグで名古屋の守備組織を凌駕する相手はほとんどいない。そして、そんな常識には収まらないクラブが川崎、東京だと考えれば、なぜか毎試合劣勢に立たされる状況も納得がいくのである。

 

強者と対峙し繰り返される試合展開

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

結局のところ、『構える』は『受けきれて』成立する。

そう考えると、『受けきれない』相手に出会した時が最大の問題であり、マッシモ自身、今後のキャリアを踏まえても解決すべき点になるのかもしれない。

『マッシモに金を掴ませるな』この格言をご存知か。

ネタのようだが、実はこれが一つの真理、だ。守れる人間を中心に、チームの重心を後ろに置く。その分、前に出ていけるパワーと個で打開できる能力を備えた選手で得点をとる。ある意味、最もリスクがなく且つ効率の良い戦い方は、このリーグにおいて資金力のある名古屋と絶妙に噛み合った。但し、裏を返せば攻守に個のパワーで対抗できる相手に屈したとき、マッシモの戦術は悲しいかな破綻する可能性が高い。『個の能力で屈しない』、そう書くと何だか元も子もない気になるが、実際のところその前提で成り立つ戦術であることも確かだ。

そういえば、先日の東京戦でふと感じたことがある。

それは、この試合で起きた現象が、豊田スタジアムでの川崎フロンターレ戦に非常に似通っていたことだ。


www.youtube.com

名古屋のセンターバック陣に対し、鬼神の如く振る舞うレアンドロダミアン。彼が最前線でイニシアチブを取り、結果として生まれた中盤のスペースを制圧する川崎のスリーセンター。サイドから中央に遠征し、何故かそこに加勢する家長昭博。『中央』で川崎に屈する中、『サイド』から和也を追い込む三笘薫。やっとのことで名古屋がクリアしても、孤立する名古屋の前線を何食わぬ顔で潰し続ける川崎の両センターバック

面白いのが、ここでマッシモが手を打った内容だ。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

山﨑に代えて長澤を投入し、米本をアンカーに置いたスリーセンターに変更する。そこにはおそらく二つの意図がある。一つは、中盤の人数を相手と揃えることで、攻守に対抗するため。もう一つは、前線の枚数が減る分を、長澤の推進力でカバーするため。勘の良い方は分かるだろう。この手は、先日の東京戦でも同様だった。米本に代えて長澤を、そして相馬に代えて木本を投入し、彼をアンカーに配置。以前と変わったことがあるとすれば、高さのある木本がアンカーで評価を上げていることであり、それはキムミンテ加入の影響が大きい。

これでひとまず『穴』が塞がるのは間違いない。

但し、毎度問題となるのは『どう得点を獲るか』だ。このスリーセンター、保持が前提の修正とは言い難く、チームの重心は後ろに重く残るのが事実。故に、前の枚数が減れば、その分、攻撃の迫力も削がれるだろう。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

また、他方では相手の保持を助長する可能性もある。東京戦で残った課題は『クバのワントップが果たして機能するか』だ。運動量に難がある彼のワントップでは、東京センターバック陣に規制が効かない点は気がかりだ。また、押し込まれる展開は更に悩ましい。動きの量が少なく、相手が潰しにくる圧を丸ごと受けてしまうからだ。ただでさえ孤立する中、しかも動きが乏しければ狙いは定めやすい。それもあってか、後半早々に彼とサイドに配置転換した前田直輝をセットでベンチに下げた采配は目についた。ニコイチ、ではないが、この二人は攻守に二人揃ってはじめて威力を発揮するのではないか。

チームのために走れないのなら次からの起用はないということは選手に理解してもらいたい。そういうことが許されるという雰囲気が少しあるので、私の中ではしっかりと線引きをし、そうでないと人の分も走らないといけないという負担が増えますし、そういうことは今のグランパスにとって必要ではありません。もう次の試合から、それを自分たちの中での当たり前とし、しっかりと線引きをして取り組みたいと思います

これは広島戦後のコメントだが、なんとも示唆に富む。

走らない方が上手くいくこともあるじゃねえかと思ってた人たち、反省しなさい。マッシモ怒ってるから。

私も反省します(正直、マッシモの作る枠以上のものを目指すには彼の常識すら超えていく必要があるはず。しかし、悲しいかな苦境に立てばたつほどそうも言ってはいられないジレンマが彼の戦術には内在する)。

さあ、そんなこんなでルヴァンでの再戦にどう挑む。

 

東京こそタイトルに向けた最大の障壁

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

ひとまず長友の獲得に動くべきでは(ちがう)。

誤解してはいけない点として、毎試合『拮抗した試合が出来ている』ことだ。もちろん押し込まれるシーンも目立つ。しかし、大量失点はしていない。但し、得点がなかなか獲れない。んー、焦ったい。毎回、一点勝負になるわけで、その是非をどう判断するかだ。個人的には、名古屋側が常に劣勢の印象が強いため、『ギリギリの橋を渡っているな....』と感じてはいるのだが。

そんな危惧が結果として表れたのが先日の広島戦であり、先制点を許す展開だけは避けたいところ。

ただ、マッシモはこの土俵での戦いを選ぶに違いない。

その場合、修正点(見どころ)があるとすれば、前線の構成ではないか。ひとまずアンカーシステムにすることで安定を図るのであれば、ワントップのチョイスをどうするか。個人的には柿谷曜一朗を推したい。また、思い切って従来のシステム(4-2-3-1)で戦う場合はどうか。中盤にうまく加勢しながらボールが運べるタイプ、結果として東京のセンターバック陣とも正面からぶつからない噛み合わせだと様相も変わるかもしれない。

そこで思い出すのが昨季、豊田スタジアムの試合だ。


www.youtube.com

おいおい阿部浩之はどこいったんだよ。マッシモ、俺たちの阿部ちゃんは秘密兵器にはたぶん向いてないぞ。

東京との戦いでここ近年、最も可能性を感じた試合にこちらを挙げたい。シャビエルと阿部ちゃんの『ゼロトップ』と、空けた中央のスペースに飛び込むウインガー。そして今だから告白できる、この試合に向かう途中に車のタイヤがパンクして、トヨタの某ディーラー店に大変お世話になったことを。だから猛攻を仕掛けた前半の冒頭を観れていないが、たぶんこれがベストに違いない。

さあ結論である。端的に、この東京戦こそが最難関だ。

俺たちは分かってる。マッシモや米本拓司、そして丸山祐市がどこよりもFC東京を意識していることを。彼らの強さを認めていることを。だからこそどうしても彼らに勝ちたいことを。タイトルを獲るために名古屋に来たのなら、自分たちが選んだ道が正しかったと証明するには、やはりFC東京こそ乗り越えるべき相手だ。

降格、昇格プレーオフ、残留争い、そしてACL出場権争い。いろいろあった。けれど、ちゃんと繋がってる。

次は、国内タイトル。これしかない。

拝啓、マッシモフィッカデンティ

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

もうマッシモのことで書きたいこと、ないと思ってた。

でも、シーズンも終盤に差し掛かろうというこの時期に、何故だかマッシモを語りたい熱が妙にアツい。

その理由はどうすれば伝わるだろう。思案した結果、過去から順を追って白状するしかないとの結論に至った。ということで、いきなりだが私とマッシモとの馴れ初め(意味ちがう)を語りたい。受け取ってくれマッシモ。

 

好きとか嫌いではなく、興味が湧かない

まずは率直な想いから伝えていきたい。

正直、マッシモに対する想いが特になかった。これが本音。好きでもないし、だからといって特段嫌いでもない。まあ、興味がないのかもしれない。例えば風間八宏体制時を思いだせば、自分は必死に応援していた側。八宏を応援したいというより、変わろうとするクラブを応援したかった。しかし、他方では『風間だけは許すまい』な人たちがいたのも知ってる。その裏返しで、当時、風間八宏を支持していた者に対し、『アイツはマッシモを嫌いな奴だ』そう定義したい人もきっといる。

でも、自分は嫌いじゃない。率直に興味がないの。

その証拠として、こうやって文章を綴る機会が減った。文章を書くモチベーションは、『誰かにこの想いを届けたい』それだけだ。『想い』は、好きでも、或いは嫌いでも成立する。好きだから伝えたい、これだけ嫌いな理由を伝えたい。良くも悪くもそのムーブメントのピークが風間体制時にあったことは、SNSを楽しむ多くのグランパスファミリーがきっと認めるところだろう。

風間大戦争。そう、あれは戦争だった(気がする)。

余談だが、私には上記の理由以外に書くモチベーションがない。例えば昨今、書き手が増えた戦術の解説。或いは、率先して輪の中心に立ち自チームを盛り上げようとする内容。そういった欲、全然ないわ。良いと感じたから勧めたい、その欲だけが異様に強い。それはある意味で自己中心的な発想なのだけれど、だからといって自己を肯定して欲しいものでもない。好きなものを好きと言い、ただただこの想いを誰かと共感出来ればいいなと願う。つまり自己中なお節介だ。これは母親からの遺伝。

話を戻すが、マッシモに対してはそれが何もなかった。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

なんだか選手がロボットのように機械的で、一つのミスも許されないパーツのよう。ボールを保持することに拘りはなく、むしろ走ってる時間の方が圧倒的に長い。しかも、あろうことかそれが『守るため』ときた。美しさや華麗さとは無縁で、ボールを介した『人と人の繋がり』も感じない。いつも固定されたメンバーで、若い選手の台頭も乏しい。ていうか大卒新加入どこいった。

もちろん、これらは完全に個人の主観だ。

ただ、どうにもこうにも興奮出来なくなった自分がいた。ゴールが決まっても飛び跳ねて喜ぶような感覚はなく、試合を何度も見返すような日々は過去のもの。勝ったか負けたか、重要なものはそれだけになった。

でも、クラブのことは大好きだから(ていうかもはや人生そのものだ)、もちろん毎試合応援するし、行けるときはスタジアムにも足を運ぶ。例えそれが好みでなくとも、揶揄するつもりもない。だってそれもまた、個人の感想でしかないでしょう。だから、腐しても仕方ない。

ただ、結果だけの世界はやっぱ寂しいなって。だって結果だけを追い求めるなら、ミスは『恐れるな』ではなく、『してはいけないもの』でしょう。それがなんだか味気なく感じられて、正直に、魅力がなかった。今出来ることが全ての指標になるから、今出来なければ排除される。未完成品はこのチームには不要で、『可能性』なんて未知な言葉は、最も疑うべきものとなった。

結果を得るには勝つための戦略と戦術があることも理解してる。そこを読み解く楽しさがあるのも分かってる。でも、『今が全て』だったら、期待とか驚きって必要なくて。子ども育てるとき、我が子がどんな大人になるか分かってたら面白くないじゃん。『この子はどんな大人になっていくのだろう』そう想像するから、楽しい。

まあ、プロの世界で子育ての喩えはおかしいけれど。ただ、そうやって試合を観る喜びは削られていった。

そんな私が、どうにもこうにも最近夢中なのは何故だ。

 

ヤバい気づいたらタイトル争いの渦中にいる

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

いきなり文章を書きたくなったのはどうしてだろう。

この疑問をなんとか形にしようとずっと考えていたけど、明確に言語化できるほどまだ整理はできていない。

ただ、そんな中でも、一つだけ気づいたことがある。

トップカテゴリーでのタイトル争い、めちゃくちゃ久しぶりなんだ。約10年ぶり。まあリーグは相変わらず厳しいけれど、その他にもルヴァン杯天皇杯、そしてなんといってもACLのタイトルも可能性が残されている。

こういうヒリヒリする戦い、いつ振りだよおい。


www.youtube.com

燃えないはずないじゃん。ここまできたら勝ちたいに決まってるじゃん。要はさ、勝ち負けだけでも満たされるレベルまで、このチームが登り詰めてきたってことだ。ただ目の前の勝敗だけに人一倍こだわってきたマッシモについてきたら、いつの間にかここまでやってきた。

しかも、ここにきてやっとどの選手にも『個性』を感じられるようになった。プレーから『顔』が見えるようになった。それはきっと、マッシモが求めるタスク以上のものを表現できる選手が揃ってきた証だろうし、そのラストピースがクバだったのも間違いない。彼が入って、それぞれがそれぞれの場所でピースとしてカチッ!とハマった結果、観ていて『無理をしている』選手がいなくなった。いや、実際はめちゃくちゃ無理してるんだけど、それが自分の武器だと思ってる選手たちがやってるから違和感がない。直輝なんか、生まれ変わりだろ。

監督がマッシモでもクバはクバ。必要なピースだった。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

 

結果のみを追い求めてきた先にあった世界

さて、気づいているだろうか。

風間体制時、『もっとも魅力的なフットボール』を展開していた時期は就任から2年後。つまり2019年初期だ。

そして今、マッシモが就任してから、ちょうど丸2年。

ひたすらに勝敗に拘ってきたチームが2年後に辿りついた姿は、まさに『もっとも強いフットボール』である。

しかし一方では、将来へ向けた不安ももちろんある。

マッシモ体制後に今の財産はどれだけ受け継がれるのか。今この瞬間、未来への投資はされているのか。アカデミーには一貫性を感じるけれど、トップとちゃんと連携されているのか。ていうか大卒新加入どこいった。

このチームのピークも今なのかな。とことん風間体制期とは真逆の道を突き進んできたこのチーム、だからこそ起きる現象も似ているのかもしれない。ピクシー期の焼き直しでは、そう思う気持ちもないわけではない。

でもまあいいや。それで今すら楽しめないの勿体ない。

そう思えるのは、おそらく、ピッチでプレーする選手たちから『勝ちたい』という想いを感じるからだと思う。タイトルを獲りたい、そんな想いに、心が動くから。

マッシモが作った今のチームに、突き動かされる。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

あの川崎との2連戦から、よくぞここまで立ち直った。あれほど自信に満ち溢れ、国内無敵の川崎を喰ってやろうと立ち向かい、しかし、なす術なく返り討ちにあったあの2連戦から。8月15日の湘南戦以降、9勝1分4失点。あの川崎戦に至るまでの戦績、9勝2分1敗3失点。そう、完全に立ち直った。選手たちの不屈の精神と、結果をだし続けてきたマッシモに最大のリスペクトを。

結果だけを追い求めた先に何があんだよとずっと思ってきた。そして、結果だけを追い求めるなら『絶対にタイトル争いをしろ』、これが今実感している私なりの結論だ。何かを掴み取りたいと願う気持ち、掴み取れそうだと感じられる距離感。これはこれで、悪くないな。

ただ、もしこれがピクシー期の焼き直しだとするなら。

タイトルを掴まなければならないタイミングって必ずある。今を逃したら、もうそのチャンスは巡ってこない、そんなタイミングが。そして、それはたぶん、今季だ。

ここまできたら、タイトルを獲ってほしい。降格してからの5年間、それだけの苦労はしてきたのだから。

マルのためにも、このチームでタイトルを。

2010シーズン以来の栄冠を、我々名古屋の地に。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

森保ジャパンのこと全部聞いた

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

久保建英の涙を、地元の駅にあるカフェで観ていた。

(スポーツバーではないので)テレビは無音。ただ、画面に映しだされた彼の姿は、なんだかショッキングで、胸を締めつけられるようで、『あぁ、俺はこの光景をきっと一生忘れないだろうな』そう思った。

振り返ると、オリンピック開幕直前の頃は7月末に発売予定だった『フットボリスタJ』の原稿執筆と校正にかかりきり。正直にいえば、大会を心待ちにする余裕などあるはずもなく、オリンピックより原稿に夢中だったことを今更だがここで白状したい(だから買ってくれ)。

そんな頃、オリンピック代表チームに密着し、チームの様子をつぶさに観察していた男がいた。

サッカーライター、飯尾篤史氏だ。

U-24日本代表を立ち上げ当初から追い続け、本大会も事前合宿からあのメキシコ戦に至るまで、最後の最後までこのチームと共に駆け抜けた。たとえ遠征先が地球の裏側だろうと躊躇なく取材を敢行した熱の入れよう。オリンピックを心待ちにしていた者は、ここにもいる。

そして何を隠そう、私の原稿を編集したのもこの人だ。

悩める子羊(私です)に全力で鞭を振るったと思えば、他方では代表の活動を密着取材。いったいどこにそんな時間があったのかと問いたいが、裏を返せば何があろうとオリンピック代表チームを最優先にしてきた。飯尾さんだって大会後は語りたいことが山ほどあるだろう。

だから私は期待した。論文ばりの超大作待ったなしと。

number.bunshun.jp

飯尾篤史は、やはりプロだった。決められた文字数、的を絞ったテーマ設定、無駄のない構成。さすがは『みぎさんダラダラ書きすぎ。書きたいこと全部詰め込みすぎ。素人がやりがちなことやりすぎ』と罵った男よ。悔しいくらい綺麗にまとめてきやがる(言葉遣い)。

でも、だからこそ言いたい。

飯尾さん、貴方が言いたかったことは全て出し尽くせたのかと(何目線)。使いなよ、素人が無限にダラダラ語れるこのブログを。多くのサッカーファンに、その宝のような貴重な取材記録を語らないのは罪だ。この先にある未来に向けて、今を、形として残して欲しい。

そんな素人の誘いに、あろうことか飯尾篤史はのった。

『いいよ。無償で受けるよ』

素人を散々こき下ろした罪滅ぼしのつもりだろうか。見返りを求めず、素人の土俵に自ら降りてきた一流ライター。しかしその御好意、ありがたく受け取ろうではないか。理由はただ一つ、金がない。私はサラリーマンだ。

『みぎさんのところで思う存分、語らせてもらうよ』

なんて男前なんだ飯尾さん。そう思った矢先だった。


www.youtube.com

文字より動画。飯尾さんは、YouTubeに出演した。

その名も『川端どフリー談論』。企画がモロ被りだ蹴球メガネーズ。そして潔いほどのダブルブッキング。飯尾さん、あんたもしや金に魂売ったんじゃないだろうな。

約40分間の動画か、それとも過去最高12,000字越えの文字数か。絶対に負けられない戦いが、そこにはある。

W杯最終予選前に今一度、オリンピックを振り返ろう。

 

『4位』という結果

みぎ(以下、省略)まず率直に、4位という結果に関してはどう思われていますか?

飯尾(以下、省略)選手たちの持っている力はかなり出せたと思うんですよね。これが限界だったというより、出し尽くしたんじゃないかと。だから妥当な結果かなって思います。もちろん、何かがうまく転がれば銅メダルに手が届いたし、それこそ準決勝のスペイン戦は115分まで0-0だったわけで、勝負のあや次第で銀メダルだって取れたかもしれないから、惜しいな、残念だなっていう思いは強いです。ただ、ブラジル、スペインは抜けていたし、メキシコも総合的に見れば向こうのほうが上だと感じたので、仕方ないのかなと。

やっぱりメキシコのほうが上だった、と。

久保建英は「スペインは格上だけど、メキシコは格上なんかじゃない」と言っていて、実際、個人個人を見たら決して負けてないと思います。でも、なんて言うのかな、3位決定戦で3点ともセットプレーでもぎ取ってしまうようなしたたかさとか、老獪なゲーム運びとか。2大会前の金メダリストだったり、ワールドカップでも8大会連続決勝トーナメントに進出していたりする国力も含めて、メキシコのほうが一枚上手だったかなと。ただ、ドイツやフランスがベストメンバーを揃えていたら、日本はベスト4にも行けなかった可能性があるわけで。そういう意味では、日本はしっかり準備を進めてきたし、闘えるチームの雰囲気になっていた。短期決戦のトーナメントを勝ち抜くためには、そういうのってすごく大事なので。単なる戦力、実力で測れない部分も総合して、よくやったなって思います。

 

久保建英の涙

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

出し尽くしたという点では、3位決定戦後の久保建英の涙がすごく印象的でした。相当な責任を負ってプレーしていたんだなって僕は感じたんですけど、飯尾さんは現地であの涙を見て、どんな想いを抱かれましたか?

久保ってこれまでクールなイメージがあったと思うんですよ。メディア対応でも饒舌ではなかったから。ただ、今大会では彼の情熱的な言葉を何度も聞く機会があって。例えば、南アフリカとの初戦は久保のゴールで勝ったけど、試合後、「今日ゴールを決めるとしたら自分だと言い聞かせていた」とか。ニュージーランド戦のあと、次の対戦相手がスペインに決まると、「次は自分がチームの勝利に導いてやるぐらいの活躍をしようと、ちょっとビッグマウスになろうと思ってます」とか。スペイン戦後には、「もう涙も出ないぐらい悔しい」とか。

今大会にすごく懸けていたんですね。

彼は子どもの頃にスペインに渡ってすごく苦労したと思うんですね。さらに13歳で日本に戻ってきて、そこでも嫌な思いをしたことがあっただろうし。努力と才能を頼りに、理解者のサポートも得て道を切り開いてきたなかで、日本でオリンピックが開催される。やっぱり日本を勝たせたいとか、スペインに対して「どうだ、見たか」みたいな思いもあったと思うし、大会中に「チームメイトにもスタッフにも恵まれて、このチームで6試合戦いたいし、金メダルを取りたい」と言っていたけれど、それは本音だと思う。そうした思いに触れていたから、あの号泣にそこまで驚かなかったというか。

 ただ、気持ちが張り詰めていた部分もあったと思うんですよね。攻撃の中心選手として責任を負っていたと思うし。久保に限らず、今回はコロナ禍でバブル措置が取られていたから、練習以外はホテルの部屋に閉じこもっていて、メンタル的には相当辛かったはずなんです。ある選手は「気分転換は窓から外を眺めること」と言っていたくらいなので。家族に会えないどころか、自由に外にも出られない状態だったから、リフレッシュするのが難しかったと思います。3位決定戦なんかは、肉体的な疲労だけでなく、メンタル的な疲労も感じました。

スペイン代表の選手が選手村の中をサイクリングしている動画を見ましたけど、日本代表は選手村ではなく、ホテルに滞在していたんですね。

そうですね。選手村に入ったほうが買い物などでリフレッシュできたかもしれないけれど、スタッフの人数は制限されてしまうんですよ。医療スタッフとか、サポートスタッフとか、万全の体制は組めないそうです。幕張のホテルを拠点にしたから、使い慣れた夢フィールドでリカバリーを行えたのであって、吉田麻也も大会中「夢フィールドを使えるのは大きい」と言っていましたからね。だから、幕張に拠点を置いたのは間違っていないと思うけど、メンタルケアのスペシャリストを帯同させるとか。これはコロナ禍に限った話ではなく、選手、監督の心理的なケアに関しては、今後に向けて検証、検討すべきテーマになると思います。

 

オリンピック本大会に向けた準備

それ以外の準備に関しては、どうだったのでしょう?

今回、地元開催だったこともあって準備は周到だったと思います。2020年2月に欧州に拠点を作り、藤田俊哉さんをはじめヨーロッパ駐在強化部員を派遣して、海外組が所属するクラブとコミュニケーションをしっかり取ってきた。だからオーバーエイジもそうだけど、24歳以下の選手たちだって森保(一)さんが希望する選手を呼べたわけじゃないですか。

 リオ五輪ではエースの久保裕也を招集できませんでした。オーバーエイジに関しても、反町(康治)さん(現技術委員長)が率いていた北京五輪のときはひとりも呼べなかったし、リオ五輪のときもA代表の主力は呼べなかった。そういう意味では今回、森保さんがA代表の監督兼任していること、日本協会が欧州のクラブと事前交渉を入念にしていたこともあって呼びたいメンバーを呼べたし、他チームに先駆けて6月からオーバーエイジの融合を図れたと。もっと遡れば、17年12月にチームを立ち上げて、海外遠征を何度も重ねてきました。大会直前は7月5日から静岡でキャンプを張って、コンディショニングや暑熱対策、疲労回復のプログラムを行ってきた。こうした部分はすごく評価できるので、あとは先ほど言ったメンタルケアの部分ですかね。

 

では実際の試合内容はどうだったか

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

ピッチ内の印象はどうでしょう。久保選手や堂安(律)選手に依存してしまうような部分も感じましたか?

いや、そこはあまり感じていないですね。そもそも森保さんも、このチームの強みは三笘薫、相馬勇紀も含めた2列目だと認識していただろうし、彼らを最大限に生かすことがチームコンセプトのひとつだったので。実際、ボランチでゲームを作るという過去の日本代表のサッカーというより、ボランチのふたりは縦パスを入れて2列目に早く預けて、彼らが勝負しやすい状況を作っていた。それは頼っていたわけではなく、チームとしての狙いだったと考えます。特にグループステージでは、狙いとしていたサッカーをかなりやれていたと思うんです。ハイプレスとミドルプレスの使い分けも良かったし、中盤に誘い込んで遠藤航、田中碧のところで奪い取ったり、トップ下の久保建英が相手のアンカーを消すような守り方も良かった。フランス戦では田中碧と久保がインサイドハーフに入って、5レーンを埋めてロジカルに崩したりもしていた。

4-3-3気味でしたよね。あれは事前のスカウティングの効果?それとも選手が自発的にピッチ内で判断した?

両方だと思います。フランス戦に関しては、田中碧が「相手を見て立ち位置を変えた」と言っていましたけど、そうしたピッチ内での判断力は森保さんがずっと求めてきたもの。一方で、スカウティングもしっかりやっていて、グループステージのメキシコ戦の先制点の場面で相手左サイドバックの裏を突いたところや、相手の10番のライネスへの対応なんかは、分析の賜物だと思います。ただ、グループステージではかなりやれていたけれど、決勝トーナメントに入ると相手にかなり対策されていた。特にニュージーランド戦では、相手は5-3-2にしたり、中盤がダイヤモンドの4-4-2にしたりして、日本の嫌がることをしてきましたから。

 それでも、大会全体を通してこれだけ個の能力でやり合った日本代表を見たのは初めてかもしれないです。オーバーエイジの3人はもちろん、谷晃生、中山雄太、板倉滉、田中、久保、堂安、相馬……最後の最後でようやく三笘も、これまでの鬱憤を晴らすようなプレーを見せてくれましたし。特に守備陣は本当に頼もしかったです。3位決定戦のあと、3失点に絡んだ遠藤が「あそこで自分がやられたのがすべて。批判は全部自分にしてもらえれば」と言ったけれど、それまでの活躍、奮闘を見れば、誰も彼を責められないなと。

とはいえ、決勝トーナメント3試合で1点しか取れなかったことも事実です。この点はどう感じていますか?

セットプレーで点が取れなかったのは痛かったですね。久保、堂安、相馬とプレースキッカーは揃っていたし、吉田、冨安、板倉、遠藤、酒井、中山、林大地、上田綺世と、ヘディングの強い選手もこれだけいた。3月のアルゼンチンとの親善試合では久保のコーナーキックから板倉が2回も頭で点を取っている。スペイン戦なんか、0-0で耐えていたんだから、まさにセットプレー一発で仕留められたら、というゲームだったと思います。もちろん準備はしっかりやっていたと思うし、運、不運もあるけれど、相手に見切られた部分もあったと思うので、もったいなかったですね。

 

森保一監督をどう評価しているか

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

森保監督のマネジメントについては、どうですか?

レーニングでは選手と本当によくしゃべっているんですよね。練習前には必ず1人、2人捕まえて議論しているし、リカバリーの選手たちとは一緒にジョギングしながらコミュニケーションを取っている。「あの場面ではどうしたら良かったと思う?」とか、「こういうやり方もあったよね」とか。今大会が終わった後でも、試合であまり使わなかった選手全員に、起用できなくて申し訳ない、こういう理由で起用できなかった、こういうところをもっと伸ばせば成長できる、といった話を1人ずつしたみたいで。大会期間中も三笘や林が言うには、森保さんは背中を押して勇気づけてくれる、言葉が響くと。そういう意味で、不平不満はあまり聞こえてこないんですよね。A代表でも、選手の言葉に耳をしっかり傾けてくれるといった話は出てくるので、モチベーターとしての手腕は高くて、マネジメント能力は非常にあると思います。

 どの試合だったか、吉田麻也が戦術ボードを使ってチームメイトに指示を出していて、その横で森保さんが見守っている様子がテレビカメラに抜かれて。「吉田監督かよ」なんて揶揄されていたみたいですけど、これは森保さんが就任当初からずっと求めていることで。試合中に選手自らの判断で問題を解決していく能力を高めなければ、日本代表は世界で勝てない。相手の出方に応じて後出しジャンケンのように素早く対応していくには、ベンチの指示を待っていては間に合わない。そうしたところを就任してからずっとアプローチしてきたわけですから。吉田麻也の行動についても、きっと頼もしく思っているはずですよ。

では、采配や選手起用に関しては、どうですか?

選手の状態に関しては、インサイドのほうが確かな情報を持っているので、外からどうこう言うのは難しいですよね。どうしても結果論になるので。例えば、スペインとの準決勝で延長戦に入るとき、久保と堂安を同時に交代させたことに関していろいろ言われているけれど、僕はそこまで気にしていなくて。実際、普段は強気の発言が多い堂安ですら「身体も本当にボロボロだったので。代わって正解だなと、自分でベンチで思っていたくらいだった」と言うくらい疲弊していた。なので、久保もどれくらい疲弊していたのか外からでは分からない。それに、代わって出場した三好(康児)と前田(大然)はいずれも決定機を迎えたわけで、どちらかが決めていたら采配ズバリということになる。だから、そこは結果論になってしまう部分が多くて。

 あえて采配に関して個人的にストレスを感じた点を挙げれば、3位決定戦のメキシコ戦のハーフタイムくらいですかね。大会最後の試合で前半を終えて0−2だったと。流れを大きく変えるために、旗手、上田、三笘を一気に入れても良かったけれど、旗手の投入にとどまった。5人交代における3枚替えの効果って、去年のJリーグではかなり目にしたじゃないですか。森保さんは5人交代の試合をほとんど経験していないから、3枚替えの効果を実感していないのかもしれないけれど、あの大一番で流れを変えるにはメッセージ性の強い交代をしないといけないと思うんです。それこそ97年のワールドカップアジア最終予選で岡田(武史)さんがゴンさん(中山雅史)、カズさん(三浦知良)を同時に下げて城(彰二)、呂比須(ワグナー)を投入したように。ああいう采配ってピッチ内の意識を変える強いメッセージになるし、指揮官の覚悟を示すことにもなりますから。

確かに。3枚替えの勝負に出てもよかったですね。

ただ、選手起用に関して、触れておかないといけないのはケガ人の影響です。大会後、森保さんに「誤算はなんでしたか?」と聞いたら、真っ先に挙げたのが上田綺世と三笘のケガだったんです。上田は6月22日のメンバー発表直前に足を傷めて、そこからずっとリハビリ。三笘はACLでケガをしてしまって、7月12日にチームに合流してからずっと別メニューで、初戦の南アフリカ戦はベンチ外。本来は、上田がスタメンで、林大地がスーパーサブ。三笘と相馬はどちらかがスタートで、どちらかがスーパーサブだと森保さんは思い描いていたはずで、ふたりのケガが采配の幅を狭めたのは確かだと思います。もうひとつ、冨安が初戦前日に負傷したことも痛かった。冨安の穴は板倉がスーパーな働きで埋めてくれたけれど、ボランチの三番手としての板倉を失ってしまった。実際、三番手と言うのは失礼なくらいレベルの高い選手なわけで、遠藤、田中碧にかなりの負担がかかったのは間違いないです。

[http:// Embed from Getty Images :embed:cite]

遠藤選手と田中選手は全試合スタメンでしたもんね。

その点で言うと、試合中の選手交代より、どこかでターンオーバーを使う必要はあったと思います。僕も第3戦のフランス戦でターンオーバーするべきだと思っていたし、森保さんは必ずするはずだ、という原稿も書いたんですね。なぜかというと大会前、オリンピックを2回経験している吉田麻也が、大会を勝ち抜くポイントとして「どのタイミングでターンオーバーするか」と話していて。真夏の東京で、中2日で6試合を同じメンバーで戦い抜くのは不可能だと。もうひとつは、18年のロシア・ワールドカップで、当時の西野(朗)監督が「ベスト8を狙うには余力を残して決勝トーナメントに進出しないといけない」という考えで、1勝1分で迎えたポーランドとの第3戦で大迫、香川、原口、乾、長谷部、昌子と主力を6人入れ替えた。結果、0-1で敗れたけれど、決勝トーナメント進出を決めた。ベルギーにも2-3で敗れるんだけど、あれだけのゲームができたのは、主力がフレッシュな状態で臨めたから。これは日本サッカー界が生かすべき経験だし、森保さんもコーチとしてベンチにいたわけだから、西野さんにならってターンオーバーすると思っていました。それこそ、0-1で負けてもいいという覚悟を持って、久保や堂安、吉田を休ませるんじゃないかって。そうすれば、サブ組の士気も上がるでしょうし。

 日本人が代表チームを率いることの大きなメリットは、過去の成功体験や課題を生かせることだと思います。2度もオリンピックに出場した選手がキャプテンで、技術委員長も五輪の経験があって、指揮官自身もコーチとしてワールドカップでの成功体験があるんだから、そうした経験をチームとして共有する、歴史を継承することは、日本人が監督をする以上、大事なポイントだと僕は思います。ましてや今大会は、金メダルを狙っていたわけですからね。

 

今大会の目標設定について

金メダルという目標設定はどうだったんでしょうか。選手にとって重荷になったり、準決勝で敗れたときの大きなショックに繋がった可能性はないですか?

もともと17年12月に東京五輪代表チームが立ち上げられたとき、森保さんが掲げていた目標は「メダル獲得」だったんです。それが金メダルに変わったのは、僕の記憶と認識が正しければ、18年8月にインドネシアで開催されたアジア大会でした。その2ヶ月前に森保さんはコーチとしてロシア・ワールドカップに帯同して、1ヶ月前に日本代表監督に就任した、というタイミング。この大会中、森保さんは選手たちに東京五輪での目標を確認しているんですよね。そうしたら、どの選手も「金メダルを獲りたい」と答えた。そこで「金メダル獲得」へと目標を変え、より高いレベルを求めるようになった。「オリンピックに出場した選手がA代表に昇格するのではない。A代表の選手がオリンピックに出るようでないと、金メダルは獲得できない」と言うようになったのも、この大会からです。

 その目標設定に関しては、間違っていなかったと思います。例えば、19年11月にホームでコロンビアにいいところなく敗れたあと、このままでは金メダルなんて到底無理だと、選手たちが真剣に向き合うきっかけになった。ブラジル・ワールドカップのときに一部の選手たちが掲げた「優勝」とは違って、南アフリカ・ワールドカップのときに目指した「ベスト4」に近いというか。もっとやらなきゃいけないという意識づけになっていたし、実際には南アのベスト4よりも可能性のある目標でもあったと思います。たしかに準決勝で敗れて、金メダルの夢が絶たれたショックは計り知れなかったと思うし、結果的にそのショックから立ち直れなかったと言えるかもしれません。でも、金メダルという目標を掲げたからこそここまで来られた、という面も大きいんじゃないかと思います。

 

話題となった田中碧発言を掘り下げたい

www.goal.com

メキシコとの3位決定戦のあと、田中碧選手が「僕たちはサッカーを知らない」と発言したことが記事になりましたけど、あの発言については、どう感じましたか?

あれは、監督だとか特定の誰かに対して言ったわけではなく、自分自身だったり、自分も含めたチーム全体に向けた言葉だと感じました。その前後も含めると「2対2、3対3になったりすると相手はパワーアップするけど、自分たちは何も変わらないというか。それがコンビネーションという一言で終わるのか、文化なのかは分からないですけれど、サッカーを知らなすぎるというか。彼らはサッカーをしているけれど、僕らは1対1をし続けているというか。それが大きな差なのかな」と言っているんですよね。

 例えば、スペイン代表は、ポジショナルプレーの概念がチーム全体に浸透し、そのベースのうえで連動しながらボールを効果的に前進させていたじゃないですか。チーム内にゲームモデルとプレー原則があり、選手一人ひとりのグループ戦術、個人戦術のレベルが高いのは、育成年代からそういうサッカーに触れ、所属クラブでもそういうプレーをしているからだと思うんです。これは代表チームだけの問題ではなく、育成やリーグ、クラブの問題。じゃあ、スペイン代表の(ルイス・)デ・ラ・フエンテ監督が日本代表監督になったら、日本はスペインのようなサッカーができるようになるのか。おそらく難しい。なぜなら、スペインのあのサッカーは、デ・ラ・フエンテ監督が植え付けたものではないから。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

重要なポイントですね。では、そもそも論として『代表監督はどうあるべきなのか』も問いたいです。

これまでの日本代表は、外国人監督がヨーロッパのスタンダードやサッカーの新しい知見を代表チームにもたらしてくれて、それを学ぶという流れがあったと思います。特にオフトさんやオシムさんはまさに先生という感じだった。僕も外国人監督から多くを学ばなければならないと思ってきたし、今もそう思っています。ただ、一方で代表監督に求められるものがこの数年、相当変わってきていて。昔と違い今はインターナショナルマッチウイークしか代表活動が行われないし、短期の国内合宿も一切ない。そもそも代表チームのほとんどが海外組になったから、選手全員が揃うのは試合の2日間なんてこともある。しかも時差のあるヨーロッパから帰ってくると。こうなると、練習なんてできません。

ましてや代表チームはメンバーも毎回変わります。

例えば、ペップ(グアルディオラ)が日本代表監督をやってくれたとして、「なんだ、そんなことも知らないのか」という話になって、代表チームでそれを一から教える時間はない。それでもワールドカップでベスト8を狙うなら、5バックで守ってカウンターが一番確実だ、っていうことになるかもしれない。もう少し現実的な話をすると、もし浦和レッズリカルド・ロドリゲスが日本代表監督になったとして、今年1月、2月にレッズで繰り返し行っていたような、敵がいない状態でポジショナルプレーの基本的な動き方を体得するようなシャドートレーニングを1年経っても、2年経っても毎試合前に繰り返さないといけないかもしれない。それで選手たちが監督の指示に縛られて、試合では相手のハイプレスに簡単にハマって失点して……なんて姿が思い浮かぶんですよね。かつてゾーンプレスフラット3、接近・展開・連続、に縛られた時期があったように。しかも、以前のようにソーンプレスやフラット3習得のためだけの合宿なんて張れる時代ではない。

 だからといって、もう外国人監督から学ぶ必要はないのかと言ったら、そんなことはなくて、それは育成やJリーグのクラブが招聘して学ぶことなんじゃないかと。古くはベンゲルとか、オシムさん。近年ではミシャさん、ポステコグルー、ロティーナ、リカルド・ロドリゲスがやって来たように。そうしたリーグで育った選手が代表に選ばれて、パッと集まってサッカーをする。それが代表チーム。だから、Jリーグ川崎フロンターレ横浜F・マリノスのようなチームが10チームくらい出てくれば、Jリーグだけでなく日本代表のサッカーもずいぶん変わると思います。そうなったら、リカルド・ロドリゲスが代表監督になってもパッとポジショナルプレーのサッカーができるでしょうし、森保さんが監督になっても、そうしたビルドアップがパッとできるんじゃないかなって思います。

 当然、戦術的な整理をまったくする必要がないわけではなくて、今の代表チームもワールドカップ本番までに整理しなければならないことはたくさんあるはずです。プレスの掛け方、ビルドアップの仕方、ボールの運び方、ボール保持時の選手の立ち位置など。もう少し整理できないものかなと感じることはありますし、最終予選を通じて改善されていく部分もあると思います。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

確かにそう考えたら、最近のイタリア代表の流れはある意味そうですね。EUROで優勝して、イタリアのサッカーが変わったと言われるのも、ここ10年、15年くらい国としての文化が少しずつ変わって来て、セリエAでもアタランタみたいなチームも出てきて、指導者も変わって来て、その結果として代表のサッカーも変わってきたという見方ができるかもしれません。

やっぱり代表チームって、その国のサッカーレベルを映す鏡でもあると思うんですよね。それに、ヨーロッパや南米では昔から代表監督はセレクターであり、モチベーターだと言われてきましたけど、日本代表監督もここを最も重視して選ばないと、チームとしてまとまるのが難しくなってきていると思うんです。あと、監督の仕事ということで言えば、海外だとかなり分業制じゃないですか。トレーニングはコーチが仕切っていたりして。Jリーグでもロティーナとか、ポステコグルーとか、そうですよね。その意味でいうと、森保さんもオーガナイザーというか。トレーニングはコーチの横内(昭展)さんが仕切っていますしね。

 一方、森保さんが就任以来ずっとチャレンジしているのは、さっきも少し話ましたけど、ピッチ内で問題を解決する力、臨機応変にプレーするうえでの主体性や自主性を伸ばすこと。これは、サッカー選手に限らず日本人の国民性というか、苦手とされていることですよね。ロシア・ワールドカップが終わったときに森保さんから聞いたんですけど、2-0でリードしていたベルギー戦で相手がパワープレーをしてきたと。ベンチでどうする、どうすると相談している間に追いつかれてしまった。森保さんは、植田直通を入れて5枚にして跳ね返しましょう、と西野さんに提案できなかったことを悔やんでいました。ただ、その一方で、ベンチの指示を待つのではなく、ピッチ内で問題を解決できるようにならないと、ベスト8、ベスト4を狙うのは難しいとも思ったと、森保さんは言っていたんです。

 カタール・ワールドカップへの道は、そこからスタートしているんですよね。これは吉田麻也原口元気といったロシア大会経験者も話していることです。森保さんがなぜ選手たちに話し合わせ、自分たちで問題を解決させようとしているのか。彼らは分かっています。そういうチャレンジをしなきゃいけないということも理解している。だから、「森保さんは何もしない」なんて不満は選手たちから漏れてこない。それがカタール・ワールドカップに向けたチャレンジだから。相手が形を変えるたびに、ベンチから監督が飛び出し、ああしろ、こうしろ、なんてやっている暇はないですから。

まさに、選手たちがピッチ内で解決しない限り、上には行けないというわけですね。

19年のアジアカップの決勝を思い出してほしいんですけど、相手のカタールは3バック+アンカーの4人で攻撃をビルドアップしてきました。日本は前線からハメられずにボールを運ばれて、2点を先制されてしまった。でも、森保さんは試合前に、相手はアンカーがいるよ、こうやってくるよ、その場合はどうすればいいか分かっているよね、という確認をミーティングでしていたそうです。だけど、いざ試合が始まったら、選手たちが後手を踏んでしまった。2点を先行されたあとの前半35分ごろ、大迫がピッチサイドに来て、森保さんが「サコと(南野)拓実が縦関係になって、両ワイドが行けばハメられるよ」ということを伝えて、ようやく修正できた。

 それに対して修正が遅いという指摘はもっともなんですが、一方で森保さんからすれば、ミーティングで確認したのだから気づいてくれるはずだと考えた。森保さんが反省していたのは、修正が遅かったことではなくて、伝えたつもりになっていたことだと。伝わっていなければ意味がないということを反省している、と言っているんですよ。自分たちで考えて行動するのが苦手な日本人のメンタリティをどこまで変えられるか。このチャレンジがどんな結果をもたらすのか、見てみたいと思っています。

 

そして、アジア最終予選が始まる

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

では、ワールドカップまでの4年間について、理想的な強化の仕方はどうあるべきとお考えになりますか?

ヨーロッパを見ると、日本のように親善試合ってあまりないですよね。向こうはネーションズリーグがあって、EUROがあって、ワールドカップ予選もあって、ワールドカップがあるので、真剣勝負がずっと続くわけです。その都度、その都度、調子やコンディションのいい選手、旬の選手を集めて結果を出していく。かなり極端に言うと、一話完結の積み重ねみたいなところもある。一方、日本の場合、本気でワールドカップ出場を目指すようになった92年くらいから、4年間掛けて親善試合や合宿をこなしながら戦術を浸透させていき、ワールドカップ1次予選、アジアカップ、最終予選を経て右肩上がりに成長を遂げていった先にワールドカップでの成功があるという見方をしてきたと思うんです。少なくとも僕はブラジル・ワールドカップまでは、そうやって代表を見ていました。でも、右肩上がりの成長の先にザックジャパンのブラジル・ワールドカップでの惨敗があり、頭打ちになった先に南アフリカ・ワールドカップのベスト16進出、本大会の2ヶ月前に監督を交代した先にロシア・ワールドカップのベスト16があった。だから、一話完結の積み重ねによる3年間と、ワールドカップの戦いは別物というか。特にヨーロッパや南米は継続的に積み上げていくような感覚はそんなにないんじゃないのかなって。ドイツがブラジル・ワールドカップで優勝したときには、レーブの長期政権による強みが出ていたけれど、それでもロシア・ワールドカップではグループステージで姿を消してしまった。ワールドカップもオリンピックも、究極の短期決戦トーナメントだから、直前合宿を含めた2ヶ月の勝負だと思います。

 それでも日本の場合、親善試合を多く行っているので、継続性は高い代表チームだと思うんです。ただ、19年のアジアカップに出場したメンバーと今の代表メンバーはすでにかなり変わっていますし、カタール・ワールドカップでは東京五輪組が食い込んでくるはず。さらに変わると予想します。

でも、多くのサッカーファンは、4年間で自分たちのスタイルを築き上げていってほしいと願っているのでは。

そうだと思います。僕だって少し前までそうでしたから。そして今も積み上げや継続はあるんですけど、その継続の仕方はクラブチームとは異なるものだという認識が大事。ワールドカップで勝つのは、また違う勝負になるということを認識するのも必要なことです。カタール・ワールドカップで言えば、現実的な目標、ノルマは決勝トーナメント進出。コンディションをしっかり整えて、主力にケガ人もなく、クラブで出場機会を失ってしまう選手もなく、相手をしっかり分析して対策を立てて、それがハマればベスト8にたどり着く可能性もあると思います。今回の東京五輪でベスト4にたどり着いたように。ただ、本当にワールドカップで優勝を狙うには、何大会も連続してベスト8に入るような国としての地力をつけないと難しい。それくらいになって初めて本気でベスト4や優勝を狙えるのだと。ドイツ、ブラジル、フランス、アルゼンチン、スペイン、イタリアといった国って、そうじゃないですか。なんだかんだとベスト8くらいまで来る力がいつもあって、タレント力、コンディショニング、分析、巡り合わせなどの幸運も加わって優勝する。だから、日本がカタール・ワールドカップでベスト8に進出できたからと言って、地力がすごく上がったわけではなくて。2050年にワールドカップ優勝を狙うなら、46年大会までにベスト8の常連になっていたら……優勝できるかもしれないと思います。