みぎブログ

主観で語りますフットボールを。

「モダン」を知り、「選手」を知る

 

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「戦術もいいんだけど、俺はやっぱり選手を見るのが好きなんだよね」

これは最近一緒にサッカー観戦をした仲間の口から出た言葉である。

同じチームを愛するサポーターでも観戦方法は様々だ。ボールがある局面を追い続ける人もいれば、一人の選手を追い続ける人もいる。戦術が好きで俯瞰で見ることに徹する人もいるだろう。

サッカーは観戦する上で非常に難しいスポーツだ。他のスポーツ、例えば野球のようにワンプレーごとで止まることもなく、例えばバスケットのように沢山のゴールが生まれるでもない。トイレに行っている隙にゴールが生まれるなんて悲劇もある。

90分間、ハーフタイムを除けばほぼ止まることなく動き続ける局面。

とりわけ多くの方が目で追うのはやはり「選手」である。それはボールを保持している選手かもしれないし、お気に入りの選手をただひたすらに追い続けるものかもしれない。いわゆるコア層と呼ばれるサポーターも、サッカーが分かるようで分からないと嘆くサポーターも、本質はそこまで変わらない。やはり主役は選手だ。

ただこの約10年間でサッカーは大きく変貌した。

選手を知る為には選手だけを追っていては本質が分かりづらい時代に突入した、と言えばいいだろうか。

▢選手とフォーメーションが一体となっていた時代

振り返れば海外のサッカーが今ほど身近な存在ではない時代、それらを知る上で大きな役割を果たしたのがサッカーファンなら誰もが知っているサッカーゲーム、「ウイニングイレブン」である。

試合が始まる前、時間をかけてチームのフォーメーションを考える。「このポジションにはこの選手を入れよう」「この選手がいるからこのフォーメーションにしよう」。選手とフォーメーションは常にセットの存在だった。例えばサイドバックであれば足が速くてキックの精度が良い選手を入れるのが鉄則。要はポジションごとで求められる役割がある程度決まっていた時代だ。

それから長い年月を経て、サイドバックに求められる能力は多様なものとなった。足が速く、キックの精度に優れる。ここから更に組み立て(ビルドアップ)のセンス、ときにボランチの位置で器用にプレーすることも求められる。

ポジションで選手を語る時代に終わりを告げ、チームの戦い方、対戦相手との兼ね合い、その瞬間のピッチの状況に応じてカメレオンのように姿を変えられるものこそ生き残れる時代になりつつある。同じサイドバックでも、AのチームとBのチームでは全く違う存在になりえる、それが現代のサッカーである。

個人に求められるタスクが増加し、それをチームの約束事のもと、ピッチの戦況に応じて各々の選手が認知、判断し実行する。今までであればそのポジションのイメージをもとに選手の出来不出来が語れたものだ。しかし現代のサッカーでは、まずチームを知り、その上でその選手にどんなタスクが課せられているか知らなければ上手くプレー出来ているのかどうかすら判断がつかない。

▢求められる多彩な能力、複雑化した役割

これは選手の立場からしても大きな変化である。例えばこれまでであればプレーする国のスタイル、自身の力量を考慮すればある程度チーム選びは出来たのかもしれない。ただしこれからはそのチームが自身のポジションにどんなタスクを要求するチームか、またゲームモデルを理解しそこに順応出来るだけの個人戦術を自身が兼ね備えているか、その点が非常に重要になる。マルセイユで活躍する酒井宏樹を見て、彼が出来るなら内田篤人も同じように出来るに違いないと安易に判断することはできない時代だ。

またセヴィージャでプレーした清武弘嗣の例も参考になる。彼が最も適応に苦労したと言われる点が「戦術理解」だ。希代の戦術家サンパオリ、そして「ペップグアルディオラの師匠」ことファンマリージョのもと、通訳をつけられない状況でスタメン奪取を目指した清武にとって、彼らが考える複雑怪奇なチーム戦術が理解できず苦しんだであろうことは想像に難くない。

現在スペインで苦悩する井手口もそうだが、求められる多くのタスクをこなすだけの技術、それを戦況ごとで使い分けられる個人戦術力、なによりチームのゲームモデルを理解出来る頭脳がなければこれからは生き残れない時代なのかもしれない。

▢選手をより深く知るために、チームのことを知り、理解する

国内に目を向けると、例えば横浜Fマリノスに所属する山中亮輔がいい例だろう。今シーズン彼が見せているプレーは、今までのものと異なることは誰の目にも明らかだ。彼のファンからしたら、何故彼が試合中ボランチの位置でプレーしているのかと最初は目を疑ったかもしれない。

特定の選手を熱心に応援するサポーターは、「その選手のことをもっと知りたい」そんな想いを抱いている。そのために試合を通してその選手の姿を追い続けることも勿論あるだろう。

そんなとき、ただ闇雲にその選手の姿を追うのではなく、何故そのプレーを選択したのか、何故その位置でプレーするのか、それによってどんな効果があるのかを考えてみるとどうだろうか。もしかしたら、今までにない気づきや発見が得られるかもしれない。

そのためには「チームを知る」という行為が欠かせない。チームを知ることで、そこで求められる選手の役割を知ることが出来る。矛盾するようだが、選手を知る為にはチームを知る必要があるのだ。

▢モダンサッカーと、私達の日本代表と

さて、そろそろワールドカップが始まる。

マスコミに目を向ければ、やれ3バックか4バックかと数字ありきの時代遅れな話題ばかり垂れ流しているのがこの国の現実だ。本戦メンバー発表直前には、とあるサッカー解説者が長谷部誠センターバックに苦言を呈していた。

何故3バックなのか、何故4バックなのか、そこに込められた意図を私達は考えたいものだ。「長谷部にセンターバックは出来ない」ではなく、「長谷部をただセンターバックに置くだけでは上手くいくはずがない」と声を発することが出来ればどれだけ有意義か。

もはやサッカーゲームでは現代のサッカーを忠実に再現することは難しい。決められた場所で、決められたプレーだけしていればいいサッカーはとうに時代遅れである。監督が思い描くゲームモデルを実現するためには長谷部がセンターバックでプレーする時代なのである。

かたや「ハリルホジッチ服従するのは恥ずかしい」と求められたタスクを放棄し、スタンドプレーに走った本田圭佑のような例もある。「攻撃の際は自由にプレーしろ」彼に与えられたタスクは決してリオネルメッシに与えられるそれではなかった。タスクを放棄し、自身の理想や想いを貫いたことを美談として語ってはいけない。もはやそんなことが許される選手は世界中どこを見渡しても存在しないのだ。

マスコミが未だにゲームのようなサッカーしか語れない中で、私達は現代のサッカーを知り、その上で自国の応援するチームや選手、そして代表チームを見つめていかなければならない。

オールジャパンという名のもとに代表チームが国内回帰しようが、私達サポーターは世界に目を向け、彼等に取り残されないようにしなければならない。

その重要性を教えてくれたのが他でもないハリルホジッチであり、今回のブログの冒頭に掲載した「モダンサッカーの教科書」は、改めて世界基準とは何か、世界のトップレベルの現場で今いったい何が起きているのか、そんなことを私達に教えてくれる一冊である。