みぎブログ

主観で語りますフットボールを。

「名古屋から」世界へ

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加入が決まってからの約二年間、願い続けてきた想いが結実した日だった。

チームのJ1残留が決まり、今オフの一番の関心ごとといえば、シャビエルの完全移籍、そして宮原和也の完全移籍についてである。特に宮原の場合、広島で生まれ、育った選手であり、広島側としても「武者修行」として名古屋に送り出したのは間違いない。言葉は悪いが、片道切符ありきのもの、金銭ありきのものではなかったはずである。

思い返せば、二年前、彼の加入が正式に決まった際、私は友人とこんなことを話していた。

「宮原の加入が特に大きい」

「これで、少なくとも三ポジションはカバーできる可能性が高い」

実際に風間体制がスタートし、開幕まで、宮原はとにかくあらゆるポジションで試された。最初はボランチ、開幕直前には右サイドバック、そして最終的に開幕戦では右ストッパーで起用された。特筆すべきは、ポジションを転々としていた理由が、決して彼自身の適性を見極めるためにあったわけではないということ。調子の上がってきた選手を組み込むために、都度システムは変わり、その度に、宮原がチームにとって痒い部分をくまなくカバーした。言い換えれば、風間監督の彼に対する信頼は、出会ってから数ヶ月で既に絶大だった。

そんな彼も、一度だけ、そうたった一度だけ、スタメン落ちの危機があった。

宮原の欠点を指摘した風間八宏。それに正面から向き合った宮原和也

migiright8.hatenablog.com

 詳細はこのときのブログを読んでいただきたい。徳島戦、宮原の出来に不満だった風間監督は、前半途中の段階で早々に見切りをつけるような動きをとった(ダゾーンのカメラが、そのときの様子を見事に抜いていた)。彼のワンプレーを確認した瞬間、何かを決意したように足早にベンチに戻ってきた風間監督は、森コーチと戦術ボード片手にあーでもない、こーでもないと話をした。案の定、この試合の後半に彼の姿はなかった。この試合の数日後、風間監督にしては珍しく、マスコミの前で特定の選手について沢山の本音を語った。それは紛れもなく、宮原和也への期待の表れだった。

シーズン終了後、宮原自身も雑誌「グラン」のインタビューにおいて、シーズンの最も印象深い試合として、この試合を挙げていたのは記憶に新しい。

彼が他の選手に比べてとかく優秀だったのは、何故この試合、前半で退くことになったのか。その原因をしっかり理解できていたこと。また、そこを進化、改善させていくためのアプローチを真っ先にとったことである。一度こういった交代劇をすると、往々にしてその後の数試合はベンチ外が続くのは、もはやサポーターにとって「風間監督あるある」である。ただ唯一、宮原だけは、次の試合からも当たり前のようにスタメンで出場し続けた。

「どこでも出来る選手」は「彼にしか出来ないポジション」を確立した

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名古屋にとって、もはや欠かせない選手となった宮原は、今シーズンも広島からのレンタル延長を決意。そして、J1の舞台で躍動した。

シーズンを通して、宮原のサイドを狙われたり、破られたシーンは、ほぼほぼ記憶にない。まさに鉄壁。圧倒的な対人能力、守備センス、憎たらしいほどの駆け引き。守備において、彼に注文をつけることはほぼないと言ってもいいだろう。

攻撃に関しても、大きな転機があった。横浜Fマリノスから加入した、金井貢史の存在がそれである。圧倒的な得点能力を持つ異色のサイドバックの存在が、宮原に唯一といっていいほど足りなかった「攻撃への意欲」を呼び覚ました。また、それは風間監督がサイドバックに求める重要な要素でもあった。練習後は、この金井や、同じく夏から加入した前田直輝と体のキレを磨く作業に没頭した。見た目の華やかさに反して、彼はとにかくストイックだった。

「守備のスペシャリスト」だった宮原は、名古屋での一年目「ビルドアップの技術」を学んだ。ボールをあえて晒すことで、対面の相手を意図して喰いつかせ剥がす技術は、もはや宮原ならではの専売特許。ボールを奪われるシーンはほぼ皆無で、ビルドアップの安定感も、いまやチームでピカ一と言ってもいい。そんな彼に、「相手のファイナルサードに侵入する」という武器まで、後半戦では加わりつつあった。ドリブルで仕掛ける、相手の最終ライン裏を狙って駆け上がる...。それを可能にする勇気と、圧倒的な走力が備わりつつあった。それは間違いなく、本人の弛まぬ努力と、風間八宏の指導が化学反応を起こした賜物だった。

順調な道を歩んでいた宮原にとって大きな誤算だったのは、10月7日、FC東京戦で負った右太もも裏の肉離れだ。結果だけ見れば、彼の今シーズンは、この日の前半13分をもって幕を閉じた。契約の関係上、出場出来なかった広島戦を除けば、開幕からこの試合までリーグ戦では26試合連続先発出場。J2時代から数えても、風間体制下においてここまでコンスタントに出場を続ける選手は、宮原ただ一人。名古屋グランパス、そして風間八宏のチームにとって、最もなくてはならない存在は、間違いなく宮原和也だった。

そして、このアクシデントで最も痛手を負ったのが、他でもないグランパスである。彼の代わりに、例えば和泉や櫛引が右サイドバックに入ることもあったが、結局、最後まで彼の穴を埋めることはできなかった。唯一可能だったのは、彼が不動の地位を築いていた右サイドバックのポジションを、「チームから消してしまう」こと。その結果が、最終節までもつれた残留争いの理由の一つだったとしても、決して言い過ぎではないだろう。

このチームに加入した当初、どこのポジションでもそつなく務め上げるのが特徴だった男は、たった二年の間に、「彼にしか務められないポジション」を、このチームに作り上げていた。これが何より、彼がこの二年間で、グランパスというチームに刻んだ大きな爪痕だ。どこでも出来るのが売りだった選手が、いつしか彼にしか出来ないポジションを確立していたのだ。

二年の月日を経て「名古屋グランパス宮原和也」へ

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結果的に、彼が今オフ、グランパスに残留出来るかどうかは、ある意味で最大の焦点であり、来季のチームを占う重要なものとなった。名古屋陣営としては、既にシーズン中から大森強化部長が彼を残したいとコメントしており、おそらくそのために必要な移籍金は払うつもりなのだろうと予想させた。となると、必要なのは、「宮原が名古屋に残る意志があるかどうか」。問題はそれだけ、ただし、その問題が一番の難関だった。

名古屋側からすれば、例えば菅原由勢が、レンタル先からそのまま帰ってこないようなものである。広島という街で生まれ、育ち、サッカー選手としてずっとサンフレッチェ広島とともに歩んできた選手であり、そこへの愛着が人一倍強いことは容易に想像できる。これは個人的な意見だが、特に広島の選手はその傾向が強いように思う。広島という街は、歴史と、美しさが共存した稀有な街だ。その場所が、一つの国のような存在に思える場所。あの街の代表として、サンフレッチェのユニフォームに袖を通すことは、彼らにとって、それはとても大きな意味を持っているような気がしてならない。そう、おそらく「広島愛」は間違いなく存在するのだと思う。それは佐藤寿人を見ても、例えば引退した黒田博樹を見ても思うことで、それが地元出身者ともなれば、尚更にその愛は強いものに違いない。

必要な資金を名古屋なら用意するだろう。ただそれは、この移籍を成立させる上で最低条件に過ぎない。なにより必要な要素は、「一人の人生を、一人の人間の心を動かせるかどうか」そこに尽きると言っていい。当たり前だが、人の心はお金では買えないのだ。だからこそ、「今オフ最大の補強、最大の難関」だった。

さて、彼は結果として、そんな街に別れを告げ、今回、遂に名古屋グランパスの一員となることを選択した。それは、広島と決別したのではなく、広島から生まれた一人のサッカー選手として、その代表として、「名古屋から」世界を目指そうと、そんな決意のように感じるのだ。

彼がどれほどの想いと決意、覚悟を持って名古屋を選んだのか。私たちに必要なことは、それを噛み締めて、今後、「名古屋の宮原和也」として、精一杯背中を押してあげることではないだろうか。

次は、「名古屋から世界へ」。これが私たちと、宮原和也の新たな目標となる。


2018年8月15日名古屋グランパス宮原和也チャント