みぎブログ

主観で語りますフットボールを。

2019シーズン¨始動¨

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「タイに行く前に、練習一回観ときたいよなあ」

週末の居酒屋で遠回しに誘惑する友人。「新体制発表会行ったばかりで流石に無理」、妻の顔を思い浮かべて断る私。ただ奇跡は起きるもので、妻の友人が小林裕紀ばりの絶妙なタイミング、サポート体制で自宅を訪れてくれたことで、私は伊野波(仮)のマークを剥がし、トヨスポに行くことが可能となった。当日に決まろうが、そこからは秒よ秒。

まずはこの時期のトヨスポについて語りたい。

〇今年も集まった「上手くなりたい者たち」

新鮮な空気。同時に去来する久しぶりの感覚。ピッチは高級な絨毯のように美しい。今年も遂に始まるのだと、そんな新たな気持ちになる。だから年間を通してみても、この時期のトヨスポがとても好きだ。

今年の名古屋も新顔が多い。逆に「名古屋の顔」といえる選手達の姿はもうそこにはない。例えば常にランニングの先頭を走っていた佐藤寿人や、若手に喝を入れる玉田圭司、その存在だけで名古屋の象徴といえた楢崎正剛。それだけの選手達が、同時に名古屋の練習場から姿を消した。残されたグラウンドが、昨年のそれと違うのは当然のこと。選手達もどこかたどたどしさが残るし、サポーターもこの時期は見慣れない風景にどこか緊張する。

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それにしても、毎年よくこれだけの選手達が集まるものだと感心する。降格した際、あれほど一気に膿が出て大半の主力が去ったにも関わらず、三年目にしてこの戦力を擁している。そればかりは風間八宏の存在なくしては語れない。常に賛否両論つきまとう人物だが、そもそも彼でなければ、たった二年間でここまで立て直すことはおそらく不可能だった。それは特に「人材」という面において。だが彼を評価する際に、この点に関する言及はほとんど見たことがない。現在名古屋に所属する多くの選手にとって、彼の存在なくして語ることは難しいにも関わらず。新体制発表会で、大森スポーツダイレクターは、「2017年最大の補強は風間監督だった」と評している。私も同意見だ。彼でなければ、そもそもこれだけの選手達は集まらなかった。なにせ降格したときの評判は最悪、昨季はプレーオフの影響で補強に出遅れ、中断期間まで断トツでビリケツ。そんな降格待ったなしのクラブに誰が行きたいと思うものか。そう考えると二年前の降格時、J1残留を果たしたチームでキャプテンまで務めていた小林裕紀は、なぜ名古屋を選んだのだろうか。つくづく分からないが、やはり彼はいつも絶妙なタイミングなのだと、今更ながら思うのである。

〇始まった新シーズン

練習が始まると、まず決まって柳下コーチによるアップが始まる。敏捷性を上げるものから、体幹にまつわるものまで。当然、二部練の際は午前にフィジカルトレーニングが待っている。過去二年間と比較すると、昨夏に柳下コーチが加わった影響は大きい。トレーニングの強度、種類。そして見本をみせる柳下コーチのキレの凄み。只者ではない。今年はシーズン前から彼が選手たちを指導しているわけで、そのアドバンテージは大きいはず。

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今年の新キャプテンといえば丸山祐市だが、ピッチ上は彼が指示をだす声が鳴り響く。佐藤寿人は明るく声を出してチームを牽引していた。逆に彼はより実戦の場においてその存在感が際立つ。その場にいるだけで練習が引き締まる。その点、彼のスタイルは風間監督のそれに近いものがあるようだ。

シャビエルに負けず劣らずのスキルを発揮しているのがマテウス。ピッチ内では「マテ」と呼ばれているらしい。その実力は大宮時代に既に証明済み。ゴールシーンにもあるように、右からカットインして逆サイドに巻くシュートは絶品。というか、エグい。このパターンは前田も得意としているものだが、いやはや、マテウスはエグい。シュートモーションに一切無駄がない。個で打開し、決めきる能力はシャビエルをも凌ぐ。もちろんそもそものタイプが異なる為、もう一つ、攻撃に新たな武器が加わったと言えるだろう。

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練習見学したサポーターからの評判が良い大卒ルーキー、榎本大輝はどうだろうか。とにかく仕掛けている。向こう見ず、突貫小僧。いけると思えば、ぶち抜くことしか考えていない。ただそれが面白い。観客に期待させるあのオーラは、どことなく杉本竜士のそれを彷彿とさせる。そう、ドリブラーはやはり花形だ。華麗なパス回しに観衆は息を飲むが、目の前の相手をぶち抜くドリブルは観衆を熱狂させる。彼の場合スペースも必要ない、いわゆる「オルテガ系」。身長が低いため、相手からすると間合いも取りづらいからしれない。ただし、練習後に年長者たちから注文を受ける姿も見受けられたりと、過度の期待は禁物。「ボールを失わないこと」が得意なら、今後学びがあるとすれば、風間監督がもう一つのやってはいけないことと位置づける「そこにいないこと」。特にポジション柄、チームにとって最重要なファーストディフェンダーの役割を担う榎本は、この要領をつかんで初めてレギュラー争いだと考えた方が良いのだろう。ただし素材は超一級品。主に尖った素材という意味において。とんでもなく化けるか、使いづらい選手で終わるか。あれは本気で全員抜けると思ってるぞ。風間×榎本の結末やいかに。

さて、ここからが本題。個人的な、今年のグランパスの楽しみ方。

〇全く予測不可能な「チームの心臓部」

名古屋のトレーニングは、情報漏洩を危惧し撮影等NGなわけだが、この時期のトレーニングは個人のスキルを磨くためのものが殆どだ(正直、シーズン中も大きく変化はない)。特にボールを使ったトレーニングが中心で、その多くは「止める、蹴る、外す」を念頭に置いている。それ故、既存選手と、新加入選手の差が顕著な時期でもある。

例えば、小林裕紀やアーリア、和泉などは観ていても上手いし、速い。逆に新加入選手は、ボール回しでもそこで詰まることが多い。特に「速さ」。プレー一つに対する迷いのなさ。この差が大きい。技術を身体に染みつかせた者と、今まさに学ぼうとする者。

シャビエルのように、加入当初から何ら問題なく順応する選手もいれば、それが初めて出会ったサッカーであるかのように戸惑う選手もいる。例えば見ている限り、千葉の順応性は問題なく、自然に練習をこなす姿が目につく。ミニゲームにおいてもそれは同様で、まず焦りがない。ボールを要求出来る。貰い直す動きも当たり前のように身体が動く。では他の新加入組はどうか。その点、今年の注目は二人のボランチだ。一人は米本拓司。そして伊藤洋輝。

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米本は決して器用ではない。正直、今はどのメニューをこなすにも必至だろう。今年の新加入組で、最も変化が読めず、またこのチームにどう組み込まれるのか見当がつかない選手だ。名古屋にいるボランチの誰とも被らないプレースタイル。小林のように気の利いたパス交換や顔出しをして、リズムを作るタイプでもない。ネットのようにゲームを司る、攻撃の発信基地となるようなタイプでもなければ、アーリアのように攻撃の比重が高い選手でもない。

ただ「ボールをとれる」と判断した際の寄せ、強度、奪い取る技術。これは他の追随を許さない。伊藤のような大型の選手相手でも、当たり負けしないどころか吹き飛ばす。名古屋のボランチ陣にある意味で最も欠けていた要素を兼ね備える米本。狩れると判断した瞬間の迫力、あれは一見の価値あり。あとは実践の場においてそれをどう活かすか。チームとしての守り方、チームメイトの癖。それを理解したときに、彼の特徴をチームにどうアジャストするか。ここは注目だ。

「今までの止め方が全部否定されたよう」。誰よりも遅くまで残り、いわゆる「人の倍」黙々と対面パスを繰り返す姿。彼の言葉を借りれば、「この年齢でも上手くなれる」それを証明して欲しいと願わずにはいられない。彼のプレーを誰よりも理解し、おそらく心配もしている丸山が、彼の好プレーに嬉しそうな表情をしていると、なんだかこちらまで親のような気持ちで嬉しくなる。

逆に伊藤は若いこともあり、吸収力が高いと感じる。決して俊敏なタイプではなく、どちらかと言えば小林というよりネットに近い。彼もまた、ぎこちなさこそ残るものの、基礎技術の高さに加え、視野も広く、面白い素材だ。名古屋のサッカーへの順応性は、むしろ伊藤の方が高いかもしれない。イメージとしては、本田圭佑ボランチに入った感覚に近いと言えばいいだろうか。どっしりと構え、ただしその確かな戦術眼が際立つ。レンジの長いパスも正確で、プレーもシンプル。ネットよりも、より現代的なボランチともいえる。

〇「完璧」を求めず、その「余白」を楽しめ

migiright8.hatenablog.com

 前回のブログにも書いたが、今回の編成は決して完璧ではない。特にボランチは多種多様なタイプを揃えたものの、米本にしろ、伊藤にしろ、選手層という点においてどこまで突き上げることが出来るかが現状は読めない。それが見込めない場合、少なくともACL圏内への道のりは険しいものとなるだろう。ただ面白いのは、皆、個性が見事なまでにバラバラであるということ。だからこそ、風間監督がピースとしてどうはめ込むのか、全く分からないのが面白い。

前半戦のなによりの楽しみは、この「余白」。ここに期待をもって観察することである。完璧ではないからこそ、異なる楽しみが用意されていると捉えるべきではないだろうか。個人がどう変わるか、結果としてチームがどう変わるか。まさに主役は「個」であり、その点は今年も変わることはない。

どれだけ期待しても、結果として「勝敗」のバロメーターこそ全てだといえば、裏切られることもあるかもしれない。そしてそれも間違いではない。ただ同時にチームはあくまでも個人の集合体でもある。その個人は何かといえば、それはもちろん人間なわけで、つまるところチームは「生き物」だ。だからこそ長所があり、短所もある。そして成長を遂げる。

今回ブログを通して改めて伝えたかった本質、それは「今を知り、年間を通してその変化を楽しむこと」である。つまり勝敗に一喜一憂するだけではなく、今を生きるグランパスに目を向けること。そして選手たちの日々の成長を、試合を通して継続して見ていくこと。この楽しみは格別だし、そこへの期待はどれだけかけてもいいのである。

目の前のピッチで繰り広げられるサッカーは、決して完璧ではないかもしれない。戦術的にみて、拙い部分もあるだろう。

ただサッカーは、決してそれだけが答えではない。

チームやクラブに成長を感じる。動いている、生きている実感がある。それを我が事のように喜び、応援し、ともに生きることこそがサポーターの生きがいでもあるのだ。余白を楽しみ、未熟を楽しむ。私はそんな楽しみ方を、このブログをもって改めて提案したい。なぜなら勝敗は、あくまでその先にあるものなのだから。

終わりになるが、昨年末から正確な怪我の情報がなく、どの程度のリハビリを要するものか心配していた渡邉柊斗。リハビリのペースが予想以上に早い。おそらく後々は彼が小林裕紀の役割を求め、また熾烈なレギュラー争いに加わるのだろう。

そう、まだこのチームは未完成である。

未完成だからこそ面白く、進化を止めないからワクワクするのだ。