みぎブログ

主観で語りますフットボールを。

気まずい相手との同窓会

[http://Embed from Getty Images ]

これを開いたそこの貴方。残念。今回はいつものプレビューではございません。あれはですね、クオリティを皆様がどう評価してくださっているかは分かりませんが、少なくとも自分自身が納得出来るものを、という観点からいえば、今のところ毎試合キツい。まあ主に時間です。イクメンで素敵パパな私にとって、あれだけ労力のかかるプレビューを毎試合やるには、もはやこれを生業とするしか道はございません。
 
実は今回のブログ、「note」を試してみよう!とのことで書いておりました。せっかくなので切り口を変えて、今週末のジュビロ磐田戦について一つ語ってみようと。
 
が、しかし。noteってゲッティ(画像サイト)に対応していないのですね。これまでのブログ含め、いわゆる戦術ブログであれば文字と図解だけあれば構わないのですが、私は必要以上に「読み物である」ことを意識しておりまして、その意味で文字と写真の組合せはとても拘っているのです。現状、著作権に触れない画像サービスといえばゲッティくらいですから、これはやはりはてブかっ!ってことで、やはりこちらにコピペしてスタートです。
 
話を本題に戻します。ジュビロ磐田に関していえば、私自身は例えば名波監督に対してなら「毎回ネタを提供してくれてありがとう」くらいにしか思っていないし、つまり特別な思い入れと言われると、それはやはり田口泰士にしかございません。とはいえ一年が経ち、 バチバチに意識しているかといえば、それも少し違う。ただ「次はジュビロだ」と言われれば、「あぁ次は泰士か... 」なんて思い出し。

[http://Embed from Getty Images ]

彼をスタジアムにどう迎えるか。そこに答えはないんですよね。人の感情に明確な答えなどない。拍手で迎えたい人、対してブーイングで手荒い歓迎をしたい人、いやはや、歓迎なんて気持ちはない。特別な感情もない。だからスルー(無視)だ。そんな方も勿論いらっしゃるでしょう。そのどれもが正解なのだと思います。そこで同じ感情を強要するのもおかしいし、その感情はおかしいと指摘する行為も同様におかしい。なんだか付き合っていて別れた彼女と、会いたくないのに同窓会で会わざるをえないみたいな、そんな関係性。
 
急に私ごとで恐縮ですが、私もいわゆる同窓会的な場で会う相手とお付き合いしていたことがありましてね。別れ際に、いや、別れてからですか。ちょっとしたキッカケで会話を交わすことがあって、まあラインですけれども。少し気に触ることがあって、思いっきり捨て台詞吐いてやりました。「もう少し相手の気持ちが分かるといいね」って。いやー、クソですね。若気の至りとしか言えません。今更ながら最低だこれは。当然ながら、もう会いづらいです。自業自得です。
 
どんな顔で会えばいいのか、どんな関係性で会いたいのか。選手とサポーターの関係も、意外と切ない。だって選手たち同士はそこまでのわだかまりってないわけじゃないですか。なのにサポーターは、勝手に「どう会おうか」って考えるわけです。そんな相手、滅多にいないですけどね。選手とサポーターの関係、素敵だ。それって、特別な関係だったからこそ芽生える気持ちだから。
 
私自身はどうでしょうか。うーん、大好きでしたね。ジュビロへの移籍が決まった時、赤鯱(有料サイト)に掲載された彼のコラムが大きな話題を呼びました。ライターである今井さんの主観が存分に加味された内容でしたので、あれをそのまま受け取っていいものかは分かりませんでしたが。案の定、その意味でもあの記事は賛否両論だった。そして凄まじい反響だった。客観的に間違いないと断定出来る箇所は、
 
  • 泰士はグランパスを愛していた(と信じたい)
  • 特にサポーターのことは、大切に想っていた
  • 風間監督のサッカーは楽しかった
  • 小林裕紀とのコンビも楽しかった(ここがアツい)
  • 今はこの「クラブ」の為には頑張ろうと思えなかった
これくらいです。だから私としてはこの記事だけで彼のことや、逆にクラブのことを「一方的に」批判することは出来ないだろうなと思っています。サポーター、ツライですね。だって我がチームの選手には無償の愛を注ぐわけじゃないですか。なのに別れる際に直接関与出来ない。「おいおい俺たち置いてきぼりかよ」と。彼のケースは、まさにそれだった。最後は我々の愛だけでは手が届かない場所で、別れが決まってしまった。それがなにより残念でした。
 
これまでも散々語らせて頂いておりますが、特に降格して昇格するまでの一年間ですよね。この一年間は、本当に「田口泰士と歩んだ一年、彼とともに昇格を掴み取った一年」であったような気がします。その意味でいえば、「サポーターのために戦った一年だった」と総括した彼の想いは、少なくとも私には届いていたのだろうし、おそらく多くのサポーターも同じ気持ちだったことでしょう。

[http://Embed from Getty Images ]

最後の最後まで契約更新を渋られ、「移籍が決定的」とまで報道されたにも関わらず、彼の残留が決まった時の喜びは今でも忘れないし、昇格が決まった際にピッチ上で倒れこみながら涙した彼の姿も忘れることはありません。もちろんその後、彼の移籍が決まったときの悲しみも、忘れることはないでしょう。サポーターからすれば、彼とともに勝ち取った昇格だったからこそ、その彼とともにJ1で戦えないという事実は、やはり素直には受け止められなかった。なんだか肩透かしを食らったようで、「マジかよ、何のために一緒に苦しい時期を耐えたんだよ」って。また、クラブに視点を移すと、昨年一年間で最も苦労し、結果として成果に現れなかったのは「彼の後釜」であったことは否定できない事実。風間監督にとっても一番の痛手だったのは彼の移籍だったことでしょう。それは裏を返せば、このチームで最も目の速い選手は彼だった、ということでもあります。
 
兎にも角にも、彼はこのチームの看板選手でした。それを彼がどう受け止めていたかはともかく、私たちサポーターにとってはとりわけ特別な存在だった。特別だったからこそ、すっきりとした別れは叶わなかった。
 
さて、我々のホームでいえば、二回目の同窓会です。今回はどんな顔をして会いましょうか。前回はあっという間の再会(第二節)で感情を整理する時間すらなかった。ただ今回はたっぷりありました。貴方は笑って再開しますか?それとも別れた憎しみを彼にぶつけますか?はたまたもうお前には興味もないし、そもそもこんなブログもクソ喰らえでしょうか?(優しくして)いやいや純粋に一人の相手選手として、とことん嫌がらせをしましょうか?

[http://Embed from Getty Images ]

そこに答えはありません。それぞれが、それぞれの想いに立って、彼を迎えればそれでよいのだと思います。結局何が言いたかったんだ!なんて言わないでください。改めて、こんなことを考えてみてもいいのかな、そう思ったまでです。彼は名古屋の歴史を作った一人です。今、私たちが笑顔でJ1を戦えているのは、あのとき我々を見捨てず、きっちりチームをあるべき場所に戻して去っていった彼のおかげでもある。
 
クラブの生え抜きで、キャプテンまで務め上げた男が、名古屋のゴール裏に挨拶にすら来れない。うん、まあ気持ち悪い感じはあります。初めて彼を迎え入れた際の私たちの振る舞いに問題があったのか、彼自身に問題があるのか。それは分かりませんが。ただ、私自身の想いとしては、試合が終わればお互い笑顔で讃えあえるような、そんな間柄であれば素敵なのではないだろうか。こう思う気持ちもまた正直なところです。ただね、笑顔で讃えあうには、我々が圧倒的に強くなければなりません。勝つから楽しいんですよ、そこはね。
 
では週末は?そうですね、「こいつらには敵わない」と思わせるくらい完膚なきまでに倒して、彼との戦いは三戦全勝。試合中は徹底的にブーイング、終われば勝者のメンタルで暖かく拍手でしょうか。それが一番スマートじゃないですか?戻ってきて欲しい、ではないんです。「戻ってきたい」そう思わせるだけの強さと、余裕を見せないと。ブーイングにしても、憎しみありきのものではなく、それすら楽しめる余裕を持っていたい。私たちにしか分かり合えないやり取りで育まれる関係性、いいじゃないかって。それもこれも、我々が勝つから、我々の方が強いから面白いんです。戻ってきたくとも、もう居場所なんかねーぞって。それくらい圧倒的巧者でありたい。かー、あのとき別れた彼女にもそう思わせるだけの器が私にもあれば....。あ、もちろん戦いの最中は敵ですから。最初から歓迎ムードなんて、私は御免です。
 
こんなことも、最近は全部楽しみたいって思います。だってそれが我々の新たなスタイルでしょ?感傷に浸る時間なんて、楽しいものに変えてしまえ。怒りや憎しみなんて、笑い飛ばしてしまえ。
 
まあでも、田口泰士のチャントを世界一カッコよく歌い上げるゴール裏は名古屋以外いないよ。それは間違いない。今でも「あのチャントが大好きだった」って声、聞きますから。
 
さて、大切だった選手との再会が待っています。