みぎブログ

主観で語りますフットボールを。

「ファミリー」とは

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勝利より敗北の方が学べること、我々にはありますか?

今シーズン開幕から絶好調だった我等が名古屋グランパス。このまま飛ぶ鳥を落とす勢いで優勝争いかと思いきや、あれよあれよと突如の失速。この予定にはなかったはずの展開に我々も奈落の底へ突き落とされました。強くなると相手は対策し、故に対策しない名古屋は何も出来ず、第12節の川崎戦の引き分けからまさかの8戦勝ちなし直近4連敗。それにしてもこのエゲツない安定感のなさ。浮き沈みが激しすぎて、感情の振れ幅がコントロール不能です。

「風間擁護派 vs 風間解任派」

いつしかSNS上における名古屋サポーターといえば、この対立構図のもと語られることが増えました。誰かと誰かを対立構図として煽るのは人の性。それにしても9位のチームをここまで荒れさせる風間八宏逆に凄くて尊敬します。

本来誰だって争いごとなんて嫌。我々の好きな対象が例えばフィギュアスケートなら。おそらく皆で喜び、感動し、涙し、励ますことが出来たでしょう。これがアイドルグループだったら。おそらく皆でキャーキャー歓声をあげながら、ただただその姿に興奮して、その場を後に出来たんでしょう。

でも我々が好きで好きで仕方がないフットボールの世界は決してそうはいかない。多くの方が愛するのはクラブ。クラブとは、我々にとって我が事、です。毎週末シナリオのない勝負事に身を置き、負け続ければ降格だってある。勝てば幸せ、でも負ければ憂鬱。「俺たちのクラブの何がいけなかったんだ」と、悩み、落ち込み、ときに怒る。これが個人競技だったら我々が抱く感情もまた違うのでしょう。我々はクラブを愛しているから、不思議なことに個人を責めることに躊躇がなくなる。「貴方は我々のクラブに相応しくない」と。

ここ最近、「日本のスタジアムには狂気が足りない。あれでは強くなれない」そんな論調があるのはご存知でしょうか。緩い、あれでは相手の脅威になれないと。ただ今回、全く勝てなくなって我々に起きたことを冷静に見つめたとき、この国におけるサポーター事情が少しだけ垣間見れた気がしたのです。風間八宏のおかげです。あまりに極端で、頑固で、その振り幅がエゲツない彼のおかげで、我々も我々自身のことが、少しだけ分かったような気がしています。ありがとうございます、もちろん皮肉です。ただ「ファミリー」って何なんでしょう。そんなことを考えだすと、試されているのは選手だけではない。実は我々ファミリーも、ともに成長しないといけないのではないか。そういった試練を突きつけられているような気がするのです。

ファミリーにとっても劇薬だった風間八宏

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そもそも我々名古屋サポーターを特別な呼び名にしたいと拘ったのが、他でもない風間監督です。これも皮肉な話で、結構サポーターへの想いが強いわりに、そのサポーターに引くほど嫌われるこの矛盾。結果我々は「ファミリー」と名付けられました。皆さんは家族だと。いいですか皆さん、家族ですよ家族。世間的にみたら家族ってまあ一心同体みたいなものですよね。家族には無償の愛を注ぎ、悩みは全力で受け止め、ときに喧嘩してでも面倒に首を突っ込む。それが私のイメージする家族です。その家族という関係性を、少なくともこのクラブを応援するその瞬間だけはともに共有しようと。

これ実はとんでもないこと言ってるなと、今更ながら思いました。血の繋がりもない、何か深い縁があるわけでもない我々がたった一つ、「このクラブが好きだ」この気持ちだけでファミリーだという。どれだけの価値観がここに集まっているか、考えたことはありますか。私がみた我々のファミリーとはこんなラインナップです。これを顕在化させたのは、皮肉にも風間八宏だったと思います。

①彼のチーム作りを理解し、長い目でみようとする者

もはや周知の通り、風間監督のチーム作りは独特です。本人がそう思っていなさそうなのがマジいらっとしますが、まあ誰がどう見ても独特。目先の勝敗にはもちろんこだわっているでしょうが、そのために例えば選手の手助けになるような、またその特徴を容易に活かせるようなチーム戦術(いわゆる「決め事」)は細かく仕込みません。あるのは「止める蹴る」のベースのみ。その個々の繋がりがチームを形成し、その技術の上に個性が乗る、そんな考え方です。つまり我々が期待できる対象はある意味において「選手だけ」。しかも「今持ち得る力量」だけが頼り。この二年半、その段階ごとで壁にあたり、その都度彼らはその苦境を跳ね返してきました。ある者は自己の成長をもって、またチームとして不足した部分は補強を敢行することでレベルアップした。そのやり方は前回のブログに書いた通りです。このやり方に賛否があることを承知の上で、それでもどこかのタイミングでピタっ!と目が揃い、急に勝ち始めるチームに何より期待している我慢強いジャポネーゼ達がこの層です。もちろん、ご存知かもしれませんが私もこの考え方です。いかにも日本人的でしょう。風間八宏と魔境J2をギリギリで乗り越え、昇格初年度は15戦勝ちなし最長8連敗まさにぎりぎりでの残留。そして今年は8戦勝ちなし現在4連敗中。どうだ、凄いだろ。サッカーには夢がある!ありがとうございます。

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 ②目先の勝敗にもっとこだわるべきだと考える者

先ほどの内容と、まさに対となる考え方です。叶うか叶わないか分からないロマンではなく、より一戦一戦の勝敗に執着しろという発想です。圧倒的な技術信仰者で、挙句その目(技術のスピード)が揃えばどんな攻撃だって俺たちは出来る、決まった型がないからやっている者も楽しいし、それが結果的に観る者の楽しみにも繋がるはず。おっとそもそもボールは取られんじゃあねえぞ。(ここでツッコミが入る)いやいや馬鹿言ってんじゃねえ。再現性もない、目が揃う保証もない、ただそれだけを追い求めた結果揃わなければなす術もない。ふざけるなと。ちゃんと相手の対策をしろ、もっと決まった型を選手に授けろ、誰がどこに立つべきか明確にしろ、選手に得意なことをやらせろ。つまり「今勝てる最善策を尽くしていない。しっかりとした戦術さえあれば、もっと選手は力を発揮出来るし勝つ術もある」。この考え方です。いや、至極当然のことですね。書いていて手が震えます。

改めて思いますが、どちらも尊重されるべき考え方です。お互い決して間違ったこと(筋の通っていないこと)を言っているわけではない。一方はその「可能性」を信じ、もう一方は目の前の「現実」を追求しているだけです。ですから私のSNS上での友人には当然②の方もいるし、そこはどれだけ正反対のことで怒り、嘆き言い放とうが、尊重し静観しています。この話題でなければ、一緒にバカ話だって出来ますから。もちろん議論になるならしてもいいでしょう。ただ喧嘩は議論ではありません。それならやめた方が良いし、自分の価値観を怒りでぶつけたところで何も起きません。風間監督を応援する場合、得てしてそれは「可能性に期待する」になります。だから勝手に宗教じみた「信者扱い」とする者もいる。レッテル貼りして上に立ちたい方々です。実際に私にもそんな方々から所謂クソリプなるものがきます。そりゃもうがんがんブロックですよ。それでいいんです。全ての声に耳を傾ける必要はありません。毎回思います、「貴方達は誰と戦っているのか」と。正直に申しますが、勝手に戦場に引きずり込もうとする行為ほど迷惑なことはありません。

そしてこの延長線上にはこういった層も。

③行き過ぎた「嫌い」の感情で火事を引き起こす者

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仮に応援するクラブが自分の家だったとしましょう。普通我が家の出来の悪さを自慢げに語りたい人などなかなかいないでしょうが、中にはそれを嬉々と語る方もいます。ここが悪い、ここが酷い、ここが終わってる。まさにネガティブのオンパレード。何とも我が家を燃やそうとする行為にも見えますが、案の定上手く着火しそうなときにこの声は大きくなります。成功するとどうなるか分かりますか。騒動に気づいた第三者(この場合名古屋サポではない方)が現れる。「あそこの火事がマズイぞ」「え!?どれどれ」。皮肉なもので、人は他人の悪い噂ほど早く、広範囲に情報を拡散する生き物。何故なら肯定より否定の方が言葉は強く、人の興味を惹きつけるからです。人の声という声が息として吹き込まれ、本来ボヤ程度だった炎はみるみる大きくなっていく。

現実の世界に話を戻すと、風間監督のチーム作りがまた都合がいいんだ。駄目な時、それはもう駄目駄目じゃないですか。一つ歯車が噛み合えば恐ろしいパワーを発揮する。ただしその一つが噛み合わないと目も当てられない。何故保険をかけない(千鳥のノブが言っています)。駄目だった時、他の手立てがない(分かってやってるからまたタチが悪い)。結果そのやり方への好みは真っ二つに分かれ、「そもそもこの設計者がクソだ」となる。すると前後の文脈を知らない第三者はこんな感想を抱く。「ほんとだ、これは酷え」。

でも考えてください。仮に自身の大切な家が火事に遭ったとき、普通は必死で火を消そうとはしませんか。野次馬根性で見に来る人がいれば、追い払いたいと思いませんか。だって我々の大切な家ですよ。そう、ここで大切なことは、結局燃えている対象は「我が家=クラブ」だという事実です。そして中に住み、それを必死に応援している「ファミリー」をも燃やしていることに気づかない。悲しいかな、分かってやっていれば手に負えません。だからこそ勝手な正義感で「いやいやほんとはぼや騒ぎ程度ですよ」と言い回っても、第三者の目の前は既に火の車に見えていますから、手遅れです。

考えてみれば、何故愛するチームをそこまで罵倒するのか。単純な話です。クラブに対してそこまで愛着がないか、どうしてもそこに関わる何かが許せない。嫌いで嫌いで仕方ない。もしくはその対象を大切なクラブから追い出したい。一見すると②と③は同じように見えるかもしれませんが、実は全く異なるカテゴライズであることを理解する必要があります。そうでないと、物事の本質は見えてきません。

まあそれにしてもここまで嫌われる風間八宏には、是非「嫌われる勇気」の本をだしてほしい。

④勝っても負けても楽しく見たい者

「降格しなければ世界は平和」あぁ素敵な層の出番です。最も楽しく観戦出来る層と言い換えることも出来るでしょう。そりゃ勝ってくれたら嬉しい、ただその存在があるだけでも満たされる。何よりクラブが好き、そこに所属する選手が好き。彼らのプレーを見て一喜一憂することが醍醐味です。よって勝つために①と②が揉めているとがっつり引きます。「またそんなことを...馬鹿なのねえ馬鹿なの?だから男はアホ」。はあああごめんなさいごめんなさい。この思考、近い存在が例えばライト層やファミリー層かもしれません。クラブとしても大切な層です。通常のスタジアムに二万人集まるとすれば、この層がそれを四万人に押し上げる。おそらく①と②が歪みあえば歪みあうほどこの層は離れます。

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ただしここで難しいのが、そうは言ってもこの世界に勝ち負けはつきものです。勝負事は、良くも悪くも人を狂わせます。「サポーターはストレスを買いに来ている」よく言ったものです。正解。日本のスタジアムって、ある意味勝負事の場で、またエンタメの場でもあることがここで分かります。知りませんが、例えば海外ならスタジアムに来る8〜9割のサポーターが勝負事として観ているのかもしれない。ただこの国のスタジアムってせいぜい半分いれば良いところじゃないですか。なのでここの差異を理解し、お互いが尊重すべきです。「勝ちだけが全てではない」。この価値観を我々は知らなければいけない。この時点で私的には「日本ももっと脅威を感じさせるスタジアムに」へは反対となります。いや、この国にしか作れないスタジアムを目指せばいいと。

⑤クラブ以上に個人に愛を注ぐ者(個サポ)

④とは別に、この層が存在するのもこの国の面白いところ、素敵なところです。兎にも角にも個人推し。選手が移籍したら私も一緒に移籍します(ちょ待てよ)。これも箱推しが当然の方からすれば慣れない感覚かもしれません。でも考えてみれば面白いですよね。だって言葉の通り、選手と一緒に移籍して異なるチームの文化に触れられるんですから。

そしてこの個サポにとっても、名古屋というクラブはキツい環境。大前提として我々の応援する名古屋グランパスオリジナル10の、資金に恵まれた、タイトル経験のある「ビッグクラブ(異論は受け付けますん)」であるということです。毎年残留争いするような(したけど)、ときに降格するような(したけど)、下のカテゴリーに当たり前のようにいるような(いたけど)チームでは本来ないということ。やはりあるべき姿、あるべき立ち位置、求められる成果が必ずあって、そのために選手の入れ替えはどうしても頻繁に起こる。

またここにきて監督が風間八宏ですよ。これも前述のブログをご参照いただきたいですが、目の速い連中についていくため、もしくは目の速い連中に刺激を加えるために選手の入れ替えは当然のことだと割りきったチーム作り。これもガチャだ使い捨てだ嫌味言われたい放題ですが、彼の理論上は私もそうあるべきだと思いますから。だから風間監督はある意味で名古屋のあるべき姿にマッチした監督だとも。ただしこれが個サポの方にとっては「冷たい」という印象になり得るんですよね。規模の小さなクラブの方が、その点選手に寄り添っているようにも感じられる。この点に関しては、たしかに今の名古屋とは噛み合わせは悪いのかもしれません。ただ嫌いになっては欲しくないなあ。

サポーターではなく、「ファミリー」

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本来スタジアムにいても私たちが聞く声は、せいぜい一緒に行く友人や仲間の声だけです。それがSNSという場になると、奇跡的におそらく一生交わることのなかったはずの声が交わる、または聞くことが可能となります。SNSとはつまり、スタジアムの一角、例えばゴール裏を切り取って全員にマイクを持たせたようなものです。聞こえるはずのなかった声が聞こえ、同じクラブを応援するファミリーという括りの中に、実は沢山のカテゴリーが存在し、その中で一人一人異なる個性が存在することを教えてくれる。それはこれまで見てきた通り、これだけ複雑に入り組んだものなのです。

昨日、こんな悲しいニュースも流れてきました。

出て行け、ですか。凄いですよね。来てくれ、と言ったのは我々です。降格してからのこの2年半、一からチームを作ってきた我々のもとに来てくれた監督、コーチ、選手達はそもそもファミリーではないのでしょうか。

我々は今、これらの多種多様な価値観を名古屋グランパスという一つのクラブを持って、「ファミリー」にしようとしています。この2年半、選手たちが様々な壁にぶつかっては乗り越えてきたように、我々もまた、この壁を乗り越えファミリーの絆を強くしないといけない。そう、壁にぶち当たっていたのは選手だけではありません。我々もそれぞれがその苦境に立ち、これからどう振る舞うべきなのか試されているように思います。ファミリーとは何なんでしょう。凄まじい難題にぶつかったものです。負け続けるのはつらい。でも負けないと気づかないことありますよね。ここ最近、それはもう落ち込んだり悲しんだり色々ありますが、同時にこんなことを私は痛感しました。ファミリーって、重いですよね。今さらこの言葉がズッしりきてます。お互いの価値観を認めあい、共に手をとり応援する。そりゃ意見は分かれます。ただ私はお互いの価値観を理解し、クラブをサポートしたいです。この監督が良い悪い。そのジャッジを下すのは我々ではありません。そこだけは肝に銘じなければ。ただし、今クラブが置かれている立場・状況は理解する必要があるのでしょう。

さて、次は待ちに待った「鯱の大祭典」。8戦勝ちなしの状況で超満員の豊田スタジアムに我々は集結します。皆さんは、我々のクラブにどんな声援を送りますか。