みぎブログ

主観で語りますフットボールを。

サポーターっつうのは大変なんですよ

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先日は沢山の「娘が可哀想だ」の声、ありがとうございます。翌日、長良川にいたサトミキをすっ飛ばして遠方まで娘を連れて行きましたので、「あぁ素敵なパパさんやなあ....」の印象でお願い致します。

今回は、この記事を書いて皆さんからいただいたお声、また最近のSNSTwitter)の様子を見て感じたことを、もう少しだけ綴りたいと思います。

migiright8.hatenablog.com

それにしても試合が終わって尚、名古屋界隈盛り上がっております。ここまで一週間ネタに事欠かないのも逆に凄いんじゃないか、いい感じに麻痺してきました。八宏ありがとう。

前回のブログはあえて自虐っぽく書いたんですが、あそこに込めたメッセージは凄くシンプルだったんです。あの横浜戦での一日で、僕自身、率直に感じたこと。それはとにかく、とにかく娘だけは大切にしようぜなあみんなと。

ち が い ま す。

僕があのブログを通じて伝えたかった想い。それはサポーター(以下、名古屋目線でファミリーとします)の実態。個人の価値観と、おそらく誰しもが持つ共通の想いとでも言いましょうか。それが同居したこの複雑な感情を伝えたかった。

個人の価値観とは

ファミリーたる者、誰しもが理想のクラブ像があります。なって欲しい姿、求める理想、ありますよ。そしてそれは多くの場合、バラバラです。不思議なことに、同じクラブを応援しているのに、そこに求める姿はバラバラなんです。

なのでそこを議論するならともかく、例えばその価値観を持って誰かを言い負かそうなんて無駄なんです。そりゃあ居酒屋でも行けば「俺の理想が正しいんじゃあ!」って、つい酔った勢いで言うこともあるでしょう。許す!酒の力借りる可愛さ許す!だって誰だって自分の意見は少なからずとも正しいものであって欲しいじゃないですか。でも公の場でその正しさを証明しようなんて実は野暮なことで。絶対に皆がアグリーすることなどない、それを教えてくれたのがSNSTwitter)じゃないのかと。皆が皆、同じ意見なんてあり得ないですよ。そこにあるのって結局は「共感(「発見」も含まれる)」があるかどうかだけ。「あ、この人の考え方好きだな」とか、「俺この人の考え方近いわ」とか、「この人の考えは新鮮だな」とか。勿論そこに共感を呼ばないと、何故だか嫌われることだってあります。そりゃ出来ることなら嫌われたくないけれど、中にはそうなることだってありますよ人間なんだから。僕のことが嫌いな人もそれなりにいます。その自覚くらいはあります。だから以前にはこんなブログも書きました(自分を慰めるために)。

migiright8.hatenablog.com

誰しもが持つ共通の想いとは

でも例え意見が合わなくとも、「勝ったら嬉しい」「負けたら悔しい」そこだけは一緒なんです。だから必死で毎試合応援するんです。もうね、そこだけ一緒ならええやん!僕はそう思うんですよ。あとは好きでも嫌いでもさ。同じクラブを応援する、その醍醐味これなんじゃないかって。皆価値観バラバラで、ぶっちゃけファミリーと言いつつ「こいつ嫌いやわあ....」って感じる相手いるでしょ絶対いるでしょう(二回言った)。でも不思議と試合中は「勝ってほしい」って、同じように願うんです。おかしな話ですよね。そんな風に誰しもが無条件に応援しようなんて思える存在、この世の中にいくつあるでしょうか。ファミリー、ファミリーって何を根拠にこんな名前付けたんだって考えたりもするんですけどね。血なんぞ繋がってねえ勝手にファミリー扱いすなっ!ってさ。でもなあ、もうこの関係性こそがファミリーだろうと。

「勝ち点3こそ正義」。僕はこの考え方、正直あんまり得意じゃなかったんです。多分元々がサッカーオタクだから、サポーターと言いつつもどこかでそのフットボールを冷静に観てる自分もいて、「勝利だけが全てじゃない」って。そう感じていた自分がいたと思います。それはまさに僕の価値観で。

でもファミリーがおそらく唯一繋がれる(共感出来る)部分、やっぱり「勝ったら嬉しい」「負けたら悔しい」この感情だけであって、その意味においての「勝ち点3は正義」、これ正しいんだと思う。大正義ですよ。だって勝ったら誰だって嬉しいもん。負けたらめっちゃ気落ちするもん。その意味においてなら、これ正義だなって。そう思うし。

一方で勝てないとき、「議論」なんて都合良い言葉を使って誰かを言い負かそう、ないしは異なる考えの持ち主にレッテル貼って優越感に浸るとか、ほんと無駄じゃん。だってそれは各々の価値観の話だから。その気持ちは自分で処理しないと駄目です。なんて言うんだろう、その「やり場のない己の価値観を人にぶつけることで精神を保つ行為」って、物凄く人に甘えてると思うんです。例えばそうだな、そもそも議論なんてもの自体も、顔見知りとまでは言わなくとも、お互いに「ある程度この人とならやり取りが出来る」、そんな信頼関係が前提になければ成立しないんじゃないか。少なくともTwitterという場において、最近はそう感じるんです。その前提がないやり取りは、殆どが「価値観のぶつけ合い」ではないですか。それはただの自己満足。せめてそれやるなら相手もそのつもりじゃないと駄目で、ノーガードの相手に勝手にぶつかりに行くのは煽り運転と同じで一番駄目だと思います。本当にハタ迷惑でしょ、煽られる側は。

今のファミリー可哀想でも幸せ(はっ!?)

なぜ名古屋界隈が毎度お騒がせで揉めるかってね、いや勿論揉めるのが好きな人もいるかもだけど....少なくない理由として、その唯一ファミリーが拠り所にできる「目先の勝敗」に、監督である風間八宏が徹底的にこだわって、何してでも掴み取ってやろうとする人ではないことが、一つ要素としてあるとは感じます。勿論負けず嫌いだと思いますよ。でも彼が考える「強いチーム」は、その「目先の勝敗にとことん拘るやり方」ではなることが出来ない、きっと彼はそう考えているから僕達にそんな印象が残るんです。それはあの無策っぷり、普段の練習、試合後の彼の言葉から。だから好き嫌いも分かれるし、いつもそれが揉める原因の根底にある部分なんだと改めて思った次第で。ただ繰り返しになるけれど、それを肯定する人もいれば否定する人もいるわけで、そこを対立構図とするのは不毛なんですよ。正解なんかそこにはなくて、実際は正解と「思いたい」から生まれる構図なんです。

一方で、これっぽっちも未来に目が向いた話なんかなく、ただなんとなく目先の勝敗に一喜一憂するサポーターライフってのも、なんだか寂しい気がするんです。それが例え「あんな野郎にゃ名古屋は預けられねー」でも、「止める蹴るに未来はない」でもいいんです。そういう我々が各々考える、夢見る「名古屋の未来」を語れるその環境こそが、実は一番大切なんじゃないかって。そんな各々の「なって欲しい姿」を語れていること自体は、決して悲観することもなく、全然悪いことなんかではないと。我々のクラブが前に進もうとするから、何かを作ろうとするから起こることなんだって、そう思う。それをピーチクパーチク好き勝手言ってるのが何よりの醍醐味で、同時にその土俵で誰かを言い負かしたって、クラブがその通りに変わることは残念ながらありません。

こんな時期は時に応援するのがツラいときだってあるでしょう。いいじゃないですか、休みましょそんな時は。頑張りたくとも頑張れないときはあるんですから。自慢になりますが僕も仕事のモチベーションは全然上がりません(あっはっは)。本当は応援したいのに、どうしても気乗りしない時、あるある。頑張れ頑張れが重てえぞと。全然問題ないです。僕も最近久しぶりにバルセロナの試合観たんですよ。技術レベルちょー高いの。風間ストレスなんてイチコロですわ。

こんな綺麗事が嫌いだって人がいるのも分かってます。偉そうに今更何言ってんだと、面白くない人がいてもおかしくないと思いますよ。これを読んで腹が立つ人だっているかもしれません。誰からも好かれたいなんて、そんな夢見がちなおっさんでもありません(傷つきたくないけれど)。

でもこれ僕のツールなので。僕はこう思うぞと、改めて伝えたいと思いました。誰に向けてでもなく、自分の気持ちを。

最後に締めの一言を。

トップ画像は、僕が(貴方が)喰いつかれたイメージです。