みぎブログ

主観で語りますフットボールを。

風間八宏「契約解除」

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この記事の内容が確かだとするなら、7月20日豊田スタジアムでのG大阪戦。あの等々力でみせたスペクタクルな試合を経て、そこから1分6敗の大ブレーキで迎えた試合でしたね。


【公式】ゴール動画:宇佐美 貴史(G大阪)90+1分 名古屋グランパスvsガンバ大阪 明治安田生命J1リーグ 第20節 2019/7/20

最後の最後、90分+1分。誰もが勝利を確信していたあのロスタイム。宇佐美にヘディングを叩き込まれ、8試合ぶりの勝利を逃した瞬間、風間監督の解任が水面下で決定し、それを小西社長が覆したということになります。

そこから起きたことを時系列にあげてみましょう。

加入が2名(この文脈で隼平の復帰を含めていいかは疑問ですが)。名古屋を離れた選手が6名。一方で太田宏介の加入が7月2日。柿谷曜一朗の獲得報道が出たのが7月4日。山田康太の獲得に動いたのが8月10日の横浜vs鹿島戦後と言われていますから、おそらく小林裕紀の移籍が決定的となり、米本拓司の長期離脱と相まって、急遽獲得に動いた(マテウスの交渉に絡めた)と考えるのが自然ではないでしょうか。

つまり、おそらくですがこの7月20日に至る二週間前まで、名古屋の強化部はあくまで「風間八宏ありき」でチーム強化に走り、この試合以降、完全にその動きがストップした。一方で例年同様、チーム内競争で出番を失っていた選手達は続々とこのチームを去りました。この日を境に、チームのサイクルが完全に狂い出したことは紛れもない事実でしょう。

崩壊した「フロントと現場の関係性」

その極端なまでに攻撃偏重なフットボールで賛否両論尽きない風間監督ですが、彼のチームにおける最も肝となる部分は「チーム内の競争力」であると感じます。

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この2年半におけるシーズンの戦い方を振り返っても、怪我人も含めシーズン前半で各選手の目がばらつき始めたところを、夏前の補強期間を経て整えていくのが彼の特徴です。ともすれば「補強頼りだ」と言われる彼のチーム作りですが、実際に彼のチームにとって欠かすことの出来ない要素であることは事実であり、一度グッと沈んだチームをジャンプアップさせる起爆剤となるのがこの補強戦略です。

ではその彼のチーム作りを一体何が担保してくれるのか。勿論それを理解し協力を惜しまない「フロント」となります。つまりそんな彼の特異な手法を全面的にサポートした小西社長。彼のフットボール観を誰よりも理解し、そのチーム作りのブレインとして奔走した大森スポーツダイレクター。この縦のラインが同じ目線を持ってクラブを改革しようと手を取り合ったのが降格した2年半前であり、そのサイクルが機能した結果が一年でのJ1昇格、そして昨年の残留劇でした。

このクラブの屋台骨ともいえる三人のラインが、結果としてあの7月20日を持って狂い始めた。これが今回の結末を迎えた主たる原因でしょう。報道を上辺だけで受け取れば、大森スポーツダイレクターが寝返ったように写ります。ただ今年の新体制発表会を思い返しても、この2年半における最大の補強は風間八宏であると、その価値を誰よりも高く評価していた張本人が他でもない大森スポーツダイレクターであったことを思うと、そんな単純な話ではないでしょう。ましてや後半戦に向け、補強に動いていた時期からたった2週間でこれほど極端に動きが変わるとは、なんとも不可解でなりません。

さて一方で今回の解任劇、風間監督には非がなかったのか。

唯一、最後まで「貫き通した」男の功罪

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このプロジェクトを守るために小西社長が二カ月延命したのだとすれば、風間監督に何より求められたのは「結果」でした。ただし彼は「風間八宏」です。目先の結果を求めるために彼のやり方を変える行為は、彼自身のアイデンティティを否定するものでしかない。おそらく、彼のチームにとって欠かすことの出来ないサイクルが崩れ去り、このチームが競争力を失っていたことに誰よりも気づいていたのは、他でもない彼自身だったことでしょう。但し彼は何一つやり方を変えなかった。昨年の苦い残留争いの経験を経て、やっと駒が揃い始めたところでまたしても選手間(レギュラークラスとそれ以外の選手達)の力量差は広がった。絶対に欠かすことの出来ない中盤の心臓(米本拓司)も失ったまま。にも関わらず、彼が他の術を持つことは最後までありませんでした。

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ただ私はそれ自体が間違いだったとは思いません。悔やむことがあるとすれば、前回のブログで指摘した通り、チームへの忠誠心を選手達に植え付けることが出来る監督ではなかったこと。完全な実力主義。例えばどんな立場でも名古屋のためにプレーしたい。ないしはどんな役目だってこのチームの為なら負いたい。そういった選手を育てられませんでした。それがこの状況になって初めて、彼自身の首を絞めつけた。小西社長の期待に応えられるだけの術は、彼一人にはありませんでした。何故なら彼自身が、小西社長、そして大森スポーツダイレクターのバックアップに支えられていたからです。「風間監督に全幅の信頼を置く」、この決断を貫こうとした小西社長にとって、そこが唯一読み違えた部分だったのかもしれませんね。この状況において尚、彼を延命させる行為の見返りは、結果論ではあるものの期待出来なかった。もしそれを理解した上で一縷の望みを託したのだとすれば、それは小西社長の信念に他なりません。何が起きても最後の最後まで貫き続けた、いや、貫くことしか出来なかった風間監督のその姿勢が、最終的には小西社長の貫く決断を折ってしまった。なんとも皮肉な結末であったと感じます。

「スタイルを築く」と「結果を出す」の葛藤

では小西社長の「信念」とは。これは就任当初、グランに掲載された彼のインタビューを引用することとします。

風間監督と話をして、その通りだなと思うのですが、目の前の試合をなんとかやっつけようと思えば、やり方があると思います。ただ、チームが成長していく中で、固める時期、メーカーでいえば標準を作ることは絶対必要です  引用元:月刊グラン No279

つまり彼がどうしても成し得たかったのは、一度降格したこのクラブに「アイデンティティ」を確立させ、揺らぐことのないスタイルを築くことです。もちろんその為に招聘されたのが風間監督です。それが風間監督で良かったのか。この点に関しては様々な意見があると思いますが、少なくともクラブは本気だった。これまで書いた通り、彼を全面的に支持し、そのためのバックアップを怠らなかった。それだけではなく、その血がこのクラブに生き続けるようアカデミーの改革に始まり、東海学園大を含めた地域を巻き込む取組みに発展し始めた。プロジェクトは順調に進んでいるはずでした。

改めて考えても、ある程度のバックアップを必要とする風間監督と、どうしても名古屋のスタイルを確立したいフロント。両者の噛合わせは決して悪くなかったはずです。いや、これ以上ない組合せだった。ただ唯一大きな誤算があったとすれば、それだけの規模で運営されているクラブだからこそ、そこには親会社や沢山のスポンサー企業が存在し、いやが応にも結果が求められる環境であったことです。クラブのアイデンティティが一朝一夕で確立するはずもなく、それなりの時間を要することは容易に想像がつきます。惜しむらくは、あまりにその結果への執着が現場に乏しかったこと。いや、これは風間監督に失礼ですね。彼ほどの負けず嫌いも多くはないでしょう。正確には、彼のやり方ではあまりに即効性が乏しかった。此の期に及んで尚、結果で外野を黙らせる力を持ち得なかった。理想と現実の狭間でどう求められる成果を生み出すか、この術を持ち合わせていなかったのが致命的でした。但し風間監督からすれば、仮にそんな圧力があるならば、まさにそれこそが諸悪の根源だと考えているかもしれません。確かに彼にその大役を任せるのであれば、フロントは何があっても彼を守りきる必要がありました。ではそれが可能だったかと問われれば、少なくとも名古屋では不可能だった。小西社長を持ってしても不可能だと言うのなら、可能だと言えるほど私も世間知らずではありません。

さて、ではこの反省をどう今後に活かしていくか。それは当然ながら「どんな後継者を選択するか」となります。

誰もが予想しえなかった人選

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マッシモフィッカデンティ

おそらくこの2年半の出来事は、クラブ史上最もフロントと現場が一体となって突き進んできた証でした。その文脈で語るとするならば、あれほど風間八宏に拘ってきたクラブが次に白羽の矢を立てた監督が彼である事実は、率直に申し上げて違和感しか残りません。マッシモに問題があるのではなく、このプロジェクトにおいて本当に彼が適任者なのかどうかが問題です。では見方を変えて、「目先の残留」を最優先としたと考えましょう。マッシモがその点で適任者か。昨年、鳥栖が残留争いに巻き込まれ、現在の風間監督同様の立場に追い込まれてしまったのが他でもないマッシモです。「実績」だけで言えば、本来は評価の高い監督ではないはず。さて、彼の名がこのタイミングで挙がったのは本当に小西社長や大森スポーツダイレクターの意向なのか。当然ながら我々は彼等を信じ、支えていくべきですが、同時にこの点に関しては冷静に起きている現実に目を向けるべきだとも感じます。

この2年半、小西社長を始め、大森スポーツダイレクター等、彼らの言動は常に一貫しており、そこへの好みはともかく、全ての決定事項は非常にロジカルに進んでいたと思います。フットボールの好みではなく、私はそんな彼らのプロジェクト、何かを作り上げようとする心意気を最大限支持してきました。一方で、時に不可解な人事があったことも事実です。2018年のオフには前シーズンに昇格の立役者となったチームの顔、田口泰士がこのチームを去りました。今年のシーズン前には、前シーズン奇跡の残留劇の立役者、玉田圭司がまさかの退団に追い込まれた。おそらく、風間八宏が最も評価していたであろうチームの中心人物達であり、そのことは大森スポーツダイレクターが誰より理解していたはずです。

そして今回のマッシモフィッカデンティという人選。どうにも彼らが突き進む道には、定期的に理解し難い人事が起きているような気がしてなりません。但し今回ばかりは、理解することに努めるより、目の前で起きていくことをただ見守るしかなさそうです。我々はこの2年半、目の前で起こるそのフットボールについて様々な意見を汲み交わしてきました。あれだけエッジの効いた監督でしたから、それは荒れに荒れた日々でした。ただ今我々のクラブに起きていることは、果たして純粋にフットボールの観点だけで進められていることなのか。もっともっと根深い問題がそこに潜んでいないか。今回の事の発端は、ファン感謝デーの前夜、マスコミへのリークという形で我々に知れ渡りました。

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案の定、クラブは火消しに走った。おそらく、ファン感謝デーの前日にこのような事態になったことを誰よりも悔やんだのは小西社長ではなかったか。ファミリーに感謝を告げる場で、彼はお詫びせざるえない状況に追い込まれた。翌日の風間監督のイベントも、残念ながら中止の運びとなりました。これが今、我々のクラブに起こっている現実です。

多くのフットボールに関する議論が汲み交わされました。このスタイルを土台とすることが果たして正しいのか、様々な意見がそこにはありました。全てが未来に向けて、我々のあるべき理想の姿を思い描いた声だったように思います。それは、我々のクラブの選んだ道がどんなものであれ、誰しもが「前に進もうとしている」この感覚があったからこそ起きたことです。そして今我々に起きた一連の出来事は、果たして未来に向けたものとなっているのか。後任がマッシモなのか、それともいつの日か話題のベンゲル復帰なんて未来がありえるのか。いや、大切なのは「誰になるか」ではなく、「そこに彼等の信念が残っているか」です。それこそが今、我々に突きつけられた最大の問題ではないでしょうか。

勿論、実際はこの時点でそんなもの既に頓挫し、彼等が思い描いた未来など白紙に戻った可能性もあるでしょう。その場合、我々は以前の名古屋グランパスに戻ることを意味します。継続性とは無縁の、目先の結果のみを追求する集団に。もしかしたらそれがこのクラブにとっては正しい道の可能性もあります。スタイルではなく、とことん強さ、結果を求める。都度都度歩む道が変わったって構わない。そこに「強さを求める」、その信念さえあるのなら。ではそれで豊田スタジアムは満員になるのか。後世に残せるものがあるのか。ここ数年、クラブの観客動員に関する要因は様々な理由が挙げられてきました。どれだけ負けても、スタジアムはいつも満員だった。その現象に彼等フロントと現場が一体となって作り出してきた「未来への希望」がどれほど人の心を動かしていたのか。仮に目先の強さにのみ拘り、しかしチームが勝てなくなった時、そこに観客は動員という形でチームをサポートしてくれるのか。それはこれから分かることです。

我々の乗る船はどこに向かっているんでしょう。今はその行き先を見守りつつ、願わくば残留を果たして欲しい。

見るべき先は、未来ではなく、今に変わったのだから。