みぎブログ

主観で語りますフットボールを。

その物語は、書き換えられた

人気がないマッシモのために、煙を売ることにしました。

それにしてもマッシモ、時間がかかるらしい。風間氏と思考が真逆なので、風間氏が″技術″の追求に時間を要したように、マッシモも″規律″と″フィジカル″の追求において、時間がかかるという意味ならば、理解できるというもの。真逆故に、風間氏同様、選手は選ぶのでしょう(つまり彼のお眼鏡にかなう選手を揃えなければならない)。来季はキャンプから徹底的に鍛え上げて、マッシモ仕様のガチムキグランパスがきっと観られるはずそうに違いない。

極端に言えば来年、来季が始まってからまったく新しい、私がやりたかったサッカーを目にしていただけるようになると思います

言ったな。ということで、見所を個人的にピックアップ。

1、前プレしたいって本当ですか?

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週プレじゃないです。前プレ(=前からプレッシング)。

鹿島戦でも時折見られました。そもそもの思考として、こちらがベースになることはありますでしょうか。であれば、ここは伸びしろ。悲しいかな、今季のメンツではここに苦労しました(風間時代の「崩しきった先にある前プレ」と、ここでいう「ボールを奪う前提での前プレ」は意味も違う)。

今季のベースは″撤退″でした。攻撃のスタート位置も低く、当然奪われると戻る距離(個々の定位置まで)も長い。持久力と走力がないと死ぬそれです。だから初見で思いました。

「なんて古風なカテナチオなんや......」

と。ゴリゴリにゴール前を固め、奪ったらカウンター。奪われたらはい撤退。前半はそこそこ元気なシャビエルが、後半になるとボールを奪われる度に途方に暮れるシーンも沢山観ました。もうあそこには戻りたくない、と。鹿島戦も相手に先行を許し、追いかける場面でシャビエルはバテバテ。ただ点を獲る必要があるので、彼は一列前に。代わりにワイドは伊藤を配置するなど、マッシモの苦悩が垣間見れました。

前半は体力も気力も漲ってるので締まった戦いになるのですが、後半も早々になるとやたらオープンな展開になるのはこれが原因です。特に前線の連中はアップダウンが激しいのでもれなく死にます。戦い方に幅を持たせるなら、ボールを奪うポイント(仕組み)は、やはり沢山持ちたいところ。

マッシモ的にいえば、今季からドラスティックに変わる要素があるとすればまずこれ。残留のための戦いは終わりました。もちろん希望的観測で終わる可能性もありますが。

2、仕込む余地が残された″ビルドアップ″

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取ったボールをつなぐことや、そういう今までやっていたけどマッシモになって捨てていた部分をもう1回トライするのも良いのかなと思います

鹿島戦前の中谷のコメントです(赤鯱新報より)。

ここの文脈が、外部からは非常に読み取りづらかった。鹿島戦、特に前半は相当″繋ぐこと″に固執している印象を受けました。ここでは主に、最終ラインを指した意味として。

確かに鹿島も前から積極的に奪いに来ません。繋ぐ余裕があったのも事実。しかし仮に繋ぐ意思がないのなら、ジョー目掛けて蹴り飛ばせばいいんです。拾えればラッキー、相手にこぼれたら再度ブロック形成し、鹿島を引き摺りこむ。カウンターがやりたいならむしろボールは捨てた方が話が早い。

でもそれはやらなかったですね。とにかく繋ごうとした。それが選手たちが″捨てたもの″として考え、自主的に取り組んだものなのか、マッシモも本来はそうしたかったのか、そこは来季のフットボールを観なければ断言出来ません。しかもこの試合、後半は早々から蹴り始めましたからね。謎です。

但し鹿島戦に関していえば、″繋ぐ意思″こそあれど、それ自体が目的化していた印象もあります。本来ボール保持を基調とするチームが、何故ビルドアップを後方から丁寧に行う必要があるのか。それを改めて考える必要があるのでしょう。

それは″前線に時間とスペースを生み出す為″にあるものです。風間流に考えれば、そもそも前線にそれがあれば一発で狙えばいいし、なければ後方から相手を一枚ずつ剥がして相手を動かす(動かざるをえない状況を作る)為にあるもの。鹿島は名古屋とシステムも同様(各選手の前には必ず対面の相手が存在する噛合せ)。ボールを繋ぎながら″どのポイントで優位性を生み出すか″、この点が重要でした。

しかし残念ながら、チームとしてそのアイデアを共有する段階ではなかったと考えます。例えば、風間流のように意図的に密集を生み出し、そこから″止める蹴る外す″を信号に相手の個を攻略するイメージもなく。例えばボールを回す過程において、意図的に選手たちが配置を変え、相手との噛合わせを″ズラす″ことでそのエリアを攻略するわけでもなく。各選手の個人能力は高いのでそつなくボールは回るのですが、一方でボールの進路に″縦″が入らなかった。″横″と″後″が多くなり、後方6枚でボールを回すシーンが散見されました。

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ではどう打開に繋げたかといえば、オフェンシブハーフの二人、前田とシャビエルによる″個″の力です。彼らが降りてきてビルドアップに加わり、一本のパスで打開する。相手を背負ったまま一発のトラップで剥がす、ないしはドリブルで抜き去るなど。彼らのクオリティに多分に支えられた仕組みでありました。それに加え守備になれば定位置に戻り、逆サイドにボールがあれば5バックの如くサイドを埋めたりと、攻守にタスク過多の中、よく頑張りました。この試合、チャンスの場面は殆ど前4枚で攻めていた印象です。その点、途中出場の伊藤はスピードがない分、太田を上手く活用する意図がありました。攻撃に変化をつける意味でも面白かったです。

現代のフットボールにおいて、このビルドアップが実装出来ないと戦い方の幅がぐっと狭まるのは当然でして、ここが一番の課題ではないでしょうか。裏を返せば、改善が見込めないと今シーズン同様「前に出てくる相手には強い、出てこないと脆い」チームとして、おそらく対策されます。

現状はボールを縦に運べない、当然中央を割って入るアイデアもないので、遅攻の場合は必然的にボールが外に外に循環します。だからサイドの″個″が重要なんですよね。ドリブルで違いを生み出す前田、外からのクロスで精度の高いボールを供給する太田。中では高さで違いを生み出すジョー。

(安心してくださいそれがマッシモ流です←東京方面の声)

馬鹿言ってんじゃないよ今んとこ太田のクロスも散々、ジョーのポジション取りも遅れるわでそれすらないからな。

3、ブロック守備にまだ向上の余地はあるか

この点の伸び代はどうでしょうか。

オートマティズムの向上は見込めるかもしれません。勿論前線の選手の顔ぶれが変われば全体の強度も上がる可能性大。

その一方で、ブロックの中心となる最終ラインや中盤は、既にある程度その理想を体現出来ている可能性もあります。改めて現在の戦力を考えても、最終ラインには丸山、吉田、太田がいて、中盤には米本がいる。後方6枚の内、4枚がそもそもマッシモ流経験者であったことを考えると、たった8試合とはいえ、これは大きなアドバンテージでした。そして裏を返せば、ここの伸び代が大きく残されているとも考えづらい。

そこで気になるのは、来季も″4-3-2-1″に挑戦するか否か。

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今季何度か挑戦しては、あっという間に4-4-2に戻す秘技を繰り返したマッシモ。撤退して守るのなら、最終ラインに4枚、中盤にも4枚を均等に並べるのが最もバランスが良いのは当然です。その結果、最前線のジョーの負担を軽減する為、アーリアが右に左に走り回ったのが今季の名古屋でした。

では何故マッシモは4-3-2-1に固執するのか。ここが謎です。

一つ仮説として考えられるのは、そもそもビルドアップを仕込む(実装する)のが苦手。その上、彼が理想とする守備において、4-4-2では前線の負担は重く、結果として攻撃にリソースが割きづらい。そんな悩みを解消する切り札的発想。4-3-2-1は連動さえすれば、数的優位も生まれやすい形です。

中盤に4枚(+アーリア)割いて、前線がジョー1枚では前にも出づらい戻るのも大変の二重苦。ならば中盤3枚にしたらどうか。そりゃ3枚で横幅見れるなら、その分、前に3枚配置出来ますから、より彼らは攻撃に比重を置いた振る舞いが出来るかもしれません。個のクオリティ万歳、頼りましょう。ただ中盤を3枚でみれるチーム、国内ではなかなか見ません。

そこで秘策、広島の稲垣獲得大作戦。

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仮に彼と米本をインサイドハーフに配置した3センターをベースにすることが可能なら、前線の守備における負担は軽減される可能性も高いと言えましょう。またその結果、例えば前線から前プレの効率が上がるだとか、攻守におけるジョーの負担も軽減されるだとか、守備負担が減った攻撃陣のクオリティが上がるだとか。超希望的観測も可能......かも。

もう、あの物語は終わった

さて、そんなこんなで最後に一つ、認識すべき点について。

降格してからの物語は、一区切りがつきました。来季の監督がマッシモと正式に決定した以上、もう終わったことです。

過去に想いを馳せてもそれは帰ってこないし、起こることもない願望を持ち続ける必要も、もはやありません。

改めて振り返っても、彼らが紡ぎだすストーリーは魅力的でした。我々の多くは″それ″を担いでいた、そう言っても過言ではありません。″名古屋らしいスタイル″に憧れを抱き、初の降格を経験したあのオフに、強烈な個性を持ち合わせた風間監督がやってきました。運を味方にするように、それを後押しする社長まで現れた。そしてこのプロジェクトに惹かれ、多くの選手たちが名古屋の地に集結しました。俺たちが名古屋の歴史を変え、そのスタイルを作り上げるのだと。

その文脈からして、シーズン途中での解任劇は、まさに熱中していたドラマが途中で打ち切られたような気持ちでした。もちろんこの脚本には興味がなかった方々、そもそも脚本の中身が気に入らなかった方々からすれば、それはもしかすると早く終わって欲しい物語だったのかもしれません。

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そこからマッシモと歩んだ8試合は、ある種の″繋ぎ″であり、緊急時の番組を観るような感覚だったとも表現出来るわけで。ただ先日、それは本編になるのだと我々は知りました。

ここから先は、いつまでも打ち切りになった物語にタラレバの夢を見たって、それが戻ってくることはありません。同時にいつまでも過去に固執し、比較することに精を出しても、もはやそこから生み出されるものも何もありません。

惜しむことがあるとすれば、やっと名古屋の地に存在するポテンシャルに気づいたにも関わらず、それをみすみす手放すことでしょうか。当時、風間氏はこの地に大きなポテンシャルがあると言いました。それはてっきり立地的な意味合いだと感じていたけれど、どうやらそれだけではないようです。

ボールプレーヤーに徹底的にこだわった彼のスタイルからして、この地のポテンシャルは凄まじいものがあったはずです。下部組織であるアカデミーでは、ユースに古賀監督という優秀な指導者が現れた。練習場の隣を覗けば、高校時代から徹底的にそのスキルを磨いてきた選手達(特に中央学院高の繋がり)を、更に研ぎ澄ますべく東海学園大の安原監督がいた。本来一つであるはずの下部組織が、風間氏からすればこの地には二つある。何もしなくとも、彼が望むスキルを併せ持った選手達がそこにはゴロゴロいたのです。自分達のスタイルが何か迷走し続けた名古屋からすれば、これだけボールプレーヤーに恵まれた土壌であると理解出来たことは、大きな発見だったことでしょう。そして、グランパスがその頂点の存在として明確なスタイルを掲げる限り、そこに魅力さえあればその供給が止むことはなかったかもしれません。

そんな物語に区切りをつけ、我々は新たな道を歩みます。

誇り高きプライドと、その生き様に期待を

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Jリーグの監督の中で何人がセリエAで監督が出来ると思いますか

おそらく今季のグランパスの試合を確認した際、マッシモの目にはそれは酷いものに映ったことでしょう。そして皮肉な話ですが、現在のグランパスの試合を観て、風間氏もきっと酷いものを観ている気分ではないでしょうか。我々はそれほどまでに正反対の思考を持つ監督にバトンを託しました。

マッシモは誇り高きイタリア人です。セリエAで指揮した経験も、彼の国が良しとする″常識″も、それが彼のプライドとなり、彼自身を支えている。今季彼に与えられた8試合は、きっと彼にとっては偽物の姿であり、それで最後ブーイングを喰らった事実は、彼に二つの想いを抱かせたはずです。

俺が作ったものではないという怒り。そして、その文脈を持って「彼らはこの姿に満足していない」と確信出来たこと。

彼がこのチームを作り替えようとする行為の意味するところは、エンタメ性なんかとは掛け離れた、徹底的に″勝利にこだわる姿″であり、魅せることではなく、″泥臭くとも走り、戦い、そして勝つこと″です。それが彼にとっての″文化″です。

だからこそ勝たなければ、彼のフットボールに価値はない。

本物のマッシモ流が観れるのは来季でしょう。止むことのなかった議論の一つ、ピッチと観客動員数の関連性においても、来季一つの回答が出るはずです。そして名古屋が歩んだこの一歩が正しいものだったのかどうかも、来季のシーズン後にきっと語られることでしょう。それでいいのです。

鹿島戦前、マッシモはこうコメントしました。

まずはチームを残留をさせて、また別のプロジェクトに向かっていくためにこの仕事を受け、やってきました

風間体制は終焉です。マッシモが魅せる本物に、期待を。