みぎブログ

主観で語りますフットボールを。

徳島の地で『足跡』を残してきた者たち


migiright8.hatenablog.com

このブログの次はこれだって決めていた。

もし昇格が決まれば、何か形にしたい。そう決めたはいいものの、徳島のフットボールを語るに相応しい人は他にいるだろう。降格後の6年間を語れるほどその文脈にも浸っていない。つまり適任ではない。

きっとこれ以降、様々な媒体が彼らを祝福し、そのフットボールの秘密、あるいは隠されたエピソード、選手の手記もでるに違いない。そう考えると、数ある記事の中で『その一つ』くらいの立ち位置は気が楽だ。ていうかどうせその程度のことしか書けないし。

なので一つだけ、些細ではあるが記事を残したい。

私の中で今シーズン心に残ったエピソードを。

 

チャーハンから和食までの道のりを知る男


THE PREVIEW TALK #1 「徳島VS磐田」

岩尾憲とリカルドの歩みを知る貴重な動画がある。

ジュビロ所属の同学年、山田大記との対談だ。

この対談は面白いぞ。まず何が面白いって、お互いが対戦する試合前にも関わらず、冒頭の大半ヤット(ジュビロ磐田遠藤保仁)愛に注ぎ込む岩尾が面白い。

今は同業のライバルだと言いつつ結局ただのファン心理消せてないの草。岩尾よ、おま可愛いじゃねえか。

とまあそんなことはぜひ動画を観てくれればいいのだが、面白い話題は他にある。手触り感のある話が。

〝今季の徳島は何が違うのか〟これがテーマだ。

手札が増えた。引出しと幅が明らかに増した

岩尾はリカルドを評しこう語る。なるほど、つまりリカルド自身がこの4年を経て進化していると。

今はいろんな局面で納得感がある

私はあらゆる局面で納得感がない仕事をしています。

ともすると監督は〝変化しない〟存在として語られがちだ。リカルドは当初から優秀で、だからこれはチームが地道に積み重ね成熟した結果だと周りは言う。

しかし岩尾に言わせるとその感覚は乏しい。

そもそもやりたいサッカーとかアイデンティティはあるんだけど人が変わってしまう

実は別の動画でも岩尾はこのつらい経験を口にしている。2018年の夏、主力が4人抜かれ術がなかった、残された手札がなかったと。毎年良いところまで駆け上り、最後の最後で突き落とされる。落とされた先には仲間との別れが待つ。積み上げ、いや簡単ではない。

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ただチームはそうでも、リカルド自身は別だった。

一・二年目は毎日同じ料理しか食わせてくれなかった。今は毎日同じ料理を食わされてない感じ

この絶妙な喩えを聞いて思う。妻が不在の際、子どもに毎度オムライスしか作らない俺とリカルドは同じだったのだと。つまり今の俺はあの日のリカルドだし、あの日のリカルドは今の俺だった。

価値観が偏っている人はチャーハンばかり。最初は美味いけど、毎食だと飽きる

俺のこの偏った価値観よ消えてしまえ。娘たちよごめんなさい。チャーハンとオムライスを同列に語ってリカルドにもごめんなさい。毎日オムライスでしかもそんな美味くなくて草いやごめん。あいつ(リカルド)はチャーハンばっかでも結構いい味出してたもんな。

知らない間にリカルドは和食の作り方を覚えたらしい。毎年どんな材料が集まっても、その材料に合った調理方法(個々へのアプローチ)をもって彼が美味いと思える作品に仕上げる術を習得したのだ。もう馬鹿の一つ覚えでフライパン振ってないってよ。

しかしだこのエピソードは重要なことを語っている。

最初が難しい。提示されている頭の中にあるものと、実際に平面で体現するその作業が難しい

今年(の新加入選手)はその作業に時間がかからなかった

ピッチ上での積み上げは難しい。しかしリカルド自身の積み上げ、また彼と4年間共に歩んだ強化部と作り上げた〝徳島のアイデンティティ〟があったからこそ、2020年の徳島ヴォルティスは生み出された。

『良い選手』ではなく、『徳島にとって良い選手』を重視して獲得しなければならないことは、私もクラブも改めて学べました

(リカルドロドリゲス)

サッカーダイジェスト2020.12.24インタビュー

良い料理人に良い調達人。十分語り尽くした気もするが、出来上がったものに意見する者を忘れちゃ困る。

ではチャーハンも和食も食べ続けた男の話に移ろう。

 

ある動画を見て残った違和感


【対談リレー】徳島ヴォルティスMF岩尾憲×大分トリニータMF野村直輝

今度は岩尾選手が、現大分トリニータの元チームメイト、野村直輝選手と対談する様子だ。

西谷のお兄さんだ。どうでもいいがこの系譜は長男玉田圭司、次男関口訓充、三男田口泰士、四男野村直輝、五男杉本竜士、末っ子西谷和希で確定です。EXILEのバックダンサー並大所帯でこれまた草。

そんな四男野村直輝は岩尾も認めるチーム愛の男だ。

チームのために我慢してするプレーは、今後勝点を積み上げていくためには必要だと思うので、そういったところは見逃さないようにしたいです。そういうチームのためのプレーが多く出ているチームは強いと思うし、チームのためにやることを第一にそのあとに自分のプレーをより良くして、エゴイストになる部分ではエゴイストになろうと。チームのために戦える選手が多いほど強いと思うので、今日のようなゲームをまたやっていければ勝点は積み上がると思います

(2019.9.8愛媛対徳島戦後インタビュー)

これは徳島在籍時の野村のコメントだ。一方で、野村が徳島初ゴールを決めた際は岩尾もこう応えた。

チームのためにというところは野村選手も人一倍考えていて、この場所で点を取ったのは一つ神様がご褒美をあげたのではないかと思っています。彼がここまで点を取ることが出来なかったことに誰かが揶揄することも全くないですし、それだけチームのためにいつも取り組んでくれているとみんなわかっているので、そういった野村選手の姿勢が生んだゴールなのかなと思います

(2019.6.15横浜FC対徳島戦後インタビュー)

そんな野村だからこそ、岩尾は聞いてみたかった。

J1だなって感じる部分ある?

J1で大乱調な試合ってあるのかな?

何度も〝J1〟を意識し質問を投げかける岩尾。

これを何と形容しようか。謙虚、では適切でない。羨望か。いや、ただ嫉妬とも異なる。そうじゃない。

行ってみてえなあ、俺もそこでどれだけやれるか試してみてえなあ。そんな一プロサッカー選手として当たり前の〝上を目指したい〟個人の想いには感じない。

生活してたり、街だったり、チームだったり、サッカーそのものだったり、J1のチームが(〝個人〟と〝チーム〟)どういうスタンスどれくらいのウエイト率でやっているのか

個人か、チームか。岩尾が度々口にするキーワード。

振り返ると彼にもJ1の経験がないわけではない。

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2013年には湘南でその舞台に立ったものの、プロ入り後度重なる怪我に悩まされた彼は殆どその空気を味わうこともなく降格を経験した。そこからはJ2が彼の主戦場だ。翌年、昇格を勝ち取りJ1行きの切符を掴んだものの、彼は自らの選択で水戸行きを決めた。

徳島ではや5年。どんな心境の変化があったのか。それは彼のこの一言が象徴しているように思う。

俺は〝チーム〟を追求する人間

徳島での5年間、彼にもJ1からのオファーがあったと本人が認めている。ただとりわけリカルドが徳島に来てからのこの4年間、彼はキャプテンとしてクラブの象徴であり続けた。それはもう圧倒的な存在感だったし、誰がみてもチームの屋台骨は岩尾だった。

ただその一方で、彼の仲間達はJ1へ去っていった。

そんな状況下で彼はなぜ徳島に残り続けたのだろう。なぜ一サッカー選手として上を目指さなかったのか。

この違和感と拭いきれない疑問への解釈はこうだ。

きっと彼はキャリアの何処かのタイミングで決めたのだと思う。〝個人〟のキャリアアップを追うのではなく、〝チーム〟を追求することにこそ価値があると。

組織の追求とコミュニケーションの追求がしたい

元々彼の夢はプロサッカー選手になることだった。だからその夢を叶えたとき、自身に残された目標は何もないと悟った。待っていたのは度重なる怪我で、そのとき始めて〝日本代表になる〟そんな目標を掲げた。あくまで、個人の目標として。

しかしながら湘南から水戸を経て、辿り着いた徳島の地で、彼の価値観は大きく変わった。皮肉にも、J1からのオファーも彼を変えた大きなきっかけだった。

(J1のクラブに移籍した仮定で)自分に矢印を向けたとき、そこでキャリアを終えた後、自分に何が残っているだろうと想像したら、全く想像が出来なかった。サッカー界やヴォルティスで自分がどう歩いていくかも重要だが、どれくらい足跡を残していけるかの方がやりがいを感じた。サッカー界やヴォルティスがこんな素敵な集団なんだなと徳島県に届けるとか、サッカー界に強みをもって発信できる何かの歯車に何としてもなりたい

ただその変化は、彼の決断はどうやら間違っていなかったようだ。いや、彼自身が正解に変えてきた。

現在と未来が混ざってきた。フットボールの人生はフットボールの人生でしかないと思っていた。それなりの人生を待つより、作っていきたい。今は現在と未来が繋がっている、そんな確信がある

お金、環境、やりがい、仲間だとすれば〝仲間〟

野村への質問で彼は知りたかったのではないか。

上のカテゴリーには自分の知らない世界があるのか。自分がやってきたことが通用しそうなのか。国内トップのリーグには強さを生み出す術が他にあるのか。結局は〝個人〟で片付けられてしまうのか。

自分さえ良ければいいという考え方が好きじゃない。J1のトップの選手達がチームのためにやっているのか、自分のためだけにやっているのか。それを自分の目で見て、対戦して、感じたい

野村は大分移籍の理由をこう語る。同じ〝チーム〟を追求する同志だからこそ、岩尾には貴重な存在だ。

もっと深いところで勝利を追い求めたい

一個人のキャリアアップでなく、そのカテゴリーに関わらず〝チーム〟を追求した者が辿り着いた境地。

それは皮肉にも〝上のカテゴリーでこのチームが通用するのか試したい〟そんな想いではなかったか。

僕もリカルドもいろいろな失敗を繰り返しながらそれと向き合ってきた自負はあります。特に言葉はありませんが信頼し合っていると信じています

2020.12.16対大宮戦マッチデープログラムより

徳島の地で積み重ねてきたのは岩尾も同様だ。だからこそ〝徳島ヴォルティスの岩尾憲〟で昇格しなければ、選んだ道の先にあるものを知り得ることはない。

俺たちの売りは〝チーム力〟

一人ではなく、仲間と上がらないと意味がないのだ。

 

昇格寸前で試された想いと絆

夢舞台まであと一歩。しかしその騒動は突如起きた。

www.sponichi.co.jp

激震、だった。あと一歩なのに、一緒に上がれると思っていたのに。何故このタイミングで。何故、何故。

おそらくその想いに駆られたのはファンサポーターだけでなく、選手たちも同様だっただろう。

立ち上がったのは、やはり岩尾だった。

www.topics.or.jp

皆さんと同じで僕も気になる。でも、今できることしかできないということを改めて考えるべきだと思う。先の分からないことにエネルギーを割いているほど僕たちに余裕はない。ここにある瞬間をいかに大切にするか、どんな思いで取り組むか、目の前の試合に挑むか。そういったことに純度高くやっていきたい。未来のことよりも、今を楽しんでほしい

彼等は急遽話し合いの場をもった。しかしチームミーティングを行うのは決して初めてのことではない。

振り返ると2019シーズン、第14節モンテディオ山形戦前にもその場は設けられた。開幕以降波に乗れないチーム、各々に溜まる不満を察した岩尾が発起人だ。

戦術的な話はしていない。〝捉え方〟の話。起きている現実と、皆の捉え方と、正しい捉え方の整理の仕方。負けると人のせいになる。外に目が向く。監督やチームメイト、戦術....何に対してストレスを抱えているか、それを全て書き出して、皆でそれを見て、『寿命が短いサッカー選手の貴重な一年をその終わり方では勿体なくないか。せっかく徳島まで来て、何も残らなかった、そんな時間にするのは俺は嫌だし皆も嫌じゃないか』そんな整理をした。このままいくと、それで終わってしまうぞ、と。キーワードは〝助け合おう〟だった。一人では結果を出せない、誰かのせいにしても結果は出せない。お互いを減点方式ではなく、認めてあげて、足りないところは補いあう。それがあれば勝った負けたはどうでもいいじゃないか。そこだけ共有をした

チームが壁にぶつかるのは今に始まった事ではない。

サッカーで起きたことをサッカーだけで解決しようとしない。戦術ではなく〝人間〟に問いかける

〝チーム〟にこだわり続けた岩尾にとって、それはきっと昇格に向けた大きな試練だったに違いない。

皮肉にも後日、リカルドの行き先として噂が上がる浦和ではこんなニュースが取り沙汰された。

news.yahoo.co.jp

このチームの選手は監督やコーチに誰も何も言わないし、選手同士、話し合おうともしない。大丈夫かなと思う

チームとはいえ彼らだって個人事業主の集まりだ。

誰しもが自らのキャリアアップを望み、上へ上へとその歩みを進める世界で、果たして〝チーム〟に何の意味があるのだろう。改めて言うまでもなく、徳島は選手の出入りが激しいクラブだ。だからこそ、この地にこだわった岩尾は必死に考え続けたのではないか。

上手くいっている時はいい。問題はチームが行き詰まった時だ。苦しい時ほど彼ら個人事業主たちは試される。〝お前たちはチームになれるのか〟と。

この対照的な話題は、リカルドを巡る文脈により切り離すにはあまりに難しく、また岩尾がプロサッカー選手として己に問い続けてきたことそのものだった。

人は一人では生きていけない

そして遂にJ1昇格に〝王手〟をかけた徳島。岩尾は地元メディアに対しこんな言葉を残した。

もう苦杯はいい。何度も悔しい思いをして、その度に立ち上がってきた。綺麗事で良いチームだった、良いサッカーをした、今年も良いところまでいった、結果は残念だったが素晴らしいシーズンだったと思います、と。そんなかっこ悪い話はない。ここは一人のプレーヤーとしても絶対に譲っちゃいけないシチュエーションだなと強く思う

昇格。この最後にして最大の壁を乗り越えるために、彼は最後の最後で〝己と向き合え〟と説いた。

www.topics.or.jp

全員で何かを統一するフェーズでなく一人一人が乗り越えないといけないフェーズだと思う。他人が感じた何かを押し付けて一つのものを共有するのは難しい。各自がこのプレッシャーと向き合い最高のパフォーマンスが出来るかが問われている

チームで、個人で、最後の壁を乗り越えてみせた。

 

岩尾を、徳島を、支え続けた存在

先程の話題に話を戻そう。

あの騒動の際、岩尾が最後にメッセージを向けたのが、共に闘い、支え続けたファン・サポーターだ。

彼がリカルドを支えたように、彼が残す足跡をファンサポーターはきっと追いかけ続けてきただろう。夢の舞台まであと一歩、しかしそこから崖に落とされ、どれだけ選手たちがこの地を去っても見放さなかった。


J1参入プレーオフ 決定戦 徳島ヴォルティス vs 湘南ベルマーレ

4季目のキャプテン就任決定の際岩尾はこう語った。

 4年連続のキャプテン就任が良いのか悪いのかわかりませんが、チームとして、キャプテンとして、1人のプレーヤーとして、この3年間数え切れない程の困難と向き合ってきました。そのたびにファン・サポーターやチームメイトたちと残してきた確かな足跡を信じ、犠牲と忠誠を心に1年間戦い抜いていこうと思います

『ファン・サポーターやチームメイトたちと残してきた確かな足跡』

苦しい時期を乗り越えてきた仲間はチームメイトだけではない。ファン・サポーターも一緒だった。

そうもはやその足跡は岩尾個人だけのものではない。

そこに一体どれほどの苦悩と悲しみがあっただろう。

あと少しで手が届きそうな夢の切符はその手を離れ、縁がなかったはずのJ1行きの列車には、彼らが愛してやまなかった戦士達が乗車しては去っていった。

もし私の愛するクラブにそれが起きていたらどうか。そんなことを思わずにはいられないのだ。

私は偉そうにも徳島の方々にこう言ってしまう。『自分達が応援するクラブを誇りに思ってください』と。

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でも違ったなと今は思う。クラブだけではなかった。

『自分達が応援するクラブと、それを支え続けたあなた方自身を、誇りに思ってください』

来季がどうなるかは分からない。だってリカルドが徳島にいるか分からないじゃないか。でもさ、徳島はリカルドだけじゃないよ。皆さんや選手たち、何より岩尾憲がいる限り、全てがもぎ取られるわけではない。

槍を常に突きつけられた状態でサッカーが出来る

現役を引退した冨田大介は、J1をそう表現した。

そう、終わっていないのだ。皆さんと、そして岩尾憲の壮大な夢と実験は今から始まる。築き上げた〝チーム〟が、国内最高峰のリーグでどこまで通用するのか。遂にそのチャンスを自らの手で掴んだのだ。

そしてJ2制覇への道もまた、終わっていない。

最後に、このエピソードで締め括ろうと思う。

スポンサーでお金を出してくれている会社に出向いて行かないと駄目だなと思っている。どんな会社なのか、どんな理念の会社なのか、どんな人が働いているのか、自分達に何を期待しているのか。直接会って伝えてもらう作業を俺はしたい 

岩尾憲。一体この男はどこまで背負うつもりなのか。遂にはスポンサーまで背負いたいってよ。

きっと五男杉本竜士ならこうボヤくことだろう。

細かい細かい、疲れる疲れる

来季で33歳しかし遅くなんかない。紆余曲折を経て、彼は一人ではなく徳島に関わる全てを〝チーム〟であり〝仲間〟として、このカテゴリーに連れ戻したのだから。決して消えることのない足跡を残しながら。

徳島の皆様。豊スタへ、J1の舞台へようこそ。