みぎブログ

主観で語りますフットボールを。

〝攻〟の横綱〝守〟の横綱による頂上決戦

Jリーグは違うスポーツだ

とは話題になった酒井高徳の記事の引用。

newspicks.com

『え、俺たちの愛するJは世界と比較するどころかそもそも違う競技なの!?』あまりに切れ味鋭いその言葉の数々が適当に流されるはずもなく、この記事のインパクトは今もまだ界隈に残り続けている。

どうやら我々が熱中しているこのリーグは世界には繋がっていないようで、〝フットボール〟でなく〝Jリーグ〟という競技を観ているのだと自覚した方が良いらしい。

彼がしきりに口にしたのは〝この国ではこの国でのみ勝てるサッカーが追求されている〟という指摘だ。

では具体的に何をもって〝国内限定〟だと定義しているのか。彼のインタビューから紐解ける要素は以下二つ。

  • ボールを奪われないことを最優先にした攻撃
  • 相手に抜かれないことを最優先にした守備

つまりこれらの要素が交わった結果、一方は前に攻め急ぐことはなく、また一方は奪うためのチャレンジをすることがない。結果的にゲームはスローな展開となり、攻守にアグレッシブな、また狭いエリアで両者が凌ぎを削るような争いがこの国では見られない、ということだ。

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毎週、Jリーグを視察している。時々、いい試合もあるが、それはまれだ。夜に家で海外の試合を見ると、まったく違う世界。海外で何が起きているかをもっと見る必要がある。戦う意識やプレースピードは(日本と世界で)バイクとフェラーリほどの違いがある

元日本代表監督のハリルホジッチがこのリーグにおけるミドルサードでの攻防、つまりインテンシティの低さを嘆いていたのは記憶に新しく、皮肉を込めていえば野球と同じ〝攻守交代制〟に見えていたのかもしれない。

これらは裏を返せば〝奪われるのは悪〟で〝抜かれるのももちろん悪〟問われるのは〝個人〟でなくあくまで〝組織〟。つまり個人の責任を徹底的に追求するでなく良くも悪くも組織優先型なこの国の文化そのものか。

しかしそんな土壌で醸成されるこのリーグが今面白い。

なぜなら圧倒的な〝堅守〟で守りに守り抜くクラブと、圧倒的な〝破壊力〟で攻めに攻め抜くクラブ、つまり対極の思想をもつ二クラブが首位争いをしているからだ。

名古屋グランパスとそして川崎フロンターレである。

 

リーグ史上〝最高の堅守〟

堅い、鉄壁の上の表現があれば使いたいところです


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大分にボロ雑巾の如き扱いを受けたこのゴールから数年後、我々は異なる世界線にやってくることに成功した。試合を実況する者が言葉に詰まる一方で、名古屋をこの世界に連れてきた立役者はいつになく饒舌だ。

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2試合スコアレスドローで壁にぶち当たっているというのなら、他のチームは何にぶち当たっているのか

無失点達成。そんな高い壁に毎試合ぶち当たっていた我々の過去をマッシモ様にだけは知られるまい。

リーグ最小失点28、Jリーグ最多タイ記録クリーンシート17試合、カルチョの真髄ウノゼロ(1-0)9試合。昨季年間を通して作った様々な記録に早々と付け加えられた新たな記録〝Jリーグ新記録9試合連続クリーンシート〟。

何故ここまで堅いのか、何故無失点が当たり前なのか。

それは非保持を前提としたあくなき追求にある。

堅守を築く際、このリーグでの主流は手っ取り早く5人の最終ラインに4人の中盤を敷く、まさに〝人海戦術〟だ。

しかしマッシモにとってそれは〝組織〟ではないはず。

彼のチームの最も大きな特徴は、各ポジションに定められたタスクと、それを十二分にこなせる人選にある。

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横幅を最終ライン4枚で守れないならサイドハーフが相手にへばりついて降りてくる。サイドバックが前に出れば何食わぬ顔でボランチがそこを埋める。なにより重要なのはセンターバック2枚が定位置から極力動かないこと。彼らとミッチがゴールに鍵をかける存在なら、彼らを取り巻く面々がその鍵へのアクセスを防ぐべく身を粉にして走り回る。つまり〝両センターバックが持ち場から離れない〟守り方を徹底しているのが今の名古屋で、それさえ担保されるなら相手のパスもシュートも少々は許容範囲。自分達の〝型〟さえそこにあれば守り抜けるその自信。時間をかければかけるほど整ってしまう名古屋の陣形に対し、打開の糸口を掴むには〝ダイレクト〟だと手数をかけず名古屋攻略に挑んだのがサガン鳥栖。この試合で喫した二失点が今季唯一の〝相手シュートによるゴール〟。この事実が逆に名古屋の鉄壁を物語る。


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では相手のビルドアップに対する振舞いはどうだろう。

チームのバランスを崩して奪いに行くのはご法度だ。昨今様々なクラブがあの手この手のビルドアップを駆使しては、相手の守備に綻びを作ろうと試みる。だがマッシモ、そんな挑発は相手にしない。どのゲームでも共通してハイプレスをかけるスイッチはただ一つ、相手ゴールキーパーへのバックパス。何故なら人と人を最も噛み合わせ易く、故に最も〝ズレる〟危険性がないからだ。出来る限り高い位置で奪いたい。マッシモが唯一色気を出すこの局面ですらリスク管理は徹底的。ではボールを受けようと下がる相手ボランチは誰が追う。名古屋が誇る闘犬米本。誰が付こうなどと迷う余地すら見せるまい。その迷う時間が相手の狙いでありこちらの隙だ。そもそも何故ボランチに追わせるか、各エリアにバランスよく人を配置するにはそれしかない。中央が稲垣一人だがお構いなし、場合によっては柿谷だって戻せばいい。

恐ろしい、これがカルチョフィッカデンティ

彼が最も嫌うのはおそらくリスクであり、リスクとは端的に言えば〝チームのバランスが崩れること〟だ。

だから保持に目を向ければ彼のチームは〝可変〟も好まない。その移動と時間が生む隙こそが命取り。スペースを与える〝可能性〟は排除し、出来るだけ定位置でそしてピッチをバランスよく埋めるべく距離は取ってボールは運ぶ。全ての発想はまず〝非保持〟(奪われた後)。それでも彼がアンカーと呼ばれる中盤底に人を配置した4-1-2-3でなく、頑なに4-4-1-1に拘るのは自らが選手達に課した重荷を理解しているからに違いない。つまりはそれでもゴールを陥れるには前にこそ人が必要で、後ろが重くなりすぎるのを嫌った結果か。しかしそれも先制するまで。それさえ達成すれば〝急所〟といえるアンカーに木本を配置し、場合によっては5バックも躊躇なし。守り切るためなら何でもする。それがウノゼロの美学。

これ以上、堅くなってどうするんでしょうか

イタリアの人聞こえてますか。実況する者もこの始末。

理論上はやれるものなら誰だってやりたい。何故ならこれが最もリスクなく勝ち点が積めるやり方だからだ。

しかしもはや国内で真似できるクラブなどないだろう。

このメカニズムを愚直に徹底し、且つ途切れることない強度で続けられる選手たちをマッシモは名古屋で得た。

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少しでも隙を見せれば牙を剥き襲いかかる攻撃陣のカウンター。何もなくとも突然決定機を作り出す戦術兵器マテウス。何処からともなく現れゴールを攫う稲垣。

例を挙げればその程度かと思うかもしれない。

だがそれで点が取れ且つゴールが守れるのなら、これが勝利に向けた最も確率の高い方程式だ。リスクもロマンもゴールを守るためには役立たず。少なくとも今このリーグで名古屋から点が獲れるクラブも、あるいはこのクラブが擁する圧倒的な個を封殺出来る相手も多くない。つまらない、退屈だ、こんなのはアンチフットボールだ....馬鹿を言っちゃあいけない。この世界に絶対の正義などなく、あるのは〝どの手段を取ることが最も勝利を手繰り寄せられるか〟ただそれだけだ。だからこそ〝ミス〟という名のリスクを常に抱えるボール保持でなく、そのメカニズム通り人が動き、またその身体性を上回られなければ絶対にエラーが起きないボール非保持が基盤のこのチームに付け入る隙などありはしない。

ただ一チームを除いて。王者川崎フロンターレだ。

 

リーグ史上〝最恐の破壊力〟

migiright8.hatenablog.com

彼らはリーグの歴史に残るチームにきっとなる

何目線か分からない宣言をしてからもうすぐ一年。

いまや川崎に敗れるクラブは『相手が川崎なら仕方ない』と自らを励まし、彼らが何点獲ろうがどのクラブのサポーターも驚くことはなくなった。〝一試合につき最低でも三得点〟何を偉そうにと他サポが憤りそうなこのノルマ、今となっては〝川崎なら三点くらい当たり前〟と誰もが思っていることこそが彼らの強さを物語る。

彼らを語る際、毎度風間時代から振り返るのももはや野暮というもの。しかしそのベースを〝勝てる仕様〟へと発展させ、〝シルバーコレクター〟からの卒業そして栄光の数々を築いた鬼木達にとって、2019年等々力で横浜Fマリノスに玉砕したあのゲームは、川崎フロンターレの歴史において大きな分岐点だったのかもしれない。

風間八宏と袂を分かち、彼らが目指してきたもの。

それは端的にいえば〝どこよりも早くボールを奪い、どこよりも正確な技術でゴールを奪うこと〟だ。


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だからこそあの日等々力でマリノスが見せた多彩なビルドアップとそこから繰り出されるサイドアタックの数々は、川崎のハイプレスを潜り抜けるだけの知恵と技術を持つクラブが国内に誕生したのだと我々に知らしめた。

しかし恐るべきことに、鬼木達はこれに屈しない。

彼が偉大でありそして名将足り得たのは、前任者の不足(理想と現実の共存)を補って終わるのでなく、そこも含めてチームを自分色に染め直したことにある。

その最大の功績が4-1-2-3の新システム採用といえる。

語り尽くされた感もあるが、この文脈において重要な点なので振り返ろう。ポイントは大きく分けて二つ。

一つは〝ハイプレスの再構築〟だ。

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高い位置でボールを奪い取るにはボールを外に逃すのではなくむしろ中に誘導する。中央に陣取る中盤三枚が逃場のないボールホルダーに対し前に向かう勢いそのままに狩り取ってしまう仕組みゆえだ。圧倒的なプレススピードとその強度で国内のクラブに関してはほぼ苦労なくボールが奪えるだけのメカニズムを作り出したのが今の川崎の屋台骨。つまりは〝圧倒的な攻撃力〟とは言いながら、他方で彼らが最大の武器とするのはむしろ〝圧倒的なボール奪取力〟であり、ボールを運ぶことに神経を注いだ過去に対し、現在の彼らはボールを奪うことに特化したことで過去の遺産を最大限活用する。何故なら90分間ボールを追い続けるのは本来不可能だからだ。だからこそ奪ってからのボール保持力がモノをいう。

そしてもう一つが〝サイドアタッカー〟の存在だ。

振り返れば風間体制時代を評し、当時の横浜Fマリノス監督モンバエルツはこう述べている。

number.bunshun.jp

もちろん優れたスタイルで、日本ではとてもうまく機能しているが、他の国では少し厳しいように思える。ピッチの横幅をうまく活用できる選手がいないしウィングプレイヤーもいないからだ

それは俺たち八宏のこだわりだと名古屋陣営としてもフォローを入れたい、しかし常にゴールに対し最短距離を目指して向かってくる限り、迎え撃つ側も〝どこを塞げばいいか〟は明白で、狙った通りに奪えればその先には広大なスペースが待っているとはモンバエルツ

この最大の長所且つ短所でもあった武器にメスが入る。

システムが4-1-2-3となり強制的にサイドアタッカーの立ち位置が確保され蘇生したのが長谷川竜也。そして長引く彼の怪我をチャンスに変えた男がその後、川崎のフットボールにラストピースとして見事はまることとなる。

もはやリーグ最高の戦術兵器といえよう、三笘薫だ。

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彼の圧倒的な個人打開力を得た今の川崎は、決して〝中〟さえ塞げば止められるチームではない。打開に困れば外を使い(外に広げ)、1on1ならまず止められないそのドリブルに相手は引き摺られる。ラインはズルズル下がるし選手間のコンパクトさなどそこにはない。そうなると最大の威力を発揮するのが他でもない、彼らの文化である正確な〝止める蹴る〟であり、圧倒的なパススピードを武器に少しでもスペースが生まれようものならその隙間を軽々と縫ってはゴールまで辿り着く。また逆サイドに位置する家長は、絶対に奪われることないそのキープ力でチームに〝時間〟と〝スペース〟をもたらすことに成功した。これら外からの攻撃を手に入れ水を得た魚の如く真価を発揮したのが元セレソンレアンドロダミアンで、いざとなれば彼の体格を活かし無理矢理にでもスペースを創出する力技まで駆使しやがる。

恐ろしい、やはり鬼の子鬼木達

つまりはこうだ。彼らの循環はまずボールを奪うことに始まり、そのままゴールに向かえるなら一直線。難しければ持ち前のポゼッション術をベースに相手を中だ外だと揺さぶりつつ、時に外から切り崩し中の力技すら利用する。それもこれも成立するのは〝外〟があるからだ。

〝良い攻撃の先に即時奪回があり、点と点を極める〟。

彼らが過去に目指したそれは、鬼木達によりブラッシュアップされた。〝運ぶのでなく奪うことが先決で、ピッチを活用すれば点と点は容易に極まる〟のだと。そこに常に生き続けたのは〝止める蹴る〟ただそれだけだ。予測不能な〝驚き〟は失っただろう。しかしながら彼らはそれと引き換えに圧倒的な〝強さ〟を手に入れた。

彼らにとってはこの手段こそ〝最も勝利を手繰り寄せられる方法〟で、ミスがなければリスクにはならないとその圧倒的なボールスキルで相手を翻弄する。身体性に限界はあっても〝技術に限界はない〟。どこかで聞いたことのあるその言い伝えをクラブの文化に昇華した彼らの攻撃を、まともに受け守り切れるクラブは多くはない。

ただ一チームを除いて。そう、名古屋グランパスだ。

 

〝Home & Away〟GWに用意された極上の舞台

ヨーロッパのサッカーに近づこうとしているとか、モダンになっていくヨーロッパのサッカーに近づいているという印象は一切ない

酒井高徳がここまではっきりと断言した我々のリーグ。それを今牽引する二つのクラブの思想はまさに対極だ。

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一方は〝いかに自陣ゴールを死守するか〟に精力を注ぎ、かたやもう一方は〝いかに相手ゴールに迫るか〟に精力を注ぐ。あるいは、一方は自陣ゴール付近1/3のクオリティを徹底的に追求し、かたやもう一方は相手ゴール付近ラスト1/3のクオリティを徹底的に追求する。目を疑うほどの圧倒的にコンパクトな陣形が築かれる場所は、かたや自陣ゴール前、かたや相手ゴール前だ。

〝止める蹴る〟で共鳴した二つのクラブの舞台だったミドルサードでの攻防に別れを告げ、その舞台はそれぞれのクオリティがぶつかり合う〝ゴール前〟に変わった。

攻めきれるか、それとも守りきれるか。

ゴールを奪いに行く観点から見ても、昨シーズンそれができたのは川崎フロンターレだけでした。それ以外のチームも「ボールを取りに行くためにチャレンジ」をしようとしたけれど、結局はやめてしまった

オフェンス面でもディフェンス面でも川崎は良いチームだ。そして1位にいる。なぜならリスクを取っているからだ

期せずして酒井高徳も、そして5年前のハリルホジッチも同様の理由で川崎を評価した。全てがヨーロッパナイズされているとは思わない。しかしながら彼らが度々指摘した〝ヨーロッパ仕様のインテンシティ〟に関して、国内で唯一その標準に達しているのが川崎なのだろう。ボールを奪いにくるスピード、強度、その迫力にどの相手も面くらい、ゴールに向かう彼らの技術と精度、その結果生まれる圧倒的な〝速さ〟にどの相手もなす術なし。つまりは攻守ともに〝球際〟の解釈がもはや国内の仕様ではないわけで、思考する時間も奪えば一方で寄せられる時間も与えない。まさに黒船襲来。少なくとも昨季から今季にかけどのクラブも歯が立たない事実はそうとしか説明出来ない。つまり体感したことのない強度のフットボールが今、川崎によって遂に国内に到来したのだ。

しかしだ、もしこのフットボールだけが評価に値するというのなら、マッシモは己のキャリアと母国で培ったその哲学とプライドにかけ川崎と対峙するだろう。

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舞台が名古屋ゴール前だけだと思ったら大間違いだ。思い出して欲しい。マッシモがチーム構築において〝リスクだ〟と排除してきた全ての事象は、そっくりそのまま相手にも当てはまる。つまりリスクを取ってくるチームこそマッシモにとっては格好の獲物であり、隙さえあれば絶対に逃すまいと牙を研いでその瞬間を待つだろう。

力づくで自分達の土俵に持ち込めるのが川崎なら、その土俵を逆手に取り最終的には自分達の土俵に持ち込んでいるのが名古屋にしかない武器といえる。川崎が中で奪いたいなら回避をし、押し込まれるのが不得手ならあえて押し込みにかかるのもアリだろう。最も気をつけるべきは昨季川崎相手に唯一失点を喫した〝セットプレー〟。それらを乗り越えた先に己の土俵は見えてくる。使える選手は全部使えと5バック3センターも試運転済。破壊力なら川崎しかし戦い方の幅はむしろ名古屋だ。

戦い方に正解などない。勝ったものこそ正義なのだ。


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一時は同じ哲学を共有したはずの名古屋と川崎。

もはや交わらないと思われた彼らに残る共通点。それは苦い過去が生んだ勝利への飢え、その中でも継続的に積み上げた戦力、その末に求めた勝敗に徹底的に拘る監督、その結果手に入れた〝勝者のメンタリティ〟。


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同じ道を歩むかと思われた両者がしかし紆余曲折経た先に正反対な道を選ぶとはあの日誰が予想したか。もはやこの舞台、〝どちらの技術が勝るのか〟そんなエンターテイメントに溢れたものではない。それぞれがそれぞれの土俵を極めた先にあったのは無敗と一敗の首位決戦。

彼らに用意された舞台はACL延期により空き日程となったGW二連戦。さながらチャンピオンズリーグ決勝トーナメントの如く、ここで試されるは互いの守備力と攻撃力なんて上っ面な力自慢でもない。守りきることで世界のスタンダードだけが道でないと証明され、一方攻めきることでこのスタンダードこそ正しい道だと証明される。勝つために無失点を追求し、勝つために三点奪うことを追求する。全ての目的はただ一つ、〝勝利〟のため。

己の選んだ道こそ正義と証明するには、その誇りに賭け戦いそして目の前で叩き潰すことだ。舞台は整った。

どちらが国内最強か、この二試合で決めてしまおう。