みぎブログ

主観で語りますフットボールを。

拝啓、マッシモフィッカデンティ

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もうマッシモのことで書きたいこと、ないと思ってた。

でも、シーズンも終盤に差し掛かろうというこの時期に、何故だかマッシモを語りたい熱が妙にアツい。

その理由はどうすれば伝わるだろう。思案した結果、過去から順を追って白状するしかないとの結論に至った。ということで、いきなりだが私とマッシモとの馴れ初め(意味ちがう)を語りたい。受け取ってくれマッシモ。

 

好きとか嫌いではなく、興味が湧かない

まずは率直な想いから伝えていきたい。

正直、マッシモに対する想いが特になかった。これが本音。好きでもないし、だからといって特段嫌いでもない。まあ、興味がないのかもしれない。例えば風間八宏体制時を思いだせば、自分は必死に応援していた側。八宏を応援したいというより、変わろうとするクラブを応援したかった。しかし、他方では『風間だけは許すまい』な人たちがいたのも知ってる。その裏返しで、当時、風間八宏を支持していた者に対し、『アイツはマッシモを嫌いな奴だ』そう定義したい人もきっといる。

でも、自分は嫌いじゃない。率直に興味がないの。

その証拠として、こうやって文章を綴る機会が減った。文章を書くモチベーションは、『誰かにこの想いを届けたい』それだけだ。『想い』は、好きでも、或いは嫌いでも成立する。好きだから伝えたい、これだけ嫌いな理由を伝えたい。良くも悪くもそのムーブメントのピークが風間体制時にあったことは、SNSを楽しむ多くのグランパスファミリーがきっと認めるところだろう。

風間大戦争。そう、あれは戦争だった(気がする)。

余談だが、私には上記の理由以外に書くモチベーションがない。例えば昨今、書き手が増えた戦術の解説。或いは、率先して輪の中心に立ち自チームを盛り上げようとする内容。そういった欲、全然ないわ。良いと感じたから勧めたい、その欲だけが異様に強い。それはある意味で自己中心的な発想なのだけれど、だからといって自己を肯定して欲しいものでもない。好きなものを好きと言い、ただただこの想いを誰かと共感出来ればいいなと願う。つまり自己中なお節介だ。これは母親からの遺伝。

話を戻すが、マッシモに対してはそれが何もなかった。

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なんだか選手がロボットのように機械的で、一つのミスも許されないパーツのよう。ボールを保持することに拘りはなく、むしろ走ってる時間の方が圧倒的に長い。しかも、あろうことかそれが『守るため』ときた。美しさや華麗さとは無縁で、ボールを介した『人と人の繋がり』も感じない。いつも固定されたメンバーで、若い選手の台頭も乏しい。ていうか大卒新加入どこいった。

もちろん、これらは完全に個人の主観だ。

ただ、どうにもこうにも興奮出来なくなった自分がいた。ゴールが決まっても飛び跳ねて喜ぶような感覚はなく、試合を何度も見返すような日々は過去のもの。勝ったか負けたか、重要なものはそれだけになった。

でも、クラブのことは大好きだから(ていうかもはや人生そのものだ)、もちろん毎試合応援するし、行けるときはスタジアムにも足を運ぶ。例えそれが好みでなくとも、揶揄するつもりもない。だってそれもまた、個人の感想でしかないでしょう。だから、腐しても仕方ない。

ただ、結果だけの世界はやっぱ寂しいなって。だって結果だけを追い求めるなら、ミスは『恐れるな』ではなく、『してはいけないもの』でしょう。それがなんだか味気なく感じられて、正直に、魅力がなかった。今出来ることが全ての指標になるから、今出来なければ排除される。未完成品はこのチームには不要で、『可能性』なんて未知な言葉は、最も疑うべきものとなった。

結果を得るには勝つための戦略と戦術があることも理解してる。そこを読み解く楽しさがあるのも分かってる。でも、『今が全て』だったら、期待とか驚きって必要なくて。子ども育てるとき、我が子がどんな大人になるか分かってたら面白くないじゃん。『この子はどんな大人になっていくのだろう』そう想像するから、楽しい。

まあ、プロの世界で子育ての喩えはおかしいけれど。ただ、そうやって試合を観る喜びは削られていった。

そんな私が、どうにもこうにも最近夢中なのは何故だ。

 

ヤバい気づいたらタイトル争いの渦中にいる

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いきなり文章を書きたくなったのはどうしてだろう。

この疑問をなんとか形にしようとずっと考えていたけど、明確に言語化できるほどまだ整理はできていない。

ただ、そんな中でも、一つだけ気づいたことがある。

トップカテゴリーでのタイトル争い、めちゃくちゃ久しぶりなんだ。約10年ぶり。まあリーグは相変わらず厳しいけれど、その他にもルヴァン杯天皇杯、そしてなんといってもACLのタイトルも可能性が残されている。

こういうヒリヒリする戦い、いつ振りだよおい。


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燃えないはずないじゃん。ここまできたら勝ちたいに決まってるじゃん。要はさ、勝ち負けだけでも満たされるレベルまで、このチームが登り詰めてきたってことだ。ただ目の前の勝敗だけに人一倍こだわってきたマッシモについてきたら、いつの間にかここまでやってきた。

しかも、ここにきてやっとどの選手にも『個性』を感じられるようになった。プレーから『顔』が見えるようになった。それはきっと、マッシモが求めるタスク以上のものを表現できる選手が揃ってきた証だろうし、そのラストピースがクバだったのも間違いない。彼が入って、それぞれがそれぞれの場所でピースとしてカチッ!とハマった結果、観ていて『無理をしている』選手がいなくなった。いや、実際はめちゃくちゃ無理してるんだけど、それが自分の武器だと思ってる選手たちがやってるから違和感がない。直輝なんか、生まれ変わりだろ。

監督がマッシモでもクバはクバ。必要なピースだった。

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結果のみを追い求めてきた先にあった世界

さて、気づいているだろうか。

風間体制時、『もっとも魅力的なフットボール』を展開していた時期は就任から2年後。つまり2019年初期だ。

そして今、マッシモが就任してから、ちょうど丸2年。

ひたすらに勝敗に拘ってきたチームが2年後に辿りついた姿は、まさに『もっとも強いフットボール』である。

しかし一方では、将来へ向けた不安ももちろんある。

マッシモ体制後に今の財産はどれだけ受け継がれるのか。今この瞬間、未来への投資はされているのか。アカデミーには一貫性を感じるけれど、トップとちゃんと連携されているのか。ていうか大卒新加入どこいった。

このチームのピークも今なのかな。とことん風間体制期とは真逆の道を突き進んできたこのチーム、だからこそ起きる現象も似ているのかもしれない。ピクシー期の焼き直しでは、そう思う気持ちもないわけではない。

でもまあいいや。それで今すら楽しめないの勿体ない。

そう思えるのは、おそらく、ピッチでプレーする選手たちから『勝ちたい』という想いを感じるからだと思う。タイトルを獲りたい、そんな想いに、心が動くから。

マッシモが作った今のチームに、突き動かされる。

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あの川崎との2連戦から、よくぞここまで立ち直った。あれほど自信に満ち溢れ、国内無敵の川崎を喰ってやろうと立ち向かい、しかし、なす術なく返り討ちにあったあの2連戦から。8月15日の湘南戦以降、9勝1分4失点。あの川崎戦に至るまでの戦績、9勝2分1敗3失点。そう、完全に立ち直った。選手たちの不屈の精神と、結果をだし続けてきたマッシモに最大のリスペクトを。

結果だけを追い求めた先に何があんだよとずっと思ってきた。そして、結果だけを追い求めるなら『絶対にタイトル争いをしろ』、これが今実感している私なりの結論だ。何かを掴み取りたいと願う気持ち、掴み取れそうだと感じられる距離感。これはこれで、悪くないな。

ただ、もしこれがピクシー期の焼き直しだとするなら。

タイトルを掴まなければならないタイミングって必ずある。今を逃したら、もうそのチャンスは巡ってこない、そんなタイミングが。そして、それはたぶん、今季だ。

ここまできたら、タイトルを獲ってほしい。降格してからの5年間、それだけの苦労はしてきたのだから。

マルのためにも、このチームでタイトルを。

2010シーズン以来の栄冠を、我々名古屋の地に。

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