Jリーグは、“強度”か“保持”の二択を迫られている。
「いやちゃうねん、両方大事やねん」そんなツッコミが既に聞こえているが、ひとまずは無視します←
何故そんな想いを抱いたかといえば、開幕から苦戦が続いたサガン鳥栖の姿を見ていたからだ。
昨季までなら気持ち良いくらい繋がっていたパスが繋がらない。ボールを奪われては逆襲される。ファンサポーターからは「今季つまんない」の声も聞こえ始めた。
“王者”横浜F・マリノスにみせた(ほぼオールコートに近い)マンツーマン対策は痺れた。「あ、あの名古屋が、こんなアグレッシブに前からボールを奪いにいく日がくるとは....」ちょっと、感動だった。
しかし、上位に目をやれば、さらに“強度・パワー・スピード”でJを席巻するヴィッセル神戸の存在が際立つ。なるほど、どうやらバルサ化の道は完全に絶ったようだ。
あれ、ていうか上位は強度マシマシ系が多いぞ...。
そんな違和感が確信に変わったのは、サガン鳥栖がホームに横浜F・マリノスを迎えた第11節だ。
そこにあったのは、これまでの「走って、動いて、数的優位を築いて」前進しようとする鳥栖ではなく、「相手に捕まると分かっていても」近距離でパス交換をしようとする鳥栖の姿。ん....?これはブライトン味が強めだ。
ピッチで起きている事象を、私より緻密に、そして正確に解説できる人間は山ほどいる。しかし、この流れにおいて私が考えたいのは、「何故、鳥栖はビルドアップの型を変えたのか」であり、「何故、このタイミングで新しいチャレンジをする必要があったのか」だ。もっといえば、「何故、難しいと理解していて尚、取り組む必要があるのか」である。今のところ、この視点から出来上がった記事は見ていないので、お先に失礼致します。
なぜ、今になって作り直すのか
私が立てた仮説は、以下の通り単純そのものである。
「昨季のやり方では、上手くいかなくなったのではないか」。ということで、改めてこの点を紐解いていく。
鳥栖のビルドアップにおける最大の武器は、圧倒的な運動量を活かした数的優位の創出にあった。あらゆる局面において「+1」を作ることで、容易にボールを前進させていく。その点における最大のキーパーソンは朴一圭。彼がいれば最終ラインは常に「+1」。前から深追いすればするほどに、相手はその術中にハマり続けた。
さらに、鳥栖が嫌らしかった理由はもう一つある。
[http://Embed from Getty Images :title]
朴一圭のロングキックと両ウイングの走力を活かして、深追いした相手を一発で裏返す仕組みを持っていた点だ。憎き朴一圭。許すまじ朴一圭。ああ朴一圭朴一圭。
きっと相手はこう思っていたのではないだろうか。「闇雲に前から奪いに行っても、鳥栖の罠にかかるだけだ」と。整備されていないハイプレスをするくらいなら、むしろ潔く撤退し、(後方から繋ぐことで紡ぎだされる)時間とスペースの貯金を鳥栖から奪ってしまえばいい。
だがしかし、もはやこれは過去の話である。
今季ピッチで起きていたことは、むしろその逆だ。「徹底的に“人”を捕まえよ」ハイプレスの波がやってきた。
振り返れば、その予兆は開幕戦から既に存在した。湘南ベルマーレとのホーム開幕戦。まさかの1-5の大敗。
当時は、さして重大なことだと気づいていなかった。悪天候によるスリッピーなピッチコンディションと、それによって起こったヒューマンエラーが原因だと。
ただ、実際には大きな問題点が二つ、あったと考える。
一つ目は、湘南が“人”を明確に捕まえにきたことで、配置的な優位性が完全に失われていたこと。
湘南の場合は、鳥栖のサイドバックをプレス開始の合図とした。鳥栖のセンターバックを湘南のツートップが牽制し、ボールの流れをサイドに誘導する。ボールがそのポイントに入った瞬間、約束事のように各選手がスライドし、各々の標的を捕まえる。その際に、鳥栖は「だせる場所がない」からサイド(場所)に逃げるわけだが、皮肉にも湘南はむしろその場所に「誘っている」。以前、グランパスの監督を務めた風間八宏が、「場所に逃げるな」とよく口にしていた理由はここにある。つまり、場所に逃げてもそこは相手の思うツボなのだ。
その後は出す場所がなく、苦し紛れに縦につけたところを背後から潰される。鳥栖のファンサポーターは、この試合でシャドーに入った西川潤が、湘南の杉岡大暉にことごとく潰された光景をきっと覚えているだろう。
まさにこの場面に、二つ目の問題が存在していた。
必要以上に動く鳥栖の“可変”。つまり、相手のプレスを外そうと、ポジションを変幻自在に入れ替える鳥栖の動きそのものが仇となってはいなかったか。
この湘南戦でも、自陣でボールを奪われた際、ショートカウンターからゴールを奪われるシーンがとにかく目についた。ボールロスト=即失点、と言っても過言ではない悲惨な状況。それはそうだ。鳥栖の可変は、それだけのリスクを負った戦法だった。また、そのリスクを背負うだけのリターンが常にあったとも言える。
とはいえ、悲しいかなそのリスクがまさにリスクでしかない状況が続いたのが今季の鳥栖であり、「これはボール保持の仕組みそのものから見直しが必要だぞ....」と、現場レベルでなっていた可能性は(推測だが)高い。
ボールが前に進まない可変は、まさに諸刃の剣だった。
苦しむなかで生みだされた“シン”ビルドアップ
ありがとうございます。流行にのってみました。
さて、ファンサポーターの不満が高まるなか、鳥栖のビルドアップに大きな変化がみられたのは、まさに冒頭で触れた第11節、横浜F・マリノス戦である。
まず、気になったのがここ。2枚のセンターバック(田代と山﨑)と、2枚のボランチ(森谷と河原)がスクエア型になり、且つ、べらぼーに狭い距離感でパス交換をする。あれ、普段なら河原が最終ラインに降りて、数的優位を作ってからのボール前進ではなかったか。
その様をみて、「これは腹を括ったな」と思った。
動いて、数的優位を作り、前進して。つまり、配置(場所)を前提にしたこれまでの前進方法ではなく、少なくともビルドアップの「スタート地点」では、相手が“人”を捕まえにくる前提で受けて立つつもりなのだと。狭い環境(エリア)の中で、剥がすつもりだ。
マンツーマン気味でどのチームも来ているので、あえてドストレートに行こうかなと。そこの質をもっともっと追求して、そこから変えていくのはできると思う。われわれはあえてドストレートに、直球でどんどん速いボールを投げられるようにするという言い方が正しいかは分からないが、そうすると野球でいえばカーブとか変化球が効く
これは延期となっていた第10節、浦和レッズ戦後の川井健太監督のコメント。ただただドS(ストレート)だ。
では、何故このやり方を選んだのだろうか。
[http://Embed from Getty Images :title]
理由として、二つ想像ができる(推測だが)。
一つ目は、中央でコンパクトな距離感を保つことで、万が一、ボールを失っても最も危険な中央ルートを開けないため。これは、ボール保持チームの宿命である、「ボールロスト」のリスクを鑑みた結果ではないか。後方の選手たちに圧倒的な走力(守備範囲)があれば話も違うだろうが、現状のメンバーにおいては、このやり方が最もリスク管理に適しているのは確かである。
そして、もう一つはネガティブな意味にもなってしまうが、保持における後方選手たちの能力的なものも影響した可能性がある。相手を外すにあたり、一人一人が広範囲に位置し(立ち位置を取り)、(相手にとってプレスの的が絞りやすい状況でも)自身のテリトリーの中を持ち得る技術一つでやり繰り出来るならそれに越したことはない。だが、もし現状そこまでの(パス能力を含めた)技量がないのなら、前進するうえでの「第一歩」は、むしろ距離感をコンパクトにした方がその点をカバー出来ると考えた可能性はある。繰り返しになるが、仮にミスをしてもカバーできる表裏一体な構造だ。
これだけ聞くと、「だったら足が速くて足もと上手い選手センターバック置きゃええやん」と言いたいだろう。
待ちなさい。今季のJの傾向として、鳥栖のようなハイプレス型のチームにはロングボールで回避大作戦が決行される可能性があるから難しい。だって跳ね返す能力、田代ハンパない。あの対人は凄い。左利きでそこそこ足も速く、しかも何故か高さもあるジエゴって生命体を知ってるが、あんなものはレア中のレアだ忘れなさい。
さて、距離が近い分、求められる技術とは何だろう。
密集を作るということは、相手もその分、ボール周辺に人数を割いてくる。ゆえに、ここの攻防が成否を握る。
鳥栖の選手たちを見ていると、相手のプレッシャーに怯み、ボールを「隠すように」止めるケースがまだまだ目につく。これも、当時風間大先生が語っていたが、「ボールは隠すな!」「相手の前にボールがあっても、何でもできる場所にさえボールが止まれば相手の足は止まる」なのだ。そうか、このシチュエーションでこそ風間理論なのか!!と、約4年の時を経て目から鱗状態だが、つまり狭いエリアを前提にプレーする時にこそ、この技術が問われるということなのだろう(たぶん)。
但し、この文脈で誤解するなかれ。
鳥栖が(ビルドアップの)最初から(相手ゴールに至る)最後まで、全てを点で繋げようなんて話ではない。それは風間!風間八宏オンリーの道だから通らないで!
[http://Embed from Getty Images :title]
これは、あくまでもボールを“出口”に届けるための仕掛けだ。その出口は、例えばサイドバックの菊地泰智かもしれないし、相手ボランチの背後に降りる本田風智や小野裕二の場合もある。或いは、大外高い位置で幅を確保し、同時に相手最終ラインを牽制する役目を担う岩崎悠人や長沼洋一への一発ロングフィードだってアリだ。
つまり、鳥栖にはボールを“クリーンな形で”届けたいエリア(場所)があり、その第一歩、最初の足掛かりとして、まずは目の前の相手(人)を攻略することを選んだのだと受け取るべきだろう。相手のプレスを前提にいえば、要はどこでその梯子を外すかが問われており、鳥栖はこのやり方に挑戦している(第11節のマリノス戦まで、中9日空いたのもキッカケとなった可能性有)。
この視点に立てば、近距離で行われる森谷賢太郎や河原創のパス交換も理解ができる。あれは“遊びのパス”だ。ボールを動かすことで、相手を動かす意図がある。
“人”につかれるなら、それ(人が動く)よりもっと速く動くことが可能な“ボール”を、速く動くだけの環境下(近距離)で移動させる。そして、“人”を外す。
但し、繰り返すがフットボールの構造自体を大きく変えたわけではない。リビルド真っ只中は、ピッチを3分割した最も自陣側、いわゆる“ゾーン1”と呼ばれるエリアの構造だ。「どうボールを運ぶか」が、今問われている。
また、矛盾するようだが“ゾーン1”の仕組みを変えたことで、結果的にゾーン2、或いはゾーン3の微調整も要求される。最終的に「相手ゴールまでどう迫るか」、後方の選手たちがゾーン1に四苦八苦している一方で、前方の選手たちも新たな課題に直面しているだろう。
目的は変わらず。しかし“手段”にはとことんトライだ。
ただ、これ時間かかるから
さて、この手法を選択することで、何が問われるか。
言うまでもない、“技術”だ。
単純な止める蹴るの技術もそう、背負う相手を外す技術もそう、瞬間的に空くパスコースを見つける“目”の技術も問われるだろう。また、鳥栖の場合は、コートを“点”でなく“面”で捉えボールを動かし、スペースを創出し、最終的にはオープンな攻撃を繰り出す目的もある。そういった“戦術理解”は変わらず問われるはずだ(話は逸れるが、鳥栖最大の魅力はこの「バランス感覚」にある。ネット上で使われる“和式”“洋式”などと簡単に括れないフットボール。自分たちの理想があり、そのうえで現有戦力の最大出力を引き出すために、攻守において各ゾーンでどんな振舞いをすべきか。それが非常に緻密に、しかし前提に“走り、闘う”鳥栖らしさがベースにあるのも大きな魅力である。「個性と戦術」が同居する素晴らしいフットボールだと改めて言及したい)。
んー、大変だ。要求多すぎてブラック認定したい。
[http://Embed from Getty Images :title]
ここで最後に考えたいのは、ファンサポーターのスタンスである。さて、この状況をどう捉えるだろう。
そもそも論として、「こんなことをやっていること自体、納得がいかない」層がいる。もちろん尊重すべきだ。但し、この点に関しては、「最も勝つ確率が高まる戦法」を現場がどう考えるか、にもよるし、もっといえば「フットボールの哲学」そのものにも関わる部分。一つ言及するなら、おそらく鳥栖陣営は、このやり方が最も勝つ確率が高く、且つ、この方向性こそが自分たちの生きる道であると腹を括っているように思う。また、それは今に始まったことでもない。金明輝率いる2020シーズンから、鳥栖が舵を切った方向に変わりはない。
次に意見が分かれるのは、「今(現状)の出来」。
簡単にいえば、「出来ていないことをどう捉えるか」。未来の姿を想像し、期待する人間は、きっとこれを“伸びしろ”だと解釈する。一方で、今の方向性に期待していない人間や、或いは、そんな悠長なことをやってる場合ではないと危機感を抱く者は、おそらくこの「出来ていないこと」が目について腹立たしく思うだろう。
これも一緒だ。どちらの解釈もきっと間違いではない。
ボールなんか捨てて、非保持に舵きって、「ボールは奪うもの」と定義し、割りきって走ることをベースにしてしまえばもっと楽だ。書いていて、私だってそう思う。ハイプレス?マンツー?わかったわかった、蹴っちまえばいいじゃないか。鳥栖もロングボール合戦して、トランジション(切替)と強度で対抗しようぜ!その方がよほど潔い。しかし、悲しいかな今の鳥栖には豊田陽平も金崎夢生も、それこそフェルナンドトーレスもいない。
繰り返すが、鳥栖は今歩んでいるこの道こそが自分たちの目指す道で、これこそが我々の哲学だと明確に自負しているだろう。誰が何と言おうがその事実が揺らぐことはないし、「ブレない」とはつまりそう言うことだ。
でも同時に、彼らは「新しいチャレンジ」もしている。
彼らの目の前にあるその壁は、ブレずにやり続けたからこそぶつかった壁であり、“見つけた”壁でもある。そして、その壁を「新たなチャレンジ」と位置づけ、彼らは乗り越えることを選んだ。何故か。『避けることは、この道が頓挫することを意味するから』に他ならない。
だからこそ改めて思う。「勝つ」ことが、重要だと。
[http://Embed from Getty Images :title]
勝てば、支持していた人たちは嬉しい。勝てば、支持していなかった人も納得する。勝てば、皆、ハッピー。
そう、どれだけ沢山の意見があろうと、そこにどれだけの対立が生まれようと、そんなもの大したことはない。
「勝ってほしい」、この気持ちだけで十分だ。
皆違うようで、結局は同じなのだ。勝ってほしい、それだけ。それが心から理解できていれば、きっと意見の違う相手でも尊重できる。そしてまた、これこそが同じクラブを応援する醍醐味だろう。どれだけ意見が異なろうと、クラブが好きであることに変わりはなく、勝ちたいと思う気持ちもまた同じ。勝ち負けしか問われないフットボールほど虚しいものもないが、一方で、勝ち負けという分かりやすい指標が解決してくれることもある。
風間時代にロマン追っかけて負けまくった大先輩サポーターの私が言うと説得力が違います。では格言です。
サガン鳥栖の皆の衆、ときどきでいい。勝っておけ。
とまあ、最後はサポーター論になりましたが
このコラムを通して指摘したかったのは、鳥栖のフットボールそのものというより、むしろ鳥栖のフットボールの変化を通して、いまJに何が起きているか、である。
鳥栖が変わりたくて勝手にやっているのか。いや違う。
これらは、Jに変化が起きたことで生まれたものである。ここ数年、Jは川崎フロンターレと横浜F・マリノスの二強時代だった。圧倒的な保持力をベースとした攻撃力。それを前提とした即時奪回の守備。ハイテンションで続くこの循環に、どのチームも歯が立たなかった。
[http://Embed from Getty Images :title]
しかし、その流れに今、変化が起きている。
キッカケは昨季躍進を遂げたサンフレッチェ広島だろうか。その真意は定かではないが、いまJでは二強の牙城を崩すべく、力のある者たちが(ボールを相手陣地に送り込んだうえでの)即効性のあるハイプレスを武器に、Jの構図を塗り替えようとしている。二強の特徴(ボール保持からの即時奪回)を逆手に取るフットボールで。まさに長く続いた二強時代へのカウンターではないか。
その流れに抗おうとするのは鳥栖だけではないだろう。
マリノスも、川崎も、或いはアルビレックス新潟もそう。保持をベースにするチームの逆襲はあるだろうか。潮目の変わり目に気づき岐路に立っているのは彼らだ。
この壁を、突き破れ。いま、保持勢力が問われている。