みぎブログ

主観で語りますフットボールを。

いざ因縁の地、広島へ

広島の恨みを忘れない。

半年に一度この台詞を吐き捨てる妻。原因は私にある。

あれは、二人目の娘を授かったときだった。子供たちを連れ実家に帰った妻を後目に、私はとにかく暇だった。与えられたこの貴重な数週間をどう活かすか。悩み抜いて私がだした結論に、今も後悔はない(反省はある)。

そうだ、広島に行こう。試合を、観に行こう。

こうして私は意気揚々と広島に向かったのだ。観戦したのはサンフレッチェ広島名古屋グランパス。試合の内容はたいしたことなかったが、その日はたまたま森崎和幸の現役ラストマッチだったことを覚えている。

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試合の翌日、調子に乗った私は一人でフェリーに乗り、宮島に向かった。宮島はすごいぞ。もみじ饅頭がその場で食べられるのだ(今さら)。その旅イチのハイテンションになった私は、つい、そのもみじ饅頭を写真に収め妻に送ってしまった。あまりに軽率。ケアレスミス

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※当時の写真(仕方ないやん魔が差しただけやん)

「......は? それ、広島だよね?」

あの返信が届いたとき、私の右手はガタガタ震えていたと思う(かなり脚色しています)。なぜなら、広島行きは一切伝えていなかったのだから!!(これは真実)。

あれ以来、妻に弱みを握られた私は、冒頭の台詞をことあるごとに嫌味っぽく吐かれては、「いつか家族で広島に」この言葉を胸に秘め、今日まで生きてきたのだ。

そして今回、私は機が熟したと判断した。

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今しかない。この呪われた台詞とオサラバするなら、もう今しかないの。行こう、広島へ行こう俺(と家族)。

しかし、計画は思い通りに進まなかった。名古屋戦の開催は、2024年5月6日。ゴールデンウィーク。ええやんええやん、めっちゃええやん。家族旅行に最適やん。

「その日は私仕事だから無理。諦めて」

F××k!!!!やめだ!こんな家族旅行やめてしまえ!

いや諦めるな。あきらめたらそこで試合終了ですよ。

他に行くとすれば....そりゃあ鳥栖戦しかないだろう。(どれどれ....)2024年3月9日。近っ。これは全力土下座不可避では。それから私は、毎日妻に言ったんだ。広島に行こう、そうだ広島に行こうと。平和の街にこの妻を連れて行きたいのだ(そこまでは言っていません)。

あのときの後悔にケリをつけたい。君に広島の地を踏ませてやりたい。あぁ怖い。とめどなく溢れる誘い文句。

こうして私は手に入れた、念願の広島行きの切符を。

 

「街中スタジアム」の街中具合に驚いた

当日。私は広島の八丁堀にいた。

予約したホテルに荷物を預けるべく、フロントのある13階に向かった私は、外の景色を見て驚愕する。

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ビルとビルの隙間からスタジアムがこんにちは。

待ってそんな急な挨拶。まさかこんな近いとは....。頑張れば広島駅から歩いて行けるとは聞いていたが、実際にこの目で見るとマジでめちゃくちゃ近いことに驚いた。

これが街中スタジアム....その言葉に偽りなし。これは余裕でアクセス可能と理解した私は意気揚々と街にでた。

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最低限の義務(おい)。お好み焼きで妻の機嫌取りだ。

同じ店には隣に広島サポーター。入口には鳥栖サポーター。皆考えることは一緒で試合前にはソウルフード。食べて飲んで広島を堪能する。「これ隣の人もサッカーでしょ....」おい妻のご機嫌を損ねたぞ広島サポーター。

よいよい今日は無礼講じゃ(ご機嫌)。すっかりお腹が満たされた私は、遂にスタジアムに歩みを進めた。

あまりの気温の低さのせいか、空からはあられのような雨が降っている。寒い。少しも寒い。シャレオなる地下街を見つけ、スタジアムまで下から攻めることにした。

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凄い。地下街もサンフレッチェ一色。りおた先生のデザインで所狭しと彩られたこのロードを、紫のユニフォームを着た人々が闊歩している。こんなところからも「街中スタジアム」であることが感じられる。街中にスタジアムがあることの価値はきっとこれだ。結果として、その街自体がクラブカラーで彩られる。その役割を担うのは、紫のユニフォームを着用して歩く者たち。最終的な主役は、やはり応援するファンサポーターなのだ。

地下街を10分程歩き、地上へと繋がる階段を昇る。

この時点で、読んでいる皆様は大きな誤解をしている。

良かったね。家族でついにスタジアムデビューじゃん。よ!粘り勝ち!きっとそう思っていることでしょう。

アッハッハ残念残念。ここから妻とは別行動ですがなにか。

 

家族に溝があろうとお構いなしな広島の街

私たちのように、フットボールで家族の仲に溝ができた家庭にとって、広島の地は寛大な措置を取った。

gate-park.jp

スタジアムの導線上に出来たのは「ひろしまゲートパーク」。2023年春に旧市民球場跡地(こんないい場所にあったんか)にできたこの施設には、食事にカフェ、子どもの遊び場まで併設され、まさに「フットボールには付き合いたくない家族向け施設」としてスタジアム前にそびえ立っている(少なくとも私にはそう思えた)。

ありがとうひろしまゲートパーク。さようなら私の妻。

「ここで私も遊びたい」と突然同行を拒否る長女。それは駄目だ。何を思ったか君のチケットだけは購入済。明らかに後ろ髪を引かれる長女の腕を掴み、妻と次女と別れた私の歩みは速度を増す。もうそこはスタジアムだ。

(この章は支障がありそうなのでとっとと終わる)。

 

いよいよこの旅のメインディッシュへ

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おおおおおおおおお!

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ぬおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!

着いた....近え....街からめっちゃ近え!!(二度目)

これがこの旅、最大の目的地(←)の

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エディオンピースウイング広島である。

すげえ!興奮を止められない私は、嫌がる娘をモデルに見立て撮って撮って撮りまくった。何気にスタジアム名の看板をどかーんと設置するのがイイ。ある種の観光スポットと化したこの場所で、多くの人が記念撮影に勤しんでいる。分かる、私にはその気持ちが分かるよ。

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ちなみに、この日は満員御礼。

やれば分かるが、チケットはマジで争奪戦。ゴールデンウィークの名古屋戦とか、この時点で地獄しか見えません。販売開始時刻の30分前から控え室に入れます。皆さん遅れずにお集まりください(この意味がわかる)。

一連の行為に満足した後、スタジアムの外をちょろちょろと散策したが、正直、外は何もない(バックスタンド裏の工事現場にお店が出来ると聞こえた)。いわゆる「スタグル」的なものはスタジアム内コンコースだけで(私が見た範疇)、外の見所はグッズショップくらい。しかも、コンコース内の飲食はかなり並ぶので、この点は想定のうえスタジアムに向かいたい。ちなみに、パパはビールと娘に告げ、娘にはドリンクをと提案したが、「ママだけ可哀想じゃん。買ったら言うからね」と娘に脅され購入を断念。もはやミニチュアの妻。マズい。

では、そろそろ中に入ることにしよう。行け、この旅最大の目的地へ(二度目)、行け己の欲望のままに。

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感動する父。とにかく寒そうでうんざりする娘。

広島の皆さん、本当におめでとうございます。よくぞあの地に、こんなエグいものを建てられたもので。

これからは毎年、試合があるたびに広島の皆さんは街の中心地に集い、このスタジアムに通うのですね。同じJリーグを愛するファンサポーターの一人として、素直に羨ましい限りだ。こんなん、絶対最高やん。住んでたら100%シーチケ購入する。だってこんな最高の舞台装置で、毎試合フットボールが観られるのだから。こんな日常が、自分の人生に、自分の日々の生活に欲しいやん。

 

スタジアムのせいか鬼のように元気な広島


www.youtube.com

でさ、試合が始まったら始まったで広島が鬼強え。

隣の席に座っていたお父さんは、広島在住、新スタ初観戦組だった(たぶんおそらく)。座席に着くなり

「うわあ......こんなん最高じゃん......凄いわ」

感慨深そうにそう呟く。更に、いざ試合が始まれば

「いやー!惜しい!!めっちゃ良いわあ」

と、川村拓夢のエグいシュートに声をあげ、ピッチ上でみせる広島のフットボールに終始興奮している様子だ。

そう、どれだけ器が立派でも、肝心のピッチ上がお寒い内容なら成立しないと思うのだ。しかし、今の広島のフットボールは、間違いなくこの器の質に負けていない。正直、あまりの強さに言葉を失ったのが本音だ。あのスタジアムの雰囲気と、有無を言わさず前に前にと突き進む広島のイレブン、ゴールが入れば爆音で観衆を煽る演出に、どこか飲まれている自分に気づく。ピッチ上に描くそのフットボールも、スタジアム全体の様子も、なんだかそこにドイツの匂いを感じるのは何故だろう。スキッベ体制で築いたものに見合うだけのスタジアムが、遂に用意された広島の「全てが噛みあった感」は異常だ。

ちなみに、もう一人のお隣さんこと我が娘はどうなった。フットボールのルールを知らないスポーツ音痴。試合前、鳥栖の選手たちが登場すると「これもう試合始まってるの?」と聞いてきたね。コートを見てごらんなさい。片面だけで20人はいるでしょう。服の色もバラバラだ。どうやら娘にとってのフットボールは、オシム顔負けに40人で行うスポーツらしい。そんな娘は試合中も終始静かにしていたが、時折声をあげて盛り上がる。

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「ギャハハなにあれwwww」

セットプレーで広島にチャンスが訪れると、ミニサンチェが「てめえらタオルまわして盛り上げろや」と観衆を煽るのだが、どうやら娘はこれに草が生えたらしい。

子どもが喜ぶポイントは面白い。マスコットは偉大だ。

ちなみに、このセットプレーの演出。スタジアムが結構な雰囲気になるので(マジでスタジアム中、タオルぶんぶん回す仕様)、全然侮れないことも加えておく。

ここで前半が終了。あまりにも圧倒的な広島のフットボールに、(鳥栖を応援していた私は)心が折れかかっていた。鳥栖、しんどいな....。しかし、どうやら心が折れかかっていたのは私だけではなかったようだ。ハーフタイム、隣にいた娘が思いがけない台詞を言い放った。

 

あろうことか試合から離脱しようとする娘

「パパ、わたし、ママと合流したい」

ファ-----------!!!今、試合中なんですけどー。パパと貴方、今、スタジアムの中なんですけどー。合流?......合流!?!?(言葉の意味を確認する)え、個人的に前代未聞なんですけど。鳥栖鳥栖が全部悪いぞ!娘に「周りはみんな紫のチームを応援しているけど、パパと◯◯は白(アウェーユニ)のチームを応援しようね」って話してたから、娘めっちゃ応援したんだからな!「紫嫌い、紫嫌い(涙)」って、娘までグッタリしてたわ!

マジでか....。仕方ない、妻にLINEするしかねえ....。

「◯◯がサッカー飽きたみたいで、そっち行きたいって駄々こねてる。こっち迎え来れる?ごめん」と、メールをする。妻からの返答が届く。「いいけど、◯◯(次女)のお腹の調子悪いから、歩くの時間かかりそう」。

....仕方ねえ、こうなりゃ娘を俺が連れて行く(決心)。

スタジアムをでた私は娘を連れ、スタジアムへの上り坂を涙目で下っていく。行き先はそう、俺たちの友、ひろしまゲートパークだ。娘には申し訳ないが、お父ちゃんのためにどうぞ小走りでお願いします。ただでさえグッタリしていた娘の手を取り、父ちゃんは走った。小走りとかいいつつ、正直結構な速度で走ったんだ。

妻からLINEが届いた。「今、こども文化科学館のトイレにいるよ」。いるよ、じゃねえ!目的地変えんな!!

www.pyonta.city.hiroshima.jp

実は、ひろしまゲートパークとスタジアムの間には更にもう一箇所、俺たちの味方がいる。それが「広島市こども文化科学館」。神。広島の地にはどうやら神がいる。

そうこうしているうちに目的地に到着。妻を発見。

スタジアムから科学館まで5分もかかっていないかもしれない。しかし、後半が始まっていることに気づいていた私は、「あああああなんで俺が連れてこなアカンのじゃ!!!!」と自己中にイライラし、試合後に聞いたところ娘はションボリしていたらしい。本当にダメな父ちゃんでごめん。父ちゃん、試合が観れないとこの地に来た意味がないんだよ(暴言)。そこからは一人全力ダッシュでスタジアムに戻り、着いたのが後半2分過ぎ。いやこの立地エグいでしょ(改めて)。ハーフタイムに子供の瞬間移動(注:親の都合で走っただけです)ができる街中スタジアムえぐっ!一人で席に戻ったとき、隣のおじさんが「アイツ子どもどこ置いてきたんだよ....」とコチラの様子を伺っていた気がするが気にしない。

 

試合が終わっても広島の夜は終わらない

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試合は完敗だった。忘れます家族旅行がメインだから。

スタジアムを出て紙屋町方面に歩いていくと、広島ゲートパークの遊び場ではしゃぐ子供たちを見つけた。

帰り道に子供たちと合流できるこの圧倒的導線。「試合はどうだった」と妻。「0-4でボッコボコ」と俺。「ギャッハッハ」悪魔だ。この出来すぎたやりとりは悪魔の仕業。

帰り道。堤防沿いを歩いていると、酒を無料で振る舞うお兄さん達にでくわした。「サンフレッチェサポーターの皆さんおめでとう!どうぞ無料なんで飲んでって!わっしょーい」みたいなノリだったと思うが、あまりの声のデカさと引くほどノリノリな様に、うちの娘は「広島の人って怖いんだね」とそっと呟いた。サンフレッチェのせいで、広島の思い出が怖い一色に染まりつつある。

あっという間に、原爆ドーム前の交差点に辿り着いた。

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信号待ちをしていると、後ろからぎんぎんのママチャリに乗る加藤陸次樹ユニのおっちゃんに気がついた。そのおっちゃん、青信号になった途端、スーパーに向かう母ちゃんの如く自転車を漕ぎはじめた。背中には51番の文字。スーパーに行きたいのか、スタジアム帰りなのか一切悟られないその姿は「まさに日常」。ていうか本当は私と同じような家庭環境で、一刻を争う勢いで自宅に向かっていたのではないか。分かるその気持ち。そんな背中をみて隣で笑いが止まらない悪魔(妻のことです)。

www.soccer-king.jp

私にとってのフットボールは「日常にある『非日常』」だった。なんともない日常の中に、劇場のような非日常が存在する。普段は、涙がでるくらい感動したり鳥肌が立つような興奮もなく、誰かに向かって怒りをぶつけることだってない。でも、スタジアムにはそんな普段味わえない非日常がある。ずっと、そんな風に思ってきた。

ただ、広島の新スタジアムは、まさに『日常』にある。

繁華街のような街中に、原爆ドームのような誰もが知る歴史的建造物と変わらずに、当たり前のようにそこにそびえ立つ。休みになれば、目的の異なる者たちを吸い込むようにして集めるその場所に、何の違和感もなく追加されたのが新スタジアムだ。買い物や映画館に行くそのノリと何ら変わることなく、選択肢の一つに「スタジアム」が存在し、終わればママチャリで自宅に戻る。そんな日常の風景に、広島の新スタジアムがある。これを日常と言わずして何と言う。きっと多くの広島サポーターが羨ましがっていたであろうマツダスタジアムは、他県からも容易に集客可能な都市型スタジアムといった具合。対して、エディオンピースウイング広島は、あなたの日常の一部と化したまさに街中スタジアムだった。

www.orizurutower.jp

試合後に立ち寄った「おりづるタワー」。

試合に負けたばかりの鳥栖サポーター達が、物欲で悔しさを消化していた(その言い方やめろ)。大丈夫、気持ちは分かってる。私だって同じだ。隣にいた娘が「パパ」と呼ぶ。「パパのお友達の絵がまたあるよ」。

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娘よスマン。パパは「この人のこと知ってるんだ」と自慢げに言っただけで、ぶっちゃけ会ったことはない。

時刻は18時前を指している。夕食は近場に予約済みだ。

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tabelog.com

えらく他サポに親切な広島サポさんが、近隣の旨い飯屋をまとめたポストをXで発見。それを参考に予約した。この場を借りて感謝します(ノリック様 @noric9 )。

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広島の夜が俺の心を温める。乾杯、街中スタジアム。

このお店、呑兵衛向けと聞いていたので子ども連れはどうかと心配だったが、店員のおばちゃん(お姉さん)は皆優しく子どもに構ってくれるし、疲れきった次女が寝ても部屋が座敷で問題なく、終いには(頼んでないのに)座布団たくさん用意してくれたりと、私も妻も大満足。家族で行っても実家で飯をご馳走してもらう感覚に近いので(有料です)、どうか安心して行って欲しい。

その後、ホテルに戻った私は自慢の大浴場に向かった。

どうやら同じホテルには、鳥栖サポファミリーが泊まっていたようだ。お子ちゃんがパパに話しかける。「パパ、(コンサドーレ)札幌戦はPK止めたのに、どうして今日は止められなかったの?」。貴方のパパではないが黙っていられない愛知県のパパは心の中で呟いた。「落ち着くんだ坊や。そもそも開幕から二戦連続でPKを止めていたこと自体が異常だし、もっといえば三戦連続でPKを献上していること自体、疑問に思うべきなんだよ」。

馬鹿野郎っ!!そんなこと口にしたら、この子の将来がバスケットボールに靡くかもしれない。絶対に口にするな。本物のお父さんを見ろ。引き攣った笑顔で対応しているじゃないか。子どもの純粋さが羨ましい。安心してください。未来の鳥栖サポーター、守りましたよ。

 

禊を済ませたものの大きな課題が残った

かくして、私の広島リベンジは成功した(翌日、宮島チャレンジも実行し、もはや後ろめたいことなどない)。

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(↑  やりきった俺)(ていうか誰)

もし悔いがあるとすれば、愛するフットボールの世界に娘がいまだピンときていないこと。ゴールが決まっても微動だにしないその姿に、若かれし頃、ゴールに湧き立つ観衆に一切共鳴することなく、ボーッとピッチを見つめていたあの日の妻を思い出した。「ゴールが入りました」。この解像度で解説をしたのは、あれっきりだ。

どうすれば娘はフットボールを好きになるのか。

試合の後半、一人で悩んで悩み抜いた私は、試合後にスタジアム外のグッズショップに駆け込み、実はこれを買ったのだった。イケメン推しでいってみよう。目黒蓮が好きな我が娘。彼女のバッグを、イケメンで彩るのだ。

次の候補はもう決まっている。山岸祐也、一択です。

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「可変」〜美しい、その響き〜

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行けるときに一気に行かないと駄目。

長谷川健太氏(以下、健太さん)が名古屋グランパスの監督に就任した際、FC東京時代をよく知る知り合いから真っ先にかけられた言葉がコレである。

その言葉を携え、まさに行けそうなので一気に行こうとした2023シーズン。しかし、まさかまさかの大失速。終わった、そのターン終わった。ここからは、巷で噂の健太カーブを描き年々成績が降下していくのだろうか。

オフになるとチームの中心として活躍した選手が一人、また一人とクラブを去っていく。丸山祐市中谷進之介、森下龍矢、藤井陽也....これが以前に健太さんが語っていた「代表クラスを抜かれると同等レベルの選手は獲れないから三年目くらいからキツくなる」現象か。見事なまでに予想通りの流れなだけに、改めて「行けるときに行っとけ」の言葉が重くのしかかる。先人は偉大。

しかし、一方でフロントは興味深い動きも見せていた。

 

就任三年目にして予想の斜め上をいく新顔の嵐

それが、超積極的な補強策。

これだけ選手が抜けたのだ。当たり前といえば当たり前。しかし就任三年目でこれほど選手が入れ替わるとは斜め上。2016年に降格、ほぼ知った顔が抜け選手をかき集めるしかなかった2017年を思い出す程には新顔の嵐。

正直にいえば、抜けた穴を埋める程度では健太カーブを描くだけだと思っていた私的には、むしろこれくらい顔が変わった方が面白いのだが。一部の他サポの方々には、「名古屋ヤバすぎだろ」とこの動きを揶揄されたりもしたが、いやいや健太さんで長期政権を築くのならこれは悪くない動きだ。名古屋だから成せる芸当と言え。

かくして今季のスカッドが確定した。

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予想フォーメーションでも考えるかと妄想を始めた俺。なるほどこれは優勝だ(シーズン前全サポ風物詩デタ)。しかし、ここで大きな疑問に気づいたのだ。

 

山中と小野は死ぬまで(死ぬな)走れるのか問題

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2023年の名古屋の基本システムは3-4-2-1。5枚で壁を築いて森下を鬼のように走らせるこのシステム。つまり、ウイングバックに求められる大前提は圧倒的な走力だ。しかし、代わりにやってきたのは山中亮輔と小野雅史。どちらも左足を武器とし、ビルドアップを得意とするタイプである。加えてウイングバック適性があるとも言いきれず(小野は未経験)、森下の代わりにしてはえらく異なる特徴の選手を捕まえたものだと思った。

だったら彼らの本職ともいえるサイドバックの起用では。しかしその想定、今度は逆側の右サイドバックを本職とする人材に難がある。野上結貴なら器用にこなすだろうが、その代わりとなりそうなのが(本職とは言い切れない)内田宅哉という時点で、明らかにこのポジションの補強が後回しであると気づくはず。また、それなら個人的には成瀬竣平を推したいのだが、悲しいかなそもそも健太さんの構想に入っているのかすら怪しい。

nagoya-grampus.jp

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なぜ、ウイングバックの補強が山中と小野なのか。

これが(個人的に)このオフ最大の謎であり、最も興味を抱かせるポイントだった。今季を予想する際に、彼らの獲得をどう解釈するかがなにより面白い部分のはず。

そもそも「謎」と表現してしまう理由は根が深いのだ。

 

健太さん良くも悪くも古風やんという固定観念

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あくまでも個人的な見解だが、健太さんの戦術にはそこまで柔軟性はないだろうとタカを括っていたのがその理由である。つまり、最終ラインが3枚なら3枚、4枚なら4枚と「型ありき」になるだろうと思っていたのだ。とはいえ、前述の通り3(ウイングバック)なら適性に疑問が残り、4なら右サイドバックの補強がないことが疑問だった。だから、謎。その意味でいえば、私の健太さんに対する評価(見方)は思っていた以上に冷めた部分もあったのだろう。単純に彼の人物像であったり、マネジメント能力や決断力、もちろん若手に対する接し方(育成能力)には感心しきりで、絶大な信頼がある。ただ、一方でピッチ上で作りあげるフットボール自体はどうにもクラシックな印象があり、その要因の一つが「柔軟性の無さ」に起因している部分は大いにあると思う。

気づけば過度な期待(妄想)を抱くこともなく、良くも悪くも過去からの「現実路線」で判断をしていたのだ。

よって、おそらく今季は「脱マテウス後」の仕切直し。要は調子の良かった昨季前半戦の形を(今季のメンバーで)どれだけ復元できるか、になるのだろうと思っていたし、個性が変わることで多少なりともプラスアルファが生まれてくれれば御の字だと考えていた。とはいえ、正直にいえば、そういうアプローチこそが成績を降下させる原因になりえるのだと思っていたし、一つの型に縛ることで、結果的に死んでしまう個性もあるのだとすれば、それは一人のファンサポーターとして悲しかった。

楽しみだが過度な期待はしない。これが本音だった。

 

俺の見込みの甘さよ恥を知れ!!!!!!!

ただ。

ただ(二度目)。

どうやら、この予想が大外れになりそうなのだ......

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「可変」......。......「可変」、だと......!?!?!?

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間違いねえ!「可変」って書いてあるぞおい(くどい)

昨今のフットボールにおいて、もはやベーシックに装備されつつある可変システムだが、正直いって健太さんのチームに(とりわけ保持の局面において)可変とのワードがでるのは驚きだった。やっぱり嘘なんじゃねえか?

新聞......もう一度その新聞寄越せ。もう一度だ。

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「可変の新布陣」......素敵。優勝だ(言いたいだけ)。

そもそもまだ観てもいなければ、情報漏洩の観点からもこれ以上の言及は避けるが、どうやら健太さん、名古屋初年度ならともかく、三年目にしてお初にチャレンジしているらしいのだ(地元紙でも大々的に「可変」の文字が踊っている)。凄い。これ、健太さんにとっても今後の監督キャリアに影響するほどの分岐点でなかろうか。

ちなみに一言で「可変」といっても、いやいや試合が始まれば常に選手は動くわけで様々に可変はする。これまでの名古屋にだって仕込まれた可変は存在しただろう。ただ、今回フォーカスしている「可変」は、より明確に分かりやすい形としてピッチで表現されるものである。


www.youtube.com

思えば、新体制発表会のコメントは印象的だった。

「このままでは優勝出来ねえなと思って」

あのときは、会話の冒頭、オッチャンのウケ狙い程度の台詞だと流していた(失礼)。ただ、実際にわざわざドイツまで出向き、ボルシア・メンヘングラードバッハと1.FCケルンの練習見学をし、同行した竹谷昂祐コーチに至ってはバイヤー・レーバークーゼンに行ったらしい。

健太さん(とその仲間たち)といえば、昨年からスリーバックの研究に余念がなく、シーズン前には各国のスリーバックのチームを死ぬほど観たと、クラブ公式ドキュメンタリー「INSIDE GRAMPUS THE DEEP」でも言及があったばかり。そもそも健太さん、全然海外の試合は観てなかったけど、スリーバックを始めてから興味が湧いたと以前に話してたっけ。「戦術も細かくなった」とは選手談。そこにきて今度はドイツ遠征ときた。

このままじゃ優勝出来ねえこのままじゃ優勝出来ねえ。

分かった....きっとこれ本音で言ってんな(今さら)。

これさ、実はめちゃくちゃ重要なエピソードなのでは。今のままでは優勝出来ない、そう心から思えた事実が。ならば、仮説の域をでないものの、一つの可能性として昨季途中からの大失速が相当堪えた説で考えてみたい。

 

開幕から全てがうまく転がりすぎた故の落とし穴

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↑↑↑↑中見出しに注目↑↑↑↑

これは裏を返せば飛ぶ鳥を落とす勢いだった前半戦に、それだけ手応えがあった証拠でもある。但し、それがたった一つのピースを失っただけで瞬く間に機能不全と化した。全ての歯車が狂ったのだ。森島司を獲得したものの、「型ありき」であの手この手で無理くりハメ込んでも一向にしっくりこない現実。もちろんシーズンど真ん中(の待ったなし)な状況では仕込むにも限度があり、そこに同情の余地があったのは以前に書いた通りだ。とはいえ、(健太さんの言葉を借りれば)一丁目一番地の選手だとしても、それだけでチームが壊れてしまうメカニズムには誰もが大きなショック(と失望)を受けた。

migiright8.hatenablog.com

では、あのとき、何が一番問題だったのか。

自分なりに一言でまとめてしまうと、「戦い方に幅がなかった」ことに尽きる。一点特化型に問題があった。

固い守備からカウンター。名古屋の武器はスリートップ。この分かりやすい代名詞を機能させていた一丁目一番地こそが、マテウスカストロだ。低い位置で奪っても、マテウスにさえ預ければ起点ができる。前にいる二人(キャスパーユンカーと永井謙佑)は迷いなく走りだし、後方から加勢してウイングバック(森下)も躊躇なく後を追った。どれもこれも可能にしていたのは「奪われない、前が向ける」マテウスの個性があってこそだ。

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また、そういった名古屋の個性、つまり「相手ゴールにダイレクトに向かっていくフットボール」を展開できる『毛色の近い選手たち』でパズル(組合せ)を見事組み合わせた健太さんも、完璧に近い仕事だったと言える。

だからこそ、皮肉にもそれが大きな落とし穴となった。

エンジンを失った途端に大失速。試行錯誤もした。森島司が同じ毛色に染まることを願い、彼個人への期待と同時に、何度もパズルを組み替えてはチームよ好転してくれと願ったわけだ。しかし、結果は知っての通り。最後まで理想の姿には辿り着かず。そもそもこのアプローチに限界があったことは、誰の目にも明らかだった。

現在の取組みは、間違いなくこの反省の先にある。

 

多様な個性よ集まれ(ボール保持も大歓迎)

今季のポイントに関しては、二つにまとめてみたい。

一つは、毛色を「揃える」のではなく、あえて「異なる」多様な個性を前提とし(組み合わせ)、フットボールの幅を広げること。昨季のように、ダイレクトなフットボールを得意とする面々だけで揃えない。その中に、例えばポゼッション(つまり、ゆっくりと攻撃すること)が得意な個性もあえて組み合わせる。問題は、誰をどのように組み合わせるのが最適解か。このパズルを組み立てるのは言うまでもなく健太さんだ。なお、この点は前述の通りマテウス離脱後にカウンターの術を失い、攻撃の手札自体を失ってしまった苦い経験に起因した変化だと考える。健太さんが強化部にリクエストした内容はこうだ。「特徴のはっきりした選手を揃えたい」。

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二つ目は、そういった多様な個性をピッチに配置する(繋げる)うえで、ただ型にハメて並べるだけでなく、より各々の個性が発揮できるようチームとしてのガイドラインを設けることにある。それぞれのポジションごとに画一的なタスクが与えられるわけではなく、あくまで前提は選手の個性を尊重したタスクとなる。ゆえに、それらをチームとしてどう機能させていくか、より戦術的で(つまり)具体的な落とし込みも(選手の組み合わせと同時に)進めていく。竹谷コーチに全力で祈れ。

今季の目指すフットボールを、森島はこう表現した。

「特徴に秀でる選手を活かすのが今の戦術」

ズバリこれだろう。そもそもの方向性があって、そこに波長があう選手たちを「揃える」のではない。あくまでも選手たちの個性が前提にあり、その異なる個性を「活かす」ために組み合わせを考える。チーム戦術を考える。当然、チームとして譲れないベース(二年間で積み上げたもの)はあるだろう。ただ、とりわけ「ボールを保持するフェーズ」においては、そもそもの発想からして大きなメスを入れていることは間違いない。

なお、その文脈においての不安要素も挙げておこう。

 

結果的に唯一無二になり得る森島司の個性

一つは、中盤のキャラクターが似通っている点。

稲垣祥米本拓司、内田宅哉、新加入の椎橋慧也。どの選手もボールが狩り取れ、どちらかといえば「縦」に力強い選手である(内田のキャラクターは多少異なるが)。ゆえに、仮に(当初からすれば予想外にも)「ボールを動かせる」選手が重宝された場合(要は吉田温紀だ)、彼に似通ったキャラクターの選手が見当たらないのは気掛かりだ。そう考えると、一年で名古屋を去った山田陸はもう一年我慢しても面白かったのではないか。

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もう一つ、今季の期待の選手として、健太さんは「森島司」を挙げている。その言葉の通り、これまでの報道を見聞きする限り、どうやら本当に今季は森島司のチームになる可能性が高い(このまま上手くキャンプが進めば、だが)。要は、彼がこのチームの攻撃でアクセントをつけるキープレーヤーとなる。その場合に、彼のキャラクターもまた現在の名古屋では唯一無二であることは気になる点だ。「なんだ結局はマテウスのケースと同じじゃねえか」とならないためには、個性が抜けて穴になるのではなく、「個性が変わることでチームにも変化が生まれる」循環を作ることが重要な要素となるはずだ。森島ならこれが出来る、和泉竜司になればこれが出来る。同じタスクで縛るのではなく、個性に応じて色が変わる。その変化にチームが呼応する。今季のチームは、そうでなければならない。目指す方向性は、それだ。

キャスパーと永井、山岸祐也とパトリック(酒井宣福)、久保藤次郎と中山克広、和泉と倍井謙。

各ポジション毎に、ある程度は似たタスクをこなせそうな個性は揃えている。だからこそ、「代替不可」にみえる森島や吉田のような個性(キープレーヤーの箇所)を、年間でどう運用するかが腕の見せどころにもなる。

 

今んとこ満点!いやまだ何も始まってないけど!

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さあ、今季のこの取り組み、果たしてどうなることか。

伸るか反るか。駄目だったときは「この期待返せバカヤロー」と笑ってやるんだ(悲しみに暮れながらだけどな)。ただ、もし成功した(この賭けに勝った)場合は、健太さんにとっても監督としての評価をさらに何段階も上げるターニングポイントになる可能性がある。「新しいものを貪欲に取り入れ、変化を恐れない監督」と言われること待ったなしになる可能性が。ていうか、良いんですよ今はこれで。最終的に当たろうが外れようが(いや外れたら困るけど)、プレシーズンで一番大事なのは「どれだけファンサポーターの期待を煽れるか」なのだ。現状は満点!その取り組み、まだ取り組みの段階だが満点あげる!何も観てないのにこれだけの文字数を割かせた健太さんのチャレンジとりあえず満点!!!

上にある予想フォメ、もう全然違ってきてるけど教えない、今の名古屋を俺教えない。つまり分かりますか。何が言いたいか結論書きます。長々と書いてるけどそろそろ結論書きます(二度目)。要はこれが言いたいだけ。

どう転んでも三年目の今が最もアツい。健太がアツい。

「貴方は結果しか見ていない」


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話題になったミシャのスピーチ。これ、凄いよね。

ミシャの通訳さんがかなり意訳していたとか、あるいは、ミシャと浦和レッズのプロレス云々には正直興味がなく、なにより関心をひいたのは、ミシャが“勝敗”と“内容”について、ここまでド直球に意見したことだ。

面白いもので、その点について大きな話題とはならなかった。ただ、例えば成績がふるわないクラブにおいて、ファンサポーター内で拗れるケースは往々にしてこういった価値観の違いに起因する。結果を伴うスポーツはある意味でゲンキンなもので、勝ってる間は平和一色。「勝った」事実の説得力に勝るものはなく、目の前にある悩みごとなど全て覆い隠してしまう。しかし、問題は負け始めてそれが続くパターン。負け始めた途端にこの価値観のズレが邪魔をして、本来仲間であるはずの身内のファンサポーター同士に争いごとが生じてしまう。

正直にいって、この議論においてどちらが正しいとか間違っているなんて答えは出せない。ゆえに、冒頭のミシャのスピーチも、「よく言った!貴方のおっしゃる通り!」などと言うつもりもない(が、「よく自身の価値観でここまでド直球なボールを放ったな」とは思う)。そのスタンスを、まず明確にしておきたい。

ただ、この投げかけは本当に良いテーマだ。

各々が自身の応援するクラブのシーズンを振り返る際、このスピーチも心の片隅に残しつつ、一体、自分は目の前のクラブに何を求め、期待しているのかを問いながら振り返ると、より意義深いものとなるのではないか。

 

面白いかどうかで意見の割れるサガン鳥栖

さて、私の推しクラブは言うまでもなく名古屋グランパスなのだが、とりわけフットボールの観点で魅力を感じているのがサガン鳥栖徳島ヴォルティスだ。

特にサガン鳥栖については語りたいことが山ほどある。

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今季を振り返った際に、(あくまでも私の観測範囲ではあるが)賛否分かれたチームだったことは確かだ。結果に関わらず面白いと支持する人もいれば、いやいや面白くなかったとバッサリ切り捨てるコメントも見た。

まず、そもそも論から入りたい。

私も「面白い面白くない論争」に常にいたい

大前提として「応援するクラブのフットボールが面白いかどうか」が議論になる時点で羨ましい(そこ)。鳥栖の人たちが自覚的かはさておき、多くのクラブのファンサポーターは日常的にそのような話題で議論はしていない(気がする)。では、なぜそこが(必然的に)論点になるかといえば、それは(監督を筆頭に)現場が自分たちのやりたいフットボールを提示することに成功しているからではないか。やりたいことが明確だから、好みが分かれる。自然とフットボールの“質”に目が向かう。

これ、早速話は脱線するが、今季の徳島も同じだ。

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シーズン途中に吉田達磨監督が就任してからというもの、「俺たちのスタイルはどうなった!」とか「スペイン路線忘れたんか!」なんて声をよく目にした。あえて変な日本語をかますが、そもそも羨ましい(二度目)。

徳島に至ってはスペイン路線ではや6年。もはや身も心もどっぷり浸かり、なによりそのスタイル、というか方針(路線)を“誇り”としているのがよく分かる。だから、道を逸れそうになるクラブに黙っていられるわけがない。ファンサポーターの目はバキバキ(怖い)。それらがフットボールの“質”を根底に育まれた文化であることは、徳島にとって一つの成功の証だといえるだろう。

鳥栖も徳島もいろいろあるけれど、要は素直に羨ましい(三度目)。そういう議論が起こること自体、稀です。

やさぐれてきたので話を戻す。鳥栖の話だった。そんな鳥栖だが、なぜ「面白くない」と感じる人もいたのか。これは私の意見にはなるのだが、目の前にあるその「未完成さ」が、そう思わせたのではないだろうか。

自分たちにフォーカスするチームの難しさ

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「現状は」中途半端なのだ。勝つでもない、というか、勝つためになりふり構わず手を尽くすチームではない(良くも悪くも自分たちの“型”にこだわる)から、「負け方」が似る。つまり、同じような負け方を毎試合繰り返しているように見える。だから面白くない。今の鳥栖は、「なりたい自分たちの姿」にフォーカスしており、出来ないことをチーム戦術で補おう(それで包み隠してしまおう)という手段を取らなくなったように思う(この変化がなにより大きい)。もう少し噛み砕くと、もちろん今だって走れるチームなのだが、一方で「走ることに頼らないチーム」になった。走ることが前提にある戦術は武器になるが、一方で、その戦術だけに頼ることへの限界も感じた末のアプローチ、というべきか。もっといえば、その特色はもはや鳥栖だけのものでもない(それこそが今季のトレンドだ)。なお、私なりに考えた今季の鳥栖の取組については以下を参照してみてほしい。

migiright8.hatenablog.com

しかし、“個人”に特化したアプローチは時間がかかるのがとにかく難点。当たり前だろう。出来ることを駆使するわけでなく、出来ないことを出来るよう努力するのだから、昨日の今日で劇的に変わることはない。つまり、短期間での変化が乏しい。もちろん奇を衒うこともしなければ、目先の結果欲しさにスタイルに反することもしない。それは己の美学が許さないからだ。そうやって毎試合臨めば、負けるパターンが似通うのは必然である。

では、お前(私です)も同様に面白くなかっただろう?と問われるかもしれないが、決してそんなことはない。

そもそも“面白い”と感じるポイントは人それぞれ

そりゃあ、過去数シーズンに比べると、目の前の出来に惚れ惚れするとか、ワクワクが止まらないなんて衝動は薄かったかもしれない。ボールを狩る(襲いかかる)チームから、まずはボールを繋ぐチームにシフトしつつある停滞感。やっぱり、難しいことにチャレンジしてるなあ......とは感じていた。しかも、決して恵まれた戦力ではない中で。でも、そういうもどかしさって、自分にとって許容範囲なんだ。目の前の一試合一試合の出来(完成度)には正直こだわってない。むしろその「上手くいかなさ加減」が面白かったりもして、要は“面白い”と感じる定義(解釈)が違うのだと思う。3ヶ月前に出来なかったことが、気づいたら出来ている。そういう実感を感じられる、その過程を見届けたい欲の方が強い。

ただ、その文脈が成立するための条件は当然ある。

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そのチームがどんなフットボールをしたいのか、目指しているのか。それが、観ている側にメッセージとして明確に伝わっているかどうか。そのピッチ上から、多少なりとも感じ取れるものがあるかどうか。これが重要だ。

目指している姿があり、目の前には現実(現状)の姿がある。その差異を毎試合楽しむ。もう少し噛み砕いていえば、「きっとこんな姿を目指しているのだろう」と『(それが)出来ている未来』を想像しながら、目の前のチームを追いかけることこそ、自分は「フットボールが身近にある生活」の最大の魅力だと思っているのだ。

ただ、そう言ってしまうときっとツッコまれてしまう。

「それはお前が『生粋の』サガン鳥栖サポーターではないからだ」と。「所詮は外野の人間」であり、「お前に分かってたまるか」だ。価値観がぶつかる時、こういったレッテル貼り(線引き)は悲しいかな発生する。

ただ、そんなものは別に関係ないんだ。

プロの試合に果たして何を求めるか

自分のような価値観だと、同じように名古屋のことも見てしまうから。そりゃあ勝ってほしいよ。いつだって、応援するチームには勝ってほしい。絶対に譲れない戦いだってある。例えば、2017年のJ1昇格を賭けたプレーオフや、あるいは、2021年のルヴァン杯決勝で、「内容が良ければ勝敗は二の次」なんて思うはずもない。なんでもいい、とにかくこの試合だけは勝ってくれと、ただ一点、「勝敗のみ」にこだわることは当たり前だがある。


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でも、一方のリーグ戦に関していえば、自分は目の前の一戦一戦の勝ち負け「のみ」にフォーカスはしていなくて、そのチームの歩む文脈を感じ取りたいと思って観ている。だから、誤解を恐れずいえば、結果は所詮結果でしかない、のだ。もちろん、勝ってほしいし、勝てば嬉しい。が、勝てないことも含めてフットボールだと思っているから、最終的に1年間(リーグトータルで)観る喜びがそこにあったか、がなにより重要だと捉えている。

そう考えると、やっぱり自分にとってのフットボールは勝負事、ではなく、エンタテイメントなのだろう。

勝敗だけを競う(問う)ことに魅力を感じていない。そこにチームや選手たちの成長を感じたいし、それを感じられるような土壌があって欲しい。仮に、ただ勝敗を競うだけのリーグ戦なら。私のような価値観では、目の前の一試合が記憶に残らないだろう。逆に、勝敗以外の魅力がそこにあれば、負け試合でも強く記憶に刻まれる。チームの歩むストーリーに入れ込むことができれば(強い思い入れがあれば)、どうしても勝ち『だけ』が欲しい試合に、自分の人生を全部乗っけて応援できる。

もうこればっかりは私個人の価値観であり、当然そんな価値観は認めない、嫌いだと罵る人がいることも知っている(し、実際に罵られたことは何度もある)。私のような価値観がある一方で、いわゆる「勝利至上主義」な人たちがいるのも理解できるし、そこの議論はいつまで経っても平行線だ。そもそも成長、ってね。プロの世界で成長もクソもないだろと言われたら、そういう価値観もあるよね、としか思わない。で、あるからして、正直気は合わないだろうが対極の価値観を否定するつもりもさらさらなく、お互い自分の土俵で楽しもうぜの一言でさらっと解散するのが私のアナザースカイです。

自分にとっての「あるべき姿」と現実が違う問題

でも、一つだけ考えさせられたこともあったんだ。

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そもそも「鳥栖のスタイル」とは、勝利のためになりふり構わず勝ち点3を掴み取りにいくことだ、という意見。それが、長年鳥栖が積み上げてきたスタイルだと。これは、私が信頼する(大好きな)古参?サポさんがコメントしていたのだが、なるほど。正直、この価値観の擦り合わせがなにより難しい。なぜなら、川井監督の思想というのか、フットボールの考え方(つまり美学)はおそらく対極だから。この噛み合わなさって、それこそ前述の徳島も同じで、「自分にとってのあるべき姿はコレだけど、クラブが同じ方向を向いていない(ように感じる)」ことって絶対にある。起こり得るし、というか、避けられない。自分の思い通りに進むはずもない。

でも、それで全てがつまらなくなるのはやっぱり嫌で。応援するチームに負けて欲しいなんて願いたくないじゃん。嫌いでも(好みでなくても)、付き合わないといけないときはきっとある。そうなると、出来ることは二つのみ。ひたすらに受け付けないか、その相手(クラブや現場)のことを「(少しでも)理解しようと」努めるか。私自身も、これまでこういった現実(矛盾)に何度もぶち当たってきたわけだが、結果、選んだ(楽しくいられた)のは後者だった。なんでこんなことするんだろうと悩んで、自分なりに考えて観察するしかない。それが相手(クラブや現場)といい距離感を保つための(現状の)私が持ち得る答えだ。もちろん、それで明らかにマズイ方向に進んでいると思えば批判もすればいいと思う。理解をしたうえで、「でもやってること違くね!?」となればさ、そりゃ黙ってはいられない。

私は今の鳥栖、すごく好きだよ

ちなみに、私は今の鳥栖の方向性を支持してる立場。

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債務超過真っ只中のクラブにあって、目指すものは残留のみ、そのためならスタイルには拘らないなんてチームに、果たしてどれだけの選手たちが集まるのかと疑問が残る。Jリーグ自体の競争力が上がり、予算規模にも差がついてきた際に、このスタンスではジリ貧だというのが私の考え。もっといえば、前述の通り、そもそもリーグの流れが本来鳥栖の得意としていた土俵側に寄ってきているジレンマもある。それでは先がないと判断したのは鳥栖の前任者も同様で、だから2020年から新たなスタイルを模索した。「フットボールの『質』をみて、文化にする」ことを望んだのだ。これは徳島も、今季躍進を遂げたアルビレックス新潟も同様。選手たちは「上手くなりたい」。そう思わせるだけのフットボールと、それを育む環境が必要だと思う。「そんなこと言って、その選手がいつまでこのクラブに残ってくれるか分からないじゃないか」そういった意見があるのも知っている。その文脈において、即効性(効率)が悪すぎると。

だったらユース生を使って欲しい、そんな気持ちも痛いほど分かる。というか、クラブにとってそれは必要なことだ。でも、もしかしたらユース生の方がもっと時間を要するかもしれない。優秀なユース生が現れれば、外から触手が伸びるのは彼らだって同じだ。私は、席は譲るものではなく、最終的には「奪い取るもの」だと思う。むしろ問うべきは、チーム内に競争原理が働いているかどうかであり、その優劣が、果たしてどんな基準によって決められているかだ。その基準に妥当性はあるか。議論の焦点は、この点にあるべきだと主張したい。その意味において、今季の鳥栖(というか川井監督)はシーズンを通して一切ブレなかったと思う。一貫していた。

なんにせよ、2021年シーズン終了後を想えば、その後の2シーズンを「残留を目指し残留した」のではなく、「それより高みを目指した結果、残留した」事実を、私は最大限評価する。この違いには、雲泥の差がある。

クラブ、マスコミの皆さんに私はこう伝えたい

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鳥栖に関しては、この文脈で問題提起もしておきたい。

それは、鳥栖のような我が道を突き進むスタイルでいくのなら、やはり今以上に観る側の解像度が上がるような、つまり観ている者たちの目線が揃うような発信がもっともっと必要ではないのか、という点だ。

どんなフットボールに取り組んでいるのか。目標をどの位置においているのか。勝負の年は今年なのか、それとも長期的な計画なのか。例えば小林祐三スポーツダイレクターとかさ、それをもっともっと発信してもいいと思う。目先の結果にとらわれない、自分たちにフォーカスしたフットボールって、特に停滞期は観るものの目が揃わないんだ。あれ、なんで毎回こんなことやってんの?と。いい加減にしろよ、勝つために守れよって。負けるべくして負けているように映る。どうしても各々で観ている景色はズレてくる。もしかすると私だってズレまくってる可能性ある。その事実を軽視しないで。「自分たちのなりたい姿」を明確に提示し、今のチーム状況や選手たちの様子がもっと伝わるといいと思う。

いやあ......長くなった。言いたいことは全部書いた。

つまるところ何を願ってるかって、(全員とは言わないが)多くの人にとって今のクラブ(チーム)が誇りに思える、自慢したくなるような対象になって欲しいのだ。結果が「要らない」とは言ってない。何かを追い求めた先に結果がある、ついてくる。それが一番いい。

そういえば、もう一つのアナザースカイこと名古屋の話題に触れてない。ここまできたら名古屋で締めるから←

 

まだこのブログは続く名古屋編

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ごちゃごちゃ書いても仕方ないので、マテウスが中東に飛び立ってからのアプローチにフォーカスしたい。結論から言ってしまうと、あの(長谷川健太氏の)アプローチは、私個人の意見としては面白くはなかった。このブログの文脈でいえば、好みではない、が適切か。

なんだろう、やっぱりずーっとパズルを組み合わせていた印象が強い。でも、マテウスがいたときに完成していた(ピタッ!とハマっていた)そのパズルの枠組みでは、もう何を(誰を)どう組み合わせても(ピースをはめ替えても)絶対にピッタリはハマらないと誰しもが薄々気づいていたと思う。だから、もういっそその枠組みから改めて、今あるピースで土台から調整しようとなれば良かったんだけれど、そこまでの時間も、勇気もなかったなというのが、私個人の感想である。

でも、難題だったのもすごく分かるんだ。理由は三つあって、一つは開幕から(そのパズルが)あまりにも上手くハマりすぎたこと、疑う余地がなかったこと。二つ目は、シーズン真っ只中の夏以降では、そこまで大掛かりな工事をするのがそもそも難しい事実。そして三つ目は、どのコンペティションにおいても“タイトル”が懸かっている位置にいたこと。そんな悠長な時間がそもそもなかった。もちろん、健太さんにも問題がなかったわけではない。マテウスがいる前提ならBやらCのパターンもあったのだろう。ただ、皮肉にも「マテウスがいない」Bパターンを全く持ちあわせていなかった事実は痛恨の極みだった。正直、後半戦大失速の最大の原因はそこにある。......が、まあ簡単ではなかったと納得してる。

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そのような理由により、結果的には(一縷の望みをかけて)毎試合パズルを組み替えてはある種の神頼み(上手くいけ!との出たとこ勝負)状態が続いた。その試行錯誤という意味においては文脈も成立していたが、私個人の好みは(このブログで散々書いてきた通り)少しずつでも練度を上げていくアプローチ。ゆえに、どうにも後半戦に関しては毎試合流れがぶった斬られる想いで、試しては替え、試しては替えの繰り返しが(しかも上手くいかないのが都度伝わる分)、継続して観ていく面白さを削いでいるような感覚は正直あったように思う。

(長谷川)健太さんは、選手の育成においては実績も十分だ。得意技「俺が育てた」によって、身内を代表に送りこむエキスパートでもある。ただ、やはり彼の本分というのか、一番の魅力は“勝負師”としての顔であり、そのためのマネジメント力にあると思う。

“育成”と“結果”。この相反するような二頭を苦心しつつも追いかけていたのは伝わっている。だが、とりわけマテウス離脱後の後半戦に関しては、やはり“結果(タイトル)”を追いかけなければならない現実が比重として上回った印象は強く(当然だと思う)、その結果、期待して送りだされた若手たちがその狭間で振り回されてしまった感は否めない。それを若手たちの力不足との言葉で片付けるのは簡単だが、それはどうにも酷なように思う。

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観ている側の一人として、このブログで書いてきた“勝敗”と“内容”の文脈で付け足すとすれば、“勝敗(結果)”をひたすらに追いかけ、しかしその結果がついてこない日々は、やはり虚しかった。勝てなかった事実以上に残るものがなく(何かを積み重ねている感覚が乏しく)、毎試合ダメだったの繰り返しでしかない日々は、なんだか寂しい。もちろん、トライアンドエラーを繰り返す積み重ねはあったのは分かる。なにより、選手たちは本当に頑張っていた。ただ、少なくとも今季の名古屋は、「勝つこと」にこそ価値のあるチームだった。

以上(ブログの更新頻度の悪さが文字数に現れる)。

鳥栖の健太さんの課題が攻守におけるゴール前の質にあったのなら、一方で名古屋の健太さんの課題もまた明白。マテウスなき名古屋の再構築、それも特定の人物に依存しない仕組み作りが来季は問われている(もしくは夏の移籍の断固拒否な姿勢、中東を追い払う術)。

さて、名古屋と鳥栖の3年目はどうなるか。徳島の皆は笑ってシーズンを過ごせるのか。私は来季もぶつぶつ文句言いながらシーチケ民としてスタジアム通います。

それぞれ、フットボールのある日常を楽しもう。

“結果”を得るために、何を選ぶか

news.jsports.co.jp

この記事がめちゃくちゃ面白かった。

アカデミーは「結果より育成」。でも、育成のためにはトップカテゴリーにこだわりたい。だから、(苦しいシーズンを過ごす今は)結果を取りにいく。課題は守備の立て直しにあり、そのための5バックへの変更。葛藤。

これを読み、真っ先に思い浮かんだのはトップチーム。

直近の8試合で3分5敗。たしかに重症だ。順位は12位、降格圏とは(現状)縁もなさそうなのが唯一の救いか。

ただ、ツラいのは応援するファンサポーターだ。

トップチームこそ「育成より結果」。負けて、負けて、勝てると思ったら毎度のように追いつかれる。同じ光景の繰り返し。だから、時にこう揶揄される。「目の前の一試合にこだわっていない」と。勝つためにやれることを、このチームは全部やっているのか。そんな憤り。

この指摘は、あながち間違っているとも断言しづらい。

例えば直近で戦った第25節のガンバ大阪戦。また、その後の第26節サンフレッチェ広島戦のホーム二連戦。


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攻め込まれる展開の中、パクイルギュがスーパーなセーブの連続で救い続けたこの二試合は、力の差というよりむしろ「構造(噛合せ)で殴られている」印象だった。

つまり、他にやりようがあったのでは、ということだ。

そもそも、これまでのサガン鳥栖はそれが売りだった。それ、とは「相手の形(型)に応じて自分たちの形も変化させる」ことにある。3バックに4バック。まさに変幻自在なシステム変更は、主に相手のビルドアップに対抗した策だった。どの選手も自分の標的(相手)を明確に、そして矢印は常に前向きであるように。相手の型に対して最も噛み合わせのよい己の型とは、つまりこういった「鳥栖らしさ」が前提にあって決められていた。

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強いチームは横綱相撲ができるので、自分たちのやり方だけで勝てます。当然、僕も“やりたいことをやる”というのがベースにありますが、それはあくまで攻撃の部分です。守備は相手があるものです。要はプレスのための微調整ですね

(攻撃において常に「数的優位」を作る発想に至った理由)は、選手の質ですね。選手のところで質的優位性があれば、川崎のようにそこで立ち位置を変えずにやれるのでしょうが、僕たちがその部分を見いだすことはなかなかできません。であれば、どうズラすのか。ズラすということはつまり前の人数が足りなくなるということなので、いかに早く動き直して前に侵入するか

特にプレッシングにこだわっているので、ミーティングの半分くらいはプレッシングの映像を出して取り組んでいます

僕らの最大の武器はやっぱりプレッシングだと思うんです。どうすれば相手のビルドアップを高い位置で引っ掛けられるか。それはすごく考えています

エルゴラッソIssue2540掲載「ミョンヒサガンの思考とロジック」からも一部引用

現在の鳥栖の礎を築いたキムミョンヒの言葉である。

たしかに守ってカウンターのスタイルは脱却した。ボールも繋がるようになった。しかし、自分たちの生命線はやはり「狩る(ハントする)」ことにある。それをあえてネガティブに表現すれば、鳥栖はあくまで地方クラブで予算もなく、いわゆるビッグクラブと呼ばれる相手に対しては「挑戦者」の立場であるということだ。どれだけ保持を磨こうとも、規模の大きなクラブと渡りあうには「奪う」ことに注力しなければならない。それが、彼らにとってトップカテゴリーで生き残る生命線だった。

しかし、今季の鳥栖にはその様子がない。

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それが、「鳥栖らしさ」を感じさせない、ときに、なす術なく敗戦を喫するような印象を与えている。

ここで疑問があるとすれば、何故ここまで4バックにこだわるのか、である。鳥栖お得意の「ハント」の威力も、今季は随分とおとなしくなった印象だ。また、保持における鳥栖といえば、一人で二人分、いや三人分は走って常に数的優位を作りボールを前に運んでいくのが真骨頂では。試合の中でいくつもの陣形を駆使するのも、鳥栖が誇る運動量を存分に活かしたやり方だった。

しかし、そういった攻守におけるアグレッシブさを、今季の鳥栖から感じづらいのも確かかもしれない。

ここで思い返すのは、川井健太監督のコメントである。

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我々はやはり川崎さんを見習いたいと思っています

一番したいのは横綱相撲です。相手が何を出してこようがドンと受け止めてはね返す。相手はお手上げで、土俵に上がる前から“勝てないな”と思わせるチームにしたい

横綱相撲」っていい言葉だなと思っていて。僕のイメージですけど、1回、受けて立つと。どんな技でも来いと。で、全部返すみたいな。動じない。横綱がいきなり猫だましから入るかというと、絶対にない。でも、横綱相撲ができるには圧倒的な力が必要なんですよね。力がないから、二の手、三の手からいくというのは、僕はあまり好きではないので

エルゴラッソIssue2622掲載「川井健太という男」からも一部引用

偶然にもお互いの口からでた「横綱相撲」の言葉。

ただ、それをあくまで理想だと解釈するか、そこを目指したいと解釈するか。この違いはあまりにも大きい。

川崎のようには出来ないのか、それとも見習う、のか。

昨季、J1への残留が確定し、川井監督の契約延長が決まってから4バックをメインシステムとする挑戦は始まった。「(例え数的不利でも)味方と協力して守備をすること」「(だからこそ)奪った後にあらかじめ前線に枚数を残せる仕組みを構築すること」。つまり、これらは『相手がどんなやり方できても圧倒できるものを身につけたい』とコメントした川井監督の言葉に沿うものだ。

そうして迎えた今季の開幕戦。


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1-5。大きな期待をもって迎えられたホーム戦、そして目を覆いたくなるこの現実が、今思えば鳥栖の歩む道を決定的にしたように思う。このままではいけない、と。

本格的にJリーグに到来した、ハイプレスの波。

マンツーマン気味に押し寄せるその波は、「後方に人数をかけて相手をズラす」鳥栖の長所をむしろ短所に変えた。ズラすために後ろが重くなる(人数をかける)ゆえ、相手の矢印は強く前に向かう。ズラそうにも各々が狙われ(標的にされ)、相手に喰われる。ズラすために大きくポジションチェンジをするから、喰われた先に大きなスペースを与えてしまう。それでもボールを運ぼうと前線の選手が降りるから、鳥栖の重心は下がる一方。

徹底したハイプレス。それは本来なら鳥栖の土俵だ。

しかし、むしろ「喰われる側」になるとはなんと皮肉な話だろうか。ではビルドアップなんぞ捨て大きく蹴るフットボールに転換できるか。今の鳥栖にそんなタレントはいない。いや、その転換は、ここ数年で鳥栖が築きあげたスタイルを放棄することを意味するだろう。

であれば、鳥栖が「横綱相撲を目指す」のはむしろ必然ともいえ、もはや不可避だったように思うのだ。

「成長している気がしない。だから面白くない」。

最近そんなコメントも読んだ。ピッチ上から受け取る感想は人それぞれで、その意見も尊重されるべきだろう。

ただ、問いたいのだ。本当に成長していないのかと。


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第27節、横浜F・マリノス戦。

彼らとの試合は、毎回のように真正面からぶつかり合う。そして、だからこそ同じ土俵でボコボコに殴られた。しかし、そんな鳥栖の姿はもう見当たらない。

そもそも、「自分たちの型」にこだわった上で、対等に渡り合えている事実に、果たしてどれだけの人が気づいているだろうか。常にハイプレスをしなくとも、時に4-4のブロックをミドルサードに敷いてゾーンで守れる。選手間の(あまりに極端な)ポジションチェンジ、また、パクイルギュのビルドアップ能力に頼らなくともボールの前進も可能だ。攻撃のファイナルサードでは、執拗に相手のニアのポケットを狙い続け、結果、空いたDゾーン(バイタルエリア)を有効に活用する。

これらは、日々成長してきた成果ではないのか。

ここまでの文脈に一理あるならば、鳥栖は良くも悪くもベーシックなチームに変貌しつつあるのかもしれない。

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鳥栖フットボールは常に「尖って」いた。

2021シーズンのキムミョンヒ体制時では、攻撃になるとストッパーの中野伸哉が大外に張り、5レーンを駆使した位置的優位性を確保する超攻撃的なフットボールを展開した。2022シーズンの川井体制一年目では、両「ウイングバック」の岩崎悠人と飯野七聖が「ウイング」の役割まで担う大胆な発想で新たな可能性を提示した。毎シーズン、「今季の鳥栖はどんなフットボールをするんだろう」そんな玉手箱のような期待と驚きがそこにはあった。同時に、それらのアイデアを生み出した源泉が、傑出した“個性”にあったことも忘れてはならない。

翻って、今の鳥栖はどうだろうか。

(ネガティブに表現すれば)そういった「奇を衒う」ような大胆な発想(戦術)を駆使しない、ある種の本物の強さが求められているのかもしれない。つまり、選手の個性に依存した戦術でもなく、或いは、ひたすらに“狩る”(つまり相手に合わせる)ことを追求した戦術でもない。純粋に“保持”としてのベース(基礎能力)を高め、そのうえに個性がのってくるようなスタイルへの転換。

川井監督は「タイトルが欲しい」と常々話していた。

それは、裏を返すと「残留を目指した戦い方はしていない」とも受け取れる。長いシーズンを通してリーグでの優勝争い、或いは、カップ戦でのタイトルを狙うために、果たしてこれまでの戦い方で勝機があると考えていたか。(それこそ、この酷暑の日本において)安定して勝ち続けるためには、もう一歩、“挑戦”が必要だと考えたのではないか。もちろん、その真意は知る由もない。

とはいえ、理由はどうあれまだ足りないものがある。

それが、“結果”だ。

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どれだけ美しい理想をもってしても、或いは、どれだけ魅力的なフットボールを駆使しようとも、最終的に勝たなければファンサポーターの理解は得られない。フットボールの世界において、最も残酷な事実はここにある。悲しいかな、結果に勝るほどの説得力をもつ現実がないのだ。そうやって、夢半ばにして潰えてしまった挑戦が、これまでにどれほどあっただろうか。

今の鳥栖に、大きなジレンマがあるとすればそこだ。

最後になるが、今季の鳥栖は間違いなく成長していると思う。楽な戦い方に逃げず、ブレずにやってきたこと。積み上げてきたもの。それが評価されて欲しい。

ここからは“成長”と共に、“結果”が残ることを願って。

「二年目の健太はガチ」はガチか

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健太は健太でも長谷川健太がなんだかアツい。

気づけばシーズンも折り返し地点に差しかかる。鹿島がやべえガンバがやべえと今季も話題に事欠かないJリーグ。しかし、一切話題にならないが、抜群の安定感で上位陣の椅子を譲らないチームがそう名古屋グランパス

率いるのは、長谷川健太。大ベテラン監督だ。

ふと気になった。「この男は、なぜ錆びれないのか」と(失礼)。期待の“解説者発”理論派指導者も、或いは、“スペイン発”ポジショナル伝道者も苦戦する中、間違いなく擦り倒されたであろう健太さん(とここからは呼びます)が、何ら変わることなく安定した成績をおさめ続けるこの現実は何だ。流行りの戦術など駆使しない、だから話題にもならない、だが強い。これぞ健太。

「健太の2年目はガチ」。Jにはこんな言い伝えがある。

では、なぜ名古屋でも2年目の健太は元気なのか。やはりガチ、なのか。その秘密を探るべく、この一年半で起きたターニングポイントをいくつか振り返ってみたい。

名古屋のファンサポーターは、改めて現在の立ち位置を考えるための材料に。他サポーターの皆さんは、「健太は相変わらずガチなのか」と知る術になったら本望だ。

なお、文章作成にあたり重要な資料となったのが、過去行われた健太さんの試合前・試合後の囲み会見。また、シーズンオフになると発売される、クラブオフィシャルDVD「THE DEEP」である。残念ながら、会見内容は(公式なものとはいえ)有料会員のみが全文を読める状態であるため、コピペは差し控え、要点のみ抽出する。

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今さらだが、なんで3バックなんだっけ

今の名古屋を語るうえで絶対に外せないのが3バック。

とはいえ、健太さんといえば4バック。その印象が強い(私も含めた)J好きの人たちからすれば、そもそも「3バックで成功している」この事実こそ、あまり触れられていないが実は結構重要なことだと感じる今日この頃。

名古屋が3バックを初めて試した試合は印象深い。

2022年4月13日のルヴァン杯サンフレッチェ広島戦。


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その試合に至るまで、リーグ戦は2勝2分3敗。数字だけ見れば良くもなく悪くもない状況だが、しかしこの広島戦の前に行われたリーグ戦、4月10日のコンサドーレ札幌戦が実に酷い内容だったのは鮮明に覚えている。

「THE DEEP」では、健太さんがこう回想している。

(3バックは)考えていた。このままじゃ難しいなあと。そこで舵を切った。このままやってても駄目だなと。本当にあの試合(札幌戦)で痛感させられた。やっぱり4バックのスライドっていうのがないと、なかなか守れない。これはたぶん前年度からの癖で、5枚や6枚で守るっていうのが通常の慣れている守り方で。退路をたって舵を切った。札幌戦が一つのターニングポイントだった


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健太さんにとって、名古屋での一年目はまさに「脱マッシモ」「脱成功体験」に苦悩した日々だったといえる。

決してマッシモのやり方を否定したかったわけではない。ただ、自分のやりたいフットボールはそれではない。この点だけは、就任当初から一貫し譲らなかった。

リーグチャンピオンを獲るために、アグレッシブにゴールを目指すサッカー。アグレッシブにチェイスしてボールを奪うというサッカーをしていかない限り、リーグチャンピオンにはなれない

(2022年2月19日 ヴィッセル神戸戦試合前)

※THE DEEPより

この言葉を裏づけるかのように、THE DEEPでは森下龍矢が移籍初年度(2021シーズン)をこう振り返った。

守ってるだけじゃ優勝できないと肌で感じた

とはいえ、最終的にルヴァン杯制覇まで成し遂げたマッシモフィッカデンティとの2年半の歳月は、我々が想像していた以上に濃く、そして拭い難いものだった。

前述した札幌戦翌日、健太さんは選手たちにこう語る。

絶対に守備的にならないこと。「守って一点取ればいいじゃん」じゃ絶対に勝てない。自分たちで獲りにいくんだという姿勢を持たないと絶対にダメ。「守ってワンチャンス狙えばいいじゃん」「0-0で引き分けで勝ち点1取れるじゃん」と思った瞬間にどんどんネガティブになる。点を獲りにいくために、アグレッシブに獲りにいく

※THE DEEPより

この言葉の後にチームは3バックに変更されるわけだが、これらの文脈で分かることは、名古屋(或いは健太さん)にとっての「3バック変更」が、決してポジティブな理由だけではないことである。端的に言ってしまえば、マッシモのベース(と自身のベースである4バック)のままチームを改善したかったものの、このやり方のままでは限りなく難しいと判断したといえる。

だったら、形ごと変えてやろうと。半ば強制的に。

横幅目一杯を「当たり前のように」6枚で守ってしまう。裏を返すと、そうでないと守れない。言うまでもなく、重心は下がる。健太さんの理想を追求すれば、歪みが生じ穴が生まれる。この悪循環。おそらく、健太さんにとっては3バックも(5バックがベースになるゆえ)後ろに重く、本来採用するつもりはなかったのではないか。だがしかし、それが5枚であろうとも、体に染みついた癖を矯正するには、もはやこれが最後の手段だ。

とはいえ、それ以降も順風満帆だったわけではない。


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2022年5月7日の横浜F・マリノス戦後は悲惨だった。

もう1-0で守るとかそういうのじゃチャンピオンになれないからな!守るためにやってるわけじゃない。優勝するためのチーム作りでしょう!?そういうチームになるためにやってるわけだから。いつまでも『ウノゼロ』じゃない!!!2点目3点目を獲れるチームになっていこうよ

(試合後のロッカールーム)

※THE DEEPより

めっちゃキレる健太さん。点が獲れずお通夜状態攻撃陣。これだけでTHE DEEPの価値はあるわけだが、それにしてもこの3バック、付け焼き刃感は否めなかった。

“生粋のストライカー”を、名古屋は欠いていた。

健太さんもTHE DEEPのインタビューでコメントしているが、結局、4バックだろうが3バックだろうが、健太さんが最後まで抱え続けた問題点は共通したものだ。

「最終的に誰がゴールを決めるのか」

つまり、「最後の絵」をチームとして描けていない。これが、健太体制一年目における最大の問題だった。

しかし、このシーズン途中から布石は打たれる。

 

帰ってきた韋駄天やってきた生粋のストライカ

ストライカーの獲得。これが次のターニングポイント。

まずは、2022シーズン途中に加わった永井謙佑

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以前にもこのブログで書いたことだが、当初、私はこの獲得に否定的だった。永井本人(の当時の去り方に対して)というより、単純にFC東京でやってきたことの焼き直しというか、その歩みをなぞるようなチームビルディングだけはやめて欲しいと思っていたのだ。それは、FC東京に対してどうこうという話ではなく、過去にやって道半ばで潰えたものを、あえて名古屋でもやる事実そのものに、価値を見出せなかったのが本音である。

だが、それは杞憂に終わる。その活躍、圧巻の一言。

最も価値があったのは、「ストライカー」の役割以上に、もはや彼の「存在そのもの」にあった。

比較的おとなしい名古屋において、加入当初からムードメーカーを買ってでる。練習では仲間とやり合うことも厭わず、守備をしないマテウスにブチ切れる彼の様子をTHE DEEPは収めている。そして、試合になれば誰よりも全力で走りまわり、試合の終盤でも相手を追いかけ後ろまで戻ってくる。試合に勝てばゴール裏とお祭りだ。

何度でも言わせてくれ。正直、スマンかったと←←

この名古屋において、彼の存在は「絶対に」欠かせなかったと今は思う。そう、「今いること」に意味がある。それは、健太体制一年目を終えたオフにやってきた、新たなストライカーの存在にとっても重要だった。

キャスパー・ユンカーである。

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すげえ点獲る。マジでシュート枠いく。これが本物の、リアルガチなストライカーかと名古屋勢は思い知った。

めちゃくちゃ気分屋。レフェリーには文句を言うし、やさぐれる。健太さんも認めるように守備は「多少」ならやってくれる。ちなみにTwitterはめちゃくちゃやる。


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そんな男だが、ゴール前の仕事は超がつく一級品。

しかも、お目付け役の永井がときどきケツをぶっ叩いてくれる効果で、想像していたよりは走っている。面白いもので、今となってはあのマテウスが永井の弟分のごとく、エンジン全開で走ってくれたりするから笑みが溢れる。なんという相乗効果。永井謙佑、偉大なりである。

この二人(マテウスも含めて三人か)が揃い、「ひとまずは」健太さんのやりたいフットボールのピースは揃ったと断言できる。チームに最低限のハードル(走りや球際)は設けながらも、あとは比較的“素材”で勝負の長谷川健太にあって、やっと手に入れた前線のピース。

と、思っていたが、どうやら健太さんは開幕直前まで確信が持てていなかったらしい。2023年3月29日の練習後にあった囲み取材で漏らしたコメントを要約する。

  • 今シーズン好調の要因は、前の3枚が成立したこと
  • キャンプの時から「ダメだったら」と思いながら毎週やっていた
  • 横浜FCとの開幕戦を何とか勝ったのが大きかった
  • あれで負けていたら、あの3枚をまだ同時に使っているかどうかはわからなかった
  • キャスパーが点を取って存在感を示したのが大きい
  • キャスパーもダメ、マテウスもダメ、永井もダメなら、システムも構築し直す可能性があった

凄えよ健太さん。我々の想像を超える出たとこ勝負。

かくして、スタイルを表現できる面々が揃ったのだ。

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え!?そこ参考にしてたとは!!!

そして、最後に三つ目のターニングポイント。

といきたいところだが、もう少し3バック導入について話したい。ここからはポジティブな面だ。理由はともあれ、3バックによって恩恵を受けた選手たちが3名いる。

相馬勇紀、森下龍矢、そして藤井陽也である。

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まず相馬と森下。“ウイングバック”のポジションが生まれたことで、彼らのポテンシャルが最大限に発揮された。圧倒的な運動量(アップダウン)とスピード、対人の強さを活かした守備力と、一方でボールを持てばその攻撃力を余すことなく発揮する。つまり、ウイングバックに必要な要素を兼ね備えた“槍”が、名古屋には(そもそも)2枚いたわけだ。それが、あっという間にチームの武器(看板)と化したのは出来すぎた話だった。

また、守備に目を移せば、マッシモ期の鉄板コンビだった丸山祐市中谷進之介の間に新しい席が用意された。

そのプラチナ席をゲットしたのが藤井陽也である。

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マルナカ”のゴールデンコンビに「挟んで」調教するスペシャルコースで、藤井のポテンシャルが遂に開花。というより、開花するまで我慢強く耐え忍んだ健太さんと、転がり込んだ新たな席にしがみついた藤井の勝利。

気づけば全員日本代表選出は健太ハンパねえの一言。

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どこまで計算してたのかマジで謎だが、3バック導入の恩恵は凄まじいものだった。健太すげえ、育成力万歳。

だがしかし。私には、一つだけ大きな不満があった。

それは、健太体制一年目の2022年から、今シーズンも初期の段階まで、ずっと燻っていた想いである。

「前からアグレッシブに奪いにいく」と言うわりに、全然行けてねえじゃねえか、と。その結果、撤退守備ばかりで期待してたものと違うんじゃないか、そんな憤り。

2022年10月1日、横浜F・マリノス戦で、決壊した。


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ゴール裏で選手とともに戦っている同志の方たちには申し訳なく、ここは恥を偲んで記すが、この試合に関してはロスタイムの前にキレて帰った。ふざけんな。気づいたら、席を立って一言も口にせずスタジアムを後にする自分がいたのだ。それほどまでにショッキングだった。だってさ、アンタ東京時代もマリノスに叩きのめされて職失ったんじゃないのかと。またボコボコにやられて、何やってんだよ。何も変わってねえよ。そう思った。

問題は明白だ。前から奪いにいく仕組みが乏しい。

なんとなく構えて、前線の選手たちが相手最終ラインに牽制しながらボールをサイドに誘導する。そこからプレスのスイッチを入れる。駄目だ。規制が効いていない。特に、立ち位置を変幻自在に変えてくるマリノスのような相手とやると、それはもう絶望的な内容だった。「前から奪いたい」、そんな欲望だけが先行する空転したプレスが、あの日の自分には余計に虚しかった。

その意味でいえば、「今年も健太さんでいいのか」と、正直にいえば疑心暗鬼だった。確信が持てなかった。

だって、健太さん自身がブラッシュアップ出来ているのか、どうにも伝わらなかったから。結局、4バックでも3バックでも、「チーム」としての戦術レベルが物足りない。偉そうなのは百も承知。でも、そう言いたかった。

迎えた今シーズン。ふと気づく瞬間があった。

「あれ....なんだか健太さん、変わってきてない?」

皮肉にも確信したのは4月29日、因縁のマリノス戦だ。


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うえ!!まさかまさかの、オールコートマンツー!?

そう、この試合に至るまでに名古屋は大きく変化した。

セットからのスライド守備ではなく、とりわけ前線の選手たちは明確に“人”を捕まえにいくようになったのだ。「今どきの3バック」だ。中央の3枚が、相手のボールの供給源を抑えにかかる。そのうえで、外に出たボールを後方の7枚がスライドして対応する。ちなみに、マリノス戦に関しては「それでも足りない」と腹を括ったか、ほぼほぼオールコートをマンツーで対応したのだ。

これは推測だが、きっと健太さんは、当初4バックで今くらいのアグレッシブさを作りたかったのではないか。

後方は4枚でラインを敷き、中盤から前の6枚でボールを奪いにいく。しかし、ここで求められる「戦術的な柔軟性」が表現できず挫折。より配置が固定的になる3バック(5バック)を選択した。人(人数)が明確に配置され、穴が少なく致命傷は逃れられるが、今度は中盤から前の「5枚」でどうボールを奪いにいくのだと躓いた。

しかし、どうやら手掛かりを見つけたようである。

今のやり方は名古屋に合っているとすら思う。そもそもが「人(対人)」に強く、「縦」に速い連中は揃っている。要は「球際」さえ作れる仕組みがあれば、むしろ3バックの方が攻守に直線的なアプローチが取れる分、今のスカッドのキャラクターにハマるのは明白だ。また、そもそも守備が得意でないキャスパーやマテウスを置くキャスティングからしても、彼らにはタスクを明確に、そしてシンプルに与えた方が機能するに決まっている。「中央だけ締めてくれ」、あとは後ろ7枚が鬼走りだ。

3バックがただの“手段”から“武器”に変わりつつある。このキッカケは、果たして何だったのだろう。

その一つに過ぎないだろうが、最近、意外な話がでた。

すばらしい監督だと思います。昨シーズン、スキッベ監督になり、同じ3バックではあるものの新しい風を送り込んだのかなと。(横浜F・)マリノスとの試合は、広島にとってすばらしい内容でした。「こういう3バックもあるのか」と。それまでは3バックに対して、自分自身が興味を抱いていなかったというのもあったんですが、名古屋でも3バックをやり始め、いろいろと見ていました。ヨーロッパサッカーを感じて、「なるほどな」と勉強させてもらった部分もあります。広島のサッカーをリスペクトしています。すばらしい監督だと思っています

(引用:INSIDE GRAMPUS 5.20広島戦後会見)

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えーーーーーーーーそこ影響されてたんかい!!!

スキッベ云々の話はさておき何気に重要なコメント盛り沢山。「そもそも3バックに興味なかった」おい健太!「ヨーロッパのサッカーに刺激を受けた」わお素敵!

でね、これをさらに磨いている「真っ只中」なのが今。

  • 引き出しをどうやって増やしていくのかを考える
  • 『ワンシェイプだけでは難しい』と言っている
  •  シェイプ(型)を変えなくても自分たちのやり方、守備の仕方の様々なオプション、形を持っていた方が、相手の形に対応できるため増やしていきたい

(2023.4.3 練習後囲み取材コメント要約)

  • 新潟戦でもプランBに挑戦し、すでに持っていた
  • 中に入ってくる選手に対して、どうやって守るか
  • 3-4-3のワンシェイプだけだと追いつかない
  • 守備のオプション。攻撃は大きく変わらないので、 立ち位置の部分と狙いは、選手もよく理解している

(2023.4.6 練習後囲み取材コメント要約)

  • ツーシェイプ目も持っている(苦笑)
  • 新潟戦もプランAが上手くいかずプランBに変えた
  • とはいえ、国立での鹿島戦は、もうふたつ目もないぐらいにプランAで押し通すつもりでいた
  • しかし、押し通せなかった。”行く”システムなのに行けなかったのが一番大きい
  • プランBに変えて構えて戦うつもりはなかった
  • 基本的には行く。しっかりとゴールを割っていく

(2023.5.17 練習後囲み取材コメント要約)

いやあすげえシェイプ連呼するやん....。キラーワード。

「3バックでもアグレッシブに戦える」そう考えが改まる中、さらに相手に応じた(前線の)可変パターンを増やすことで、どう来られようと嵌め込める。そのためのトライだと解釈できる。多少は攻撃のバリエーションにも繋がるだろうが、基本は「非保持」の発想がベースにあり、そこでアグレッシブに振る舞うための術である。

さて、これが三つ目のターニングポイントであり、最大の転換点だと思っている。だから長文これ仕方なし。

つまり、長谷川健太自身も、“進化”しているのだと。

 

今回も長くなりました....

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さて、最後になるが、これで死角はないか。

あります。

ズバリ「遅攻」....というと、ここから死ぬほど長くなるので、今回は割愛(ちなみに、健太さんもそこは課題と捉えているようで、「そういうボランチがいればね、上手くやれんだろうけど(意訳)」なんて超重要コメントも残しているのだが、それはぜひ探してください笑)。

気を取り直して。

「選手層」である。

健太さんの会見を全て振り返ると、この点に関する言及は常に一貫していることが分かる。

  • (新たな)選手が出てくるとチームも乗ってくる
  • そういう選手が出てくることを期待する
  • それは序盤戦より、中盤戦から終盤戦にかけて活きの良い選手がいるかどうかが大きい

(2023.5.1 練習後囲み取材コメント要約)

  • 流れを変える選手が1枚出てきてほしい
  • 勢いを持った選手がいて、レギュラーの選手を脅かすようになれば、相手も対策しづらいチームになる

(2023.5.17 練習後囲み取材コメント要約)

  • これから対策を打たれた時に、途中出場の選手が試合の流れを変える、試合を逆に決めてくる。そんな選手を作らないと、難しい試合がきっと増える

(2023.5.30 練習後囲み取材コメント要約)

では、健太さんが若手の選手たちに何を求めているかといえば、実はこの点も終始一貫している。

単純明快、「結果」である。結果を、爪痕を残せと。

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現状はといえば、貴田遼河の独壇場。

一歩も、二歩も、いや三歩も前に出ている状況である。

果たして、どうすれば若手が試合に絡めるのか。健太さんは事あるごとにメッセージを発しているし、それ自体にブレなどは何一つない。ずっと繰り返し発言しているのは「結果」が重要であること。攻撃陣は「数字」にこだわること。また、練習試合においては「どのポイントで評価をするか」選手たちに落とし込みがあること。コンディションに問題があれば出なくていい、しかし出るからには良くも悪くも評価を下すとまで明言している。また、若手は「無理やり使うものではない」とも。

では、リーグに出るための基準とは何か。

基準はもうもちろん、リーグ戦メンバーと同じ基準で見ています。それができていないので、リーグ戦に出られていないということでもありますね(笑)

(2023.4.17 練習後囲み取材コメント要約)

もうここだけは短いし引用させてくれ。超重要部分。

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なぜ、貴田のことを健太さんがこれほど評価するのか。

結果を出しているから「だけ」なのか。そもそも「リーグ戦と同じ基準」とは何なのか。それを、それぞれのポジションごとで、改めて問い直す必要がありそうだ。

それにしても、健太さんは“決断”の人だ。

岡田武史や、森保一と同じ。決して形(型)にはこだわらない。ただ、絶対に譲れない信念と理想があり、そのためなら大きな決断でも躊躇することがない。

そして、同時に“厳しさ”と“愛”の人だとも思う。

今回の文章を作成するにあたり、過去の記者会見を全て読み返した。ずっと言っていることは変わらない。そして、若手に対する愛情とメッセージが、これでもかと込められていることに気づく。厳しさと愛情は、健太さんにとってコインの表裏なのだと理解できた。もし、興味が湧いたら、ぜひ改めて読み直してほしい。

どうやら健太さんは勝負師であり、調教名人らしい。技術、ではない。プロを、「一人前のプロ」にする名人。

  • (育てるということは)基本的には変えていない
  • プロになる選手はみんな上手い。ここから始まる。だからこそ、この上手い選手たちをどうやってさらに上手くするのか。その部分は変わっていない

(2023.5.11 練習後囲み取材コメント要約)

ルヴァンも、天皇杯も、全てはリーグに繋がっている。だからこそ思うのだ。貴田の次は、誰なのかと。

後半戦の名古屋の命運は、そこに懸かっている。

ビルドアップを再興せよ!

Jリーグは、“強度”か“保持”の二択を迫られている。

「いやちゃうねん、両方大事やねん」そんなツッコミが既に聞こえているが、ひとまずは無視します←

何故そんな想いを抱いたかといえば、開幕から苦戦が続いたサガン鳥栖の姿を見ていたからだ。

昨季までなら気持ち良いくらい繋がっていたパスが繋がらない。ボールを奪われては逆襲される。ファンサポーターからは「今季つまんない」の声も聞こえ始めた。

一方でマイクラブの名古屋グランパスは絶好調だった。


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“王者”横浜F・マリノスにみせた(ほぼオールコートに近い)マンツーマン対策は痺れた。「あ、あの名古屋が、こんなアグレッシブに前からボールを奪いにいく日がくるとは....」ちょっと、感動だった。

しかし、上位に目をやれば、さらに“強度・パワー・スピード”でJを席巻するヴィッセル神戸の存在が際立つ。なるほど、どうやらバルサ化の道は完全に絶ったようだ。

あれ、ていうか上位は強度マシマシ系が多いぞ...。

そんな違和感が確信に変わったのは、サガン鳥栖がホームに横浜F・マリノスを迎えた第11節だ。

そこにあったのは、これまでの「走って、動いて、数的優位を築いて」前進しようとする鳥栖ではなく、「相手に捕まると分かっていても」近距離でパス交換をしようとする鳥栖の姿。ん....?これはブライトン味が強めだ。

ピッチで起きている事象を、私より緻密に、そして正確に解説できる人間は山ほどいる。しかし、この流れにおいて私が考えたいのは、「何故、鳥栖はビルドアップの型を変えたのか」であり、「何故、このタイミングで新しいチャレンジをする必要があったのか」だ。もっといえば、「何故、難しいと理解していて尚、取り組む必要があるのか」である。今のところ、この視点から出来上がった記事は見ていないので、お先に失礼致します。

 

なぜ、今になって作り直すのか

私が立てた仮説は、以下の通り単純そのものである。

「昨季のやり方では、上手くいかなくなったのではないか」。ということで、改めてこの点を紐解いていく。

鳥栖のビルドアップにおける最大の武器は、圧倒的な運動量を活かした数的優位の創出にあった。あらゆる局面において「+1」を作ることで、容易にボールを前進させていく。その点における最大のキーパーソンは朴一圭。彼がいれば最終ラインは常に「+1」。前から深追いすればするほどに、相手はその術中にハマり続けた。

さらに、鳥栖が嫌らしかった理由はもう一つある。

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朴一圭のロングキックと両ウイングの走力を活かして、深追いした相手を一発で裏返す仕組みを持っていた点だ。憎き朴一圭。許すまじ朴一圭。ああ朴一朴一圭。

きっと相手はこう思っていたのではないだろうか。「闇雲に前から奪いに行っても、鳥栖の罠にかかるだけだ」と。整備されていないハイプレスをするくらいなら、むしろ潔く撤退し、(後方から繋ぐことで紡ぎだされる)時間とスペースの貯金を鳥栖から奪ってしまえばいい。

だがしかし、もはやこれは過去の話である。

今季ピッチで起きていたことは、むしろその逆だ。「徹底的に“人”を捕まえよ」ハイプレスの波がやってきた。

振り返れば、その予兆は開幕戦から既に存在した。湘南ベルマーレとのホーム開幕戦。まさかの1-5の大敗。


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当時は、さして重大なことだと気づいていなかった。悪天候によるスリッピーなピッチコンディションと、それによって起こったヒューマンエラーが原因だと。

ただ、実際には大きな問題点が二つ、あったと考える。

一つ目は、湘南が“人”を明確に捕まえにきたことで、配置的な優位性が完全に失われていたこと。

湘南の場合は、鳥栖サイドバックをプレス開始の合図とした。鳥栖センターバックを湘南のツートップが牽制し、ボールの流れをサイドに誘導する。ボールがそのポイントに入った瞬間、約束事のように各選手がスライドし、各々の標的を捕まえる。その際に、鳥栖は「だせる場所がない」からサイド(場所)に逃げるわけだが、皮肉にも湘南はむしろその場所に「誘っている」。以前、グランパスの監督を務めた風間八宏が、「場所に逃げるな」とよく口にしていた理由はここにある。つまり、場所に逃げてもそこは相手の思うツボなのだ。

その後は出す場所がなく、苦し紛れに縦につけたところを背後から潰される。鳥栖のファンサポーターは、この試合でシャドーに入った西川潤が、湘南の杉岡大暉にことごとく潰された光景をきっと覚えているだろう。

まさにこの場面に、二つ目の問題が存在していた。

必要以上に動く鳥栖の“可変”。つまり、相手のプレスを外そうと、ポジションを変幻自在に入れ替える鳥栖の動きそのものが仇となってはいなかったか。

この湘南戦でも、自陣でボールを奪われた際、ショートカウンターからゴールを奪われるシーンがとにかく目についた。ボールロスト=即失点、と言っても過言ではない悲惨な状況。それはそうだ。鳥栖の可変は、それだけのリスクを負った戦法だった。また、そのリスクを背負うだけのリターンが常にあったとも言える。

とはいえ、悲しいかなそのリスクがまさにリスクでしかない状況が続いたのが今季の鳥栖であり、「これはボール保持の仕組みそのものから見直しが必要だぞ....」と、現場レベルでなっていた可能性は(推測だが)高い。

ボールが前に進まない可変は、まさに諸刃の剣だった。

 

苦しむなかで生みだされた“シン”ビルドアップ

ありがとうございます。流行にのってみました。

さて、ファンサポーターの不満が高まるなか、鳥栖のビルドアップに大きな変化がみられたのは、まさに冒頭で触れた第11節、横浜F・マリノス戦である。


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いやセンターバックボランチの距離感近っ!!

まず、気になったのがここ。2枚のセンターバック(田代と山﨑)と、2枚のボランチ(森谷と河原)がスクエア型になり、且つ、べらぼーに狭い距離感でパス交換をする。あれ、普段なら河原が最終ラインに降りて、数的優位を作ってからのボール前進ではなかったか。

その様をみて、「これは腹を括ったな」と思った。

動いて、数的優位を作り、前進して。つまり、配置(場所)を前提にしたこれまでの前進方法ではなく、少なくともビルドアップの「スタート地点」では、相手が“人”を捕まえにくる前提で受けて立つつもりなのだと。狭い環境(エリア)の中で、剥がすつもりだ。

web.gekisaka.jp

マンツーマン気味でどのチームも来ているので、あえてドストレートに行こうかなと。そこの質をもっともっと追求して、そこから変えていくのはできると思う。われわれはあえてドストレートに、直球でどんどん速いボールを投げられるようにするという言い方が正しいかは分からないが、そうすると野球でいえばカーブとか変化球が効く

これは延期となっていた第10節、浦和レッズ戦後の川井健太監督のコメント。ただただドS(ストレート)だ。

では、何故このやり方を選んだのだろうか。

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理由として、二つ想像ができる(推測だが)。

一つ目は、中央でコンパクトな距離感を保つことで、万が一、ボールを失っても最も危険な中央ルートを開けないため。これは、ボール保持チームの宿命である、「ボールロスト」のリスクを鑑みた結果ではないか。後方の選手たちに圧倒的な走力(守備範囲)があれば話も違うだろうが、現状のメンバーにおいては、このやり方が最もリスク管理に適しているのは確かである。

そして、もう一つはネガティブな意味にもなってしまうが、保持における後方選手たちの能力的なものも影響した可能性がある。相手を外すにあたり、一人一人が広範囲に位置し(立ち位置を取り)、(相手にとってプレスの的が絞りやすい状況でも)自身のテリトリーの中を持ち得る技術一つでやり繰り出来るならそれに越したことはない。だが、もし現状そこまでの(パス能力を含めた)技量がないのなら、前進するうえでの「第一歩」は、むしろ距離感をコンパクトにした方がその点をカバー出来ると考えた可能性はある。繰り返しになるが、仮にミスをしてもカバーできる表裏一体な構造だ。

これだけ聞くと、「だったら足が速くて足もと上手い選手センターバック置きゃええやん」と言いたいだろう。

待ちなさい。今季のJの傾向として、鳥栖のようなハイプレス型のチームにはロングボールで回避大作戦が決行される可能性があるから難しい。だって跳ね返す能力、田代ハンパない。あの対人は凄い。左利きでそこそこ足も速く、しかも何故か高さもあるジエゴって生命体を知ってるが、あんなものはレア中のレアだ忘れなさい。

さて、距離が近い分、求められる技術とは何だろう。

密集を作るということは、相手もその分、ボール周辺に人数を割いてくる。ゆえに、ここの攻防が成否を握る。

鳥栖の選手たちを見ていると、相手のプレッシャーに怯み、ボールを「隠すように」止めるケースがまだまだ目につく。これも、当時風間大先生が語っていたが、「ボールは隠すな!」「相手の前にボールがあっても、何でもできる場所にさえボールが止まれば相手の足は止まる」なのだ。そうか、このシチュエーションでこそ風間理論なのか!!と、約4年の時を経て目から鱗状態だが、つまり狭いエリアを前提にプレーする時にこそ、この技術が問われるということなのだろう(たぶん)。

但し、この文脈で誤解するなかれ。

鳥栖が(ビルドアップの)最初から(相手ゴールに至る)最後まで、全てを点で繋げようなんて話ではない。それは風間!風間八宏オンリーの道だから通らないで!

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これは、あくまでもボールを“出口”に届けるための仕掛けだ。その出口は、例えばサイドバックの菊地泰智かもしれないし、相手ボランチの背後に降りる本田風智や小野裕二の場合もある。或いは、大外高い位置で幅を確保し、同時に相手最終ラインを牽制する役目を担う岩崎悠人や長沼洋一への一発ロングフィードだってアリだ。

つまり、鳥栖にはボールを“クリーンな形で”届けたいエリア(場所)があり、その第一歩、最初の足掛かりとして、まずは目の前の相手(人)を攻略することを選んだのだと受け取るべきだろう。相手のプレスを前提にいえば、要はどこでその梯子を外すかが問われており、鳥栖はこのやり方に挑戦している(第11節のマリノス戦まで、中9日空いたのもキッカケとなった可能性有)。

この視点に立てば、近距離で行われる森谷賢太郎や河原創のパス交換も理解ができる。あれは“遊びのパス”だ。ボールを動かすことで、相手を動かす意図がある。

“人”につかれるなら、それ(人が動く)よりもっと速く動くことが可能な“ボール”を、速く動くだけの環境下(近距離)で移動させる。そして、“人”を外す。

但し、繰り返すがフットボールの構造自体を大きく変えたわけではない。リビルド真っ只中は、ピッチを3分割した最も自陣側、いわゆる“ゾーン1”と呼ばれるエリアの構造だ。「どうボールを運ぶか」が、今問われている。

また、矛盾するようだが“ゾーン1”の仕組みを変えたことで、結果的にゾーン2、或いはゾーン3の微調整も要求される。最終的に「相手ゴールまでどう迫るか」、後方の選手たちがゾーン1に四苦八苦している一方で、前方の選手たちも新たな課題に直面しているだろう。

目的は変わらず。しかし“手段”にはとことんトライだ。

 

ただ、これ時間かかるから

さて、この手法を選択することで、何が問われるか。

言うまでもない、“技術”だ。

単純な止める蹴るの技術もそう、背負う相手を外す技術もそう、瞬間的に空くパスコースを見つける“目”の技術も問われるだろう。また、鳥栖の場合は、コートを“点”でなく“面”で捉えボールを動かし、スペースを創出し、最終的にはオープンな攻撃を繰り出す目的もある。そういった“戦術理解”は変わらず問われるはずだ(話は逸れるが、鳥栖最大の魅力はこの「バランス感覚」にある。ネット上で使われる“和式”“洋式”などと簡単に括れないフットボール。自分たちの理想があり、そのうえで現有戦力の最大出力を引き出すために、攻守において各ゾーンでどんな振舞いをすべきか。それが非常に緻密に、しかし前提に“走り、闘う”鳥栖らしさがベースにあるのも大きな魅力である。「個性と戦術」が同居する素晴らしいフットボールだと改めて言及したい)。

んー、大変だ。要求多すぎてブラック認定したい。

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ここで最後に考えたいのは、ファンサポーターのスタンスである。さて、この状況をどう捉えるだろう。

そもそも論として、「こんなことをやっていること自体、納得がいかない」層がいる。もちろん尊重すべきだ。但し、この点に関しては、「最も勝つ確率が高まる戦法」を現場がどう考えるか、にもよるし、もっといえば「フットボールの哲学」そのものにも関わる部分。一つ言及するなら、おそらく鳥栖陣営は、このやり方が最も勝つ確率が高く、且つ、この方向性こそが自分たちの生きる道であると腹を括っているように思う。また、それは今に始まったことでもない。金明輝率いる2020シーズンから、鳥栖が舵を切った方向に変わりはない。

次に意見が分かれるのは、「今(現状)の出来」。

簡単にいえば、「出来ていないことをどう捉えるか」。未来の姿を想像し、期待する人間は、きっとこれを“伸びしろ”だと解釈する。一方で、今の方向性に期待していない人間や、或いは、そんな悠長なことをやってる場合ではないと危機感を抱く者は、おそらくこの「出来ていないこと」が目について腹立たしく思うだろう。

これも一緒だ。どちらの解釈もきっと間違いではない。

ボールなんか捨てて、非保持に舵きって、「ボールは奪うもの」と定義し、割りきって走ることをベースにしてしまえばもっと楽だ。書いていて、私だってそう思う。ハイプレス?マンツー?わかったわかった、蹴っちまえばいいじゃないか。鳥栖もロングボール合戦して、トランジション(切替)と強度で対抗しようぜ!その方がよほど潔い。しかし、悲しいかな今の鳥栖には豊田陽平金崎夢生も、それこそフェルナンドトーレスもいない。

繰り返すが、鳥栖は今歩んでいるこの道こそが自分たちの目指す道で、これこそが我々の哲学だと明確に自負しているだろう。誰が何と言おうがその事実が揺らぐことはないし、「ブレない」とはつまりそう言うことだ。

でも同時に、彼らは「新しいチャレンジ」もしている。

彼らの目の前にあるその壁は、ブレずにやり続けたからこそぶつかった壁であり、“見つけた”壁でもある。そして、その壁を「新たなチャレンジ」と位置づけ、彼らは乗り越えることを選んだ。何故か。『避けることは、この道が頓挫することを意味するから』に他ならない。

だからこそ改めて思う。「勝つ」ことが、重要だと。

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勝てば、支持していた人たちは嬉しい。勝てば、支持していなかった人も納得する。勝てば、皆、ハッピー。

そう、どれだけ沢山の意見があろうと、そこにどれだけの対立が生まれようと、そんなもの大したことはない。

「勝ってほしい」、この気持ちだけで十分だ。

皆違うようで、結局は同じなのだ。勝ってほしい、それだけ。それが心から理解できていれば、きっと意見の違う相手でも尊重できる。そしてまた、これこそが同じクラブを応援する醍醐味だろう。どれだけ意見が異なろうと、クラブが好きであることに変わりはなく、勝ちたいと思う気持ちもまた同じ。勝ち負けしか問われないフットボールほど虚しいものもないが、一方で、勝ち負けという分かりやすい指標が解決してくれることもある。

風間時代にロマン追っかけて負けまくった大先輩サポーターの私が言うと説得力が違います。では格言です。

サガン鳥栖の皆の衆、ときどきでいい。勝っておけ。

 

とまあ、最後はサポーター論になりましたが

このコラムを通して指摘したかったのは、鳥栖フットボールそのものというより、むしろ鳥栖フットボールの変化を通して、いまJに何が起きているか、である。

鳥栖が変わりたくて勝手にやっているのか。いや違う。

これらは、Jに変化が起きたことで生まれたものである。ここ数年、Jは川崎フロンターレ横浜F・マリノスの二強時代だった。圧倒的な保持力をベースとした攻撃力。それを前提とした即時奪回の守備。ハイテンションで続くこの循環に、どのチームも歯が立たなかった。

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しかし、その流れに今、変化が起きている。

キッカケは昨季躍進を遂げたサンフレッチェ広島だろうか。その真意は定かではないが、いまJでは二強の牙城を崩すべく、力のある者たちが(ボールを相手陣地に送り込んだうえでの)即効性のあるハイプレスを武器に、Jの構図を塗り替えようとしている。二強の特徴(ボール保持からの即時奪回)を逆手に取るフットボールで。まさに長く続いた二強時代へのカウンターではないか。

その流れに抗おうとするのは鳥栖だけではないだろう。

マリノスも、川崎も、或いはアルビレックス新潟もそう。保持をベースにするチームの逆襲はあるだろうか。潮目の変わり目に気づき岐路に立っているのは彼らだ。

この壁を、突き破れ。いま、保持勢力が問われている。

アウトプットに悩む人へ。

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今回は「私の」フットボールの見方、を話します。

なんでいきなり、と思われますよね。キッカケは、先日「らいかーるとさん」が書かれたこちらのブログです。

building-up.com

まず言いたいのですが、めっちゃくちゃ参考になりますありがとうございます。ブログに要する時間45分はさすがに嫌味かと思いましたが、たぶんあのお方はマジなので仕方ないです。影響を受けた皆さんには、心から「あの記述だけは無視しようぜ」と、まずお伝え致します。

さて、そのうえで私がどう触発され、何を書きたいか。

もう少し掘り下げたいんですね。フットボールの見方、或いは「好きなこと」を楽しむ方法を。

さっそくで申し訳ないのですが、私の話をします。

まず大前提として、私もいわゆる「戦術分析」と呼ばれる類のものは大好きです。ずーっとそういったものを読み、考え、育ってきました。どうでもいい話ですが、小学二年生で初めてフットボールと出会い、実際にプレーをし、しかし気づけば私はフットボールを「する」のと同じくらい、「みる」ことが好きなのだと自覚したんです。私にとって、フットボールは勝った負けたで興奮するだけのものでなく、「考察」することにおいても、大変に魅力のあるものでした。まあ、オタク、です。

その意味で、先ほど紹介したらいかーるとさんのブログは、いわゆる「マッチレポート」における、より正確で、より緻密なアウトプットを目指す指標です。実際にピッチで起きている事象を、いかに正確に汲み取れるかが問われるからこそ、必然的に、そこには「答え」或いは「間違い」といったモノの見方が生まれます。

昨今、sns文化が当たり前のものとなり、こういった戦術分析が広く認知されたことでニーズが高まり、書き手も増えました。素人や指導者の垣根を越え、フットボールに詳しい方が増えましたよね。実際にそれを生業にしている方と、純粋なフットボールフリークが入り混じる時代です。誰もが高度なアウトプットを目標とし、試合を観る解像度は上がっているのだと感じます。

先に断っておくと、その風潮自体は素晴らしいことです。繰り返しますが、なにより私自身それが好きです。

ただ一方で相反する気持ちがないわけではありません。

可能な限り「正しさ」を求め、常に正解不正解が問われるのなら、それはそれで少なからず息苦しさもある。

もちろん私にもあります。もっとフットボールのことを理解したい、戦術的な視点の解像度を高めたい、そんな欲が。ありますよ。あるに決まってます。だって、ずっとそうやってフットボールを楽しんできたのだから。

でも他方では、そんな自分の(育んだ)見方が、正しい間違ってるなんて土俵の上にあると自覚すると、(例えそういうものだとしても)多少なりとも息苦しさも感じるんです。「戦術を考察する」ことが当たり前の環境になったことで、その「知識」を過信し、武器と履き違えて他者(対象)を叩くことが目的になるケースもあります。稀にそんな場面に遭遇すると正直辟易することも。そう、取扱いを間違えると、「戦術」は良くも悪くも「分かった気にさせてくれる」麻薬にもなるんです。

とはいえ、実際のところ書き手としての腕を磨くには、自分の「見落とし」「間違い」を自覚することはやっぱり必須だから悩ましい。つまり「感覚」に逃げることは出来ません。向き合わないといけない。でも、誰だって間違いはしたくないじゃないですか。では、「正しさ」を追求してドツボにハマるパターンを見ていきます。

せっかくなので、私の恥ずかしい話を例としましょう。

ここ数年、ありがたいことに「書く」行為において、お仕事をいただく機会が何度かありました。それはもう必死でした。何故なら、「正しい」アウトプットをだすことに躍起だったからです。そこに金銭が発生する以上は、誰が読んでも正しいと思えるものを。少しでも難解な、それでいて人様に伝わるものを書かなければならない。よく言えば持って生まれた責任感ですが、まあ実際は気負い過ぎです。あえて身の丈に合わない場所に自分を置いて、「読み応えのあるもの=高難度な『解釈』と『言い回し』」だと規定し書いていたように思います。

振り返ると依頼を受けた際こんなやり取りをしました。

「あの....僕なんかでいいんですか?」「この内容なら、指導者の方とか、プロの方に書いていただいた方が説得力あるんじゃないですか?」「何を求められてます?」

つまり、どれだけ他者が私のことを評価してくれたとしても、肝心の私自身が誰よりも己に懐疑的だったんです。自分より適任は他にどれだけでもいるだろうと。だって、仮に「正しさ」が問われるのなら、若い優秀な指導者だって次々と出現しているじゃないですか。なんで俺!?そう思いながらも、引き受けた以上はその期待に応えたいと必死に肩肘張り、空回りしてしまう現実。

すると、どうなると思いますか。

普段、自分が書く文章とは似ても似つかぬモノが出来るんです。リズムも言い回しもやっぱり変わってしまう。

もう....散々直しをうけました。厳しい編集者の方だと、ズバズバ指摘が入るのでメンタルもぐったり。「いつも通り書きなよ」....はい。「すごく分かりづらいよ」....分かってます外の風浴びてきます。フットボールの解像度を上げることで、読んでくれる方に「分かりやすさ」を提供するはずが、戦術という波に溺れむしろ分かりづらくなっていくこの悪循環。実際は、もはや読者のため、ではないんです。「自分との格闘」です笑ってくれ。

試合で起きたことを正確に文字に起こす。理想です。そういったアウトプットを最大の目標とし、切磋琢磨しスキルを追求する。そのうえで、書き手同士の違いに目を向け、分かること(気づくこと)を増やしていく。その「目的」は、全く否定されるものではありません。

ただ、一方でそれが足枷となり、罠に嵌ることもある。

自身が観た対象を拡大解釈し、ありったけの知識を注ぎ込もうとしたり、テクニカルな要素を追求した結果、誰に何を伝えたいのかよく分からない成果物が出来たり。皮肉な話ですが、小難しく書けば書くほどに、不思議にも中身は空虚で薄っぺらいものに仕上がるのです。

結局のところ、最後に問われることは一体何なのか。

いかに等身大の姿でピッチに向き合い、それを「誰に」「どう伝えるか」「どう伝えたいか」ではないか。

「観たもの」を「観たまま」に伝えることは難しい。何故なら、そこに沢山のバイアスがかかるからです。人様に読まれる以上は、凄いと思われたい。あの人のように書き上げたい。そういう〝欲〟が邪魔するのです。

こんなことを書いて結構恥ずかしいと今気づきました。

でも、読んでいただいた通り、私はそういったジレンマに悪戦苦闘していた過去があります。書いているときは気づきません。後で気づく。この土俵で筆を走らせている限り、自分より「分かっている人」は必ずいて、「自分がそれをする意義」が見出せないんです。テクニカルな方向に目が向けば向くほど、それは感じていました。所詮は素人で指導者の説得力には敵わないと。お笑いのモノマネ芸人のように、そこに「笑い」の付加価値がつくなら意味はあるでしょう。ただ、モノマネがただのモノマネで終わるのなら、いつまで経ってもホンモノには敵いません。読者だって、ホンモノを選ぶ。書き手が溢れる時代だからこそ、誰だって「選択」はするのです。

だからこそ、改めて問うべきだと思うんですね。

そもそも自分はフットボールを通して何に喜びや楽しみを覚え、そのうえで何を表現したかったのだろうかと。

そもそも、私にとっての「いつも通り」とは何なのか。

「自分がトキめいたことを誰かと話したい、誰かに伝えたい」これが、私にとって想いを言葉にする動機です。

そう思うと、あの時かけられた「いつも通りの貴方でいい」との言葉は、つまり「貴方自身がどう解釈し、どんな感想を抱き、そこにどんな興奮を覚えるか、それを素直に表現すればいい」と伝えていたのかもしれません。

求められているアウトプットは一つではないのです。

ピッチ上の解釈は様々でしょう。ただ、解釈をするうえでは、まずもって起きている現象を「正しく」把握する必要がある。正しい認識のもとに、それぞれの解釈が生まれる。らいかーるとさんが伝えたい本質は、そういうことなのかもしれません。だから、これだけ長々書いているこのコラムも、決して正反対の話がしたいわけでなく、読んでいただいた通り、同じ話の延長線上にあります。つまり、解釈を磨くためには、結局のところ「正しい認識」を磨く道からは逃れられない。そのためには、やはりフットボールの勉強をしなければならない。

結論一緒じゃねえかと思ったそこの貴方、待ちなさい。

(どの立場から言ってるのか自分でも分かりませんが)私が伝えたかったのは、だからといって表現方法は一つではなく、縛られる必要はない、ということです。貴方の解釈も、そのアウトプットの方法も自由で、そこに「答え」はありません。目を向けるべきことは、小手先のテクニカルな部分ではなく、それをどう「自分の言葉にするか」。そう、言葉を模索しなければいけません。

私の場合は、誰かに伝えたいと感じるくらいの興奮を、やっぱり「自分の言葉」で表現したい。ああいいな、この人がここまで言うなら観てみたいな。そう思ってもらえるくらいには、その表現方法を磨きたい。試合を沢山観て、戦術分析も磨きたいと思うのはそのためです。

それなら少しくらいは存在意義があるのかもしれない。

ここまで読んでくださった御礼に、私が尊敬してやまない指導者の方にかけていただいた言葉を共有します。

あれこれ考えて、作って、試合をしても、「つまらない」と思われたら、それ以上もそれ以下もありません。だから、観ている側の抱いた気持ちや感想こそが『正解』なんじゃないかと思います。観ている人が深く考えて、考察し、文章にすることは、プレーする側にとっても大きなことです。

そう、結局はどちらも間違いではないんです。マッチレポートを必死に作り続ける書き手の皆さんも、そこからこぼれ落ちてしまいそうな人や、表現方法に悩む人も。

必死で考え、アウトプットしたことは、必ず届きます。

貴方にとって、好きなことを「好きであり続けられる」接し方、距離感を大切にして欲しい。そして、貴方が魅力を感じたフットボールを、どう解釈し、どんな言葉を使って、どう人に伝えるか。そこに〝個性〟が表れると。これからも、一緒に磨いていきましょうよ。

この歳(どの歳)になり、「好きなことがある」尊さに加え、「それとどう付き合っていくか」が、自分の人生において重要なことだと感じるようになりました。何度も書きますが、好きなことを好きなように言葉にするのなら、やはり勉強は必要です。ただ、一方でフットボールの魅力をどう伝えるかは多様で、答えはありません。

私の「標的」はそうだなあ....細江克弥さんですかね(すいません畏れ多いです....)。ただ、アレくらい「好きだ」と表現したい、ウザがられるくらいには(笑)。

何歳になっても、「好き」を全開で解放しましょう。