みぎブログ

主観で語りますフットボールを。

2020チーム編成ぶった斬り【名古屋編】

やはり毎年、オフの主役は名古屋一択であります。

これほど気持ちの浮き沈みが激しいオフを体感出来る名古屋尊い。盛り上がる加入も心を切り刻む退団も盛り沢山。健全なクラブといえる自信はなく、しかし資金は潤沢。両者が交わり毎年激動のオフを堪能できますありがとうございます。

さて、今回のオフをトピックスに分けて振り返りましょう。

実はこの三年の文脈を踏まえた補強

指揮する監督は水と油くらい違うものの、強化の人間が変わらないこともあり、不思議と軸は変わりません。

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例えば誰もが予期しなかった阿部ちゃんの獲得。

風間体制でも彼はおそらく重宝されたはず。阿部ちゃんといえば攻撃のポジションならどこでも器用にこなす万能型。振り返れば昨季はセカンドトップの編成が大きな課題でした。シーズン前には大前元紀、シーズン中には柿谷曜一朗。残念ながら交渉は全てご破算。我々を救ったのはグルテンフリーなジョコビッチ。チームが不調にあえいだ時期(ずっとだよ)、″名古屋対策″に苦労するチームを攻撃で引っ張る選手も不在でした。阿部様、待っていました貴方のことを。

忘れもしないあの日の夜22時。まさに激震でした。

また昨季、何で困ったか振り返ります。ジョーの不在。安心してください山﨑獲得。よりにもよってヨネ負傷。大丈夫だから稲垣獲得。つまり今オフの補強、昨季だって十分必要な補強だったわけです。別に風間氏だろうがマッシモだろうがそこ関係なし。大森政権における名古屋では、意外や意外、監督交代の影響はモロに受けていないと感じます。つまり、

  • もともと汎用性の高い選手を揃えていた
  • そもそも監督でどうこう方針を変えていない
  • 監督でごっそり入れ替えるほどの予算がない

のどれか(もしくはどれも)の可能性が高く、良く言えば大森スポーツダイレクター(以下SD)優秀!悪く言えば「与えられた予算で好みの選手かき集めてるだけでは」と受け取れるこの編成。だってウインガーの数が前田、シャビエル、青木、出戻り王者マテウス、出戻りオリンピック相馬、出戻り茶畑秋山。なんと6枚。来季も風間体制ですかそうですか。

うちの選手たちのクオリティは非常に高く、クラブとして自信を持っています

風間解任時に大森SDが発したこのコメントは、今となればまた異なる印象も受けます。おそらく本音だったんでしょう。とはいえ彼らを操るのはマッシモですから、そのコンセプトも役割も、風間体制時とは大きく異なることでしょう。

ただそれでも一つだけ。大森さんその好み僕は好きですよ。

無風だったセンターバック

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今回の編成で、″賭け″と表現すべき一つ目のポジション。

思い出せば昨年。マル(丸山)の怪我、皆さん血の気ひきませんでしたか。その後、我々どれほど苦労しましたか。救世主藤井君の存在にどれほどのファミリーが救われましたか。

にも関わらず、このポジション補強″ゼロ″。マッシモの戦術の肝いや砦ですよねこのポジション。そこにあえて手をつけない大胆な戦略。ですのでここはマルとしんちゃん(中谷)が不動のレギュラーとみてまず間違いありません。つまり千葉ちゃんはともかく、藤井君の更なる台頭がないと競争も起きなければ、昨年同様一人でも主力に怪我人が出れば、ガタッとチームの根幹を揺るがす事態にもなりかねません。

毎年恒例のネット上陸遅れが生む不安

″賭け″その二、です。これは事情が分かりかねます。名古屋は契約更新したいのか、ネットがゴネてるのか、はたまたお互い合意のもとで新たな移籍先を探しているのか。

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一つだけ確かなのは、この時点で今季ネットが名古屋でプレーするかは″未確定″である事実です。

仮に他クラブに移籍する前提で考えてみます。ここで重要なのは、後方からゲームを作る″司令塔″候補です。ジョアン、渡邉......以上!つまり昨季でいうジョー、マル並にジョアンがアンタッチャブルな存在になり得るわけです。渡邉は東海学園大卒、期待のホープです。但し丸一年間公式戦に出場していない怪我あがりの選手でもある。ジョアン不在時、彼一人にその任務を押しつけるのはあまりにリスキーでしょう。

そう考えると、まさに昨季のジョーやヨネ、マルと今季のジョアンが同じ位置づけになるんです。一年間フル稼働してもらう前提。いやいや、皆怪我したじゃないですか。長期離脱で苦しんださ。このあたりの編成(ウインガーの豊富な陣容に対して、センターバックボランチの層のアンバランスさ)が少しばかりクエスチョンではあったりします。

各地に散らばった若手たち

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他クラブが長期離脱上がりの青木や渡邉に今オフにオファーするのはそれなりに勇気がいるでしょう。なのに意味深インスタ上げた青木罪深い。「直輝いかないで!」「青木出番あるって!」安心してください。ただ仲が良かっただけです。

しかしながら多くの若手が名古屋の地を離れました。

杉森と榎本が名将リカルド率いる徳島へ(育ててください)。深堀が長谷部なき水戸へ(覚醒待ち)。期待のレンタル組、プリンス山田はそのプレーを観ることなく同じく水戸へ(あれは名古屋があかんぞ)。伊藤洋輝が磐田へ帰還(磐田許すまじ)。そして大垣が2年連続2度目の岩手挑戦。名古屋の地を踏むのはいつなのか松岡ジョナタン。顔デカい櫛引とワンバック新井はこのクラブを正式に離れました。

風間時代も大概人の出入りは激しかったですが、今期に関してはとりわけ″若手の活躍の場が限られた″印象を強く受けます。この点は、風間体制のここ三年から大きく変化しています。若手を躊躇なく起用し、前半お試し駄目なら引っ込める風間氏のやり方は賛否両論。しかし今季そういった″実験的な(リスクある)″起用はそうそう期待できないでしょう。

但し二つのポジションだけ、″若手の台頭がなければ困る″ポジションがあります。前述のセンターバック、そしてボランチ。まさにチームの根幹となる″センターライン″です。

和泉竜司、鹿島にさらわれる

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今オフ最大の衝撃。帰りの電車でそれを知り、外も心も真っ暗になった人。お正月がお通夜に早変わりした人。阿部ちゃん速報からの落差に耳キ-ンした人。朝刊に出す予定のスクープを前日22時に速報する旨みを覚えた中スポに、我々は「打倒スポニチ」そんな大本営の意地(適当)を垣間見ました。

正直に書きましょう。よく和泉だけで済んだな、これも本音です。昨年のゴタゴタを思えば、もっと多くの流出があってもおかしくありませんでした。最も狙われる可能性があったのは、やはり和泉、宮原、前田、この3人だったと考えます。

さて、和泉です。残念ながら、彼は名古屋ではなく鹿島を選びました。ここではその点に関して口を出すつもりはありません。問題は、現在の名古屋が果たしてどういった方向性、未来を描き、結果どんな立ち位置に存在するのかです。

″未来”から″現在(いま)″に舵をきった戦略

あまり話題にはなりませんが、今オフで最も残念だったのは″大卒新加入選手ゼロ″の事実です。界隈では現在の名古屋にはそもそもそのツテがないとも噂されています。ユース上がりは2名昇格があったものの、未来への投資が出来たオフだったかといえば、決して満足なものとは言えなかったでしょう。

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一方で新たに加入した選手達に目を移せば、稲垣が28歳、阿部ちゃんが30歳、山﨑が27歳と、まさに脂が乗り切った″今″がピークの選手達ばかり。メリットは海外移籍の心配がない点、デメリットは各々成長曲線がピークにある為、当然チームの成長曲線もそれに比例することです。平たく言えば、″今″に重点を置いた補強だと言って過言ではないでしょう。

でもこれは当然なんです。昨年の風間八宏解任の文脈を思い起こせば、大森SDが″解任の責任は風間八宏にあった″と暗に理由づけしたのは間違いないわけでして、となれば新たに担ぎ上げたマッシモで躓くわけにはいきません。またマッシモの立場からしても、なんとか残留を掴み取り、やっと″本物の″チーム作りが出来る。彼は風間氏とは当然対極のまさに″一戦必勝″の男です。目の前の試合に勝つか負けるか、彼にとっての文化、あるべき姿はそれ以外にない。ですから、彼自身も何より目先の結果が必要です。であれば名古屋が突き進むこの道は、至極当たり前の道とも言えるわけです。

ただ先程も述べた通り、この路線は選手とチームの成長曲線が比例するのが最大の特徴です。ピークが″今″に設定されている分、当然ながら落ち込むのも早い。そこで新陳代謝を怠ると、成績がズルズル下降線を描くことを我々は過去の経験で学んでいます(主に2010〜2016の記憶として)。つまり未来より″現在″に目を向けるこのやり方は、選手の入れ替えを前提とした金銭のかかる方針であると自覚すべきでしょう。まあ、風間体制時も異なる意味で金がかかりましたが....。

とはいえ名古屋だから出来る戦略であることも事実でして、ある意味″戻るべくして戻った路線″です。降格して体制が変わった2017年は、この路線から脱却し、″現在”から”未来″に目を向けた、このクラブにとって画期的な瞬間でした。ただ結果的にはその路線に頓挫し、我々はまさに″企業クラブ″ならではの運営に舞い戻った。何故、風間八宏は解任されたのか。″投資した金額にその成績が見合っていない″からです。

求められる唯一にして最大のノルマは″結果″

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かき集めたこのスカッドは、″現在″で見ればこの4年で過去最高でしょう。但し幾分偏ったスカッドであることも事実。あの風間体制ですら、前線は人員過多で多くの選手がシーズン途中にこのクラブを去りました。その一方で、チームの根幹をなす選手達が長期離脱を強いられ、代役不在に困ったクラブの成績は案の定落ち込んだ。この反省を踏まえた編成かどうか。本来、評価軸はこの点にあるべきです。但しこれまで述べた通り、今回の補強戦略を見ると、大森SDにとってそれはあくまで″監督の手腕″の問題だと評価した可能性もある。

とはいえ贅沢をいえばキリがありません。少なくとも他クラブが羨む戦力を保有していることは間違いない事実であり、マッシモにとっても十分なスカッドと言えるでしょう。

直近の過去3年間、結果が出ずともこのクラブが見放されなかったのは、そこに確固たるスタイルを追い求めた″物語″があったからです。ただし、本来プロスポーツで求められるべき″結果″がおざなりにされていたことも事実。今季は大森SDが作り上げた過去最高のスカッドであり、それを指揮するのは″物語″ではなく″結果″を求められたマッシモです。そして我々ファミリーも、今度は″物語″から″結果″側に目を揃えなければなりません。″攻守一体の攻撃サッカー″いやいや、内容ではありません。目先の勝負にとことん拘るべきだ。

勝負事で求めるものはただ一つ。全ての相手を、叩き潰せ。

その物語は、書き換えられた

人気がないマッシモのために、煙を売ることにしました。

それにしてもマッシモ、時間がかかるらしい。風間氏と思考が真逆なので、風間氏が″技術″の追求に時間を要したように、マッシモも″規律″と″フィジカル″の追求において、時間がかかるという意味ならば、理解できるというもの。真逆故に、風間氏同様、選手は選ぶのでしょう(つまり彼のお眼鏡にかなう選手を揃えなければならない)。来季はキャンプから徹底的に鍛え上げて、マッシモ仕様のガチムキグランパスがきっと観られるはずそうに違いない。

極端に言えば来年、来季が始まってからまったく新しい、私がやりたかったサッカーを目にしていただけるようになると思います

言ったな。ということで、見所を個人的にピックアップ。

1、前プレしたいって本当ですか?

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週プレじゃないです。前プレ(=前からプレッシング)。

鹿島戦でも時折見られました。そもそもの思考として、こちらがベースになることはありますでしょうか。であれば、ここは伸びしろ。悲しいかな、今季のメンツではここに苦労しました(風間時代の「崩しきった先にある前プレ」と、ここでいう「ボールを奪う前提での前プレ」は意味も違う)。

今季のベースは″撤退″でした。攻撃のスタート位置も低く、当然奪われると戻る距離(個々の定位置まで)も長い。持久力と走力がないと死ぬそれです。だから初見で思いました。

「なんて古風なカテナチオなんや......」

と。ゴリゴリにゴール前を固め、奪ったらカウンター。奪われたらはい撤退。前半はそこそこ元気なシャビエルが、後半になるとボールを奪われる度に途方に暮れるシーンも沢山観ました。もうあそこには戻りたくない、と。鹿島戦も相手に先行を許し、追いかける場面でシャビエルはバテバテ。ただ点を獲る必要があるので、彼は一列前に。代わりにワイドは伊藤を配置するなど、マッシモの苦悩が垣間見れました。

前半は体力も気力も漲ってるので締まった戦いになるのですが、後半も早々になるとやたらオープンな展開になるのはこれが原因です。特に前線の連中はアップダウンが激しいのでもれなく死にます。戦い方に幅を持たせるなら、ボールを奪うポイント(仕組み)は、やはり沢山持ちたいところ。

マッシモ的にいえば、今季からドラスティックに変わる要素があるとすればまずこれ。残留のための戦いは終わりました。もちろん希望的観測で終わる可能性もありますが。

2、仕込む余地が残された″ビルドアップ″

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取ったボールをつなぐことや、そういう今までやっていたけどマッシモになって捨てていた部分をもう1回トライするのも良いのかなと思います

鹿島戦前の中谷のコメントです(赤鯱新報より)。

ここの文脈が、外部からは非常に読み取りづらかった。鹿島戦、特に前半は相当″繋ぐこと″に固執している印象を受けました。ここでは主に、最終ラインを指した意味として。

確かに鹿島も前から積極的に奪いに来ません。繋ぐ余裕があったのも事実。しかし仮に繋ぐ意思がないのなら、ジョー目掛けて蹴り飛ばせばいいんです。拾えればラッキー、相手にこぼれたら再度ブロック形成し、鹿島を引き摺りこむ。カウンターがやりたいならむしろボールは捨てた方が話が早い。

でもそれはやらなかったですね。とにかく繋ごうとした。それが選手たちが″捨てたもの″として考え、自主的に取り組んだものなのか、マッシモも本来はそうしたかったのか、そこは来季のフットボールを観なければ断言出来ません。しかもこの試合、後半は早々から蹴り始めましたからね。謎です。

但し鹿島戦に関していえば、″繋ぐ意思″こそあれど、それ自体が目的化していた印象もあります。本来ボール保持を基調とするチームが、何故ビルドアップを後方から丁寧に行う必要があるのか。それを改めて考える必要があるのでしょう。

それは″前線に時間とスペースを生み出す為″にあるものです。風間流に考えれば、そもそも前線にそれがあれば一発で狙えばいいし、なければ後方から相手を一枚ずつ剥がして相手を動かす(動かざるをえない状況を作る)為にあるもの。鹿島は名古屋とシステムも同様(各選手の前には必ず対面の相手が存在する噛合せ)。ボールを繋ぎながら″どのポイントで優位性を生み出すか″、この点が重要でした。

しかし残念ながら、チームとしてそのアイデアを共有する段階ではなかったと考えます。例えば、風間流のように意図的に密集を生み出し、そこから″止める蹴る外す″を信号に相手の個を攻略するイメージもなく。例えばボールを回す過程において、意図的に選手たちが配置を変え、相手との噛合わせを″ズラす″ことでそのエリアを攻略するわけでもなく。各選手の個人能力は高いのでそつなくボールは回るのですが、一方でボールの進路に″縦″が入らなかった。″横″と″後″が多くなり、後方6枚でボールを回すシーンが散見されました。

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ではどう打開に繋げたかといえば、オフェンシブハーフの二人、前田とシャビエルによる″個″の力です。彼らが降りてきてビルドアップに加わり、一本のパスで打開する。相手を背負ったまま一発のトラップで剥がす、ないしはドリブルで抜き去るなど。彼らのクオリティに多分に支えられた仕組みでありました。それに加え守備になれば定位置に戻り、逆サイドにボールがあれば5バックの如くサイドを埋めたりと、攻守にタスク過多の中、よく頑張りました。この試合、チャンスの場面は殆ど前4枚で攻めていた印象です。その点、途中出場の伊藤はスピードがない分、太田を上手く活用する意図がありました。攻撃に変化をつける意味でも面白かったです。

現代のフットボールにおいて、このビルドアップが実装出来ないと戦い方の幅がぐっと狭まるのは当然でして、ここが一番の課題ではないでしょうか。裏を返せば、改善が見込めないと今シーズン同様「前に出てくる相手には強い、出てこないと脆い」チームとして、おそらく対策されます。

現状はボールを縦に運べない、当然中央を割って入るアイデアもないので、遅攻の場合は必然的にボールが外に外に循環します。だからサイドの″個″が重要なんですよね。ドリブルで違いを生み出す前田、外からのクロスで精度の高いボールを供給する太田。中では高さで違いを生み出すジョー。

(安心してくださいそれがマッシモ流です←東京方面の声)

馬鹿言ってんじゃないよ今んとこ太田のクロスも散々、ジョーのポジション取りも遅れるわでそれすらないからな。

3、ブロック守備にまだ向上の余地はあるか

この点の伸び代はどうでしょうか。

オートマティズムの向上は見込めるかもしれません。勿論前線の選手の顔ぶれが変われば全体の強度も上がる可能性大。

その一方で、ブロックの中心となる最終ラインや中盤は、既にある程度その理想を体現出来ている可能性もあります。改めて現在の戦力を考えても、最終ラインには丸山、吉田、太田がいて、中盤には米本がいる。後方6枚の内、4枚がそもそもマッシモ流経験者であったことを考えると、たった8試合とはいえ、これは大きなアドバンテージでした。そして裏を返せば、ここの伸び代が大きく残されているとも考えづらい。

そこで気になるのは、来季も″4-3-2-1″に挑戦するか否か。

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今季何度か挑戦しては、あっという間に4-4-2に戻す秘技を繰り返したマッシモ。撤退して守るのなら、最終ラインに4枚、中盤にも4枚を均等に並べるのが最もバランスが良いのは当然です。その結果、最前線のジョーの負担を軽減する為、アーリアが右に左に走り回ったのが今季の名古屋でした。

では何故マッシモは4-3-2-1に固執するのか。ここが謎です。

一つ仮説として考えられるのは、そもそもビルドアップを仕込む(実装する)のが苦手。その上、彼が理想とする守備において、4-4-2では前線の負担は重く、結果として攻撃にリソースが割きづらい。そんな悩みを解消する切り札的発想。4-3-2-1は連動さえすれば、数的優位も生まれやすい形です。

中盤に4枚(+アーリア)割いて、前線がジョー1枚では前にも出づらい戻るのも大変の二重苦。ならば中盤3枚にしたらどうか。そりゃ3枚で横幅見れるなら、その分、前に3枚配置出来ますから、より彼らは攻撃に比重を置いた振る舞いが出来るかもしれません。個のクオリティ万歳、頼りましょう。ただ中盤を3枚でみれるチーム、国内ではなかなか見ません。

そこで秘策、広島の稲垣獲得大作戦。

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仮に彼と米本をインサイドハーフに配置した3センターをベースにすることが可能なら、前線の守備における負担は軽減される可能性も高いと言えましょう。またその結果、例えば前線から前プレの効率が上がるだとか、攻守におけるジョーの負担も軽減されるだとか、守備負担が減った攻撃陣のクオリティが上がるだとか。超希望的観測も可能......かも。

もう、あの物語は終わった

さて、そんなこんなで最後に一つ、認識すべき点について。

降格してからの物語は、一区切りがつきました。来季の監督がマッシモと正式に決定した以上、もう終わったことです。

過去に想いを馳せてもそれは帰ってこないし、起こることもない願望を持ち続ける必要も、もはやありません。

改めて振り返っても、彼らが紡ぎだすストーリーは魅力的でした。我々の多くは″それ″を担いでいた、そう言っても過言ではありません。″名古屋らしいスタイル″に憧れを抱き、初の降格を経験したあのオフに、強烈な個性を持ち合わせた風間監督がやってきました。運を味方にするように、それを後押しする社長まで現れた。そしてこのプロジェクトに惹かれ、多くの選手たちが名古屋の地に集結しました。俺たちが名古屋の歴史を変え、そのスタイルを作り上げるのだと。

その文脈からして、シーズン途中での解任劇は、まさに熱中していたドラマが途中で打ち切られたような気持ちでした。もちろんこの脚本には興味がなかった方々、そもそも脚本の中身が気に入らなかった方々からすれば、それはもしかすると早く終わって欲しい物語だったのかもしれません。

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そこからマッシモと歩んだ8試合は、ある種の″繋ぎ″であり、緊急時の番組を観るような感覚だったとも表現出来るわけで。ただ先日、それは本編になるのだと我々は知りました。

ここから先は、いつまでも打ち切りになった物語にタラレバの夢を見たって、それが戻ってくることはありません。同時にいつまでも過去に固執し、比較することに精を出しても、もはやそこから生み出されるものも何もありません。

惜しむことがあるとすれば、やっと名古屋の地に存在するポテンシャルに気づいたにも関わらず、それをみすみす手放すことでしょうか。当時、風間氏はこの地に大きなポテンシャルがあると言いました。それはてっきり立地的な意味合いだと感じていたけれど、どうやらそれだけではないようです。

ボールプレーヤーに徹底的にこだわった彼のスタイルからして、この地のポテンシャルは凄まじいものがあったはずです。下部組織であるアカデミーでは、ユースに古賀監督という優秀な指導者が現れた。練習場の隣を覗けば、高校時代から徹底的にそのスキルを磨いてきた選手達(特に中央学院高の繋がり)を、更に研ぎ澄ますべく東海学園大の安原監督がいた。本来一つであるはずの下部組織が、風間氏からすればこの地には二つある。何もしなくとも、彼が望むスキルを併せ持った選手達がそこにはゴロゴロいたのです。自分達のスタイルが何か迷走し続けた名古屋からすれば、これだけボールプレーヤーに恵まれた土壌であると理解出来たことは、大きな発見だったことでしょう。そして、グランパスがその頂点の存在として明確なスタイルを掲げる限り、そこに魅力さえあればその供給が止むことはなかったかもしれません。

そんな物語に区切りをつけ、我々は新たな道を歩みます。

誇り高きプライドと、その生き様に期待を

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Jリーグの監督の中で何人がセリエAで監督が出来ると思いますか

おそらく今季のグランパスの試合を確認した際、マッシモの目にはそれは酷いものに映ったことでしょう。そして皮肉な話ですが、現在のグランパスの試合を観て、風間氏もきっと酷いものを観ている気分ではないでしょうか。我々はそれほどまでに正反対の思考を持つ監督にバトンを託しました。

マッシモは誇り高きイタリア人です。セリエAで指揮した経験も、彼の国が良しとする″常識″も、それが彼のプライドとなり、彼自身を支えている。今季彼に与えられた8試合は、きっと彼にとっては偽物の姿であり、それで最後ブーイングを喰らった事実は、彼に二つの想いを抱かせたはずです。

俺が作ったものではないという怒り。そして、その文脈を持って「彼らはこの姿に満足していない」と確信出来たこと。

彼がこのチームを作り替えようとする行為の意味するところは、エンタメ性なんかとは掛け離れた、徹底的に″勝利にこだわる姿″であり、魅せることではなく、″泥臭くとも走り、戦い、そして勝つこと″です。それが彼にとっての″文化″です。

だからこそ勝たなければ、彼のフットボールに価値はない。

本物のマッシモ流が観れるのは来季でしょう。止むことのなかった議論の一つ、ピッチと観客動員数の関連性においても、来季一つの回答が出るはずです。そして名古屋が歩んだこの一歩が正しいものだったのかどうかも、来季のシーズン後にきっと語られることでしょう。それでいいのです。

鹿島戦前、マッシモはこうコメントしました。

まずはチームを残留をさせて、また別のプロジェクトに向かっていくためにこの仕事を受け、やってきました

風間体制は終焉です。マッシモが魅せる本物に、期待を。

あの日の名古屋。そして横浜と、川崎

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横浜が先制した試合は18勝1分2敗。

先日の川崎対横浜戦を中継したNHKのテロップに、こんなデータが表示されていました。

なるほどなあと、唸りました。

先制点を獲る。これは即ち、相手が前に出ざるを得ないことを意味します。つまり相手がボールを奪いに来る状況さえ出来上がれば、とりわけビルドアップから(後方から)ボールを丁寧に繋ぐことで、前線に向けて時間とスペースの貯金を作っていくチームにとっては好都合である、と。

これは裏を返せば、その前線に時間とスペースを与えない対策を施せば、相手にとっては勝機を見出せるチャンスです。その意味でも、アタッキングフットボールを志向するチームにとって、先制点を奪うことは、一種の至上命題とも言えます。先制点を許し、相手が引きこもってしまえば、それはたちまち相手の土俵に様変わりしてしまうことでしょう。

さて、そこで一つの疑問を抱きます。何故、同じアタッキングフットボールでも、以前の名古屋は先制点を獲ることにあれほど苦労し、一方で横浜は先制点が奪えているのか。

ここに、同じアタッキングフットボールでも両者のスタイルの違いが顕著に影響しています。

攻略すべきは“人”か“場所”か

それは“人”を攻略するか、“場所”を攻略するかの違いです。

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当時の名古屋の攻撃力は凄まじいものでした。なにかと賛否両論呼ぶ“風間理論”ですが、相手がボールを奪いに来る前提さえあれば、どのチームにも負けない破壊力を兼ね備えていました。それは例えば前半戦の名古屋や、また現在のユースが証明するように。いま首位を争う横浜にしろ川崎にしろ、名古屋は彼らと互角の戦いを演じています。また、今季リーグの話題をさらった大分の片野坂監督、ルヴァン杯でタイトルまであと一歩に迫った札幌のミシャ監督は、試合後に名古屋の力を認めるほど、そのインパクトは強烈なものでした。

ただし、“人”を攻略する発想は、かなり特殊なものです。

相手の立場からすると、ボールを奪いに行く、つまり自らアクションを起こしても、名古屋の技術とそのスピードを上回らない限りボールは奪えません。むしろ自ら動くことで、名古屋に“相手の逆を取る”きっかけを与える可能性すらある。

ここで生まれたのが、“名古屋対策”です。

理論は至ってシンプルです。動くことにリスクがある。であれば動かず、ゴール前の密度さえ保てばいい。動くこと、スペースを少しでも与えることは、対名古屋戦では致命的です。そのため多くの相手がシーズン中盤以降、自陣ゴール前に“バスを置く”ことを選びました。ここでもポイントとなるのは、名古屋が場所ではなく、人に狙いを定めていることです。つまり相手からすれば、ゴールに直結する自陣のペナ幅さえ密度濃く守ってしまえば、ゴールを奪いたい名古屋は黙っていてもそこにいる“人”を崩しにかかるでしょう。

“動かない”からこそ“動く”

“人”に狙いを定める理論を、更に深掘りしていきます。

ではゴール前に張りつき動かない相手に対し、“人”を攻略したい名古屋はその相手をどう動かそうとするでしょうか。

自分たちが活発に動く(ポジションチェンジする)ことで崩しにかかります。ここが横浜との大きな違いです。場所で(立ち位置で)相手を動かそうとする横浜に対し、人を攻略したい名古屋は必然的にその密集に向かい、自らがアクションを起こすことで相手を攻略する選択を取るのです。

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その一方で、“配置”での優位性を重視する横浜は、自分達だけにフォーカスを当てることはありません。配置で優位性を得るためには、当然ながら相手との噛み合わせが重要な要素になります。人に狙いを定める分、結果としてピッチを狭く、密集して活用する名古屋に対し、彼らはピッチを広く、一定の距離感を保ったまま活用する。一点突破の名古屋ほどの破壊力はないまでも、彼らの場合は両ワイドにも選手を配置しています。相手からすれば一点突破でないが故に、ピッチを広く監視する必要に迫られるでしょう。

つまり同じボール保持、“止める蹴る”でも、名古屋はそれを人を攻略する為の味方同士の合図、コンビネーションのスピードを上げるために活用し、横浜はその配置に意味を持たせる為、速く的確にパスを届けるために活用する。それが時間とスペースを生み出すからです。だから名古屋の主語はいつも自分達であり、横浜は自分達と相手になるわけです。

名古屋にとっては“非再現性”こそが最大の魅力であり、横浜にとってはその高い再現性こそが最大の強みです。

近年、国内でもボールを出した選手は、一定の距離感を保つことが良しとされています。ただここで重要なのは、何故距離感を保つ必要があるのか、です。名古屋の場合、彼らが攻略したかったのは“人”なわけですから、その理論から考えれば「ボールを出したら寄れ」この発想は正しい。どちらが良い悪いではなく、あくまで目的の違いなのです。

また、その文脈でいえば、止める蹴るの活用法の違いに加え、“外す”の概念の違いにも注目する必要があります。人を攻略するために、名古屋は狭いエリアでもボールを受けられるよう“外す”ことが求められます。一方で横浜は、配置で相手を攻略するために相手が“外れている”ことが重要になる。“外す”ためには技術が必要であるし、“外れている”ためにはチームとしての戦術理解力、そして相手を個ではなく盤面で見る視点が必要になります。

このように名古屋が目指した“止める蹴る”の技術、その目的は、常識の範疇に収まる単純な理論ではありませんでした。

動くことで生じる、ミスが許されない状況

ただしこの名古屋の発想には大きな弱点が潜んでいます。

守備を顧みず、攻守においてあくまで相手を崩すことを大前提としたその理論自体が、彼らの最大の足枷です。

ポイントは“ポジションバランス”。

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相手の守備ブロックを崩せずボールを失うと、待っているのは相手のカウンターです。相手を崩すために自らポジションバランスを崩す名古屋は、相手からすればカウンターの格好の餌食。その守備ブロックを崩せず奪われたら最後です。ハイプレスが出来る状況はそこには存在しません。

そして“ピッチを狭く活用する”弊害はもう一つ存在します。

攻守において相手を崩す前提で設計されたその理論は、裏を返せば、崩せず相手の狙い通りボールを奪われると、その先にカウンターの広大なスペースを自ら与えることに繋がります。攻守においてこの広いピッチをいかに理詰めで活用するか、そんな横浜の発想とはまさに対極です。これだけのハイリスクを抱えた中で、自ら相手に対してアクションを起こさない限り、このアタッキングフットボールは成立しません。

だからこそ何より求められたのは“自信”でした。

とはいえ現実は残酷なものです。奪われてはカウンターを喰らい、その都度ロングスプリントで背走を強いられる。

ハーフコート仕様で、徹底して相手陣地の狭いエリアでフットボールを試みる名古屋としては、このロングスプリントは回数を重ねるごとにボディブローのように効き始めます。

ここが最大の急所と言っていいでしょう。この攻撃特化型の発想(ハーフコート仕様)において、そもそも彼らにはロングスプリントに耐えうる身体は必要がない。この前提こそが、当時の名古屋に隠された最大のボトルネックでした。

“名古屋対策”に隠された最大の罠

今季シーズン途中でマッシモが就任し、彼がまず始めたことは、驚くことに本来はシーズン前に行うような”身体作り”でした。前体制では、狭いエリアを攻略し、ハーフコートを前提とした必要な強度、つまり短い距離のダッシュを素早く繰り返すクイックネスが求められていました。

しかしそれこそが落とし穴であったと言えます。つまり一見すると名古屋の高い攻撃力を阻害する為に設けられたあの防波堤(名古屋対策)が、実際にはそこからのカウンターを繰り返すことで、名古屋にロングスプリントを強いることに繋がった。そしてその繰り返しがボディブローとなり、名古屋の生命線だった“距離感”を破壊しました。

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それは言い換えると、「ハーフコートからフルコートでの戦いを強制する」、つまり名古屋を彼らの土俵から引き摺り下ろす術になっていた、そう考えて間違いありません。

風間八宏解任後、対極ともいえる監督を招聘したことで改めて浮き彫りとなった事実と言えるでしょう。

この勝てない日々が続いた時期、事あるごとに指摘されたのは「何故守備をしないのか」でした。ただこれは誤解です。守備をしなかったのではなく、出来なかった。

彼らが思い描く守備。つまり攻守が目まぐるしく入れ替わりながら、高い強度で相手に対し常に網を張る為には、少なくとも“自分達の土俵”で試合を進めることが大前提でした。この理論で、アタッキングフットボールを追求する限り。

だからこそ名古屋対策が進んだ中盤戦以降、彼らがこの理論で生き延びる術は、もはや一つしかありませんでした。“相手を崩しきることで、こちらの土俵に引き摺り込む”ことです。

そのロマンに我々は夢を見て、そしてその夢は破れました。

アタッキングフットボールに、正解はない

何故、人は見えないものに不安を覚えるんでしょうね。ロジカルで、目に見えるものこそ信頼を覚え、これこそが正しいものに違いない、そう感じる。その文脈からして、以前の名古屋は完全に常識外れでした。起きていたことも、結果的には全てにロジックが存在します。ただ彼らは、グーでくると相手にバレていながら、それでも殴る選択をした。いや、これまで記した通り、その選択以外に道はありませんでした。

私は、だからといってこの風間理論を否定するつもりはありません。例え常識外れであっても、そのグーで殴り切れる圧倒的な力さえ存在すれば、それは常識外れではなくなるからです。欠点こそあるものの、その欠点が圧倒的な長所と共に内包するからこそ魅力と、そしてロマンがあった。

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また全てのベクトルを自分達に向けることで、当然ながら選手達は大きく成長しました。我々サポーターの立場から見ても、その選手達の成長が手に取るように伝わった。この魅力は、もしかすると応援する者にしか分からないのかもしれません。進化の先に、未来がある。未だ見ぬ未来だからこそ、期待と不安が入り混じり、そこには興奮と緊張があった。

ただ残念ながら最後で仕留めきることが出来ず、負のループは始まりました。業を煮やした強化部は、このやり方に見切りをつけ、必要な補強(端的に言えば最後に仕留めるストライカー)を怠った。我々には、狭いエリアでもものともしない、このフットボールを突き詰めた先に必要となる、そんな“身体を使う技術”に秀でたストライカーが必要でした。

その願いは叶うことなく、この冒険は幕を閉じました。

新たにこの土俵の主役に躍り出た横浜

一方で、同じアタッキングフットボールでも、“配置”を基調とした横浜が優勝まであと一歩のところまできています。

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ミドルサードでの戦いになれば、当時の名古屋も、彼らや川崎に全く引けを取らなかった。明暗を分けたのは、そのアタッキングフットボールが、どれほど自分達自身に依存したものか、その違いに他なりません。その結果が、相手の極端なまでの対策に繋がり、それを攻略する難易度も、何より攻略出来なかったときに起こるリスクの度合いも、両者に圧倒的な差を生んだ。名古屋のアタッキングフットボールは、あまりにピーキーでした。全てのベクトルが、良くも悪くも自分達に傾きすぎていた。その結果、殻を破りきれなかった名古屋は、この土俵から引き摺り下ろされてしまいました。

これまでこの土俵で圧倒的な力を発揮していたのは川崎です。その結果が、近年の二連覇の実績でした。ただ今回の等々力での直接対決をもって、この土俵での立ち位置は塗り替えられました。横浜こそが、最強であると。

では、今後彼らの牙城を打ち崩すチームは現れるでしょうか。個人的には、彼らと同じスタイルでそれを上回るか、異なるスタイルで真っ向勝負を挑めるチームが現れないと厳しいと考えます。例えばマンチェスターシティにおける、リバプールのような存在が現れる、とか。川崎もここからどう進化するか楽しみでなりません。むしろこの状況は、ここからどう変化すれば横浜を上回ることが出来るのか、そんなチャレンジになる。同じアタッキングフットボールの観点で言えば、彼らこそがそのポールポジションに存在します。

そして、名古屋です。この土俵を徹底的に破壊する、これまで我々の前に立ちはだかったようなチームを目指すのか、それとももう一度この土俵に返り咲くアプローチを取るのか。

今、我々は、大きな岐路に立っています。

豊田の地に、カテナチオ到来

イタリアの風、遂に豊田に吹きました。

風の香りは随分と変わったものの、名古屋に風が吹いたことに違いはありません。長かった。まず一言感想を。

試合後の足取りが、とても軽かったです。

見事なまでにハマった「マッシモスタイル」

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端的に言ってしまえば、これまで我々が苦労したシチュエーションと、見事に立場が逆転した。そう考えれば話は早いかと思います。皮肉なものですね。あれだけ苦労して勝ち星を落とし続けた相手の戦法を、今度は我々が行い、そして白星を掴んだわけですから。カウンターが決まる様を眺めつつ、不思議な気持ちになったのは言うまでもありません。

神戸を批判するつもりは全くありませんが、彼らは名古屋に対してあまりに無策すぎた。これもまた皮肉な話ですが。J屈指のタレント力を存分に活かすため、ボール保持を前提に各選手が高い位置取りで相手陣地を占領しようとする彼らのフットボール。但し、名古屋のように徹底的に引いてブロック形成する相手に対し、その崩しのアイデアは物足りず、突っ込んでは奪われカウンターを浴びる機会が目立ちました。

起きている現象は以前の名古屋と同様。違いと言えば「何故それが起きるか」だけ。崩しのアイデアはあるものの、結果崩しきれず、乱れたポジションバランスが仇となった名古屋。固定された配置はあるものの、崩しの構造が未完成で、不用意に突っ込んではカウンターのスペースを与え続けた神戸。意図しない形でボールロストし、そのリスク管理は不十分。結果、名古屋の「守ってカウンター」がハマりました。

ただ浮かれてばかりもいられません。

この試合のスコアが象徴するように、マッシモ体制での課題は「攻撃における特定の選手への依存」です。例えば相手が前田に複数人マークをつけた場合どうだったか、他に手立てがあったのか。そこには疑問が残ります。逆サイドに位置する和泉が攻守にフル稼働していたものの、現在の彼の役割は決して「攻撃の主役」ではない。前田直輝という圧倒的な個を活かすためのバランサーと捉えた方がしっくりきます。それほどまでに、マッシモ流は「ストロング特化型」。

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それでも和泉が我々にインパクトを残したのは、ひとえに彼の個人能力が求める役割をも上回っていたからに他なりません。どのポジションでもそつなくこなす、ある意味器用貧乏な印象すらあった和泉。気づけばどのポジションでも、「どのスタイルでも」、置かれた環境で彼らしさを発揮できる稀有な存在になったことを、この試合で見事に証明しました。

風間、マッシモ....あまりに極端なその志向

さて、この試合を見れば分かる通り、マッシモは古き良きイタリア流のフットボールです。ブロックは低く構え、故にロングカウンターでは個人の圧倒的なスキルが問われるフルコートスタイル。相手を引き込み網をかけ、ボールを奪えばシンプルに。なんとも分かりやすいフットボールです。

一方でこの2年半、我々が観てきた風間氏のフットボールは出来るだけラインは高く設定し、狭い局面を技術の掛け合わせで凌駕しようとするハーフコート前提のスタイル。技術で相手を上回れるか、この「上回れるか」という観点において、期待と驚きがあったフットボールであったと思います。その分、出来なかった時の反動は想像以上、まあ悲惨でした。

お互いに共通するのは、攻撃にしろ守備にしろ、その発想の偏りが極端であるが故に、「自分達の土俵」でなければ途端に脆さを露呈することです。風間氏のフットボールは「自分達次第」、マッシモのフットボールは「相手次第」。例えば神戸があれほどまでに前掛かりでなければ、試合のテンポはもっと緩やかに進んだはず。その意味で、神戸のやり方が今の名古屋にとっては好都合だったことは間違いありません。

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ではどちらがより欧州の主流に近かったか。私は風間体制だったと考えます。少なくとも自分達の土俵にさえ持ち込めば、その展開は目まぐるしく、また球際の寄せのスピード、時間とスペースが限られる強度の高い環境での止める蹴るの基本的な技術レベルにおいて、彼のフットボールは国内のレベルをワンランク上げるものだった。但し玉に瑕だったのは、相手ゴールから逆算した発想で考案された「ポジションの流動性×止める蹴る外すの基本技術の追求」を前提とする彼の理論そのものであったことも事実です。何故なら求める土俵を生み出すには、相手が自らその土俵に立つことを選ぶか、そうでなければ「相手を崩しきる」ことでしかそれが得られなかったからです。全てのベクトルを自分達に向けるそのフットボールは魅力的である一方、そこへの依存度が高く、失うものも多かった。出来ない時に起きるカウンターのスペースもそう、その結果得られない目先の勝ち点もそう。

最大の魅力が、最大の欠点にもなり得る。自分達次第で、試合の状況すら一変する、まさに表裏一体のフットボール

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その点、マッシモのフットボールは対照的です。起きることに意外性はなく、攻撃にリスクをかけない分、万が一それで行き詰まっても最悪引き分けの手段がある。「勝つフットボール」いや、まさにイタリアの象徴「負けないフットボール」。試合展開を決めるのは自分達ではなく、相手次第。「分かっていても止められない武器」を一つでも多く持てれば、手堅く勝ち点を積めるフットボールかもしれません。あの整然とした守備ブロック、無駄のないカウンター....彼のフットボールを観ていると、イタリアの伝統、文化で育まれたそれだと思わずにはいられません。それはそれで興味深いフットボールであることに違いはない。

そう考えると、我々はシーズンを通し、まさに両極端なフットボールをこの目で観ていると言えます。皮肉なのは、崩し切れず、意図せぬフルコート仕様の背走を毎度余儀なくされ無惨に散った前体制も、ハナからフルコートありきで前線までのロングスプリントが必要な現体制も、起きている現象それ自体に変わりはないこと。前体制時は何より「コンパクトさ」が生命線でした。しかし自分達の土俵に相手を引き摺り込めず、その結果、長い距離を背走してはチームが間延びする試合も多々あった。その点、「長い距離を走る」その前提に立ち、予めチーム作りを進めるマッシモの方が手堅いことは言うまでもありません。必要なトレーニングを課し、それを可能とするメンバーでチーム構成する。前か後ろ、走る方向に違いこそあれど、長い距離を走っているその事実は、以前も今も変わりありません。ここで何より重要な違いは、それを「求めていなかった」か「求めていた」か、です。

熱狂から結果至上主義の世界へ

外に目を向ければ、よりハイテンポで、攻守が目まぐるしく入れ替わるインテンシティの高いフットボールが、世界を席巻しています。限られた時間とスペースの奪い合いの中で、各々が抱える戦力にマッチした戦法で凌ぎを削っている。

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我々名古屋も「攻守一体の攻撃的サッカー」そんなテーマを掲げ、この2年半突き進んできました。風間氏といえば、やれ攻撃サッカーだと目に見える派手な部分ばかり強調されますが、そのフットボールの特徴もまた、ハイテンポで高いインテンシティを誇るものであったことが挙げられます。惜しむらくは、「自分達」この主語が強すぎるが故に、コンスタントにそれを発揮出来なかったことです。ただし圧倒的な攻撃志向をベースに、自分達の土俵に相手を引き摺り込んだ時のクオリティは素晴らしかった。今季だけで言っても、ホームでの札幌戦や川崎戦、アウェーでの横浜戦、大分戦。狭いエリアで求められる技術、プレー強度だけでいえば、何処も太刀打ち出来ないレベルにありました。彼もまた、欧州の第一線からインスパイアされたものがあったはずです。

そしてマッシモ。彼のフットボールはまさに「攻守分業型」です。ピッチをフル活用する前提で、7〜8人が低い位置にブロックを構え、奪ったら前線の3〜4枚で素早くフィニッシュまで持ち込む。攻撃が終われば長い距離を移動し、再度ブロックを形成する。行って守っての繰り返し。常に攻守のターンが一定のリズムで行き来するフットボールは、世界のトレンドからすれば「攻守一体」とは言い難いでしょう。

ポゼッションもカウンターも相手や状況によって使い分けるハイブリッドなフットボール、これこそが現代のトレンドです。その一方で今季の名古屋に関して言えば、まさに二項対立の如く、その対極のフットボールをそれぞれ体感していると言っても過言ではありません。どちらも極端であるが故に、ワンパターンしか選択できない点が大きな問題です。

結果を追い求める中で覆い隠されたもの

神戸戦での我々は、殆どの時間で相手にボールを明け渡し、そのボールを追いかけ回す時間が続きました。「ボールを『持たせる』発想自体がおかしい」風間氏が真っ向から否定したフットボールで、我々は見事に勝ち点3を奪い取った。

もちろん、この限られた時間と差し迫った状況下だからこそ、マッシモはこのフットボールをチョイスしているのかもしれません。これが今だけなのか、この先もなのかは分からない。但しこの5試合に限っていえば、マッシモが魅せた撤退したブロックからの個人能力に特化したカウンタースタイルは、まさに一昔前、世界を席巻していたイタリアのフットボールそのものでした。では現在もそれが世界を牛耳っているかと問われれば、イタリアのフットボールは世界レベルでは勝てなくなり、観客動員も壊滅的な状況に追い込まれ、遂には他国のスタイルを追随する立場に追いやられてしまった。

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ただひたすらにボールを追いかけるフットボールで、観ている者が楽しめるのか。選手達に成長する実感があるのか。それは魅力的に映るのか。このフットボールに伸び代が存在するのか。数年前、カルチョがぶち当たった壁に、近い将来我々が遭遇しないか。そう危惧するほどには、豊田に吹いたカルチョの風は、あまりに古めかしいものでした。

私自身も、神戸戦では一つ一つのゴールに歓喜し、勝利の事実に安堵したことは言うまでもありません。マッシモのフットボールに関心もあれば、彼の美学を尊重する気持ちもある。ただ、それでも尚、こう思うのです。結局のところ、我々の応援するクラブは一体何処に向かっているのか、と。

良くも悪くも先鋭的で、常識外れ。ハイテンポ且つ、高い強度と技術を駆使したフットボールでJの頂を目指した我々は、その道に頓挫し、今、驚くほど対極にある懐古的なフットボールに結果として行き着いた。世界がポジショナルプレーとストーミング、二つの手段で対峙するこの時代に。

スタイルを追い求め、固執し、迷走した末に辿り着いた勝ち点3。我々が飢えに飢えた「結果」をもたらしたそれは、結果至上主義の国が生んだ、現実的で、手堅く、無駄も、そして驚きもない、恐ろしく合理的なフットボールでした。

まるでこれまでのスタイルを、真っ向から否定するように。

一人歩きする「攻守一体のサッカー」

名古屋の攻撃力にマッシモの手堅い守備が加わるのは驚異。

これが、我々の監督交代劇を受けた第三者による「希望的観測」だったことは記憶に新しいところです。もちろん誰よりも我々がそうなることを望んだのは言うまでもありません。

2分2敗。これがマッシモ体制後の現実です。

何故勝てないのか。何故思い通りにいかないのか。理論上はこのバトンリレーこそが勝つ為に最善ではなかったのか。今回はこの点について今何が起きているのか考察してみます。

まずは風間体制時の簡単な振り返りから。

「あとは決めるだけ」が命取りだった風間体制

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約2年半もの間、風間氏が追い求めた理想は常に我々がボールを保持し、ポジションの概念を超え、選手同士の調和が生む予測不可能な攻撃的フットボールであったと定義出来ます。その圧倒的な攻撃力をリスペクトした相手は、次第に「中央を固めてカウンター」の策を講じるようになりました。シーズン中盤以降、勝てない名古屋の最大の課題はこの対策をどう上回るか、ここにあったと言って過言ではありません。

「ポジションの概念を超えてでも」再現性のない形に拘るその行為は、相手を崩しきるフェーズまで持ち込めないと、途端に崩れたポジションバランスが相手カウンターの「穴」になる弱点を潜んでいました。相手の陣形を崩し、無理なクリアを誘発すればボールを回収出来るものの、例えば前を向いた状態でボールを奪われる。また崩しの局面でミスが出ると、それが即カウンターに繋がるハイリスクと隣合わせであり、それで負けが続くとボール保持の絶対条件とも言える「自信」をも打ち砕く諸刃の剣だったとも言えます。

その状況を打破する術は一つしかありません。それは「先にゴールを奪うこと」です。引きこもる相手を同じ土俵に引き摺り込むには、先にゴールを奪うしかない。解任までの数試合、風間氏の口からは何度もこの言葉が聞かれたものです。

「あとはゴールを決めるだけ」だと。

そのために彼は徹底的に「チャンスの演出」を追求しました。被カウンターのリスク管理には決して手を加えなかった。ボールを奪われた際の攻から守の局面はネガティブトランジションと言われますが、今思えば彼がそこを磨き上げるのは不可能だったと思います。何故なら彼の攻撃を支える重要な要素がその「流動性」にあったからです。選手たちがポジションを崩してまで相手に襲いかかる以上、そこへの対策は結果的に「崩しきる」以外になかった。故にチャンスの演出に拘った彼のロジックは理解出来ますし、場所ではなく人を崩しにかかる彼の理論に鑑みて、場所に捉われないストライカーの補強(柿谷)を必要としていたのは納得出来ます。

ただ残念ながらその補強は叶わず、結果的に点は奪えませんでした。エースのジョーも大不振。外し続けた代償は、彼の攻撃理論が裏目にでる皮肉な結果へと繋がり、最後はシーズン途中での解任、そんな結末に至った。思い返せば監督に就任してから終わりを迎えるこの日まで、彼への賛否が尽きることはありませんでした。同じ土俵にさえ立てば、相手が川崎や札幌でも粉砕した力を持つ名古屋。「崩し切った先」に未来を見たサポーターと、再現性のなさが生むハイリスクな構造に頭を抱えたサポーターと。このフットボールに未来はあるのか。我々の議論が尽きることはありませんでした。

遺産を継承するということ

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そのフットボールへの好みはともかく、彼がこのチームに残した遺産をいかに継承していくか。これは解任前からの課題とも言えました。「継続性」、名古屋においてこれまで最も欠けていた要素です。ただそのリレーは理想通りとはいかなかった。現在の状況は、あくまで「解任」によって生み出されたものであることを忘れてはいけません。その前提で、我々が彼の遺産を最大限に活かす術は残されていたのか。

これまで述べた通り、このチームが最も苦労した理由は「相手を崩しきる以外に、そのフットボールが孕むリスクを回避する術がない」事実でした。その点をまず最大の改善点とした場合、変化をもたらすべきは風間体制時の特徴であったその「流動性」にあったと考えます。つまり「選手の配置・バランス」の再構築です。もしくは、ボール保持を前提としない場面での「ボールの奪い方」に目を向けても良かったかもしれません。正直に言って、この部分に手を加えることは、少なくとも風間氏がピッチ上に思い描く理想とはかけ離れる事になりますが、仕方ないでしょう。解任と受け止めれば。

保有する戦力、これまで志向してきたフットボール。シーズン途中での監督交代にあたり、残された選手たちに何ができ、またハレーションを起こさないためにどうすべきか。

彼らが徹底的に磨いてきたものは技術です。それは相手コートで主体的にフットボールを試みる上での手段であり、その強みを活かさない手はない。また相手を一瞬で外す、ボールを奪われた際の即時奪回を主眼に置いたフィジカル作りをしていたことも考慮すべき点。それらを踏まえると、風間体制時の最大の問題点である、「相手を崩しきれなかった際に起きる現象」に対して、チームのコンセプト(相手コートを支配する)を変えぬままどう修正するかが、最も彼の遺産を継承し、且つ改善が見込めるプランではなかったでしょうか。

ちなみに余談ではありますが、それを突き詰め今結果を残しているのが川崎です。流動性を担保する技術の徹底的な追求。そんな風間氏の哲学が失われた時点で、もはや彼の路線を正統に継続しているとは言い難いものの、いいとこ取りで手堅いチームを作り上げたご褒美がリーグ2連覇、そしてルヴァン杯獲得だったと考えれば、それは決して否定されるものではありません。一言で言えば、「風間八宏が作り上げたものから、ロマンを取り除いたフットボール」です。

文脈なきマッシモの改革

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さて、名古屋はその後、ご存知の通りそのバトンをマッシモフィッカデンティに託すこととなります。意図して彼に託したのか、はたまたシーズン途中で風間氏のコンセプトを引き継げる監督が不在だったのか。それは分かりかねますが、彼が今チームに施していることが、風間体制時とは対極にあることを、我々はこの4試合で知ることとなりました。

まずチームのベース(コンセプト)は相手コートを前提としたボール保持から、自陣低い位置でのブロック形成、そこからの鋭いカウンターへと移行しました。その結果、選手に求められる能力も、洗練された技術や瞬間的な速さ(アジリティ)ではなく、守備時における戦術理解力、低い位置からカウンターを仕掛ける為のスプリント力、ハーフコートではなくフルコートを想定した圧倒的な持久力へと変化。その分攻撃は個人能力に依存し、足元の宮原から一撃必殺のクロスがある太田が重宝されたのが顕著な例として挙げられます。

コンセプトが極端に変わり、問題点も生まれます。

まず一つは保有する戦力と、マッシモが求めるコンセプトの隔たりです。就任後、マッシモが選手たちに強く求めている要素が「相手ゴールをいかに速く無駄なく陥れるか」であることは言うまでもありません。しかしロングスプリントを得意とする相馬やマテウスを、皮肉なことに彼の就任直前に他クラブに放出。残った面々の特徴を見ると、風間体制時のコンセプトであるハーフコート、つまり狭いエリアでのプレーを得意とする選手ばかりが手元には残りました。

また、ボールを丁寧に繋ぐこと(簡単にロストしないこと)、近くの選手にボールをつけながらしっかりボール保持することを課していた風間氏の教えが、マッシモの足枷にもなっています。つまり出来るだけ少ないタッチ数で相手ゴール前まで迫りたいマッシモのフットボールにおいて、相手陣地を占領する為のボール保持に拘った風間氏のやり方、それが染みついた選手たちの思考、クセを消去する作業が、新たなコンセプトの浸透を阻害する原因となっています。

そしてゲーム体力の問題。ボール保持とそこからの崩し、その上での即時奪回をベースに瞬発力の向上に拘った風間体制から、ボール非保持を前提とした守備、そこからのカウンターをベースにした体力とスプリント力に拘るマッシモへの移行は、結果的にシーズンオフにやるべきフィジカル作りを、このシーズン終盤に行う状況に追いやったとも言えます。

つまりこれまで書いてきた変化は、どれも本来であればシーズンオフに行うチームのベース作りの部分であり、現在の名古屋は残り8試合の段階で、この正反対のコンセプトを、あろうことか決してそれを得意としていない選手達に浸透するよう要求し、且つ目の前の対戦相手の対策も同時に施している状況だということです。これが、我々の現実です。

残り4試合と、シーズン後の行末

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マッシモのフットボールへの好みは人それぞれあるはずです。とはいえその変化をマッシモ一人の責任として押しつけることは出来ません。彼のフットボールを求めたのは他でもない名古屋です。彼のやり方で残留を求めた以上、現状の結果はともかく、ピッチ上の変化に対し文句を言うのはお門違いです。誰より苦労しているのはマッシモ自身なのだから。

ただこれまで書いた通り、我々は理解する必要があります。今このチームで起きていることは、決してこれまでの継続や発展ではないことを。マッシモがチームに求めていることは、これまで積み上げたものを「破壊」することです。進化ではなく、生まれ変わることを求めている。この点は、共に戦う上で念頭に置かなければならないと考えます。

破壊するのは構いません。それを求めたのはフロントです。「止める蹴る」、一見するとスタンダードの追求のようで、その活かし方は相当に特殊であった風間体制。

日本人の持っている献身性や規律を技術と照らし合わせた時にそのフレームの中で仕事が出来れば、相手のシステムなんて壊せる。だから監督はこれをグランパスで証明したいと。(中略)日本サッカー界にメッセージを伝えていく 引用元:フットボール批評issue24

オンリーワンの道を貫く、そう信じさせるには十分だった大森スポーツダイレクターの言葉。この方向性を愚直に継続するか、よりグローバルな方向に進化させるか、はたまた特殊が故に失敗を認め、綺麗さっぱり消し去るか。

道は3つしかなく、我々は消し去ることを選びました。

だからこそ今願うのは、マッシモのフットボールが残り4試合で結果が伴うレベルまで昇華すること。マッシモからすれば、自身の理想などまだ全く反映されていない、そう考えているでしょう。いや、そうであってもらわなければ困る。

はっきり述べます。札幌戦のような、ただ相手に合わせるだけの腰がひけたフットボールが理想では困るんです。本来であれば4発叩き込んで捻り潰した相手に、誰が好き好んであんなものを受け入れなければならないのか。理想も、哲学も、意志もないフットボールの先に結果も用意されていなければ、残るものは虚しさだけ、です。仮に来季以降もこの体制を維持するのならば、カウンターを磨きに磨くのはマストです。我々が驚くほどに洗練された守備に磨き上げるべきだ。ボール保持が前提でも、非保持が前提でも、どちらが正しいわけでもありません。そんなものは好みでしかない。非保持を追求するのなら、同時に相手が恐れるだけの武器も磨くべきです。武器のない、いや、意志のないチームに魅力はない。この数ヶ月で、名古屋からフットボール談議が失われつつあります。あれだけ賛否両論あった風間体制において、理想のフットボール、理想の名古屋を語り合う声が絶えなかったのは何故か。そのフットボールに意志があったからです。伝わるものがあったからです。語れないフットボールなんて、クソだ。結果だけの追求は、後4試合で終わりです。

また忘れてならないのはアカデミーの存在です。技術をベースとした圧倒的な攻撃的フットボールで、今我々のユースが下の世代を席巻しています。トップはトップ、もっといえばアカデミーはアカデミーだと割り切った道を進むのか、アカデミーの存在意義に立ち返り、トップとの連携をこれまで通り重視するのか。認識すべきは、もはやトップとアカデミーで完全に別のフットボールを志向している事実です。

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ここまでの大鉈を振るって落ちるわけにはいきません。何故なら我々はこの2年半の積み上げを捨ててでも、「残留」その結果だけを追い求める事に決めたのだから。マッシモ体制を継続するにも、もう一度ボール保持の道を模索するにも、やり直すためにはもはや残るしか道はない。自覚すべきです。次の降格は、もうやり直しは意味しないのだと。

残留、その事実だけが唯一、我々と未来を繋ぐ希望です。

今こそ「スクラム」のように

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その目にどう映るかは、そのときの気持ち次第。

マッシモ体制での初陣となった広島戦。そしてホームでの大分戦。個人的なことをお話しすると、まさに目の前の現実と、それを受け止める己の気持ちで葛藤した二試合でした。

突然に迎えた風間体制の終焉。登っていた梯子を外されたようで、どう今のチームと向き合えばいいか、そんな迷路に急に迷い込んだ気分とでも言いましょうか。なんだかんだ応援する気持ちは変わらないのに、正直に言えば、どこかで素直に応援出来ない自分もいて。率直に、複雑でした、とても。

今回は、そんなことを少し振り返ろうと思います。

喪失感の理由は、監督にあったのか

風間八宏に「契約解除」という名の解任劇が起きてからというもの、それはもう様々な方とお話しをしました。同じようなスタンスで応援してきた方は、先日の一連の出来事に対し当然似た意見を持っていたし、風間八宏自体には否定的な意見だった方も、不思議と今は似通った感想を抱いていたり。

彼が解任されて今日に至るまでに改めて確信したんです。この行き場のない感情は、決して風間八宏の解任だけが全てではない、と。彼一人に想いを乗せていたわけではなかった。彼は僕がこのクラブに抱いていた希望の、あくまで「監督」の立ち位置、役割を担う人物で、それ以上にはなり得ません。では結局その「希望」が何だったのかと言えば、三シーズン前に降格し、そこから生まれ変わろうとするクラブに抱いたあの想い、だったんだと。もう一度作り上げよう、そんなあの新鮮な空気感。あれこそがまさに希望そのものだった。その空気が不穏なものになりつつあると自覚したその事実こそが、この行き場のない感情の正体ではないか。彼が解任されてからのこの数週間は、それを痛感する日々でした。

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思い起こせば、考えうる中でも最悪の落ち方をしたあのシーズン。クラブの内部事情は散々で、チームは半ば解散寸前のような形で解体。僕にとってあの降格で残ったものは「虚しさ」だけでした。やりきれない想い、あの何とも重苦しい閉塞感。そこから毎日繰り返した自問自答。「やっぱり俺はこのクラブ以外応援出来ないんだ」そう自覚したとき、クラブは動き始めた。社長が変わり、監督に風間八宏が就任。佐藤寿人が加入し、玉田圭司が帰ってきた。楢さんが、泰士が残留した。自身の気持ちに呼応するように、クラブも「一からやり直すんだ」そんな意思表示をしているようで、新体制初日の練習場でその空気を肌で感じたときに確信したんです。このチームは、生まれ変わると。それ以降、僕自身もTwitterを始め、ブログまで書き始める始末。「作っている」この実感が、なにより幸せだったんですね。そのベクトルはチームも、それこそ僕のような存在でも同じでした。賛否両論あっても風間八宏フットボールを全面的に理解しようと思えたのは、彼自身の哲学である「唯一無二のものを作る」この想いが、あの頃の我々のクラブにはぴったりだと思えたからです。目の前にあるものではなくて、半歩先、一歩先、二歩先....見えないものに向かって皆で突き進む感覚に、僕は希望とか未来みたいなものを感じていたんだと思います。

「速さ」の定義が変わり、自覚した現実

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その文脈においていえば、もちろん風間体制が終焉を迎えた事実は残念です。ただ一方で考えてみると、そもそも順調にいってもこの体制は今シーズン限りで終わっていた可能性もあります。丸三年、それがずっと続くものではないことくらい重々承知していました。その前提でいえば、半年早いか遅いかの違い。だから最初に「梯子を外された」と表現したのは、決して風間体制が終わった事実を指しているわけではありません。その終わり方、が歯痒かった。

より速くなりますよね。今日の練習を見ていても、やはり速い攻撃にはなっていくし、グランパスのサッカーでここのところ低調だったところは、スピードも上がらない、遅くてフィニッシュまでいけない、無駄なボール回しも多かった

風間八宏の契約解除、そして後任となるマッシモの初日練習を終えインタビューに答えた大森スポーツダイレクター。この言葉を目にした時、「風間体制が終わった」そんなありふれた監督人事の話ではなく、このクラブがあの日から積み上げてきたものを否定されたような、その夢の終わりを否が応でも突きつけられた気がしました。もう終わったんだ、と。

何故なら我々にとっての「速さ」とは、スペースを使わず、相手を剥がし、正確に速くボールを届ける技術のことであったはずだから。決してスペースありきのカウンターの速さではなかったはず。梯子を外されたとは、家を建てる中で、その完成を見ることなく工事の中止を告げられた感覚を覚えたからです。まあ、全ては勝てなかったから悪いんだ。

感傷に浸る間もなく、マッシモ体制はスタートしました。広島戦と大分戦の二試合、皆さんはどんな感想を抱いたでしょうか。僕個人としては、少なくともチームが表現しようとしていることに、もはや「風間色」の気配は感じませんでした。たった二試合で、それは殆ど失われた。ただプレーするのは選手だから、時折、崩しの局面であったり、パス交換での選手間の関係性においてはその香りも感じるんです。それはただひたすらに選手にフォーカスする監督だったからこそ残すことが出来た遺産。選手達に与えられた型自体はもはや全くの別物でも、ボールを持ったときに選手と選手を繋ぐ技術や感性の中に、紛れもなくそれは生きていると感じます。

今、マッシモが全精力をあげて取り組んでいることも、試合中の采配も、やはりこれまでとは全く違います。正反対、そう言ってもいい。ただマッシモはマッシモであり、それが風間八宏と同じである必要性は全くありません。とはいえチームの方向性の観点で、これまでの文脈が殆ど感じられないことに、我々は別の道を歩きだしたんだと改めて自覚させられる。案の定、マッシモの言葉は象徴的でした。

私が就任する前に16試合で勝ち点を「11」しか獲得していなかった状況でしたので、「こういうサッカーをやりたい」という理想を言っている場合ではないと選手には伝えています。(中略)今は勝ち点を積み上げることでチームとしてやりたいことにフォーカスをする。とにかく泥臭いサッカーになったとしても、勝ち点を獲得することにこだわらなければいけない。瞬間瞬間で「こういう試合をしたい」ではなく「こういう試合をするべき」と状況を読んで判断しようと

今更書くまでもなく、僕は「ただ目の前の試合に勝てばいい」、そんな風に思えるタチではありません。あのとき絶望を味わったからこそ、新たにこのクラブが紡ぎだしたストーリーに惹かれていたし、それがどんなフットボールでも最大限の支持と、応援、そして夢を見ていました。マッシモのこの発言は至極真っ当で、それに対して文句なんて何もない。だけれども、おそらく多くのファミリーがここ数年、心を動かされていた最大の要因はこの「理想」なんです。だから、チームを強化する大森スポーツダイレクターに始まり、現場を指揮するマッシモと、その文脈を真っ向から否定するようなその言葉に、これが現実なんだと感じざるを得なかった。皮肉にも、彼らの目はしっかり揃っていました。

「与えられる側」から「与える側」へ

ただあれから少しだけ時間が経ち、改めて現実に目を向け、今のありのままの姿を理解したいと思う自分がいるのも事実です。恥ずかしい話ですが、今回ばかりは結構ショックでした。あからさまに落ち込むことはなくとも、時折「あぁ監督代わったんだよな」「あのまま進んでいたら、果たしてどうなっていたんだろう」なんて。それだけの期待値と、この約二年半、いや降格したシーズンも含めれば約三年半の間で起こったストーリーに心を動かされた一人だったから。鼻で笑われるようなぶっ飛んだフットボールも、この期に及んで理想ばかり振りかざす言葉の数々も、これらの月日で起きていたことは紛れもなく我々だけのストーリーでした。だから、その日々は楽しく、そしてなにより誇らしかった。

2016年シーズンのあの最終節、湘南に敗れ降格が決定した瑞穂のスタンドに、希望の光などなかったように思います。

あれから約二年半。

フロントと現場が我々に与えてくれたもの。それはスタジアムに来る醍醐味であり、ピッチ上から感じられる興奮や喜び、なにより楽しさ、ではなかったでしょうか。風間さんの最大の功績も、やはりここにあったように思います。

別れた彼女を惜しむような女々しい話はこれで最後。仮にそのストーリーがここで幕を閉じようとも、クラブの歴史は続いていきます。そんなとき、ふと考えることがありました。我々はただの傍観者にしか成り得ないのか。「我々がクラブに与えられるもの」は何もないのか、と。

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話は逸れますが、最近ラグビーのワールドカップが盛り上がっています。恥ずかしながらルールは全く分かりませんが、その中でもとりわけ「スクラム」が印象的です。チームスポーツが強調されるラグビーにおいて、このプレーほど「チーム力」や「仲間の存在」を感じられる場面はありません。こじつけだと思われるかもしれませんが、あのスクラムにおけるフォワードとバックスの関係性は、我々でいう選手とサポーターの関係性にも当てはまる気がします。

「選手達」バックス陣が前に進めるように、我々「サポーター(ここではそう呼ぶこととします)」が身体を張って道を開く。もちろん試合の見方は様々で、ゴール裏で声をあげ、ともに戦おうとする人達もいれば、例えば僕のように指定席で座って応援している人達もいます。いくらスクラムといえ、それぞれが担えるポジションはあるでしょう。ただそのポジションこそ違えど、応援する、戦う想いが同じならそれはもうスクラムの一員ではないでしょうか。そのスクラムが一人でも多く繋がれば、チームがどれだけ揺らごうとも、そのパワーだけは絶対に揺るぎない。どれだけ後ろから走り込む選手達が変わろうとも、我々がこのクラブを応援し、ともに戦う限りは、少なくともスクラムを組むこのフォワード陣だけは不変である。大袈裟な例えですが、「クラブとともに歩む」とは、「クラブの歴史とともに歩む」と同義であり、我々サポーターがそんな存在であれば、クラブの魅力は損なわれないのではないか。そう感じました。常にそこにあるのはマスコットだけではありません。我々も同様です。

あえてこう表現したい。『脱』風間八宏、と

おそらく、この約二年半における名古屋グランパスのブランドは「風間八宏」でした(異論はあるかもしれませんが)。名古屋に加入した選手達は、この場所を選ぶ理由として口々に彼の名を挙げていたのは事実です。その彼が我々に残したものがあるとすれば。それは今の瑞穂や豊スタのあの「一体感」ではないでしょうか。だからこそ試されている気がしたんです。彼がいなくとも、次は我々名古屋を応援する者達がブランドになる時ではないかと。「あのスタジアムでプレーしたい」そう思ってもらえるような場所の一員として。

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我々の目標は、まずは目先の結果といえる「残留」に変わりました。例えそこに派手さが失われても、ロマンがなくとも、こうなればしがみついてでも残留を勝ち取りたい。次にもし落ちることがあれば、それこそこれまでのピッチ上の遺産は、選手流出という形で今度こそ全て失われます。これまでの歩みを無駄にしないためには、我々はこのステージに残らなければいけない。絶対に、です。そのために、マッシモはマッシモのやり方でこのチームを鍛え直しています。その行為を否定するつもりなど一切ありません。このクラブのために必死なのは、彼もまた同じなのだから。

そして最後に。もし少しだけ未来に目を向けることが許されるならば、どうか現在のアカデミーとトップチームの連携だけはクラブの財産として大切にして欲しい。結果、そしてスタイル。この数年間、積み上げてきたのは決してトップチームだけではありません。先日、成瀬がこうインタビューに答えています。「僕は前のチームのコンセプトが、ユースからも染みついていたものでした」と。アカデミーの位置付け、トップチームとの融合。この点だけは、トップチームの方針に左右されることなく、「クラブの文化」として、その役割をしっかり定義して欲しい。どう選手を育て、どうトップチームに繋げるのか。彼らが示し続けるその結果に、クラブは真摯に向き合う必要があるのではないでしょうか。「クラブの文化」に成り得る、そこまで昇華出来る可能性でいえば、今ポールポジションにいるのは、他でもない彼らです。

与えられる側から、与える側へ。貫きましょう。

風間八宏「契約解除」

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この記事の内容が確かだとするなら、7月20日豊田スタジアムでのG大阪戦。あの等々力でみせたスペクタクルな試合を経て、そこから1分6敗の大ブレーキで迎えた試合でしたね。


【公式】ゴール動画:宇佐美 貴史(G大阪)90+1分 名古屋グランパスvsガンバ大阪 明治安田生命J1リーグ 第20節 2019/7/20

最後の最後、90分+1分。誰もが勝利を確信していたあのロスタイム。宇佐美にヘディングを叩き込まれ、8試合ぶりの勝利を逃した瞬間、風間監督の解任が水面下で決定し、それを小西社長が覆したということになります。

そこから起きたことを時系列にあげてみましょう。

加入が2名(この文脈で隼平の復帰を含めていいかは疑問ですが)。名古屋を離れた選手が6名。一方で太田宏介の加入が7月2日。柿谷曜一朗の獲得報道が出たのが7月4日。山田康太の獲得に動いたのが8月10日の横浜vs鹿島戦後と言われていますから、おそらく小林裕紀の移籍が決定的となり、米本拓司の長期離脱と相まって、急遽獲得に動いた(マテウスの交渉に絡めた)と考えるのが自然ではないでしょうか。

つまり、おそらくですがこの7月20日に至る二週間前まで、名古屋の強化部はあくまで「風間八宏ありき」でチーム強化に走り、この試合以降、完全にその動きがストップした。一方で例年同様、チーム内競争で出番を失っていた選手達は続々とこのチームを去りました。この日を境に、チームのサイクルが完全に狂い出したことは紛れもない事実でしょう。

崩壊した「フロントと現場の関係性」

その極端なまでに攻撃偏重なフットボールで賛否両論尽きない風間監督ですが、彼のチームにおける最も肝となる部分は「チーム内の競争力」であると感じます。

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この2年半におけるシーズンの戦い方を振り返っても、怪我人も含めシーズン前半で各選手の目がばらつき始めたところを、夏前の補強期間を経て整えていくのが彼の特徴です。ともすれば「補強頼りだ」と言われる彼のチーム作りですが、実際に彼のチームにとって欠かすことの出来ない要素であることは事実であり、一度グッと沈んだチームをジャンプアップさせる起爆剤となるのがこの補強戦略です。

ではその彼のチーム作りを一体何が担保してくれるのか。勿論それを理解し協力を惜しまない「フロント」となります。つまりそんな彼の特異な手法を全面的にサポートした小西社長。彼のフットボール観を誰よりも理解し、そのチーム作りのブレインとして奔走した大森スポーツダイレクター。この縦のラインが同じ目線を持ってクラブを改革しようと手を取り合ったのが降格した2年半前であり、そのサイクルが機能した結果が一年でのJ1昇格、そして昨年の残留劇でした。

このクラブの屋台骨ともいえる三人のラインが、結果としてあの7月20日を持って狂い始めた。これが今回の結末を迎えた主たる原因でしょう。報道を上辺だけで受け取れば、大森スポーツダイレクターが寝返ったように写ります。ただ今年の新体制発表会を思い返しても、この2年半における最大の補強は風間八宏であると、その価値を誰よりも高く評価していた張本人が他でもない大森スポーツダイレクターであったことを思うと、そんな単純な話ではないでしょう。ましてや後半戦に向け、補強に動いていた時期からたった2週間でこれほど極端に動きが変わるとは、なんとも不可解でなりません。

さて一方で今回の解任劇、風間監督には非がなかったのか。

唯一、最後まで「貫き通した」男の功罪

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このプロジェクトを守るために小西社長が二カ月延命したのだとすれば、風間監督に何より求められたのは「結果」でした。ただし彼は「風間八宏」です。目先の結果を求めるために彼のやり方を変える行為は、彼自身のアイデンティティを否定するものでしかない。おそらく、彼のチームにとって欠かすことの出来ないサイクルが崩れ去り、このチームが競争力を失っていたことに誰よりも気づいていたのは、他でもない彼自身だったことでしょう。但し彼は何一つやり方を変えなかった。昨年の苦い残留争いの経験を経て、やっと駒が揃い始めたところでまたしても選手間(レギュラークラスとそれ以外の選手達)の力量差は広がった。絶対に欠かすことの出来ない中盤の心臓(米本拓司)も失ったまま。にも関わらず、彼が他の術を持つことは最後までありませんでした。

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ただ私はそれ自体が間違いだったとは思いません。悔やむことがあるとすれば、前回のブログで指摘した通り、チームへの忠誠心を選手達に植え付けることが出来る監督ではなかったこと。完全な実力主義。例えばどんな立場でも名古屋のためにプレーしたい。ないしはどんな役目だってこのチームの為なら負いたい。そういった選手を育てられませんでした。それがこの状況になって初めて、彼自身の首を絞めつけた。小西社長の期待に応えられるだけの術は、彼一人にはありませんでした。何故なら彼自身が、小西社長、そして大森スポーツダイレクターのバックアップに支えられていたからです。「風間監督に全幅の信頼を置く」、この決断を貫こうとした小西社長にとって、そこが唯一読み違えた部分だったのかもしれませんね。この状況において尚、彼を延命させる行為の見返りは、結果論ではあるものの期待出来なかった。もしそれを理解した上で一縷の望みを託したのだとすれば、それは小西社長の信念に他なりません。何が起きても最後の最後まで貫き続けた、いや、貫くことしか出来なかった風間監督のその姿勢が、最終的には小西社長の貫く決断を折ってしまった。なんとも皮肉な結末であったと感じます。

「スタイルを築く」と「結果を出す」の葛藤

では小西社長の「信念」とは。これは就任当初、グランに掲載された彼のインタビューを引用することとします。

風間監督と話をして、その通りだなと思うのですが、目の前の試合をなんとかやっつけようと思えば、やり方があると思います。ただ、チームが成長していく中で、固める時期、メーカーでいえば標準を作ることは絶対必要です  引用元:月刊グラン No279

つまり彼がどうしても成し得たかったのは、一度降格したこのクラブに「アイデンティティ」を確立させ、揺らぐことのないスタイルを築くことです。もちろんその為に招聘されたのが風間監督です。それが風間監督で良かったのか。この点に関しては様々な意見があると思いますが、少なくともクラブは本気だった。これまで書いた通り、彼を全面的に支持し、そのためのバックアップを怠らなかった。それだけではなく、その血がこのクラブに生き続けるようアカデミーの改革に始まり、東海学園大を含めた地域を巻き込む取組みに発展し始めた。プロジェクトは順調に進んでいるはずでした。

改めて考えても、ある程度のバックアップを必要とする風間監督と、どうしても名古屋のスタイルを確立したいフロント。両者の噛合わせは決して悪くなかったはずです。いや、これ以上ない組合せだった。ただ唯一大きな誤算があったとすれば、それだけの規模で運営されているクラブだからこそ、そこには親会社や沢山のスポンサー企業が存在し、いやが応にも結果が求められる環境であったことです。クラブのアイデンティティが一朝一夕で確立するはずもなく、それなりの時間を要することは容易に想像がつきます。惜しむらくは、あまりにその結果への執着が現場に乏しかったこと。いや、これは風間監督に失礼ですね。彼ほどの負けず嫌いも多くはないでしょう。正確には、彼のやり方ではあまりに即効性が乏しかった。此の期に及んで尚、結果で外野を黙らせる力を持ち得なかった。理想と現実の狭間でどう求められる成果を生み出すか、この術を持ち合わせていなかったのが致命的でした。但し風間監督からすれば、仮にそんな圧力があるならば、まさにそれこそが諸悪の根源だと考えているかもしれません。確かに彼にその大役を任せるのであれば、フロントは何があっても彼を守りきる必要がありました。ではそれが可能だったかと問われれば、少なくとも名古屋では不可能だった。小西社長を持ってしても不可能だと言うのなら、可能だと言えるほど私も世間知らずではありません。

さて、ではこの反省をどう今後に活かしていくか。それは当然ながら「どんな後継者を選択するか」となります。

誰もが予想しえなかった人選

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マッシモフィッカデンティ

おそらくこの2年半の出来事は、クラブ史上最もフロントと現場が一体となって突き進んできた証でした。その文脈で語るとするならば、あれほど風間八宏に拘ってきたクラブが次に白羽の矢を立てた監督が彼である事実は、率直に申し上げて違和感しか残りません。マッシモに問題があるのではなく、このプロジェクトにおいて本当に彼が適任者なのかどうかが問題です。では見方を変えて、「目先の残留」を最優先としたと考えましょう。マッシモがその点で適任者か。昨年、鳥栖が残留争いに巻き込まれ、現在の風間監督同様の立場に追い込まれてしまったのが他でもないマッシモです。「実績」だけで言えば、本来は評価の高い監督ではないはず。さて、彼の名がこのタイミングで挙がったのは本当に小西社長や大森スポーツダイレクターの意向なのか。当然ながら我々は彼等を信じ、支えていくべきですが、同時にこの点に関しては冷静に起きている現実に目を向けるべきだとも感じます。

この2年半、小西社長を始め、大森スポーツダイレクター等、彼らの言動は常に一貫しており、そこへの好みはともかく、全ての決定事項は非常にロジカルに進んでいたと思います。フットボールの好みではなく、私はそんな彼らのプロジェクト、何かを作り上げようとする心意気を最大限支持してきました。一方で、時に不可解な人事があったことも事実です。2018年のオフには前シーズンに昇格の立役者となったチームの顔、田口泰士がこのチームを去りました。今年のシーズン前には、前シーズン奇跡の残留劇の立役者、玉田圭司がまさかの退団に追い込まれた。おそらく、風間八宏が最も評価していたであろうチームの中心人物達であり、そのことは大森スポーツダイレクターが誰より理解していたはずです。

そして今回のマッシモフィッカデンティという人選。どうにも彼らが突き進む道には、定期的に理解し難い人事が起きているような気がしてなりません。但し今回ばかりは、理解することに努めるより、目の前で起きていくことをただ見守るしかなさそうです。我々はこの2年半、目の前で起こるそのフットボールについて様々な意見を汲み交わしてきました。あれだけエッジの効いた監督でしたから、それは荒れに荒れた日々でした。ただ今我々のクラブに起きていることは、果たして純粋にフットボールの観点だけで進められていることなのか。もっともっと根深い問題がそこに潜んでいないか。今回の事の発端は、ファン感謝デーの前夜、マスコミへのリークという形で我々に知れ渡りました。

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案の定、クラブは火消しに走った。おそらく、ファン感謝デーの前日にこのような事態になったことを誰よりも悔やんだのは小西社長ではなかったか。ファミリーに感謝を告げる場で、彼はお詫びせざるえない状況に追い込まれた。翌日の風間監督のイベントも、残念ながら中止の運びとなりました。これが今、我々のクラブに起こっている現実です。

多くのフットボールに関する議論が汲み交わされました。このスタイルを土台とすることが果たして正しいのか、様々な意見がそこにはありました。全てが未来に向けて、我々のあるべき理想の姿を思い描いた声だったように思います。それは、我々のクラブの選んだ道がどんなものであれ、誰しもが「前に進もうとしている」この感覚があったからこそ起きたことです。そして今我々に起きた一連の出来事は、果たして未来に向けたものとなっているのか。後任がマッシモなのか、それともいつの日か話題のベンゲル復帰なんて未来がありえるのか。いや、大切なのは「誰になるか」ではなく、「そこに彼等の信念が残っているか」です。それこそが今、我々に突きつけられた最大の問題ではないでしょうか。

勿論、実際はこの時点でそんなもの既に頓挫し、彼等が思い描いた未来など白紙に戻った可能性もあるでしょう。その場合、我々は以前の名古屋グランパスに戻ることを意味します。継続性とは無縁の、目先の結果のみを追求する集団に。もしかしたらそれがこのクラブにとっては正しい道の可能性もあります。スタイルではなく、とことん強さ、結果を求める。都度都度歩む道が変わったって構わない。そこに「強さを求める」、その信念さえあるのなら。ではそれで豊田スタジアムは満員になるのか。後世に残せるものがあるのか。ここ数年、クラブの観客動員に関する要因は様々な理由が挙げられてきました。どれだけ負けても、スタジアムはいつも満員だった。その現象に彼等フロントと現場が一体となって作り出してきた「未来への希望」がどれほど人の心を動かしていたのか。仮に目先の強さにのみ拘り、しかしチームが勝てなくなった時、そこに観客は動員という形でチームをサポートしてくれるのか。それはこれから分かることです。

我々の乗る船はどこに向かっているんでしょう。今はその行き先を見守りつつ、願わくば残留を果たして欲しい。

見るべき先は、未来ではなく、今に変わったのだから。