みぎブログ

主観で語りますフットボールを。

「スタイルvsとにかく勝て」論争

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最近、徳島ヴォルティス界隈で面白い議論を見つけた。

それは、「徳島が『スペイン路線』にこだわる必要は果たしてあるのか」との問い。徳島を好きな自分とすれば、これを茶化す気などさらさらなく、純粋にいい議論だと思った。いやむしろとても大切な問題提起である。

読んでいると、さまざまな意見を目にした。

そこに魅力を感じていたから今の姿は残念だ

他のクラブとの差別化がこの地には必要だ

そもそもあの時代のフットボールが好きなんだ

いや徳島が勝てるのならスタイル等なんだっていい

どうだろう。めちゃくちゃいい議論だと思いませんか。

自分自身、最近食事を共にした方とまさにこの類の話題になった。「なぜ魅力的なフットボールである必要があるのか」とか、あるいは「勝つことの意義」について。

そもそもだが、ここでいう「魅力的」はどう定義すればいいのか。難しいことに、それもまた多種多様である。パスを繋いでいく、人と人とが有機的に絡みあうフットボールが好みの人(自分だ)もいれば、徹底した堅守に美しさを覚える人だっているだろう。フットボールというスポーツ一つとっても、各々が魅力を感じるポイントは違うわけで、その個人差が面白いなと改めて思う。

つまり結論などでないんですよ....(でんのかい)。意見は割れるの。割れて当たり前。しかも、どれも間違いではないときた。フットボールに、というか応援するクラブに何を求めるかは人それぞれ。だから間違いはない。

そのうえで、まずは自分の感想(結論)から述べてスタートしますが、率直に羨ましい議論だった。(完)

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きっと、「スペイン路線」を支持する人の多くは、もちろん単純に自身の好みもあるのでしょうが、なにより愛するクラブがその路線を歩んでいたことがもはや〝誇り〟だったのだと思うのですよ。誇りであり、自慢。

ピッチ上に何か明確に描きたいもの、理想が感じられ、またそのストーリーを共有できると、語弊を恐れずいえば勝とうが負けようが面白いもの。成長ストーリーを追いかけるのは、一つのクラブをウォッチし続ける醍醐味ですしね。その気持ちは、痛いほど分かる。分かるよ。

そもそもの話、クラブが推し進めてきた野望が、それほどまでにファンサポーターに受け入れられる、あるいはクラブのアイデンティティにまで昇華すること自体、相当稀有だ。例えばね、「貴方のクラブの特徴はなんですか」と聞かれた際に、端的に即答でき、かつ、それで相手に納得感を抱かせる答えを持った人って、果たしてどれくらいいるだろうか。え、お前は自信あるかって?

ないです(そこ即答)。おそらく、皆そうでしょうよ。

先日、名古屋で飲み会やりましたけどね。「名古屋といえば」なんて自分たちでお題を出して、「んー....しいていえばゴールキーパーだな」で皆納得です(おい)。

まあそれは半分冗談だとしても、クラブのイメージやスタイルを他サポまで共有できているのは稀有なことで。

ただ、その裏返しできっとしんどさもあると思うんだ。

そこまで強い自負があると、その路線から外れたときの反動もきっと大きいはずだから。ハシゴを外されたようで、どうしても納得できない。食わず嫌いではないけれど、他(の道)が受け入れられない。もちろん、そこまでの夢や理想を提示できたという点において、当時のクラブが推し進めたことは評価に値するでしょう。しかしながら、皮肉にも「だからこそ」罪深さも感じる次第。

ただ、ずーっと同じ道を辿るのって、相当な難度だ。結局、監督が代われば志向も変わるし、似たような監督(かつ、招聘できる人材)が果たして何人いるのかと。

手前味噌ですけどね、私なんかは風間八宏からマッシモフィッカデンティにバトンが渡った瞬間に、もはや悟りの境地に達しましたよ。誰だよそのリレーの走者と順番決めたやつは。お?大森さんかそうかそうか(脱線)。

畜生!我々の思い通りになんてこれっぽっちも進まねえ!だから、いまはむしろ「変わっていく様、その歴史を観察する生き証人」と自分自身を捉えた方が、「俺はこの時代のクラブを見続けたきたぞ!」と、なんだか価値を持つ気すらしているから諦めの慣れは恐ろしい。

そう考えると、むしろ「変わること」は当然なのか。

しかしながら、「どう変わるか」、いや「どう変わっていけるか」の道中が大きなキモだとも思うわけです。

そうだ、今季はサガン鳥栖のことで揉めましてね....。

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志はあるのだけれど、負けっぱなしのチーム。結果が一向に伴わず、一部の層からは散々な叩かれようだった。

でも、結果は結果として、評価できるポイントはある。全てをなかったことにするのではなく、そこは是々非々で語らないかと。そんな気持ちで、ある日「ポジティブ」な側面に言及したところ、意図せず一部のコア層の気持ちを逆撫でしてしまい、軽い炎上騒動に発展。それはもう....ボコボコに言われました。「所詮は他サポ」「俺たちの歴史を知らない奴が偉そうに語るな」と。

今思うと、ある面においてはその通りなんですよね。

その通りというのは、ここでキレた方々にとって、当時の鳥栖の姿は「自分たちの誇り」がきっと許さなかったのだと感じていて。自分たちの(というより「監督の」)理想ばかりで、目の前の相手に対してやれることを全てやっていない。やりきれていない。泥臭く走ってぶつかり、目の前の一戦に全てを賭ける姿勢。別に華麗じゃなくたっていい。出来ないことに固執するな。今出来ることを全力でやれ。きっとそういう姿こそが、彼らが築いてきた「鳥栖の誇り」だったはず。そうやって、あの舞台に必死にしがみついてきた強い自負がある。そして、その一つの象徴が「アカデミー」でもあった。

だからこそ、きっと(毎度同じような姿で無様にやられるチームには)納得がいかなかったのだろうし、認められなかったのではないか。残念なことに、アカデミー卒の選手たちも多くがレンタルされていた。ゆえに、あのチームを先導した者も、あるいは、どういう形であれ、当時の監督やチームを肯定した私に対しても、その〝誇り〟が決して許さなかったのだろうと思うのだ。

「変わろうとする」鳥栖の志に惹かれ、応援したいと感じていた自分のような者に対し、「変わってしまった」鳥栖を許せなかった人たちがいた。いや、違うな。その「変わり方」に納得が出来なかった人たちがいたのだ。

それはそれで、決して間違ってはいないし尊重すべきだと思う。それだけの〝愛〟や〝誇り〟がそこにはある。

そしてシーズンが終わる今、改めてこう思うのだ。

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異なることをやるのなら、あるいは、築いてきた文化を上書きするほどのロマンをそこに描こうとするのなら、やっぱり『勝たなきゃ』駄目なのだと。勝って、黙らせないといけない。勝って、認めさせないといけない。

もちろんどのクラブも優勝目指せなんて意味ではない。

愛するクラブが勝てばなんでもいいって人も、その路線は納得いかねーぞって人も、あるいはその路線を支持するからこそ「続いて欲しい」と願う人のためにも、やはりクラブの規模ごとでの納得感ある結果は必要なのだ。勝つことで、それを積み重ねることで、きっと新しい文化はそこに築かれるのだと自分は思う。勝てない理想は、認められない。〝誇り〟が、それを許さないのだ。

せめて、それが〝文化〟になるまでは。その地の〝誇り〟となるまでは。皆が納得できるだけの〝結果〟を。

「勝つこと」の意義は、きっとそんなところにもある。

難しい。だって、そういった「目先の勝敗」だけを追求した過去から脱皮しようと試みたのが、ここ数年の鳥栖だったと自分は思うから。しかし、皮肉にもその〝志〟が一部のファンサポーターの〝誇り〟と摩擦を起こし、結果的にその「目先の勝敗」が運命を決めたのだ。

これは、今季の鳥栖に限らず、振り返れば風間時代の名古屋グランパスだって同じだった。勝てないから、終わったのだ。そこは、なんら変わらない真理だと思う。

この文脈をもって、話を冒頭の徳島の話題に戻そう。

あれは、詰まるところ勝つための「手段」の話ともいえるわけで、互いの主張において共通しているのは「なんにしたって今の体制じゃ勝てねーよ」そんな嘆きなのかもしれない(元も子もないが)。そもそも、お互いが納得していないもんね。そこのコンセンサスは取れてる。

スタイルも失った。しかし勝つことも出来ていない。たしかに、これはシンドイぜおい(なあ徳島界隈よ)。

でも矛盾するようだが一つだけ強く主張させてほしい。

自分は「勝ちゃなんでもいい」なんて発想は、愛するクラブを持った人だけがいえる特権でしかないとも思う。

自分のような人間が徳島や鳥栖に興味を抱けたのは、彼らのフットボールから「目指したい理想」や「揺らぐことのない哲学」を感じたからに他ならない。それがその地に縁もゆかりもない私の目を奪い、そして虜にした。

だからこそ、ぶり返すが鳥栖のことは悔しかったんよ。

「所詮は他サポだろ」も「お前は俺たちの歴史を知らないだろ」もさ、くっそ全部その通りじゃねえかって。 ひとつも否定できない。「そのフットボールが好きなだけで、鳥栖のことが好きで応援しているわけではない」みたいなさ、「私たちの大切なもの(このテリトリー)にもう触れないで、踏み込まないで」と。そんな『絶対に超えられない境界線』を引かれて。畜生。悔しかった。

だって、所詮は「余所者」だもん。そこは否定できん。

惹かれていたストーリーが潰えたとき、「地元」として無条件に応援できるだけの必然性、あるいはそこに関連した様々な動機があった人たちに対して、自分とそのクラブを結んでいたものは、結局その「ストーリー」しかないのか。探しても探しても、その地に縁もゆかりもない自分には、明確な『応援する理由』がないのか、と。

でもさ、それって裏返して考えたら凄いことなんだよ。

その地に縁もゆかりもない、普通に暮らしていたら「絶対に」接点を持つことがなかったであろう人間が、ピッチにあるフットボールたったそれだけで好きになってしまう。その地で応援する人たちと繋がり、喜びをともに共有できる。見方を変えれば奇跡だよそんなことは。

そうだ、せっかくだから恥ずかしい話をひとつします。

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グランパスが降格した年、目にもしたくないような報道に毎日晒される中、一瞬、「もう他のクラブ応援しようかな」って本気で考えたことがあって。そうなれたら、どれだけ楽だろうと。情けないけど、そう思った。

でも、結局は無理で。考えたよ。岐阜はどうだろうとか、いっそ名古屋勢が多数移籍した京都はどうだとか。でも、無理だった。好きになろうと思って好きになるのは、自分には出来なかった。でも、面白いものでそれが分かった途端、名古屋への愛が一段と強まってね。不思議なものです。ただ、普通はきっとそういうものなのだと思う。「好きになる」ことは簡単じゃない。それは、ともすれば「地元」であろうと同じかもしれなくて。

だからこそ、「自然と好きにさせる」のは凄い。尊い

フットボールの内容でも、応援の格好良さでもいい。

もともとそのクラブを好きな人や、その地に縁がある人以外を巻き込むには、「ただ勝つだけ」では足りない。

そんな魅力や志(こころざし)をもったクラブが一つでも増えたらいいなと、自分のような「フットボール愛」で動いている人間は本気で思うのです。そして、そのサクセスストーリーがいつか成功して欲しい。自分がこれまで惹かれたクラブのファンサポーターは、どこもその道中(過程)を嬉しそうに、そして自慢げに語っていたから。その空気感が「楽しそう」だと他者に伝わり、自分のような余所者が導かれていく。それ最高じゃんね。

ファンサポーターが増える循環は、絶対コレ、なのだ。楽しそうな場所に人は集まる。縁もゆかりもなかろうと。そういう〝誇り〟こそが眩く、自分は羨ましい。

徳島も鳥栖も、自分にとっては今も大切なクラブだ。

余所者だけど、出逢えたことに感謝してます。ずっと、魅力的なクラブであって欲しいと願ってやみません。

それぞれの地で、来季もともに楽しみましょうね。

とりあえず徳島界隈元気出してこーぜ(枯れた声で)。

負けたものなど誰もいない

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駄目だ。あまりにも疲れた。

行きは雨の影響で新幹線が新横浜で停まり、大雨の中戦ったルヴァン杯の決勝は、信じられないような緊迫感のまま120分を戦い抜いた。試合が終わり、スタジアムの外で仲間と会ったときには、大雨と寒さに加え、まるで選手たちかの如く戦い抜いて疲れきったサポーターの姿があった。そして今、このブログは(またも雨の影響により)2時間以上閉じ込められた品川駅で書いている。

今日は、何度も心が折れそうになった。

リードしてもリードしてもアルビレックス新潟は喰らいつく。これで勝った!と思っても、諦めることなく試合を振りだしに戻すのだ。頼む、勝たせてくれよ。俺たちの邪魔すんな。俺さ、妻の逆鱗に触れてでも家を飛び出してきたんだって。昨晩は子供が大泣きだった。「パパなんで!?パパも婆ちゃん家行こうよ!パパだけ行かないのおかしいじゃん」。そう、私に呆れた妻は子どもを連れて実家に帰った(家を出て行ったわけではない)。

試合前は、決勝戦って最高だと浮かれていてさ。

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どちらにも優勝のチャンスがあり、希望に胸踊らせて。家出するみたいに自分たちの住み馴れた地を飛び出すあの光景(繰り返すが妻は家を飛び出してはいない)。X(sns)で朝の新潟の様子も見ましたよ。何アレ?街ごと移動する勢いで正直怖かったです。でもね、名古屋駅名古屋グランパスのファンサポーターでいっぱいだったんだから(負けじと)。あんな光景さ、やっぱり「決勝戦」じゃなきゃ見られないじゃん。お互いがお互いの街から繰り出していくあの希望に満ちた朝だけは。

でも、試合が進むにつれ、心境は変わっていた。

「これ、負けて帰るのだけは絶対嫌だ」と。負けたら何も報われないじゃんって。そんなの辛すぎるよ。。。

あんなに希望しかなかったのに。こんなに(家庭の)リスクも取ったのに。いつまで試合やんの?選手たちが頑張ってくれてさ、前半で2点も取ったのに。なんで!?なんで新潟は気持ちよく帰らせてくれないの?

絶望しろよ....永井謙佑のことトラウマになっただろ?

諦めろよいい加減....。なんでそんな頑張れんだよ。

試合終了まであと数分。中山克広がファウルを犯し、新潟の小見洋太がPKを決めたとき、スタジアムが新潟のファンサポーターの声で揺れていた。それは地鳴りのような圧倒的な歓声で、スタジアム中が新潟の味方のように思えた。あと数分、あとワンプレーだったのに....。

延長戦。一生悔いに残るようなプレーをしてしまった感のあった中山だが、ここで起死回生の一発をぶち込む。

よっしゃあああ!!!!これでさっきのはチャラや。健太の采配ミスとか2回くらい言ってほんとごめん!(懺悔)これでええ。お互いによくやったと讃えつつ、それでも俺たちが気持ちよく帰れるやろ。そう思えた。

しかし信じられないことにまたも新潟が喰らいつく。

嘘だろ....また小見だよ。もういいじゃん。寒いし長いしもう帰らせてくれよ....手ぶらで帰りたくないんだって。

俺ね、「相手が新潟さんで良かったな」って試合前からずっと思っていて。この決勝戦をほんと楽しんでいて、ファンサポーターどころか、もはやこの決勝戦が街の一大事みたいでさ。同じファンサポーターとして、その気持ちがなんかめちゃくちゃよく分かるなあって。あまりにもその様が素敵だから、「ああこのクラブが決勝戦の相手でほんと良かったな」って。心からそう思って。

「俺たちさ、自分たちの人生にフットボールがあって良かったよね!」って。なんか真面目に思ってて。

でね、不思議と延長戦あたりから、新潟の選手たちの姿にもリスペクトし始めてる自分がいて。もちろん勝ちたい。勝ちたいよ。でもさ、これだけお互い素晴らしいゲームをして、負けたら悲しんで帰るって。それなんで?

お互い笑って帰らせてよ....こんな最高のゲームなのに。

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試合は名古屋が勝った。たしかに名古屋が優勝した。

でもね、クサイ言い方にはなるけれど、私は初めて「両チームの選手たち、両クラブのファンサポーター、どちらも負けていない」って、心から思ったんだよ。全員負けてないって。あのスタジアムにいた人たち全員の存在が、今日のゲームを作り上げたんだよって。もちろんそんな綺麗事じゃないって分かってる。でもさ、それでも私は心からそう思う。全員が素晴らしかった。

記録は名古屋の優勝だ。その土産を持って私は帰る。

では、新潟には何も残らなかったのか。手ぶらか?

絶対に違う。新潟の選手たちのプレーも、それを応援する圧倒的な新潟のファンサポーターの声も、あのスタジアムにいた全員がきっと忘れないでしょう。とにかく圧倒的だった。何度もやられると思った。凄まじい「想い」だった。名古屋に決して負けてはいなかった。

だからどうしても伝えたいんだ。

ともに、胸を張って自分たちの街に帰りましょうよ。

長倉幹樹の大粒の涙がビジョンに映ったとき、スタジアム中が拍手をして彼を鼓舞した。新潟のファンサポーターだけでなく、名古屋のファンサポーターも。

あれはさ、励ますためじゃないんだよ。本当に心打たれたから、あのピッチにいた選手全員に感謝していたから、私たちも自然に拍手をしたんだ。これだけのゲームをして、決着がつかなくてさ、それでも敗者を決めるって、「決勝戦」とは、なんと残酷なんだろう。

今日の試合をともに誇りに思いたい。一生語り継がれる、記憶に残るゲームを我々の手で作ったのだと。

新潟の皆さんに、最大級の感謝とリスペクトを。そう、残ったのはリスペクトだけだった。

今日の試合に、敗者は誰もいない。

今日のアルビレックス新潟の姿を、決して忘れない。

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「TT Lounge FM」収録を終えて

あれは休日にマッサージへ行った帰りの出来事。

何気なくXを開く。そこには、「TT Lounge FM」からDMが届いたお知らせが。恐る恐る開封し、とりあえず流し見してそっと閉じる。おいおい嘘だろ。落ち着こう俺。近くのコンビニに入る。パルム(アイスクリーム)を車中で食べながらボーッとしたが、どうにも現実が受け止めきれない。そこから数時間は具合が悪かった。

TT Lounge FM。長らく大好きなPodcastだ。

超がつくヘビーリスナーである自分に届いたお題は、「クラブとサポーターの幸福な関係を考える」だった。

なんとまあ難しいテーマ。だって明確な答えないしさ。しかも番組の構成には「試合後のゴール裏挨拶問題」なる記載もあった。待って俺ゴール裏にいないんだけど。

正直、悩んだが、それでもこのオファーを快諾した。

理由はいくつかある。まず、単純に(例えば身バレ的な)「受けるリスク」より「断る後悔」の方が大きいであろう確信があったこと。前述の通り、このPodcastが大好きだったこと。そして、そもそもこのオファーが届く以前から同様のテーマに自分自身も興味があったこと。と、それらしいことを書いているが、そもそも悩んでいるようで実は結論ありき(受けたいとの想い前提)であることへの自覚があった。あー悩むのやーめた。

そして、ホストである小林祐三(パンゾー)さん、進行役となる井筒陸也さんと話すこととなったのだ。

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Podcast出演のキッカケ

出演の大きなキッカケとなったのは、以下のポストだ。(一応掲載するが長いのでひとまずスクロール推奨で)

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いつものようにTT Lounge FMを聴いていたところ、(それまでのエピソードの流れで)クラブ経営の難しさに話題がとんだ。数ヶ月前にサガン鳥栖のスポーツダイレクターから身を引いた(引かざるを得なかった)パンゾーさんの言葉には、一般論としての立場ではなく、自身が悩み苦しんできた背景がもたらす重みがあった。

これは嘘のない言葉だと、何度も繰り返し聴いた。

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サガン鳥栖のファンサポーターにも、このエピソードを聴いてほしい。まずシンプルにそんな想いをもった。加えて、 自分なりに「パンゾーさんが伝えたかった想い」を考え、言葉にしたいと感じていた。もちろん、このエピソードを受けて「自分がどう思ったか」も大事だと思う。ただ、今の鳥栖には「相手がどう思っていたか」を考えることの方が意味はある(助けになる)はずだと。

ただ、結果としてこのツイートはエピソードを周知する役には立ったものの、「なぜ私がこのツイートをしたのか」という意図までは伝わった自信がない(一部の方からは「すごくスッキリした」とコメントを頂けたが)。

エピソードに対する感想は、意外なものだった。

「だったらもっと(本音を)話して欲しかった」が「自分たちのことを信頼していなかったってことだろ」へ。

あれ....そっち!?マジか、逆に火種作ったかも。。

パンゾーさんが「ファンサポーターのことを想うからこそ取った行動」が、結果として、「ファンサポーターを信頼していないからこその行動」だと受け取られる。

この如何ともしがたい溝が、本当に歯痒かった。

 

現状のサガン鳥栖をどう評価するか

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唐突だが、自分自身は今の鳥栖を高く評価している。

悲しいかな、フットボール界においてクラブの資金力は無視できない現実だ。というより、「それがモノをいう世界」だといって差し支えはない。しかしその文脈において、ここ数年の鳥栖は信じがたい道を歩んでいる。

債務超過に始まり、クラブの内部騒動、主力の大量離脱。考えうる中で、最も避けたい状況を全て潜ってきた感のある鳥栖は、その逆境を乗り越えながらこの2年、見事に残留を果たしてきた。加えて、あのフットボールである。あくまでも私個人の価値観にはなるが、相当な〝質〟のフットボールを、おそらくリーグでも最低レベルの人件費から生み出すその気概を私は高く評価する。

でも、勝てない。決められない、そして守りきれない。

その非難の矛先は、川井健太監督個人に向けられた。

「ファンサポーターはどこまで高望みしているのか」正直に告白してしまうが、初めはそう思ったのも事実だ。

鳥栖の資金力であれだけのフットボールを作れる監督(またコーチ陣)を無能だと言えてしまう。いやいやそれこそ川崎フロンターレだって欲しがると思うぞ。そう心の中で何度ツッコんだか。果たしてこの(非難する)人たちは何を望んでいるのかと憤る気持ちもあった。

ただ、あのエピソードへのリアクションをみるに、その見立てもまた、正確なものではないと想いを改めた。

みんな、お金がないことなんて百も承知で、例えば優勝出来るなんて(本音では)難しいことを理解している。自分たちの置かれている立場だってよく分かっている。

でもだからこそ残留したい。どうしても生き残りたい。

このクラブ状況だからこそ、しがみついてでも生き残る必要がある。でないときっと先がない。誰よりもクラブの歴史を観続けてきたファンサポーターが、それを誰よりも理解している。『J1であること』に意味があるのだ。降格がチラつく今の状況においては、そんな想いがファンサポーターを必要以上に目の前の勝ち負けへと執着させてしまう。せざるを得ない心理に繋げてしまう。

ここ数年でクラブの状況はあまりに変わってしまった。

今夏もシーズン途中にも関わらず主力は引き抜かれる。質の高い選手たちが、おそらく下位カテゴリーのクラブと大きく変わらない値段で買えてしまう。翻ってそれに負けないほどの大型補強を鳥栖ができるか。いやいや出来るはずもない。なにせ赤字だけは出せないのだから。

しかし、残留を願う想い、J1にしがみつきたい気持ちだけは良くも悪くも何も変わらない。変わりようがない。当然だと思う。その気持ち自体は何も間違っていない。

このジレンマ(矛盾と悪循環)は、根深いと思った。

 

なぜ川井健太監督である必要があるのか

なんにせよ、「残留」への想いは皆同じであるはず。

共有されていないもの。それは、仮に残留「だけ」が目的なら、なぜその手段が川井健太監督なのかである。

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そもそも、川井監督のフットボールは「死に物狂いで残留を目指すチームに向いたスタイル」なのか。或いは、これまで鳥栖がJ1に生き残り続けられた成功体験が活かされているか。つまり、最後の最後まで泥臭く走りきり、身体を張るような「鳥栖らしさ」がそこにあるか。

違和感はあるかもしれない。皆もきっとそうだろう。

川井監督もよくコメントしているが、彼は選手たちに「いくつかの選択肢」を持たせたいと考える。そこでの判断や自主性を尊重することが、結果として選手の成長に寄与するはずだと。また、その余白が時に観るものの想像を超えるプレーを生み興奮に繋がると信じている。

これは、川井監督の哲学であり、信念といっていい。

ただ、本来なら残留争いをするようなチームは、もっと「選択肢を削る」方向に舵を切る。これが定石だ。

つまり、シンプルにプレーするということ。その方が、プレーから迷いは消え、仲間との意思疎通も容易となる。チームの綻びが生じづらくなるのは言うまでもない。ボールだって保持するより捨てた方が気楽なのでは。そもそもが金のかかっていないチームなのだから、「身の程をわきまえたスタイル」はこちらなのだろう。

選択肢があるから、ときに悩む。判断だって鈍る。

「守ってカウンターに徹しろよ」「後ろでダラダラ繋ぐな」「もっとシュート打てや」どうにも我慢ならず、スタジアムではこんな声が叫ばれているかもしれない。

しかし、だ。

クラブの規模に対して、生き残りを賭けた手段(スタイル)が常にそれであり続けた結果が、過剰な戦力補強による債務超過に繋がったのではないか。或いは、今度は限られた戦力(や発展途上の若手たち)という過去とは対極の状況で、目先の勝利をひたすらに追い続けた先にあったのが、あの内部騒動だったとは考えられないか。

もちろん、この間に取る手段(スタイル)は変わった。

しかし、サガン鳥栖という小さなクラブが生き残り続けるために、「勝利」という至上命題だけは、なんら意味や形を変えることなくそこにあり続けたのではないか。

核心といえば大袈裟だが、キモはここだと思っている。

パンゾーさんは言葉を選んでいたが、最も伝えたかった想いはこの点に宿っているような気がしたのだ。

もちろん過去を全て否定する必要は全くない。鳥栖が作ってきた歴史は、改めて言うまでもなく誇れるものだ。「鳥栖らしさ」も根っこの部分では継承して欲しい。

ただ、一方ではそのやり方に『間違い』もあった。

その事実を、認めきれて(受け止めきれて)いるか。

「新しい鳥栖を作りたい」。『新しい鳥栖』。ではどう新しくしたいのか。この真意が正しく伝わっていたか。

そう。「同じこと」をやっていてはいけないのだ。

過去を必要以上に美化していても始まらない。なぜなら、その過去の遺産に苦しんでいるのが今のチームなのだから。「前任者を否定することから始めないといけない」「でもそれはしたくなかった」「分かってくれていると思っていた」パンゾーさんがそう説明した意図を、自分自身も収録を終えた今、改めて考え直している。

今思えば、このPodcastの過去のエピソードで、パンゾーさんはこんな発言をしていた(これも聴き直した)。

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自分がクラブを作ってというとおこがましいけど、方向性を定めて進んでいくときには、みんなのプロの仕事が誰かの犠牲だったり、そういうものの上に成り立つのは本当のプロの仕事ではないと思っている。誰かの犠牲の上に誰かの仕事の成果が出来上がるような組織ではないものにしたい。そのためには、当たり前だけどオープンであるべきだし、フラットであるべき。それは原理原則かもしれないけれど、そこをしっかりとクラブとして徹底してやる。「自分たちはこういう風に変わったんだ」と明確に示したかったし、その方向でクラブを進めていけば、一つの時期としてああいうものがあっても、新しくクラブがこういう方向を示しているんだということが、いろいろな人に伝われば、それはサッカー界としても価値があるんじゃないかと思った。どんなクラブにもいろいろな状況や時期がある。ずっと順風満帆なクラブはない。こういう状況にクラブがなった中で、その時、サガン鳥栖はこういう組織づくりを行いましたと。自分は鳥栖のレジェンドではないけど、ここでプレーしたことのある人間がクラブに戻って指針を示したり行動に移したりするのは、選手やスタッフにも伝わりやすいし、それがファンサポーターにも伝われば嬉しいと思っていた

この文脈や今回の対談でのやり取りを経て、私自身も改めて考え、問い直した。なぜ川井監督なのか、と。

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川井監督なら、きっと新しい鳥栖を築いてくれる。

限られた戦力でも、規模の大きなクラブに太刀打ちできるようなフットボールを展開してくれるだろう。また、勝敗だけではないフットボールの魅力を、選手たちや、なにより鳥栖の人たちにももたらしてくれるはずだ。

心からそう思えたから、彼に託したのではないか。

また、パンゾーさんはこうも思っていたかもしれない。

だからこそ、『新しい鳥栖』を作ろうとする今のチームをサポートして欲しい、応援してやって欲しいと。〝現在(いま)〟を支えてほしいと。でも、現実は勝てないチームに我慢ならず、全てはこの監督のせいだと、その責任が特定の個人に向かってしまう。挙げ句の果てには辞めたパンゾーさんまでなぜか悪者扱いされてしまう。

では、そこを汲み取れないとしてファンサポーターが悪者なのか。パンゾーさんが、全て正しかったのか。

そんなことはない。パンゾーさんは悔やんでもいた。

応援するファンサポーターに対して、目指している未来や作りたいチームについてもっと言葉にしたかっただろう。そこをやり切れなかった後悔(反省)があるのだと今回の収録で感じている。また、そういう機会(詳細に取材してくれる媒体)がないという業界自体の問題もあるはずだ。それこそピッチに目を向けても、川井監督がどういう想いでチームを作っているか、普段からどれほど濃密なトレーニングをしているか、多くの人に伝えられる手段がないことも(特に地方の場合)悩ましい。

また、今回のテーマからは逸れるが、ファンサポーターだけでなく〝スポンサー〟の存在もある。無視できるはずもなく、そこもまた大きな悩みだったに違いない(例えばだが、「この文脈を理解して欲しい」と伝えたところで、どれだけのスポンサーが納得しただろうか。いや、とにかく「勝つこと」を求めやしないだろうか)

ではもうここで終わりなのか。これは失敗だったのか。

そんなことはない。まだ間に合う。終わってない。

お前どの立場から言ってるんだと気持ちを逆撫でしてしまうかもしれない。何がわかるんだと言われたら、そりゃそうだと認めるさ。観てきた歴史だって浅いもの。悔しいけれど、所詮は外様であることなんて百も承知だ。

それでも、やっぱり今のチームを支えてあげてほしい。

同じことをやっていちゃ駄目なのだ。勝利だけを強く望み、上手くいかなきゃ誰かを責め、気持ちに折り合いつけて。それでは『新しい鳥栖』なんて出来っこない。

これまで築きあげた「鳥栖らしさ」ももちろん大事。

ただ、そこへの強すぎる想いが、ときに異なる対象を受け入れることや、或いは上手くいかないことを許容する姿勢を邪魔してはいないか。「特定の誰か」に問題を集約すれば全て解決するのか。絶対にそんなことはない。

このチームを諦めないこと。「こんな鳥栖は私の愛した鳥栖ではない」などと、見て見ぬ振りをしないこと。

今のチームも、きっとずっと愛してきた鳥栖なのだ。

変わろうとする鳥栖を冷めた目で見ず、『一緒』に変わる。だって、クラブは『皆』のものでもあるのだから。

「残留さえしてくれればあとは何でもいい」。いやそれは間違ってるよ。それでは過去から何も変わってない。

なぜ鳥栖が生まれ変わろうとしたのか。そこに後から気づいても遅いのだ。今だよ。今がその「渦中」なのだ。

だから、今のチームにもっともっと期待してほしい。

 

「クラブとファンサポーターの幸福な関係」とは

最近読んだnumber(1100号)に、遠藤航のインタビューが掲載されていた。心に残ったのは以下の箇所だ。

アンフィールドは常にこの熱量なんですよね。いつも背中を押されるというか、むしろダメな時こそ応援してくれるっていう。チームの状態が悪くなった時も、試合後には拍手して称えてくれるんですよ。俺が来てからは、ブーイングも一回もされてないんじゃないかな。クロップもそうですけど....愛があるというか。一緒に闘ってる感がありますよね

ファンサポーターと一言でいってもその背景は様々だ。

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新たな未来を作ろうと邁進するクラブの姿を支持する者もいれば、愛するクラブの勝ち負けに一喜一憂する人もいるだろう。自慢のアカデミーを誇りに思い、家族のような眼差しで見守っている人だってそこにはいる。

たしかにグラデーションは様々だ。でも共通項もある。

それは「クラブ愛」だ。そこだけは何一つ変わらない。

川井監督率いるサガン鳥栖は、理想へ邁進しつつ、同時にこのクラブがJ1で戦い続けてきた歴史を途切れさせまいと日々奮闘している。川井監督だって完璧ではない。間違うこともきっとある。自身の信念と、ファンサポーターが求めるものとの狭間で葛藤だってあるだろう。

ただ、それは決して自分勝手な信念ではない。

「ファンサポーターのため」にあるはずの信念と、今この状況で目の前のファンサポーターが求めるものが噛みあわないことへの葛藤だと自分は思う。「選択肢を絞ってあげた方がいい」と川井監督がコメントしたとき。勝っている流れで早々に5バックにしたとき。凄いな、川井監督自身にも沢山の変化があるのだろうと痛感した。

逃げずにファンサポーターと向き合っているのだと。

例えそこに「鳥栖らしさ」がなかろうと、観ている者の好みのスタイルでなかろうと、『鳥栖のため』に必死で闘っていることを忘れちゃいけない。ファンサポーターが望むものに応えたいと、必死で足掻いている姿を。

また、それはパンゾーさんだって同じだったはずだ。

先ほど紹介したエピソード(58)から再度引用する。

そういう責任を取るポジションであることは、やる前から理解していた。ただ、「仕方ない」で終われないのは、今年や去年に来てくれた選手に「自分がこういう想いで、こういう組織を作りたくて、ここで君のパーソナリティとフットボールのスキルと情熱が必要です」と口説いて来てもらったので、そういう選手たちやスタッフには、整合性が取れなくなってしまったので申し訳ないなって....。そこの気持ちが、正直、今一番大きいですね。自分自身は「こういうものだよね」で済まされても、それが他者の人生に関わると思うとそういうわけにもいかない。

今年や去年、一昨年に来てくれた選手も、みんな来てくれたこと自体には本当に感謝している。確実に、金銭的にうち(鳥栖)が一番良かった人はほとんどいない。みんな、何かしら経済的なものを天秤にかけて低くてもうちを選んでくれた選手が多くて。それは、他から引合いがある選手もそうだし、元の所属しているクラブがもっとサガン鳥栖より良いオファーをだして慰留している選手もいる。そのケースは様々なんだけど、そういった選手たちが何かに価値を感じて来てくれた。『そういう人たちの集まりのチームですよ』とは伝えたい。それは、選手もスタッフも含めて。いろんなものを考えて、もちろん金額も大事。それでもやっぱり最後のところでああいった意思決定をしてくれた選手たちは、きっと何かの決断をする要因として、自分が伝えた言葉だったりサガン鳥栖が走っている方向性だとか、そういったものに少なからず影響を受けて意思決定をしてくれたと思うので。選手たちをそういう風に見てもらいたいし、応援してもらいたい。それが今、考えていること。

立場は違えど、みんな必死だったと思う。『鳥栖のために』、この一点において。そこは忘れちゃいけない。

そしてそれを支えられるのはファンサポーターなのだ。

ときに叱咤激励も必要だろう。愛が強ければ強いほど、腹が立つことだってあるに決まってる。自分もあるよ。

たださ、それでもやっぱり『支えたい』。

苦しい時こそ否定するのではなく『励ましたい』。

このチームを『尊重したい』。そして『理解したい』。

皆さんしかいないのだ。『新しい鳥栖』を作れるのは。

どうか一人で歩かせないで。『共に』歩んでほしい。

それが、「クラブとファンサポーターの幸福な関係」であるのだと、対談を終えた今、私は強く信じます。

(書き終えて一言)引退撤回しよ

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飯尾篤史さんがライター業からの引退を表明した。

そもそも飯尾さんはアイドルじゃないから、「引退」なんて選択肢あったんかい!と、まずは言いたい。ずっと当たり前のようにそこにあるものだと思っていた。例えば橋本奈々未が「卒業」ではなく「引退」してしまった際のファンの気持ちってこれだったんでしょうか。奈々未と篤史は違いますか。まあ正直そこは同感です。

偉大なサッカー選手が引退すると特集号なんてものが発売される。ただ、偉大なサッカーライターの引退を特集する記事はない。改めて考えると、物書きを生業にした者の功績が、文章として残らないのも皮肉な話だ。

じゃあ私が、と決意し今この文章を書いている。

ただ、飯尾さんのキャリア全部は知らないしなあ。それなら私個人との関係性を包み隠さずとも思ったが、それはそれでわざわざ人様に伝えることなのかと疑問が残る。それこそ読み手側は知ったこっちゃないだろう。

まあ、とりあえず私の知る飯尾篤史を語ってみたい。

飯尾さんが書いてきた原稿はたぶん秋元康並にあるので(裏は取れていません)、我々読者ごとに様々な思い出やお気に入りがあるでしょう。そんな中で、飯尾さんご自身が一つの思い出として挙げていたのはこの記事。

number.bunshun.jp

これ、覚えている人、多いですよね。近年の名勝負。

当時、この記事がめちゃくちゃバズった。どうやら、関係各所でも素晴らしい評判だったらしい。そもそも、飯尾さんにとってはかなりチャレンジングな文章だったはずで。飯尾さんって割と硬派な印象で、小ネタとかを入れてユーモアを積極的に混ぜる印象がなかったので、当時は驚いたものだ。でも、きっとご本人は頭を抱えながら書いたんだと思う。自身の文体に普段は存在しなかった要素を急に取り入れるのは、絶対に勇気がいるから。

そんな記事ですが、インスパイアされたのは当時私が「プレビュー」で書いたこの記事だったと聞いている。

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手前味噌な自慢げエピソードで申し訳ないのですが、無礼講でもういいやろ(おい)。いや、ほんとにそんな気はない。ただ、そこに触れたい理由があるだけで。

「あのときの、『この文章に負けないようなものを書きたい』そんな衝動や熱量が、年々失われていく自覚はあった」のだと、ふと飯尾さんが口にしていたから。何かに触発されて、不思議と自分が突き動かされる。そんな書き手ならではの衝動が、己から湧いてこないのだと。

正直にいえば、その気持ちを理解するのは難しい。

ライター業に就いたことはないし、ひたすら取材を続け、そして書き続けることがどれほどのエネルギーを要することなのか、簡単に「分かる」とは言いたくない。そして、ここが重要なポイントだと思うが、「それを第一線で求められ続けること」が、きっと途方もなく大変であることを、私は想像することしか出来ないのだ。

ただ、同時にこうも思う。

きっと、飯尾さんはその業界の頂上の景色を観れたのだと。観れたからこそ、やりきったと思えたのだろうし、そこに辿り着いてからの景色に思うところもあったのではないか。もう、あんな勢いで駆け上がることは出来ないなあ....とか、あれ思っていた景色と違うんだけど、とか、もしかしたら駆け上がっている最中に(その山は変わらずとも)その下に広がる景色は様変わりしていたのかもしれないし、或いは頂上に辿り着けたからこそ、自身の力量を良くも悪くも自覚したのかもしれない。そして、ここからは駆け上がるのではなく、そこにどう居座り続けるか、だ。まさに下り坂を転がり落ちないようにするフェーズに入ったとき、もうそんな熱量も、そしてそんな姿を晒す気も、飯尾さんにはなかったのかもしれない。それはある意味で、飯尾さんの美学でもある。

でも、繰り返しになるがそれは山を登りきった証拠だ。

その過程ではきっと気づかない。登りきったものにしか分からない景色や感情、想いがそこには必ずあって、本当の意味でそれが理解できる人は一握りなのだと思う。

だから、悔しいがその決断を尊重するしか出来ない。

では、なぜ飯尾さんがそこまでの境地に辿り着けたのか。そもそもね、あのお方は「文章」へのこだわりが凄いんだ。そこを伝えたい。ライターとしてのプライド。

(今だから言えますが)一度、飯尾さんに校正していただいたことがあって。返ってきた原稿、もう真っ赤っかでさ。あのときはマジで嫌いになりそうだったぜ(このノリで本音をぶち込む愚行)。「みぎさんさあ、なんでいつもみたいに書けないの!?ここもここもここも。何が伝えたいのか全然意味がわからないよ」もう鬼じゃん....妻だけで十分間に合ってるんですけど(やめろ)。

migiright8.hatenablog.com

このブログでも書いたけれど(今さらネタバレ)、人一倍「読み手にそれが伝わるのか」をこだわっていたのが飯尾さんだ。例えば戦術的なことを書こうとすると、どうしても「それが伝わってくれそうな層」を意識してしまう。すると、なんだか小難しい言葉を使ってしまったり、自身が選んだ言い回しが「相手に伝わる前提」になったりする(これが特に顕著ではないか)。この言い方が正しいか分からないが、戦術論を書く人間独特の文体(フォーマット)みたいなものが間違いなく存在していて、でも悲しいかなよくよく見ると何かの呪文みたいな文章になってるケースは正直結構ある。当時の自分だってそう。「分かってる風」な文章で。そんな作品に、飯尾さんは妥協がなかった。その言い回しで誰が読んでも伝わるのか、そもそもその文脈は読み手と共有されているものなのか。そういう目線は、人一倍厳しい人だ。

あのときの飯尾さんのウンザリした様子は今も脳裏に焼きつき、消し去りたくてもしつこくて剥がれない。あれ以来、「もうコイツには頼むまい」と悟った可能性大。待ってもう一度チャンスを!と言いたいところだが、飯尾さん「戦略的撤退」とのことで、私の不戦勝です。

でもね、飯尾さんのそんな誠実な姿勢があったから、引退の一報を多くの人たちが惜しんでいるのだろう。

「飯尾さんの記事を一番信頼してた」とか「飯尾さんに(私の推しである)◯◯選手の本を書いて欲しかった」とか。そんなコメントを山ほど見た。え!?こんなに反響があるんだって、本音をいえば驚いた。ただ、夜中にみたらトレンドに上がってたのはさすがにやめてくれ。

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アブレイユジャイアンツ、ヴェルディ、飯尾。笑

そうだsnsといえば、数年前に飯尾さんへ伝えたことがある。「もっと積極的にsns使っていきましょ!」と。

でも、飯尾さん実はそんな器用なタイプでもなくて、「いやあ、待ってる原稿がたくさんあるからそんな時間取れないんだよ」とバツが悪そうに当時応えてくれた。私は歯痒かったのだ。これだけ数多くの原稿を書き、しかも格式の高そうな媒体(クラブのオフィシャルやらnumberやら)に沢山書いている割に、世間的な知名度sns界隈において低いのではないか。もっと飯尾さんだってパーソナルな部分を売りにすれば良いのにと。

いっそ僕に影武者としてsns運用させますか!と言ったことまであるんだから。だってさ、せめて書いたものの告知くらいしないと原稿が浮かばれないじゃん。頑張れ飯尾!サボるな飯尾!って正直何回も思ったよ←

でも、今回の件で自分が間違っていたのかなと思った。

そんな飯尾さんが「引退する」と発信して、これだけ多くの人たちが惜しんでいる事実。メッセージの数々。

いつからか髪も金髪になって、一見するとチャラめなイケおじなんだけど、それでいて実はくそがつく真面目で、曲がったことが嫌いで、そして誰よりも誠実な飯尾さん。そういう彼が、sns(つまり宣伝)の時間を削ってでもひたすらに書き続けてきたその文章の数々が、その温度感のままに多くの読者に伝わっていたこと。もしかしたら普段は言葉にしないけれど、今回だけは黙っていられない読者が実は沢山いたのかもしれないと思うと、やっぱり飯尾さんがやってきたこと、真摯に向き合ってきたその姿勢は、間違っていなかったのでしょう。

「読んでくれれば分かるから」。それが飯尾さんだ。

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このブログにも何度も登場していただいた。

あれもね、ある日、夜な夜な東京オリンピックの話をしてくださる飯尾さんの姿に、「飯尾さん、これ僕なんかに話してたら勿体ないですよ。そんな貴重な話は、ちゃんと形に残すべきです。もし、いつもの媒体では文字数制限があってやりづらいのなら、文字数の多さだけは定評のある(ここは脚色しています)「みぎブログ」で思う存分語ってください」と依頼したことから始まった(文字数無制限を売りにしたのは事実)。

それが多くの人に伝わったのは、嬉しかったな。

日本代表にもドラマがあり、長い目でみればそこには必ず文脈が存在する。だからこそ、個人の好き嫌いではなく、彼らが今やろうとしていることを出来るだけ汲み取り言葉にしたい。そうすれば、必ずや代表の魅力が多くの人に伝わるはずだ。その信念で、当時比較的バッシングの多かった森保ジャパンに誠実に向きあい続けた飯尾さんの姿は、もっともっと評価されて欲しい。誰が誠実に取材を続けていたか、「読者のための記事」を書いていたか。気づいている人は、ちゃんと気づいているよ。

そう、今回たくさんの人たちがこう呟いた。「飯尾さんの記事は常に誠実だった」と。凄いなあ、伝わってる。

きっと、読者に誠実であり続けるために、取材対象にも、もっといえば「取材を行う」行為そのものにも、誠実であり続けたのが飯尾さんだったのかもしれないな。

「キャリアの晩年に、みぎさんに会えて良かったよ」

晩年て、アンタまだ四十代やろ。お爺ちゃんみたいなこと言ってさあ。でも、やっぱりその言葉が嬉しかった。

これほど優れた書き手さんが、素人の私を平等に扱ってくれたこと。「この仕事って何で僕なんですかね。もっと適した人は沢山いると思いますけど」こういう愚問(冷静に考えれば失礼な話だ)を、果たして何度したことだろう。いつも自信がなかった。自分は素人だからと卑下して、そこの線を引こうとして、よく相談したような気がする。その度、飯尾さんは「そんな風に思わなくていい。相手は、みぎさんだから頼んでるんでしょ」と応えてくれた。その分、稀に仕事をご一緒すれば一切遠慮のない人でしたが(やめろ今いいところ)、同時に裏表のない人でもあった。良いものは良い、悪いものは悪い。そういう想いを、忖度なく伝えてくれる。また、良いものにプロも素人も関係ない。例え素人だろうが、凄いものは凄いと言葉にしてくれる。それを、誰よりもプロとしての「誇り」を持っている人が姿勢として示すことは、たぶん普通のことじゃなかったはずだ。

そこに「誠実さ」があれば、飯尾さんは認めてくれた。

ああ....結局、自分の話ばかりだ。長々とごめんなさい。でもさ、客観的に飯尾さんの功績を淡々と語る記事なんて皆読みたい?面白くないよ絶対(完全に誤った言葉選び)。どうせなら、血の通った文章を書きたかった。自分が知っている飯尾篤史という偉大なるライターを、今度は自分が言葉にして残すべきだと思ったんだ。

本当に今日で辞めるの?もう「飯尾篤史」のクレジットされた記事を読むことはないんだと思うと、そんなサッカー界でいいんかい!と、急に腹立ってきたんだけど。

今、5月31日の夜中3時。なんとか引退日に間に合った。

飯尾さん、本当にお疲れ様でした。......馬鹿やろう、なんか今になって泣けてきた。明日(いや今日)も仕事だよ俺。最後にアブレイユ(西武の抑えピッチャー)とトレンド入りしたこと、ずっとネタにしていきましょう。あと、「みぎさん、鳥栖対名古屋戦さ、鳥栖まで一緒に観に行く?」と聞かれて妻に突撃したものの、「頭イカれてんじゃないの」と一蹴されたこと、良い思い出です。飯尾ブランド、素人に全然効き目なくてワロタ。

良かった。まあまあいい文章書けた。貴方が声をかけた最初で最後の素人が、一人で夜な夜な必死に書いたよ。

でももう文章で応えてはくれないのか。寂しい本当に。

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分かりあえるなんて夢物語だ

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先日のブログに対して、こんなコメントを頂いた。

「一切ささらない」

いやキッッッツ!!いや刺されし!何でもいいから刺されよ何か。こんなど直球な言葉、妻以外で貰ったことないぜ俺は(妻は変化球を覚えてくれません)。文字数の無駄遣いとか言うなしマジで(そこまで言ってない)。

ていうのは、半分冗談で半分本気。

とある鳥栖サポーター(知り合い)(いや知り合いかよ)から頂いたもので、真摯に受け止めた次第である。

後述するが、正直にいえば刺さらないだろう人がいることは分かってた。分かってて書いているから仕方ない。むしろ、正直にそれを言葉にしていただき、考えるきっかけ(とブログへの意欲)が生まれたことに感謝です。


www.youtube.com

それにしても、負け続けるってホント嫌っすよね。

先日開催されたJ1リーグ第8節。ガンバ大阪サガン鳥栖の試合は、後半99分にガンバ大阪に逆転弾を喫し、またしても鳥栖は勝利に恵まれず。単独最下位となった。

ここまで勝てないとマジで荒むのよく分かる。私も(名古屋サポーターのくせに)その後は全気力を失ったよ。

負けるってシンドイ。負け続けるのはほんとツラい。

負け続けて何が嫌かって、ファンサポーター同士のいざこざが嫌。軋轢が生まれて、なぜか互いに罵りあって(2019年に19試合で1勝しか出来なかった苦い経験)。

そもそもさ、たまたま好きなクラブが同じだったってだけで、基本的に共通項はそれしかない。特段、人間関係(人付き合い)の気が合うかも分からないし、そのクラブを好きになったキッカケも、何故そのクラブが好きなのかも、更にいえばそのクラブに何を求めているかだって千差万別。「このクラブが好きだ」って共通項だけで同じように括られてるだけで、そこには見えない(互いが知らない)グラデーションがこれでもかと実はある。

でも勝ってる時は分からないし、見向きもしない。

問題は負けが込んだ時だ。そこでそれぞれの価値観(クラブに何を求めているか)が露呈し、気づき、相容れない点に摩擦が起こった結果、激しく衝突してしまう。

好きなクラブだからといって、全てを受け入れてるわけではない。当然、長く応援していれば不満もある。我慢もする。裏を返せば、それらは〝勝利〟によって有耶無耶になるし、ボヤけるものだ。それは、決して「都合が良い」との話ではなく、愛するクラブが勝利することで「納得させている」のが正直なところのはず。不満はあるが、それで勝てているのなら己のエゴなど取るに足らないと、グッと堪えられるのだ。もちろん、結果のおかげで、見て見ぬ振りが出来ていたとも言えるだろう。

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だからこそ、負けが続くと本音がでる。

勝負事である以上は、それに対する価値観も違う。とにかく勝利を求める者もいれば、ある種、勝利は二の次というか、まずは(自分にとって)面白いと感じられるものを見せてくれと願う者もいる。例えば、トップチームを応援している者もいれば、アカデミーに軸足を移して、クラブの宝たちを家族(親)のような想い(眼差し)で眺めている者だっているだろう。バラバラだ。

だから、同じクラブが好きだからといって、そもそも全部が全部、気が合うはずがない。そんなのは無理。

勝っているときは互いの事情など気にも留めない。一方で、負けが続くとそれぞれの本音がでる。そこで初めて互いの価値観の違いを認識し、人間性を知り、気が合う合わないと自覚するのだ。つまり、そういった価値観や背景の違いに、向き合わざるを得ない(否応なしに自覚せざるを得ない)のが負けが続く時期なのだろう。

例えばこのブログにしたってさ、「全ての人に共感して欲しい、理解して欲しい」なんて気持ちは皆無に近い。

いやそりゃ共感してもらえれば嬉しい。そういう声をたくさん貰えたら感謝もする。でも、一番はこの時この瞬間のこの感情を、どうしても言葉にしたい。言葉にしなきゃやってらんない。だからこそ形にしてるだけだし、つまり自分にとっては抑えきれない感情の逃げ道がこのブログにあるというだけ。ただ、「書く」以上は「読む」人がいるわけで、少しでも読んでくださる方に伝わるような形で書きたい。結果として、何か琴線に触れるものがあるなら、それほど有難いことはないわけで。あ、「金銭」を払いたい人はいつでもウェルカムです。

では、言葉を尽くせば誰とでも分かりあえるのか。

そんなのはどだい無理な話だ。もちろん、言葉は尽くすし、それは少しでも相手(ブログでいえば読み手)に意図が伝わって欲しいと願うからそうしているだけであり、しかしそれで「分かりあいたい」わけではない。

冒頭のコメントをくれた方を、自分は(それはそれとして)めちゃくちゃリスペクトしてるし(どんなサポーターさんか存じ上げているので)、それで嫌いにもならない。むしろ正直に言われて「そうだよね」と思った。

本当は、もっと媚を売るようなことも書けた(何に不満を抱いているのか、多少は理解しているはず)。きっと、それを書いていたら激しく共感を呼んだのかもしれない。でも、このブログはそのためのものではない。納得のいかない言い回しも多々あっただろう。また、こういう些細なことから、見ず知らずのサポーター同士に距離(軋轢)が生まれることも知っている(この方とはそんなことにはならないが)。でも、何度も書くけれど価値観が違うのは当たり前のことだ。それを受け入れて、尊重し、「でも同じクラブを愛してるからこそ起きる衝突だな」と思えるのなら、それは素敵なことだと思う。

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結局、出来ることは「相手を尊重すること」だけだ。

その価値観の違いを認めること。違う価値観があるのだと知り、それを否定しないこと。そして尊重すること。

どうしたらこの目線が揃うんだろうと四苦八苦しているケースも見受けられるが、そもそも(同じクラブを応援する仲間とはいえ)他人の目線を無理矢理揃えようなんて行為が私はおこがましいと思う。余計なお世話だ。

違いを認めること。その違いを尊重すること。綺麗事と言われようが、答えは至ってシンプルだと思う。

そりゃ腹立つことだってある。やたらと敵意向けられて、頼んでないのに勝手に泥かけていきやがる。ふざけんな絡んでくんじゃねえクソが(急に溢れだす本音)。

と、これだって本心だけど、そこまでいくと無視する他ない。「ああ(価値観の違う)誰かに己の怒りをぶつけないと自己コントロール出来ない人なんだな」と思うだけだ。そこと同じ土俵に立っても得することないもの。誰かに怒りをぶつけたとて、何も解決はしないのだ。

別に違ってもいい。共感なんか出来なくてもいい。

でも、どれもこれも根底にあるのは「みんなそのクラブのことがどうしようもなく好き」これだけでしょう?

それだけで充分じゃん。そんな関係性の方がレアだよ。

バラバラになったのではなくて、そもそもがバラバラの関係性だっただけ。本質的には何も変わってない。

負けが込むと、当たり前だったことが急に一大事みたいになってしまう。別にこれまでだって同じだった。いつもバラバラだったし、価値観が揃った試しなどない。それでも、たった一つのクラブの存在が、それらを繋げていたのだ。各々の「好き」の熱量が凄いから、上手くいかない時にその熱量が様々な言葉や態度で放出されてしまうのも至極当然のこと。問題ない、普通のことだ。

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監督に納得いかない。そんな気持ちも理解できる。

そういった感情が強くなればなるほどに、「どうせなら負ければいいのに」と、気づけば愛するクラブの勝利すら素直に願えなくなる気持ちも、正直にいえば分かる。

例えば、私だったらまず田嶋ね(呼び捨てかよ)。2018年のワールドカップは、マジで素直に日本代表を応援出来なかった。無です無。何も感じなかった。要は「自分ごと」ではなかったのだ。あれは日本代表の姿をした、(俺の中で)他国のチームだったわ。あと、名古屋グランパスでいえば2019年。風間八宏解任後のマッシモフィッカデンティな。最初はマジで嫌ってた(時効)。「アイツハ、ケムリヲウルオトコダ」とか無言の八宏を切り刻みやがってさ、なんだか応援していた私(達)まで否定されたようで、当時はほんと許せなかったんだ。

好きなクラブのはずなのに。負けていいなんて思わないのに。でも、なんだか素直には喜べない。凄え分かる。

こういうモードのときが一番ツラい。でも、嫌いになってしまうのは何かしらの原因があるわけで、それを無視して「もっと好きになれ」「もっと素直に応援しろ」と無理強いする権利も当然ない。その人はその人で、自分の中に生まれる矛盾と葛藤して、戦っているのだから。

本当は誰だって素直に応援したいんだ。だって、そうじゃないと勝ったときに心の底から喜べないもの。でも、「好き」が強いからこそ、譲れないことだってある。

それでいいと思う。何一つ、否定されることではない。

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書きながら気づいたが、サポーター生活は夫婦生活と同じでは(やめろ)。相手の嫌なところは結婚して共に生活することで分かるしさ(本当にやめろ)。「逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ」と碇シンジくんより唱えてる自信もある(それ以上は駄目だ)。なんでや逃げりゃええやろと思うのに逃げられない。「穏やかでもいられた人生に無理やり起伏を与えてくれる趣味それがフットボール」と東大クイズ王も言ってたよ。私にとっては家の中も外も起伏だらけだが(やかましい)。

結局のところ、誰しもがその対象を好きだから逃げられない。でも、その事実だけで充分な気もするのだ。

おっと、ここに私の妻の話は該当しませんよええ。

あー勝ちたいよねー。みんな勝ちたいよ。勝ちたい。

ファンサポーターだけではない。選手たちも、スタッフも、なにより監督だって、皆勝ちたいに決まってる。

どれだけそこに軋轢が生まれようと、その気持ちが最後は皆を一つにしてくれるよ。それが、フットボールの持つ力であり、素晴らしさなのだと信じて疑いません。

みんな頑張れ。俺も頑張れ。折れんなよみんな。

週末は、首位セレッソ大阪を私は倒しに行きますが、遠い愛知の地から、懲りることなく勝ちを願ってます。

交錯する想い、譲れない哲学

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川井健太監督への風当たりが強い。とても、強い。

重っ。出だしから重いぜ。重いブログは読み手にも重荷になるので、正直ふざけながら書きたい。ただ、ふざけるのは不謹慎だし、そもそもふざけたいわけでもない。

それにしても勝てないねえ....スポナビの速報見るの恐えもん。昨季の段階で「(内容に反して)勝ちきれない」課題は露呈していたので、まだシーズンが始まったばかりとはいえ、懸念していた状況が早速訪れてしまった。

そうだ皆さん元気です?元気ないですよねわかります。

だってSNS見てるとツラいんだもんよー。言葉が荒んでんじゃん(仕方ない)。もちろん辛辣な言葉も多い。

シンプルに「辞めてくれ」との言葉は胸に刺さる。しかし、それ以上に「アイツは嫌いだ」「鳥栖は貴方の道具じゃない」「実験台にするな」なんて指摘はもっとグサリと突き刺さる。言葉のボキャブラリーが豊富すぎだ。

最初に断ると、これらの言及を否定するためにこのブログは書いてはいない。噛みつく気持ちもさらさらない。

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結局いま何が問題かって、そりゃ勝てていないことだ(元も子もない結論)。それはそうなんだが、そんな状況だからこそ表面化する問題もある。それは、鳥栖らしさを改めて問う声であり、或いは、今それがピッチで体現できているか、との疑念である。大きな溝の原因だ。

鳥栖らしさ」の定義は人それぞれだろうし、そもそもお前がそこに言及するのかと今ツッコんだところです。ただ、多くの人にとってそれは「最後まで走りきり、球際で戦い続け、目の前の試合で勝利を掴むために全力を注ぐことである」という認識であろうことは伝わっている(細かいディテールのツッコミはお許しください)。

その意味において、川井監督はどうだろう。

貫きすぎですね(分かっていた結論)。ゴール前にバス置いた(勝つためになりふり構わず選択した)の監督業最大の後悔って言ってたもん。バルセロナのシャビと同じじゃん。ポリシーが強すぎる。ブレろ、もっとブレてください。そしてバスを買ってください。プロとして、フットボールを(お金を払って)観てもらう、応援してもらうために、果たしてどんな振舞いをするべきか。この点で非常に強い信念を感じるし、それが川井監督にとって「ブレてはならない核のようなもの」なのだろう。

sportiva.shueisha.co.jp

この記事、皆さんは読んだだろうか(読んでるわな)。

鳥栖にとって天敵ともいえるアビスパ福岡にホームで敗れた夜。しかし、やりたかったフットボールは表現できたと、その日の夜は「よく眠れた」と発言している。

この部分の文意が汲み取れているのか、誤読していないか、もっといえば本人の意図していたことがこの文章でどこまで表現されているのか分からない。とはいえ、この記事がリリースされた当時はさすがの私もツッコんだ。いや、意図はわかるよ。でもさ、もし鳥栖サポーターが悔しくて眠れなかったら?同様に、監督にも「あの日は悔しくて眠れなかった。アイツらだけには絶対に負けたくなかった」と言って欲しいんじゃないかって。

勝つために、やれることは全部やったのか。なりふり構わず、勝利を目指したと言えるのか。戦い抜いたのか。

反発する鳥栖サポーターが指摘しているのはまさにこの点で、とりわけ古参のサポーターや、ユースまで応援するような生粋の鳥栖サポーターほど反発が強い(ように映る)のは偶然ではないと感じる。川井監督に強い信念があるように、彼らにだって強い信念、誇りがある。歴史もある。その想いが交錯し、結果として一部の層から強い反発を招いた点は、重く受け止めるべきだろう。

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鳥栖の人たちが何を求め、何に誇りを抱いているか。

その見込みが甘かったのか、或いは、分かっていて尚、今のスタンスを崩さないのか。それは分からない。

ただ、反発する鳥栖サポーターの人たちからすれば、「今のチームは(勝つために)やれることをやりきっていない」とおそらく感じているはずだ。「アンタの信念が勝負事の邪魔をしている」と。そう思えてしまうのが、歯痒いし許せないのも分かる。何故ならそれは、彼らの誇りすら傷つける行為だから。そんな鳥栖は、鳥栖ではない。きっと、到底認められることではないのだ。

何が正解なんだろう。頭がグルグルと回っている。

最近、空き時間に過去の鳥栖の試合を見直してた。仕事後眠いマジで。でも、なんで勝てないのだろうと思うと居ても立っても居られない。そのせいで寝不足です。

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試合の内容(とりわけ相手に対してのアプローチ)だけをみても、質はめちゃくちゃ高い。例えば町田ゼルビア戦。4-2-4気味でハイプレスを仕掛けてくる相手に対して、作為的にビルドアップし、2枚(の町田ボランチ)の脇取って前進して。芸も細かいやることも論理的。仕込みのレベルが高い。自陣側ビルドアップ選手権なら普通に優勝でしょう。ただ、相手陣地に侵入以降が課題だなあ....自陣での振舞い(と、そのために必要な人員・質)にかなりのリソースを割いている印象はあって、だからこそ「その先」がパワー不足の印象は否めない。

取っているリスクに対して、それに見合う対価を得られていないのだ。一言でいえば、この印象が非常に強い。

ボールを保持しているわりには、相手ゴール前のシーンが乏しい。攻めの姿勢(とメンバー構成)を貫くがゆえに、失点はかさむ。現状は、誰がみても悪循環である。

そもそもが難しいことにチャレンジしてると思うんだ。

決して戦力に恵まれているとは言い難く、資金に乏しいことも周知の事実。ああ憎し、債務超過のクソ野郎。

それでも鳥栖は「強者のフットボール」を目指していく。守って守ってカウンターでなく、ボールは大切にするものだと主張する。立ち位置にフォーカスした攻撃、様々なシステムを駆使し相手へ襲いかかるようにボールを狩る守備。前任者であるキムミョンヒ氏が築いた鳥栖の新たな礎に満足せず、そこに「個々の技術」を要求し、「相手の型に捉われない(それで自らの型まで変えることのない)守備」に挑んだ川井監督。特に前者に関しては、昨季からのJのトレンドであるマンツーマン気味のハイプレス対策(カウンター)にもなっている。

弱者の立場を受け入れるのではなく、やる以上は強者(優勝)を目指すべき。川井監督の信念は揺るぎない。

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また、こういったロジカルなフットボールは、2020年から鳥栖が取り組んできた文脈を汲んだものであり、今となってはこれも「鳥栖らしさ」だと私は思っている。

だから、ある角度から見たときに「そこに鳥栖らしさ」を感じられないからと、「アンタのやってることは自己中そのもの、鳥栖というチームをそのツールに使うな」なんて指摘は、正直にいえば私は寂しい。違う角度から同じ対象を眺めれば、もしかしたらまだ気づけていなかった新たな魅力があるかもしれない。それだって、「鳥栖らしさ」だと呼べないだろうか。白か黒、ではなく、「今はこちらの要素が不足しているのでは」と指摘するのは大賛成だ。魅力はいくつあってもいいのだから。

とはいえ、川井監督の譲れない信念と、そもそも紡がれてきた「鳥栖らしさ」の相性が悪いのも事実であろう。

フットボールの質が高いのも、それがある一定の層からみてウケがいいのも認めよう。でも、結果がついてこないとき貴方はそれ以外の策を取れるのか。泥臭く、ときに手段を選ばず、目の前の一戦を死に物狂いで奪いに行けるのか。川井監督が問われているのは、そこにある。

貫くには、いや貫くために〝結果〟が必要なのだ。

それでもなお譲れない信念があるのなら、それが〝結果〟に繋がることを証明する必要がある。何故か。どれだけ高尚な信念も、結果がでなきゃ終わるからだ。名古屋グランパスの指揮官が風間八宏だった時代に、私はそれを痛感している。結果が残らなければ強制リセット。本人の想いも、ファンサポーターの想いもお構いなしだ。希望に満ちた道は、突然目の前から消えてしまう。

はやく監督をクビにしろ。こんな声もよく目にする。

しかし、では代わりに誰が監督をやるのか。果たしてどんなスタイルを求めるのか。そんな疑問も残る。

この文脈において悩ましいのは、鳥栖の選手たちの能力を、川井監督以上に調理できる監督が果たして何人いるのか、という点にある。後ろにバスを置く、或いは最前線はとにかくカウンター狙い。そういったフットボールが成り立つ戦力を今の鳥栖保有しているのかは、議論の余地があるはずである。裏を返せば、それほどまでに川井監督の哲学に沿ったメンバー構成を3年かけて築いてきた印象が強い。スタイルが振り切っている分、「人(選手)」は良くも悪くも選んできた。ゆえに、そもそも今残っている選手たち自身に、どれほど他のスタイルへの適性があるのかは考える必要がありそうだ。

悩ましいな。書いていても答えなんて持ってねえわ。

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でもさ、だからこそ見てみたい。

このまま力づくで突き抜けていけるのか。それとも、理想と現実の帳尻を噛み合わせるのか。はたまた、ロマンを追い求めて(譲れぬものがあると)沈んでいくのか。

川井監督は、どんなアンサーを提示するのだろう。

特定の人物を槍玉にあげ、悪者に仕立てるのが一番楽だ。アイツが悪い、アイツのせいでぐちゃぐちゃだと。

でもね、きっと誰もが「鳥栖のため」に戦っている。

少なくともこの一点において、私はこの約3年間で川井健太監督を疑ったことは、一度たりともない。

であるなら、せめて指揮官として戦ってくれている内は上手くいってくれと願いたい。素直に応援したいのだ。

突き抜けろ。或いは、変化し、進化しろ、と。

Never Give Up for the Win

どれだけ時間がなかろうが今日は書く。深夜だけどな!

2024年3月30日。会場は豊田スタジアム。第5節、名古屋グランパスvs横浜F・マリノス長谷川健太体制も3年目。個人的には、これが紛れもなくベストゲームだ。


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77分の森島司の同点弾以降、ずっと興奮は冷めることなく、全身に武者震いのような感覚を覚えていた。

正直にいえば、前半早々に山岸祐也のアクシデントがあり、負傷交代したときは内心お通夜状態だった。終わった....膝気にしだした終わったと。今の名古屋にとって、ポストプレーヤーを失うのはあまりに痛い。その後、後を追うように守備の要であるハチャンレまで脳震盪に倒れ、挙げ句、マリノスに先制点まで奪われる始末。「今日は仕方ねえ言い訳は山ほどあるから」と弱メンタルの自分に言い聞かせていた気がするごめんなさい。でも、同じ気持ちだった人もこの場で正直に手を挙げなさい。

たださ、選手たちは諦めなかったよ。諦めなかった。

山岸やチャンレがいなかろうが、それこそチームのエースであるキャスパー・ユンカーに至っては試合にすらいなかったのに。それでも、最後の最後まで戦ったのだ。

この試合の前に、心を打つようなコラムを読んだ。

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赤鯱新報に掲載された内田宅哉のインタビューだ。

内田は以下のようなコメントを残した。「みんなが身体を張って球際で戦うこと。それが名古屋らしさ」だと。

名古屋らしさ、か。これ実は耳の痛い話だったりする。

例えば、過去に名古屋サポーターではない知り合いからはこう言われたよ。「名古屋ってコレといったスタイルがないよね」。クッ....なんと腹立たしいセリフなんだ!

ただ、言葉に詰まるのも事実だった。例えば、川崎フロンターレマリノスと聞いたら、誰しもが何となくは彼らのイメージを想起するだろう。でも、名古屋は?毎回ころころスタイルが変わって、選手も金使って獲ってきてってか。うるせえコンチクショウ(自暴自棄)。実際のところ、クラブにもその問題意識はあったはずだ。2017年に風間八宏がやってこれば、明らかに「攻撃的なチーム」を標榜していたし、行き当たりばったりで(と言ったら怒られそうだが)マッシモ・フィッカデンティが就任すれば、今度はカッチカチの堅守を売りにし始めて高低差に耳やられた。そうだ大森さんは元気ですか。

一向に、スタイルが確立されたとは言えなかった。

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そして、2022年に長谷川健太が就任する。

正直に述べよう。ますますスタイルが分からなくなっていた(すまん)。アグレッシブにいくのか、結局は堅守なのか、はたまた今度はショートカウンター(ファストブレイク)か。分からない分からないよパトラッシュ。

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とりわけ今季に限っていえば、「俺たちはボール保持に挑んでいく」と宣言をし、遂には「可変」なるワードまで飛び出した。いや、それ自体はやったれ健太!と大賛成だったのだが、案の定、路頭に迷うかの如く開幕三連敗。あまりにも険しいその道のりに、勝つのが先か監督交代が先か、健太さんも首の皮一枚感は否めなかった。

しかし、だ。そこは百戦錬磨の長谷川健太である。

2024年3月16日。第4節の柏レイソル戦で、名古屋は慣れ親しんだダブルボランチに形を戻すことを決断する。


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この試合に至るまで、今季の目玉はキャスパーと山岸のツートップにあった。だからこそアンカーシステムを選択し、そのうえでキャンプから可変ありきのボール保持にまで拘った。慣れないシステムとスタイルに四苦八苦するのは構わない。なにより問題だったのは、そのシステムに適応できる人材がそもそも不足していたこと(特に名古屋の中盤のキャラクターは、アンカーにもインサイドにもハマらない選手が多くいた)。また、その慣れないタスクに意識が囚われたことで、もともとの自分たちの強みを発揮できない状況まで生まれてしまった。

では、果たして名古屋の(彼らの)強みとは何なのか。

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それは球際をしっかり作れる状況を生みだし(そのために慣れ親しんだダブルボランチにし)、身体を張り、そして徹底的にその局面で「闘う」ことにある。それは地味で、決して華麗でもない。観る者からすれば面白みだって欠けるだろう。しかし、ともすればそんな当たり前のような行為にこそ、彼ら一人一人の強みがあった。そして、そこに「名古屋らしさ」が宿っていた。その強度で相手に負けないこと。勝つために徹底的に闘うこと。

つまり、名古屋には「立ち帰る場所」があったのだ。

我々(と、あえて表現する)が、あの柏戦で改めて気づいたのは、原点(それは〝本質〟とも言い換えられる)を見失ってはいけないということ。保持だろうが堅守だろうが、それは我々にとって土台の「上」にあるものであり、決して土台にはなり得ない。攻撃的?守備的?美しいフットボール?表現するスタイルはなんでもいい。

外見(見た目)ではないのだ。どんなスタイルであれ、大切なのは「名古屋らしさ」が常に存在すること。

チームが苦しいとき、なにをやっても上手くいかないとき。立ち帰るべきは、この「名古屋らしさ」を問うことにある。今、そこを見失っていないかと。立ち帰る場所があるチームは、強い。それに改めて気づかされた。

更にもう一つ、大切なアイデンティティがある。

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それは、今回のマリノス戦で選手たちが魅せてくれた「勝つために、最後まで絶対に諦めないこと」である。

勝利に向かって身体を張り、そして球際で徹底的に闘う。そのうえで、試合の最後まで絶対に諦めない。そういう姿に、我々は興奮し、そして感動するのだろう。

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熱という、やっぱり熱いサッカーをしていきたいと思っています。そういうサッカーを見て皆さんが熱くなって、エキサイトして喜んでいただければと

健太さんの就任会見を思いだす。彼が目指す姿として挙げた言葉は、「観ている人がアツくなるような試合をしたい」だ。そのために必要なものが、このマリノス戦でやっと理解できた。我々の根底に流れる「名古屋らしさ(闘う姿勢)」と、胸に刻んだDNAである「Never Give Up for the Win」の言葉にあることを。勝利という目的のもと、それらが全て噛みあった先に健太さんの目指す姿があったことに感動し、だからこそ、このマリノス戦をこれまでのベストゲームだと強調したい。

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このゴール裏を見てくれよ。自分にとって、名古屋のゴール裏は最も硬派でアツく、そして闘う集団である。

やっぱり、名古屋ってそうなんだよ。そう思った。

アツくなる試合を目指せ。ピッチでも、そしてピッチ外からも。俺は山岸の離脱でヒヨる小心者。山中亮輔の決勝弾にオッサン同士で抱き合う硬派と無縁の人生だ。でも、培われたこの「名古屋らしさ」と、〝ピクシー〟ドラガン・ストイコビッチがクラブに残してくれたDNAを胸に刻もうと改めて思った。誇れるものがあったのだ。

スタイル?大いに結構。それは「積み上げるもの」だ。

絶対に変わってはいけないものは何なのか。大切なのは、自分たちのアイデンティティを失わないこと。

それにしても健太さん、やっとマリノスに勝てましたね(文通形式)。あれは2年前でした。ホームでマリノス相手に4発ぶち込まれたあの試合。忘れてない。忘れてません。正直、ブチギレて帰宅しました。まずは、そのリベンジに乾杯。もう一つ、長らく呪縛に苦しんだ「脱マテウス期間」からやっと、やっとこさ一歩踏みだせた実感を得られました。長かったですね。長すぎました。ほんとに乾杯。今回のマリノス戦、70分以降をもう4回は観ました。病気です。過去は全て忘れてあげます。

外見(見せかけのスタイル)に執着せず、中身(譲れないもの)にこだわれ、か。外見に拘りたい人生だった。

本当にありがとう。誇らしい。最高の試合だった。