みぎブログ

主観で語りますフットボールを。

交錯する想い、譲れない哲学

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川井健太監督への風当たりが強い。とても、強い。

重っ。出だしから重いぜ。重いブログは読み手にも重荷になるので、正直ふざけながら書きたい。ただ、ふざけるのは不謹慎だし、そもそもふざけたいわけでもない。

それにしても勝てないねえ....スポナビの速報見るの恐えもん。昨季の段階で「(内容に反して)勝ちきれない」課題は露呈していたので、まだシーズンが始まったばかりとはいえ、懸念していた状況が早速訪れてしまった。

そうだ皆さん元気です?元気ないですよねわかります。

だってSNS見てるとツラいんだもんよー。言葉が荒んでんじゃん(仕方ない)。もちろん辛辣な言葉も多い。

シンプルに「辞めてくれ」との言葉は胸に刺さる。しかし、それ以上に「アイツは嫌いだ」「鳥栖は貴方の道具じゃない」「実験台にするな」なんて指摘はもっとグサリと突き刺さる。言葉のボキャブラリーが豊富すぎだ。

最初に断ると、これらの言及を否定するためにこのブログは書いてはいない。噛みつく気持ちもさらさらない。

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結局いま何が問題かって、そりゃ勝てていないことだ(元も子もない結論)。それはそうなんだが、そんな状況だからこそ表面化する問題もある。それは、鳥栖らしさを改めて問う声であり、或いは、今それがピッチで体現できているか、との疑念である。大きな溝の原因だ。

鳥栖らしさ」の定義は人それぞれだろうし、そもそもお前がそこに言及するのかと今ツッコんだところです。ただ、多くの人にとってそれは「最後まで走りきり、球際で戦い続け、目の前の試合で勝利を掴むために全力を注ぐことである」という認識であろうことは伝わっている(細かいディテールのツッコミはお許しください)。

その意味において、川井監督はどうだろう。

貫きすぎですね(分かっていた結論)。ゴール前にバス置いた(勝つためになりふり構わず選択した)の監督業最大の後悔って言ってたもん。バルセロナのシャビと同じじゃん。ポリシーが強すぎる。ブレろ、もっとブレてください。そしてバスを買ってください。プロとして、フットボールを(お金を払って)観てもらう、応援してもらうために、果たしてどんな振舞いをするべきか。この点で非常に強い信念を感じるし、それが川井監督にとって「ブレてはならない核のようなもの」なのだろう。

sportiva.shueisha.co.jp

この記事、皆さんは読んだだろうか(読んでるわな)。

鳥栖にとって天敵ともいえるアビスパ福岡にホームで敗れた夜。しかし、やりたかったフットボールは表現できたと、その日の夜は「よく眠れた」と発言している。

この部分の文意が汲み取れているのか、誤読していないか、もっといえば本人の意図していたことがこの文章でどこまで表現されているのか分からない。とはいえ、この記事がリリースされた当時はさすがの私もツッコんだ。いや、意図はわかるよ。でもさ、もし鳥栖サポーターが悔しくて眠れなかったら?同様に、監督にも「あの日は悔しくて眠れなかった。アイツらだけには絶対に負けたくなかった」と言って欲しいんじゃないかって。

勝つために、やれることは全部やったのか。なりふり構わず、勝利を目指したと言えるのか。戦い抜いたのか。

反発する鳥栖サポーターが指摘しているのはまさにこの点で、とりわけ古参のサポーターや、ユースまで応援するような生粋の鳥栖サポーターほど反発が強い(ように映る)のは偶然ではないと感じる。川井監督に強い信念があるように、彼らにだって強い信念、誇りがある。歴史もある。その想いが交錯し、結果として一部の層から強い反発を招いた点は、重く受け止めるべきだろう。

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鳥栖の人たちが何を求め、何に誇りを抱いているか。

その見込みが甘かったのか、或いは、分かっていて尚、今のスタンスを崩さないのか。それは分からない。

ただ、反発する鳥栖サポーターの人たちからすれば、「今のチームは(勝つために)やれることをやりきっていない」とおそらく感じているはずだ。「アンタの信念が勝負事の邪魔をしている」と。そう思えてしまうのが、歯痒いし許せないのも分かる。何故ならそれは、彼らの誇りすら傷つける行為だから。そんな鳥栖は、鳥栖ではない。きっと、到底認められることではないのだ。

何が正解なんだろう。頭がグルグルと回っている。

最近、空き時間に過去の鳥栖の試合を見直してた。仕事後眠いマジで。でも、なんで勝てないのだろうと思うと居ても立っても居られない。そのせいで寝不足です。

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試合の内容(とりわけ相手に対してのアプローチ)だけをみても、質はめちゃくちゃ高い。例えば町田ゼルビア戦。4-2-4気味でハイプレスを仕掛けてくる相手に対して、作為的にビルドアップし、2枚(の町田ボランチ)の脇取って前進して。芸も細かいやることも論理的。仕込みのレベルが高い。自陣側ビルドアップ選手権なら普通に優勝でしょう。ただ、相手陣地に侵入以降が課題だなあ....自陣での振舞い(と、そのために必要な人員・質)にかなりのリソースを割いている印象はあって、だからこそ「その先」がパワー不足の印象は否めない。

取っているリスクに対して、それに見合う対価を得られていないのだ。一言でいえば、この印象が非常に強い。

ボールを保持しているわりには、相手ゴール前のシーンが乏しい。攻めの姿勢(とメンバー構成)を貫くがゆえに、失点はかさむ。現状は、誰がみても悪循環である。

そもそもが難しいことにチャレンジしてると思うんだ。

決して戦力に恵まれているとは言い難く、資金に乏しいことも周知の事実。ああ憎し、債務超過のクソ野郎。

それでも鳥栖は「強者のフットボール」を目指していく。守って守ってカウンターでなく、ボールは大切にするものだと主張する。立ち位置にフォーカスした攻撃、様々なシステムを駆使し相手へ襲いかかるようにボールを狩る守備。前任者であるキムミョンヒ氏が築いた鳥栖の新たな礎に満足せず、そこに「個々の技術」を要求し、「相手の型に捉われない(それで自らの型まで変えることのない)守備」に挑んだ川井監督。特に前者に関しては、昨季からのJのトレンドであるマンツーマン気味のハイプレス対策(カウンター)にもなっている。

弱者の立場を受け入れるのではなく、やる以上は強者(優勝)を目指すべき。川井監督の信念は揺るぎない。

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また、こういったロジカルなフットボールは、2020年から鳥栖が取り組んできた文脈を汲んだものであり、今となってはこれも「鳥栖らしさ」だと私は思っている。

だから、ある角度から見たときに「そこに鳥栖らしさ」を感じられないからと、「アンタのやってることは自己中そのもの、鳥栖というチームをそのツールに使うな」なんて指摘は、正直にいえば私は寂しい。違う角度から同じ対象を眺めれば、もしかしたらまだ気づけていなかった新たな魅力があるかもしれない。それだって、「鳥栖らしさ」だと呼べないだろうか。白か黒、ではなく、「今はこちらの要素が不足しているのでは」と指摘するのは大賛成だ。魅力はいくつあってもいいのだから。

とはいえ、川井監督の譲れない信念と、そもそも紡がれてきた「鳥栖らしさ」の相性が悪いのも事実であろう。

フットボールの質が高いのも、それがある一定の層からみてウケがいいのも認めよう。でも、結果がついてこないとき貴方はそれ以外の策を取れるのか。泥臭く、ときに手段を選ばず、目の前の一戦を死に物狂いで奪いに行けるのか。川井監督が問われているのは、そこにある。

貫くには、いや貫くために〝結果〟が必要なのだ。

それでもなお譲れない信念があるのなら、それが〝結果〟に繋がることを証明する必要がある。何故か。どれだけ高尚な信念も、結果がでなきゃ終わるからだ。名古屋グランパスの指揮官が風間八宏だった時代に、私はそれを痛感している。結果が残らなければ強制リセット。本人の想いも、ファンサポーターの想いもお構いなしだ。希望に満ちた道は、突然目の前から消えてしまう。

はやく監督をクビにしろ。こんな声もよく目にする。

しかし、では代わりに誰が監督をやるのか。果たしてどんなスタイルを求めるのか。そんな疑問も残る。

この文脈において悩ましいのは、鳥栖の選手たちの能力を、川井監督以上に調理できる監督が果たして何人いるのか、という点にある。後ろにバスを置く、或いは最前線はとにかくカウンター狙い。そういったフットボールが成り立つ戦力を今の鳥栖保有しているのかは、議論の余地があるはずである。裏を返せば、それほどまでに川井監督の哲学に沿ったメンバー構成を3年かけて築いてきた印象が強い。スタイルが振り切っている分、「人(選手)」は良くも悪くも選んできた。ゆえに、そもそも今残っている選手たち自身に、どれほど他のスタイルへの適性があるのかは考える必要がありそうだ。

悩ましいな。書いていても答えなんて持ってねえわ。

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でもさ、だからこそ見てみたい。

このまま力づくで突き抜けていけるのか。それとも、理想と現実の帳尻を噛み合わせるのか。はたまた、ロマンを追い求めて(譲れぬものがあると)沈んでいくのか。

川井監督は、どんなアンサーを提示するのだろう。

特定の人物を槍玉にあげ、悪者に仕立てるのが一番楽だ。アイツが悪い、アイツのせいでぐちゃぐちゃだと。

でもね、きっと誰もが「鳥栖のため」に戦っている。

少なくともこの一点において、私はこの約3年間で川井健太監督を疑ったことは、一度たりともない。

であるなら、せめて指揮官として戦ってくれている内は上手くいってくれと願いたい。素直に応援したいのだ。

突き抜けろ。或いは、変化し、進化しろ、と。