話題になったミシャのスピーチ。これ、凄いよね。
ミシャの通訳さんがかなり意訳していたとか、あるいは、ミシャと浦和レッズのプロレス云々には正直興味がなく、なにより関心をひいたのは、ミシャが“勝敗”と“内容”について、ここまでド直球に意見したことだ。
面白いもので、その点について大きな話題とはならなかった。ただ、例えば成績がふるわないクラブにおいて、ファンサポーター内で拗れるケースは往々にしてこういった価値観の違いに起因する。結果を伴うスポーツはある意味でゲンキンなもので、勝ってる間は平和一色。「勝った」事実の説得力に勝るものはなく、目の前にある悩みごとなど全て覆い隠してしまう。しかし、問題は負け始めてそれが続くパターン。負け始めた途端にこの価値観のズレが邪魔をして、本来仲間であるはずの身内のファンサポーター同士に争いごとが生じてしまう。
正直にいって、この議論においてどちらが正しいとか間違っているなんて答えは出せない。ゆえに、冒頭のミシャのスピーチも、「よく言った!貴方のおっしゃる通り!」などと言うつもりもない(が、「よく自身の価値観でここまでド直球なボールを放ったな」とは思う)。そのスタンスを、まず明確にしておきたい。
ただ、この投げかけは本当に良いテーマだ。
各々が自身の応援するクラブのシーズンを振り返る際、このスピーチも心の片隅に残しつつ、一体、自分は目の前のクラブに何を求め、期待しているのかを問いながら振り返ると、より意義深いものとなるのではないか。
面白いかどうかで意見の割れるサガン鳥栖
さて、私の推しクラブは言うまでもなく名古屋グランパスなのだが、とりわけフットボールの観点で魅力を感じているのがサガン鳥栖と徳島ヴォルティスだ。
特にサガン鳥栖については語りたいことが山ほどある。
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今季を振り返った際に、(あくまでも私の観測範囲ではあるが)賛否分かれたチームだったことは確かだ。結果に関わらず面白いと支持する人もいれば、いやいや面白くなかったとバッサリ切り捨てるコメントも見た。
まず、そもそも論から入りたい。
私も「面白い面白くない論争」に常にいたい
大前提として「応援するクラブのフットボールが面白いかどうか」が議論になる時点で羨ましい(そこ)。鳥栖の人たちが自覚的かはさておき、多くのクラブのファンサポーターは日常的にそのような話題で議論はしていない(気がする)。では、なぜそこが(必然的に)論点になるかといえば、それは(監督を筆頭に)現場が自分たちのやりたいフットボールを提示することに成功しているからではないか。やりたいことが明確だから、好みが分かれる。自然とフットボールの“質”に目が向かう。
これ、早速話は脱線するが、今季の徳島も同じだ。
シーズン途中に吉田達磨監督が就任してからというもの、「俺たちのスタイルはどうなった!」とか「スペイン路線忘れたんか!」なんて声をよく目にした。あえて変な日本語をかますが、そもそも羨ましい(二度目)。
徳島に至ってはスペイン路線ではや6年。もはや身も心もどっぷり浸かり、なによりそのスタイル、というか方針(路線)を“誇り”としているのがよく分かる。だから、道を逸れそうになるクラブに黙っていられるわけがない。ファンサポーターの目はバキバキ(怖い)。それらがフットボールの“質”を根底に育まれた文化であることは、徳島にとって一つの成功の証だといえるだろう。
鳥栖も徳島もいろいろあるけれど、要は素直に羨ましい(三度目)。そういう議論が起こること自体、稀です。
やさぐれてきたので話を戻す。鳥栖の話だった。そんな鳥栖だが、なぜ「面白くない」と感じる人もいたのか。これは私の意見にはなるのだが、目の前にあるその「未完成さ」が、そう思わせたのではないだろうか。
自分たちにフォーカスするチームの難しさ
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「現状は」中途半端なのだ。勝つでもない、というか、勝つためになりふり構わず手を尽くすチームではない(良くも悪くも自分たちの“型”にこだわる)から、「負け方」が似る。つまり、同じような負け方を毎試合繰り返しているように見える。だから面白くない。今の鳥栖は、「なりたい自分たちの姿」にフォーカスしており、出来ないことをチーム戦術で補おう(それで包み隠してしまおう)という手段を取らなくなったように思う(この変化がなにより大きい)。もう少し噛み砕くと、もちろん今だって走れるチームなのだが、一方で「走ることに頼らないチーム」になった。走ることが前提にある戦術は武器になるが、一方で、その戦術だけに頼ることへの限界も感じた末のアプローチ、というべきか。もっといえば、その特色はもはや鳥栖だけのものでもない(それこそが今季のトレンドだ)。なお、私なりに考えた今季の鳥栖の取組については以下を参照してみてほしい。
しかし、“個人”に特化したアプローチは時間がかかるのがとにかく難点。当たり前だろう。出来ることを駆使するわけでなく、出来ないことを出来るよう努力するのだから、昨日の今日で劇的に変わることはない。つまり、短期間での変化が乏しい。もちろん奇を衒うこともしなければ、目先の結果欲しさにスタイルに反することもしない。それは己の美学が許さないからだ。そうやって毎試合臨めば、負けるパターンが似通うのは必然である。
では、お前(私です)も同様に面白くなかっただろう?と問われるかもしれないが、決してそんなことはない。
そもそも“面白い”と感じるポイントは人それぞれ
そりゃあ、過去数シーズンに比べると、目の前の出来に惚れ惚れするとか、ワクワクが止まらないなんて衝動は薄かったかもしれない。ボールを狩る(襲いかかる)チームから、まずはボールを繋ぐチームにシフトしつつある停滞感。やっぱり、難しいことにチャレンジしてるなあ......とは感じていた。しかも、決して恵まれた戦力ではない中で。でも、そういうもどかしさって、自分にとって許容範囲なんだ。目の前の一試合一試合の出来(完成度)には正直こだわってない。むしろその「上手くいかなさ加減」が面白かったりもして、要は“面白い”と感じる定義(解釈)が違うのだと思う。3ヶ月前に出来なかったことが、気づいたら出来ている。そういう実感を感じられる、その過程を見届けたい欲の方が強い。
ただ、その文脈が成立するための条件は当然ある。
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そのチームがどんなフットボールをしたいのか、目指しているのか。それが、観ている側にメッセージとして明確に伝わっているかどうか。そのピッチ上から、多少なりとも感じ取れるものがあるかどうか。これが重要だ。
目指している姿があり、目の前には現実(現状)の姿がある。その差異を毎試合楽しむ。もう少し噛み砕いていえば、「きっとこんな姿を目指しているのだろう」と『(それが)出来ている未来』を想像しながら、目の前のチームを追いかけることこそ、自分は「フットボールが身近にある生活」の最大の魅力だと思っているのだ。
ただ、そう言ってしまうときっとツッコまれてしまう。
「それはお前が『生粋の』サガン鳥栖サポーターではないからだ」と。「所詮は外野の人間」であり、「お前に分かってたまるか」だ。価値観がぶつかる時、こういったレッテル貼り(線引き)は悲しいかな発生する。
ただ、そんなものは別に関係ないんだ。
プロの試合に果たして何を求めるか
自分のような価値観だと、同じように名古屋のことも見てしまうから。そりゃあ勝ってほしいよ。いつだって、応援するチームには勝ってほしい。絶対に譲れない戦いだってある。例えば、2017年のJ1昇格を賭けたプレーオフや、あるいは、2021年のルヴァン杯決勝で、「内容が良ければ勝敗は二の次」なんて思うはずもない。なんでもいい、とにかくこの試合だけは勝ってくれと、ただ一点、「勝敗のみ」にこだわることは当たり前だがある。
でも、一方のリーグ戦に関していえば、自分は目の前の一戦一戦の勝ち負け「のみ」にフォーカスはしていなくて、そのチームの歩む文脈を感じ取りたいと思って観ている。だから、誤解を恐れずいえば、結果は所詮結果でしかない、のだ。もちろん、勝ってほしいし、勝てば嬉しい。が、勝てないことも含めてフットボールだと思っているから、最終的に1年間(リーグトータルで)観る喜びがそこにあったか、がなにより重要だと捉えている。
そう考えると、やっぱり自分にとってのフットボールは勝負事、ではなく、エンタテイメントなのだろう。
勝敗だけを競う(問う)ことに魅力を感じていない。そこにチームや選手たちの成長を感じたいし、それを感じられるような土壌があって欲しい。仮に、ただ勝敗を競うだけのリーグ戦なら。私のような価値観では、目の前の一試合が記憶に残らないだろう。逆に、勝敗以外の魅力がそこにあれば、負け試合でも強く記憶に刻まれる。チームの歩むストーリーに入れ込むことができれば(強い思い入れがあれば)、どうしても勝ち『だけ』が欲しい試合に、自分の人生を全部乗っけて応援できる。
もうこればっかりは私個人の価値観であり、当然そんな価値観は認めない、嫌いだと罵る人がいることも知っている(し、実際に罵られたことは何度もある)。私のような価値観がある一方で、いわゆる「勝利至上主義」な人たちがいるのも理解できるし、そこの議論はいつまで経っても平行線だ。そもそも成長、ってね。プロの世界で成長もクソもないだろと言われたら、そういう価値観もあるよね、としか思わない。で、あるからして、正直気は合わないだろうが対極の価値観を否定するつもりもさらさらなく、お互い自分の土俵で楽しもうぜの一言でさらっと解散するのが私のアナザースカイです。
自分にとっての「あるべき姿」と現実が違う問題
でも、一つだけ考えさせられたこともあったんだ。
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そもそも「鳥栖のスタイル」とは、勝利のためになりふり構わず勝ち点3を掴み取りにいくことだ、という意見。それが、長年鳥栖が積み上げてきたスタイルだと。これは、私が信頼する(大好きな)古参?サポさんがコメントしていたのだが、なるほど。正直、この価値観の擦り合わせがなにより難しい。なぜなら、川井監督の思想というのか、フットボールの考え方(つまり美学)はおそらく対極だから。この噛み合わなさって、それこそ前述の徳島も同じで、「自分にとってのあるべき姿はコレだけど、クラブが同じ方向を向いていない(ように感じる)」ことって絶対にある。起こり得るし、というか、避けられない。自分の思い通りに進むはずもない。
でも、それで全てがつまらなくなるのはやっぱり嫌で。応援するチームに負けて欲しいなんて願いたくないじゃん。嫌いでも(好みでなくても)、付き合わないといけないときはきっとある。そうなると、出来ることは二つのみ。ひたすらに受け付けないか、その相手(クラブや現場)のことを「(少しでも)理解しようと」努めるか。私自身も、これまでこういった現実(矛盾)に何度もぶち当たってきたわけだが、結果、選んだ(楽しくいられた)のは後者だった。なんでこんなことするんだろうと悩んで、自分なりに考えて観察するしかない。それが相手(クラブや現場)といい距離感を保つための(現状の)私が持ち得る答えだ。もちろん、それで明らかにマズイ方向に進んでいると思えば批判もすればいいと思う。理解をしたうえで、「でもやってること違くね!?」となればさ、そりゃ黙ってはいられない。
私は今の鳥栖、すごく好きだよ
ちなみに、私は今の鳥栖の方向性を支持してる立場。
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債務超過真っ只中のクラブにあって、目指すものは残留のみ、そのためならスタイルには拘らないなんてチームに、果たしてどれだけの選手たちが集まるのかと疑問が残る。Jリーグ自体の競争力が上がり、予算規模にも差がついてきた際に、このスタンスではジリ貧だというのが私の考え。もっといえば、前述の通り、そもそもリーグの流れが本来鳥栖の得意としていた土俵側に寄ってきているジレンマもある。それでは先がないと判断したのは鳥栖の前任者も同様で、だから2020年から新たなスタイルを模索した。「フットボールの『質』をみて、文化にする」ことを望んだのだ。これは徳島も、今季躍進を遂げたアルビレックス新潟も同様。選手たちは「上手くなりたい」。そう思わせるだけのフットボールと、それを育む環境が必要だと思う。「そんなこと言って、その選手がいつまでこのクラブに残ってくれるか分からないじゃないか」そういった意見があるのも知っている。その文脈において、即効性(効率)が悪すぎると。
だったらユース生を使って欲しい、そんな気持ちも痛いほど分かる。というか、クラブにとってそれは必要なことだ。でも、もしかしたらユース生の方がもっと時間を要するかもしれない。優秀なユース生が現れれば、外から触手が伸びるのは彼らだって同じだ。私は、席は譲るものではなく、最終的には「奪い取るもの」だと思う。むしろ問うべきは、チーム内に競争原理が働いているかどうかであり、その優劣が、果たしてどんな基準によって決められているかだ。その基準に妥当性はあるか。議論の焦点は、この点にあるべきだと主張したい。その意味において、今季の鳥栖(というか川井監督)はシーズンを通して一切ブレなかったと思う。一貫していた。
なんにせよ、2021年シーズン終了後を想えば、その後の2シーズンを「残留を目指し残留した」のではなく、「それより高みを目指した結果、残留した」事実を、私は最大限評価する。この違いには、雲泥の差がある。
クラブ、マスコミの皆さんに私はこう伝えたい
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鳥栖に関しては、この文脈で問題提起もしておきたい。
それは、鳥栖のような我が道を突き進むスタイルでいくのなら、やはり今以上に観る側の解像度が上がるような、つまり観ている者たちの目線が揃うような発信がもっともっと必要ではないのか、という点だ。
どんなフットボールに取り組んでいるのか。目標をどの位置においているのか。勝負の年は今年なのか、それとも長期的な計画なのか。例えば小林祐三スポーツダイレクターとかさ、それをもっともっと発信してもいいと思う。目先の結果にとらわれない、自分たちにフォーカスしたフットボールって、特に停滞期は観るものの目が揃わないんだ。あれ、なんで毎回こんなことやってんの?と。いい加減にしろよ、勝つために守れよって。負けるべくして負けているように映る。どうしても各々で観ている景色はズレてくる。もしかすると私だってズレまくってる可能性ある。その事実を軽視しないで。「自分たちのなりたい姿」を明確に提示し、今のチーム状況や選手たちの様子がもっと伝わるといいと思う。
いやあ......長くなった。言いたいことは全部書いた。
つまるところ何を願ってるかって、(全員とは言わないが)多くの人にとって今のクラブ(チーム)が誇りに思える、自慢したくなるような対象になって欲しいのだ。結果が「要らない」とは言ってない。何かを追い求めた先に結果がある、ついてくる。それが一番いい。
そういえば、もう一つのアナザースカイこと名古屋の話題に触れてない。ここまできたら名古屋で締めるから←
まだこのブログは続く名古屋編
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ごちゃごちゃ書いても仕方ないので、マテウスが中東に飛び立ってからのアプローチにフォーカスしたい。結論から言ってしまうと、あの(長谷川健太氏の)アプローチは、私個人の意見としては面白くはなかった。このブログの文脈でいえば、好みではない、が適切か。
なんだろう、やっぱりずーっとパズルを組み合わせていた印象が強い。でも、マテウスがいたときに完成していた(ピタッ!とハマっていた)そのパズルの枠組みでは、もう何を(誰を)どう組み合わせても(ピースをはめ替えても)絶対にピッタリはハマらないと誰しもが薄々気づいていたと思う。だから、もういっそその枠組みから改めて、今あるピースで土台から調整しようとなれば良かったんだけれど、そこまでの時間も、勇気もなかったなというのが、私個人の感想である。
でも、難題だったのもすごく分かるんだ。理由は三つあって、一つは開幕から(そのパズルが)あまりにも上手くハマりすぎたこと、疑う余地がなかったこと。二つ目は、シーズン真っ只中の夏以降では、そこまで大掛かりな工事をするのがそもそも難しい事実。そして三つ目は、どのコンペティションにおいても“タイトル”が懸かっている位置にいたこと。そんな悠長な時間がそもそもなかった。もちろん、健太さんにも問題がなかったわけではない。マテウスがいる前提ならBやらCのパターンもあったのだろう。ただ、皮肉にも「マテウスがいない」Bパターンを全く持ちあわせていなかった事実は痛恨の極みだった。正直、後半戦大失速の最大の原因はそこにある。......が、まあ簡単ではなかったと納得してる。
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そのような理由により、結果的には(一縷の望みをかけて)毎試合パズルを組み替えてはある種の神頼み(上手くいけ!との出たとこ勝負)状態が続いた。その試行錯誤という意味においては文脈も成立していたが、私個人の好みは(このブログで散々書いてきた通り)少しずつでも練度を上げていくアプローチ。ゆえに、どうにも後半戦に関しては毎試合流れがぶった斬られる想いで、試しては替え、試しては替えの繰り返しが(しかも上手くいかないのが都度伝わる分)、継続して観ていく面白さを削いでいるような感覚は正直あったように思う。
(長谷川)健太さんは、選手の育成においては実績も十分だ。得意技「俺が育てた」によって、身内を代表に送りこむエキスパートでもある。ただ、やはり彼の本分というのか、一番の魅力は“勝負師”としての顔であり、そのためのマネジメント力にあると思う。
“育成”と“結果”。この相反するような二頭を苦心しつつも追いかけていたのは伝わっている。だが、とりわけマテウス離脱後の後半戦に関しては、やはり“結果(タイトル)”を追いかけなければならない現実が比重として上回った印象は強く(当然だと思う)、その結果、期待して送りだされた若手たちがその狭間で振り回されてしまった感は否めない。それを若手たちの力不足との言葉で片付けるのは簡単だが、それはどうにも酷なように思う。
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観ている側の一人として、このブログで書いてきた“勝敗”と“内容”の文脈で付け足すとすれば、“勝敗(結果)”をひたすらに追いかけ、しかしその結果がついてこない日々は、やはり虚しかった。勝てなかった事実以上に残るものがなく(何かを積み重ねている感覚が乏しく)、毎試合ダメだったの繰り返しでしかない日々は、なんだか寂しい。もちろん、トライアンドエラーを繰り返す積み重ねはあったのは分かる。なにより、選手たちは本当に頑張っていた。ただ、少なくとも今季の名古屋は、「勝つこと」にこそ価値のあるチームだった。
以上(ブログの更新頻度の悪さが文字数に現れる)。
鳥栖の健太さんの課題が攻守におけるゴール前の質にあったのなら、一方で名古屋の健太さんの課題もまた明白。マテウスなき名古屋の再構築、それも特定の人物に依存しない仕組み作りが来季は問われている(もしくは夏の移籍の断固拒否な姿勢、中東を追い払う術)。
さて、名古屋と鳥栖の3年目はどうなるか。徳島の皆は笑ってシーズンを過ごせるのか。私は来季もぶつぶつ文句言いながらシーチケ民としてスタジアム通います。
それぞれ、フットボールのある日常を楽しもう。