みぎブログ

主観で語りますフットボールを。

「TT Lounge FM」収録を終えて

あれは休日にマッサージへ行った帰りの出来事。

何気なくXを開く。そこには、「TT Lounge FM」からDMが届いたお知らせが。恐る恐る開封し、とりあえず流し見してそっと閉じる。おいおい嘘だろ。落ち着こう俺。近くのコンビニに入る。パルム(アイスクリーム)を車中で食べながらボーッとしたが、どうにも現実が受け止めきれない。そこから数時間は具合が悪かった。

TT Lounge FM。長らく大好きなPodcastだ。

超がつくヘビーリスナーである自分に届いたお題は、「クラブとサポーターの幸福な関係を考える」だった。

なんとまあ難しいテーマ。だって明確な答えないしさ。しかも番組の構成には「試合後のゴール裏挨拶問題」なる記載もあった。待って俺ゴール裏にいないんだけど。

正直、悩んだが、それでもこのオファーを快諾した。

理由はいくつかある。まず、単純に(例えば身バレ的な)「受けるリスク」より「断る後悔」の方が大きいであろう確信があったこと。前述の通り、このPodcastが大好きだったこと。そして、そもそもこのオファーが届く以前から同様のテーマに自分自身も興味があったこと。と、それらしいことを書いているが、そもそも悩んでいるようで実は結論ありき(受けたいとの想い前提)であることへの自覚があった。あー悩むのやーめた。

そして、ホストである小林祐三(パンゾー)さん、進行役となる井筒陸也さんと話すこととなったのだ。

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Podcast出演のキッカケ

出演の大きなキッカケとなったのは、以下のポストだ。(一応掲載するが長いのでひとまずスクロール推奨で)

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いつものようにTT Lounge FMを聴いていたところ、(それまでのエピソードの流れで)クラブ経営の難しさに話題がとんだ。数ヶ月前にサガン鳥栖のスポーツダイレクターから身を引いた(引かざるを得なかった)パンゾーさんの言葉には、一般論としての立場ではなく、自身が悩み苦しんできた背景がもたらす重みがあった。

これは嘘のない言葉だと、何度も繰り返し聴いた。

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サガン鳥栖のファンサポーターにも、このエピソードを聴いてほしい。まずシンプルにそんな想いをもった。加えて、 自分なりに「パンゾーさんが伝えたかった想い」を考え、言葉にしたいと感じていた。もちろん、このエピソードを受けて「自分がどう思ったか」も大事だと思う。ただ、今の鳥栖には「相手がどう思っていたか」を考えることの方が意味はある(助けになる)はずだと。

ただ、結果としてこのツイートはエピソードを周知する役には立ったものの、「なぜ私がこのツイートをしたのか」という意図までは伝わった自信がない(一部の方からは「すごくスッキリした」とコメントを頂けたが)。

エピソードに対する感想は、意外なものだった。

「だったらもっと(本音を)話して欲しかった」が「自分たちのことを信頼していなかったってことだろ」へ。

あれ....そっち!?マジか、逆に火種作ったかも。。

パンゾーさんが「ファンサポーターのことを想うからこそ取った行動」が、結果として、「ファンサポーターを信頼していないからこその行動」だと受け取られる。

この如何ともしがたい溝が、本当に歯痒かった。

 

現状のサガン鳥栖をどう評価するか

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唐突だが、自分自身は今の鳥栖を高く評価している。

悲しいかな、フットボール界においてクラブの資金力は無視できない現実だ。というより、「それがモノをいう世界」だといって差し支えはない。しかしその文脈において、ここ数年の鳥栖は信じがたい道を歩んでいる。

債務超過に始まり、クラブの内部騒動、主力の大量離脱。考えうる中で、最も避けたい状況を全て潜ってきた感のある鳥栖は、その逆境を乗り越えながらこの2年、見事に残留を果たしてきた。加えて、あのフットボールである。あくまでも私個人の価値観にはなるが、相当な〝質〟のフットボールを、おそらくリーグでも最低レベルの人件費から生み出すその気概を私は高く評価する。

でも、勝てない。決められない、そして守りきれない。

その非難の矛先は、川井健太監督個人に向けられた。

「ファンサポーターはどこまで高望みしているのか」正直に告白してしまうが、初めはそう思ったのも事実だ。

鳥栖の資金力であれだけのフットボールを作れる監督(またコーチ陣)を無能だと言えてしまう。いやいやそれこそ川崎フロンターレだって欲しがると思うぞ。そう心の中で何度ツッコんだか。果たしてこの(非難する)人たちは何を望んでいるのかと憤る気持ちもあった。

ただ、あのエピソードへのリアクションをみるに、その見立てもまた、正確なものではないと想いを改めた。

みんな、お金がないことなんて百も承知で、例えば優勝出来るなんて(本音では)難しいことを理解している。自分たちの置かれている立場だってよく分かっている。

でもだからこそ残留したい。どうしても生き残りたい。

このクラブ状況だからこそ、しがみついてでも生き残る必要がある。でないときっと先がない。誰よりもクラブの歴史を観続けてきたファンサポーターが、それを誰よりも理解している。『J1であること』に意味があるのだ。降格がチラつく今の状況においては、そんな想いがファンサポーターを必要以上に目の前の勝ち負けへと執着させてしまう。せざるを得ない心理に繋げてしまう。

ここ数年でクラブの状況はあまりに変わってしまった。

今夏もシーズン途中にも関わらず主力は引き抜かれる。質の高い選手たちが、おそらく下位カテゴリーのクラブと大きく変わらない値段で買えてしまう。翻ってそれに負けないほどの大型補強を鳥栖ができるか。いやいや出来るはずもない。なにせ赤字だけは出せないのだから。

しかし、残留を願う想い、J1にしがみつきたい気持ちだけは良くも悪くも何も変わらない。変わりようがない。当然だと思う。その気持ち自体は何も間違っていない。

このジレンマ(矛盾と悪循環)は、根深いと思った。

 

なぜ川井健太監督である必要があるのか

なんにせよ、「残留」への想いは皆同じであるはず。

共有されていないもの。それは、仮に残留「だけ」が目的なら、なぜその手段が川井健太監督なのかである。

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そもそも、川井監督のフットボールは「死に物狂いで残留を目指すチームに向いたスタイル」なのか。或いは、これまで鳥栖がJ1に生き残り続けられた成功体験が活かされているか。つまり、最後の最後まで泥臭く走りきり、身体を張るような「鳥栖らしさ」がそこにあるか。

違和感はあるかもしれない。皆もきっとそうだろう。

川井監督もよくコメントしているが、彼は選手たちに「いくつかの選択肢」を持たせたいと考える。そこでの判断や自主性を尊重することが、結果として選手の成長に寄与するはずだと。また、その余白が時に観るものの想像を超えるプレーを生み興奮に繋がると信じている。

これは、川井監督の哲学であり、信念といっていい。

ただ、本来なら残留争いをするようなチームは、もっと「選択肢を削る」方向に舵を切る。これが定石だ。

つまり、シンプルにプレーするということ。その方が、プレーから迷いは消え、仲間との意思疎通も容易となる。チームの綻びが生じづらくなるのは言うまでもない。ボールだって保持するより捨てた方が気楽なのでは。そもそもが金のかかっていないチームなのだから、「身の程をわきまえたスタイル」はこちらなのだろう。

選択肢があるから、ときに悩む。判断だって鈍る。

「守ってカウンターに徹しろよ」「後ろでダラダラ繋ぐな」「もっとシュート打てや」どうにも我慢ならず、スタジアムではこんな声が叫ばれているかもしれない。

しかし、だ。

クラブの規模に対して、生き残りを賭けた手段(スタイル)が常にそれであり続けた結果が、過剰な戦力補強による債務超過に繋がったのではないか。或いは、今度は限られた戦力(や発展途上の若手たち)という過去とは対極の状況で、目先の勝利をひたすらに追い続けた先にあったのが、あの内部騒動だったとは考えられないか。

もちろん、この間に取る手段(スタイル)は変わった。

しかし、サガン鳥栖という小さなクラブが生き残り続けるために、「勝利」という至上命題だけは、なんら意味や形を変えることなくそこにあり続けたのではないか。

核心といえば大袈裟だが、キモはここだと思っている。

パンゾーさんは言葉を選んでいたが、最も伝えたかった想いはこの点に宿っているような気がしたのだ。

もちろん過去を全て否定する必要は全くない。鳥栖が作ってきた歴史は、改めて言うまでもなく誇れるものだ。「鳥栖らしさ」も根っこの部分では継承して欲しい。

ただ、一方ではそのやり方に『間違い』もあった。

その事実を、認めきれて(受け止めきれて)いるか。

「新しい鳥栖を作りたい」。『新しい鳥栖』。ではどう新しくしたいのか。この真意が正しく伝わっていたか。

そう。「同じこと」をやっていてはいけないのだ。

過去を必要以上に美化していても始まらない。なぜなら、その過去の遺産に苦しんでいるのが今のチームなのだから。「前任者を否定することから始めないといけない」「でもそれはしたくなかった」「分かってくれていると思っていた」パンゾーさんがそう説明した意図を、自分自身も収録を終えた今、改めて考え直している。

今思えば、このPodcastの過去のエピソードで、パンゾーさんはこんな発言をしていた(これも聴き直した)。

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自分がクラブを作ってというとおこがましいけど、方向性を定めて進んでいくときには、みんなのプロの仕事が誰かの犠牲だったり、そういうものの上に成り立つのは本当のプロの仕事ではないと思っている。誰かの犠牲の上に誰かの仕事の成果が出来上がるような組織ではないものにしたい。そのためには、当たり前だけどオープンであるべきだし、フラットであるべき。それは原理原則かもしれないけれど、そこをしっかりとクラブとして徹底してやる。「自分たちはこういう風に変わったんだ」と明確に示したかったし、その方向でクラブを進めていけば、一つの時期としてああいうものがあっても、新しくクラブがこういう方向を示しているんだということが、いろいろな人に伝われば、それはサッカー界としても価値があるんじゃないかと思った。どんなクラブにもいろいろな状況や時期がある。ずっと順風満帆なクラブはない。こういう状況にクラブがなった中で、その時、サガン鳥栖はこういう組織づくりを行いましたと。自分は鳥栖のレジェンドではないけど、ここでプレーしたことのある人間がクラブに戻って指針を示したり行動に移したりするのは、選手やスタッフにも伝わりやすいし、それがファンサポーターにも伝われば嬉しいと思っていた

この文脈や今回の対談でのやり取りを経て、私自身も改めて考え、問い直した。なぜ川井監督なのか、と。

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川井監督なら、きっと新しい鳥栖を築いてくれる。

限られた戦力でも、規模の大きなクラブに太刀打ちできるようなフットボールを展開してくれるだろう。また、勝敗だけではないフットボールの魅力を、選手たちや、なにより鳥栖の人たちにももたらしてくれるはずだ。

心からそう思えたから、彼に託したのではないか。

また、パンゾーさんはこうも思っていたかもしれない。

だからこそ、『新しい鳥栖』を作ろうとする今のチームをサポートして欲しい、応援してやって欲しいと。〝現在(いま)〟を支えてほしいと。でも、現実は勝てないチームに我慢ならず、全てはこの監督のせいだと、その責任が特定の個人に向かってしまう。挙げ句の果てには辞めたパンゾーさんまでなぜか悪者扱いされてしまう。

では、そこを汲み取れないとしてファンサポーターが悪者なのか。パンゾーさんが、全て正しかったのか。

そんなことはない。パンゾーさんは悔やんでもいた。

応援するファンサポーターに対して、目指している未来や作りたいチームについてもっと言葉にしたかっただろう。そこをやり切れなかった後悔(反省)があるのだと今回の収録で感じている。また、そういう機会(詳細に取材してくれる媒体)がないという業界自体の問題もあるはずだ。それこそピッチに目を向けても、川井監督がどういう想いでチームを作っているか、普段からどれほど濃密なトレーニングをしているか、多くの人に伝えられる手段がないことも(特に地方の場合)悩ましい。

また、今回のテーマからは逸れるが、ファンサポーターだけでなく〝スポンサー〟の存在もある。無視できるはずもなく、そこもまた大きな悩みだったに違いない(例えばだが、「この文脈を理解して欲しい」と伝えたところで、どれだけのスポンサーが納得しただろうか。いや、とにかく「勝つこと」を求めやしないだろうか)

ではもうここで終わりなのか。これは失敗だったのか。

そんなことはない。まだ間に合う。終わってない。

お前どの立場から言ってるんだと気持ちを逆撫でしてしまうかもしれない。何がわかるんだと言われたら、そりゃそうだと認めるさ。観てきた歴史だって浅いもの。悔しいけれど、所詮は外様であることなんて百も承知だ。

それでも、やっぱり今のチームを支えてあげてほしい。

同じことをやっていちゃ駄目なのだ。勝利だけを強く望み、上手くいかなきゃ誰かを責め、気持ちに折り合いつけて。それでは『新しい鳥栖』なんて出来っこない。

これまで築きあげた「鳥栖らしさ」ももちろん大事。

ただ、そこへの強すぎる想いが、ときに異なる対象を受け入れることや、或いは上手くいかないことを許容する姿勢を邪魔してはいないか。「特定の誰か」に問題を集約すれば全て解決するのか。絶対にそんなことはない。

このチームを諦めないこと。「こんな鳥栖は私の愛した鳥栖ではない」などと、見て見ぬ振りをしないこと。

今のチームも、きっとずっと愛してきた鳥栖なのだ。

変わろうとする鳥栖を冷めた目で見ず、『一緒』に変わる。だって、クラブは『皆』のものでもあるのだから。

「残留さえしてくれればあとは何でもいい」。いやそれは間違ってるよ。それでは過去から何も変わってない。

なぜ鳥栖が生まれ変わろうとしたのか。そこに後から気づいても遅いのだ。今だよ。今がその「渦中」なのだ。

だから、今のチームにもっともっと期待してほしい。

 

「クラブとファンサポーターの幸福な関係」とは

最近読んだnumber(1100号)に、遠藤航のインタビューが掲載されていた。心に残ったのは以下の箇所だ。

アンフィールドは常にこの熱量なんですよね。いつも背中を押されるというか、むしろダメな時こそ応援してくれるっていう。チームの状態が悪くなった時も、試合後には拍手して称えてくれるんですよ。俺が来てからは、ブーイングも一回もされてないんじゃないかな。クロップもそうですけど....愛があるというか。一緒に闘ってる感がありますよね

ファンサポーターと一言でいってもその背景は様々だ。

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新たな未来を作ろうと邁進するクラブの姿を支持する者もいれば、愛するクラブの勝ち負けに一喜一憂する人もいるだろう。自慢のアカデミーを誇りに思い、家族のような眼差しで見守っている人だってそこにはいる。

たしかにグラデーションは様々だ。でも共通項もある。

それは「クラブ愛」だ。そこだけは何一つ変わらない。

川井監督率いるサガン鳥栖は、理想へ邁進しつつ、同時にこのクラブがJ1で戦い続けてきた歴史を途切れさせまいと日々奮闘している。川井監督だって完璧ではない。間違うこともきっとある。自身の信念と、ファンサポーターが求めるものとの狭間で葛藤だってあるだろう。

ただ、それは決して自分勝手な信念ではない。

「ファンサポーターのため」にあるはずの信念と、今この状況で目の前のファンサポーターが求めるものが噛みあわないことへの葛藤だと自分は思う。「選択肢を絞ってあげた方がいい」と川井監督がコメントしたとき。勝っている流れで早々に5バックにしたとき。凄いな、川井監督自身にも沢山の変化があるのだろうと痛感した。

逃げずにファンサポーターと向き合っているのだと。

例えそこに「鳥栖らしさ」がなかろうと、観ている者の好みのスタイルでなかろうと、『鳥栖のため』に必死で闘っていることを忘れちゃいけない。ファンサポーターが望むものに応えたいと、必死で足掻いている姿を。

また、それはパンゾーさんだって同じだったはずだ。

先ほど紹介したエピソード(58)から再度引用する。

そういう責任を取るポジションであることは、やる前から理解していた。ただ、「仕方ない」で終われないのは、今年や去年に来てくれた選手に「自分がこういう想いで、こういう組織を作りたくて、ここで君のパーソナリティとフットボールのスキルと情熱が必要です」と口説いて来てもらったので、そういう選手たちやスタッフには、整合性が取れなくなってしまったので申し訳ないなって....。そこの気持ちが、正直、今一番大きいですね。自分自身は「こういうものだよね」で済まされても、それが他者の人生に関わると思うとそういうわけにもいかない。

今年や去年、一昨年に来てくれた選手も、みんな来てくれたこと自体には本当に感謝している。確実に、金銭的にうち(鳥栖)が一番良かった人はほとんどいない。みんな、何かしら経済的なものを天秤にかけて低くてもうちを選んでくれた選手が多くて。それは、他から引合いがある選手もそうだし、元の所属しているクラブがもっとサガン鳥栖より良いオファーをだして慰留している選手もいる。そのケースは様々なんだけど、そういった選手たちが何かに価値を感じて来てくれた。『そういう人たちの集まりのチームですよ』とは伝えたい。それは、選手もスタッフも含めて。いろんなものを考えて、もちろん金額も大事。それでもやっぱり最後のところでああいった意思決定をしてくれた選手たちは、きっと何かの決断をする要因として、自分が伝えた言葉だったりサガン鳥栖が走っている方向性だとか、そういったものに少なからず影響を受けて意思決定をしてくれたと思うので。選手たちをそういう風に見てもらいたいし、応援してもらいたい。それが今、考えていること。

立場は違えど、みんな必死だったと思う。『鳥栖のために』、この一点において。そこは忘れちゃいけない。

そしてそれを支えられるのはファンサポーターなのだ。

ときに叱咤激励も必要だろう。愛が強ければ強いほど、腹が立つことだってあるに決まってる。自分もあるよ。

たださ、それでもやっぱり『支えたい』。

苦しい時こそ否定するのではなく『励ましたい』。

このチームを『尊重したい』。そして『理解したい』。

皆さんしかいないのだ。『新しい鳥栖』を作れるのは。

どうか一人で歩かせないで。『共に』歩んでほしい。

それが、「クラブとファンサポーターの幸福な関係」であるのだと、対談を終えた今、私は強く信じます。