みぎブログ

主観で語りますフットボールを。

こっちの赤対青の戦いも終わってない

待ち焦がれた週末のJも今では向こうから迫る日々。

ダレてきたな過密日程。大切だったはずの試合がなんだか消化目的なのがやるせない。狂ってるわ中二日。

だがそんな日々もあと僅か。今季も気づけば終盤だ。

migiright8.hatenablog.com

思い返せば今季最大のハイライトはやはり豊スタ川崎戦か。馬鹿やろう思ったより序盤じゃねーかと突っ込むのはやめて欲しい。なにせ今季の川崎は別格だ。

川崎戦以外は正直書くことがない。そう開き直っていた日々に変化が訪れたのはあのルヴァン杯敗退の日。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

マスコット総選挙なら我々に大敗のFC東京

何回負けたら気が済むのかマッシモは。思い返せばあんたもだ風間八宏。勝てた試しがないグランパス

しかしシーズンはまだ終わっていない。そして訪れた最後のリベンジの機会。大一番は、この週末だ。

 

忘れられないランゲラックとの出逢い

名古屋がJ1昇格後、つまり2018シーズンから3年間における対FC東京戦の成績を振り返ることから始めたい。シーズン前のキャンプでの練習試合も含めると、

なんとまあ圧倒的敗北、1分7敗。

弱い、なんてくそ弱いんだお前たち。知ってたけど、全然勝ててないって俺薄っすら気づいてたけどな。

そんなこんなで遡ること2018年シーズン前。

楽しみだった。一年振りにJ1に復帰した名古屋が、果たして上のカテゴリーでどこまでやれるのかと。

そして沖縄で組まれたFC東京との練習試合。

2018.2.10 名古屋グランパスvsFC東京 1-1 分け

nagoya-grampus.jp

さあきたぞJ1勢。試合は観れないしかし拾う神ありと沖縄特派員が試合のレポートをしてくれるらしい。

「ランゲラックが決定機を阻止!」

「ディエゴオリベイラまじやばーー」

「またもランゲラック!」

「いやあああランゲラック!」

「ランゲラック獲得は大当たりですね!」

凄まじいランゲラックのレポートの数々。悪気はない特派員に自覚はないが勘のいい私は悟る。なるほど、たぶん俺たちはやられている、きっとやられている。

そうここから恐ろしいFC東京との日々は始まった。

 

死ぬほど相性が悪かった八宏式

2018.4.28 FC東京vs名古屋グランパス 3-2 敗戦


【公式】ハイライト:FC東京vs名古屋グランパス 明治安田生命J1リーグ 第11節 2018/4/28

2018.10.7 名古屋グランパスvsFC東京 1-2 敗戦


【公式】ハイライト:名古屋グランパスvsFC東京 明治安田生命J1リーグ 第29節 2018/10/7

シーズン前に感じたあの外れるはずのない予想は、難易度が低すぎてやはり全て大当たりだった。

泣きたくなるほど裏を取られる最終ライン。牙を剥くのは永井謙佑。手塩にかけ育てあげた宮原がよーいどん!でハムをあれしちまったとき、何故よりによって永井お前なのだと悲しみに暮れた豊田スタジアム

いやはやそれにしても永井とディエゴのスパーリング相手かよとツッコミたいくらいには悲しい程ザルだ。

走りたいチームの先に好きなだけ走れるスペースがある。これは控えめにいって地獄だ。ただこの一か八かのスリリングな戦いはあろうことか我々を狂わせた。

まあいいさ残留出来たしなんて気を取り直して2019。

今季こそはと誓った我々にまたも沖縄での前哨戦がやってきた。もはや恒例、待ってました風物詩。

2019.2.9 名古屋グランパスvsFC東京 3-9 敗戦

www.fctokyo.co.jp

ささささささささんたい......きゅう。

目を疑う〝3対9〟のスコア。野球か野球やったのか。

45分を4本やり内3本でそれぞれ3失点。なるほど今季も風間サッカー始まったな!3年目で麻痺した感覚、失点すらももはや麻薬、合法だから派手にやって!

しかしシーズンも蓋を開けたら怒涛の開幕3連勝。

いける、疑ってごめん今季の八宏は本気だ。そう信じかけた我々にまたも立ちはだかったのはFC東京

2019.3.17 FC東京vs名古屋グランパス 1-0 敗戦


【公式】ハイライト:FC東京vs名古屋グランパス 明治安田生命J1リーグ 第4節 2019/3/17

ぬああ永井。名古屋戦になるとモチベが俄然上がる永井に対しあの広大なスペースなに。中盤で水が溢れた瞬間、敗北の決まった徒競走が始まり悲鳴をあげる。

2019.8.30 名古屋グランパスvsFC東京 1-2 敗戦


【公式】ハイライト:名古屋グランパスvsFC東京 明治安田生命J1リーグ 第25節 2019/8/30

瑞穂での再戦は正直記憶にない。今思えばこの時既に始まっていた風間八宏解任のカウントダウン。

あの時は楽しかった。けど今観るとさ、やられ方エグくて草。でもすげーぶっ飛ぶアレ(薬)だったよな。

はっきり言おうこの2年はFC東京の〝カモ〟だった。

 

期待したのにアンタもかマッシモ

風間八宏解任後にやってきたのがそうマッシモ。

アーリアから始まった東京発名古屋行きも、その後丸山、米本、太田と続きダメ押しだったのがこのマッシモ。ちなみにその後オジェソクもやってきた。まあ皮肉にも今となってはそこ(東京)との親和性は抜群。

相手のレジェンドをことごとく招き入れ、最後にもう一押しと指揮官をも連れてきた大森さんは本気だ。たまたまそこにいた!?あーーー聞こえませーん。

これで勝てる。もう俺達に振り返るスペースはない。

2020.8.15 FC東京vs名古屋グランパス 1-0 敗戦


【DAZNハイライト】FC東京 vs 名古屋グランパス (A) 2020明治安田生命J1リーグ 第10節

駄目だ....今度は攻め手が全くねーじゃねえか。おいイタリア。一押しどころか一刺しで殺されまたも敗戦。

守備は堅くとも割り切って守ればなんとかなると健太に思われたマッシモ。仕方ねーと外から千本クロスもことごとく跳ね返され、試合後はお決まりのこれだ。

ストライカーガ、タリマセン(意訳)

馬鹿言ってんなよそこのイタリア、金に頼ってる余裕はないんだ何故ならこちとらコロナでクラファン中。

しかしこのまま終わるにはあまりに名古屋ファミリーが不憫だと、神は再戦を半月後に用意する。それが冒頭のルヴァン杯準々決勝だ。惨めな敗戦からたった半月、反省しカイゼンしてこそ我々世界のトヨタだよ。

2020.9.2 FC東京vs名古屋グランパス 3-0 敗戦


YBCルヴァンカップ プライムステージ 準々決勝 名古屋グランパス戦

ファックイタリア人っ!!ファックカテナチオっ!!

トヨタじゃねえ、あんたらにトヨタを名乗る資格はねえ、降りろ今すぐこの車から降り(音声は途絶えた)

ディエゴオリベイラに何人引き摺られてるのかと頭を抱え、ルーキー安部の2得点で思い出す「おいそういえば来季の名古屋のルーキーはどうなった」。

仕方なく話を戻すが、兎にも角にも問題は明らかだ。

重心を下げたFC東京の守備陣が崩せない。押し込めてるならまた攻撃すればいいじゃないか。そんな浅はかな期待を打ち砕く重戦車ディエゴオリベイラのサイド起用。そこで作られた時間によって陣形を持ち直すFC東京の仲間たち。だったら名古屋も思い切ってライン上げようぜ!と思ったら最後。最前線には天敵永井謙佑だ。憎い、その配置があまりに憎い。

サイドにディエゴオリベイラクリスティアーノを置き、前線を永井謙佑とオルンガに任せるそこのFC東京柏レイソル。お前ら......そういうとこやぞ。

それにしてもだ。名古屋の監督はどいつもこいつも(失礼)何かが足りてて何かが足りない。

「我々が目指すのは攻守一体のフットボールです」なんてまやかしを高々と掲げても、FC東京が突きつける「お前たちは赤かと思えば次は青、右か左で真ん中なんぞありゃしねえ」この事実。畜生!赤か青でアメリカ大統領戦に上手く掛けたと思っていたら、よくよく考えると名古屋と東京もあろうことか〝赤対青〟。ていうか東京に至ってはバイデン優勢トランプ劣勢みたいなユニフォーム着やがって絶対に許さない。都合良いから青、あなた方このブログでは青。

おっとちょっと待て。この喩えで陰口が聞こえたぞ。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

名古屋のことエンタメ性のないトランプって言うな。

 

青は政権交代せず続投

一方のバイデンいや青陣営を率いる長谷川健太監督。

来季の契約延長を早々に発表。革命は起こさないが堅実なチームを作り上げるその手腕が高く評価された。

それにしてもこれまでの今季成績、名古屋が二試合消化が少ないとはいえ、勝ち点49の名古屋に対し、FC東京は勝ち点50。まさに互角、直接的なライバルだ。

ただこの勝ち点、どう評価するかは意見が分かれる。

とりわけ目を向けたいのが選手起用についてだ。

私が知る限りでも、青の軍団FC東京は二桁以上の23歳以下の選手たちに出番が与えられ、実際にターンオーバーをフル活用しながら、しかもその戦力になっている若手が数多く存在する。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

シーズンの途中には絶対的なレギュラーだった室屋成と橋本拳人が海外移籍し、チームの中心である東慶悟は戦列を依然離れたままである。しかしその穴を埋めたのが大卒ルーキーの安部柊斗と中村帆高の最強明治コンビ。またプロ野球の育成枠(3軍)のようにJ3で鍛え続けた中村拓海や原大智、品田愛斗も今季遂にJ1の舞台を主戦場としつつある。

つまり育成枠を全く活用しない名古屋に対し、彼らは虎視眈々とサッカー界の千賀滉大、甲斐拓也、石川柊太を育て上げてきたわけだ(分かりづらい)。

では良い成績=メンバー固定必須とした名古屋は。

モノになったのはマッシモ公認で〝タナボタ起用〟と暴露された成瀬ただ一人。途中出場ながら稀にチャンスを貰う石田を除けば残りは全滅といっていい。そもそも若手を活用する前提の編成になっていないじゃないか、そんな意見もあって当然。つまり弾がない。

例えばこの過密日程でも全試合フル出場中の両センターバック。彼らの控えに甘んじた藤井からすれば、来季新加入選手でもこようものならどうなるのか。

言うまでもなく、おそらくノーチャンスだろう。

 

来季に一体何が残せるのか

マッシモフィッカデンティ長谷川健太

彼らを一括りに〝堅守速攻の似た者同士〟などと呼ぶつもりはないが、かといって遠すぎるわけでもない。

勝ち点も近ければ、〝先制点を奪われると打つ手なし〟なところまでお揃(おそろ)らしい。

ではそんな彼らが結果似たような成績を残したら。

はっきり言えば、若手にもしっかり投資した上でその成績を残した長谷川健太の方がよほど優秀だろう。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

確かに彼もまた地味な監督だ。そのフットボールは決して華やかとは言い難く、また攻撃的なわけでもない。ただ彼はよく選手達を理解し、また観察していると思うのだ。だからこそ主力が毎度海外移籍したとしても新たな若手がそこを埋める。バランスが崩れれば組み合わせを変えあるべきバランスに整える。フットボールのベースは変わらなくとも、選手の個性とその組合せで最善のバランスを見出す術が、彼にはある。

あるべき水準を求めるか、あるべきものを活かすのか。この価値観の違いはあまりに大きい。

マッシモが言う通り、〝勝つこと〟は大事だ。勝たなければ何も残らないことは、我々名古屋ファミリーが誰よりも知っている。勝てないのは、罪だ。

そして名古屋はなにより結果が求められるクラブであり、それこそがあの2年半最大の教訓に違いない。

だからマッシモのこれまでの成績は素晴らしい。結果だけを求め舵を切り直した名古屋にとって、彼の唯一にして最大のタスクは〝結果〟しかないからだ。故に彼は正しい。彼に非があると言うつもりもない。

ただ一方で、〝勝つだけ〟なのは虚しい。

今になり、何故我々は過去あれほどの連敗に耐えられたのかと反芻する方もいると聞く。少なくとも同様の経験がある方はきっと、その敗戦の中ですら何か未来への期待や希望を見ていたのではないか。

攻撃的でも守備的でもやり方はなんだっていい。

大切なのは勝利と、そしてなにより未来への希望だ。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

もし今の名古屋のやり方が正しいのだと証明するなら、徹底的に勝ち、そして必ずACLの切符を掴む必要があるだろう。良い順位だったけれど、残せたタイトルも、来季への権利も何もない。そんな結末を迎えることがあれば、この今季になんの意味を見出せよう。

ひたすらに未来を追い現実を疎かにした過去、故に現実だけ追い求め未来をおざなりにする現在(いま)。

我々が今進んでいる道は、きっとそういう道なのだ。

ただ矛盾するようだがそれでいいじゃないか。一度打ち壊したものを4年かけて必死に作り直した。確かに紆余曲折だらけ、しかし全てが理想通り進むなんて思わない。一歩進んで失敗し、我慢する時期を乗り越えてまた前に進む。そんなクラブをみてみたいのだ。

その意味でも、また今季二戦二敗の事実からしても、我々は次こそFC東京を負かさなければならない。あろうことか彼らに負けて潔く納得しては駄目なんだ。

せめて〝結果〟で未来に繋がる何かを残すために。

負けて「FC東京強かった」なんて完敗を認めお手上げするマッシモなんぞもうゴメンだ。フォワードがいなかったなんて言い訳はやめてくれよ。そんな場面は今シーズン何度もあった。そうだ見習えトランプを。負けても認めず引き下がるな。駄々をこねてこねてこねまくれ。いやていうかそろそろ勝ってくれさい。

言っておくがマッシモの大一番だ、青との戦いは。

マッシモとはいったい何者なのか

マッシモは今でも振り返る。あの日のブーイングを。


名古屋グランパスvs鹿島アントラーズ@豊田 ホーム最終戦セレモニーでブーイング 2019年12月7日

まず、私はずっとこの名古屋グランパスを支えている多くのファンがいるのは分かっていますし、サポーターの力なくしてサッカーのチームは成り立ちませんから、彼らをリスペクトして、このチームのためにと入りました。しかし実際「とにかく残留を」というミッションを達成してサポーターから私に向けられたのは、ブーイングでした

2020年9月7日 横浜Fマリノス戦試合前会見

 なんとまあ器の小さい男。ネチネチといつまでも語るその様は正直他人事に思えないが、側からみれば滑稽にも映る。まさに他人の振り見て我が振り直せだ。

ただ彼にとってあの出来事は一大事であり譲れない。

勝ち点いくつを獲得して残留してくれという話ではありませんし「残留させてくれ」というところで私が就任して残留させたという点で、もし今日のブーイングが私に対してのものならば、それはちょっと違うのではないかと思います

2019年12月7日 鹿島戦(最終戦)後会見

思い返せば昨シーズン苦労の末に残留を勝ち取った際も、彼はあのブーイングの意味、そして自身の立場とミッションに再三言及した。さすが本場カルチョの世界で揉まれた男だ。自身の主義主張をはっきり通し、難破しかけたこの船を救ったのはこの俺だと聞かれてなくても畳み掛ける。そして今思えばこの時からはっきりしていた〝結果至上主義〟。プロセスはどうだって?都合の良い物語ならどれだけでも活用するが、筋の悪い物語ならとことんまで焼き尽くすさ。

その意味でいえば、彼にとって前任者が二年半かけて残したモノは決してありがたい遺産ではなく、自身の足を引っ張るだけの負の遺産であったに違いない。

であるからして、彼にとっての昨シーズンは前任者の尻拭い、つまり〝残留〟ただそれだけだった。

絶対にこのチームを残留させて、また新しいプロジェクトへと、私は残留のためだけに来たわけではありませんから。まずはチームを残留をさせて、また別のプロジェクトに向かっていくためにこの仕事を受け、やってきました

2019年12月5日 鹿島戦試合前会見

絶対に認めることはないであろう前任者の遺産を引き受けてでもこの仕事にしがみついた。それは残留のご褒美が資金力豊かな名古屋を率いる権利であり、つまり今季こそが彼にとっての〝一年目〟なのだ。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

「ブーイングではなく、むしろ感謝すべきだろ」

何故そのミッションを達成して尚批判を受けるのか。

おそらくきっと絶対そう思っていたマッシモにとって今季にかける想いは並々ならぬものがあるはずだ。

極端に言えば来年、来季が始まってからまったく新しい、私がやりたかったサッカーを目にしていただけるようになると思います

2019年12月5日 鹿島戦試合前会見

昨季の最終戦前、来季に向け彼はこう宣言した。

そう、今目の前にあるものこそが、彼のチームだ。

 

自我を貫く相手こそ大好物

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

ビッグクラブとプロビンチャ

資金に恵まれたクラブ(現在その定義に含まれるクラブがいくつあるか疑問だが)と地方クラブ、大きく分けてこの二つに分類されるのがカルチョの世界だ。

マッシモが主戦場としたのはプロビンチャ

豊富とはいえない戦力の中で、いかにトップリーグで生き残り、規模で上回るチームに一矢報いるか、それはもう毎晩血眼になって研究に研究を重ねたはず。

私はイタリアのセリエAから来て、サッカーのすべてを見てきました

2019年10月3日 大分戦試合前会見

そしてその名残が未だマッシモには色濃く残る。

彼の真価が発揮されるのはいわゆる〝格上〟との戦いだ。Jの場合は、〝格上のように己のスタンスを貫くチーム〟と定義すべきか。つまりはどんな相手と対峙しても根幹にあるそのスタイルを崩すことなく、〝主体的にアクションを起こすチーム〟といえる。

この手の相手こそマッシモにとっての〝カモ〟だ。

彼のチームは相手のアクションを見逃さない。そのアクションは常にリスクと隣り合わせだからだ。相手のリスクこそ、マッシモにとっては最大の好機である。

そもそもマッシモは〝リスク〟の三文字が大嫌いだ。

彼の辞書にリスクの文字はないだろうし、あればきっと轟々と燃やし尽くすはずだ。何故危険な目にあってまでゴールを目指す?ノーリスクで勝利を目指せ。これがマッシモの哲学であり、自らリスクを冒すなど愚の誇張。リスクは冒すものではなく、狙うものだ。

イタリア人にとってフットボールは仕事。イングランド人にとってのフットボールはゲーム

ファビオ・カペッロ 

引用元:理想のために戦うイングランド、現実のために戦うイタリア、そしてイタリア人と共に戦う日本人 ジャンルカ・ヴィアリ

故に後ろを顧みない敵をマッシモはいたぶり尽くす。その餌食となったのが川崎であり横浜そして神戸だ。


【DAZNハイライト】名古屋グランパス vs 川崎フロンターレ (H) 2020明治安田生命J1リーグ 第12節

 

全ての行動の根幹にある〝リアクション〟

マッシモは今季が始まる前こんな大風呂敷を広げた。

ー監督にとって理想のサッカーとはー

具体例を挙げれば、リバプールだ。極端にポゼッションが少なく、縦に速く、前からプレスに行く、奪ったらカウンターを決める。ただ、理想は進化し続けると考えてほしい

2020年1月1日 中日スポーツより引用

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

リリリリリリリリリリリバプールだと!?

騒つく名古屋界隈してやったりのフィッカデンティ

ただ蓋を開けると、例えば川崎のように毎試合己のスタンスを貫くようなことは決してなかった。いやむしろそんなアグレッシブな試合がいくつあったよ。

彼にとって〝ハイプレス〟とは、決して信念ではないのだ。あくまで〝理想〟であり〝手段〟に過ぎない。

そもそもボールの握り合いなんて発想がおかしい。奪って、そこから握ればいい。まずは奪う、なのだ。

だからリスクを冒してポジションを変えながらボールを運ぼうとする相手には二択。出鼻(ビルドアップのスタートとなる相手最終ライン)を挫くか、最後(自陣ゴール前)で凌ぐ。分かりやすくいえば、マークがズレる前に潰すか、駄目なら最後だけ抑えてしまう。そこで比較的出鼻を選ぶ点が今季のマッシモの特徴であり、昨シーズンからのチームの成長ともいえる。

余談だが、彼が当時イタリアで〝攻撃的〟と評されたのはこれが理由だろう。ドン引きのカウンターが〝カルチョらしさ〟と謳われていた時代を思えば、彼の発想は確かに攻撃的に映る。ただ一方で前から積極的にボールを奪いに行けば果たしてそれが攻撃的だと断定できるか、この点も以下の内容で考えていきたい。

さて今季の過密日程を考慮しチームの重心を上げっぱなしには出来ない苦悩もあるだろう。ただだからといってそれが絶対に譲れぬスタイルでもない。最も大切なのは、自分達以上に相手の出方でありその特徴だ。

例えば面白かったのが〝対オルンガ〟だった柏戦。

ハイプレスとはつまり〝背後のスペースを使われる可能性がある〟ともいえる。一つプレスを外されたらよーいどん!追いかけっこだ。それでも追いかけて勝算があるのならリスクでないが、追いかけても勝てっこないならそれはリスク以外のなにものでもない。

だからマッシモは潔かった。リスクだとジャッジすれば、行かない。構えて、引き込み、カウンターだ。


【DAZNハイライト】名古屋グランパス vs 柏レイソル (H) 2020明治安田生命J1リーグ 第8節

まあ結局たった一瞬の隙を突かれて散ったけれど。

 

ノーリスクを担保するのは〝バランス〟

では負けないくらいゴールを奪えばいいじゃないか。

簡単に言ってくれるな。死活問題なのはここだ。

そもそも何故アクションを起こすチームに彼が強いか。まずはここから紐解くべきだ。というのもそれは決してボールを奪う場面に限らないからであり、彼のチームがボールを運ぶ際もその強みは発揮される。

但し条件が一つだけある。相手のプレスの人数、その型が名古屋のそれにぴったりとハマっていないこと。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

名古屋ビルドアップの最大の特徴、それは〝数的優位を担保し、可能な限り型を崩さないこと〟にある。であるからして、ビルドアップの人数は最大で8名になる。ゴールキーパーのミッチ、最終ラインの4名、ボランチの2名、そしてトップ下の阿部。これで8名。

彼らがボールを動かし、時にポジションを移動しながら、しかしバランスは崩すことなく相手の穴を見つけていく。相手が後方の数的同数を受け入れない限り、少なくとも名古屋自陣では名古屋の数的優位が必ず成立する。つまり相手のプレスには必ず穴がある。その穴が開く瞬間を、相手の傾向を分析した上でピッチでゆっくりボールと人が動きながらあぶり出していく。

ボール保持者がクリーンな状態で前を向いた瞬間が名古屋のスイッチだ。両翼の動きを意識した金崎がそれとは逆の動きでボールを迎える体勢を作り、その懐に収める。これが名古屋のパターンである。

この〝8(名古屋)vs6(相手)ビルドアップ〟(相手が後方で数的同数を受け入れない限り、名古屋の前線3枚に対し、相手はゴールキーパー含め5枚で対応する。結果、名古屋のビルドアップに6枚で対抗することとなる)のクオリティはリーグ屈指だ。

では何故ボール保持の際までバランスに拘るのか。

逆の立場になって考えるべきだ。必要以上にポジションを崩してもし途中でボールを奪われたらどうする?それは相手にとっての穴であり、名古屋にとってのリスクだ。そんなリスクはカルチョの歴史が許さない。

我々(ポルトガル人やイタリア人)のフットボールでは頭脳がすべてだが、イングランドフットボールはハートがすべてだ。頭脳だけでプレーするフットボールは美しくない。しかしハートだけでプレーするフットボールは成功を収められない

ジョゼ・モウリーニョ

引用元:理想のために戦うイングランド、現実のために戦うイタリア、そしてイタリア人と共に戦う日本人 ジャンルカ・ヴィアリ

だから名古屋の選手達は極力ポジションを崩さない。見慣れた〝小林裕紀一列降ります〟なんてことも今はほぼやらないし、マテウスが中央に行けば阿部が彼のいたサイドをしれっと埋める。とりわけ前線をポジションで縛ることはないが、一方で誰かが動けば誰かで埋める補完関係、秩序は保たなければならない。

穴を自ら作らない。これが絶対の掟なのだ。

しかしだからこそ問題も起こるわけでさあ死活問題。

 

リスクを取らなきゃ点はとれない

彼のチームが前半戦勝てなかったチームは何処だ。

東京、鹿島、柏、東京、東京、東京くっそ東京。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

これらのチームに共通した点が一つ。〝過剰なリスクを取らず、可能な限りバランスを崩さない〟ことだ。前からいくなら名古屋の型を意識し、後ろで構えるなら名古屋に「崩しにこい」とアクションを求める。端的にいえば〝ベーシック〟なチームである。

そう名古屋最大の欠点は〝アクションが必要な局面〟

相手がビッグクラブのように振る舞わない。途端に息が苦しくなる。「どう攻める?」「どこに動く?」ああ息苦しい。悩みながらボールを回せば出口は見えず追い詰められ、駄目だ顔をあげたいと思ったとき彼らは金崎夢生を見る。タイミングなどお構いなしだ。

全ての行動がリアクションをもとに形成され、それは相手にアクションがある前提の上に成り立つ。故に相手が主体性を持ち能動的に動かなければ、アクションという名のバトンは名古屋に委ねられ、自ら走るレールを見つけなければならない。

そうだ唯一例外的な戦い方を挑んできたのが札幌。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

後方のリスクを取ってでも前からマンツーマンで名古屋の一人一人に徹底的に喰らいついた。そもそもマンツーで付けばズレねえじゃん!いや確かに。ただ一人でも剥がされたらその戦い方は詰みますよ。あはは笑えるフルタイムやり遂げた札幌あっぱれ。

てな具合でこうなると名古屋には自家発電が求められる。定位置でボールを回せば相手が崩れるほどことは簡単に運ばない。可能な範囲で個々が自己判断で動きプレーのテンポを上げることで状況の打破に挑む。

ただ悲しいかな好き勝手に動けばバランスは崩れるし、仲間を思いやる走りでなければ相手の壁に風穴を開けることも出来ない。最低限の運動量が担保されないとプレーのテンポだって上がるはずもない。

このシチュエーションで価値のある選手とは。

〝活かされるプレーヤー〟ではない。問われるのは〝周りを活かすプレーヤーが何人いるか〟だ。

soccermagazine.jp

挙げだしたらキリがないんですけど、一つはやっぱり良い攻撃するためのサポートのし合いであったり、空の動き、使われなくてもスペースを空ける動きが足りていないというか。自分、自分となっているというか、何人かが連動した動き出しがないので、ボールと受ける人だけのプレーになってしまっています。それ以外に3人目がしっかり受けに来ていたりとか、もし出てこなかったりしても裏には誰かが走っているとか。そういうことで相手のディフェンスが間延びしたりしますから。そういうところが足りないなと思います

2020年9月7日 横浜Fマリノス戦試合前会見

阿部ちゃんのこの会見は沁みました。

リスクは大っ嫌いしかしリスクを冒してはそのツケを払う悪循環。ビルドアップの最中にパスカットを許し、奪い返したくともそのバランスには変調あり。


【DAZNハイライト】名古屋グランパス vs 鹿島アントラーズ (H) 2020明治安田生命J1リーグ 第14節

そんな試合が続けば自信だって無くなるさ。

リスクを避けるあまり人の動きは途絶えるし、ボールの行方は中ではなく外へ行く。中へのパスはリスクもあれば相手のカウンターに直結する。でも外だったらタッチラインが味方となりパス自体は通るから。

でも外でボールを受けてどう崩す?そりゃセンタリングだと千本ノックが始まり不慣れな金崎山﨑が四苦八苦。そして待ってたとばかりにマッシモはこう嘆く。

得点を量産してくれるストライカーがいたら、という話を5分間くらい続けることもできましたが、あまり現実的でもありませんし、話をしたところでそれが叶わなかったという話を何日か後にしなければならなくなります

2020年9月11日 横浜FC戦試合前会見

会見後行われた横浜FC戦は言及すべき内容だった。


【DAZNハイライト】横浜FC vs 名古屋グランパス(A) 2020明治安田生命J1リーグ 第16節

構える相手を打開出来ない展開が続く中、後半からマッシモがとった策は珍しく冒険的だったからだ。

中を攻略出来ないなら的を増やせとシステムを4-1-2-3に変更。大外はサイドバックが高い位置に張り出すことで幅を担保し、代わりに両翼が中に絞ることでワントップの金崎を含め中央の起点を3枚にした。

効果は抜群だった。見方によっては〝人を立てただけ〟だが、個人技で上回る名古屋が中に外に相手を制圧する。例え奪われても横浜FCのカウンターなら脅威ではない=リスクではないとのジャッジだろう。

ただこのハイリスクな戦法も相手の快速ウインガー松尾の投入で状況が一変。必殺のカウンターを喰らい運よくオフサイドで失点を免れたものの、これで怖気付いたかマッシモは従来のシステムに急いで戻し必殺のクロス千本ノックが始まったのだった。

我々イタリア人はフットボールにおいて「店じまい」をしようとする。リードを守りゲームを殺そうと試みるのは、これが理由だろう。格下と戦っている時ですら賭けはしたくない

ジャンルカ・ヴィアリ

引用元:理想のために戦うイングランド、現実のために戦うイタリア、そしてイタリア人と共に戦う日本人 ジャンルカ・ヴィアリ

博打要素満載しかしマッシモも挑戦はしている。

サッカージャーナリストの清水英斗氏は、このチームの課題を端的かつ的確にこう表現した。

「戦略的リスクを取れるか」。素晴らしい表現だ。

 

若手を〝使いようがない〟マッシモ流

さて、これまでの内容で気づくことはないだろうか。

リアクションなら相手に応じ戦い方を変えながら、その穴を正確に捉え掴む技術が必要だ。一方でアクションありきの状況では個のスキルと発想で打開する力量が求められる。つまりその場合理屈ではなく、力技。

これ、もの凄く個々の高いレベルが必要では・・・

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

でもいつもマッシモはこう言うんだ。

我々はどんなラインでやっているかと言えばしっかり結果を出したいというところです。我々がしたいプレーの質をなるべく下げないでやっていきたい、ということを皆さんには分かっていただきたい。その中で、うまくいっていないんだったら若い選手を使えばいいんじゃないかと、なんで選手を交代しないんだと考えている人がもしいるのだとしたら、代えようにも代えられない事情が一つありました。あと唯一、今回の終わってしまったウインドーの中で、センターバックや中盤の補強をなるべくしてもらいたかったのですが、それがしてもらえなかったこともありました

2020年9月7日 横浜Fマリノス戦試合前会見

いやマッシモちょっと待て。気持ちは分かるがそれは貴方のフットボールの文脈があってこその理屈であり、つまりその状況を作ってるのは貴方自身だ。もっといえば、名古屋に比較的近いフットボールをする東京はそれでも若手をばんばん使っていることにも言及すべきであり、要は試す勇気があるかないかだ。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

そう考えると結局今の名古屋とマッシモの関係は、雑にまとめれば〝ビッグクラブ(金のある名古屋)×プロビンチャ(マッシモ)〟の夢コラボ状態であり、つまりマッシモからすれば「金さえあれば(補強さえ満足に出来れば)必然的に(イタリアのとき夢にまでみた)俺のカルチョはビッグクラブ側にアップデートされる」なわけ。なるほどその理屈で考えれば彼が名古屋で指揮をとりたかった理由も分からないではない。イタリアでは苦渋を味わったしかしその国のビッグクラブ側で指揮をとればきっと!自身の力は証明される。彼ほどの自信家ならそう思ってもおかしくない。

彼の肩を持つとすれば、クラブが今季マッシモに対し何をミッションとしているか不明な点であり、例えばトップ5が条件なら、彼の判断も間違いではない。

イタリアでは結果ばかりを見る。どうしてそうなったのかを気にかけず結果ばかりを重視するんだ。試合に負ける人間は馬鹿者。これで話が片付けられてしまう。良いプレーをすることや未来に向けた基盤を作り上げるといったことは重要視されないし、とにかく試合に勝たなければならない

フランコ・フェッラーリ

引用元:理想のために戦うイングランド、現実のために戦うイタリア、そしてイタリア人と共に戦う日本人 ジャンルカ・ヴィアリ

2試合未消化4位。マッシモも言うだけのことはある。

 

後半戦の目標はとりあえず東京に勝ってお願い

さあそして勝負の後半戦がスタートする。

マッシモの課題は明白だ。端的にいえば〝リアクション以外で勝つ術を持ち得るか〟どうか。

きっとマッシモはこれからもマスコミを通じ事ある毎に補強の必要性を訴え、それが実現しない現実を嘆き悲劇の主人公を演じるだろう。それでも川崎に勝ちこの順位だと、自身がいかに優れた力量の持ち主かこれでもかとアピールするはず。〝対フロント〟を見据えたマスコミの扱い方と利用の仕方なら百戦錬磨だ。

そういう監督をチームに据えたのは他でもない我らのフロントであり、であるなら彼の為に補強するのが筋ではないか。ただ残念にも現実はそんな状況にない。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

では残りの後半戦、果たしてどう戦うのか。

マッシモがそのポリシーを捨て〝リスクを取る〟か、既存のやり方でなんとかするしかないだろう。

我々はそれが実現することを願い背中を押すだけだし、駄目なら「分かっちゃいたがアイツも典型的なイタリア人監督だ」と唾を吐き、なによりろくに補強も出来なかったフロントに牙を剥けばいいのだ。

世界一の指導者を起用したとしても、良い選手が揃っていなければ、チームは何も勝ち取れない。だからエンポリは絶対にスクデットを獲れない。誰が監督になってもだ。しかし逆もまた真なりだ。レアル・マドリーを率いていれば、何がしかのタイトルを獲らないことのほうが難しい

スヴェン・ゴラン・エリクソン

引用元:理想のために戦うイングランド、現実のために戦うイタリア、そしてイタリア人と共に戦う日本人 ジャンルカ・ヴィアリ

前半戦で勝てなかった相手にリベンジ出来るか。

観るべきポイントは単純明快だ。何故ならそれらの相手に勝てるかがマッシモ最大の課題であり、このチームの伸び代を図る目安になる。東京に次も負けたら「馬鹿やろうこの無能が!」と罵ってやれ。

同一シーズンで同じ相手に三回負けること、許されますかいや許されるはずがない。てかありえない!!

彼が得意とする相手にはそれが例え順位で上にいようが叩きのめしてきた。しかし苦手な相手には無得点の引き分けでも「無失点で勝ち点1だ」と(なんとなく)誇らしげなマッシモのメンタル。なんなんだそのメンタルそんなプロビンチャ(田舎)的発想とっとと捨てちまえ。気づけここは(一応)ビッグクラブだ。

そうマッシモはよくやっているし、もし最終的にトップ5で終わればその結果は上出来と呼べるだろう。ただ一方で勘違いしてはならない。それはあくまで結果論で、おそらく多くの人間が戦う以上は一番上を目指して欲しいと願うものだ。例え非現実的であろうが。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

「残留争いのチームが4位だぞ。これが俺の成果だ」

マッシモはきっと鼻高々にこう息巻いているだろう。

ただそれで満足して欲しくないのだ。振り返れば彼が日本で残した最高順位は東京時代の4位。では1位との差は何処にあったのか。これまでに記した彼のチーム作り、彼のプロビンチャで培ったメンタルこそがその差を生み出した最大の理由ではないのか。格下から得た勝ち点1に満足するのではなく、取りこぼした勝ち点2を嘆かなければこれ以上の上積みはない。

私はイタリアから来て、残留するということはどれだけ評価されることなのかという考えも違いますし、一つの試合を落とせば生活自体が苦しくなるかもという、全く違うところから来ています

2019年12月7日 鹿島戦(最終戦)後会見

マッシモを見ているとカルチョの歴史やその哲学を知るような想いだ。そんな〝元セリエA監督〟の経歴を持つ偉大なマッシモ様のプロビンチャの意地に期待したい。いやその果てしない野望に乗っかり楽しもう。彼がビッグクラブの器か試される後半戦の幕開けだ。

そいえばどうやってセレッソ倒したんだマッシモ。

「奪う」と「握る」で川崎を取り締まれ

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

川崎がヨーロッパナイズされていると評判だった。

だから率直にこう思った。お前ら裏切ったのか、と。

彼らの評判はすこぶる高かった。「強くなりすぎた川崎はなんか嫌」ダゾーンを遠ざけるのはこの気持ち。

中村憲剛が長期離脱した今シーズン、中盤逆三角形の4-3-3に挑戦する展開には驚いた。さては日本のマンチェスターシティ路線。そのシティと斜め上な展開で兄弟盃を交わしたのが同じ神奈川の雄、横浜Fマリノス。彼らに王者の称号を奪われたのが効いたのか。確認するためにここは過去の記憶を遡るべきだ。


2019明治安田生命J1リーグ第33節vs川崎フロンターレハイライト動画

大敗する川崎をほじくり返して一息つく。

名古屋とはリーグ前哨戦となるルヴァン杯の一戦が迫る。時はきたと意を決し川崎の試合をチェックした。

正直エグかった。彼らの強さは、想像以上だった。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

川崎よ、〝出したら寄る〟をどこに忘れた。なぜ大島僚太が裏に走る。後ろはお構いなしでゴールしか目指していなかったあの初々しい田中碧はどこへいった。

阿吽の呼吸に依存したあの日の川崎は何処かへ消え去り、真夏のピッチを人ではなくボールが絶えず動き続ける。短く正確だった止める蹴るは長くそして速いパスに変わり、〝空いている場所〟だった外側には俺の居場所だとサイドの住人が居座った。失ったのは局面ごとの想像を超えた細かい崩しとそこを突破する破壊力。しかし手に入れたものは揺るぎないバランスとその結果生まれた圧倒的なボール奪取力。よそ者には厳しかった川崎特有のリズムも、今は諸手を挙げて彼らを歓迎だ。ピッチでは新参者の山根から新人の旗手まで、何ら違和感なく俺は川崎の選手だと主張する。

まさに〝洗練〟。ただ面白かった、ただ美しかった川崎は影を潜め、彼らは〝強く、そして美しい〟フットボールを目指すレールを見つけたようだった。目の前では昨シーズン、疑似カウンターなる戦法でリーグを席巻した大分のビルドアップが今にも窒息死寸前。

こいつらにどうすれば勝てるのかと途方に暮れる。彼らの試合を観た後、正直にそう思った。ただ我々だってもうあの日の姿ではない。相手の急所を突く嫌らしさとクラブに嫌味を言わせたら右に出る者はいないあのマッシモならきっと、活路を見出してくれるはず。

気を取り直しここからは、先日のルヴァン杯を振り返りつつ直前に迫ったリーグ戦の展望をしていきたい。


【ルヴァンカップ ハイライト】名古屋グランパス vs 川崎フロンターレ(H)2020Jリーグ YBCルヴァンカップ グループリーグ 第3節

 

予想出来るはずのない「ボランチ シャビエル」爆誕

マッシモはきっと考えたはずだ。

川崎がボールを保持し名古屋の陣地を占領するなら、守って刺し返せばよいのではと。ただ同時にこんな疑問も浮かんだはず「果たしてそれが効果的なのか」。

彼らにボール保持された先にあるものは何だろう。灼熱のピッチで永遠振り回されるボール回し、占領される我らの陣地、奪っても追い込み漁の如く迫り来るハイプレス、最前線で待ち構えるレアンドロダミアン。

想像を越えた地獄。最後に至ってはもはや違法な隠し口座。シンガポール目掛けて高飛びしそうな空中戦。

マッシモは重い腰を上げ、ついに決心する。

不正は許さない(=ボールは回収だ)※想像です

そして爆誕したまさかのシャビエルボランチ起用。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

それは奇抜なアイデアだマッシモ ※私の声です

本場セリエAの発想を遺憾なく発揮するマッシモ。

狙いを推察する。まず分かりやすく〝技術〟。川崎のプレスに怯まない〝質〟がポイントだ。但し質が担保されても相手に数的優位を奪われるのは避けるべき。

ここでの数的優位とは即ち名古屋のビルドアップ。

川崎の前線のプレスは中に1枚、左右に1枚ずつの計3枚。そのうち左右の2枚は名古屋のサイドバックに貼りつかず、そこへのパスコースをきりながらボールを中に誘い込む。背後で控える中盤の2枚(インサイドハーフ)が、川崎ゴールに背を向けボールを受ける名古屋の選手に猛スピードで襲い掛かる。これが目的だ。

つまり川崎の狙いは相手のパスコースを〝中央〟に誘導すること。逆に言えば中央の優位性を奪うことこそ名古屋にとっての活路となる。中がとれれば外もとれる。これさえ出来ればボールは進むし川崎は下がる。

そこでマッシモが閃いたのがシャビエルのボランチ起用。名古屋のセンターバック(2枚)からビルドアップを行う際、直接的に対峙するのは川崎のワントップ1人のみ(1枚)。ここに背後から川崎の中盤2枚(インサイドハーフ)が加勢しようが、もちろん名古屋もボランチの2枚が控えている。つまりビルドアップのスタートとなる中央のエリアに限っていえば〝4(名古屋)vs3(川崎)〟。あったぞ数的優位このエリアは名古屋のものだ。「+1」の優位性を最大限生かす駒として白羽の矢が立ったのが、〝奇策〟シャビエルだった。

そしてこの起用にもう一つメッセージが込められた。

 

川崎の心臓「アンカー」田中碧からボールを奪え

川崎に名古屋陣地を占領されまいとビルドアップには手を打った。では他方、川崎のビルドアップは易々と許して良いのか、いやそんなことはない。自由にやらせれば結局は自陣に即張りつけの刑だ。しかしボランチには奇策シャビエルとはやっちまったなこの采配。

しかし神はマッシモを見捨てなかった。いや名将マッシモは見つけ出したのだ。この奇策の勝算を。

そうか....シャビエル前からプレスだ ※想像です

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

マッシモは狙いを定めた。川崎のボール保持を支える大黒柱は、中盤逆三角形の底に位置するアンカー田中碧だと。彼を徹底的に潰し機能不全にすることが、川崎のボール保持にきっとバグを起こすはずだ。

シャビエル、川崎のビルドアップが始まったら後ろで構えてはいけない前だ前に突撃だ ※想像です

名将マッシモの心は弾む。そしてシャビエルも従順だった。いや、従順じゃないとあいつは試合に出してくれないと彼は学んだ。あの高速スプリントが田中碧に襲い掛かる。そして生まれた怒涛の2得点。

どのようなクオリティーが自分たちにあるか、スピードやテクニックという部分をいかし、ボールを持てば一気に相手ゴールに迫ることができるやり方で、ボールの奪い方も含めた準備をした上で、今日のメンバー配置で試合に入りました

マッシモすげーあんたやっぱセリエAの監督さんだ。

〝対川崎〟によって生まれた奇策。しかし攻守に理に叶ったシャビエルボランチ起用というマッシモの賭けは、少なくとも前半23分頃までは大当たりだった。

この起用はまさに攻守一体疑ってごめんなマッシモ。

 

名古屋に潜むビルドアップの「穴」

鬼木達を悩ませたシャビエルのボランチ起用。

悩みは二つ。名古屋のビルドアップを阻害できないこと、また己のビルドアップが機能していないこと。さてペースを取り戻すにはどちらを解消するべきか。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

今季の川崎の強さは試合を通し戦い方を細かくチューニング出来ることだ。この試合ではチームの守り方を三段階で微調整。立ち上がりは名古屋の二列目にスペースを与えまいと低く構えブロック形成。しかし前述した名古屋の狙いとビルドアップに手こずった結果、前半13分に従来のハイプレスに変更。そして前半も半ば飲水タイムを迎えた彼は、三つ目の手を打った。

この一連の細かい修正に鬼木達の哲学が垣間見える。

4-3-3への固執やめて奪う際4-4-2な ※想像です

彼が常に選ぶのは〝ボールを奪うための選択肢〟だ。運ぶ、ではなく、奪う。この選択肢こそが、試合の主導権を奪還する最善手ときっと彼は考えた。

この決断が、試合の様相を一変させることとなる。

名古屋側のビルドアップが始まる際、4-4-2の「2」を担ったのは中盤の下田だ。このケースだけは2トップのように装い、名古屋のセンターバックにプレッシャーをかけていく。つまり名古屋の4-4-2に対して、同じく4-4-2に変形することでシステムを噛み合わせ、それぞれがマッチアップする構図に切り替えたのだ。

さらば中央の数的優位。さらば俺たちの対川崎戦法。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

川崎の対応策で露呈した名古屋の弱点、それは〝ゴールキーパー〟だ。ビルドアップでそれぞれがマッチアップする構図になった場合、一人だけフリーでいられる存在は当然ながらゴールキーパーだけである。現代のフットボールでは彼らもフィールドプレーヤーの一人としてカウントされ、その振る舞いが要求される。彼らが効果的にビルドアップに参加できれば、他が数的同数でも常に「+1」が保障されるからだ。

しかし悲しいかなミッチは足もとが得意ではない。

この名古屋の構造に自覚的だったのは、おそらく鬼木達であり、マッシモ自身であっただろう。結果的に川崎の対応策は名古屋に〝運ぶ〟スキルを問いただし、そこで活路を見出せない名古屋を後目に、試合のペースは徐々に川崎へ傾くこととなる。

 

「奇策」を「愚策」に変えた鬼の子、鬼木

ボールを握れなければ魔法の子もただの問題児だ。

川崎が名古屋陣地を占領し始めたことで、その魔法の効力は消え、ピッチには悩ましい光景が広がった。シャビエルはどこにいる。シャビエルよ戻ってこい。稲垣はなにを遠慮している。シャビエルに喝を。灰になる、稲垣おまきっとこのままだとマジ灰になんぞ。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

ここまでブラックとは予想外でした ※想像の稲垣

数的優位な利点も失っただけでなく、あろうことかボランチの守備もままならない。マッシモが対川崎に用意した奇策は一種の賭けだった。賭けに勝つ唯一の手段は、〝川崎相手にボールを保持し、川崎陣地で試合を進め、奪われたら川崎陣地で奪い返す〟。気づいたもはや唯一じゃない。つまり川崎がやりたいことを我々がやる。これが川崎に打ち勝つ最善手なのだ。

意図せず彼らに自陣を奪われたら最後。チームの重心が下がれば前線との距離は間延びし、川崎の心臓であるアンカーへの規制はきっと解けてしまうだろう。

だからこそマッシモはまずビルドアップの優位性を求め、川崎の陣地を奪うことで同時に彼らのビルドアップも奪おうとした。これが彼の戦略だった。

試合前のマッシモのコメントはその象徴だ。

今回の試合に関しては、〝質の高いサッカー〟という方向性で準備をしなくてはいけないというイメージを持っています

川崎にはその質をこちらの質で上回るしかない。

しかしながら川崎はその名古屋の狙いに対し、細かい微調整でビルドアップを阻害し、名古屋の陣地を奪い返すことで己のビルドアップも蘇生させたのだ。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite] 

結局、シャビエルボランチの奇策は前半で終了した。

大博打に勝ったかに見えかけた矢先の落とし穴。その奇策は、鬼木達の英断によって愚策に変わったのだ。

前半の攻防を振り返り試合後に鬼木達はこう語った。

飲水タイムよりも前に少し変化をつけていたんですけど、本当はもっと序盤の序盤に(名古屋の狙いを)分かっていながらも、自分たちの形を推し進めたいという葛藤もあって、時間が経過してしまいました

川崎は試合を通しプレスのパターンをいくつも試す。

彼らが何度も何度も微調整を重ね、最も神経を注ぐのは〝相手の出方に対しどう圧力をかけるか〟だ。

だからなのか彼らはスロースターターだ。この試合ではそれ以外に自軍の右サイド(名古屋の左サイド)の守備に綻びがあると判断すれば、小林と宮代のポジションをチェンジし盤石な体制を築いた。それでも尚「分かっていてそれでも貫くか悩んでいた」と言うのだ。

なんと恐ろしい男よ。鬼の子だよアンタは鬼木達

 

次なる戦いの予告編となった後半

後半からボランチジョアンシミッチを入れ、通常運転に切り替えた名古屋。お互いのシステムと選手が真っ向から絡み合い、試合は混沌とした。

しかしながらお互いに無得点で終わったこの後半は、リーグでの再戦に向けた睨み合いのようなもの。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

名古屋に突き付けられた課題、それは川崎のプレスをどういなすか、その術を持ち得るかどうかだ。

人数の誤魔化しが効かない中、では何で優位性が得られるか。〝質〟か〝位置〟だ。どれだけのプレッシャーが迫ろうとびくともしない質を求めるか、数で誤魔化せなくとも各々の立ち位置で優位を得られる工夫。

さてこの日の後半、川崎のブロックを後退させる、彼らが嫌がる場所でボールを受けられた名古屋のオフェンシブハーフがいただろうか。悲しいかな皆無だ。

その文脈で一方の川崎に目を移すと、4-4-2に変化する中で最も守備のスキルが問われるのは、4-3-「3」から4-「4」-2に移行した前線に位置する2人のウインガーである。〝中〟で奪うチームが〝外〟で奪うことを求められたとき、彼らの立ち振る舞いが重要なキーとなる。つまり名古屋からすれば川崎に4-4-2の練度を問うことこそが、勝機を見出す最大の活路だ。

ウインガーといえば三笘よちょっとこっちに来い。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

イケメンで長身。あのストライドにスピードと技術。腹立たしいくらいの落ち着きに、それらが生んだ何でも可能なあの佇まい。ギリギリまでプレーの選択肢は担保され、急激にストップするあの深い切り返し。カメラに何度抜かれようが変わらないそのイケメン。

控えに目を向けると齋藤学に怪我人には長谷川竜也。

おかしい早く荷物をまとめてベルギーに飛べ三笘よ。ラストゲームとかせず即ベルギーに飛んでしまえ。

あと家長あんたのやってることは「ピッチ上の飲水タイム」だ。相手陣地を制圧したいからとあんたは常にタッチライン手前。それはもはや違法な飲水タイム。

#ジャッジリプレイで取り上げて (※DOGSOだ)

本当に腹立たしい選手層だが俺は黙って終わらない。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

あっはっはもう名古屋の阿部ちゃんだばーかばーか。

あの川崎に対抗するには、位置的優位の申し子、阿部浩之はもはやマストで必要だ。絶えずパスコースに顔を出し続ける金崎夢生とともに、川崎の選手たちが困るような位置取りを阿部ちゃんが繰り返すことで、彼らの4-4-2に歪を生み出したい。歪めよ今すぐ歪め。

 

川崎の圧倒的な出力を生む「もう一つの秘訣」

無敵にみえる川崎にだって付け入る隙はきっとある。

前述したプレス時の4-4-2の練度もそう。また攻撃時の4-3-3の破壊力が、マッシモ名古屋カテナッチョ(通常Ver.)に通用するのかは、実はまだ未知数だ。

次の再戦で出方が読めないのはむしろ名古屋。

大博打に打って出たルヴァン杯で、川崎との距離感を正確に掴んだマッシモはさてどんな手を打ってくるだろう。同じゲームプランで川崎の陣地を奪いに行くか。はたまたそれは難しいと判断し、一か八か川崎の攻撃を受けつつ一撃必殺のカウンターで対抗するか。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

カギは、マッシモが川崎の攻撃力をどう評価したか。

彼らの攻撃を〝受けきれた〟ならゲームプランを変えるのも一つの手だ。しかしその攻撃力にやはり一目置くのなら、あの日と同じく真っ向勝負しその陣地を奪いに行くはず。そもそもその評価に関わらず、川崎攻略の王道パターンはその土俵で叩き潰すことにある。

しかし今季の川崎の強さ、もう一つポイントがある。

前後半それぞれの戦い方と、それを可能とするチームマネジメント、いや彼らが歩んだ歴史そのものだ。

彼らにとっての前半とはまさにチューニングの時間。であるからして、本来の破壊力が発揮されるのはむしろ後半だ。彼らが脅威的なのは、それを意図的か見事に使い分けていることにある。例えば三笘の使い方はその代表格。お互いクローズドな展開となる前半は相手にアジャストすることに手間と時間を割き、間延びし始めオープンな展開になる後半に攻撃のリソースを注ぎ込む。それが彼らにとっての王道パターンだ。

それらを可能とするのは、当然ながらリーグ随一の選手層。しかしながらただ良い選手を揃えたわけではない。ボールと相手を徹底的に走らせるそのスタイルに合致する選手達が各ポジションに名を連ねる。だからこそ誰がでてもその質は落ちることなく、この過密日程と高温多湿な環境において、相手にとって一試合で二チーム分と戦っているような状況が生まれている。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

断言する。彼らはリーグの歴史に残るチームにきっとなる。その定義はただ美しい、ただ面白いではない。

観ている側が見惚れるどころか嫌になってしまうような、そんな理屈を超えた先にある圧倒的な強さだ。

 

技術の先にあったのは「最小失点vs最多得点」の戦い

では名古屋は彼らに太刀打ちすることが出来るのか。

名古屋が川崎に勝るもの、それはフィジカルとしての圧倒的な〝速さ〟にある。ではそれをどう活かす。

川崎の試合運びを逆手に取るのはどうだろう。狙いは飲水タイムまでの前半20分間「かわさきが眠るゴールデンタイム」だ。ルヴァン杯のとき同様、鬼木達が葛藤するこの時間こそが最大のチャンスである。逆にいえば、前半でリードされる展開だけはどうしても避けたい。それは「かわさき勝利の方程式」だから。技術でぶつかるか守って泥沼に誘い込むか。あるいは前後半で戦い方をミックスさせるか。この手段に注目だ。

そしてその答えは8月23日、豊田の地で全て分かる。

「川崎の技術にはそれを上回る技術で凌駕せよ」

これが風間八宏のやり方だった。しかし時を経て、この戦いはもはや戦略戦の様相を呈している。技術に合理性を混ぜ合わせ、他を寄せ付けない力を得ようと己の理想を突き進む川崎。技術にフィジカルそしてカテナチオを混ぜ合わせ、相手の長所を喰い殺す名古屋。

もはや〝運ぶ〟でなく〝奪う〟ことで共鳴する両者は徹底的に勝利の為に知恵を絞る。しかしながらその両者があいまみえたことで、一方は新たに手にした奪う術を追求し、もう一方はその波に飲み込まれまいと試行錯誤を繰り返す。奪って技術を駆使する者と、技術を駆使する瞬間(トキ)を見極める者。〝不変〟なのか〝変化〟なのか。どれだけ否定を重ねても、両者を支えそして消えることがないのは〝技術〟の血だ。

お互いの距離感を測ったあの日の前半。

そして決着がつくことなく睨み合った緊迫の後半。

それらが次なる90分の戦いに繋がったのは、あの緊張感の中、一人違う世界線で生き続けた大島僚太のおかげであることを、このブログの最後に記したい。

さあ豊田スタジアムで、決着を。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

誰もが知らないafter YAHIROの世界

会見で何を聞かれても「自分達次第」でまとめる風間八宏。ちょいちょい言い訳挟みたがるマッシモフィッカデンティ

アクの強さだけなら立派に〝継続〟した監督交代から、気づけば早一年が経とうとしている。それにしても今季の名古屋、強い。どうしたことか、気づけば何度も繰り返し観てしまうマッシモ率いるグランパスの戦い。なぜ強いのか。なぜ勝てているのか。クラブが自信をもって発信した、あのめちゃくちゃ漠然とした「攻撃サッカー」の真意は。

俺たちの戦いは終わっちゃいない、今も継続中だと言いきった大森スポーツダイレクターの言葉、今こそ前任者との比較をもって、検証しようではないか。

〇変わったこと

言うまでもない、守備だ

風間「ボールを持てば問題ない」ネット民「ボールを失ったらどうすんだ」と元も子もないツッコミを受けていた風間スタイルから、ボールがなくともカルチョは出来ると本場イタリアからやってきたマッシモによって、名古屋の守り方は180度変わった。見よ、このお手本のようなゾーンディフェンスを。見よ、この潔くボールを捨てた撤退守備を。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

無失点なら一大事、試合終了とともに輪を作り喜ぶ守備陣に涙したあの時代を経て、我々は無失点が当たり前の世界にやってきた。しいていえば、今シーズンのテーマだった〝相手陣地での組織的なプレッシング〟がコンディションの面やスケジュールを考慮したのか影を潜めているのが懸念材料。

例えば先日の大分戦、システムの噛み合わせの不味さを〝撤退〟することで解消したマッシモは、当時圧倒的ボール保持で対抗した風間氏とは明確に異なる人種だと我々に見せつけた。ただ世界の潮流は〝攻守一体の〟フットボール。より高い位置で主体的にボールを奪えるスタイルへ。撤退がベースではきっと俺たちは3年で飽きるに違いないきっとそう。

鬼の撤退、鬼のスライド、鬼のカバーリング。感じるイタリアの風を確かに感じる。界隈のサッカークラスタよ、ゾーンディフェンスなら松田浩本はもう古い。時代は名古屋だ。

風間よそのフィジカルは認めない

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

昨年の監督交代後、シーズンも終盤に差し掛かるあのタイミングで、マッシモが異例ともいえるトレーニングを始めた。

身体を苛め抜き、フィジカルを一から作り直したのだ。

戦術云々以前の問題として、そもそも論で風間体制を全否定するようなあの取組みに、なんとも見てはいけない社内政治に遭遇した気持ちになったのは記憶に新しい。

何故それが起きたか、一言でいえば志向するフットボールの違いといえよう。ボール保持を前提に、狭いエリアを攻略するための一助となるクイックネスに特化したトレーニングをする風間氏に対し、マッシモは真逆のアプローチをとる。4-4-2のゾーンディフェンスにおける絶対的ベースとなる〝スライド〟に必要な強度。試合展開に応じてチームの重心を変化させる為、〝前後〟を何度もスプリントする強度。

つまり、ボールの非保持を考慮するマッシモからして、風間氏がチームに課したフィジカルトレーニングでは全く、いや全く(2回目)足りなかったのだろう。毎試合驚くほど走るこのチームだが、それは決して守備の頑張りだけが理由ではない。あれほどの長距離を何度もスプリントし行ったり来たりするわけだから、走行距離が伸びるのは当然なのだ。

予想通り、今年のキャンプも連日の走り込みで、とにかくトレーニングがクソつまらないともっぱらの評判ではあるが、だからこそ今のスタイルが維持されている事実は、やはり見過ごせないのである。そして、コロナの中断期間でその利点をもろに失った事実には、ちょっとだけ同情したのである。

エンタメ性など無視した老練な試合運び

風間時代の語り草といえばJ2時代の愛媛戦。4点とってあとは飲むだけだとスタンドで気を許した途端に起きた怒涛の4失点。これが噂の風間劇場か!(実際は等々力劇場)と項垂れる我々、そこから3発ぶち込んだあの高低差。あの夜、我々は決して知るべきではない麻薬の快感を味わった。

一方で鳥栖戦後の阿部ちゃん様のコメントはどうだろう。

いやはや、阿部ちゃん様に風間時代の試合運びを見せたら俺たちはぶん殴られるのではないだろうか。これが阿部か、これが優勝請負人の言葉なのか。

個人のプレーの質にこだわり、その積み重ねで90分間の戦いを作り上げた風間氏と、90分という時間、そしてピッチで戦う11人をどうマネジメントするかにこだわるマッシモ。だからこそ一方はエンターテインメント性に優れた試合になり、もう一方は勝利至上主義的な試合になる。まさに流れる思想・哲学の違いが、ここに現れるのだ。

ということで神様仏様阿部ちゃん様の存在

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

......遅い、名古屋に到着するのが遅い(!!)

貴方様を知り、私たちは気づいたんだ。私たちのショートケーキに、おそらく何年もイチゴが乗っていなかったことを。

パスのテンポを調整し試合のペースを掌握すれば、給水タイムでは味方に指示をがんがん飛ばす。腑抜けたプレーをする選手には「どこおんねん!(と言ってたらしい)」と喝を入れ、点が欲しい時間帯にマジで点をとるスーパーマン

風間がズレれば俺もズレる阿部ちゃんの間の悪さに乾杯。

変わりすぎた攻撃陣

ボール保持は当たり前、やるべきことは「相手のペナ(ペナルティエリア)をどう攻略するか」。このコンセプトで作られた攻撃陣の合言葉は〝止める蹴る〟、そして〝目を揃える〟。我々はいつだって技術を追い求め、そしてその争いに敗れたものはクラブを去った。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

現在のスタメンはどうだろう。マテウスに相馬、まさにあのとき〝目が揃わなかった〟選手たちが今のチームを形成する。そう、我々は〝ボールを運ぶチーム〟から〝ボールを奪うチーム〟に変貌した。ときに相手陣地で圧力をかけ、ときに撤退してカウンターの機会を伺う。如何様にも戦い方を変化させられる要因の一つが、この前線の選手たちが持つスキル。具体的には賢い守備、圧倒的な走力、そしてパワーだ。

先述の通り、マッシモは撤退の手段も厭わない。となれば、前後に走れる運動量とともに、低い位置からのスタートでも相手の脅威になれる駒であることは重要な要素であり、結果としてマテウスと相馬が評価されるのは当然なのである。

また、相手を押し込むその瞬間も、彼らに課せられた約束は攻撃の為にあるのではなく、奪われた際の守備の為にある。

出したら寄るなぞ認めない、バランス!バランス!

 

◯変わらないこと

撤退されると(たぶん)脆い

磨き上げた止める蹴るが、ドン引きゴール前大渋滞ディフェンスに滅法弱かったのは心の傷だ。当然である。密集し、地上戦で、最短距離を目指して向かうなら、相手は負けないくらいの密をもってそれを迎えるだろう。寄り道しろ、少しでいい、寄り道してください。どれだけピッチに願っても、待ち構えるバスに突撃してはクラッシュを繰り返し、「あとは決めるだけ」、そう言い残し風間八宏はこの地を去った。

マッシモはどうか。良かった。奴はむしろバス派だ。

但しだからこそ苦手な局面もある。バスで封鎖しカウンターならお手のもの。ただ待って、走れ走れと叫ぶその先に、もし走るスペースが無かったら。そう、彼らはボール保持を前提とした面子ではない。だからこそクリエイティブな要素を必要とする場面が問題だ。

圧倒的に攻撃偏重なその思想で相手の対策に苦労した前体制。相手がボールを保持する前提が組み込まれた現体制。結果、苦手な局面が類似するのは皮肉な継続である。

困ったときの前田直輝

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

相手を彼らの陣地に押し込むスタイル故、そもそもスペースがない前提の風間氏は、マテウスと相馬の〝改造〟に着手した。一方のマッシモ、時に撤退の術を駆使し相手の陣地にスペース創出、その一撃に賭けマテウスと相馬を最大限評価する。でもパスと足の速さでは解決しない局面は必ずある。

やっぱりおまえか前田直輝

結局どのスタイルでも重宝されるのは、限られたスペースで決定的な仕事を単独でこなすドリブラーなのだ。

実は変わらない最終ライン

風間氏からのマッシモなんて激動の時代を経て、たった一年ながら前線の構成は様変わりした。金崎、阿部ちゃん、マテウス、相馬、稲垣。中盤〜最前線の6枚のうち、実に5枚が風間解任時には不在だった選手たちだ。

にも関わらず、何故か最終ラインだけは風間時代の面々が名を連ねる。吉田、丸山、中谷、成瀬、米本もそうだ。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

考えられるのは、個人能力特化型だった風間時代からして、どのスタイルにも適応可能な優等生が揃っていたこと。何故かマッシモの教え子が太田も含めれば4人もいたこと。そう、マッシモも多分、「....最終ラインはええやん」となった。

ただこの点が、現在の好調を支える原動力だと主張したい。

「名古屋は意外とボール持てるな」

今日もあちこちで他サポは言う。それを見た私は心で呟く。生きてんだよ止める蹴るが、流れてんだKAZAMAの血が。

真面目な話、あれだけ守れてビルドアップの安定感もある面々は貴重だ。その上、リーグ随一のレシーバー阿部ちゃんに、90分間顔を出し続ける稲垣も加わった。多くの選手が前線に張り、「さあお前たちだけでここまでボールを届けなさい」なんて陣形でもなく、「やいお前たちがジャッジして最適なポジションをとれ」なんて守り方でもない。おそらく風間時代に最も苦労し、最も過酷なタスクを担っていたのは彼らだ。面構えなんぞ違うに決まっているだろう。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

たとえキープレーヤーが阿部ちゃんであり稲垣であっても、このチームの土台を築くのは彼らであり、マッシモが感謝すべきは彼らがこのチームに存在したことだ。また、結果的にその礎を築いたのは皮肉にも風間八宏なのだと、我々はこの不思議なケミストリーから思い出すのだ。

 

終わりです

どうだろう、これが今我々の世界で起きているafter YAHIRO現象だ。分かりやすくいえば、俺フィー日本代表(今日はリザーブドッグスの攻撃陣です)みたいなものであり、継続性なんてないと思われていたあのバトンリレーに、誰もが予期せぬケミストリーが起きちゃったのが今の名古屋なのだ。

戦い方に幅があり、ボールを回そうと思えば回すことも出来る。時間だって賢く使います。誰もがafter YAHIROの世界は、川崎同様欧州型のポジショナルプレーだなんて夢を見ていたのに、気づけばあの時代に最も欠けていた非保持特化型のafter YAHIROがここにある。川崎よさようなら。ポジショナルはもう任せた。もう一つのifの世界は名古屋に任せろ。

お互いに共通しているのは、この遺産をどう残すかだ。川崎には止める蹴るの伝道師、中村憲剛がいた。「このチームの基準はこれだ」と、川崎に来る新顔たちに明確なハードルを設定することでクラブのカラーを作った。では名古屋は。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

技術という唯一無二の指標で選手を選別し、毎年多くの選手の入れ替えをしたあの時代はもう終わった。これからは、むしろこのクラブの歴史を知る選手たちに、一年でも長く活躍してもらうことが重要だ。あの日の中村直志のように、また楢崎正剛のように。クラブの顔といえる存在を一人でも多く輩出し、クラブの歴史を纏ったタスキをリレーで繋いでいくことが、今後、強いクラブを作るにはきっと大切なのだ。そう、悔しいかな鹿島アントラーズのように。

その意味でも、この激動の高低差を体感した宮原や中谷、前田のような若い面々が、今後も名古屋の顔となりこのチームを引っ張ってもらいたい。彼らは、我々の財産なのだ。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

さて、浮かれるのはまだ早いぞ。忘れたなんて言わせない、昨年の開幕ダッシュを。あの時の浮かれた俺よ馬鹿やろう。

〝研究されたら勝てません〟マッシモよそれは引き継ぐな。

サッカーなんて、なくてもいい

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

あ、サッカーって不要不急なんだな。

サッカーがない日常が当たり前になると、あれほど我が人生には欠かせないと確信していたはずなのに、悲しいかなこう思う。あぁマズい。サッカー熱が冷めていく。

自粛期間中のぼくはといえば、平日は仕事に読書、あとNetflixPodcastも言うことなし。休日は子育て&子育て&子育て。早く....早くおれをスタジアムに連れてって!なんて以前はあんなに強く思っていたのに、今となっては俺はなんて罪深い父親なのだと反省する(今更か!のツッコミは不要だ。いま語り始めてこれから盛り上がる予定です)。

SOCCER KING (サッカーキング) 2020年 06月号 [雑誌]
 

 そんなある日、一つのコラムを目にする。サッカーキング2020年6月号掲載、細江克弥さんの「サッカーのない世界なんて」。その冒頭を紹介する。

 結論から言えば、サッカーなんてなくてもいい。全然いい。なくても『100点』だ。決して強がりじゃない。

細江さん、冒頭で仕事を捨てる暴挙。いや分かる、分かるけれども、サッカーを生業にしてる方が「サッカーなんてなくてもいい」言った。次、解説した試合で選手の名前噛みまくるとか、きっと天罰が下るでしょう。

ただこのコラムを読み進めると、いやはや、これは今の自分と同じなんじゃないかと思えてくるのだ。

つまり何が言いたいのかというと、この生活は、僕にとってものすごい幸福感に満ちあふれていた。みんな健康。ずっと一緒。アルバイトで誰かの役に立っているという達成感もあるし、キャパを超えた仕事のプレッシャーもストレスもない。間もなく1歳になる娘の成長が手に取るように分かり、それを見守る家族の結束力は高まるばかりだ。

ちなみに細江さんは配達のバイトまで始めたそうだ。それに「ウケる」と笑って返す奥さま。素敵だ。理想の家庭だ。きっと天罰が下るでしょう(二回目)。

でもこの部分、ぼくにはめちゃくちゃ分かるんだ。悔しいかな家族の結束力が高まった実感こそないけれど、少なくとも妻の舌打ちは減った。バドミントンのやり過ぎで筋肉痛になったが、その分、恐ろしく腕も上がった。そうだ、Twitterを見ることも減った。そもそも自分のことを知りたいと思ってる人なんていないし、悲しいかな話すネタもない。我がタイムラインを支配していたサッカーフリーク達の存在感は心なしか小さなものに感じられ、当たり前だった日々が失われたことを痛感する。サッカーがなきゃ大した人間でもないと言われそうだが、少なくともぼくに限っていえば正しい。

また、このブログもそうだ。以前こう聞かれたことがある。「よく仕事でもないのに書こうと思えるね」。ぼくはこう答えた。「書くことが好きなので」。いやー笑わせてくれるな自分。その好きなことを失った日々を生きる今、こう思うよ。「金も貰えないのによく書くな」と。〝好き〟のパワーは無限だが、だからこそもう一つの大切な日常を見失いがちになる。それに気づくには、あまりに充分すぎる自粛期間。

あれ、やっぱりこの人生にサッカーって案外必要じゃないのか。スタジアムなんか行かなくたって、ぼくは生きていけそうだ。「日常にある、非日常」なんて偉そうに書いておいて、自分にとっての非日常は、所詮、独立型の非日常なのか。日常になくてもいいじゃねーか(姑息に宣伝)。

www.soccer-king.jp

でもほんとにそうなのかと自問自答をしていた時、この細江さんのコラムはとても大切なことを教えてくれた。

サッカーは、100点の日常に上乗せされるもの。つまり俺って、ずっと150点の人生を歩んできたんじゃ?

......!!!!!

自分の中で、サッカーの価値がワンランク上がったことは間違いない。100点の日常に上乗せされる「50点」がある人生って、どんだけ最高なのよ。

んぁあ....名言。天罰が下るとか言ったぼくの小物っぷりよ。

その時、ぼくは本当の意味で「日常にある非日常」を理解した気がした。そうか、日常が100点ならサッカーがあれば150点だし、極論、日常が0点でも、サッカーで50点あれば赤点ギリギリセーフ。もちろん日常が50点のやってられねー人生でもさ、サッカーが50点なら大逆転の満塁ホームランですよ。ちなみに「連敗続きで毎試合負け試合の場合、そもそもサッカーが0点なわけだがどうしてくれるんだ」と突っ込みたい方もいるでしょう。その点に関しては、ブログの構成の都合で〝文字数〟の三文字をもって今回は割愛する。あれだろ、風間が悪いんだろ。そうだそうだ、風間がわる文字数。

兎にも角にもサッカーは偉大だ。ぼくにとってのサッカーは、たぶん、きっとこれだ。だから例えそれがなくとも生きていけるけれど、あったらもっと幸せで、例えば日常がつらく悲しい人にとってもそれは、きっと日々の生きる糧であり、支えである。まとまった。日常にある、非日常、完。

そして自粛期間も遂に明け、さぁこれからフットボールな日々が戻ってくるぞと思った矢先、それは起きた。

nagoya-grampus.jp

これは何ヶ月ぶりの感覚だろう。リリースが出てから数時間、暗闇の部屋で携帯と睨めっこ。この動揺を落ち着かせる術はただ一つ、Twitterへ投稿するのみだ。一匹狼上等だとほざきながら、結局、誰かと繋がることを欲している。

金崎夢生の一件は、改めて大切なことを教えてくれた。

それは日常でも、非日常でも、尊いものは尊い、という事実。日常にあるわけでもない、言ってしまえば直接話したこともない人間の不幸を、我がことのように憂い、そして動揺する。翌日も仕事だろうが遅くまでSNSに想いを連ね、結果、恐ろしく目が冴えあぁ睡魔よ戻ってこい。でもそんな対象は、きっと家族や大切な友人以外には、大好きなフットボールクラブだけだ。結局、これは〝我がこと〟なのだ。

好きなことは誰かに伝えたいし共有したい。また、繋がることで支え合える。誰もぼくの日常になんて興味はなくとも、非日常にあるそれは驚くほど多くの人たちを繋ぎ合わせ、人はやっぱり一人ではたかが知れているのだと自覚させる。

例えば新型コロナウイルスによって今や人類の敵となった〝密〟だって、およそソーシャルディスタンスありきでは生み出せないパワーがあることを、我々フットボールファンは知っている。名古屋のゴール裏は、密が、非日常で繋がった同志たちが生み出した奇跡みたいなものだ。

フットボールには、日常をより輝かせ、そして日常では得られることのない人の繋がりを感じさせる力がある。非日常がもたらす作用、フットボールにある〝価値〟はそれだ。

だから娯楽なんて不要不急だと外野が罵ったとしても、このタイミングで改めて言いたい。フットボールは、我が人生には〝必要〟です。日常と、非日常が同居する人生マジ最高。

そんな非日常、当たり前のように存在した密が戻ってくることを信じて、ぼくは金崎夢生が「名古屋に戻ってきて良かった」と心から思えるクラブの一員でいたいと思う。

やっぱり、フットボールのある世界は素晴らしい。

2020チーム編成ぶった斬り【名古屋編】

やはり毎年、オフの主役は名古屋一択であります。

これほど気持ちの浮き沈みが激しいオフを体感出来る名古屋尊い。盛り上がる加入も心を切り刻む退団も盛り沢山。健全なクラブといえる自信はなく、しかし資金は潤沢。両者が交わり毎年激動のオフを堪能できますありがとうございます。

さて、今回のオフをトピックスに分けて振り返りましょう。

実はこの三年の文脈を踏まえた補強

指揮する監督は水と油くらい違うものの、強化の人間が変わらないこともあり、不思議と軸は変わりません。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

例えば誰もが予期しなかった阿部ちゃんの獲得。

風間体制でも彼はおそらく重宝されたはず。阿部ちゃんといえば攻撃のポジションならどこでも器用にこなす万能型。振り返れば昨季はセカンドトップの編成が大きな課題でした。シーズン前には大前元紀、シーズン中には柿谷曜一朗。残念ながら交渉は全てご破算。我々を救ったのはグルテンフリーなジョコビッチ。チームが不調にあえいだ時期(ずっとだよ)、″名古屋対策″に苦労するチームを攻撃で引っ張る選手も不在でした。阿部様、待っていました貴方のことを。

忘れもしないあの日の夜22時。まさに激震でした。

また昨季、何で困ったか振り返ります。ジョーの不在。安心してください山﨑獲得。よりにもよってヨネ負傷。大丈夫だから稲垣獲得。つまり今オフの補強、昨季だって十分必要な補強だったわけです。別に風間氏だろうがマッシモだろうがそこ関係なし。大森政権における名古屋では、意外や意外、監督交代の影響はモロに受けていないと感じます。つまり、

  • もともと汎用性の高い選手を揃えていた
  • そもそも監督でどうこう方針を変えていない
  • 監督でごっそり入れ替えるほどの予算がない

のどれか(もしくはどれも)の可能性が高く、良く言えば大森スポーツダイレクター(以下SD)優秀!悪く言えば「与えられた予算で好みの選手かき集めてるだけでは」と受け取れるこの編成。だってウインガーの数が前田、シャビエル、青木、出戻り王者マテウス、出戻りオリンピック相馬、出戻り茶畑秋山。なんと6枚。来季も風間体制ですかそうですか。

うちの選手たちのクオリティは非常に高く、クラブとして自信を持っています

風間解任時に大森SDが発したこのコメントは、今となればまた異なる印象も受けます。おそらく本音だったんでしょう。とはいえ彼らを操るのはマッシモですから、そのコンセプトも役割も、風間体制時とは大きく異なることでしょう。

ただそれでも一つだけ。大森さんその好み僕は好きですよ。

無風だったセンターバック

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

今回の編成で、″賭け″と表現すべき一つ目のポジション。

思い出せば昨年。マル(丸山)の怪我、皆さん血の気ひきませんでしたか。その後、我々どれほど苦労しましたか。救世主藤井君の存在にどれほどのファミリーが救われましたか。

にも関わらず、このポジション補強″ゼロ″。マッシモの戦術の肝いや砦ですよねこのポジション。そこにあえて手をつけない大胆な戦略。ですのでここはマルとしんちゃん(中谷)が不動のレギュラーとみてまず間違いありません。つまり千葉ちゃんはともかく、藤井君の更なる台頭がないと競争も起きなければ、昨年同様一人でも主力に怪我人が出れば、ガタッとチームの根幹を揺るがす事態にもなりかねません。

毎年恒例のネット上陸遅れが生む不安

″賭け″その二、です。これは事情が分かりかねます。名古屋は契約更新したいのか、ネットがゴネてるのか、はたまたお互い合意のもとで新たな移籍先を探しているのか。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

一つだけ確かなのは、この時点で今季ネットが名古屋でプレーするかは″未確定″である事実です。

仮に他クラブに移籍する前提で考えてみます。ここで重要なのは、後方からゲームを作る″司令塔″候補です。ジョアン、渡邉......以上!つまり昨季でいうジョー、マル並にジョアンがアンタッチャブルな存在になり得るわけです。渡邉は東海学園大卒、期待のホープです。但し丸一年間公式戦に出場していない怪我あがりの選手でもある。ジョアン不在時、彼一人にその任務を押しつけるのはあまりにリスキーでしょう。

そう考えると、まさに昨季のジョーやヨネ、マルと今季のジョアンが同じ位置づけになるんです。一年間フル稼働してもらう前提。いやいや、皆怪我したじゃないですか。長期離脱で苦しんださ。このあたりの編成(ウインガーの豊富な陣容に対して、センターバックボランチの層のアンバランスさ)が少しばかりクエスチョンではあったりします。

各地に散らばった若手たち

f:id:migiright8:20200112012725j:image

他クラブが長期離脱上がりの青木や渡邉に今オフにオファーするのはそれなりに勇気がいるでしょう。なのに意味深インスタ上げた青木罪深い。「直輝いかないで!」「青木出番あるって!」安心してください。ただ仲が良かっただけです。

しかしながら多くの若手が名古屋の地を離れました。

杉森と榎本が名将リカルド率いる徳島へ(育ててください)。深堀が長谷部なき水戸へ(覚醒待ち)。期待のレンタル組、プリンス山田はそのプレーを観ることなく同じく水戸へ(あれは名古屋があかんぞ)。伊藤洋輝が磐田へ帰還(磐田許すまじ)。そして大垣が2年連続2度目の岩手挑戦。名古屋の地を踏むのはいつなのか松岡ジョナタン。顔デカい櫛引とワンバック新井はこのクラブを正式に離れました。

風間時代も大概人の出入りは激しかったですが、今期に関してはとりわけ″若手の活躍の場が限られた″印象を強く受けます。この点は、風間体制のここ三年から大きく変化しています。若手を躊躇なく起用し、前半お試し駄目なら引っ込める風間氏のやり方は賛否両論。しかし今季そういった″実験的な(リスクある)″起用はそうそう期待できないでしょう。

但し二つのポジションだけ、″若手の台頭がなければ困る″ポジションがあります。前述のセンターバック、そしてボランチ。まさにチームの根幹となる″センターライン″です。

和泉竜司、鹿島にさらわれる

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

今オフ最大の衝撃。帰りの電車でそれを知り、外も心も真っ暗になった人。お正月がお通夜に早変わりした人。阿部ちゃん速報からの落差に耳キ-ンした人。朝刊に出す予定のスクープを前日22時に速報する旨みを覚えた中スポに、我々は「打倒スポニチ」そんな大本営の意地(適当)を垣間見ました。

正直に書きましょう。よく和泉だけで済んだな、これも本音です。昨年のゴタゴタを思えば、もっと多くの流出があってもおかしくありませんでした。最も狙われる可能性があったのは、やはり和泉、宮原、前田、この3人だったと考えます。

さて、和泉です。残念ながら、彼は名古屋ではなく鹿島を選びました。ここではその点に関して口を出すつもりはありません。問題は、現在の名古屋が果たしてどういった方向性、未来を描き、結果どんな立ち位置に存在するのかです。

″未来”から″現在(いま)″に舵をきった戦略

あまり話題にはなりませんが、今オフで最も残念だったのは″大卒新加入選手ゼロ″の事実です。界隈では現在の名古屋にはそもそもそのツテがないとも噂されています。ユース上がりは2名昇格があったものの、未来への投資が出来たオフだったかといえば、決して満足なものとは言えなかったでしょう。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

一方で新たに加入した選手達に目を移せば、稲垣が28歳、阿部ちゃんが30歳、山﨑が27歳と、まさに脂が乗り切った″今″がピークの選手達ばかり。メリットは海外移籍の心配がない点、デメリットは各々成長曲線がピークにある為、当然チームの成長曲線もそれに比例することです。平たく言えば、″今″に重点を置いた補強だと言って過言ではないでしょう。

でもこれは当然なんです。昨年の風間八宏解任の文脈を思い起こせば、大森SDが″解任の責任は風間八宏にあった″と暗に理由づけしたのは間違いないわけでして、となれば新たに担ぎ上げたマッシモで躓くわけにはいきません。またマッシモの立場からしても、なんとか残留を掴み取り、やっと″本物の″チーム作りが出来る。彼は風間氏とは当然対極のまさに″一戦必勝″の男です。目の前の試合に勝つか負けるか、彼にとっての文化、あるべき姿はそれ以外にない。ですから、彼自身も何より目先の結果が必要です。であれば名古屋が突き進むこの道は、至極当たり前の道とも言えるわけです。

ただ先程も述べた通り、この路線は選手とチームの成長曲線が比例するのが最大の特徴です。ピークが″今″に設定されている分、当然ながら落ち込むのも早い。そこで新陳代謝を怠ると、成績がズルズル下降線を描くことを我々は過去の経験で学んでいます(主に2010〜2016の記憶として)。つまり未来より″現在″に目を向けるこのやり方は、選手の入れ替えを前提とした金銭のかかる方針であると自覚すべきでしょう。まあ、風間体制時も異なる意味で金がかかりましたが....。

とはいえ名古屋だから出来る戦略であることも事実でして、ある意味″戻るべくして戻った路線″です。降格して体制が変わった2017年は、この路線から脱却し、″現在”から”未来″に目を向けた、このクラブにとって画期的な瞬間でした。ただ結果的にはその路線に頓挫し、我々はまさに″企業クラブ″ならではの運営に舞い戻った。何故、風間八宏は解任されたのか。″投資した金額にその成績が見合っていない″からです。

求められる唯一にして最大のノルマは″結果″

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

かき集めたこのスカッドは、″現在″で見ればこの4年で過去最高でしょう。但し幾分偏ったスカッドであることも事実。あの風間体制ですら、前線は人員過多で多くの選手がシーズン途中にこのクラブを去りました。その一方で、チームの根幹をなす選手達が長期離脱を強いられ、代役不在に困ったクラブの成績は案の定落ち込んだ。この反省を踏まえた編成かどうか。本来、評価軸はこの点にあるべきです。但しこれまで述べた通り、今回の補強戦略を見ると、大森SDにとってそれはあくまで″監督の手腕″の問題だと評価した可能性もある。

とはいえ贅沢をいえばキリがありません。少なくとも他クラブが羨む戦力を保有していることは間違いない事実であり、マッシモにとっても十分なスカッドと言えるでしょう。

直近の過去3年間、結果が出ずともこのクラブが見放されなかったのは、そこに確固たるスタイルを追い求めた″物語″があったからです。ただし、本来プロスポーツで求められるべき″結果″がおざなりにされていたことも事実。今季は大森SDが作り上げた過去最高のスカッドであり、それを指揮するのは″物語″ではなく″結果″を求められたマッシモです。そして我々ファミリーも、今度は″物語″から″結果″側に目を揃えなければなりません。″攻守一体の攻撃サッカー″いやいや、内容ではありません。目先の勝負にとことん拘るべきだ。

勝負事で求めるものはただ一つ。全ての相手を、叩き潰せ。

その物語は、書き換えられた

人気がないマッシモのために、煙を売ることにしました。

それにしてもマッシモ、時間がかかるらしい。風間氏と思考が真逆なので、風間氏が″技術″の追求に時間を要したように、マッシモも″規律″と″フィジカル″の追求において、時間がかかるという意味ならば、理解できるというもの。真逆故に、風間氏同様、選手は選ぶのでしょう(つまり彼のお眼鏡にかなう選手を揃えなければならない)。来季はキャンプから徹底的に鍛え上げて、マッシモ仕様のガチムキグランパスがきっと観られるはずそうに違いない。

極端に言えば来年、来季が始まってからまったく新しい、私がやりたかったサッカーを目にしていただけるようになると思います

言ったな。ということで、見所を個人的にピックアップ。

1、前プレしたいって本当ですか?

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

週プレじゃないです。前プレ(=前からプレッシング)。

鹿島戦でも時折見られました。そもそもの思考として、こちらがベースになることはありますでしょうか。であれば、ここは伸びしろ。悲しいかな、今季のメンツではここに苦労しました(風間時代の「崩しきった先にある前プレ」と、ここでいう「ボールを奪う前提での前プレ」は意味も違う)。

今季のベースは″撤退″でした。攻撃のスタート位置も低く、当然奪われると戻る距離(個々の定位置まで)も長い。持久力と走力がないと死ぬそれです。だから初見で思いました。

「なんて古風なカテナチオなんや......」

と。ゴリゴリにゴール前を固め、奪ったらカウンター。奪われたらはい撤退。前半はそこそこ元気なシャビエルが、後半になるとボールを奪われる度に途方に暮れるシーンも沢山観ました。もうあそこには戻りたくない、と。鹿島戦も相手に先行を許し、追いかける場面でシャビエルはバテバテ。ただ点を獲る必要があるので、彼は一列前に。代わりにワイドは伊藤を配置するなど、マッシモの苦悩が垣間見れました。

前半は体力も気力も漲ってるので締まった戦いになるのですが、後半も早々になるとやたらオープンな展開になるのはこれが原因です。特に前線の連中はアップダウンが激しいのでもれなく死にます。戦い方に幅を持たせるなら、ボールを奪うポイント(仕組み)は、やはり沢山持ちたいところ。

マッシモ的にいえば、今季からドラスティックに変わる要素があるとすればまずこれ。残留のための戦いは終わりました。もちろん希望的観測で終わる可能性もありますが。

2、仕込む余地が残された″ビルドアップ″

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

取ったボールをつなぐことや、そういう今までやっていたけどマッシモになって捨てていた部分をもう1回トライするのも良いのかなと思います

鹿島戦前の中谷のコメントです(赤鯱新報より)。

ここの文脈が、外部からは非常に読み取りづらかった。鹿島戦、特に前半は相当″繋ぐこと″に固執している印象を受けました。ここでは主に、最終ラインを指した意味として。

確かに鹿島も前から積極的に奪いに来ません。繋ぐ余裕があったのも事実。しかし仮に繋ぐ意思がないのなら、ジョー目掛けて蹴り飛ばせばいいんです。拾えればラッキー、相手にこぼれたら再度ブロック形成し、鹿島を引き摺りこむ。カウンターがやりたいならむしろボールは捨てた方が話が早い。

でもそれはやらなかったですね。とにかく繋ごうとした。それが選手たちが″捨てたもの″として考え、自主的に取り組んだものなのか、マッシモも本来はそうしたかったのか、そこは来季のフットボールを観なければ断言出来ません。しかもこの試合、後半は早々から蹴り始めましたからね。謎です。

但し鹿島戦に関していえば、″繋ぐ意思″こそあれど、それ自体が目的化していた印象もあります。本来ボール保持を基調とするチームが、何故ビルドアップを後方から丁寧に行う必要があるのか。それを改めて考える必要があるのでしょう。

それは″前線に時間とスペースを生み出す為″にあるものです。風間流に考えれば、そもそも前線にそれがあれば一発で狙えばいいし、なければ後方から相手を一枚ずつ剥がして相手を動かす(動かざるをえない状況を作る)為にあるもの。鹿島は名古屋とシステムも同様(各選手の前には必ず対面の相手が存在する噛合せ)。ボールを繋ぎながら″どのポイントで優位性を生み出すか″、この点が重要でした。

しかし残念ながら、チームとしてそのアイデアを共有する段階ではなかったと考えます。例えば、風間流のように意図的に密集を生み出し、そこから″止める蹴る外す″を信号に相手の個を攻略するイメージもなく。例えばボールを回す過程において、意図的に選手たちが配置を変え、相手との噛合わせを″ズラす″ことでそのエリアを攻略するわけでもなく。各選手の個人能力は高いのでそつなくボールは回るのですが、一方でボールの進路に″縦″が入らなかった。″横″と″後″が多くなり、後方6枚でボールを回すシーンが散見されました。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

ではどう打開に繋げたかといえば、オフェンシブハーフの二人、前田とシャビエルによる″個″の力です。彼らが降りてきてビルドアップに加わり、一本のパスで打開する。相手を背負ったまま一発のトラップで剥がす、ないしはドリブルで抜き去るなど。彼らのクオリティに多分に支えられた仕組みでありました。それに加え守備になれば定位置に戻り、逆サイドにボールがあれば5バックの如くサイドを埋めたりと、攻守にタスク過多の中、よく頑張りました。この試合、チャンスの場面は殆ど前4枚で攻めていた印象です。その点、途中出場の伊藤はスピードがない分、太田を上手く活用する意図がありました。攻撃に変化をつける意味でも面白かったです。

現代のフットボールにおいて、このビルドアップが実装出来ないと戦い方の幅がぐっと狭まるのは当然でして、ここが一番の課題ではないでしょうか。裏を返せば、改善が見込めないと今シーズン同様「前に出てくる相手には強い、出てこないと脆い」チームとして、おそらく対策されます。

現状はボールを縦に運べない、当然中央を割って入るアイデアもないので、遅攻の場合は必然的にボールが外に外に循環します。だからサイドの″個″が重要なんですよね。ドリブルで違いを生み出す前田、外からのクロスで精度の高いボールを供給する太田。中では高さで違いを生み出すジョー。

(安心してくださいそれがマッシモ流です←東京方面の声)

馬鹿言ってんじゃないよ今んとこ太田のクロスも散々、ジョーのポジション取りも遅れるわでそれすらないからな。

3、ブロック守備にまだ向上の余地はあるか

この点の伸び代はどうでしょうか。

オートマティズムの向上は見込めるかもしれません。勿論前線の選手の顔ぶれが変われば全体の強度も上がる可能性大。

その一方で、ブロックの中心となる最終ラインや中盤は、既にある程度その理想を体現出来ている可能性もあります。改めて現在の戦力を考えても、最終ラインには丸山、吉田、太田がいて、中盤には米本がいる。後方6枚の内、4枚がそもそもマッシモ流経験者であったことを考えると、たった8試合とはいえ、これは大きなアドバンテージでした。そして裏を返せば、ここの伸び代が大きく残されているとも考えづらい。

そこで気になるのは、来季も″4-3-2-1″に挑戦するか否か。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

今季何度か挑戦しては、あっという間に4-4-2に戻す秘技を繰り返したマッシモ。撤退して守るのなら、最終ラインに4枚、中盤にも4枚を均等に並べるのが最もバランスが良いのは当然です。その結果、最前線のジョーの負担を軽減する為、アーリアが右に左に走り回ったのが今季の名古屋でした。

では何故マッシモは4-3-2-1に固執するのか。ここが謎です。

一つ仮説として考えられるのは、そもそもビルドアップを仕込む(実装する)のが苦手。その上、彼が理想とする守備において、4-4-2では前線の負担は重く、結果として攻撃にリソースが割きづらい。そんな悩みを解消する切り札的発想。4-3-2-1は連動さえすれば、数的優位も生まれやすい形です。

中盤に4枚(+アーリア)割いて、前線がジョー1枚では前にも出づらい戻るのも大変の二重苦。ならば中盤3枚にしたらどうか。そりゃ3枚で横幅見れるなら、その分、前に3枚配置出来ますから、より彼らは攻撃に比重を置いた振る舞いが出来るかもしれません。個のクオリティ万歳、頼りましょう。ただ中盤を3枚でみれるチーム、国内ではなかなか見ません。

そこで秘策、広島の稲垣獲得大作戦。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

www.footballista.jp

仮に彼と米本をインサイドハーフに配置した3センターをベースにすることが可能なら、前線の守備における負担は軽減される可能性も高いと言えましょう。またその結果、例えば前線から前プレの効率が上がるだとか、攻守におけるジョーの負担も軽減されるだとか、守備負担が減った攻撃陣のクオリティが上がるだとか。超希望的観測も可能......かも。

もう、あの物語は終わった

さて、そんなこんなで最後に一つ、認識すべき点について。

降格してからの物語は、一区切りがつきました。来季の監督がマッシモと正式に決定した以上、もう終わったことです。

過去に想いを馳せてもそれは帰ってこないし、起こることもない願望を持ち続ける必要も、もはやありません。

改めて振り返っても、彼らが紡ぎだすストーリーは魅力的でした。我々の多くは″それ″を担いでいた、そう言っても過言ではありません。″名古屋らしいスタイル″に憧れを抱き、初の降格を経験したあのオフに、強烈な個性を持ち合わせた風間監督がやってきました。運を味方にするように、それを後押しする社長まで現れた。そしてこのプロジェクトに惹かれ、多くの選手たちが名古屋の地に集結しました。俺たちが名古屋の歴史を変え、そのスタイルを作り上げるのだと。

その文脈からして、シーズン途中での解任劇は、まさに熱中していたドラマが途中で打ち切られたような気持ちでした。もちろんこの脚本には興味がなかった方々、そもそも脚本の中身が気に入らなかった方々からすれば、それはもしかすると早く終わって欲しい物語だったのかもしれません。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

そこからマッシモと歩んだ8試合は、ある種の″繋ぎ″であり、緊急時の番組を観るような感覚だったとも表現出来るわけで。ただ先日、それは本編になるのだと我々は知りました。

ここから先は、いつまでも打ち切りになった物語にタラレバの夢を見たって、それが戻ってくることはありません。同時にいつまでも過去に固執し、比較することに精を出しても、もはやそこから生み出されるものも何もありません。

惜しむことがあるとすれば、やっと名古屋の地に存在するポテンシャルに気づいたにも関わらず、それをみすみす手放すことでしょうか。当時、風間氏はこの地に大きなポテンシャルがあると言いました。それはてっきり立地的な意味合いだと感じていたけれど、どうやらそれだけではないようです。

ボールプレーヤーに徹底的にこだわった彼のスタイルからして、この地のポテンシャルは凄まじいものがあったはずです。下部組織であるアカデミーでは、ユースに古賀監督という優秀な指導者が現れた。練習場の隣を覗けば、高校時代から徹底的にそのスキルを磨いてきた選手達(特に中央学院高の繋がり)を、更に研ぎ澄ますべく東海学園大の安原監督がいた。本来一つであるはずの下部組織が、風間氏からすればこの地には二つある。何もしなくとも、彼が望むスキルを併せ持った選手達がそこにはゴロゴロいたのです。自分達のスタイルが何か迷走し続けた名古屋からすれば、これだけボールプレーヤーに恵まれた土壌であると理解出来たことは、大きな発見だったことでしょう。そして、グランパスがその頂点の存在として明確なスタイルを掲げる限り、そこに魅力さえあればその供給が止むことはなかったかもしれません。

そんな物語に区切りをつけ、我々は新たな道を歩みます。

誇り高きプライドと、その生き様に期待を

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

Jリーグの監督の中で何人がセリエAで監督が出来ると思いますか

おそらく今季のグランパスの試合を確認した際、マッシモの目にはそれは酷いものに映ったことでしょう。そして皮肉な話ですが、現在のグランパスの試合を観て、風間氏もきっと酷いものを観ている気分ではないでしょうか。我々はそれほどまでに正反対の思考を持つ監督にバトンを託しました。

マッシモは誇り高きイタリア人です。セリエAで指揮した経験も、彼の国が良しとする″常識″も、それが彼のプライドとなり、彼自身を支えている。今季彼に与えられた8試合は、きっと彼にとっては偽物の姿であり、それで最後ブーイングを喰らった事実は、彼に二つの想いを抱かせたはずです。

俺が作ったものではないという怒り。そして、その文脈を持って「彼らはこの姿に満足していない」と確信出来たこと。

彼がこのチームを作り替えようとする行為の意味するところは、エンタメ性なんかとは掛け離れた、徹底的に″勝利にこだわる姿″であり、魅せることではなく、″泥臭くとも走り、戦い、そして勝つこと″です。それが彼にとっての″文化″です。

だからこそ勝たなければ、彼のフットボールに価値はない。

本物のマッシモ流が観れるのは来季でしょう。止むことのなかった議論の一つ、ピッチと観客動員数の関連性においても、来季一つの回答が出るはずです。そして名古屋が歩んだこの一歩が正しいものだったのかどうかも、来季のシーズン後にきっと語られることでしょう。それでいいのです。

鹿島戦前、マッシモはこうコメントしました。

まずはチームを残留をさせて、また別のプロジェクトに向かっていくためにこの仕事を受け、やってきました

風間体制は終焉です。マッシモが魅せる本物に、期待を。