会見で何を聞かれても「自分達次第」でまとめる風間八宏。ちょいちょい言い訳挟みたがるマッシモフィッカデンティ。
アクの強さだけなら立派に〝継続〟した監督交代から、気づけば早一年が経とうとしている。それにしても今季の名古屋、強い。どうしたことか、気づけば何度も繰り返し観てしまうマッシモ率いるグランパスの戦い。なぜ強いのか。なぜ勝てているのか。クラブが自信をもって発信した、あのめちゃくちゃ漠然とした「攻撃サッカー」の真意は。
俺たちの戦いは終わっちゃいない、今も継続中だと言いきった大森スポーツダイレクターの言葉、今こそ前任者との比較をもって、検証しようではないか。
〇変わったこと
言うまでもない、守備だ
風間「ボールを持てば問題ない」ネット民「ボールを失ったらどうすんだ」と元も子もないツッコミを受けていた風間スタイルから、ボールがなくともカルチョは出来ると本場イタリアからやってきたマッシモによって、名古屋の守り方は180度変わった。見よ、このお手本のようなゾーンディフェンスを。見よ、この潔くボールを捨てた撤退守備を。
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無失点なら一大事、試合終了とともに輪を作り喜ぶ守備陣に涙したあの時代を経て、我々は無失点が当たり前の世界にやってきた。しいていえば、今シーズンのテーマだった〝相手陣地での組織的なプレッシング〟がコンディションの面やスケジュールを考慮したのか影を潜めているのが懸念材料。
例えば先日の大分戦、システムの噛み合わせの不味さを〝撤退〟することで解消したマッシモは、当時圧倒的ボール保持で対抗した風間氏とは明確に異なる人種だと我々に見せつけた。ただ世界の潮流は〝攻守一体の〟フットボール。より高い位置で主体的にボールを奪えるスタイルへ。撤退がベースではきっと俺たちは3年で飽きるに違いないきっとそう。
鬼の撤退、鬼のスライド、鬼のカバーリング。感じるイタリアの風を確かに感じる。界隈のサッカークラスタよ、ゾーンディフェンスなら松田浩本はもう古い。時代は名古屋だ。
風間よそのフィジカルは認めない
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昨年の監督交代後、シーズンも終盤に差し掛かるあのタイミングで、マッシモが異例ともいえるトレーニングを始めた。
身体を苛め抜き、フィジカルを一から作り直したのだ。
戦術云々以前の問題として、そもそも論で風間体制を全否定するようなあの取組みに、なんとも見てはいけない社内政治に遭遇した気持ちになったのは記憶に新しい。
何故それが起きたか、一言でいえば志向するフットボールの違いといえよう。ボール保持を前提に、狭いエリアを攻略するための一助となるクイックネスに特化したトレーニングをする風間氏に対し、マッシモは真逆のアプローチをとる。4-4-2のゾーンディフェンスにおける絶対的ベースとなる〝スライド〟に必要な強度。試合展開に応じてチームの重心を変化させる為、〝前後〟を何度もスプリントする強度。
つまり、ボールの非保持を考慮するマッシモからして、風間氏がチームに課したフィジカルトレーニングでは全く、いや全く(2回目)足りなかったのだろう。毎試合驚くほど走るこのチームだが、それは決して守備の頑張りだけが理由ではない。あれほどの長距離を何度もスプリントし行ったり来たりするわけだから、走行距離が伸びるのは当然なのだ。
予想通り、今年のキャンプも連日の走り込みで、とにかくトレーニングがクソつまらないともっぱらの評判ではあるが、だからこそ今のスタイルが維持されている事実は、やはり見過ごせないのである。そして、コロナの中断期間でその利点をもろに失った事実には、ちょっとだけ同情したのである。
エンタメ性など無視した老練な試合運び
風間時代の語り草といえばJ2時代の愛媛戦。4点とってあとは飲むだけだとスタンドで気を許した途端に起きた怒涛の4失点。これが噂の風間劇場か!(実際は等々力劇場)と項垂れる我々、そこから3発ぶち込んだあの高低差。あの夜、我々は決して知るべきではない麻薬の快感を味わった。
一方で鳥栖戦後の阿部ちゃん様のコメントはどうだろう。
“(試合の締め方を問われ)僕的にはまだまだというか、相手が10人だったにもかかわらずちょっとバタバタしましたし、まだまだ上げて行けると思います ”#阿部浩之#サガン鳥栖 戦後 選手コメント動画
— 名古屋グランパス / Nagoya Grampus (@nge_official) 2020年7月18日
🎬全編は #INSIDEGRAMPUS #grampus
いやはや、阿部ちゃん様に風間時代の試合運びを見せたら俺たちはぶん殴られるのではないだろうか。これが阿部か、これが優勝請負人の言葉なのか。
個人のプレーの質にこだわり、その積み重ねで90分間の戦いを作り上げた風間氏と、90分という時間、そしてピッチで戦う11人をどうマネジメントするかにこだわるマッシモ。だからこそ一方はエンターテインメント性に優れた試合になり、もう一方は勝利至上主義的な試合になる。まさに流れる思想・哲学の違いが、ここに現れるのだ。
ということで神様仏様阿部ちゃん様の存在
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......遅い、名古屋に到着するのが遅い(!!)
貴方様を知り、私たちは気づいたんだ。私たちのショートケーキに、おそらく何年もイチゴが乗っていなかったことを。
パスのテンポを調整し試合のペースを掌握すれば、給水タイムでは味方に指示をがんがん飛ばす。腑抜けたプレーをする選手には「どこおんねん!(と言ってたらしい)」と喝を入れ、点が欲しい時間帯にマジで点をとるスーパーマン。
/#阿部浩之 の
— DAZN Japan (@DAZN_JPN) 2020年7月12日
弾丸シュートが突き刺さる⚡
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阿部のミドルシュートが決まり、名古屋がリードを2点に広げる。
🏆明治安田J1第4節
🆚C大阪×名古屋
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風間がズレれば俺もズレる阿部ちゃんの間の悪さに乾杯。
変わりすぎた攻撃陣
ボール保持は当たり前、やるべきことは「相手のペナ(ペナルティエリア)をどう攻略するか」。このコンセプトで作られた攻撃陣の合言葉は〝止める蹴る〟、そして〝目を揃える〟。我々はいつだって技術を追い求め、そしてその争いに敗れたものはクラブを去った。
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現在のスタメンはどうだろう。マテウスに相馬、まさにあのとき〝目が揃わなかった〟選手たちが今のチームを形成する。そう、我々は〝ボールを運ぶチーム〟から〝ボールを奪うチーム〟に変貌した。ときに相手陣地で圧力をかけ、ときに撤退してカウンターの機会を伺う。如何様にも戦い方を変化させられる要因の一つが、この前線の選手たちが持つスキル。具体的には賢い守備、圧倒的な走力、そしてパワーだ。
先述の通り、マッシモは撤退の手段も厭わない。となれば、前後に走れる運動量とともに、低い位置からのスタートでも相手の脅威になれる駒であることは重要な要素であり、結果としてマテウスと相馬が評価されるのは当然なのである。
また、相手を押し込むその瞬間も、彼らに課せられた約束は攻撃の為にあるのではなく、奪われた際の守備の為にある。
出したら寄るなぞ認めない、バランス!バランス!
◯変わらないこと
撤退されると(たぶん)脆い
磨き上げた止める蹴るが、ドン引きゴール前大渋滞ディフェンスに滅法弱かったのは心の傷だ。当然である。密集し、地上戦で、最短距離を目指して向かうなら、相手は負けないくらいの密をもってそれを迎えるだろう。寄り道しろ、少しでいい、寄り道してください。どれだけピッチに願っても、待ち構えるバスに突撃してはクラッシュを繰り返し、「あとは決めるだけ」、そう言い残し風間八宏はこの地を去った。
マッシモはどうか。良かった。奴はむしろバス派だ。
但しだからこそ苦手な局面もある。バスで封鎖しカウンターならお手のもの。ただ待って、走れ走れと叫ぶその先に、もし走るスペースが無かったら。そう、彼らはボール保持を前提とした面子ではない。だからこそクリエイティブな要素を必要とする場面が問題だ。
圧倒的に攻撃偏重なその思想で相手の対策に苦労した前体制。相手がボールを保持する前提が組み込まれた現体制。結果、苦手な局面が類似するのは皮肉な継続である。
困ったときの前田直輝
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相手を彼らの陣地に押し込むスタイル故、そもそもスペースがない前提の風間氏は、マテウスと相馬の〝改造〟に着手した。一方のマッシモ、時に撤退の術を駆使し相手の陣地にスペース創出、その一撃に賭けマテウスと相馬を最大限評価する。でもパスと足の速さでは解決しない局面は必ずある。
やっぱりおまえか前田直輝。
結局どのスタイルでも重宝されるのは、限られたスペースで決定的な仕事を単独でこなすドリブラーなのだ。
実は変わらない最終ライン
風間氏からのマッシモなんて激動の時代を経て、たった一年ながら前線の構成は様変わりした。金崎、阿部ちゃん、マテウス、相馬、稲垣。中盤〜最前線の6枚のうち、実に5枚が風間解任時には不在だった選手たちだ。
にも関わらず、何故か最終ラインだけは風間時代の面々が名を連ねる。吉田、丸山、中谷、成瀬、米本もそうだ。
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考えられるのは、個人能力特化型だった風間時代からして、どのスタイルにも適応可能な優等生が揃っていたこと。何故かマッシモの教え子が太田も含めれば4人もいたこと。そう、マッシモも多分、「....最終ラインはええやん」となった。
ただこの点が、現在の好調を支える原動力だと主張したい。
「名古屋は意外とボール持てるな」
今日もあちこちで他サポは言う。それを見た私は心で呟く。生きてんだよ止める蹴るが、流れてんだKAZAMAの血が。
真面目な話、あれだけ守れてビルドアップの安定感もある面々は貴重だ。その上、リーグ随一のレシーバー阿部ちゃんに、90分間顔を出し続ける稲垣も加わった。多くの選手が前線に張り、「さあお前たちだけでここまでボールを届けなさい」なんて陣形でもなく、「やいお前たちがジャッジして最適なポジションをとれ」なんて守り方でもない。おそらく風間時代に最も苦労し、最も過酷なタスクを担っていたのは彼らだ。面構えなんぞ違うに決まっているだろう。
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たとえキープレーヤーが阿部ちゃんであり稲垣であっても、このチームの土台を築くのは彼らであり、マッシモが感謝すべきは彼らがこのチームに存在したことだ。また、結果的にその礎を築いたのは皮肉にも風間八宏なのだと、我々はこの不思議なケミストリーから思い出すのだ。
終わりです
どうだろう、これが今我々の世界で起きているafter YAHIRO現象だ。分かりやすくいえば、俺フィー日本代表(今日はリザーブドッグスの攻撃陣です)みたいなものであり、継続性なんてないと思われていたあのバトンリレーに、誰もが予期せぬケミストリーが起きちゃったのが今の名古屋なのだ。
戦い方に幅があり、ボールを回そうと思えば回すことも出来る。時間だって賢く使います。誰もがafter YAHIROの世界は、川崎同様欧州型のポジショナルプレーだなんて夢を見ていたのに、気づけばあの時代に最も欠けていた非保持特化型のafter YAHIROがここにある。川崎よさようなら。ポジショナルはもう任せた。もう一つのifの世界は名古屋に任せろ。
お互いに共通しているのは、この遺産をどう残すかだ。川崎には止める蹴るの伝道師、中村憲剛がいた。「このチームの基準はこれだ」と、川崎に来る新顔たちに明確なハードルを設定することでクラブのカラーを作った。では名古屋は。
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技術という唯一無二の指標で選手を選別し、毎年多くの選手の入れ替えをしたあの時代はもう終わった。これからは、むしろこのクラブの歴史を知る選手たちに、一年でも長く活躍してもらうことが重要だ。あの日の中村直志のように、また楢崎正剛のように。クラブの顔といえる存在を一人でも多く輩出し、クラブの歴史を纏ったタスキをリレーで繋いでいくことが、今後、強いクラブを作るにはきっと大切なのだ。そう、悔しいかな鹿島アントラーズのように。
その意味でも、この激動の高低差を体感した宮原や中谷、前田のような若い面々が、今後も名古屋の顔となりこのチームを引っ張ってもらいたい。彼らは、我々の財産なのだ。
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さて、浮かれるのはまだ早いぞ。忘れたなんて言わせない、昨年の開幕ダッシュを。あの時の浮かれた俺よ馬鹿やろう。
〝研究されたら勝てません〟マッシモよそれは引き継ぐな。