みぎブログ

主観で語りますフットボールを。

小さな我が子にJリーグはどう映っただろうか

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子どもとサッカーを観に行くのは、もっと先になると思っていた。

理由?こんなことを書くと怒られそうだが、子供を連れていけば、きっと純粋にサッカー観戦を楽しむことは難しいと思えたから。試合中にトイレに行きたいと言われたらどうだろう。90分間じっとしていてくれる保証なんて勿論ない。試合前にしても、例えばビールを飲んだり、スタグルを楽しむ余裕なんて奪われてしまう気がした。情けないが、一言でいえば私自身が楽しめなくなるなら連れていきたくないと、きっと心のどこかで考えていたのだと思う。改めて書いてみると、なんて無責任な父親なんだとちょっとひいているが、そこは自覚しているのでどうか突っ込まないでいただきたい。

また、私の妻はサッカーが好きではない。回りくどいので言い方を改める。私の妻はサッカーが嫌いだ(この流れで理由など語るまい)。それが何を意味するかといえば、「子どもを連れていく=私一人で連れていく」ということ。はっきり言って荷が重い。子どもが小学生くらいになって、自分でトイレに行けて、なんとなくルールが分かって。それからでもいいのではないか。そう決めていた。

ただ人生の予定など本当にアテにならない。

10月7日。名古屋グランパス豊田スタジアムFC東京との試合を控えていた。事前にチケットを購入したものの、諸事情で観戦を諦めていた試合だ。その後予定が変わり、子どもを連れていけば急遽参戦できることが分かった私は、悩みに悩んだ末、思い切って子供と観戦することを決めた(観たいという動機に勝るものは私の人生になかった)。

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試合当日。前日から支度を完璧に済ませ私は、いつも一緒に観戦する友人と、そして遂に我が子と3人で豊田スタジアムを訪れた。

スタジアムに着くやいなや洗礼が待ち受けていた。急に子どもが鼻血をだすアクシデント。高い気温のせいだろうか。よりにもよって最も懸念し、恐れていた流れである。豊田スタジアムの外には芝生のエリアがいくつかあり(これが助かった)、多くの人たちがピクニックさながらのんびり座ったり寝転がっている。たまたまその近くだったこともあり、急いでそこに子どもを寝かせ、止血をする。頭の中はずっと「N(何故)S(そこで)H(鼻血)」が駆け巡る。そういえば鼻血を出す直前、子どもが自慢げに私に見せてきた指についたあの物体はなんだったんだろう。あの粘り気のありそうな淀んだ色のあれはなんだ。ハ!!気温じゃない。ほじったのか。コイツここぞとばかりに鼻をほじって鼻血を出したのではないか...

そうこうするうちに鼻血は止まり、スタジアムの中からは選手が登場した歓声が聞こえてきた。スタグル堪能、嫁の呪いか予定通り大失敗(失言)。

子どもでも理解できた三つのこと

スタジアムに入ってまずトイレを済まそうと考えた。ここで行かなければ、試合中に「トイレ!!」と掛け声が入るのは間違いなく、まさにラストチャンスである。

それにしても豊田スタジアム、トイレが綺麗で良かった(歓喜)。全くストレスがない。トイレに安心して駆け込める。小さな子供を持つ親にとって、それがどれだけ重要なことか伝わるだろうか。パンツを下して、身体を拭く。要は大人はその場に屈まなければならない。当然その行為をしている最中の子どもの動きなど予測不可能だ。

そんなときにもしトイレが汚かったら?和式しか選択肢がなかったら?きっと大人たちは、そもそもその場所に行くことすら選ばないかもしれない。それは新たな新規顧客(子どもという名の)だけでなく、既存顧客の足すら遠のける決定的な要因となり得る。スタジアム問題が一筋縄でいかないことは重々承知の上で、やはりこの要素は見逃せないものだと改めて痛感した出来事だった。

さて、遂にピッチを見下ろせる観客席に到着した。ここからが本題である(前フリが長いのは仕様)。この日はバックスタンド二階、ホーム寄りの席だった。

何故本題がここからなのか。ここまで書いておいて今更感しかないが、私はこのブログで決して我が子との観戦記を残したかったわけではない。伝えたかったのはここからだ。

私はこの日、サッカーのルールなど分かるはずもなく、せいぜいボールを蹴っていることくらいしか理解できない子どもでも、スタジアムで認識できることが「三つ」あると気がついた。

ゴール裏から響くサポーターによるチャント

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「目を輝かせる」とは、あの日初めて「ゴール裏」という存在を見た瞬間の我が子の表情のことを言うのだろう。じっと、ゴール裏から聞こえる凄まじい音圧の声とともに、その声の主たちを見つめる我が子のその目は、誇張するでもなくまさにキラキラ輝いているように見えた。あれはそう、初めてアンパンマンミュージアムに足を踏み入れた時のそれに近い。身動きもせず、食い入るように見つめるその姿。初めて見るものに対する好奇心と興奮。さすがDA PUMPと荻野目ちゃんにハマっていた我が子である。歌、そう、子どもは歌が大好きだ。

よく日本のサポーターは海外の、いわゆる本場のサポーターと比較される。何故、大の大人が揃いも揃って同じことをするのかと。自然発生するわけでもなく、皆が皆それぞれのリアクションをするでもない。意図的に声を合わせ、フリを揃える。それがときに窮屈で、いかにも日本人的なものだと揶揄されることもある。

ただおそらくバラバラの歓声を聞いても、私の子どもはここまで目を奪われることはなかったと思う。それがどれだけ大きな歓声でも、子どもの目を奪うことは出来なかっただろう。だから日本が優れていると言うつもりはない。ただ何もわからない子どもをワクワクさせる日本のゴール裏文化の凄さを、私は子どもから教えられた気がしたのだ。男性でも女性でも安心してそこに存在することが出来、歌を通して一つになれる。素敵な文化だと心から思えた。我が子よ、そんなこと言ってるパパはゴール裏に生息しないシャイな指定席住人だが許してほしい。あのゴール裏が生み出すパワーに全く貢献していないパパだけど、あれはパパの誇りなのだ。

可愛すぎるマスコット

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チャントに目を奪われていた娘が急にピッチに大声を出し始めたのは、選手入場の直前。グランパスくんファミリーのグララが登場したからだ。

「グラのパコちゃーん」

耳を疑う父。何故グララはグラのパコちゃんと化したのか。少し考えたらすぐに答えは導き出された。我が子はグランパスくんのことを「グラ」と呼んでいる。生まれてすぐにおやすみグランパスくんを買い与えてからというもの、我が子にとってグランパスくんはグラとなった(呼びやすいから)。脱線するが、早めに買い与えて洗脳しておくのは有効、お勧め。

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 そして冒頭の写真である。これは嫁に相談もせず、「子供へのお土産」という大義名分で買ったグランパコちゃんだ。なるほど。我が子の中で、グラの女の子versionは「グラのパコ」なのか(言い易いからパコと呼ばせていた)。赤けりゃ女の子でみんなグラのパコさん認定。

それにしてもマスコットの力は偉大だ。いや、グランパスファミリーの可愛さこそ偉大。華麗な舞を魅せるグラのパコちゃんにすっかり我が子は夢中である。「グラのパコちゃんに会いたかったの」。おぉ...そんな小さな身体で、実は今日叶えたいことがあったのか(父、涙)。やはり日本のマスコット文化は素晴らしい。大人も子どもも同じように可愛いと共感できる存在、尊い以外に適切な言葉が見当たらない。「グラのパコちゃん、知らない間に身体が真っ赤になったんだね」、パパはそんな大人気ないことは言わないよ。

試合中ずっと鳴りやまない野次

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ここからは試合中。「いい?赤を応援するんだよ?」との教えを聞かされた我が子。その純粋さも相まって、「あーか、がんばれ!あーか、がんばれ!」と、まるで幼稚園の運動会さながらの斬新な応援を大声で叫び続ける。想像以上に通るその声に困惑する父。しかしそこはさすがに子どもである。前半10分程度で明らかにピッチへの集中力は削がれていく。ここまでか。最後の武器、ユーチューブに頼るときがきたのではないか。いや、まだだ。ここは事前に購入しておいたコグミとリンゴジュース漬けにしておけばまだ勝機があるかもしれない。初めて購入したコグミのコスパに感動しつつ、まだなんとかなりそうだと思われた矢先、子どもが興味を持つ最後の出来事が起こった。

センスの悪い野次だ。

通称「ハズれ席」。私の界隈ではそう呼んでいる。何がハズれか。近くで試合中ずっとヤジを飛ばしている観客がいる場合、今日選んだ席はハズれだという意味である。

この日、私の席の後方では、試合中ずっと大声でピッチ上に叫び続ける男性が存在した。おそらく決して悪い人間ではない。グランパスのことも好きなのだろう。野次といっても、決してずっとそればかり言っているわけではない。

ただ試合中、サポーターの心の声代表と言わんばかりに実況を永遠続け、何か気に喰わないことが起きれば躊躇なく罵った声を上げるその男性に、自然と我が子の視線は注がれるようになった。私の膝の上で、どれだけ私が邪魔でも必死で振り返ってその男性がいるであろう方向を凝視する我が子。何の脚色でもなく、その目は試合前に初めてゴール裏のサポーターを見たときのそれとは明らかに異なるものだった。勿論我が子の目に、それがどう映っていたかなんて本当のところは分からない。ただ少なくとも、それが子どもにとって楽しいものだったかどうか、親の私にはわかった気がしたのだ。決して野次が全て悪いとは思わない。ただ周りが不快に思うような野次を気にも留めず永遠続けるのは少々趣味が悪い。そこのセンスは大事だ。ときにクスっと笑えるユーモアでもあればまた違うのかもしれない。まあそうは言っても、我が子も途中から父の影響で「黄色の(ゴールドユニの東京のこと)11番なんかしたの!?」と事あるごとに聞いてきたけれど(なんかしたんだよアイツは)。

 後日談だが、あれほどサッカーに行きたいと言ってくれていた我が子は、最近「またサッカー行きたい!?」と聞くと、「行かない。怖いの嫌い」と答えるようになった。その真意は分からない。ただパパは、何故娘が「怖い」という言葉を急に使うようになったのか、どうしても引っかかっているのだ。怖いという感情にとりわけ敏感な年頃である。なんだろう、はっきり言って寂しい(とりあえず豊スタの傾斜が怖かったんだと己に言い聞かせてる)。

Jリーグにしか作り出せない空間を

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もちろんスタジアムは子どものためだけのものではない。怖がるなら連れてくるな、もしかしたらそんなことを言う大人もいるかもしれない。それもスポーツ観戦の魅力で、お金を払っているプロの興行なのだから、野次の一つくらいで文句を言うな。そんな意見もあるだろう。

ただ今回改めて感じたのは、日本のスタジアムにはサッカーのことなど到底理解できない小さな子どもですら驚いたり、ワクワクしたり、楽しめる要素が間違いなく存在するということだ。よく日本を語る際に言われることだが、誰もが安心して訪れることができ、誰もが楽しめるスタジアムがここには存在する。これは紛れもなく、Jリーグが誇るべき文化だ。

歴史が浅いから、日本が本場ではないから、全てを海外が正しいとし、彼らのようになることこそが本当に正しいのか。私達の国には、私達の国でしか作ることのできない空間があるのではないか。全てが同じじゃなくたっていいじゃないか。JリーグにはJリーグだけしか持ち得ない魅力が必ずあるのだと、子どもが教えてくれた気がするのだ。

大人が子どもから学ぶことは沢山ある。子どもは美味しければ美味しいというし、不味ければ不味いと言ってくれる。大人にとって当たり前の景色が、子どもにとっては全てが新鮮で、発見なのだ。願わくば、子どもにサッカー観戦の魅力が少しでも伝わってくれていればいいな、パパはそう思っている(そしてママを取り込め我が子よ)。

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そうだ、試合後は大変だった。なぜならスタジアムから20分程度かかる最寄りの駅まで、ずっと抱っこを強要される鬼ロードになったのだから。疲れて歩けない、そりゃそうだ。よく二時間耐え忍んだ。私は我が子に感謝しつつ、腕の血管が切れるんじゃないかと本気で心配しながら、必死で子供を抱えて帰路に着いた。

帰ってからは、嫁にこの日スタジアムで行われていたガールズフェスタの戦利品(限定商品)を紹介。俺が買ってやったんだと得意げな私。

「初めての観戦だからね、買ってあげたよ。◯◯◯◯円」

「は!?!?!?!?!?!?」

子どもがこの日の想い出をいつまでも覚えてくれているかは分からないが、私に限っていえば、この瞬間の妻の表情と声だけは、消し去りたくてもずっと消えることはないだろう。