みぎブログ

主観で語りますフットボールを。

「貫く」風間八宏、「変化する」選手達

f:id:migiright8:20190722000226j:image

8試合も勝てない日々が続くと、人は弱気になるものです。

何故勝てないのか。何がいけないのか。普通、人は「出来なかったからこそ起きた現象」に目を向け、そこを改善しようとするもの。あの川崎戦以降、どのチームも名古屋とは同じ土俵で戦う選択をしてきません。中を締める、奪ったらカウンター。名古屋が奪いにくる、割り切ってロングボール。

振り返ると実はそこまで酷い試合を続けてきたわけではありません。未勝利8試合の内、試合を通して押し込むことに成功しながら数少ないチャンスで仕留められた試合もいくつかありました。その中でも個人的にターニングポイントだと感じたのが清水戦。攻めても攻めても相手を攻略出来ず、一瞬の隙を突かれて失点。ロスタイムに追いついたものの、試合終了間際にまさかの失点。ジョー不在で苦しんだ山雅戦、仙台戦を経て、大分戦で自信を取り戻した矢先、あの劇的な幕切れ。そこからはチームの大黒柱である丸山の怪我もあり、ズルズルとここまで来てしまったように思います。今思えば、例えば山雅戦にしろ仙台戦にしろ、「ジョーがいなかったから」で片付けて良かったのかもしれません。もちろん本来はそれも問題なのですが、チームのことを思えばそう割り切ることも重要だったのではないか。それらの積み重ねの先に清水戦があり、そして丸山の怪我が重なった。

その結果どうなったか。名古屋が誇る「枠」は、徐々に枠とは呼べない代物へと変化しました。陣形は間延びし、顔をだす頻度も落ち、攻撃は各駅停車。中からの攻撃にこだわっては撃沈し、まさに相手の思うツボ。行ってはカウンターの繰り返し、完全に負のスパイラルだったと言えます。

※「枠」はこちらのブログをご参照ください

migiright8.hatenablog.com

 中村憲剛の言葉から感じた違和感

風間監督は、このフットボールに最も必要な要素は「自信」だと常々口にしてきました。ただ皮肉なものです。上手くいかない時、真っ先に失われるのもこの「自信」だった。現在の負のスパイラルを作った諸悪の根源、実はこの「喪失した自信」が原因ではないかと考えています。確かにこのチームに足りない要素はまだあったでしょう。ただ本来はそこを突き詰めるだけで良かったものが、結果が出ない日々の積み重ねによって、失う必要がなかったものまでこのチームから消し去ってしまった。その結果として「枠」は失われました。

ではそもそもこのチームに足りなかったものとは何だったんでしょうか。特に気になったのは、どれだけ相手が中央を固めても頑なにそこからこじ開けようとするあの姿勢でしょう。きっと毎日そればかり練習しているから、相手の戦い方が変わっても、具体的に言えばそこに相手が6人いようが7人いようがやることは変わりません。もっといえば、我々のスピードが落ちていてもそれは変わらない。皮肉な話です。自由をとりわけ強調する風間八宏のチームが、自由とは無縁の見えないルールに縛られる。崩しの質にこだわった結果、相手の網にかかってはカウンターを受け、選手たちは行ったり来たり。恐れるようになったミス。縦に蹴られたくない恐怖心。そして止まった足。我々の枠は崩壊しました。

一方でリーグに目を向ければ、首位の東京に川崎が完勝。二連覇の底力を見せつけた形ですが、そこで一つ引っかかった点がありました。それは中村憲剛が口にする言葉の数々が、我々が普段見聞きする風間八宏の言葉そのものだったこと。止める蹴るの重要性に始まり、目を揃えることの意味、何故顔を出す必要があるのか。風間八宏がいなくとも、そこには中村憲剛の存在をもって、脈々と受け継がれる文化が残っていた。さながら、ピッチ上に風間八宏がいるように。

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

特に興味深かったのは、「相手を崩すために何が必要か」、これを語る中村憲剛の言葉の数々です。どうすれば相手を押し込めるのか。中央を崩すにはどんな仕掛けが必要なのか。どのタイミングで突っ掛かればカウンターを喰らわないのか。彼にはその答えと、それを周りに伝える術があった。

対して名古屋はどうか。おそらく今の名古屋で最も目が速い選手はジョーであり、シミッチでしょう。先日発売されたサッカーキングで、ちょうど彼らの対談記事が掲載されました。そこで彼らが語っていたのは、いかにピッチ上でのコミュニケーションが難しいか。伝えたいことも、試合中だと特に難しい。出来るのは伝わっているか分からない言語の数々、そしてジェスチャーだけです。今シーズン、名古屋のピッチ上は日本人選手と外国籍選手がほぼ半々。止める蹴る外すの目が揃い、枠さえ維持できればあとは何をやっても自由なのが名古屋です。ただし実はこれこそが肝で、自由だからこそイレギュラーが起きるとボロが出る。気持ち良くやれているときは別です。枠の中でやれているとき、各々に迷いはない。問題はそうでないとき。どこから崩すか、どう押し込むか、蹴ってくる相手に前から行くのか、引いて構えるのか。「枠」を維持出来ないと、各々にすがれるものがない。自信が必要なフットボールです。ピッチ上の現象だけでは語れない部分だからこそ、機能不全になる理由もまた、目に見えない部分が多くの問題を引き起こしていたのではないか。

ジョーが言います。日本人は指示されたことは出来る。ただ指示を守っているだけでは打開出来ないと。つまりイレギュラーなことが起きたときに、臨機応変な対応が出来ない。案の定、思考停止したかのように「いかに狭い場所を攻略するか」に選手は終始しました。道筋が見えるから、そこを通せる自信があるからその選択をするのでしょう。ただそれを何度も何度も阻まれれば、カウンターという現象によって選手の自信は削がれてしまう。我々に決まった戦術というのは多くありません。だからこそ苦しい時ほどコミュニケーションが必要にも関わらず、それも取れないようでは元も子もない。上手くいっていた時は目の速さだけでチームは揃ったかもしれない。ただ状況が暗転した時、このチーム構成が足枷になったのではないか。分かりやすく言えば、川崎にはどんなときも状況を簡単に整理出来る選手がピッチに存在し、我々にはその存在がいなかった。これに尽きると思います。勝てなくなったきっかけは技術だったのかもしれない。ただその意味でも、またそこから修正が効かなかったという意味でも、実はこんなところにも大きな問題があったのではないか。困難な時ほど、約束事のなさが仇となった可能性は。風間八宏のチームが乱降下し、とりわけ浮上までに時間がかかるのは、この「自信」を取り戻すことに時間を要するからかもしれない。いつしかそう考えるようになりました。

全くブレなかった風間八宏

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

私は仮説を立てました。このやり方を軌道修正するには、各ユニットを言語の通じる選手たちで構成すべきと。つまりチーム状態が悪い今だからこそ、細かいディテールの修正が効きやすい、コミュニケーションが容易に取れるメンバーで固めるべきではないか。例えばサイドの縦関係。右は前田と宮原。左は和泉と吉田にする。悩ましいのが中盤の構成ですが、チームのキープレーヤーであるジョー、シミッチ以外は極論オール日本人でもいいのではないか。笑われるかもしれません。それで何が変わるんだと言われるかもしれない。ただ、風間八宏風間八宏としてやりきるなら、そこまでやっても駄目なら仕方ないと思えた。これが素直な気持ちです。

では風間監督が実際にこの一週間で何をしたか。

彼は「出来ていないからこそ起きている現象」に目を向けるのではなく、あくまで「出来ていないこと」に拘り続けました。具体的に書きます。つまり壊れかけていた「枠」の再建に取り掛かった。この一週間の練習はとにかくキツかったそうです。ひたすら負荷を上げて、局面の激しさ、切り替えの早さを求めた。我々の枠を作るために最も必要な要素は「連続性」であると。ボールを持てば足を止めず顔を出し続ける。ボールを奪われれば即時奪還を目指す。局面ごとのスピード、強度の積み重ねが我々のベースを作り出し、その結果出来上がるのが枠であると。これは強烈なメッセージだったと考えます。たしかに我々のチームに中村憲剛はいない。ただ我々には新しい定義「枠」という発想がある。圧倒的な速さと正確性、強度を持ってその枠を作り出せと。それを一人残らず同じレベルでやりきるのだと。まずこのチームに絶対的に必要な掟を思い出させようと試みました。

この一連の過程において、彼にとっての「進化」とは、例えば相手に合わせた戦術をとるだとか、守備の精度を精密なものにするだとか、そんなことではないと確信しました。彼にとっての進化とは、中村憲剛という稀代の司令塔に頼らなくとも、自分たちが作り上げた枠の中で相手を圧倒的に凌駕すること。そのために必要な技術、スピード、強度の三本柱を「連続性」と言語化し、そのベースの上に「自由(個性)」を生み出すことで、相手は絶対に崩せるのだという自信。当然本人に中村憲剛を引き合いにだす気持ちなどないでしょうが、実際に彼がやっていることはまさにそれではないか。試合前会見における風間監督のコメントを紹介します。

俺たちのベースというのは連続の中で正確な技術を扱えるかどうか。そういう意味ではそこを高くしていかないと。連続というベースが、その速さの中でなにができるか。それの中で技術をどう学ぶかということをやってきたのでね。これからもずっとそうなってくると思う。そうじゃないと、ベースがそこなので。その中でしか身につかない技術だと思うので。そこをみんなに意識してもらって、やらせていた

速さの中でやることがすべてそういうことで。球際が速くなかったら、今度は自分たちの判断も速くならない。選手たちはうまくなってきているので。「このくらいでやろう」と思ったら、このくらいできる。今までだったら50キロでやろうと思ってもできなかった。今は60キロ、70キロ、できるやつは80キロくらいいっている。落とそうと思ったら50キロくらいはできちゃうと思うんだよね。そうじゃなくて、70、80にできるだけ近い状態の中で、なにができるか、どうできるか。そういう意味では自然とそうなるよね

もう一つ。この一週間、自主練にも課題を与えていたと言います。いや、課題を与えたらもはや自主練ではないですが、これは就任後初めてのことだったのではないかと思います。

少し違ったのは自分たちがいつもだったら自主練をするけど、それに必要なものをこちらから提案してやらせた

見学に行った方の話を聞く限り、例えばクロスへの入り方、ミドルの練習、数的不利での守備対応など、まさに「枠の中でどう相手を崩すか」ここの意識付けを行っていたようです。もちろん一週間ばかりで精度が急激に上がることはありません。大切なのは「意識付け」です。決して狭いスペースをパスだけで崩すのが全てではない。だって自由なんですから。どうすれば相手を崩せるのか。枠さえ出来てしまえば、あとは沢山の手段があるのだと。「枠の徹底」「練習強度が生み出す技術スピードの向上」「攻撃は自由だという意識づけ」。それは彼なりのアプローチでもあった気がします。

やはり変わらなかった「普段通りの一試合」

試合当日。8戦勝ちなし、彼の進退を危惧する状況だったのは確かです。しかもこの一週間、改めて追求した「枠」の最後の砦となる丸山、そして枠の中で誰よりも「連続性」を体現する米本を怪我で欠く状況。だからこそ、この試合のスターティングメンバーに注目が集まりました。

信じられますか。この切羽詰まった一戦の最終ラインに起用したのは、アカデミー卒の新人、そして移籍後初戦の「本職サイドバック」の選手を3枚の内、2枚に起用した。そうです、彼にとってはそれでもシーズンの内の1試合に違いなかった。トレーニングの出来が良ければ、それが例え今シーズン初出場の新人選手でも躊躇なく起用する。自身の理想を実現するためなら、攻めるための配置で起用する。ストッパーに選ばれた一人、藤井を何故起用したか。試合後のコメントはまさに風間八宏らしい言葉に溢れました。

一つは彼がトレーニング、それからトレーニングマッチで素晴らしいパフォーマンスを出していたこと。それから、我々の中で若い選手がどんどん出てきてくれなければ困るということ。彼はトレーニング、そしてトレーニングマッチで自分が試合に出るに値するプレーを見せてくれました。ですから我々も彼を信用して起用する。彼が出てきてくれることで層が厚くなります。まだまだうちは層が厚いとは言えませんし、若い選手に出てきてもらいたいという願いを込めました。今日は非常によくやったと思います。積極性もありましたし、この大観衆の中で全く動じずにプレーした。よくやったと思います

この試合までに至る過程、また今回の選手起用を見て、一つ理解出来たことがあります。それは、彼にとって「ブレない」とは、決して「攻め続けること、相手に合わせないこと」ではないということ。彼にとってのブレない、いや、「貫く」とは、「誰よりも選手に期待すること」であると。

試合も前半に関しては、随所に名古屋らしい崩しが見られました。戻ってきた、そう感じたものです。

勝つために「自分たちで」考え始めた選手たち

ただ後半、この試合を左右する大きな変化がありました。「変わらない監督」に対し「変わろうとした選手達」です。この試合、後半途中から後方でブロックを作り守ろうとした選手達の姿がありました。試合後の中谷のコメントです。

チームとしてはかなり割りきって引きました。ただ、最後のところで失点してしまったのはもったいなかった

そして和泉のコメント。

持たせている部分はありました。決していけなかったわけではありません。自分たちとしては、いかなかっただけです。そこは自分たちでしっかり話し合ってやったことなので

そう、この試合、選手達は「勝つために」自分達で意見を出しあい、戦い方に意図して変化を加えました。この連敗から脱出したい。なんとしても勝ちたい。復調の兆しを掴みたい。彼らが考え抜いた結論は「引く時間を作ること」だった。ただし最終的には試合終了間際の宇佐美の劇的な同点弾により、遂に9試合勝ちなしの記録が続くこととなりました。

試合後の風間監督の談話を振り返ります。

いつも見ている方々には、少し変わった形になったかと思います。やっぱり自分たちがどうするか。選手も変わっていますし、そういう意味では自分たちの中の判断でやっていたと思います

ただし結果として「追いつかれてしまった」のが事実です。このチームに後方でブロックを作って耐え忍ぶ力はなかった。ただこれは当然といえば当然です。そもそもそんなチーム作りはしていないし、この試合の交代カードを見ても、基準は「前」にあった。前がガス欠を起こしては、枠は維持できないからです。また試合後の宮原のコメントを見ても準備不足があったのは間違いありません。

後半になってブロックを敷いた時にスペースを与えているシーンがやっぱりあるので、そこはもっとやっていかないといけないところです

そして風間監督。当然ながら彼は注文を付け加えました。

ただし、もっと前でしっかりボールを持てるはずなので、何人かがフリーでボールを失う。特に前線でもっと押し上げることができたはずです。相手陣内に押し込んだ時は色々なアイデアが出ていたので、それはそれで良かったと思いますが、やっぱり相手が来たときに、それを簡単にいなしていかなければならない。それは前線の選手たちにもう一つ質を上げてもらいたいと思います

彼からすれば、試合を通して枠を作り続ける技術さえ足りていれば、そもそもあれだけ押し込まれることもなかったし、最後の場面も作られることはなかった、そう言いたかったのではないでしょうか。つまりこれが今のチームの「伸びしろ」だと言うことです。もちろん、その選択肢しか持たないことへの批判はあって当然かと思います。また風間監督は、同時にこんなコメントも残しています。

チーム全体として自分たちの持っているようなクオリティーではなかったと思いますが、チームが一つになって勝つことにこだわり闘ってくれたというところはすごく評価できる、あるいは一歩前進したかと思います。ただしこれから、もっともっと質を上げていかなければいけない。そういう次の課題がはっきり見えた試合でした

彼は決して自分たちで戦い方を決めた選手たちを責めなかった。むしろそれを「評価できる」「一歩前進した」と評価した。言われたことをやるだけではなく、勝つためにどうすべきか考え抜いた選手たちを認めているということです。この試合をいつも通りの1試合だと何も変わらず向き合った監督と、この試合にどうしても勝つんだと、手段に拘らなかった選手たち。もしかすると、そのギャップがこの試合の同点弾を生んでしまったのかもしれない。ただ同時に、そのギャップ、つまり理想と現実の差を、理想に近づけていく余地があるという事実に、私はこう感じたのです。「このチームはまだまだ強くなる」「絶対に強いチームになれる」と。

一日でも長くこの日々が続くことを願って

試合後、こんな記事が遂に出回りました。

www.nikkansports.com

headlines.yahoo.co.jp

風間八宏を解任しろ」火のないところに煙は立ちません。おそらくこの動きがあることは事実なのでしょう。一つだけ間違いないのは、その首謀者が小西社長ではないということ。彼もまた「貫く」意志があることを表明しました。では誰がそうさせているのか。それは分かりません。いつ何があるか、まだまだ予断を許さない状況は続くかもしれない。

私は風間八宏が率いる名古屋グランパスを応援する理由をこう答えたいと思います。

今目の前にある現実ではなく、未だ見ぬ未来に期待したい

常識ではなく、非常識の先に大きな未来があると期待したい

根拠?それは風間八宏とともに過ごしたこの2年半の日々、では駄目でしょうか。この試合の観客数は遂に4万2千の大台に乗りました。もちろん風間八宏だけの成果ではない。ただ同時に、フロントだけの成果でもありません。両輪がしっかり噛み合ったからこそ、今この瞬間がある。この文化が名古屋にずっと息づくよう、今アカデミーも一体となり改革している最中です。その投資の結果が現れるのは、もしかしたら5年後、いや10年後かもしれない。ただ私は見てみたいのです。「名古屋らしい選手が多く育ってきた」と言われる未来を。

f:id:migiright8:20190722000321j:image

ここでこの冒険を終わらせれば、名古屋に残るものはあの降格前より少しだけまともな光景です。元いた場所にクラブを戻し、少しだけ観客数も増えたスタジアム。ただし、この少しだけまともな光景を作るのに2年半かかった事実と、崩れ去る時は一瞬であるという世の常を我々は忘れてはいけません。動き出したアカデミーも、県内をも巻き込もうと走り始めた壮大な計画も、全てが頓挫するという覚悟があるか。「止める蹴る外す」の追求、「目を揃える」という発想、文化など、一瞬で吹き飛ぶことでしょう。

この暗闇から抜け出すまであと一歩、あと一歩のところまで間違いなく選手達は来ています。だからこそどうか、どうかこの希望が一日でも長く続くことを願って。このバトンが、しっかりと意志を持って引き継がれていくことを願って。