みぎブログ

主観で語りますフットボールを。

「幅」と「深さ」と「枠」のはなし

報告。「自分たちの枠」、まだまだ語ることありました。

migiright8.hatenablog.com

先日の山雅戦、特に前半ですね、こう思いませんでしたか?

  • ボール支配してるのに攻めれん
  • なんか窮屈そう
  • 相手コートは俺らの枠違うんか
  • みぎ嘘つき、あいつは嘘つき

落ち着いてください。これは負け試合のレビューじゃありませんから。そう、発展性のある話をしましょうよ。自分たちの枠、もう一回考えてみませんかの素敵ブログ始めます。

「ジョー不在」の何が痛かったか

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山雅戦の前半、ボール保持率は申し分なく、一見相手を押し込んでいるように見えました。「相手コート...しめしめ俺たちの枠モードや」と皆さんドヤ顔しまくってたでしょう。ただ試合の様相は決して芳しいものではありませんでした。特に中の選手たちが窮屈そうでしたね。ここで注目に値するのは「山雅最終ラインの設定位置」だったと考えます。

見直していただくと分かりますが、山雅サイドは「ペナルティエリアの中まではラインを落とさない」「基本的な立ち位置は、そこより数メートル前」この設定をチームとして徹底しておりました。名古屋のビルドアップに対してもハーフウェイラインを超えた辺りからプレス発動。つまり、ある程度ボールを持たれるのは承知の上で、自陣コートの人口密度をとにかく濃くしようと。「濃くする=人数を多く」だけではありません。「=人数を多く、且つ、密集させて」が正しい考え方。だからこそ前と後ろのラインに拘った。ある一定の位置まではボールを運ばれても、自分たちの枠に名古屋が入ってきたら、そこのデュエルでは絶対に負けないぞと。そこから先に行かせないという強い意志が表れた前半でした。

対して名古屋。ジョアンが右に左にボールを展開し、山雅のブロックをなんとか打破しようと頑張ってましたね。ただ珍しく引っかかる場面が多かった。当然です、名古屋の各選手の前には、山雅の網が張り巡らされていた。前半も吉田へのサイドチェンジが何度かその網に引っかかっておりました。ではこの試合の前半、名古屋には何が足りなかったのか。

「深さ」です。山雅のブロックを押し下げるだけの圧が足りなかった。通常、この役目はジョーが担っています。例えば相手のセンターバックの裏を取る動き、或いはセンターバックの前でボールを収める技術。どちらも相手が嫌がるのは「ラインの裏」です。当然、裏に抜けられそうになればラインは下がりますし、深い位置でボールをキープされると、二列目からの飛び出しを恐れますからこれまたラインは下がる。つまりジョアンが名古屋の「幅」を作る起点であるとすれば、ジョーは名古屋の「深さ」を作る起点だった。

前半の出来を象徴した「右サイド赤﨑」

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では赤﨑はどうだったか。とにかくボールが収まりませんでした。裏に抜けてもパスは来ず、焦れた結果「下がる」選択をした。でもこれでは深さは作れません。何とか起点になろうとポストプレーもチャレンジしましたがタッチが乱れ、それを挽回しようと奪われた相手にチャレンジしてイエローカード。完全に悪循環ですよね。前半途中からは、ベンチの指示かセルフジャッジか、シャビエルがトップ、赤﨑が右サイドに移動。相手を背負ってもボールを扱えるシャビエルの方が効果的であるという判断でしょう。それ自体は否定しませんが、結果として赤﨑が右サイドに回った時点で彼に出来ることはなく、後半頭からピッチを退いたのは妥当です。

これは今後、彼の大きな課題かと思います。深さを作れる選手がいて、そのパートナーとしてゴールを取る仕事に専念すれば力を発揮できる。ただ自身が深さを作る側の役目を担った際、効果的な働きが出来ない。彼がワントップではなく、ツートップ専用機だと言われる所以です。名古屋もツートップとはいえアーリアは実質1.5列目、深さを作るのはもう片方の役目ですから、ここを打破しないともう一皮剥けません。風間監督が言うじゃないですか、「相手の最終ラインに仕掛けろ」と。その理由は、こんなところにもあるのです。あ、ただ誤解しないでいただきたい!「出来ないから駄目」では決してありません。これが彼の「伸びしろ」です。

さて前半を総括すると、つまるところ試合は山雅が握っていました。「彼らの枠」で試合が進んでいた、そう考えて間違いありません。ボール保持だけをみれば名古屋。ただ自分たちの枠で勝負し、この試合たった一度の決定機を見事ゴールに繋げた山雅の勝ち。ボールを持たれるのは苦しいに決まってます。それを受け入れてまで、彼らはあの枠に拘った。ほぼ全リソース注ぎ込む価値も勝算もあった。そこから一刺し出来る最大の武器、前田大然がいたからです。あの圧倒的なスプリント力がなければこのプランは成立しなかった。そしてものの見事に名古屋は相手の術中に嵌りました。

前田の投入が名古屋にもたらしたもの

後半に入り前述の通り名古屋は赤﨑に代えて前田を投入しました。シャビエルがトップ、前田が右サイド。

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前田、キレッキレでしたね。開き直ってからの前田の身体のキレおかしくないですか?ドーピングじゃないですよ、気の持ちようのみ!さすが風間監督をして「直輝はとにかく考えすぎないこと」と言わしめた男。いや止めて蹴って考えるは何処へ。「とりあえず目の前の相手抜きます!」そんな裏技あったんですねあったんです。兎にも角にも、このぶっ飛んだ二人の化学反応が前田直輝ドリブラー魂に火をつけました。来るなら来い、全部抜くからを地でいく男爆誕

この試合、とにかくド派手なパフォーマンスを披露した前田ですが、彼を投入することでチームにもたらしたもの、そんな単純な話ではないんです。それは先ほどから再三語っている「深さ」、これを彼はサイドからチームにもたらした。

前半の様子をみて中は難しいと判断した風間監督、後半は外から山雅の壁を叩くことに決めました。一つは定石ですね、山雅のサイドバック裏へボールを放り込む。センターバック裏では相手ゴールキーパーが控えていますから、届かないサイドバック裏のスペースに角度をつけて放り込むことで、相手の最終ラインが下がるよう試みた。

もう一つは単純で、前田の単騎ドリブル突破。いや、抜ききらなくても構いません、ボールを運ぶだけでも良い。これも効果は同様です。相手の深いエリアまでボールを運べれば、おのずと相手の最終ラインは下がらざるえませんから、目的は果たしている。中央では360度の包囲網で相手のプレッシャーをモロに受けます。であればタッチラインを味方にする。あとは個人戦術のみ、とにかく仕掛けられる人間が、徹底的に仕掛けろと。その役目を担ったのが前田です。

前田、期待に応えました。いや、その働きだけでいえば期待以上。運ぶだけでは飽きたらず、ガンガン対面の相手(中美)をぶっちぎりました。あれ、相手は嫌です。一度それを見せられると、残りの選手達からすれば前田にボールが入った瞬間ラインを上げられませんから。だって中美が抜かれたら終わりな訳です。そりゃラインも下がります。そういった心理面でも、前田は圧倒的優位に立ちました。通常であれば中央で深さの起点になっていたジョーに代わり、前田は「サイドの起点」になることで名古屋の深さを演出した。

後半の出来こそが「名古屋本来の枠」

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この段階まで大切なことを書いていなかったのですが、そもそもなぜ「深さ」が必要なんでしょうか。その理由、この試合に隠されていたと思いませんか。つまりあれだけ人数と縦幅を意識して中央を締めてくる相手には、横の揺さぶり(幅)だけでは開くものも開いてこない。あの横の揺さぶりは、相手が作る細かい網目を広げていく作業そのものです。ただし相手ブロックの縦幅がコンパクトだと、ボールを横に動かすだけでは厳しい。敵味方、選手間の距離が近い分、彼らのアプローチも圧倒的に速いからです。相手の前だけでボールが動く時間帯は怖くありません。だからこそ縦の揺さぶり(深さ)を混ぜ合わせる必要がある。縦と横は常に表裏一体、片方だけは駄目です。深さを取れれば、必然横の揺さぶりも効きます。また相手の重心も当然ながら自陣深くの低い位置に下がる。すると名古屋にとっては同じボール保持でも保持する位置(エリア)が圧倒的に高くなるわけです。

ここまで押し込むと、相手はいくら人数を割きコンパクトに守ろうとも、同じようには守れません。何故か。「ゴール」を意識するからです。例えばサイドの深い位置に侵入されると、一方で目の前で動いている人とボール、他方で「視野外からゴール前に現れる人」に注意を払う必要がある。また名古屋からすれば、無理せず一旦戻してやり直してもいい。一度押し込んでしまえばこちらのもの。待ち受けるのは「ペナを攻略するためのフェーズ」です。当然押し込んでいる分、サイドに人数をかけることも可能。面白いもので、後半は前半全く機能しなかった名古屋の左サイドのコンビネーションが効き始めます。例えば抜け出したシャビエルのシーン、また急に現れたマルの決定的シーン。名古屋が得意とする狭いエリア、密集した中での複数人のコンビネーション。このチーム、「ファイナルサードの崩し」ばかり練習してます。山雅はこれを恐れていたのではないか。ボールを持たれるのは仕方ない、ただ押し込まれるのは話が別。耐えきれるかは賭けだろうと。だからこそ最終ラインの高さにこだわった。

つまりこの試合における我々にとっての「枠」はこれでした。ただ相手陣地でパスを回しているだけでは枠にハメているとはなりません。「相手を押し込んで」初めて、我々の枠だといえる。このターンに入ったら名古屋は強いです。だから「枠」を意識するの、めちゃくちゃ大事。もっといえばこのチーム、90分を通して常にこれだけを意識した方が良いです。自分たちの枠でやれているか、もしくは上手くいっていない場面で、どうすれば自分たちの枠に持ち込めるかと考える。これを常に意識し徹底できればこのチーム、もっと強くなる。山雅相手にジョー不在という組合せは、その意味で名古屋の課題を知るには格好の試合となりました。つまり深さを作りづらい相手に、名古屋で最も深さを生み出せる選手がいなかったわけですから、課題がでて当然なんです。横(幅)をジョアンが担保しているとすれば、縦(深さ)の担保をしていたのはジョーです。そしてこの試合は中で深さが取れない解決策として、外から深さを取ることにある程度成功した。これは物凄くポジティブですよ。せめて引き分けに持ち込めれば最高でしたが、少なくとも意味のない試合ではなかった。いや、絶対に必要な試合だったと言い切れます。

我々もこの枠、意識しましょうよ。面白いから。

なぜそれを最初からやらない八宏よ

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最後です。これ思いませんか。なぜ最初からその手を打たないんだ八宏と。おかしいと思ってたんです。なぜ彼のチームはいつも後半型で、巻き返す試合が多いのかと。「等々力劇場」ですか。そもそも何故そんな劇的な試合が多いのか。

確信を持って書きますが、あれ、きっと分かってやってますよ。より具体的に書きますと、普通は相手を研究して、対策して試合臨むじゃないですか。90分間、その試合のことだけを考えて、可能な限り勝つためのデザインをするものです。

ただ彼は違います(言いきる)。前半はとにかく今、最もチームでノってる選手、ないしはこれから育って欲しい選手を使う。「相手は関係ない」「選手に期待してる」、あれマジですよ。その象徴が彼のチームの前半の戦い方。上手くいけば万々歳。では失敗したらどうするか。

後半に軌道修正。徹底的に「目の前の試合、相手を意識する」。よってそのためのカードは手札に残します。この試合の切り札は前田。ちなみに昨シーズンの最終節、湘南戦もそうでした。あと分かりやすい例だと、同じく昨シーズンの豊スタ神戸戦。前後半で全くチームが変わるわけです。それは前半と後半の意味づけが決定的に異なるから。ある意味で確信犯的にそれを行う。これが彼のマネジメントです。

では何故そんなことをあえてするのか。彼にとっては、目の前の試合も全てはシーズンの最後、一年間終わったときにチームが(個人が)どんな姿でいられるか、そのための一試合でしかないからです。彼が何よりこだわっているのは、年間を通してチームが(個人が)どう成長するか、結果にコミット出来るかであり、「目の前の1試合1試合に大も小もない」と常日頃うるさいくらいコメントするのも、あれ本音でしょう。もちろん負けたくないはずです。ただ彼が戦っているのは、常に目の前の試合であると同時に、それは「シーズントータル」の成果に繋がるべきものであると。彼がやっていることは、未来への投資そのもの。投資とは「期待」です。

紐解けば、起こること全てに理由があり、その言葉に何一つ嘘もブレもない。等々力劇場には理由があったんです。

負けに不思議な負けなし。このチームまだまだ強くなるぞ。