みぎブログ

主観で語りますフットボールを。

「風間サッカー」という名の呪縛

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前田しか期待できる選手がいない。

先日の清水戦のあと、SNS上ではこんな声が散見されました。何をチンタラ回してるのか、あれはただボールを回しているだけ、ゴールに向かっていないと。

スコア自体は試合終了直前の(悲)劇的ゴールでの敗戦。僅差のように映る試合も、実際は完敗に近い敗戦といえるでしょう。これで直近の試合は引き分けだった大分戦を除くと相手の戦略通り三連敗。なす術なくやられたという意味でいえば、試合後のブーイングも仕方ない。それだけ今年のチームへの期待値が高い証拠です。まだまだ上から下まで団子状態のリーグに上位も下位も存在しないとはいえ、戦前の予想では下位扱いだった相手との連戦。ここでことごとく勝点を取りこぼした現実は重いものであると感じます。

さて、何故勝てないのでしょうか。

名古屋の土俵にはあがらない相手

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端的にいえば、相手が名古屋をリスペクトし、しっかり名古屋仕様で対策しているからでしょう。ボールを持つことには固執しません。むしろ持たれることを前提に試合を組み立てる。守備でいえば、自身のゴール前、具体的にいえばペナ幅に最終ラインの横幅を圧縮、中央のスペースを徹底的に消しにかかる。この点はどのチームも同じです。

気になったのは今回の清水戦、後半14分に六平を投入した以降の形です。前述の通り4バックはペナ幅を意識。アンカーを「バイタルエリアの番人」として配置し、名古屋のビルドアップの受け手となる宮原、ヨネ、ジョアン、吉田に対し同数の4枚を二列目に配置。トップにはボールが収まる長身フォワードを置く。いわゆる4-1-4-1のシステム。これ、個々の役割も含め仙台も似た形をとり名古屋に勝利しています。おそらく「最も名古屋にハマる形」です。再現性もある。特に二列目の4人は名古屋のビルドアップに対しハードワークしつつ、攻撃になれば2列目から飛び出していくのがタスクです。これに名古屋は滅法弱い。明確に守備の基準点を持たれた上でビルドアップにタイトに来られるのも嫌だし、奪われれば常に矢印が名古屋ゴールに向く相手の勢いに気圧されてしまう。

確かに今回の前半の出来も満足出来るものではなかったものの、では清水がどうだったかといえば彼らの決定機も単発がほとんどだった。目も当てられない状況になったのはやはり後半のシステム変更後です。気づけば名古屋のラインも深くなりました。最終ラインの状況をみるに、おそらくゆっくり攻めて欲しい場面でも前線はゴールが獲りたいから攻め急ぐ。悪循環ですよね。結果としてチームは間延びし、前後が分断した。「これで何が『枠』だ」と言いたくなるようなフットボール。はっきり言って、面白くなかった。

効き目がなかったハーフタイムの言葉

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本当に今日は、どうしたんだというくらい全員のパフォーマンスが良くなかった、今シーズンはじめて見た光景でした。これは、何かをするというより元に戻るだけなので、忘れて次に向かえばいいと思います

普段ならハーフタイムで変わるのですが、今日は変わらなかった

これが試合後の風間監督のコメントです。おそらくこのような感想がでたのは就任後初でしょう。以前にも指摘しましたが、彼の試合は前半と後半で明確に意味合いを変えたコーディネートで成り立っています。その意味で前後半にかけてチームが劇的に改善するのは必然であり、今回もそれを期待したのだと思います。ただ期待ほどチームは変わらなかった。後半早々は兆しがありましたが、それも六平投入でかき消された印象です。それにしてもこの言葉は重いですね。「高い壁にぶち当たったな」そう感じました。つまり言って簡単に変わるものではなかった、ということです。

振り返れば、風間監督就任後の名古屋はまだまだ欠陥だらけのチームでした。ビルドアップでミスが起きるのは日常茶飯事。自爆ですよね。常に問題は自分たちにあって、試合中には気づきを与えれば変わることも出来た。それだけでは解決できない問題は補強する(人を変えてしまう)ことで解消した。言ってしまえばそのレベルのチームでした。

ただ今年は違います。2年を経て、ある程度高いレベルの選手が各ポジションに揃った。だからこそ小西社長も風間監督も明確に「トップスリーを目指す」と宣言できたわけです。「枠」というワードを発信することで、自分たちの土俵を定義できた。止める蹴る、彼らを繋ぐ絶対的な約束事を必死に追求した2年間と異なり、今年はそれをもってどんなフットボールをピッチで表現するか。そのレベルでやっているわけです。だからこそ相手も名古屋をリスペクトし、徹底的に名古屋が嫌がるシナリオを描いてくる。

変わらなかったという事実は、つまり簡単に変えられるものではなかったということであり、これを打破するのはこのチームにおいて、最大のターニングポイントかもしれません。

風間八宏が作るフットボールの本質

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一番の問題点はどこにあるのでしょうか。ジョーはしきりに「シンプルでいいんだ」と口にしていました。「自分たちで状況を難しくしている」と言い換えることも可能でしょう。常に同じ配置でピッチに立ち、ボールは足もとから足もとに繋がっていく。相手を背負い、味方同士がお互いスペースを消しあいながら相手ブロックに吸収されていく。とても真面目に、「我々のフットボールはこうなんだ」「このルールのもとプレーしなければいけない」そう主張するかのように。

でも勘違いしていないでしょうか。我々が大切にするべきポイントは「自分たちの枠でフットボールがやれているか」それだけです。それさえピッチ上に作れていれば、あとは何をやったっていい、どんな絵を描いてもいいというのが風間八宏フットボールだったのではないか。

例えばミドルシュートを意識的に多く打つのもいいでしょう。中の人口密度が高いなら、横に広げる仕掛けがあってもいいはず。極論ジョー目掛けてセンタリングを上げ続ければ、もしかしたら相手はサイドの守備が気になったかもしれない。また前線の4人、あれほど常に相手の最終ラインと映し鏡のように貼りつく必要があったのか。ときにはサイドに張るのもいいでしょう。執拗に裏をつくのもいいでしょう。相手のアンカー脇で受ける動きがあったっていい。ジョーがプレー出来るスペースを作る気持ちはあったのか。ジョーに異なる役割も押し付けてはいなかったか。

どうすれば相手が嫌がるか、矢印を裏返せるか。つまり逆が取れるか。それが風間八宏の、いや我々のフットボールでしょう。ロングボールが駄目など言っていない。我々はボールポゼッションのチームなどと高らかに宣言した覚えもない。

相手が引いてカウンターを狙っている場合、最も怖いのは「ボールを失うこと」です。だからどの選手も近くの選手とのパス交換に終始する。それこそが最も正確だからです。結果的に相手ブロック前でボールが動くだけで、肝心の相手を動かせない。チャレンジすることが出来ない。いつしか相手を動かすことが目的なのに、ミスをしないこと、隣の味方に正確に繋ぐことが目的になってしまう。「自分たちは止める蹴るのチームだから。その正確性が自分たちの追求するところだから」。いや、我々が目指している先は、圧倒的な正確性をもって相手を支配することでは。相手の逆をとることが目的で、止める蹴るはそのための手段ではないのか。中央から切り崩さないといけない縛りでもあったんでしょうか。

ここが一番の問題点であると感じます。

つまり我々のフットボールのベースである「中央」「スペース」を消されると、他の手立てを失ってしまう。教わったもので上手くいかないと、その技術が手段(相手を操るためのもの)から目的(ボールを奪われないためのもの)に変わってしまう。大胆さが影を潜め、むしろ風間八宏の教えが選手の発想を縛りつける現象が起きてしまう。相手に奪われないことを優先し、狭いところから、相手の矢印に真っ向から突撃する形で勝負を挑んでしまう。結果として奪われ、カウンターを受け、自信を失ってしまう。それぞれの選手が持つ矢印の方向がバラバラになってしまう。これは、とても深い深い問題であると考えます。一筋縄ではいきません。

勝手に作り上げた固定観念など打ち破れ

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だからこそまずは原点に立ち返るべきです。「自分たちの枠」を意識し、必要なことをやらなければいけません。その意味でいえば、前述の通り前線の選手の活動量が乏しい。前に張りつくばかりで、相手を動かそうというアイデアを持っているか。しっかり繋ぎに顔を出せているか。一方で後方の面々。相手のロングボールや裏に抜けられることを恐れてラインが深くなっていないか。これはどちらが良い悪いではありません。お互いがチームのコンセプトである枠をもう一度意識し、そのために必要な手段をしっかり擦り合わせていく必要があるでしょう。その上で風間監督が求めるものをもう一度選手たちが噛み砕く必要があります。

この試合後の最初の練習、選手たちに青空ミーティングをさせたのは、なんとも風間監督らしいですね。簡単に形は提示しない。徹底的に選手に問いかけ、何が狂ってしまったのか考えさせたいのではないか。この点についても、おそらく賛否両論あるでしょう。そこでも選手に委ねるのかと(もちろんそれ以外で風間監督から指摘は入っているでしょうが)。

ただ一つだけ言えるのは、彼のチーム作りにおいてこのアプローチが正攻法です。安易に形を提示した瞬間、それは彼が「ブレた」という証明になってしまう。本質から目を逸らし、例えば一番の改善点が守備の構築にあると言葉にした瞬間、もはや彼が監督である必要性は失われます。それは彼のフットボールにおいては、あくまで副次的な域をでません。

そもそも風間監督でなくていいじゃないか。そんな意見もあるでしょう。理想のフットボールはこれではない。そんなマネジメントは求めていない。それも一つの意見として尊重すべきです。ただ同時に忘れてならないこともある。それは私たちのクラブが彼を望んだということ。名古屋というクラブと、彼の存在に惹かれてこの地を選んだ多くの選手がいるということ。今後50年、100年と続くであろうクラブの歴史において、今のチームがどんな成果を挙げ、このクラブに何を残せるのか。風間八宏に何が作れるのか。私はそれが見てみたい。我々のクラブが信じた監督と選手がファミリーに何を与えられるのか、見せて欲しい。

ここから我々はどう進化するべきか

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今回の清水戦、誰もが前田直輝に希望を抱いたのは、彼がミスを恐れていなかったからではないでしょうか。表現を変えれば、彼だけが固定観念のようなものに捉われていなかった。たしかにカットイン一辺倒。ただ彼はこの試合、ひたすらにゴールを目指した。そのために目の前の相手をぶち抜こうとした。彼は風間八宏フットボールで陥りがちな、「守ってきた相手に対しミスを恐れ無難なプレーを選択する」ことをしませんでした。彼だけが唯一、明らかな異物だった。それがあの同点弾に繋がりました。あのゴールの後、風間監督は怒っていましたか?「ロングボールのこぼれ球から個人技で決めるゴールなど俺のフットボールではない」と。否、誰よりもそれを喜んでいた。それが紛れもない事実です。

ベンチ外だった選手を語っても仕方ないですが、例えば神出鬼没な金井をサイドに置いても面白かったでしょう。彼は相手が嫌がることを出来る選手。シャビエルの交代枠が榎本だったら。吉田と丸山のライン間が狙われているなら、立ち位置を3-4-3に変え、最初からラインを埋める方法もあります。前からの圧力が足りないなら、リベロに千葉を置いてプレッシング時はアンカーとして前に出してもいい。その分ジョアンやヨネはより前を意識出来るでしょう。あとそうだ、型にはまらないという意味でいえば、我々にはエドゥアルドネットという存在もいます。もしかしたらまた補強で解決するのかもしれない。この2年間であった「もっとシンプルにやろうよ」とは次元が違います。あのときは、そもそも土台がないからもっと楽をしろという指摘だった。ただ今回は次のフェーズです。J1クラスのチームが対策を取った時、我々に何が出来るか。もしかしたらまだピースが足りないのかもしれません。答えは分からない。分かったら、面白くない。

「結局個に帰結するのか」いいじゃないですか。だって風間監督のフットボールは「個人が主役」なのでは?とことんやればいい。今のフットボールを志向する限り、この壁は必ず乗り越えないといけません。おそらくここが最大の壁です。

ボールを持って自分たちからアクションを起こそうとするチームにとって、いつかはぶち当たる壁。そして風間八宏が提唱するフットボールの本質にもう一度向き合う必要があるのではないか。選手はロボットではなく個性の塊です。それぞれの個性って何なんでしょうか。どうしたら、それが個性として際立ちますか。試されているのは選手達です。

チームを後押ししましょう。選手たちを、信じましょう。