みぎブログ

主観で語りますフットボールを。

一人歩きする「攻守一体のサッカー」

名古屋の攻撃力にマッシモの手堅い守備が加わるのは驚異。

これが、我々の監督交代劇を受けた第三者による「希望的観測」だったことは記憶に新しいところです。もちろん誰よりも我々がそうなることを望んだのは言うまでもありません。

2分2敗。これがマッシモ体制後の現実です。

何故勝てないのか。何故思い通りにいかないのか。理論上はこのバトンリレーこそが勝つ為に最善ではなかったのか。今回はこの点について今何が起きているのか考察してみます。

まずは風間体制時の簡単な振り返りから。

「あとは決めるだけ」が命取りだった風間体制

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約2年半もの間、風間氏が追い求めた理想は常に我々がボールを保持し、ポジションの概念を超え、選手同士の調和が生む予測不可能な攻撃的フットボールであったと定義出来ます。その圧倒的な攻撃力をリスペクトした相手は、次第に「中央を固めてカウンター」の策を講じるようになりました。シーズン中盤以降、勝てない名古屋の最大の課題はこの対策をどう上回るか、ここにあったと言って過言ではありません。

「ポジションの概念を超えてでも」再現性のない形に拘るその行為は、相手を崩しきるフェーズまで持ち込めないと、途端に崩れたポジションバランスが相手カウンターの「穴」になる弱点を潜んでいました。相手の陣形を崩し、無理なクリアを誘発すればボールを回収出来るものの、例えば前を向いた状態でボールを奪われる。また崩しの局面でミスが出ると、それが即カウンターに繋がるハイリスクと隣合わせであり、それで負けが続くとボール保持の絶対条件とも言える「自信」をも打ち砕く諸刃の剣だったとも言えます。

その状況を打破する術は一つしかありません。それは「先にゴールを奪うこと」です。引きこもる相手を同じ土俵に引き摺り込むには、先にゴールを奪うしかない。解任までの数試合、風間氏の口からは何度もこの言葉が聞かれたものです。

「あとはゴールを決めるだけ」だと。

そのために彼は徹底的に「チャンスの演出」を追求しました。被カウンターのリスク管理には決して手を加えなかった。ボールを奪われた際の攻から守の局面はネガティブトランジションと言われますが、今思えば彼がそこを磨き上げるのは不可能だったと思います。何故なら彼の攻撃を支える重要な要素がその「流動性」にあったからです。選手たちがポジションを崩してまで相手に襲いかかる以上、そこへの対策は結果的に「崩しきる」以外になかった。故にチャンスの演出に拘った彼のロジックは理解出来ますし、場所ではなく人を崩しにかかる彼の理論に鑑みて、場所に捉われないストライカーの補強(柿谷)を必要としていたのは納得出来ます。

ただ残念ながらその補強は叶わず、結果的に点は奪えませんでした。エースのジョーも大不振。外し続けた代償は、彼の攻撃理論が裏目にでる皮肉な結果へと繋がり、最後はシーズン途中での解任、そんな結末に至った。思い返せば監督に就任してから終わりを迎えるこの日まで、彼への賛否が尽きることはありませんでした。同じ土俵にさえ立てば、相手が川崎や札幌でも粉砕した力を持つ名古屋。「崩し切った先」に未来を見たサポーターと、再現性のなさが生むハイリスクな構造に頭を抱えたサポーターと。このフットボールに未来はあるのか。我々の議論が尽きることはありませんでした。

遺産を継承するということ

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そのフットボールへの好みはともかく、彼がこのチームに残した遺産をいかに継承していくか。これは解任前からの課題とも言えました。「継続性」、名古屋においてこれまで最も欠けていた要素です。ただそのリレーは理想通りとはいかなかった。現在の状況は、あくまで「解任」によって生み出されたものであることを忘れてはいけません。その前提で、我々が彼の遺産を最大限に活かす術は残されていたのか。

これまで述べた通り、このチームが最も苦労した理由は「相手を崩しきる以外に、そのフットボールが孕むリスクを回避する術がない」事実でした。その点をまず最大の改善点とした場合、変化をもたらすべきは風間体制時の特徴であったその「流動性」にあったと考えます。つまり「選手の配置・バランス」の再構築です。もしくは、ボール保持を前提としない場面での「ボールの奪い方」に目を向けても良かったかもしれません。正直に言って、この部分に手を加えることは、少なくとも風間氏がピッチ上に思い描く理想とはかけ離れる事になりますが、仕方ないでしょう。解任と受け止めれば。

保有する戦力、これまで志向してきたフットボール。シーズン途中での監督交代にあたり、残された選手たちに何ができ、またハレーションを起こさないためにどうすべきか。

彼らが徹底的に磨いてきたものは技術です。それは相手コートで主体的にフットボールを試みる上での手段であり、その強みを活かさない手はない。また相手を一瞬で外す、ボールを奪われた際の即時奪回を主眼に置いたフィジカル作りをしていたことも考慮すべき点。それらを踏まえると、風間体制時の最大の問題点である、「相手を崩しきれなかった際に起きる現象」に対して、チームのコンセプト(相手コートを支配する)を変えぬままどう修正するかが、最も彼の遺産を継承し、且つ改善が見込めるプランではなかったでしょうか。

ちなみに余談ではありますが、それを突き詰め今結果を残しているのが川崎です。流動性を担保する技術の徹底的な追求。そんな風間氏の哲学が失われた時点で、もはや彼の路線を正統に継続しているとは言い難いものの、いいとこ取りで手堅いチームを作り上げたご褒美がリーグ2連覇、そしてルヴァン杯獲得だったと考えれば、それは決して否定されるものではありません。一言で言えば、「風間八宏が作り上げたものから、ロマンを取り除いたフットボール」です。

文脈なきマッシモの改革

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さて、名古屋はその後、ご存知の通りそのバトンをマッシモフィッカデンティに託すこととなります。意図して彼に託したのか、はたまたシーズン途中で風間氏のコンセプトを引き継げる監督が不在だったのか。それは分かりかねますが、彼が今チームに施していることが、風間体制時とは対極にあることを、我々はこの4試合で知ることとなりました。

まずチームのベース(コンセプト)は相手コートを前提としたボール保持から、自陣低い位置でのブロック形成、そこからの鋭いカウンターへと移行しました。その結果、選手に求められる能力も、洗練された技術や瞬間的な速さ(アジリティ)ではなく、守備時における戦術理解力、低い位置からカウンターを仕掛ける為のスプリント力、ハーフコートではなくフルコートを想定した圧倒的な持久力へと変化。その分攻撃は個人能力に依存し、足元の宮原から一撃必殺のクロスがある太田が重宝されたのが顕著な例として挙げられます。

コンセプトが極端に変わり、問題点も生まれます。

まず一つは保有する戦力と、マッシモが求めるコンセプトの隔たりです。就任後、マッシモが選手たちに強く求めている要素が「相手ゴールをいかに速く無駄なく陥れるか」であることは言うまでもありません。しかしロングスプリントを得意とする相馬やマテウスを、皮肉なことに彼の就任直前に他クラブに放出。残った面々の特徴を見ると、風間体制時のコンセプトであるハーフコート、つまり狭いエリアでのプレーを得意とする選手ばかりが手元には残りました。

また、ボールを丁寧に繋ぐこと(簡単にロストしないこと)、近くの選手にボールをつけながらしっかりボール保持することを課していた風間氏の教えが、マッシモの足枷にもなっています。つまり出来るだけ少ないタッチ数で相手ゴール前まで迫りたいマッシモのフットボールにおいて、相手陣地を占領する為のボール保持に拘った風間氏のやり方、それが染みついた選手たちの思考、クセを消去する作業が、新たなコンセプトの浸透を阻害する原因となっています。

そしてゲーム体力の問題。ボール保持とそこからの崩し、その上での即時奪回をベースに瞬発力の向上に拘った風間体制から、ボール非保持を前提とした守備、そこからのカウンターをベースにした体力とスプリント力に拘るマッシモへの移行は、結果的にシーズンオフにやるべきフィジカル作りを、このシーズン終盤に行う状況に追いやったとも言えます。

つまりこれまで書いてきた変化は、どれも本来であればシーズンオフに行うチームのベース作りの部分であり、現在の名古屋は残り8試合の段階で、この正反対のコンセプトを、あろうことか決してそれを得意としていない選手達に浸透するよう要求し、且つ目の前の対戦相手の対策も同時に施している状況だということです。これが、我々の現実です。

残り4試合と、シーズン後の行末

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マッシモのフットボールへの好みは人それぞれあるはずです。とはいえその変化をマッシモ一人の責任として押しつけることは出来ません。彼のフットボールを求めたのは他でもない名古屋です。彼のやり方で残留を求めた以上、現状の結果はともかく、ピッチ上の変化に対し文句を言うのはお門違いです。誰より苦労しているのはマッシモ自身なのだから。

ただこれまで書いた通り、我々は理解する必要があります。今このチームで起きていることは、決してこれまでの継続や発展ではないことを。マッシモがチームに求めていることは、これまで積み上げたものを「破壊」することです。進化ではなく、生まれ変わることを求めている。この点は、共に戦う上で念頭に置かなければならないと考えます。

破壊するのは構いません。それを求めたのはフロントです。「止める蹴る」、一見するとスタンダードの追求のようで、その活かし方は相当に特殊であった風間体制。

日本人の持っている献身性や規律を技術と照らし合わせた時にそのフレームの中で仕事が出来れば、相手のシステムなんて壊せる。だから監督はこれをグランパスで証明したいと。(中略)日本サッカー界にメッセージを伝えていく 引用元:フットボール批評issue24

オンリーワンの道を貫く、そう信じさせるには十分だった大森スポーツダイレクターの言葉。この方向性を愚直に継続するか、よりグローバルな方向に進化させるか、はたまた特殊が故に失敗を認め、綺麗さっぱり消し去るか。

道は3つしかなく、我々は消し去ることを選びました。

だからこそ今願うのは、マッシモのフットボールが残り4試合で結果が伴うレベルまで昇華すること。マッシモからすれば、自身の理想などまだ全く反映されていない、そう考えているでしょう。いや、そうであってもらわなければ困る。

はっきり述べます。札幌戦のような、ただ相手に合わせるだけの腰がひけたフットボールが理想では困るんです。本来であれば4発叩き込んで捻り潰した相手に、誰が好き好んであんなものを受け入れなければならないのか。理想も、哲学も、意志もないフットボールの先に結果も用意されていなければ、残るものは虚しさだけ、です。仮に来季以降もこの体制を維持するのならば、カウンターを磨きに磨くのはマストです。我々が驚くほどに洗練された守備に磨き上げるべきだ。ボール保持が前提でも、非保持が前提でも、どちらが正しいわけでもありません。そんなものは好みでしかない。非保持を追求するのなら、同時に相手が恐れるだけの武器も磨くべきです。武器のない、いや、意志のないチームに魅力はない。この数ヶ月で、名古屋からフットボール談議が失われつつあります。あれだけ賛否両論あった風間体制において、理想のフットボール、理想の名古屋を語り合う声が絶えなかったのは何故か。そのフットボールに意志があったからです。伝わるものがあったからです。語れないフットボールなんて、クソだ。結果だけの追求は、後4試合で終わりです。

また忘れてならないのはアカデミーの存在です。技術をベースとした圧倒的な攻撃的フットボールで、今我々のユースが下の世代を席巻しています。トップはトップ、もっといえばアカデミーはアカデミーだと割り切った道を進むのか、アカデミーの存在意義に立ち返り、トップとの連携をこれまで通り重視するのか。認識すべきは、もはやトップとアカデミーで完全に別のフットボールを志向している事実です。

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ここまでの大鉈を振るって落ちるわけにはいきません。何故なら我々はこの2年半の積み上げを捨ててでも、「残留」その結果だけを追い求める事に決めたのだから。マッシモ体制を継続するにも、もう一度ボール保持の道を模索するにも、やり直すためにはもはや残るしか道はない。自覚すべきです。次の降格は、もうやり直しは意味しないのだと。

残留、その事実だけが唯一、我々と未来を繋ぐ希望です。