みぎブログ

主観で語りますフットボールを。

10戦未勝利の先に辿り着いた境地

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帰り道の豊田大橋が、何ヶ月ぶりかに賑やかでした。

勝つって、なんて素敵なんでしょう。すっかり忘れていたあの感覚を、帰る道すがらで思い出しました。あぁなんだか目に映る光景が明るい(夜だけど)、あぁなんだか帰り道が早く感じる(遠いけど)。あぁなんだか脚も軽い(短足です)。これが勝つってことか。素晴らしいっ!!!

正直に書きます。今回の川崎戦ほど「勝てる気はしない。ただし奇跡よ起これ」そんな気持ちでスタジアムに向かった一日もございません。試合前、弱音ばかり吐きました。飲むだけ飲んで現実逃避しました。「あるのは素晴らしい熱戦か、一方的にボコられるか」なんて言ってごめんなさい。

まあそれにしても素晴らしい雰囲気でした。

今回はレビューではありません。次節の山雅戦に向け、一点だけ、この川崎戦で変化したこと。これまでの勝てなかった10試合が無駄でなかったことを書きます。この変化こそが、二連覇中の王者に3-0のスコアで勝ちきれた最大の要因です。

このチームが歩んできた変遷

テーマは「ボールを保持していない場面」です。前半戦、怒涛の快進撃を支えた一番の要因は「前線からの圧倒的なプレス」でした。当時も決して緻密とは言えませんでしたが、どちらかといえば、人数と、個人のアジリティ、走力、奪取力を上手く組み合わせた構造でしたね。前線のツートップと両サイドの計四人で相手の最終ラインに襲いかかり、それで絞られたパスコースを奪取力の高いジョアンとヨネで狩り取る。相手のビルドアップを研究して合わせるでもなく、物凄く緻密な構造があるわけでもなく、それぞれが目の前の相手をとにかく捕まえろと。もちろんそこで奪い切る必要もなく、相手のパスコースをどこに絞るかは考慮してプレスするわけですが、とはいえ細かい約束事はなかったはずです。

ただしそのやり方は等々力での川崎戦後、見事に対策されます。その土俵で勝てないなら、そもそもそんなステージすっ飛ばせとロングボールを多用されることが増えた、まずこれが一つ。もう一つ、名古屋の攻撃力が認められたことで、「自陣の中央を人数で担保し、徹底的に締める」これも対戦相手に浸透しました。その結果起きたこととして、まずなかなか相手ゴールを攻略出来なくなった。それが続くほどに前がかりになる名古屋陣地にはスペースが生まれ、絵に描いたようにカウンターの餌食になりました。相手のビルドアップに対しても、前から行こうにも蹴られることを恐れ、開幕当初の迫力は失われた。分かりますでしょうか。本来自分達の強みだったものが、一つ歯車が噛み合わなくなることで見事なまでに全てが負のサイクルとして回りだしたことに。その上、風間監督は「90分は選手達のためにある」と言って手を貸さない。いや貸してやってくれませんか。等々力での川崎戦後の7試合は、まさにこのモードで進んだ印象です。落ちると分かっている落とし穴に、自ら落ちに行くように。

そこで選手達は考えます。開幕当初ほど前から行く自信も、体力も、それを受け入れる相手ももういない。確かに自分達は攻守ともに相手コートを支配する、そんなコンセプトがある。ただもはや明らかに上手くいっていないものを、いつまで闇雲に続けるのかと。それが8試合目のガンバ戦。その時点で、噛み合わなくなりつつあるチームを考慮してか、システムも既に3-4-3に変更済み。これまでの好調を支えた「4人のプレス隊+狩り取る両ボランチ」の計6枚のやり方は、「3枚のプレス隊(スリートップ)」に変更され、ジョーのワントップのような形に変化しました。残念ながら決して機動力に優れているとはいえないジョーですから、端的に言えば前から行こうにもプレスの速度、その体力に問題があった。つまり「ハマらなかった」ということです。その点、前半戦は隣にアーリアを置いて機動力を補ってましたからね。「狩り取る」中心人物である米本も長期離脱となり、前半戦の再現というには、そもそも無理があったのも事実です。

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そこで最終ラインのリーダーである中谷を中心に選手は考えました。「ハマらないときは、引け」と。このガンバ戦から、苦しい時間帯は無理をすることなく、自陣低い位置でブロック形成するシーンが増加しました。実際、戦い方の幅を広げたことで少なからず前進する兆しはあった。ただ同時に問題点もありました。「そもそもこのチームのコンセプト、何ですか」と。それはもちろん「=相手陣地を支配し、主体的に相手を動かしていくこと」です。つまりここで大きな問題点として浮上したのが、そもそものチーム編成(ピッチ上の選手起用、与える役割含)からして、引いて守ることが得意なチームではないという大前提の部分です。

考えてもみてください。それをするために、両ストッパーに宮原なり太田を置きますか?彼らは本来サイドバックが本職の選手です。では何故彼らをそこで起用するかといえば、当然ながらボール保持の場面でその威力を発揮する期待があるからです。しかも風間監督は細かい仕込みをしないわけですから、自陣ペナ近くになるほどそのボロがでる可能性も潜んでいる。選手を機械的に動かすことをしない以上、一人でもジャッジを誤れば即命取りなフットボール。そりゃ出来るだけ自陣ゴールからは遠ざかりたい。案の定、このガンバ戦のロスタイムで失点。その後の浦和戦でも終了間際にプレーのジャッジで致命的なミスを犯し、その後の流れから失点。二試合連続で終了間際に追いつかれる、なんとも後味の悪い試合が続きました。試合後の中谷のインタビューは、このチームが前進こそすれども、そのとった選択ではこのチーム編成が十二分に活きないもどかしさを感じさせました。

もう耐えるしかないと。それ以外のオプションはなかったと思います

悩みに悩み抜いて見つけた落とし所

さて、そして今回の川崎戦です。開幕当初の前線からのハイプレスは現在のチーム状況(一部主力選手の不在)、また相手の対策次第ではボロが隠せないことが判明し使えない。では後方でブロックを形成したらどうか。これもそもそものチーム編成を考慮すれば向いていない。試合前のコメントを読んでも、この点で苦悩する中谷と、一方で理想を追求し続ける風間監督の間に横たわるギャップが伝わり、これは本当に難しい状況だと頭を抱えたものです。そして当日、この悩ましい「10戦未勝利」のトンネルの先に導き出した答えは、今回の最大のポイント「ミドルサードでのブロック形成」でした。まさに間を取ってきたわけです。具体的に検証します。

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まず大きな変更点として、この試合からシステムを好調時の4-4-2に戻したことが挙げられます。先述の通り、このシステムでの超ハイプレスの効き目が落ちてきた際に、問題として起きたのが名古屋の各ライン間(例えば宮原と中谷の間、丸山と吉田の間)の守備です。このウイークポイントを見過ごす事も出来ず、3-4-3にすることで守備時の横幅を人数でカバーした(最終ラインは両ウイングバックが下がる事で5枚になる為)。ただしこのチーム、残念ながら前線の運動量、機動力はそこまで高くありません。ジョー然り、シャビエルやジョアン然り。結果的に守備は安定しましたが、その見返りとして前への推進力は奪われた。特にジョーですね。ボールを奪うポイントが下がったことで、彼と他の選手の距離が開き、攻撃時は孤立するシーンが目立ちました。また守備時においても最前線は彼一人ですから、プレスも効率が悪かった。相手からすれば、ビルドアップでボールを運ぶことは容易だったでしょう。今回のシステム変更はその点を考慮したと考えます。自分たちの枠でやるには、またこのメンバーでそれを実現するにはやはりこの形がベストだろうと。

ではやることも開幕時と同じだったか。いや、名古屋のプレス開始位置は相手陣地奥深くでも、自陣深い位置でもありませんでした。ハーフウェラインよりほんの少し相手陣地寄りからです。最終ラインの設定位置は当然ながら開幕当初ほど浅くはありませんが、前線との距離感を意識し、極力高い位置を保ちます。つまりこれまで何度もキーワードとして出てきた「枠」を、どのポイントに設定するか、が何より重要な部分です。高い位置では相手の対策次第で破綻しやすい。一方低い位置では守りきれず、前にも出られない。だからこそミドルサード(ピッチ中央)を選択したと。

また、ボールも闇雲に奪いには行きません。構えるゾーンに相手が侵入してくれば即時ボールホルダーに突っかかることはなく、前線のツートップ(ジョーとシャビエル)が相手の最終ライン〜中盤への危険なパスルートを遮りながら、そのパスコースを意図的に誘導していく。その様子を伺いながら、二列目の4人、最終ラインの4人が各自ポジション(立ち位置)を細かく微調整していきます。まさに以前から風間監督が提唱してきた「一人で二人みれるポジショニング」、これが試される守り方を選びました。これは難易度高いです。何故ならチームとして決められた機械的な守り方もない、前半戦のように目の前の敵を芋づる式で一人ずつ捕まえるでもない(各々が明確に守備の基準点をもたない)、もちろんここ最近のように後方でバスを置いていればいいというわけでもない。一人でもサボったら、一瞬にして破綻するやり方です。よく風間監督は「水をこぼす」と表現しますが、まさに一人でもポジショニングを誤るとそこから水はこぼれていく守り方だと考えていいでしょう。

あともう一つ重要なポイント、このポジショニングを決定づける要因の一つとして、「各々の守備範囲がどの程度あるか」も重要です。これも以前から風間監督が指摘してきたポイントです。全員でボールの位置に合わせて均等にスライドを繰り返すわけではないため、各々のポジショニングを決定付けるのは、各選手の特性も多分に含まれる。試合後の中村憲剛のコメントを見てみましょう。

いつもだと落ちるんですが、落ちなくてもボールが入ってくるかなという感覚は、そこまで向こうも厳しくなかったので

次に車屋紳太郎

結構ボールもペナ付近で、阿部ちゃんがシュートを打ったシーンもありましたが、ボールは入っているので。そこまでの簡単なミスというのは余分だったなと思います

中村がいう「厳しくなかった」。これは名古屋の守り方が人にガツガツいくスタイルから、常に「枠」を意識し、且つそれをコンパクトに保つことを前提として、各々が相手のパスコースを切ることを最優先とした守り方になっていることが理由でしょう。この試合、「なぜ川崎はあれほどミスが多いんだ」と指摘する声も多かったわけですが、個人的な意見として、そもそもあの狭いエリア、名古屋の選手のポジショニング、そこからボールに寄せるスピード(強度)が加味された発言か、疑問が残ります。つまりあの土俵の中では、ミスが「起きてしまった」可能性はないか、という発想。

もう一つ、車屋が指摘した名古屋ゴール前(バイタル)にはスペースがあったという発言。これはある側面では大きな問題ではなく、また別の側面で見ればこのチームの課題であると思います。大きな問題でないと書いたのは、相手からして「パスが通せそう」と仮に見えていたとしても、そこからのアプローチで十分相手に詰めきる予測、スピードがあれば大きな問題ではないという考えが一つ。おそらく川崎の選手達からすれば「通せそう」というシーンはこの試合も多々あったでしょう。ただし実際にはそうは言っても無得点です。一方、これが名古屋陣内深い場所で毎度発生すると、致命傷になりかねません。このチームは細かいスライド等オートマティズムは備えていませんから、例えばサイド深くに抉られるとどうしても人が付いて行かざるえない。すると中盤の人数が不足し、必然各々が見るエリアも広がるわけですから、そこの穴を突かれることは可能性として大いにあるでしょう。

何故この枠の設定位置が優秀だったのか

この守り方を選択したことで何が良くなったか。ポイントは二つです。一つは開幕当初のように前から捕まえに行かない分、中盤に綻び(スペース)が生じづらいこと。前線の選手にしてもプレスの開始位置、やるべきタスクがはっきりしたことで、そこへのハードワークが出来始めています。この試合、ジョーとシャビエルの集中力は凄まじかった。常に最適なポジションを取ろうと細かい動き直しを惜しまなかった。

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もう一つはこの枠の設定位置(ミドルサード)なら、今のメンバー構成でも無理がなく、且つ選手の個性を発揮できる可能性があるからです。この試合を見ればわかる通り、シャビエルにしろ、ジョアンもそしてネットも、チームの距離感さえコンパクトに保てていれば、誰よりも「速い」選手達です。ここでいう速さとは、勿論これまで何度もでたキーワードである「目の速さ」。つまり強度の高いプレッシャーを苦にしない技術がここでモノを言うわけです。守備に関しても、ジョアンのように前向きで相手からボールを狩り取る技術がある選手には、極力「下がる」守備はさせたくない。枠が機能していることは、その点でも有効です。枠が間延びする(選手の距離感に問題が生じる)と、シャビエルは個人での打開能力に問題を抱える。ジョアンは途端に「遅い選手(彼が持ち得る速さが活かせなくなる)」となり、ネットからは意外性が奪われ、「走れなさ」だけが残ってしまう。つまり、このチームの編成そのものが「(選手同士の)距離感に依存する選手が多い」ということです。逆に最終ラインの面々は、ある意味で彼らのためにラインをコンパクトに保ち、その上で攻撃力も担保するため「機動力とボールスキル」に特化し構成している。だからこそ引いて守っていても今度は彼らの特性も活かされないということです。

この落としどころに行き着くまで等々力での川崎戦以降9試合を要したわけですが、おそらく風間監督のチームコンセプト、編成、その手法を考慮すると、これがベストである、そう感じます。これなら各選手の特性も活きるし、相手の対策を「まともに」受ける機会もこれまでよりは減るでしょう。このチームに最も必要な意識は「枠の維持」にあります。これさえ常に保たれていれば、そうそう簡単に負けることはない。だからこそ、どうすればその枠を維持出来るのか、これを追い求めた9試合だった、そんな気がするのです。

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真価が問われるのは次節、松本山雅

このチームは、どこか2018ロシアW杯の日本代表に似ているような印象を受けます。ガチガチの組織的なチームではなく、基本的には個人の能力、掛け合わせを尊重する。前線から相手のパスコースをきっていき、そのポジショニングで勝負していく。一方で、後ろを向かされると弱い。ブロックが下がってくると、組織としても、そのチーム構成からしても、守りきれない可能性が高い。だからこそ、「いかに前向きで、高い位置で攻守ともに勝負出来るか」がこのチームの鍵です。この川崎戦に関していえば、そうは言っても彼らもこの土俵で戦うことを選ぶ(選んでくれる)チームでした。

では次節の山雅はどうか。まず間違いなく同じような展開にはならないでしょう。おそらく川崎とは異なる策を仕込んでくるはずです。だからこそ、その相手にどれだけやれるか。そこが今季残り試合を占う、重要な試金石となります。自分たちの戦い方の再確認、そこへの迷いがなくなった上で、どの程度異なる相手に通用するか。これが何より重要です。

前半戦を思い出してください。あの等々力の川崎戦後、希望を胸に抱いて行った豊田スタジアムで、我々を失意の底に突き落としたのはどのチームだったか。そう、松本山雅です。

川崎戦後、9戦未勝利のきっかけを作った山雅に対し、同じミスを繰り返すのか。それとも我々はその9試合の後、生まれ変わったのだと見せつけるか。

次こそが、真価を問われる時です。

失って改めて実感するその存在の価値

最後に、今回の本題とは逸れますが、この話題に触れないわけにはいきません。二年半、名古屋で共に歩んできた小林裕紀が、今回大分トリニータに完全移籍しました。

思い返すと忘れもしない2016年。降格した我々の前に最後まで残留争いのライバルとして立ちはだかり、結果として生き残ったのが新潟であり、その当時のキャプテンが小林裕紀でした。初のJ2を戦う我々にとって、その小林がカテゴリーを落としてまで名古屋に加入するのは当時最も驚きをもった移籍劇だったと記憶しています。

そこからは我々にとっても、そして彼にとっても苦難の連続でしたね。忘れもしない第2節、豊田スタジアムでのFC岐阜戦での交代劇。そこからのベンチ外の日々。戻ってきた彼に待ち受けていたセンターバックとしての役割。名古屋史上最高のコンビと謳われた田口泰士とのダブルボランチ結成。その後の昇格。J1昇格後はチームキャプテンとして先頭に立つものの、前半戦は勝てない日々。ブーイングを浴びたのも、一度や二度ではない。そこから掴み取った奇跡の残留。そして今年、新加入選手との争いで彼はレギュラーポジションを失った。そこで待っていたまたも勝てない日々。

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たったこれだけ振り返っても、彼にとってこの2年半があまりに激動の日々で、いかに濃いものだったか、なんだか手に取るように分かる気がします。そしておそらく誰もが覚悟はしていたはずです。「いつ出て行っても、おかしくない」と。

何故なら彼には「上手くなること」が全てだったから。そこにカテゴリーもプライドも関係なかった。ただ同時にこのチームで楢崎正剛佐藤寿人に出会って学んだ事もあったはずです。プロは試合に出場してこそ価値があるのだと。

不思議ですね。どこかで覚悟していたはずなのに、リリースが実際にあるとこれほど落ち込むものかと。おそらくそこにもういないのだと実感して初めて、改めて彼の存在の大きさを知ったのだと思います。彼の言葉には、降格してからの2年半、我々がどんな道を歩んできたのか。それが全て詰まっている気がしたのです。彼自身の苦悩、風間監督への想い、このチームでやる喜び、出会い、そして後輩への心配り。

彼は言いました。「自分のためなんだ」と。ただそんな言葉とは裏腹に、そこには彼の誠実さ、生真面目な性格、他者への思いやりで溢れていた。ずっと不思議でした。照れ屋で、ファミリーにはあれほどサービス精神のない彼が、何故いつも対戦相手の選手達とあれほど仲が良さそうなのか。沢山の人に囲まれるのか。いつも仲間とあんなに楽しそうなのか。

それは彼が日々、そこで関わる人、そしてチームに残してきた何かがあったからではないかと。なんだかそれを最後のインタビューでまざまざと見せつけられ、思い知ったからこそ寂しかった。ファミリーが一人欠けた。我々はその言葉の重みを、改めて彼が去ることで理解したのだと思います。

降格してからの2年半、このチームをここまで作り上げ、また支え続けた最大の功労者はもしかすると彼だったのかもしれませんね。今日に至るまで、彼は自分のためだと言いながら、ずっと名古屋の先頭に立ち続けた。紛れもなく「リーダー」だった。彼の歩みは、まさに我々にとっての歩みそのものだった。小林裕紀という一人の選手が、現在の名古屋に多大な貢献を果たしたことを、我々は忘れません。

そんな彼はきっとまた、「上手くなりたい」その一心で、大分に、いや前に進んで行ったんでしょう。

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