みぎブログ

主観で語りますフットボールを。

泣く娘と、試合に泣いた親父

どれだけ言っても聞く耳を持たない旦那に呆れて、妻は諦めたようです。二週間に一回、もう仕方ないと。

そんな妻に甘えてルンルン気分で家を飛び出そうとする親父を見て、玄関先まで追っかけてきた娘は言いました。

「パパ、一緒に行く」

「ごめんね。暑いし、すぐ帰ってくるから我慢できる?」適当な嘘を言ってその場を立ち去ろうと試みる親父を見て、娘は大泣きして抵抗しました。分かってます。最低な父親だと分かっているから、そこはあえて触れないで。そこ、本題じゃないから触れないで。安いドラマだななんて言わないで。

楽しみにしていた道中もなんだか気分は優れず、罪悪感とそれでも行ってしまう自分に呆れながら着いたスタジアム。

待っていた「無策」。そして大敗

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1対5の大敗。結果は散々でした。

帰り道。娘の涙と天秤にかけ優先した今日一日に、一体どれだけの意味があったのだろうと自問自答を繰り返す。もちろんそんなことにもはや意味はないし、それでも尚、足を運んでしまう大馬鹿野郎であることも自覚しているんだけど、その後ろめたさが消えることはありませんでした。

電車の中で風間監督の試合後インタビューを読みました。

後半の立ち上がりからほとんどハーフコートでサッカーをやった。前半はパズルに選手が戸惑ったが、後半は全く変えて自分たちの戦いをした。その後は10人では、どうしようもない

あぁ、この言葉にこの人の哲学全てが詰まっている、そう感じました。ほんとに主役は選手達で、毎試合ピッチでパズルを解かないといけないのは選手たちなのかと。見たこともない応用問題をだされると、解くまでにあまりに時間がかかる。解けないうちは、自分達の「枠」が維持されることはなく、最終ラインの門は開きっぱなし。ああネット。そうだ、この展開だと駄目な時のネットこんにちはだ。

「ない」ようで「ある」風間サッカー

「風間サッカー」。風間監督が言う通り、厳密に言えばそんなものは存在しません。自分達の枠と、相手コートを支配する。この前提さえピッチに作り出せれば、何をしてもいい。その意味でいえば、確かに決まった型など存在しないフットボールであることは間違いありません。一方で、では自分達の枠と、相手コートを支配するにはどうすればいいのか。勘違いしていけないのは、彼らにとっての「自由」とは、これが出来ている前提で存在するということです。確かに彼らの主語は常に「自分達」です。同時に、その主語を成立させるために、彼らは「相手を見る」を合言葉とします。つまり決して自分達が好き勝手やるわけではなく、向き合う相手がいて始めて彼らのフットボールは動き出す。その上で必要な基礎練習を、彼らは毎日、毎日繰り返します。ただ試合で起こることは、当然のことながら「応用問題」ばかりです。

これまでの2年間と今年が決定的に違ったのは、開幕の段階からこのチームがある一定の土俵では他チーム以上の破壊力を備えていたことです。その結果、一巡目が終わる頃には相手も様々な応用問題を仕掛けてくるようになり、それを解けない日々が続いた。やっと慣れてきた頃に、今度はまた見たこともないパズルを横浜が仕掛けてきた(それがどういったものだったかは、今回の主旨と逸れるため割愛)。そんな苦い経験値をチームとして積み重ねることでしか、このチームはきっと成長出来ない。彼らの進む道、いや進もうとする道を見ていると、そう思えて仕方ありません。

名古屋の守備が酷い。いやその通り。その通りなのに、そんな指摘が彼らがやっていることの本質から逸れている気もしています。そもそも相手が仕掛けてくるパズルを解かないことには、このチームは何も出来ないのだから。それは自分達のビルドアップ時然り、相手のビルドアップ時然りです。

5点も獲られたのに「横浜に負けた」そんな感覚は乏しく、「横浜が提示した応用問題を、名古屋の選手達が素早く解けなかった」そんな試験に落ちたような感覚になってしまう。

そうだ、最近ドイツ帰りの酒井高徳のインタビューにこんな言葉がありました。

jocr.jp

プレッシャーとかボールを取りに来る迫力は海外とは比べられない、と正直感じました。3人に囲まれるところでも、取りに来ているんだろうけど、こっちはそんなにプレッシャーに思っていないです。やってるサッカーが違うと言うところもあるが、海外では、チーム全体でプレッシャーを掛けていて、「うわ、全然スペースないな」って思ってしまうのが、相手のプレッシャーの掛け方が上手なところ。逆に日本は、一人かわすとスペースがスカスカに空いてしまうので、そう言うところはリーグとして違うなと感じました

また印象的だったのはスペインでの学びを語る鈴木大輔

youtu.be

現在の国内リーグのレベルは、世界に視野を広げた際どうなんでしょう。小手先のチーム戦術だけでは、一歩外に飛び出せば全く通用しないのではないか。海外でプレーする選手達が、毎回こぞって「やっているスポーツが違う程の印象」と語るのは如何なものか。おそらく、僕はその意味において、そもそも普段観ている国内リーグに懐疑的なんでしょう。実はこの国のフットボールの基準そのものがとてもガラパゴス化した、それこそが「和式サッカー」そのものの正体ではないのかと。だから目先の結果、この狭い世界での勝敗より、もっと根本的な問題に取り組んで欲しい。応援するクラブの選手達が、よりスケールの大きな選手になって欲しい。そう思ってしまうんです。そんな我々の常識、既成概念を、少なからずとも風間監督ならぶち壊してくれるんじゃないか。必要な技術を徹底的に教え込むことで。そして必要な戦術理解力は安易に教え込まず、徹底的に考えさせることで。

だからどれだけ負けても、どれだけキツいやられ方でも、彼らが取り組んでいることが理解出来るうちは、また応援頑張ろうって。そう思ってしまうのです。

相反する二つの想い

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一方で、これまで何度も言及してきた通り、そんな風間監督への賛否が尽きることはありません。でも当然なんですよ。僕たちサポーター(ファミリー)は、毎試合いろいろな想いを抱いてスタジアムに足を運んでいます。お金を払って、時間を作って、周りにある環境を必死で調整して。

その先にある結果が1対5で、負けた原因が「選手達がパズルを解くのに時間がかかった」と言われた。やるせないに決まってるじゃないですか。いや、そのパズルを事前に想定し、選手達が困らないようにするのが監督の役目、務めだと感じる者。相手とのその応酬こそが試合の醍醐味だと考える者。俺は目の前の試合にとにかく勝つことだけを求めているんだと唱える者。それが例え狭い世界であろうと、我々が暮らすこの国内リーグで勝つことこそが正義であり、そのために応援しているんだという者。みんな、みんな正しいんだ。

スタジアムには、いやテレビの前で応援するファミリーも含め、皆が皆勝って欲しいと思っているし、負けたら悔しいに決まってるんです。涙する娘を置き去りにして、わざわざスタジアムに足を運んで、「今日は選手達がパズルを解けませんでした」って。ええ!?そんな回答ある!?俺はそのために今日という一日を費やしたのかって。そりゃあやるせないに決まってるじゃん。うん、とにかくやるせないのです。

これほど難しい監督もなかなかいないでしょう。試合というものに対する根本的な考え方が全く普通ではないから、それについていく選手以上に、毎試合お金を払って、都合をつけて、家族を天秤にかけてでも足を運んでしまう大馬鹿野郎からすれば、こんな報われない監督もいないのです。「チーム」として全力尽くしてよ。パズルが分かってたなら助けてやってよ。勝つために、やれること全部やってくれよって。選手達が出来なければこんなこともありますから。いやいや、俺たちの時間を何だと思ってんの!?チケット代、みんなどれだけ払ってるか分かってんの!?

でも....それでも試合をある種の「発表会」と言っているようなこんな監督のもと、我々の愛するクラブの選手達が頑張るのだと思ったら、何故だかそれでも期待してしまうのです。このクラブには、選手達には、小さくまとまって欲しくないと。僕がこのチームをそれでも応援してしまうのは、きっとそこへの期待と、僕自身の問題意識がそうさせるのだと思います。こんなに悔しくてやるせないのに、それと同じくらい、風間監督の想像や要求くらい超えないと強くなんてなれねーよって、そうどこかで思ってしまうのです。

誰だって勝てば嬉しい、負けたら悔しい

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こんな一日のために俺は自分の我儘で家族を置いてきたのかって心底自分が嫌になるけど、それでもこのチームの取組を理解し応援してしまう自分の馬鹿さ加減がほとほと嫌になります。みんな勝てば嬉しいし、負けたら悔しいし、落ち込むんです。それだけは、同じクラブを応援する誰しもが、きっと同じなんです。ファミリーがクラブに、その日のスタジアムに求めるもの。対して風間監督が、ピッチで表現しようとするもの。これが噛み合わない一日は、本当に歯痒く、ツラい。我々ファミリーは、この2年半、ずっとこうやって自分自身と折り合いをつけながら、毎日やってきたんですよね。

そんな毎日が正しいかどうかなんて、真実は分かりません。分からないから、揉めるんです。それでも期待する者と、そんなものに期待は出来ないという者と。そこへの答えなんて、ありません。一つだけ間違いないのは、勝ったら嬉しいし、負けたら悔しい。そんなサポーター、ファミリーのあるべき姿だけです。やるせない、やるせない。

「本当に悩ましい監督だな........」

帰る道すがら、泣きじゃくる娘の姿を思い出し、また僕は自分の気持ちに無理やり折り合いをつけるのでした。