みぎブログ

主観で語りますフットボールを。

2019シーズン¨始動¨

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「タイに行く前に、練習一回観ときたいよなあ」

週末の居酒屋で遠回しに誘惑する友人。「新体制発表会行ったばかりで流石に無理」、妻の顔を思い浮かべて断る私。ただ奇跡は起きるもので、妻の友人が小林裕紀ばりの絶妙なタイミング、サポート体制で自宅を訪れてくれたことで、私は伊野波(仮)のマークを剥がし、トヨスポに行くことが可能となった。当日に決まろうが、そこからは秒よ秒。

まずはこの時期のトヨスポについて語りたい。

〇今年も集まった「上手くなりたい者たち」

新鮮な空気。同時に去来する久しぶりの感覚。ピッチは高級な絨毯のように美しい。今年も遂に始まるのだと、そんな新たな気持ちになる。だから年間を通してみても、この時期のトヨスポがとても好きだ。

今年の名古屋も新顔が多い。逆に「名古屋の顔」といえる選手達の姿はもうそこにはない。例えば常にランニングの先頭を走っていた佐藤寿人や、若手に喝を入れる玉田圭司、その存在だけで名古屋の象徴といえた楢崎正剛。それだけの選手達が、同時に名古屋の練習場から姿を消した。残されたグラウンドが、昨年のそれと違うのは当然のこと。選手達もどこかたどたどしさが残るし、サポーターもこの時期は見慣れない風景にどこか緊張する。

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それにしても、毎年よくこれだけの選手達が集まるものだと感心する。降格した際、あれほど一気に膿が出て大半の主力が去ったにも関わらず、三年目にしてこの戦力を擁している。そればかりは風間八宏の存在なくしては語れない。常に賛否両論つきまとう人物だが、そもそも彼でなければ、たった二年間でここまで立て直すことはおそらく不可能だった。それは特に「人材」という面において。だが彼を評価する際に、この点に関する言及はほとんど見たことがない。現在名古屋に所属する多くの選手にとって、彼の存在なくして語ることは難しいにも関わらず。新体制発表会で、大森スポーツダイレクターは、「2017年最大の補強は風間監督だった」と評している。私も同意見だ。彼でなければ、そもそもこれだけの選手達は集まらなかった。なにせ降格したときの評判は最悪、昨季はプレーオフの影響で補強に出遅れ、中断期間まで断トツでビリケツ。そんな降格待ったなしのクラブに誰が行きたいと思うものか。そう考えると二年前の降格時、J1残留を果たしたチームでキャプテンまで務めていた小林裕紀は、なぜ名古屋を選んだのだろうか。つくづく分からないが、やはり彼はいつも絶妙なタイミングなのだと、今更ながら思うのである。

〇始まった新シーズン

練習が始まると、まず決まって柳下コーチによるアップが始まる。敏捷性を上げるものから、体幹にまつわるものまで。当然、二部練の際は午前にフィジカルトレーニングが待っている。過去二年間と比較すると、昨夏に柳下コーチが加わった影響は大きい。トレーニングの強度、種類。そして見本をみせる柳下コーチのキレの凄み。只者ではない。今年はシーズン前から彼が選手たちを指導しているわけで、そのアドバンテージは大きいはず。

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今年の新キャプテンといえば丸山祐市だが、ピッチ上は彼が指示をだす声が鳴り響く。佐藤寿人は明るく声を出してチームを牽引していた。逆に彼はより実戦の場においてその存在感が際立つ。その場にいるだけで練習が引き締まる。その点、彼のスタイルは風間監督のそれに近いものがあるようだ。

シャビエルに負けず劣らずのスキルを発揮しているのがマテウス。ピッチ内では「マテ」と呼ばれているらしい。その実力は大宮時代に既に証明済み。ゴールシーンにもあるように、右からカットインして逆サイドに巻くシュートは絶品。というか、エグい。このパターンは前田も得意としているものだが、いやはや、マテウスはエグい。シュートモーションに一切無駄がない。個で打開し、決めきる能力はシャビエルをも凌ぐ。もちろんそもそものタイプが異なる為、もう一つ、攻撃に新たな武器が加わったと言えるだろう。

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練習見学したサポーターからの評判が良い大卒ルーキー、榎本大輝はどうだろうか。とにかく仕掛けている。向こう見ず、突貫小僧。いけると思えば、ぶち抜くことしか考えていない。ただそれが面白い。観客に期待させるあのオーラは、どことなく杉本竜士のそれを彷彿とさせる。そう、ドリブラーはやはり花形だ。華麗なパス回しに観衆は息を飲むが、目の前の相手をぶち抜くドリブルは観衆を熱狂させる。彼の場合スペースも必要ない、いわゆる「オルテガ系」。身長が低いため、相手からすると間合いも取りづらいからしれない。ただし、練習後に年長者たちから注文を受ける姿も見受けられたりと、過度の期待は禁物。「ボールを失わないこと」が得意なら、今後学びがあるとすれば、風間監督がもう一つのやってはいけないことと位置づける「そこにいないこと」。特にポジション柄、チームにとって最重要なファーストディフェンダーの役割を担う榎本は、この要領をつかんで初めてレギュラー争いだと考えた方が良いのだろう。ただし素材は超一級品。主に尖った素材という意味において。とんでもなく化けるか、使いづらい選手で終わるか。あれは本気で全員抜けると思ってるぞ。風間×榎本の結末やいかに。

さて、ここからが本題。個人的な、今年のグランパスの楽しみ方。

〇全く予測不可能な「チームの心臓部」

名古屋のトレーニングは、情報漏洩を危惧し撮影等NGなわけだが、この時期のトレーニングは個人のスキルを磨くためのものが殆どだ(正直、シーズン中も大きく変化はない)。特にボールを使ったトレーニングが中心で、その多くは「止める、蹴る、外す」を念頭に置いている。それ故、既存選手と、新加入選手の差が顕著な時期でもある。

例えば、小林裕紀やアーリア、和泉などは観ていても上手いし、速い。逆に新加入選手は、ボール回しでもそこで詰まることが多い。特に「速さ」。プレー一つに対する迷いのなさ。この差が大きい。技術を身体に染みつかせた者と、今まさに学ぼうとする者。

シャビエルのように、加入当初から何ら問題なく順応する選手もいれば、それが初めて出会ったサッカーであるかのように戸惑う選手もいる。例えば見ている限り、千葉の順応性は問題なく、自然に練習をこなす姿が目につく。ミニゲームにおいてもそれは同様で、まず焦りがない。ボールを要求出来る。貰い直す動きも当たり前のように身体が動く。では他の新加入組はどうか。その点、今年の注目は二人のボランチだ。一人は米本拓司。そして伊藤洋輝。

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米本は決して器用ではない。正直、今はどのメニューをこなすにも必至だろう。今年の新加入組で、最も変化が読めず、またこのチームにどう組み込まれるのか見当がつかない選手だ。名古屋にいるボランチの誰とも被らないプレースタイル。小林のように気の利いたパス交換や顔出しをして、リズムを作るタイプでもない。ネットのようにゲームを司る、攻撃の発信基地となるようなタイプでもなければ、アーリアのように攻撃の比重が高い選手でもない。

ただ「ボールをとれる」と判断した際の寄せ、強度、奪い取る技術。これは他の追随を許さない。伊藤のような大型の選手相手でも、当たり負けしないどころか吹き飛ばす。名古屋のボランチ陣にある意味で最も欠けていた要素を兼ね備える米本。狩れると判断した瞬間の迫力、あれは一見の価値あり。あとは実践の場においてそれをどう活かすか。チームとしての守り方、チームメイトの癖。それを理解したときに、彼の特徴をチームにどうアジャストするか。ここは注目だ。

「今までの止め方が全部否定されたよう」。誰よりも遅くまで残り、いわゆる「人の倍」黙々と対面パスを繰り返す姿。彼の言葉を借りれば、「この年齢でも上手くなれる」それを証明して欲しいと願わずにはいられない。彼のプレーを誰よりも理解し、おそらく心配もしている丸山が、彼の好プレーに嬉しそうな表情をしていると、なんだかこちらまで親のような気持ちで嬉しくなる。

逆に伊藤は若いこともあり、吸収力が高いと感じる。決して俊敏なタイプではなく、どちらかと言えば小林というよりネットに近い。彼もまた、ぎこちなさこそ残るものの、基礎技術の高さに加え、視野も広く、面白い素材だ。名古屋のサッカーへの順応性は、むしろ伊藤の方が高いかもしれない。イメージとしては、本田圭佑ボランチに入った感覚に近いと言えばいいだろうか。どっしりと構え、ただしその確かな戦術眼が際立つ。レンジの長いパスも正確で、プレーもシンプル。ネットよりも、より現代的なボランチともいえる。

〇「完璧」を求めず、その「余白」を楽しめ

migiright8.hatenablog.com

 前回のブログにも書いたが、今回の編成は決して完璧ではない。特にボランチは多種多様なタイプを揃えたものの、米本にしろ、伊藤にしろ、選手層という点においてどこまで突き上げることが出来るかが現状は読めない。それが見込めない場合、少なくともACL圏内への道のりは険しいものとなるだろう。ただ面白いのは、皆、個性が見事なまでにバラバラであるということ。だからこそ、風間監督がピースとしてどうはめ込むのか、全く分からないのが面白い。

前半戦のなによりの楽しみは、この「余白」。ここに期待をもって観察することである。完璧ではないからこそ、異なる楽しみが用意されていると捉えるべきではないだろうか。個人がどう変わるか、結果としてチームがどう変わるか。まさに主役は「個」であり、その点は今年も変わることはない。

どれだけ期待しても、結果として「勝敗」のバロメーターこそ全てだといえば、裏切られることもあるかもしれない。そしてそれも間違いではない。ただ同時にチームはあくまでも個人の集合体でもある。その個人は何かといえば、それはもちろん人間なわけで、つまるところチームは「生き物」だ。だからこそ長所があり、短所もある。そして成長を遂げる。

今回ブログを通して改めて伝えたかった本質、それは「今を知り、年間を通してその変化を楽しむこと」である。つまり勝敗に一喜一憂するだけではなく、今を生きるグランパスに目を向けること。そして選手たちの日々の成長を、試合を通して継続して見ていくこと。この楽しみは格別だし、そこへの期待はどれだけかけてもいいのである。

目の前のピッチで繰り広げられるサッカーは、決して完璧ではないかもしれない。戦術的にみて、拙い部分もあるだろう。

ただサッカーは、決してそれだけが答えではない。

チームやクラブに成長を感じる。動いている、生きている実感がある。それを我が事のように喜び、応援し、ともに生きることこそがサポーターの生きがいでもあるのだ。余白を楽しみ、未熟を楽しむ。私はそんな楽しみ方を、このブログをもって改めて提案したい。なぜなら勝敗は、あくまでその先にあるものなのだから。

終わりになるが、昨年末から正確な怪我の情報がなく、どの程度のリハビリを要するものか心配していた渡邉柊斗。リハビリのペースが予想以上に早い。おそらく後々は彼が小林裕紀の役割を求め、また熾烈なレギュラー争いに加わるのだろう。

そう、まだこのチームは未完成である。

未完成だからこそ面白く、進化を止めないからワクワクするのだ。

新体制発表会を終え、独断と偏見でチーム編成斬り

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「もうお腹いっぱいです」

これで空いてますと言う方が失礼です。まさに補強のフルコース。

劇的な残留を果たし、希望に満ち溢れた未来を予想をしていた私達を襲った「玉田圭司 契約満了」事件。そうあれはもう事件だった。そして、どこか心の準備はしていたものの、遂にきてしまった「佐藤寿人の移籍」、とどめは「楢崎正剛の引退」。

私たちの今オフは、考えうる中で散々なスタートだった。SNSも、荒れに荒れた。特に玉田圭司の契約満了が、大きな波紋を呼んだのは記憶に新しい。38歳にして、出場24試合3ゴール。堂々たる数字を残した名古屋のアイドルが、まさかこのタイミングで契約満了となるとは。現在の強化部の目利き、手腕を疑う者は少なかったはず。ただし、前年に田口泰士が移籍した際の後味の悪さを思い出す今回の事態に、多くのサポーターが悲しんだのもまた事実だ。

結局、玉田圭司Vファーレン長崎へ移籍。佐藤寿人ジェフユナイテッド千葉へ、そして我らが楢崎正剛は、24年間にも及ぶ選手生活に幕を閉じることとなった。

結果だけみれば、強化部としては、このタイミングが大きな分岐点であると考えたのだろう。J1への昇格、そしてJ1への定着を果たし、大きく舵を切るならこのタイミングなのだと。チームの再建を支えたベテランたちが去り、今年から遂にJ1の頂を目指す戦いが始まるということだ。

小西社長が掲げた目標は「ACL出場圏内」。今オフのテーマは「日本人選手の獲得」。そしてやってきた新体制発表会。今年のスローガンはこれ。

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「貫く」。

どれだけ貫くんだと突っ込みたいところだが、今年もどうぞ貫いてください(褒めています)。ではポジション別に、今年の編成をあーだこーだと語っていきたい。登録ポジションは気にすることなく、私の独断と偏見で進めていく。

ゴールキーパー

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インはなし。アウトが前述した楢崎正剛。よって登録は3名。昨年、楢崎正剛カップ戦含め、ベンチ入りする機会がなかったことを考えても、4人目の登録が必要かどうかは意見が分かれるところ。当然、レギュラーは昨年34試合に出場した"ミッチ"ランゲラック。ベンチの枠を、無駄に仲良しな武田洋平と渋谷飛翔が争う。

個人的に、今回の新体制発表会で最もグッときたシーンはこちら。

楢さんが背負い続けた「背番号1」。これを欠番扱いとしないことに意見があるのも重々承知。ただ、実力的にも、またこの背番号の重みを理解し、覚悟を持って受け取った様子を見るに、ミッチなら個人的には納得するし、ミッチだから納得できた。昨年名古屋の伝統だった「7番」がジョーに引き継がれ、今年、遂に「背番号1」がミッチに託された。

〇右サイドバック

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「誰を獲るよりまず宮原」。今オフ最大の難関だったミッションに成功。広島育ち、広島ユースアカデミー卒、おそらく出戻りが既定路線だった男を、遂に完全移籍で獲得した強化部優秀。昨年26試合出場。ただし怪我を負った第29節FC東京戦まで、契約上出場出来なかった広島戦を除けば、全26試合フル出場。彼が怪我を負って以降、代役がおらずシステム変更までする羽目になった過去を思えば、もはや名古屋に最も欠かせない男である。そして宮原の挨拶もまた、良かったんだ。

「やっと名古屋グランパスの一員になれた気がします(ただしいつもの口調です)」

素っ気なくてもいい、感無量です。

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そしてこのポジションを虎視眈々と狙うのが、名古屋のバンディエラ候補である菅原由勢。昨年、17歳10ヶ月でプロA契約を締結した期待のU-19日本代表。今年はアジア杯に臨む日本代表のトレーニングパートナーにも選ばれ、練習では酒井宏樹槙野智章佐々木翔と最終ラインを組むなど、今年への期待値は上がる一方。昨年は開幕戦からセンターバックとして大抜擢されるなど、ポジションも多彩。現在の名古屋において、どのポジションが適性となるか、今年も探っていくことになるだろう。現状のチーム編成を見る限り、最も可能性が高いのは、この右サイド。

〇左サイドバック

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強化部が追い続け、何度もアプローチし、その度にフラれ続けたサガン鳥栖吉田豊を遂に獲得。スピード良し、対人良し、なにより両サイド器用にこなせる本職サイドバックの獲得。強化部にとっては念願だっただろう。先程はあえて記載しなかったが、これで宮原不在時は、菅原だけでなく、吉田を右に回す選択肢も得たことになる。昨夏に金井が加入するまで本職は不在、和泉や櫛引が担当していたことを考えても、やっと本職の二人で競わせることが可能となった。

大森先生曰く「Jの左サイドバックの中で、最も日本代表に近い選手」。特徴はケツ。猪突猛進は真っ直ぐにしか行けないが、僕は右も左も行けますとのこと。分かった。

ライバルは、金井貢史。昨年は終盤、チームのシステムが3-4-3に変更し、彼も出場の機会を失ってしまったが、最も得意とする4バックなら、先発のチャンスも大いにあるだろう。昨年15試合出場4ゴール。超攻撃型というより「超神出鬼没型」サイドバック。脚は決して速いわけではなく、名古屋が敷く高いライン設定、求められる個の守備範囲で、むしろ守備の面で悪戦苦闘しているのが課題。往々にして相手に狙われていたのも、彼が担うこの左サイド。オフはハワイに行き、子供相手にトレーニングを積んできたと、期待は膨らむばかり。

センターバック

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絶対的なレギュラーは、丸山祐市ただ一人。昨夏加入した左利きのセンターバックは、まさに獅子奮迅の活躍で名古屋をJ1残留に導いた立役者。いまとなっては、彼のいない最終ラインはもはや考えられないほどの存在感。彼とコンビを組む最有力候補が、しんちゃんと浮気し隊はもう禁止の中谷進之介、そして新加入の千葉和彦

メンタル鬼強い。「赤はカープで見慣れている」とまずぶっこみ、会場のリアクションを待つことなく、「広島ならどっかんどっかんウケるんですけど」と矢継ぎ早に攻め立てる超攻撃型。そんな千葉の武器は圧倒的なビルドアップ能力。パス成功率90%を誇り、組み立て、パスの種類、質ともに申し分ない。チームが3バックを選択するなら、前述の三人で組む可能性は高く、4バックならチームが望む優先順位で組み替えられるだろう。ここに「不死鳥の男」今年も安定の顔デカイ櫛引一紀、そしてルーキーの藤井陽也を加え、2or3ポジションを、5人で争う構図。

とにかく最終ラインはガヤ感がハンパない。止められない動画の手ブレ(笑い過ぎ)。千葉を筆頭に、丸山、中谷、櫛引、金井、そして吉田豊風間八宏をもってして、今年の新加入組は「キャラが濃い」。

爽やかでアイドル感満載のアカデミー、大卒組と、

年数を経るとこうなるのか、溢れでるガヤ感が抑えきれない移籍組(主に千葉と吉田)。

今年の守備陣は、ひな壇なら全員適性2列目。宮原さんだけが救いです。試合後、守備陣が見せる「俺たち風間サッカーで守り切ったぜ!」の団結の輪、今から思いやられるのはサポーターも同じ。

ボランチ

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最も補強を必要としていたポジションである。昨夏に加入したネット、そしてゲームキャプテンである小林裕紀が不動のコンビだが、「チームの心臓部」と風間監督が言うだけあり、このポジションを務めるのは、おそらくこのチームで最も難易度が高い。結果的に彼らの代わりが乏しく、またネットが股関節の怪我を抱えていることもあり、実力者の補強がマストだった。

強化部が口説き落としたのが、デビューから10年間、FC東京一筋だった米本拓司。2010年、そして2011年に左膝前十字靭帯損傷。2016年に右膝前十字靭帯断裂から復活した不屈の男。ボールを狩ることにかけてはJ屈指。名古屋の誰とも被らないそのスタイル。大森先生は昨夏から彼を追いかけていたらしい。丸山との両獲り狙いとは、成功していたら東京方面は暴動ものだっただろう。風間監督のもとでやりたいと、強い気持ちを持って加入。この選手を風間監督がどう融合させるのか見物である。

そして力強く一言、「タイトルを取りに来ました(心に沁みました)」。

FC東京で、彼含め二人しか背負ってこなかった伝統の「7」に別れを告げ、名古屋に加入した(圧倒的既視感)。ちなみにユニフォームは、「東京でも青赤だったから問題なし」。

もう一人、ジュビロ磐田から加入した伊藤洋輝。ユース育ちのU-19日本代表キャプテンであり、U-21日本代表にも飛び級で選出された逸材。菅原と共に、アジア杯のトレーニングパートナーも務めた。188㎝の恵まれた体格、そして左利き。ネットが怪我の治療のため、早々にチーム合流が遅れるとアナウンスされたこともあり、伊藤にとっては、まさに千載一遇のチャンス。プレシーズンの段階で強いインパクトを残せれば、場合によっては開幕スタメンも考えられる(だって風間さんだから)。小林、米本と競うよりは、ネットの役割を全力で奪い取りに行くのが吉。生で見るととにかくデカイ。彼に関しては、「ずっとチェックしていた。磐田で出番がなく、うちで育てます」とのこと。大森先生には、今から札束を振りかざす準備を進めてほしい。ちなみに正式にオファーしたのは、昨年末のブラジル遠征前だそうです。

ボランチには他にもアーリア、場合によっては和泉の起用も考えられる。2or3の枠に、5or6名が競い合う格好。あと、忘れるなかれ渡邉柊斗。しっかり歩いていて一安心。

サイドアタッカー

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はっきり言う。人材過多である。まず新加入のマテウス。大森先生曰く「日本に来てからのプレーはずっとチェックしている」。評判を聞く限りまだまだ粗はありそうだが、ボールを持った時のスキルは一級品。彼もシャビエルや前田同様、右サイドが好みだそうだが、左サイドでも縦に1on1で仕掛けられるのがポイント。またクロス精度も抜群。ある意味で、シャビエル以上に化ける可能性がある素材だ。ちなみに日本語のレベルは「ニジュッパーセント」。

そして前田直輝。昨季キャリアハイ7得点を叩き出し、オフは金井家にお邪魔して英気を養い準備万端。他にも、左サイドならサイドバックウイングバックもヒャクパーセント対応可能な秋山陽介、右サイドにはアカデミー育ちの成瀬竣平。そして先日左膝半血板損傷として、全治約6ヶ月の診断が下された青木亮太も夏には帰ってくる。

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また昨季、特別指定ながら出場9戦負けなしのジンクスで、残留争いに貢献した早稲田大学の韋駄天、相馬勇紀が晴れて正式加入。今年の目標は「10ゴール10アシスト」。スピーチも優等生で言うことなし。彼を見ていると、なんだか自分の人生を恥じてしまうのは何故なんだ。

フォワード

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向かって一番右で微笑む赤﨑秀平が加入。風間監督の筑波大時代の教え子。プロになってからも、必ず川崎との対戦時は風間監督に挨拶をしていた風間チルドレン。どうやら名古屋は毎年オファーしていたらしく、数年越しに実った恋。絶対的エースのジョー不在時にはストライカー不足が顕著で、「補強ポイント」と大森先生が明言し、結果連れてきたのがこの赤﨑。ただしツートップの場合、現状はジョーとシャビエルが十中八九スタメンと予想する。他に今年二年目になる未完の大器、大垣勇樹。「頭の整理が必要」と大森先生に評された後、「ドリブルに注目してください」と、間髪入れず頭が整理されていないことを露呈した東海学園大卒、ドリブルモンスター榎本大輝が続く。

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そして一年振りに帰還した杉森考起。相変わらず朴訥とした答え方で、司会のヨーヨーヨースケに「変わってないね」と鋭く指摘された永遠の21歳。町田では「チームのために走ることを覚えた」。フォワードで起用されるのか、はたまた一年振り何度目かのウイングバック起用となるかは不明だが、間違いなく今年も風間監督に愛の鞭を打たれ続けるでしょう。頑張れ、考起。

そして今年のラインナップに名前のなかった深堀隼平。「本人の強い意志で」、現在他クラブとレンタル交渉中とのこと。クラブとしては彼の意志を尊重し、背中を押してあげたいとのことで、大森先生の眼差しはなんとも親のそれでした。

 〇特別枠

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サイドバック、左ストッパー、左ウイングバック、はたまたボランチインサイドハーフ、ときにサイドアタッカー。今年も和泉竜司のポジションが全く読めません。左サイドバックには吉田豊が加入。中央は千葉が加入し、3バックの左ストッパーには丸山をスライドすることも出来るため、そろそろ最終ラインは卒業してほしいところ。ではオフェンシブなポジションはどうかと言えばそこは激戦。勿論ボランチも質・枚数ともに実力者が揃ったことから、風間監督が今年、彼に何を求めるのか非常に興味深い。

以上、計31名の大所帯。そして今年のチームキャプテンはこの男。

加入して半年。ただだれも異論はないだろう。新体制発表会当日、風間監督から打診し、了承。小林裕紀よ、マルを支えてあげてください。

~総括~

風間八宏が指揮するチームは、補強する選手に往々にしてこんな言葉がつきまとう。

「風間さんっぽい」「多分風間さんの好み」「彼では風間さんにハマらない」

果たしてそうだろうか。補強した選手を見ると、中堅どころも、新卒も、皆共通して言えるのは「教えられない武器を持っている」ということだ。吉田にしても、米本にしても、圧倒的なボールを狩る能力がある。また、攻撃陣に目を向ければ、榎本にしろ、相馬にしろ、マテウスにしろ、誰にも止められないドリブル、スピードがある。彼らは世間がイメージする「風間らしさ」には当てはまらない。

おそらく、獲得の際に最も重視しているのは、この「教えられない武器が備わっているかどうか」である。逆に言えば、それ以外の部分、例えば「止める蹴る」「外す」は、それなりのスキルさえあれば、あとは教え込むことが出来ると踏んでいる可能性が高い。勿論、その止める蹴る外すの技術レベルが高い選手も好まれて当然だろう。

特徴的だったのは、「個」に秀でたタイプの選手でいえば、後方の選手は総じて「個人の守備範囲が広く、そして速い」こと。前方の選手は「1on1で抜ききる技術、スピードを備えている」ことである。また純粋にチームのプレーモデルに合致する選手、具体的に言えば止める蹴るの技術レベルが高く、ビルドアップ能力に秀でた千葉和彦や渡邉柊斗のような選手も獲得の対象だ。ストライカーでいえば、赤﨑もプレーモデルに合致したタイプと言えるだろう。

懸念があるとすれば、結果的に「司令塔タイプ」の補強がなかったこと。田口泰士がチームを去って以降、彼のようなコンダクターは現状見当たらない。伊藤洋輝という隠し玉こそあれ、実際は蓋を開けてみないと全く見当はつかない。この点が、前半戦を戦った後課題に挙がるようであれば、夏の時点で何かしら検討が必要となるだろう。

年末は、ほとんど大森強化部長と話をしていたという風間監督。今年はさらにもう一段、「質」を望むと意気込む。「全部を変える、全てリセットする」とまで言い切り、明確に「ACLを目指す」と珍しく口にした指揮官。

降格し、とにかく野心のある選手をかき集めた一年目。プレーオフ出場の影響で、J1にも関わらず満足な補強が出来なかった二年目。そして三年目、やっとJ1のチームらしい、見事な「補強」が完了した。

遂に上を目指す時が来た。飛躍の三年目が、本日よりスタートする。

そうだ、今年のサプライズ。確かに今年も、サプライズ感満載でした。

小西社長が、いなかった。

「名古屋から」世界へ

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加入が決まってからの約二年間、願い続けてきた想いが結実した日だった。

チームのJ1残留が決まり、今オフの一番の関心ごとといえば、シャビエルの完全移籍、そして宮原和也の完全移籍についてである。特に宮原の場合、広島で生まれ、育った選手であり、広島側としても「武者修行」として名古屋に送り出したのは間違いない。言葉は悪いが、片道切符ありきのもの、金銭ありきのものではなかったはずである。

思い返せば、二年前、彼の加入が正式に決まった際、私は友人とこんなことを話していた。

「宮原の加入が特に大きい」

「これで、少なくとも三ポジションはカバーできる可能性が高い」

実際に風間体制がスタートし、開幕まで、宮原はとにかくあらゆるポジションで試された。最初はボランチ、開幕直前には右サイドバック、そして最終的に開幕戦では右ストッパーで起用された。特筆すべきは、ポジションを転々としていた理由が、決して彼自身の適性を見極めるためにあったわけではないということ。調子の上がってきた選手を組み込むために、都度システムは変わり、その度に、宮原がチームにとって痒い部分をくまなくカバーした。言い換えれば、風間監督の彼に対する信頼は、出会ってから数ヶ月で既に絶大だった。

そんな彼も、一度だけ、そうたった一度だけ、スタメン落ちの危機があった。

宮原の欠点を指摘した風間八宏。それに正面から向き合った宮原和也

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 詳細はこのときのブログを読んでいただきたい。徳島戦、宮原の出来に不満だった風間監督は、前半途中の段階で早々に見切りをつけるような動きをとった(ダゾーンのカメラが、そのときの様子を見事に抜いていた)。彼のワンプレーを確認した瞬間、何かを決意したように足早にベンチに戻ってきた風間監督は、森コーチと戦術ボード片手にあーでもない、こーでもないと話をした。案の定、この試合の後半に彼の姿はなかった。この試合の数日後、風間監督にしては珍しく、マスコミの前で特定の選手について沢山の本音を語った。それは紛れもなく、宮原和也への期待の表れだった。

シーズン終了後、宮原自身も雑誌「グラン」のインタビューにおいて、シーズンの最も印象深い試合として、この試合を挙げていたのは記憶に新しい。

彼が他の選手に比べてとかく優秀だったのは、何故この試合、前半で退くことになったのか。その原因をしっかり理解できていたこと。また、そこを進化、改善させていくためのアプローチを真っ先にとったことである。一度こういった交代劇をすると、往々にしてその後の数試合はベンチ外が続くのは、もはやサポーターにとって「風間監督あるある」である。ただ唯一、宮原だけは、次の試合からも当たり前のようにスタメンで出場し続けた。

「どこでも出来る選手」は「彼にしか出来ないポジション」を確立した

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名古屋にとって、もはや欠かせない選手となった宮原は、今シーズンも広島からのレンタル延長を決意。そして、J1の舞台で躍動した。

シーズンを通して、宮原のサイドを狙われたり、破られたシーンは、ほぼほぼ記憶にない。まさに鉄壁。圧倒的な対人能力、守備センス、憎たらしいほどの駆け引き。守備において、彼に注文をつけることはほぼないと言ってもいいだろう。

攻撃に関しても、大きな転機があった。横浜Fマリノスから加入した、金井貢史の存在がそれである。圧倒的な得点能力を持つ異色のサイドバックの存在が、宮原に唯一といっていいほど足りなかった「攻撃への意欲」を呼び覚ました。また、それは風間監督がサイドバックに求める重要な要素でもあった。練習後は、この金井や、同じく夏から加入した前田直輝と体のキレを磨く作業に没頭した。見た目の華やかさに反して、彼はとにかくストイックだった。

「守備のスペシャリスト」だった宮原は、名古屋での一年目「ビルドアップの技術」を学んだ。ボールをあえて晒すことで、対面の相手を意図して喰いつかせ剥がす技術は、もはや宮原ならではの専売特許。ボールを奪われるシーンはほぼ皆無で、ビルドアップの安定感も、いまやチームでピカ一と言ってもいい。そんな彼に、「相手のファイナルサードに侵入する」という武器まで、後半戦では加わりつつあった。ドリブルで仕掛ける、相手の最終ライン裏を狙って駆け上がる...。それを可能にする勇気と、圧倒的な走力が備わりつつあった。それは間違いなく、本人の弛まぬ努力と、風間八宏の指導が化学反応を起こした賜物だった。

順調な道を歩んでいた宮原にとって大きな誤算だったのは、10月7日、FC東京戦で負った右太もも裏の肉離れだ。結果だけ見れば、彼の今シーズンは、この日の前半13分をもって幕を閉じた。契約の関係上、出場出来なかった広島戦を除けば、開幕からこの試合までリーグ戦では26試合連続先発出場。J2時代から数えても、風間体制下においてここまでコンスタントに出場を続ける選手は、宮原ただ一人。名古屋グランパス、そして風間八宏のチームにとって、最もなくてはならない存在は、間違いなく宮原和也だった。

そして、このアクシデントで最も痛手を負ったのが、他でもないグランパスである。彼の代わりに、例えば和泉や櫛引が右サイドバックに入ることもあったが、結局、最後まで彼の穴を埋めることはできなかった。唯一可能だったのは、彼が不動の地位を築いていた右サイドバックのポジションを、「チームから消してしまう」こと。その結果が、最終節までもつれた残留争いの理由の一つだったとしても、決して言い過ぎではないだろう。

このチームに加入した当初、どこのポジションでもそつなく務め上げるのが特徴だった男は、たった二年の間に、「彼にしか務められないポジション」を、このチームに作り上げていた。これが何より、彼がこの二年間で、グランパスというチームに刻んだ大きな爪痕だ。どこでも出来るのが売りだった選手が、いつしか彼にしか出来ないポジションを確立していたのだ。

二年の月日を経て「名古屋グランパス宮原和也」へ

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結果的に、彼が今オフ、グランパスに残留出来るかどうかは、ある意味で最大の焦点であり、来季のチームを占う重要なものとなった。名古屋陣営としては、既にシーズン中から大森強化部長が彼を残したいとコメントしており、おそらくそのために必要な移籍金は払うつもりなのだろうと予想させた。となると、必要なのは、「宮原が名古屋に残る意志があるかどうか」。問題はそれだけ、ただし、その問題が一番の難関だった。

名古屋側からすれば、例えば菅原由勢が、レンタル先からそのまま帰ってこないようなものである。広島という街で生まれ、育ち、サッカー選手としてずっとサンフレッチェ広島とともに歩んできた選手であり、そこへの愛着が人一倍強いことは容易に想像できる。これは個人的な意見だが、特に広島の選手はその傾向が強いように思う。広島という街は、歴史と、美しさが共存した稀有な街だ。その場所が、一つの国のような存在に思える場所。あの街の代表として、サンフレッチェのユニフォームに袖を通すことは、彼らにとって、それはとても大きな意味を持っているような気がしてならない。そう、おそらく「広島愛」は間違いなく存在するのだと思う。それは佐藤寿人を見ても、例えば引退した黒田博樹を見ても思うことで、それが地元出身者ともなれば、尚更にその愛は強いものに違いない。

必要な資金を名古屋なら用意するだろう。ただそれは、この移籍を成立させる上で最低条件に過ぎない。なにより必要な要素は、「一人の人生を、一人の人間の心を動かせるかどうか」そこに尽きると言っていい。当たり前だが、人の心はお金では買えないのだ。だからこそ、「今オフ最大の補強、最大の難関」だった。

さて、彼は結果として、そんな街に別れを告げ、今回、遂に名古屋グランパスの一員となることを選択した。それは、広島と決別したのではなく、広島から生まれた一人のサッカー選手として、その代表として、「名古屋から」世界を目指そうと、そんな決意のように感じるのだ。

彼がどれほどの想いと決意、覚悟を持って名古屋を選んだのか。私たちに必要なことは、それを噛み締めて、今後、「名古屋の宮原和也」として、精一杯背中を押してあげることではないだろうか。

次は、「名古屋から世界へ」。これが私たちと、宮原和也の新たな目標となる。


2018年8月15日名古屋グランパス宮原和也チャント

 

 

 

【実録】シーズンチケットホルダーへの道

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「これから俺の誕生日は、家族みんなでサッカー観戦をしよう!」

そんな提案を爽やかにし、一人で行けと速攻で断られました。

男性であれ女性であれ、趣味の異なる(理解できない)相手と一緒になると、苦労は多い。例えば、「なぜそれを買う必要があるのか。なんのために必要なのか」。おいおい理由を求めなさんな。好きは国境を越えますよ。そもそも俺たちだってお互い好きで結婚した仲じゃないかと、なんでも好きで丸め込みたいが、なんとも嫁のハードルがべらぼーに高い。グランパスが「うちの嫁社長」だったら、風間監督は中断期間前にはとっくにクビでした。

話を戻すと、特に「シーズンチケット」。これが今回のお題目。

あれは一回での購入額が高すぎる。指定席だと五万超えますよ。これを買うってんだから頭おかしいですね。ただ今回は、いゃ来年は、どうにもこれに挑戦したいのです(決意表明)。

なぜか。これから挙げていく理由を読めば、多分一人くらいは共感して、「俺も私もシーズンチケット買おう!」となるでしょう。公式ではマニュアルに書きたくても躊躇する内容を、無責任なサポが買い手側に立った目線で、血を通わせます。クラブから菓子折りの一つでもいただきたいです。

①今年、チケットがマジで取れなかった

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名古屋に関しては、記憶に新しいのは神戸戦。この画像を見てくださいよ。懐かしいやら、ゾッとするやらのこの画像を。超優先で開始時刻ぴったりに購入を試みたものの、全く、全く繋がらない。超優先のはずが超遅いオワタ。やっと繋がったのは、開始から30分後。ページを開いて驚いた。もうどの席も「×」ばかり。えー!超遅くて超早いの何これ。画像は、超優先販売(会費3万のプラチナと、1万のゴールドのみ対象)の初日の状況。正直申し上げて、もはや超優先、機能してないと思うのだ。だって、超優先の中で熾烈な椅子取り合戦状態なので。超優先的に戦える権利ですな(ハッハッハ)。結局、希望の座種は諦め、友人との連番にも失敗。友人にはアウェー寄りの席を譲り、頑張った私が中央寄りの超優先的ジャッジは個人的に駆使したものの、当日は一人で寂しかった。

あとは最終節の湘南戦。これも超優先の初日が試合日とかぶって、豊田市で必死にやった。またも連番失敗。結果、当日は隣の見知らぬお兄さんに、フロンターレvsジュビロのスコアを確認しながら、得意顔で「フロンターレ勝ってる!!!!」なんて周りに大声を出したりして、喜びを共有したいちっぽけな自分。大事な、人気カードになると隣から消える私の友人。ガールズフェスタのF東戦も、売れ行きは凄かった。とにかく、今年はチケットが手に入らない年だった。私がみる限り、いつもわーきゃーやってたのは、チケットを射「止めれない」名古屋と川崎です←

②来年、絶対優勝争いだろという圧倒的な勘

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私は、今年最後の広島戦、そして湘南戦を、勝手にこう位置づけていた。「グランパスの今後10年がかかった試合」と。嫁の不在を狙って、広島まで駆けつけましたよ。黙って行って、無意識にもみじ饅頭をお土産にしたタイミングで懺悔したよね(宮島の二文字を誤魔化す術を教えてください)。それはさておき、私たち、今後10年かかった試合に勝ちました。そしてもう一つの決戦、湘南戦を終え、小西社長もこうコメントしたのです(このブロガーもまんざらじゃねーなと感じてもらうタイミングです)。

10年後のグランパスがどうありたいかを目指して、来年はその(J1)二年目というご認識でいていただければと思います

風間体制で初年度にJ1昇格。二年目で劇的な残留。では三年目は。そりゃ優勝争いだろと、私は思う。この二年間で、少なくともJ1で戦えるベースは作ってきた。となると、三年目は更に上、要は優勝を目指せるチーム作りをしましょうとなるわけで、当然このチームはその投資もしっかり出来るチーム。風間監督に求めるハードルも、ぐっと上げるべきだと考える。今年みたく何連敗もしてたら、そりゃもううちの嫁呼びますよ。とにもかくにもこのチームは、三年目からが、本当の勝負。私はずっとそう考えてきた。だからこそ、今年の状況も耐えることが出来たし、「残留」という結果は、最低限ながらも最高の結果だと思う。これで三年目、遂に勝負ができる。そんな気持ち。

では、三年目、仮に上位争いをするチームになったら、果たしてチケットの売れ行きはどうなるか。今年は残留争いにも関わらず、年間平均入場者数の更新と、年間動員数40万人を突破したチーム。新しい戦力も加わるでしょう。しかも「優勝を目指した戦力」が。もう考えるまでもないですね、声高らかにいきます。

「絶対、今年以上にチケット争奪戦になる」。

③リセール、譲渡サービスの開始(2019.8月〜)

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 これは大きいですね。私個人のことを言えば、諸事情で実際のところ、来年何試合参戦出来るか分からないのが本音。ただリセールが可能となると、例えば人気カードが割り当てられるだろう豊スタのチケットは、それなりの確率でリセールが成立する可能性は高い。最悪売れなかったとしても、このシステムの有無が与える精神的余裕は無視できない。

そして、「譲渡」。これもおそらくチーム愛が強い人ほど意味のあるシステムで。仮に急遽参戦できなくなった時に、チケットを無駄にしたくないのですよ。不思議なもので、自分のせいで一席無駄にした罪悪感ってわりとある。言い換えると、スタジアムが埋まって欲しい。どうせゴミ箱行きなら、スタジアムに行きたい、行ってくれる人に譲りたい。なので、このシステムは損得ではなく、チーム愛を満たす役割として良いと思うのだ。

④純粋な所有欲

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これはともするとマヌケな理由に見えるけれど、要はクラブへの忠誠度が上がってる証拠。前述した理由とだぶるのだけれど、今のグランパスは、もう簡単に観に行こうといって良席が確保できるチームではなくなってきている。それだけ、スタジアムにおける現地観戦の満足度が高いチームに変貌してきている証。ピッチ(現場)と、運営(フロント)が噛み合っているチーム、もっといえば、それぞれが「サポーターのために」、この想いのもと同じ方向を向いているチームは、スタジアムで生み出すパワーが凄い。スタジアムの熱量が高い。それはスタジアムの中にも、外にもいえる。その日、その場所に行くことに価値がある。あの空間をともにしたい、そんな気持ちにさせる。

そうすると、とても不思議なのだけれど、このチームの試合に、自分の席が必ず存在する事実に、物凄く価値を感じる。要はその一席のオーナーになりたい感覚とでもいえばよいか。その席を埋める(運用する)一人として、クラブの一員になっていたい。もちろん誤解してほしくないのは、決してクラブ愛の形は席を所有することだけではない。そこは念のため。あくまでも、一つの考え方。

これまでも当然シーズンチケットは存在してきたし、ずっと保有されているサポーターの方からすれば、鼻で笑ってしまう内容だ。「何をいまさら小童が」と。分かってますとも。ただやはり個人個人事情は必ずあって、私の場合は、やはり「一括購入」の勇気や、リスクがなかなか背負えなかったというのが本音。よくシーズンチケットを購入するメリットとして、「シーズンチケットの売り上げがクラブの運営に直結するから」と、クラブ目線に立って語られることがある。要はそれこそがクラブ愛ではないかと。ただ個人的には、その理由では人の心は簡単に動かないと思う。「スタジアム一席のオーナーになるメリット」。結局のところ、現場に魅力がないと、人の心は動かないのではないか。ディズニーランドのために、年間パス買う人が何人いますか?いゃいゃ、ディズニーランドに行きたいから年間パス買うんでしょうと。そう思うのだ。

なんにせよ、今のグランパスは、そんな勇気だリスクだを凌駕する力がある。嫁、勝負せーやと。人(夫)をトチ狂わせる力があるのだ。そうそう、フロンターレに至っては、今やシーズンチケットが抽選だそうですよ。グランパスもそうなる前に。大袈裟ながらも、そんな気持ちも正直ある←

全ては整った。待たせたな、嫁よ

さて、決心がついたので最大の敵、湘南いや嫁と対峙する時が来た。私が交渉のポイントとして力説したのは、もちろん上記の理由。あとは今年、毎度単発で購入し続けた、トータルの金額(計算したところ、ホームだけで、ざっと六万程度は使っていた)。そんな金額をそのまま伝えると、主旨以前の問題で速攻息の根を止められるので、「実際、シーチケは4~6試合は無料になる割引価格だし、計算したらやっぱりこっちの方は安いんだ」と、アンニュイに伝えるのがポイントです。優しく、丁寧に、下手(したて)に。リセールは、来年からスタートすることをスクショで強調。

それに対しての嫁、「お願いばっかじゃん。好きにすれば。どうせ何言ったって行くくせに」。嫁は畳みかける。「お金は全額、お小遣いから返済するんですよね?」。予想通りのゲーゲンプレッシング。インテンシティも申し分ない。

貯金を切り崩すなんて選択肢はかき消されつつも、なんだかんだ諦めている嫁に申し訳ない気持ちと、長年に及ぶ自己中さで諦めさせた自分を褒めてやりたい気持ちと。計算機でざっとシーズンチケット代を12ヶ月で割り、「毎月〇〇〇〇円、お支払いいたします。貯めて、バッグでも買ってください」と、意味不明な家族サービス感で対抗。「二人とも好き勝手使ってたら、貯まるものも貯まらんわ」と、ぐうの音も出ない一言を浴びせる嫁。「それじゃ割に合わなくない?」と、最後の良心が私の口を動かすものの、「割に合わないのは今に始まったことではない」と返す嫁。我が嫁ながらお見事としか言いようがない、よ!名キャッチャー!

なんだかんだと購入の許可をだした嫁は、ある意味ものすごく理解があるし、それが理解ではなく離婚への序章だったとしたら、誰か僕を殴ってください。

ありがとう嫁。クリスマス、バッグでも買いに行こう。完。

【番外編】シーズンチケットの「指定席」選びがむずい

これは余談ですが、私は「スタジアム別席種」のシーズンチケットを選択。

ただし、スタジアムごとで席グレードを変えようと思うと、この選択が意外に難しい。例えば瑞穂の「A指定」はメインの隅っこ。では「S指定」にと思うと、昨年でいえば、開催10試合中3試合がルヴァン。ルヴァンでS指定か...。今年でいえば、無料チケット(スタンプラリー)で観れたわけで。しかも平日開催で、実際のところ観に行けるかもわからない。ただS指定は中央から俯瞰で観れ、尚且つ席が独立している(このポイントが高い)。これは豊スタにもいえるのだけれど、例えば急遽子供が一緒に行くことになった際、膝の上にのせるにしても、席は独立していた方がありがたい。瑞穂のA指定はベンチタイプなので、満席だと、とにかく両隣が狭いのだ。このあたりのジャッジで、意外と悩むことが判明。特に瑞穂は、例えば屋根の有無もそうだし、検討材料が結構ある印象。価値観一つなんですが、今後の「キープマイシート」を考慮しても、出来るだけ納得して選びたいものです。席を争うライバルは、一人残らず蹴落としたいところだが、せっかくなので参考にしてくれ。申し込んでからも、あーすれば良かった、こうした方が良かったかと悩むのは仕様なので問題ないぞ。終わり。

 

私達が、過去と決別する日

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最終節の残留がかかる試合で、相手は湘南。場所は瑞穂。

ドラマでも敬遠するような出来過ぎた展開が、今私達に起きている。

二年前の2016年11月3日、私達はこの瑞穂で、湘南を相手に敗北し、降格した。スタジアムにいるサポーターたちが悲しみに暮れる中、ピッチでは当時の指揮官、ボスコがサポーターに熱く語りかけていた。

これは私個人の意見だけれど、火中の栗を拾う形で名古屋に帰ってきてくれたボスコへの感謝こそあれど、「来年もこのチームで」、その気持ちにはどうしてもなれなかったことを覚えている。それはもちろん、目の前にいる選手達に愛想を尽かしていたわけではない。ただどうしても、当時のチームから感じる閉塞感みたいなものが、私の気持ちをどんよりさせた。あの日90分を通して、希望というか、光みたいなものは感じなかった。ゴール裏で見ていた私は、ただ茫然と、ピッチを見つめることしか出来なかった。

その後、私達の選手の多くはチームを去っていった。もしかしたら、チームが降格した以上の悲しみがあったのは、あの時期だっただろうか。毎朝、目が覚める度に飛び込んでくる移籍話は、まさにチームが解体されていく姿そのものだった。

それでもサポーターは、そんな悲しみと正面から向き合い、前を向くことを決意した。そしてそれに応えるように、チームは大きく生まれ変わった。

思い出してもこの二年、様々な苦難があった。

想像以上に厳しい戦いが続いたJ2での日々。おそらく誰もが忘れることのない、プレーオフ決勝。今年、サポーターが一つになった試合として、鹿島戦がクローズアップされたりもしたけれど、あの日のプレーオフ決勝の豊田スタジアムの光景、そして雰囲気を私達は忘れることはないだろう。スタンド中からピッチに声援が飛び、誰もが名古屋の昇格を願ったあの日。

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念願のJ1の舞台。そして悪夢の15戦勝ちなし。そこから怒濤の7連勝。J1でも、このチームはジェットコースターのような日々を送ってきた。特に前半戦の連戦は、正直に言ってあまり記憶がない。休みなく続く試合、勝てない日々。今の状況では勝利は遠い、そう自覚するほど、待ってくれない試合がなんだか消化試合のようで、ある意味で負け慣れてしまっている自分がいたのかもしれない。辛抱の時期。中断期間までそう覚悟は出来たものの、改めて振り返っても、その時期にいい思い出は何一つなかったような気もする。

一年中、風間監督への批判、もっといえば解任論みたいなものも、尽きることはなかった。争う必要のないサポーター同士が、どこにも吐き出せないこの暗闇の痛みや、苦しみを、お互いにぶつけてしまうこともあった。その行為に意味はなくとも、そうすることでしか、あのときの感情はコントロール出来なかったのだと思う。形こそ違えど、皆、このチームのことで必至だった。

そうやって、この一年も、おそらくどこのチームも味わっていないようなどん底の状況を私達は見てきたし、チームと同じように苦しんできて、今がある。

そんなシーズンも、気づけば最終節を残すのみ。そして今、私達は16位。J1参入プレーオフ出場の位置にいる。

まさに決戦前夜。

べたにかつ丼を食らうもの。お酒を飲んでいい気分になっているもの。願掛けに行くもの。決意を新たにするもの。なんだかそわそわするもの。

皆、思い思いにこの決戦前夜を過ごしている。

名古屋公式は、最後の最後でこの男のインタビューを敢行した。

このタイミングで小林裕紀という人物にこだわった公式、そしておそらく嫌々ながらも、カメラの前で話すことを決意した小林にも、なんだか胸が熱くなった。

そんな小林は、広島戦の後、珍しくこんなコメントを残している。普段は本当に口を開かない男だけれど、誰よりも責任感が強く、そして、私たちと想いは一つだった。

このクラブは二度とJ2で戦ってはいけないと思っているので。そこの責任感は一年を通して自分なりに考えてやってきました

風間監督が、どれだけ「特別ではない」「試合に大きいも小さいもない」と言おうが、私達にとって、この最終節はやはり特別な試合だった。この決戦を控えるサポーターの様子、そして実際にプレーする選手の言葉に耳を傾ければ、それはもう明らかだった。どれだけ過去のことだと切り離しても、この状況で湘南と瑞穂で対峙するのは、あまりに出来すぎた話なのだと思う。あの日を思い出さないなんて、言えるはずかない。

ただ一つだけ、降格した時とは違う感覚がある。

それは、こんな状況でも、どこか希望みたいなものを感じられることだ。明日負けたら、また降格の現実が私達に近づいてくるだろう。その恐怖がないとは言えない。ただ、不思議とそれ以上に、明日の決戦を待ち望んでいる自分達がいる気もするのだ。

それは、この二年間でこのチームが私達に与えてくれたものであり、この二年間で私達とチームが築いてきた信頼でもある。このチームともっと前に進みたい、未来に向かいたい。とてもクサい表現だけど、心からそう思うのだ。

残留争い真っ只中の状況でこんなことを言うのもなんだかおかしいけれど、あの状況から、二年でよくここまで来たのだと思う。確かに置かれたシチュエーションは笑ってしまうくらい変化がないけれど、決戦を控える私達の気持ちは、あのときとは全く違うのだから。

皆口には出さないけれど、きっと決戦を控えた夜に改めて感じていると思う。「このチームが心から好きだ」と。私達は選手でも何でもない。サポーター以上でも、以下でもない。ただこれだけそわそわして、かつ丼食べて、願掛けして、お酒で誤魔化して、抑えきれない感情をSNSで吐き出して。日々の暮らしの中で、これだけの「好き」を表現出来る存在は、きっとこれしかない。また、その「好き」が人と人を繋げるのだから、本当に信じられないような存在だと思う。

誰もが他人事ではなく、自分事だ。そしてそれを同じ瞬間に共に共有することが出来る。その力の大きさ、凄さを、あろうことか残留のかかった大切な試合の前日に感じるのだから、不思議である。私達の人生にはそれがある、グランパスが私達を繋げているのだと思うと、なんだか嬉しくなるのだ。

さて、今更ながらこのブログはまさに決戦前夜に書いている。

勝ってから想いを綴るより、今この瞬間の気持ちこそが、このチームへの想いの全てである気がして、フライングながら書いてしまった。負けたらきっとこの文章はゴミ箱行きだし、負けた瞬間、更新ボタンは解除するだろう(チキンだから)。

結果更新されたとしても、よっぽど恥ずかしい文章を書いている気もするが、いいのだこれで。

きっと来年は、もっと楽しくなる。愚直なまでに一歩ずつ進んできたチームである。どれだけ批判されようとも、馬鹿にされようとも、ブレずに、一つずつ積み重ねてきたチーム。だからこそ多くの別れもあった。そして多くの出会いがあった。一年目で昇格、二年目で残留。では三年目は。そう考えるだけで、来シーズンが待ち遠しいではないか。

明日の瑞穂は、二年前のあの日とは、きっと違うはず。私達には希望がある。

私達は2018年12月1日、過去と決別し、未来に進む。

 

 

小さな我が子にJリーグはどう映っただろうか

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子どもとサッカーを観に行くのは、もっと先になると思っていた。

理由?こんなことを書くと怒られそうだが、子供を連れていけば、きっと純粋にサッカー観戦を楽しむことは難しいと思えたから。試合中にトイレに行きたいと言われたらどうだろう。90分間じっとしていてくれる保証なんて勿論ない。試合前にしても、例えばビールを飲んだり、スタグルを楽しむ余裕なんて奪われてしまう気がした。情けないが、一言でいえば私自身が楽しめなくなるなら連れていきたくないと、きっと心のどこかで考えていたのだと思う。改めて書いてみると、なんて無責任な父親なんだとちょっとひいているが、そこは自覚しているのでどうか突っ込まないでいただきたい。

また、私の妻はサッカーが好きではない。回りくどいので言い方を改める。私の妻はサッカーが嫌いだ(この流れで理由など語るまい)。それが何を意味するかといえば、「子どもを連れていく=私一人で連れていく」ということ。はっきり言って荷が重い。子どもが小学生くらいになって、自分でトイレに行けて、なんとなくルールが分かって。それからでもいいのではないか。そう決めていた。

ただ人生の予定など本当にアテにならない。

10月7日。名古屋グランパス豊田スタジアムFC東京との試合を控えていた。事前にチケットを購入したものの、諸事情で観戦を諦めていた試合だ。その後予定が変わり、子どもを連れていけば急遽参戦できることが分かった私は、悩みに悩んだ末、思い切って子供と観戦することを決めた(観たいという動機に勝るものは私の人生になかった)。

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試合当日。前日から支度を完璧に済ませ私は、いつも一緒に観戦する友人と、そして遂に我が子と3人で豊田スタジアムを訪れた。

スタジアムに着くやいなや洗礼が待ち受けていた。急に子どもが鼻血をだすアクシデント。高い気温のせいだろうか。よりにもよって最も懸念し、恐れていた流れである。豊田スタジアムの外には芝生のエリアがいくつかあり(これが助かった)、多くの人たちがピクニックさながらのんびり座ったり寝転がっている。たまたまその近くだったこともあり、急いでそこに子どもを寝かせ、止血をする。頭の中はずっと「N(何故)S(そこで)H(鼻血)」が駆け巡る。そういえば鼻血を出す直前、子どもが自慢げに私に見せてきた指についたあの物体はなんだったんだろう。あの粘り気のありそうな淀んだ色のあれはなんだ。ハ!!気温じゃない。ほじったのか。コイツここぞとばかりに鼻をほじって鼻血を出したのではないか...

そうこうするうちに鼻血は止まり、スタジアムの中からは選手が登場した歓声が聞こえてきた。スタグル堪能、嫁の呪いか予定通り大失敗(失言)。

子どもでも理解できた三つのこと

スタジアムに入ってまずトイレを済まそうと考えた。ここで行かなければ、試合中に「トイレ!!」と掛け声が入るのは間違いなく、まさにラストチャンスである。

それにしても豊田スタジアム、トイレが綺麗で良かった(歓喜)。全くストレスがない。トイレに安心して駆け込める。小さな子供を持つ親にとって、それがどれだけ重要なことか伝わるだろうか。パンツを下して、身体を拭く。要は大人はその場に屈まなければならない。当然その行為をしている最中の子どもの動きなど予測不可能だ。

そんなときにもしトイレが汚かったら?和式しか選択肢がなかったら?きっと大人たちは、そもそもその場所に行くことすら選ばないかもしれない。それは新たな新規顧客(子どもという名の)だけでなく、既存顧客の足すら遠のける決定的な要因となり得る。スタジアム問題が一筋縄でいかないことは重々承知の上で、やはりこの要素は見逃せないものだと改めて痛感した出来事だった。

さて、遂にピッチを見下ろせる観客席に到着した。ここからが本題である(前フリが長いのは仕様)。この日はバックスタンド二階、ホーム寄りの席だった。

何故本題がここからなのか。ここまで書いておいて今更感しかないが、私はこのブログで決して我が子との観戦記を残したかったわけではない。伝えたかったのはここからだ。

私はこの日、サッカーのルールなど分かるはずもなく、せいぜいボールを蹴っていることくらいしか理解できない子どもでも、スタジアムで認識できることが「三つ」あると気がついた。

ゴール裏から響くサポーターによるチャント

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「目を輝かせる」とは、あの日初めて「ゴール裏」という存在を見た瞬間の我が子の表情のことを言うのだろう。じっと、ゴール裏から聞こえる凄まじい音圧の声とともに、その声の主たちを見つめる我が子のその目は、誇張するでもなくまさにキラキラ輝いているように見えた。あれはそう、初めてアンパンマンミュージアムに足を踏み入れた時のそれに近い。身動きもせず、食い入るように見つめるその姿。初めて見るものに対する好奇心と興奮。さすがDA PUMPと荻野目ちゃんにハマっていた我が子である。歌、そう、子どもは歌が大好きだ。

よく日本のサポーターは海外の、いわゆる本場のサポーターと比較される。何故、大の大人が揃いも揃って同じことをするのかと。自然発生するわけでもなく、皆が皆それぞれのリアクションをするでもない。意図的に声を合わせ、フリを揃える。それがときに窮屈で、いかにも日本人的なものだと揶揄されることもある。

ただおそらくバラバラの歓声を聞いても、私の子どもはここまで目を奪われることはなかったと思う。それがどれだけ大きな歓声でも、子どもの目を奪うことは出来なかっただろう。だから日本が優れていると言うつもりはない。ただ何もわからない子どもをワクワクさせる日本のゴール裏文化の凄さを、私は子どもから教えられた気がしたのだ。男性でも女性でも安心してそこに存在することが出来、歌を通して一つになれる。素敵な文化だと心から思えた。我が子よ、そんなこと言ってるパパはゴール裏に生息しないシャイな指定席住人だが許してほしい。あのゴール裏が生み出すパワーに全く貢献していないパパだけど、あれはパパの誇りなのだ。

可愛すぎるマスコット

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チャントに目を奪われていた娘が急にピッチに大声を出し始めたのは、選手入場の直前。グランパスくんファミリーのグララが登場したからだ。

「グラのパコちゃーん」

耳を疑う父。何故グララはグラのパコちゃんと化したのか。少し考えたらすぐに答えは導き出された。我が子はグランパスくんのことを「グラ」と呼んでいる。生まれてすぐにおやすみグランパスくんを買い与えてからというもの、我が子にとってグランパスくんはグラとなった(呼びやすいから)。脱線するが、早めに買い与えて洗脳しておくのは有効、お勧め。

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 そして冒頭の写真である。これは嫁に相談もせず、「子供へのお土産」という大義名分で買ったグランパコちゃんだ。なるほど。我が子の中で、グラの女の子versionは「グラのパコ」なのか(言い易いからパコと呼ばせていた)。赤けりゃ女の子でみんなグラのパコさん認定。

それにしてもマスコットの力は偉大だ。いや、グランパスファミリーの可愛さこそ偉大。華麗な舞を魅せるグラのパコちゃんにすっかり我が子は夢中である。「グラのパコちゃんに会いたかったの」。おぉ...そんな小さな身体で、実は今日叶えたいことがあったのか(父、涙)。やはり日本のマスコット文化は素晴らしい。大人も子どもも同じように可愛いと共感できる存在、尊い以外に適切な言葉が見当たらない。「グラのパコちゃん、知らない間に身体が真っ赤になったんだね」、パパはそんな大人気ないことは言わないよ。

試合中ずっと鳴りやまない野次

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ここからは試合中。「いい?赤を応援するんだよ?」との教えを聞かされた我が子。その純粋さも相まって、「あーか、がんばれ!あーか、がんばれ!」と、まるで幼稚園の運動会さながらの斬新な応援を大声で叫び続ける。想像以上に通るその声に困惑する父。しかしそこはさすがに子どもである。前半10分程度で明らかにピッチへの集中力は削がれていく。ここまでか。最後の武器、ユーチューブに頼るときがきたのではないか。いや、まだだ。ここは事前に購入しておいたコグミとリンゴジュース漬けにしておけばまだ勝機があるかもしれない。初めて購入したコグミのコスパに感動しつつ、まだなんとかなりそうだと思われた矢先、子どもが興味を持つ最後の出来事が起こった。

センスの悪い野次だ。

通称「ハズれ席」。私の界隈ではそう呼んでいる。何がハズれか。近くで試合中ずっとヤジを飛ばしている観客がいる場合、今日選んだ席はハズれだという意味である。

この日、私の席の後方では、試合中ずっと大声でピッチ上に叫び続ける男性が存在した。おそらく決して悪い人間ではない。グランパスのことも好きなのだろう。野次といっても、決してずっとそればかり言っているわけではない。

ただ試合中、サポーターの心の声代表と言わんばかりに実況を永遠続け、何か気に喰わないことが起きれば躊躇なく罵った声を上げるその男性に、自然と我が子の視線は注がれるようになった。私の膝の上で、どれだけ私が邪魔でも必死で振り返ってその男性がいるであろう方向を凝視する我が子。何の脚色でもなく、その目は試合前に初めてゴール裏のサポーターを見たときのそれとは明らかに異なるものだった。勿論我が子の目に、それがどう映っていたかなんて本当のところは分からない。ただ少なくとも、それが子どもにとって楽しいものだったかどうか、親の私にはわかった気がしたのだ。決して野次が全て悪いとは思わない。ただ周りが不快に思うような野次を気にも留めず永遠続けるのは少々趣味が悪い。そこのセンスは大事だ。ときにクスっと笑えるユーモアでもあればまた違うのかもしれない。まあそうは言っても、我が子も途中から父の影響で「黄色の(ゴールドユニの東京のこと)11番なんかしたの!?」と事あるごとに聞いてきたけれど(なんかしたんだよアイツは)。

 後日談だが、あれほどサッカーに行きたいと言ってくれていた我が子は、最近「またサッカー行きたい!?」と聞くと、「行かない。怖いの嫌い」と答えるようになった。その真意は分からない。ただパパは、何故娘が「怖い」という言葉を急に使うようになったのか、どうしても引っかかっているのだ。怖いという感情にとりわけ敏感な年頃である。なんだろう、はっきり言って寂しい(とりあえず豊スタの傾斜が怖かったんだと己に言い聞かせてる)。

Jリーグにしか作り出せない空間を

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もちろんスタジアムは子どものためだけのものではない。怖がるなら連れてくるな、もしかしたらそんなことを言う大人もいるかもしれない。それもスポーツ観戦の魅力で、お金を払っているプロの興行なのだから、野次の一つくらいで文句を言うな。そんな意見もあるだろう。

ただ今回改めて感じたのは、日本のスタジアムにはサッカーのことなど到底理解できない小さな子どもですら驚いたり、ワクワクしたり、楽しめる要素が間違いなく存在するということだ。よく日本を語る際に言われることだが、誰もが安心して訪れることができ、誰もが楽しめるスタジアムがここには存在する。これは紛れもなく、Jリーグが誇るべき文化だ。

歴史が浅いから、日本が本場ではないから、全てを海外が正しいとし、彼らのようになることこそが本当に正しいのか。私達の国には、私達の国でしか作ることのできない空間があるのではないか。全てが同じじゃなくたっていいじゃないか。JリーグにはJリーグだけしか持ち得ない魅力が必ずあるのだと、子どもが教えてくれた気がするのだ。

大人が子どもから学ぶことは沢山ある。子どもは美味しければ美味しいというし、不味ければ不味いと言ってくれる。大人にとって当たり前の景色が、子どもにとっては全てが新鮮で、発見なのだ。願わくば、子どもにサッカー観戦の魅力が少しでも伝わってくれていればいいな、パパはそう思っている(そしてママを取り込め我が子よ)。

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そうだ、試合後は大変だった。なぜならスタジアムから20分程度かかる最寄りの駅まで、ずっと抱っこを強要される鬼ロードになったのだから。疲れて歩けない、そりゃそうだ。よく二時間耐え忍んだ。私は我が子に感謝しつつ、腕の血管が切れるんじゃないかと本気で心配しながら、必死で子供を抱えて帰路に着いた。

帰ってからは、嫁にこの日スタジアムで行われていたガールズフェスタの戦利品(限定商品)を紹介。俺が買ってやったんだと得意げな私。

「初めての観戦だからね、買ってあげたよ。◯◯◯◯円」

「は!?!?!?!?!?!?」

子どもがこの日の想い出をいつまでも覚えてくれているかは分からないが、私に限っていえば、この瞬間の妻の表情と声だけは、消し去りたくてもずっと消えることはないだろう。

 

風間八宏でも女にすがった過去はある

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「プロフェッショナル・サッカー」という本を御存じだろうか。

1998年に勁文社から発行され、今では既に絶版となっている本である(版元も倒産)。著者は風間八宏。彼が自身の現役生活、いや生い立ちも含め赤裸々に語ったおそらく唯一の本。

誰に媚びるでもないその強烈なキャラクターと、それをも凌ぐ振り切れたサッカー観で川崎と名古屋のサポーターを悩ませ続けいや唯一無二のポジションを確立したのが風間八宏だ。これまでもそのサッカー観を垣間見れる本は数多く出版されてきたわけだが、そもそも何故現在のような考えに至ったのか、どんな道程を歩んできたのか知ることが出来る本は少なかった。風間八宏のルーツ、である。

私自身も勉強不足でこの本の存在を知らなかった。きっかけはこの御二方の会話だ。

この本には、彼の生き様が詰まっている。それを知ることは、彼が今率いているチームをより深く理解する上でも役に立つのではないかと考え、このブログで紹介したいと考えた。

今回はこのネタを書きたい、ではない。伝えなければいけないとの勝手な使命感によるものだ。現在も販売しているものであれば買ってくださいと宣伝するだけだが、もう世に出回っていないとなるとこのまま埋もれて終わってしまう。それではあまりにもったいない。こうなったら私がまとめて今に残そうと思った次第だ。おそらく最初で最後、このブログでは風間八宏をこう呼びたいと思う。八宏、と(恥)。

母・洋子との強い絆

風間八宏の母といえば、言わずと知れた「磯料理 八宏の店 まる八」の女将である。年一でアウェー清水戦の際に立ち寄る聖地巡礼スポットのはずが、あまりに美味くて静岡に立ち寄れば必ず足を運ぶ不届き者もいる危険スポット。脱線するが、とにかく旬の食材がこれでもかと提供される隠れた名店。店内には風間氏の写真がありとあらゆる場所に飾ってある。もちろんおばあちゃんだから孫の宏希と宏矢のポスターも飾る。広島時代の同僚が書き連ねたサインの中に、広島繋がりで山本浩二のサインまでぶっこむお茶目っぷり。なお知った風に語っているが、私はまだ行けていない。不届き者からの情報だ(憧れの眼差し)。そんなこんなで今となっては「名物ママ」母、洋子である。

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実は八宏の両親は、彼が小学5年生の時に離婚している(彼の生い立ちは既に知られた話ではあるが)。理由は父親の酒乱癖。酒が入ると暴力を振るう父親に怯えながら、八宏は幼いながらに自身が母親を守らなければと強く感じるようになった。時には恐怖に震えながら、それでも母親を守るために泣きながら父親に体当たりした日もあったそうだ。

「もっと強い男になりたい」。幼い頃から、彼はこう強く願い続けた。彼の自立心は、このときから既に芽生えていた。

離婚後の母親といえば、三人兄弟を育てるために、早朝から鮮魚店に勤め、昼はスーパー、夜は居酒屋を開店して生計を立てた。そんな強い母親を見て、八宏は成長した。

中学二年生の時にはこんなエピソードがある。全清水がドイツ、英国に遠征することに。八宏は当初メンバー外だったものの、その後辞退者が出て追加メンバーに選ばれる。ただし遠征費用は50万円。「いかない」と諦めた八宏に、母は銀行から50万円を引き出してきて、一枚一枚本人に数えさせたそうだ。まるでお金のありがたみを教えるように。その件以来、八宏は母のことを「ひとりの人間」として尊敬するようになった。

その後、高校、大学を経てプロの世界に飛び込もうとする八宏には、当時の日本リーグ1部の全10チームからオファーがあった。元々筑波大学在学中から海外に対する憧れ、挑戦したいとの想いをもっていた彼ではあったが、同時に「苦労している母親を助けたい」と気持ちが揺らぐこともあった。日本でプレーした方が金銭面を考慮しても良いのではないか。ただこのとき進路の相談を受けた母は八宏にこう答えた。

「お前のやりたいものは、そんなものだったのか。安い考えだよ」

自分の道をしっかり探すこと、やりたいこと以上に金銭を優先するような考えではいけないのだと、八宏は心に強く刻んだ(名古屋で云億円稼いでいることは内緒だ)。

また彼のファミリーが今でも仲が良いのは周知の事実だ。オフになれば家族総出で海外旅行へ行ったり、例えば名古屋の試合があれば息子たちが応援に来ている姿も私自身見たことがある。彼が家族を大切にするのは、自身が味わった過去の想いからきているのかもしれない。

 いざドイツへ

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彼のドイツ時代の話を始める際に、まず何が驚きかといえば、当時レバークーゼンにコーチ研修として滞在していた現日本サッカー協会会長、田嶋幸三を頼りにドイツに向かったという事実である。いまやサラリーマンの鑑とはみ出し者の両者。まさに水と油な組み合わせだが、実は筑波大学の先輩後輩の間柄。といっても大学では入れ違いで、実際は日本代表で同じ釜の飯を食った仲だそうだ(代表での田嶋氏は「神様」と尊敬される立場だった。もちろん今は知りません)。

無事テストにも合格した八宏だったが、当時チームには外国籍枠として許可される二名の選手が既に在籍していたため、アマチュア契約としてレバークーゼンに加入した。彼らが所属することとなるレバークーゼンのセカンドチームはドイツ3部リーグ所属。ただし相手によっては1万5千人程度の集客を誇るチームもあったほど、当時そのレベルは高かった。世界とのレベルの差を痛感した八宏だったが、徐々に彼自身は活躍できる試合も増えていった。

ただ当時の八宏にとって、その舞台で試合を続けることはプライドが許さなかった。早くプロに上がりたい、もっと高いレベルのチームでプレーがしたい。時々トップチームで怪我人が出ると、セカンドから繰り上げで選手が召集されることもあったが、外国籍枠の問題で八宏に声がかかることはなかった。

「プロは自分さえ良ければいい。金が稼げればいい」

チームメイトを馬鹿にして、自身の境遇に問題があるのだと現実逃避する日々。毎日酒に溺れた。ドイツ語も全く覚える気がないから、監督やチームメイトに何かを伝えようとする意識も皆無だった。気づけばこのチームに加入してから半年が経ち、彼の相手をする人間は誰もいなくなっていたそうだ。まさに若気の至り。私たちにもあった天狗のような時代が、実は風間八宏にも存在した。親近感、である。

妻・みゆきからの一言

当時八宏には恋人がいた。筑波大学の同期で、現在の妻みゆきである。日本の高校で保健体育教師をしていたみゆきに、八宏はドイツに来てほしいと初めての泣き言を言った。ここは重要なところなのでもう一度。女性に泣き言を言った(あの八宏が)。

そう、男はつらくなると女にすがる。風間八宏もやはり人の子だったのだ。どうでもいい話だが、こういったアドバイスを例えば三好や杉森にしたのだろうか。「つらいときは女にすがれ」と。止める蹴るしか教えていないのは、ちょっとズルいのではなかろうか。だって八宏の分岐点、間違いなくここじゃないか。

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さて、ドイツに来たみゆきは、そのときの八宏のありのままの姿を見て、こう伝えたそうだ。

「日本に帰ってもどうしようもない。ドイツでも、日本でも、どこにいても今の状態では貴方のサッカーなら通じない」

八宏はその言葉に頷くしかなかったそうだ。自覚はしていたものの、逃げ道を探していた八宏にとって、その言葉から目を背けることは出来なかった。

その後正式にみゆきとの結婚を決めた八宏は、一年間在籍したレバークーゼンから離れることを決意する。

レムシャイトへ移籍

次なる移籍先は、同じ3部リーグに所属するレムシャイトである。前所属元であるレバークーゼンのトップマネージャーだったフーベルト・シートが、自身が来季レムシャイトを率いるにあたり、「1年間面倒見るから、一緒に来い。私と一から勉強して、やり直そう」と八宏を引っ張ったのがきっかけだ。この時みゆきとも結婚する運びとなり、八宏は一から出直すことを決めた。

必死にドイツ語を勉強した。監督に求められることもひたむきにこなした。またこのとき八宏はプロ生活を送る上で、もう一つ重要なことを学んだ。それはシート氏からの一言がきっかけだった。

「サッカーで一流になろうとするなら、まず紳士になれ」

日頃から周囲にも気遣いのできる人間でないと、サッカーのグラウンドに立ってもいいプレーはできない。自分さえ良ければ他人など関係ないと考えていた八宏にとって、それは目がさめる想いだった。

レムシャイトでは1年目こそ2部昇格を逃したものの、2年目で悲願の昇格を達成。夢にまで見たプロ選手となり、八宏は2部での戦いを始めた。

ただ初の2部での戦いは厳しいものだった。敗戦に次ぐ敗戦。チームも真っ二つに分裂した。八宏はそのとき既にレムシャイトの中心選手だった。練習後や試合後のミーティングでは、いつも最後に意見を言うのが彼の役目。片言のドイツ語で容赦なく考えを伝えれば、翌日の練習で必ず仕返しの厳しいパスの洗礼が待ち受けていた。彼がいたドイツでは、練習は闘いの場なのだ。技術への挑戦だけではなく、対人関係も学んだ一年。

チームは最終的に一年で3部に降格。彼はレムシャイトを離れる決断をした。

ウーベ・ラインダースとの出会い

八宏にオファーしたのは3チーム。その選択肢の中から、彼は2部に所属するブラウンシュバイクを選ぶ。これまでとは比べ物にならないほどの恵まれた環境。ただ順風満帆な出だしとはいかなかった。リーグ開幕前、バイエルンとの練習試合で怪我をし、その後のリーグ3試合まではプレーしたものの、結果的には同じ箇所を痛めることとなる。内側じん帯断裂。完治まで4ヶ月を要した。

懸命のリハビリを重ねチームに戻ったものの、その頃にはポジションはなくなっていた。練習でもとにかく削られた。そのとき彼が学んだことは、プロは仲良しではなく、大切なのは自分。倒すか倒されるかであるということ。それはドイツに来た当初に貫いた、他人に興味を示さない我儘とは異なるものだ。自身のベストは、最後にはチームのためにあるものだと八宏は理解していた。ただピッチに立つまでは、仲間はあくまでライバルなのだ。

また自信など簡単になくなるものだと悟った。同時に自信は歯を食いしばって頑張れば取り戻すことができることも知った。自信とは、自分で見つけていくものなのだと八宏はこの経験を通して気づいたのだ。例えば「抜けなかったらどうしよう」ではなく、「止められても、ボールを奪い返せば相手を抜いたことと同じ」なのだ。今ではお馴染みの言葉だが、風間八宏にとってこの「自信」という言葉は、大切な、本当に大切なキーワードである。

もう一つ、風間八宏に多大な影響を及ぼした出会いがブラウンシュバイクにはあった。ウーベ・ラインダース。当時チームを率いていた監督だ。

とにかく感情の起伏が激しく、練習もさながら軍隊。ミスに対しても取り立てて厳しい監督だった。八宏は彼と何度も衝突したが、同時に彼から多くのことを学んだ。

「勝ちたいことを倍思え。望むことを倍思え。いい選手になりたいと倍思え」

「勝つか負けるかがすべてなんだ。『絶対勝つ』という強い気持ちを持った選手が何人いるかが勝負だ。11人の中に、ひとりでも『勝ちたい』と思う選手がいたら、チームはダメになる」

怪我をした時も八宏にとってラインダースは天敵だった。「お前は一年契約だからな」、約半年間を棒にふる選手に対して、病院の見舞いの席で言い放ったこの一言で八宏は奮起し、見事カムバックしてみせた。その後、契約延長の話を勝ち取ったものの、そのときには日本のマツダ入りを決意していた八宏は、どれだけ説得されても頑なに首を縦には振らなかった。最後まで彼との契約延長を口説こうとしていたのが他でもないラインダースだったのは皮肉な話である。誰よりも八宏を買っていたのはラインダースだった。

風間八宏にとっての「プロ」とは

これまで彼の半生を簡単にではあるが紹介してきた。ご存知の通り、この後日本に戻りサンフレッチェ広島を優勝まで導く活躍をするわけだが(マツダ加入時は2部だった)、その章はここでは割愛する。ドイツで培ったそのプロ魂で、鬼軍曹の如くチームメイトに厳しくあたり、高みへ引き上げようとする風間八宏については、是非下記の本を読んでほしい。

何故「今西和男」なのか。八宏がドイツから日本に戻ろうと決断できたのは、彼の存在があったからである。現役時代から変わらないポリシー、「大切なのはお金ではなく、自身が惹かれる魅力的な何かがそこにあるか。相手の熱意や誠実さはどうか。そしてなによりプロフェッショナルであるかどうか」。そこだけを指標としてきた男にとって、今西和男とはそれだけ偉大な人物だった。

徳は孤ならず 日本サッカーの育将 今西和男

徳は孤ならず 日本サッカーの育将 今西和男

 

さて、このブログで紹介してきた「プロフェッショナル・サッカー」を通してなにより伝わるのは、圧倒的ともいえるそのプロ意識の高さである。プロとしてのこだわり、失ってはいけないものがこれでもかと語られている。もちろんそれはドイツでの経験で培われたものだ。ドイツの環境こそが彼を作り出した。彼にとってのプロとは、

「貪欲にサッカーの全てを追い求め、努力すること」

である。

彼の持論で「21対1」という話がある。11人に入るためには、まず仲間に一目置かれること。選手は誰もが生活がかかっていて、試合に使われなければ脱落していく世界。だからこそ彼らは仲間であり、敵でもある。新顔が加われば、まず挨拶がわりに2、3本の厳しいパスが飛んでくる。そんな世界で仲間に認められてこそ、初めて「11対11」になれる。

試合でも同様だ。ミス一つすれば仲間から罵られる。だからミスを恐れるようになる。試合に使われても、他の仲間たちに信頼され、納得させないとパスはこない。彼はそんな過酷な世界を生き抜いてきた。余談だが、そう割り切れた彼のメンタルは強靭だった。広島時代、新しい外国籍選手が加入すると、彼は毎回彼らを試した。意地悪なほど強いパスで彼らに挨拶するのが彼の楽しみであり、彼なりの洗礼だった。

ドイツのチームでは全てがライバル。そのライバルを倒し続けて掴んだ技術を出し合って、味方を助け合う。勝利にだけ挑み続ける素晴らしい11人の集団こそが理想なのだ。厳しい環境に耐えてこそ、「怖さ」は「楽しさ」になる。強くなればなるほど「楽しさ」はいっそう膨らむ。それが彼がドイツで学んだ哲学であり、今も彼を支え続ける持論である。「自信とは技術」「相手にビビるな、逃げるな」。名古屋の地を踏んでから、彼は何度この言葉を口にしてきただろうか。彼にとって、それは絶対なのだ。

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最近読んだ雑誌で、中田英寿が過去在籍したイタリアのクラブを訪問する企画があった(AbemaTVでも放送した為、ご存知の方も多いと思うが)。その中でパルマを訪れた際に、彼が口にした言葉が印象的だった。

 全力でいけるところまでいってプレーする。出来るだけ得点に近づけるようにプレーする。それが自分のスタイルだと思ってましたけど、日本代表で求められるようになったのは逆のことでしたからね。行かないで、バランスをとる。チームがそれを求めてるのは分かるんだけど、僕からすると自分の実力を抑えるということ。こんなことをやっていたら、伸びるものも伸びなくなっちゃうんじゃないか(引用元:ナンバー 中田英寿 20年目のイタリア)

これは風間八宏がチーム作りをする上で、なにより大切にしていることでもある。「チームに合わせる」のではなく、「100%の力を持ってチームに貢献する」。彼は日本に帰国後、ドイツ時代とのレベルの違いに苦しみ、自身がアジャストすることを選んだ。その結果、彼はキャリアの晩年をもう一度サッカーを純粋に楽しみたいとの理由でドイツに戻る決断をした。あのとき彼らが抱えていた苦悩は、時代こそ違えどもしかしたら同じ類のものだったのかもしれない。

プロとしての姿勢を説き、そのうえで選手達が持てる力を存分に発揮できる環境をピッチに作る。その手法の是非はともかく、彼が今監督としてやっていることは、結局のところ彼自身が最もサッカーを楽しめていた瞬間を、今度は監督の立場として、選手達に提供しているだけではないか。それこそが選手も、観客も楽しめる唯一の道なのだと強く信じているから。

彼が率いるチームは、もしかしたら彼の生き様そのものなのかもしれない。

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