みぎブログ

主観で語りますフットボールを。

今こそ「スクラム」のように

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その目にどう映るかは、そのときの気持ち次第。

マッシモ体制での初陣となった広島戦。そしてホームでの大分戦。個人的なことをお話しすると、まさに目の前の現実と、それを受け止める己の気持ちで葛藤した二試合でした。

突然に迎えた風間体制の終焉。登っていた梯子を外されたようで、どう今のチームと向き合えばいいか、そんな迷路に急に迷い込んだ気分とでも言いましょうか。なんだかんだ応援する気持ちは変わらないのに、正直に言えば、どこかで素直に応援出来ない自分もいて。率直に、複雑でした、とても。

今回は、そんなことを少し振り返ろうと思います。

喪失感の理由は、監督にあったのか

風間八宏に「契約解除」という名の解任劇が起きてからというもの、それはもう様々な方とお話しをしました。同じようなスタンスで応援してきた方は、先日の一連の出来事に対し当然似た意見を持っていたし、風間八宏自体には否定的な意見だった方も、不思議と今は似通った感想を抱いていたり。

彼が解任されて今日に至るまでに改めて確信したんです。この行き場のない感情は、決して風間八宏の解任だけが全てではない、と。彼一人に想いを乗せていたわけではなかった。彼は僕がこのクラブに抱いていた希望の、あくまで「監督」の立ち位置、役割を担う人物で、それ以上にはなり得ません。では結局その「希望」が何だったのかと言えば、三シーズン前に降格し、そこから生まれ変わろうとするクラブに抱いたあの想い、だったんだと。もう一度作り上げよう、そんなあの新鮮な空気感。あれこそがまさに希望そのものだった。その空気が不穏なものになりつつあると自覚したその事実こそが、この行き場のない感情の正体ではないか。彼が解任されてからのこの数週間は、それを痛感する日々でした。

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思い起こせば、考えうる中でも最悪の落ち方をしたあのシーズン。クラブの内部事情は散々で、チームは半ば解散寸前のような形で解体。僕にとってあの降格で残ったものは「虚しさ」だけでした。やりきれない想い、あの何とも重苦しい閉塞感。そこから毎日繰り返した自問自答。「やっぱり俺はこのクラブ以外応援出来ないんだ」そう自覚したとき、クラブは動き始めた。社長が変わり、監督に風間八宏が就任。佐藤寿人が加入し、玉田圭司が帰ってきた。楢さんが、泰士が残留した。自身の気持ちに呼応するように、クラブも「一からやり直すんだ」そんな意思表示をしているようで、新体制初日の練習場でその空気を肌で感じたときに確信したんです。このチームは、生まれ変わると。それ以降、僕自身もTwitterを始め、ブログまで書き始める始末。「作っている」この実感が、なにより幸せだったんですね。そのベクトルはチームも、それこそ僕のような存在でも同じでした。賛否両論あっても風間八宏フットボールを全面的に理解しようと思えたのは、彼自身の哲学である「唯一無二のものを作る」この想いが、あの頃の我々のクラブにはぴったりだと思えたからです。目の前にあるものではなくて、半歩先、一歩先、二歩先....見えないものに向かって皆で突き進む感覚に、僕は希望とか未来みたいなものを感じていたんだと思います。

「速さ」の定義が変わり、自覚した現実

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その文脈においていえば、もちろん風間体制が終焉を迎えた事実は残念です。ただ一方で考えてみると、そもそも順調にいってもこの体制は今シーズン限りで終わっていた可能性もあります。丸三年、それがずっと続くものではないことくらい重々承知していました。その前提でいえば、半年早いか遅いかの違い。だから最初に「梯子を外された」と表現したのは、決して風間体制が終わった事実を指しているわけではありません。その終わり方、が歯痒かった。

より速くなりますよね。今日の練習を見ていても、やはり速い攻撃にはなっていくし、グランパスのサッカーでここのところ低調だったところは、スピードも上がらない、遅くてフィニッシュまでいけない、無駄なボール回しも多かった

風間八宏の契約解除、そして後任となるマッシモの初日練習を終えインタビューに答えた大森スポーツダイレクター。この言葉を目にした時、「風間体制が終わった」そんなありふれた監督人事の話ではなく、このクラブがあの日から積み上げてきたものを否定されたような、その夢の終わりを否が応でも突きつけられた気がしました。もう終わったんだ、と。

何故なら我々にとっての「速さ」とは、スペースを使わず、相手を剥がし、正確に速くボールを届ける技術のことであったはずだから。決してスペースありきのカウンターの速さではなかったはず。梯子を外されたとは、家を建てる中で、その完成を見ることなく工事の中止を告げられた感覚を覚えたからです。まあ、全ては勝てなかったから悪いんだ。

感傷に浸る間もなく、マッシモ体制はスタートしました。広島戦と大分戦の二試合、皆さんはどんな感想を抱いたでしょうか。僕個人としては、少なくともチームが表現しようとしていることに、もはや「風間色」の気配は感じませんでした。たった二試合で、それは殆ど失われた。ただプレーするのは選手だから、時折、崩しの局面であったり、パス交換での選手間の関係性においてはその香りも感じるんです。それはただひたすらに選手にフォーカスする監督だったからこそ残すことが出来た遺産。選手達に与えられた型自体はもはや全くの別物でも、ボールを持ったときに選手と選手を繋ぐ技術や感性の中に、紛れもなくそれは生きていると感じます。

今、マッシモが全精力をあげて取り組んでいることも、試合中の采配も、やはりこれまでとは全く違います。正反対、そう言ってもいい。ただマッシモはマッシモであり、それが風間八宏と同じである必要性は全くありません。とはいえチームの方向性の観点で、これまでの文脈が殆ど感じられないことに、我々は別の道を歩きだしたんだと改めて自覚させられる。案の定、マッシモの言葉は象徴的でした。

私が就任する前に16試合で勝ち点を「11」しか獲得していなかった状況でしたので、「こういうサッカーをやりたい」という理想を言っている場合ではないと選手には伝えています。(中略)今は勝ち点を積み上げることでチームとしてやりたいことにフォーカスをする。とにかく泥臭いサッカーになったとしても、勝ち点を獲得することにこだわらなければいけない。瞬間瞬間で「こういう試合をしたい」ではなく「こういう試合をするべき」と状況を読んで判断しようと

今更書くまでもなく、僕は「ただ目の前の試合に勝てばいい」、そんな風に思えるタチではありません。あのとき絶望を味わったからこそ、新たにこのクラブが紡ぎだしたストーリーに惹かれていたし、それがどんなフットボールでも最大限の支持と、応援、そして夢を見ていました。マッシモのこの発言は至極真っ当で、それに対して文句なんて何もない。だけれども、おそらく多くのファミリーがここ数年、心を動かされていた最大の要因はこの「理想」なんです。だから、チームを強化する大森スポーツダイレクターに始まり、現場を指揮するマッシモと、その文脈を真っ向から否定するようなその言葉に、これが現実なんだと感じざるを得なかった。皮肉にも、彼らの目はしっかり揃っていました。

「与えられる側」から「与える側」へ

ただあれから少しだけ時間が経ち、改めて現実に目を向け、今のありのままの姿を理解したいと思う自分がいるのも事実です。恥ずかしい話ですが、今回ばかりは結構ショックでした。あからさまに落ち込むことはなくとも、時折「あぁ監督代わったんだよな」「あのまま進んでいたら、果たしてどうなっていたんだろう」なんて。それだけの期待値と、この約二年半、いや降格したシーズンも含めれば約三年半の間で起こったストーリーに心を動かされた一人だったから。鼻で笑われるようなぶっ飛んだフットボールも、この期に及んで理想ばかり振りかざす言葉の数々も、これらの月日で起きていたことは紛れもなく我々だけのストーリーでした。だから、その日々は楽しく、そしてなにより誇らしかった。

2016年シーズンのあの最終節、湘南に敗れ降格が決定した瑞穂のスタンドに、希望の光などなかったように思います。

あれから約二年半。

フロントと現場が我々に与えてくれたもの。それはスタジアムに来る醍醐味であり、ピッチ上から感じられる興奮や喜び、なにより楽しさ、ではなかったでしょうか。風間さんの最大の功績も、やはりここにあったように思います。

別れた彼女を惜しむような女々しい話はこれで最後。仮にそのストーリーがここで幕を閉じようとも、クラブの歴史は続いていきます。そんなとき、ふと考えることがありました。我々はただの傍観者にしか成り得ないのか。「我々がクラブに与えられるもの」は何もないのか、と。

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話は逸れますが、最近ラグビーのワールドカップが盛り上がっています。恥ずかしながらルールは全く分かりませんが、その中でもとりわけ「スクラム」が印象的です。チームスポーツが強調されるラグビーにおいて、このプレーほど「チーム力」や「仲間の存在」を感じられる場面はありません。こじつけだと思われるかもしれませんが、あのスクラムにおけるフォワードとバックスの関係性は、我々でいう選手とサポーターの関係性にも当てはまる気がします。

「選手達」バックス陣が前に進めるように、我々「サポーター(ここではそう呼ぶこととします)」が身体を張って道を開く。もちろん試合の見方は様々で、ゴール裏で声をあげ、ともに戦おうとする人達もいれば、例えば僕のように指定席で座って応援している人達もいます。いくらスクラムといえ、それぞれが担えるポジションはあるでしょう。ただそのポジションこそ違えど、応援する、戦う想いが同じならそれはもうスクラムの一員ではないでしょうか。そのスクラムが一人でも多く繋がれば、チームがどれだけ揺らごうとも、そのパワーだけは絶対に揺るぎない。どれだけ後ろから走り込む選手達が変わろうとも、我々がこのクラブを応援し、ともに戦う限りは、少なくともスクラムを組むこのフォワード陣だけは不変である。大袈裟な例えですが、「クラブとともに歩む」とは、「クラブの歴史とともに歩む」と同義であり、我々サポーターがそんな存在であれば、クラブの魅力は損なわれないのではないか。そう感じました。常にそこにあるのはマスコットだけではありません。我々も同様です。

あえてこう表現したい。『脱』風間八宏、と

おそらく、この約二年半における名古屋グランパスのブランドは「風間八宏」でした(異論はあるかもしれませんが)。名古屋に加入した選手達は、この場所を選ぶ理由として口々に彼の名を挙げていたのは事実です。その彼が我々に残したものがあるとすれば。それは今の瑞穂や豊スタのあの「一体感」ではないでしょうか。だからこそ試されている気がしたんです。彼がいなくとも、次は我々名古屋を応援する者達がブランドになる時ではないかと。「あのスタジアムでプレーしたい」そう思ってもらえるような場所の一員として。

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我々の目標は、まずは目先の結果といえる「残留」に変わりました。例えそこに派手さが失われても、ロマンがなくとも、こうなればしがみついてでも残留を勝ち取りたい。次にもし落ちることがあれば、それこそこれまでのピッチ上の遺産は、選手流出という形で今度こそ全て失われます。これまでの歩みを無駄にしないためには、我々はこのステージに残らなければいけない。絶対に、です。そのために、マッシモはマッシモのやり方でこのチームを鍛え直しています。その行為を否定するつもりなど一切ありません。このクラブのために必死なのは、彼もまた同じなのだから。

そして最後に。もし少しだけ未来に目を向けることが許されるならば、どうか現在のアカデミーとトップチームの連携だけはクラブの財産として大切にして欲しい。結果、そしてスタイル。この数年間、積み上げてきたのは決してトップチームだけではありません。先日、成瀬がこうインタビューに答えています。「僕は前のチームのコンセプトが、ユースからも染みついていたものでした」と。アカデミーの位置付け、トップチームとの融合。この点だけは、トップチームの方針に左右されることなく、「クラブの文化」として、その役割をしっかり定義して欲しい。どう選手を育て、どうトップチームに繋げるのか。彼らが示し続けるその結果に、クラブは真摯に向き合う必要があるのではないでしょうか。「クラブの文化」に成り得る、そこまで昇華出来る可能性でいえば、今ポールポジションにいるのは、他でもない彼らです。

与えられる側から、与える側へ。貫きましょう。

風間八宏「契約解除」

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この記事の内容が確かだとするなら、7月20日豊田スタジアムでのG大阪戦。あの等々力でみせたスペクタクルな試合を経て、そこから1分6敗の大ブレーキで迎えた試合でしたね。


【公式】ゴール動画:宇佐美 貴史(G大阪)90+1分 名古屋グランパスvsガンバ大阪 明治安田生命J1リーグ 第20節 2019/7/20

最後の最後、90分+1分。誰もが勝利を確信していたあのロスタイム。宇佐美にヘディングを叩き込まれ、8試合ぶりの勝利を逃した瞬間、風間監督の解任が水面下で決定し、それを小西社長が覆したということになります。

そこから起きたことを時系列にあげてみましょう。

加入が2名(この文脈で隼平の復帰を含めていいかは疑問ですが)。名古屋を離れた選手が6名。一方で太田宏介の加入が7月2日。柿谷曜一朗の獲得報道が出たのが7月4日。山田康太の獲得に動いたのが8月10日の横浜vs鹿島戦後と言われていますから、おそらく小林裕紀の移籍が決定的となり、米本拓司の長期離脱と相まって、急遽獲得に動いた(マテウスの交渉に絡めた)と考えるのが自然ではないでしょうか。

つまり、おそらくですがこの7月20日に至る二週間前まで、名古屋の強化部はあくまで「風間八宏ありき」でチーム強化に走り、この試合以降、完全にその動きがストップした。一方で例年同様、チーム内競争で出番を失っていた選手達は続々とこのチームを去りました。この日を境に、チームのサイクルが完全に狂い出したことは紛れもない事実でしょう。

崩壊した「フロントと現場の関係性」

その極端なまでに攻撃偏重なフットボールで賛否両論尽きない風間監督ですが、彼のチームにおける最も肝となる部分は「チーム内の競争力」であると感じます。

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この2年半におけるシーズンの戦い方を振り返っても、怪我人も含めシーズン前半で各選手の目がばらつき始めたところを、夏前の補強期間を経て整えていくのが彼の特徴です。ともすれば「補強頼りだ」と言われる彼のチーム作りですが、実際に彼のチームにとって欠かすことの出来ない要素であることは事実であり、一度グッと沈んだチームをジャンプアップさせる起爆剤となるのがこの補強戦略です。

ではその彼のチーム作りを一体何が担保してくれるのか。勿論それを理解し協力を惜しまない「フロント」となります。つまりそんな彼の特異な手法を全面的にサポートした小西社長。彼のフットボール観を誰よりも理解し、そのチーム作りのブレインとして奔走した大森スポーツダイレクター。この縦のラインが同じ目線を持ってクラブを改革しようと手を取り合ったのが降格した2年半前であり、そのサイクルが機能した結果が一年でのJ1昇格、そして昨年の残留劇でした。

このクラブの屋台骨ともいえる三人のラインが、結果としてあの7月20日を持って狂い始めた。これが今回の結末を迎えた主たる原因でしょう。報道を上辺だけで受け取れば、大森スポーツダイレクターが寝返ったように写ります。ただ今年の新体制発表会を思い返しても、この2年半における最大の補強は風間八宏であると、その価値を誰よりも高く評価していた張本人が他でもない大森スポーツダイレクターであったことを思うと、そんな単純な話ではないでしょう。ましてや後半戦に向け、補強に動いていた時期からたった2週間でこれほど極端に動きが変わるとは、なんとも不可解でなりません。

さて一方で今回の解任劇、風間監督には非がなかったのか。

唯一、最後まで「貫き通した」男の功罪

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このプロジェクトを守るために小西社長が二カ月延命したのだとすれば、風間監督に何より求められたのは「結果」でした。ただし彼は「風間八宏」です。目先の結果を求めるために彼のやり方を変える行為は、彼自身のアイデンティティを否定するものでしかない。おそらく、彼のチームにとって欠かすことの出来ないサイクルが崩れ去り、このチームが競争力を失っていたことに誰よりも気づいていたのは、他でもない彼自身だったことでしょう。但し彼は何一つやり方を変えなかった。昨年の苦い残留争いの経験を経て、やっと駒が揃い始めたところでまたしても選手間(レギュラークラスとそれ以外の選手達)の力量差は広がった。絶対に欠かすことの出来ない中盤の心臓(米本拓司)も失ったまま。にも関わらず、彼が他の術を持つことは最後までありませんでした。

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ただ私はそれ自体が間違いだったとは思いません。悔やむことがあるとすれば、前回のブログで指摘した通り、チームへの忠誠心を選手達に植え付けることが出来る監督ではなかったこと。完全な実力主義。例えばどんな立場でも名古屋のためにプレーしたい。ないしはどんな役目だってこのチームの為なら負いたい。そういった選手を育てられませんでした。それがこの状況になって初めて、彼自身の首を絞めつけた。小西社長の期待に応えられるだけの術は、彼一人にはありませんでした。何故なら彼自身が、小西社長、そして大森スポーツダイレクターのバックアップに支えられていたからです。「風間監督に全幅の信頼を置く」、この決断を貫こうとした小西社長にとって、そこが唯一読み違えた部分だったのかもしれませんね。この状況において尚、彼を延命させる行為の見返りは、結果論ではあるものの期待出来なかった。もしそれを理解した上で一縷の望みを託したのだとすれば、それは小西社長の信念に他なりません。何が起きても最後の最後まで貫き続けた、いや、貫くことしか出来なかった風間監督のその姿勢が、最終的には小西社長の貫く決断を折ってしまった。なんとも皮肉な結末であったと感じます。

「スタイルを築く」と「結果を出す」の葛藤

では小西社長の「信念」とは。これは就任当初、グランに掲載された彼のインタビューを引用することとします。

風間監督と話をして、その通りだなと思うのですが、目の前の試合をなんとかやっつけようと思えば、やり方があると思います。ただ、チームが成長していく中で、固める時期、メーカーでいえば標準を作ることは絶対必要です  引用元:月刊グラン No279

つまり彼がどうしても成し得たかったのは、一度降格したこのクラブに「アイデンティティ」を確立させ、揺らぐことのないスタイルを築くことです。もちろんその為に招聘されたのが風間監督です。それが風間監督で良かったのか。この点に関しては様々な意見があると思いますが、少なくともクラブは本気だった。これまで書いた通り、彼を全面的に支持し、そのためのバックアップを怠らなかった。それだけではなく、その血がこのクラブに生き続けるようアカデミーの改革に始まり、東海学園大を含めた地域を巻き込む取組みに発展し始めた。プロジェクトは順調に進んでいるはずでした。

改めて考えても、ある程度のバックアップを必要とする風間監督と、どうしても名古屋のスタイルを確立したいフロント。両者の噛合わせは決して悪くなかったはずです。いや、これ以上ない組合せだった。ただ唯一大きな誤算があったとすれば、それだけの規模で運営されているクラブだからこそ、そこには親会社や沢山のスポンサー企業が存在し、いやが応にも結果が求められる環境であったことです。クラブのアイデンティティが一朝一夕で確立するはずもなく、それなりの時間を要することは容易に想像がつきます。惜しむらくは、あまりにその結果への執着が現場に乏しかったこと。いや、これは風間監督に失礼ですね。彼ほどの負けず嫌いも多くはないでしょう。正確には、彼のやり方ではあまりに即効性が乏しかった。此の期に及んで尚、結果で外野を黙らせる力を持ち得なかった。理想と現実の狭間でどう求められる成果を生み出すか、この術を持ち合わせていなかったのが致命的でした。但し風間監督からすれば、仮にそんな圧力があるならば、まさにそれこそが諸悪の根源だと考えているかもしれません。確かに彼にその大役を任せるのであれば、フロントは何があっても彼を守りきる必要がありました。ではそれが可能だったかと問われれば、少なくとも名古屋では不可能だった。小西社長を持ってしても不可能だと言うのなら、可能だと言えるほど私も世間知らずではありません。

さて、ではこの反省をどう今後に活かしていくか。それは当然ながら「どんな後継者を選択するか」となります。

誰もが予想しえなかった人選

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マッシモフィッカデンティ

おそらくこの2年半の出来事は、クラブ史上最もフロントと現場が一体となって突き進んできた証でした。その文脈で語るとするならば、あれほど風間八宏に拘ってきたクラブが次に白羽の矢を立てた監督が彼である事実は、率直に申し上げて違和感しか残りません。マッシモに問題があるのではなく、このプロジェクトにおいて本当に彼が適任者なのかどうかが問題です。では見方を変えて、「目先の残留」を最優先としたと考えましょう。マッシモがその点で適任者か。昨年、鳥栖が残留争いに巻き込まれ、現在の風間監督同様の立場に追い込まれてしまったのが他でもないマッシモです。「実績」だけで言えば、本来は評価の高い監督ではないはず。さて、彼の名がこのタイミングで挙がったのは本当に小西社長や大森スポーツダイレクターの意向なのか。当然ながら我々は彼等を信じ、支えていくべきですが、同時にこの点に関しては冷静に起きている現実に目を向けるべきだとも感じます。

この2年半、小西社長を始め、大森スポーツダイレクター等、彼らの言動は常に一貫しており、そこへの好みはともかく、全ての決定事項は非常にロジカルに進んでいたと思います。フットボールの好みではなく、私はそんな彼らのプロジェクト、何かを作り上げようとする心意気を最大限支持してきました。一方で、時に不可解な人事があったことも事実です。2018年のオフには前シーズンに昇格の立役者となったチームの顔、田口泰士がこのチームを去りました。今年のシーズン前には、前シーズン奇跡の残留劇の立役者、玉田圭司がまさかの退団に追い込まれた。おそらく、風間八宏が最も評価していたであろうチームの中心人物達であり、そのことは大森スポーツダイレクターが誰より理解していたはずです。

そして今回のマッシモフィッカデンティという人選。どうにも彼らが突き進む道には、定期的に理解し難い人事が起きているような気がしてなりません。但し今回ばかりは、理解することに努めるより、目の前で起きていくことをただ見守るしかなさそうです。我々はこの2年半、目の前で起こるそのフットボールについて様々な意見を汲み交わしてきました。あれだけエッジの効いた監督でしたから、それは荒れに荒れた日々でした。ただ今我々のクラブに起きていることは、果たして純粋にフットボールの観点だけで進められていることなのか。もっともっと根深い問題がそこに潜んでいないか。今回の事の発端は、ファン感謝デーの前夜、マスコミへのリークという形で我々に知れ渡りました。

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案の定、クラブは火消しに走った。おそらく、ファン感謝デーの前日にこのような事態になったことを誰よりも悔やんだのは小西社長ではなかったか。ファミリーに感謝を告げる場で、彼はお詫びせざるえない状況に追い込まれた。翌日の風間監督のイベントも、残念ながら中止の運びとなりました。これが今、我々のクラブに起こっている現実です。

多くのフットボールに関する議論が汲み交わされました。このスタイルを土台とすることが果たして正しいのか、様々な意見がそこにはありました。全てが未来に向けて、我々のあるべき理想の姿を思い描いた声だったように思います。それは、我々のクラブの選んだ道がどんなものであれ、誰しもが「前に進もうとしている」この感覚があったからこそ起きたことです。そして今我々に起きた一連の出来事は、果たして未来に向けたものとなっているのか。後任がマッシモなのか、それともいつの日か話題のベンゲル復帰なんて未来がありえるのか。いや、大切なのは「誰になるか」ではなく、「そこに彼等の信念が残っているか」です。それこそが今、我々に突きつけられた最大の問題ではないでしょうか。

勿論、実際はこの時点でそんなもの既に頓挫し、彼等が思い描いた未来など白紙に戻った可能性もあるでしょう。その場合、我々は以前の名古屋グランパスに戻ることを意味します。継続性とは無縁の、目先の結果のみを追求する集団に。もしかしたらそれがこのクラブにとっては正しい道の可能性もあります。スタイルではなく、とことん強さ、結果を求める。都度都度歩む道が変わったって構わない。そこに「強さを求める」、その信念さえあるのなら。ではそれで豊田スタジアムは満員になるのか。後世に残せるものがあるのか。ここ数年、クラブの観客動員に関する要因は様々な理由が挙げられてきました。どれだけ負けても、スタジアムはいつも満員だった。その現象に彼等フロントと現場が一体となって作り出してきた「未来への希望」がどれほど人の心を動かしていたのか。仮に目先の強さにのみ拘り、しかしチームが勝てなくなった時、そこに観客は動員という形でチームをサポートしてくれるのか。それはこれから分かることです。

我々の乗る船はどこに向かっているんでしょう。今はその行き先を見守りつつ、願わくば残留を果たして欲しい。

見るべき先は、未来ではなく、今に変わったのだから。

夢の続きか、それとも終わりか

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いやはや、今は深夜1時。遅くまでお酒を飲んだ後です。

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風間監督、解任。うん、眠れません(書かないと)。率直に、「あぁ遂にこの日が来てしまったなあ」って。そんな気持ちです。まさかこのタイミングってね。

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こんな流れ知るわけもなく、前日に「残り8試合に向けてのお気持ち表明」なんて書いてました。解任の速報がでたと聞いて、ヤケになって未完成のままだしてやりました。だって、これが率直な想いだったし、個人的には、今の想いは目一杯詰め込んだものだったから。例え解任と聞いても、気持ちに変化はないというか、こんな想いだったんだけどなあって。

解任されるなら、これまでの総括を。そんなことも思ったりしますが、いやそれはもうこれまでの2年半に書き上げた長ったらしい文章全部読んでくれって感じ。僕の中では、そこに風間八宏と我々が愛するクラブが歩んだ記録は残してきたつもりなので。激動、でしたよね。あっという間だった。

また、後任がフィッカデンティ!?いや、それならそれで応援しますよ。マッシモ、と呼べばいいですかね。あいにく他クラブに興味がないので、彼のフットボールがどうだとか、偉そうに語れるほどの知識はございません。確かに風間→マッシモルートは王道だ、そんな声も理解出来ます。つまり攻撃の後に守備を整備すれば、もしかしたら例えば広島のミシャ→森保ルートであるとか、川崎の風間→鬼木ルートが実現するんじゃないか。そういうことですよね。確かに目先の結果だけに目を向ければ、そうなる可能性を否定する必要はありません。いやむしろ、仮にこのルートを築くのなら、願うべき未来はそれなのかもしれませんね。

では長期的な視野で考えた際、風間監督がこのクラブに根付かせようとした彼の哲学、それはどうなるんでしょう(そんなものはない、なんて突っ込みはとりあえず置いておきましょうよ)。マッシモが進化させてくれるんでしょうか。いや、高望みはしません。最低限、継続してくれるんでしょうか。というか、継続できる術を持ちあわせているんでしょうか。いやもっと言えば、そもそも継続したいなんて気持ち、もはや持ち合わせてなどいないのでは。おそらく、そこに違和感が残るから、多くの方がこの人事が仮に実現した場合、降格してからのこの2年半の取組みに果たしてどんな意味があったんだろうかって。そう感じているんだと思います。やっぱり違和感が残るんですよ。この2年半、小西社長を筆頭に、大森スポーツダイレクター含め彼らの言葉を見聞きしてきた我々からすれば、果たしてその人事は彼らが望んでやっていることなの?って。「結果が出なかったんだから仕方ねーだろ!」。いやそうだ、おっしゃる通り。では、代わりに誰がこの流れを主導しているんでしょう。それが分からないから、不安なんですよね、きっと。

でも誤解して欲しくないのは、仮に報道通りマッシモが就任したとしても、彼自身を否定するつもりはさらさらないんです。それならそれ、我々は目の前で起きていることを受け入れて、全力で支えるしかない。名古屋の監督になる人なんだから、きっとそうあるべきなんです。だから決してそんなミクロな話をしているわけではないのだと、そう理解してくださると救われます。このクラブが歩む道のりが、結局どこに向かっているのか。嫌らしく言ってしまえば、今年のスローガンである『貫く』。結局、クラブは何を貫こうとしたのか。それを理解したいのです。まだACLを諦めていないのか。馬鹿言ってるんじゃない、残留を目指しているんだ(それは貫く、なのか?)。はたまた、貫けなかった、のか。そこは、ここから我々が前に進んでいくために、しっかり総括し、発信して欲しい。そう思います。

あとは選手達ですよね。マッシモと聞くと、ちょっと勘ぐるじゃないですか。あぁ、元FC東京の選手達も多いし、戦術理解の点でも浸透は速いよなと。でも、例えば米本や今夏加入した太田は、果たしてそれを望んで名古屋に来てくれたのか。きっと違いますよね。新しい自分に出逢いたいから、名古屋に来たんだと僕は思っています。であるならば、彼らのモチベーションも気掛かりです。プロですから、全力でやってくれるに違いないですが、同時に今後彼らは何をモチベーションに名古屋でプロ生活を送るのか。そんなこともまた、危惧はします。あとはチーム単位で考えても、それこそそのチーム作りで単刀直入に「FC東京以上のチームが出来上がりますか?」とも感じるし。二番煎じではないか、と。

もちろん彼らだけではありません。ここ数年でこの地に集まってくれた「名古屋で上手くなりたい」をモチベーションにしてきた選手たち。我々の選手達は、これから「名古屋でプレー出来ること」をモチベーションとしていかなければなりません。そういった価値を持つクラブになっていけるのか。

アカデミーはどうなるんだ。少なくとも、「風間イズム」をこのクラブの文化としよう。その取組みは存在したんですよね?(ユースまでウォッチ出来なかった私には、そこを強く語る資格はありません)仮にその流れは今後も汲むとしましょう。でもトップがマッシモだったら。果たしてそこで学んだものを彼は求めるのでしょうか。これは彼に限った話ではありません。誰がやるにしても、です。あぁせっかく出来た東海学園大のルートは。今後も継続するんでしょうか。

さて、我々ファミリーはどうでしょうか。いや、めちゃくちゃ文句はありましたよね。揉めました。辞めろって声もそれなりにあったと思います。でも今僕が真っ先に思い浮かぶ光景、それはこの直近15試合でたった1勝しか出来なかったチームを、それでも毎試合折れずに応援し、戦い、支えようとしたゴール裏の姿なんです。何故あそこまで勝てなかったのに、それでも彼らは叱咤激励を続けたのか。いつも敗戦後、SNSを通じて「また頑張ろう」と発信してくれていたのか。いや、勿論腹が立つことなんてしょっちゅうだったと想像します。必死な人ほど、ツライ日々だったと思います。でも支えることを彼らは放棄しなかったですよね。それでも尚、スタジアムに集まって応援を続けた。それはどこかで風間監督のチーム作りを理解していた部分があったんでしょうし、だからこそ俺たちが支えて、自信を与えなきゃって。そんな気持ちがあったんではないでしょうか。いや、この結末ではその苦労がね、報われないなあって。僕はそう思ってしまいました。結局、終わっちゃうんだなと。その意味でいえば、クラブが先に「貫く」ことに折れてしまった。

そりゃ本当に辞めて欲しいと願っていた人もいるはずです。一方で、目の前に見えているものではなく、まだ見えていない、あるかも分からない未来に想いを馳せていたファミリーが多くいたのも、また紛れもない事実でしょう。なんだかよく分かんないけど、そこにあるロマンみたいなものに、楽しみを見出していた層は絶対いましたよ。だって、昨日の飲み会はその声でいっぱいだったもの(お前の内輪だからだろとか突っ込まないで)。なんだよ、結局また目の前のことに手一杯になるのかよって。そう感じた人たちがいたこともまた、否定してはいけなくて。難しいですね。本当に、風間監督が指揮するチームを応援する事実は、簡単なものではなかった。正直に言って、ツライことの方が多かったよ。でも、例えそのフットボールが全て正しいものではなくとも、この前に進んでいる感覚、何かを生み出そうとしている実感があることは、素直に楽しかった。僕に関していえば、せめてその感覚さえあれば、フットボールの中身がどうであろうとさして大きな問題ではなかった。

とはいえ、風間監督に何も落ち度がなかったなどとは思いません。毎試合観てきた我々からすれば、やはり今年のルヴァン杯プレーオフ第2戦、ベガルタ仙台。ここでリーグで不甲斐ない出来だった主力を強行出場させ、第1戦で結果を残していたサブ組を誰一人として起用しなかった。あろうことか試合にも敗れた。やはりこの出来事は、今季のチーム作りにおいて致命的だった。僕はそんな感想を抱いています。その結果かは分かりませんが、多くの選手達がまたこの夏にクラブを去っていった。チームの結果もついてこず、結果的に補強も滞った。数少ない新たな補強は、現状レギュラー陣を脅かすレベルには至っていない。これらは全て、風間八宏のマネジメントが引き起こしたものである。そう考えます。彼もまた、結果が出ない責任はあったに違いありません。彼にとっての武器が己の戦術ではなく、抱える戦力であるというのなら、そこで躓くことだけはやはり避けなければならなかった。その想いだけは、いつまで経っても消えません。

さあ、自分語りが増えそうなので最後に。

いろいろありましたし、こんな結末でこの道は終わってしまいそうですけど、あの2016の降格を思い出すとね。ほぼ解体されてしまった焼け野原のような状態から、たった一年間で元いた場所に戻してくださった功績。それが消えることは決してありません。いや、元いた場所ではないな。あの2017のプレーオフ福岡戦。あの日の豊田スタジアムを忘れることは、きっと死ぬまでないでしょう。2018年、何回超満員の豊田スタジアムを味あわせてくれたことか。勿論、彼一人の力ではありません。でも、彼がいたからこそでもあった。だって、「ファミリー」でしょう?紛れもなく、彼は我々の一員であり、ファミリーでした。現場の先頭をきってこのクラブの歩むべき道を切り開いてきたのは風間八宏です。どれほど好かれ、嫌われても、そういう存在の首が切られようとしている。その事実だけは、改めて真摯に受け止めるべきなのではないか。そう思います。

駄文でごめんなさい。まさにお気持ち表明、そんな綺麗事ではないなんてまた怒られそうです。でも別に正解なんて求めてないんです。僕にとって、昨夜の出来事はそれほどのことでした。今回ばかりは、ただの監督交代ではないから。

皆さんにとって、今日のファン感謝デーが良い一日となりますように。あぁ、やっぱりじっとしていられない。

うわぁ......午前3時まわってるよ。

ちょっと今の気持ちを

前回のブログを書いた際、こんな声を戴きました。

「もう試合の内容書かねーのな」

勿論その声は皮肉の為に存在したわけですが、一方で「確かに」と冷静に受け止める自分がいたのも正直なところです。

直近15試合で1勝5分9敗ですか。改めて酷い結果ですけれど、特にここ数試合、自分自身興味があったのは試合内容ではありませんでした。この期に及んで我々サポーター(ファミリー)に出来ること、目の前の結果をどう受け止めるべきか。そんな率直な心境を、今の自分自身に問いながら必死に考えていたのが事実です。今だからこそ感じられることを、出来るだけ逃げずに向き合う。そこに大きな意味がある気がして、ここ何回かはその手のブログをいくつか書いていたことは、ご存知の方からすれば見ての通りです。

では試合内容に関してはどうだったかという話ですが、改めて考えると、結局「目新しい発見がなかった」ですね。

というのも、流石に2年半もの月日があれば、ある程度、風間監督の哲学であったり、それをピッチにどう落とし込もうとしているのか。見えている部分でいえば、語り尽くしてきた想いはあって。見方を変えれば、そのベースの部分は既にそれなりの形が出来上がりつつあると感じています。

では何故勝てないんだとなるんですが、これは風間監督の言葉を借りれば「我々には見えていない部分」、この解像度が未だ低いからでしょう。見えてないまんまです。以前サッカーダイジェストのコラムで清水英斗さんも言及されていましたが、名古屋の攻撃力は間違いない。ただ当然ながら相手も勝手知ったる事実なわけで、中を固める。結果奪われる、カウンター。その繰り返しです。選手達の体力は徐々に削がれ、生命線であるチームの距離感は間延びしていく。こういった負のループは誰の目にも明らかで、その袋小路に永遠ハマっているのが今の名古屋です。つまり落とし穴はここにあるぞあるぞと忠告されて尚、それに挑んでいるわけです。案の定落ちますよね。なのに何回落ちても挑むし、そのリアクションにも変化がないなんて地獄ループ。

ここで僕のことを棚に上げますと、そもそもがサッカーオタクで、不勉強ながらも最近のトレンドはそれなりに抑えているつもりです。現代のフットボールを牽引するペップグアルディオラを仮に正義だとするならば、あえて狭い場所に突っ込む、選手が寄って意図して密集を作る。その前提で、場所ではなく個を攻略する。風間監督の思考するそれは正反対ですよね。異端児といえば聞こえはいいですが、多くのフットボールフリークにとってそれは理解し難いものでしょう。そして案の定、行き詰まった。その結果起きている悲惨な光景は、「ボール非保持を前提としないチーム作り」を徹底するこのチームにおいては仕方のないことであり、語るにも足りないというのが偽らざる本音です。「出来なかったから起きてしまったこと」に風間監督はさして興味がないはずで、そこに目が向けば、もう少し楽に戦っていたことでしょう。

さて、ではこれでthe endか。いや、我々がそれでも懲りず、期待しているのは、「このフットボールにまだ進む先があるのか」なんです。我々には今見えていないその先に、何か大きな驚きがあるのか。常識を覆す何かが生まれるのか。それは、言い換えれば狭く、密集し、個を攻略するというある種時代と逆行した道の先に、風間監督にしか見えていない何かが存在するのかという意味です。残り8試合でその片鱗を見せることが出来るか。はたまたこの流れのまま、皆の想像通り行き詰まって終わっていくのか。前回のブログでも言及しましたが、仮に後者が現実となれば、来期は別の監督の選択肢が検討されるのは仕方のないことです。その結果に対する責任というものは、ひとえに監督に託されていますから。当初のシーズン目標である今シーズンでのACL出場圏内は、現状は残念ながら遥か彼方のものとなっています。一方でこの2年半愚直に積み重ねてきたものをどう総括するか。これは残り8試合で魅せるフットボール次第ではないでしょうか。

少し気は早いですが、仮にこれまでの戦いを総括しようと考えると、僕は風間監督のフットボールに文句は一つもないんです。あれが彼の思い描くフットボールでしょうし、これは以前にも指摘しましたが、それが変わるようではもはや「彼らしさ」は失われてしまうと思うから。

では彼は何もかもが完璧で、修正点など何一つないかと言えば、勿論そんなこともなくて。僕個人の意見を言わせて貰えば「マネジメント」の部分です。競争原理を働かせた実力主義的なマネジメントを否定するつもりはないのですが、一方でレギュラークラスでない選手達が次々にこのチームを後にしてしまう。ただでさえ「個人」をベースにしたサイクルで回っているこのチームにおいて、それで代わりが獲れないと死活問題となる事実は、それこそこの15試合の中で嫌という程見せつけられたのは紛れもない事実です。出場の機会が乏しい選手達にどんなアプローチをし、このチームの中で競争したいと思わせるか。もし望んだ結果を得られなかったという結論に達するなら、僕とすればそのフットボールの中身ではなく、まずはこの部分こそテコ入れしなければ話にならないのではないか。そんな印象は受けています。

ちなみに今、楽しいですよ。

これだけ負けがこむと、例えばSNSでも他クラブのサポーターの方々はこう言います。「もう風間も終わりだな」とか、「強がるなよ」と。内輪で揉めることもありますよね。

僕も最近はSNSの居心地が悪くなっている自分に気づいていました。なんでだろうって、強がらずに考えてみたんです。意外に心が参ってるのかなあとか。でも結局のところ、こうやって今、目の前にあるものを純粋に楽しむこと自体が、案外と難しいことなんだろうなと思ったんですよね。例えばこのブログにしたって、今あるものを出来るだけ楽しむために自分なりの形で発信してきたわけですが、一方でチームの負けが込んでくると、そもそもこのチーム(それは監督も含めて)を応援していること自体が悪というか、まあ信者だ支持派だいろんな言葉がありますけど、そういう構図が知らず知らずの内に生まれてしまう。望まなくとも、自分もその一員の扱いになってしまう。それを明確に自覚出来ればいいんですが、無意識的にそれに首を突っ込んでると、すごく疲れるんです。だってそこには常に争いがあって、よく分からない勝ち負けが存在して、嫉妬や妬みがあって。例えばこうやって風間監督のフットボールを理解した上で応援し、結果がついてこなかった。その場合、応援していた者は「負け」なのか。いや、当然ながらそんなことはありません。ただ少なくともそれを「負け」だと言わせたい方はいるのかもしれない。そういう空気感って、なんだか楽しくないなとか、疲れるなって感じる時にはっきりと自覚するものです。

当然負けが続けば悔しい。腹も立つ。試合を観ながら「今日は面白くないな」と思うこと、これまで何度あったか。特に風間監督が率いる内は、この感覚がなくなることはないでしょう。上手くやれていない試合なんて殆どがその対象ですから。そこに相手との戦略戦みたいなものは存在しません。

でもこの船が最終的にどこに辿り着くのか。これは興味深いし、楽しいですよ。例えそれが望む場所でも、そうでなくとも。現在の名古屋が歩む歴史を目の当たりにし、そこにどんな絵を描くことが出来るのか。それを一人のサポーター(ファミリー)として応援するのは、楽しい。以前にも書きましたが、そこを望む通りに我々がコントロールすることは出来ませんから。その前提に立った際、では今をどうやって楽しむかと考えると、やはり「今目の前にあるものを受け入れる」しかなくて。その上で応援して、勝った負けたと喜んで悲しんで、最後にその道を総括していく。少なくとも僕にとってはそれが一番楽しいサポーターライフだし、その過程で誰かと争うことって本当に無意味だなって。無意味とは、クラブにそれが何ら反映されないという意味において無意味です。結局、それはただの自己満足にしかなり得ません。

さて、我々が観ているこの先に、新たな道は存在するのか。はたまた明るい未来など存在しないのか。

本日は、殴り書きにて失礼致します。

我々ファミリーを繋ぐものそれは「愛」

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18、15、10。

この数字、何だと思いますか?あ、先に言っておきます。僕のモテ期3回きたタイミングじゃないです。僕の予定では多分もう一回きますありがとうございます。

これは我々が降格した2016年、J1昇格後の2018年、そして今季のリーグ戦連続未勝利試合数です。

率直にエグいです。ドエム体質じゃないと正気じゃいられません。こう見ると少しずつ成長してる錯覚に陥るくらいには麻痺してます(ちなみに今季は直近14試合で1勝です)。

しかし世の中おかしなものでして、何故か観客動員数だけは右肩上がり。2018年はホーム年間入場者数が444,243人。1試合平均にすると過去最高の24,660人。今季に至っては「鯱の大祭典」と銘打った夏のホーム4連戦、まさかの全試合チケット完売。ちなみに初戦のガンバ戦まで安定の8戦勝ちなし。みんな頭のネジ飛んじゃってます。いや凄い。何が凄いって、その完売の連戦を1勝1分2敗で完結させるクラブ凄い。

最後の東京戦。思い切って有休使いました。昼からビールとか飲んじゃって、意気揚々とスタジアム向かって。駅出たらとんでもない大行列。しかも雨。どれが何の列でどこが最後尾か分からないカオス。控えめに言って地獄。弱いのに人気があるあの現象。不味いのに行列が出来るラーメン屋なんてありえないのに、勝てなくても行列が出来るチームはある。そしてやはり負けた。書いてて悲しくなって参りました。

いや、我々よりネクラ自慢出来るクラブがあったら申し訳ないんですが、それにしてもここまで毎シーズン勝てないチーム珍しいよ。ていうか、それで観客動員だけ絶好調なクラブ、そうそうないでしょう。ダイナミックプライシングも絶好調。これはもちろん嫌味です。いやはや、クラブで働く皆様の御尽力の賜物以外何物でもないわけですが、それにしたって普通行かない人は行きません。勝てないのに、強くないのに、それでもスタジアムに行く方が減らないとんでも現象が起きてるクラブが我々名古屋グランパスです。

これ、何なんでしょう。

試合当日の行動から考察する麻薬の正体

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別にどれだけ負けてても、しょっぱい試合しても、次の試合になれば楽しみなんですよね。スタジアムに足を運ぶ何万人の皆さんを代表してこの動員を説明出来る能力はないので、自分はどうかなと考えてみました。

まず妻と娘の嫌味ソングに耐えることから1日は始まります。「今日はサッカールーンルーンルーーン♩」ほんと作詞も作曲もクソみたいな歌なんですけど、気づけば娘も歌うようになった恐ろしい悪魔ソング。これに耐えながら玄関で今度は娘からツンデレされます。「....パパ行かないで涙」。ぬああああ可愛い!でもパパは行ってきます飯はちゃんと食えよ。

外出に成功したら、友人とまず居酒屋に行きます。もおダラダラ飲むだけです。大体お店出たら「よし、満足したし家帰るかっ!」って言ってます。とまあそんな本気半分冗談半分なやり取りをしつつスタジアムに向かうわけです。今日こそは勝ちたい。今日こそ出口よ見つかれ。その時だけ引くぐらいポジティブです。で二時間前のスタメン発表でスマホチェック。八宏が相変わらずぶっ飛んだスタメン組んでてちょっとまた酔いがまわります。これ2年半の定番の流れです。

よしスタジアム着いた。はい試合始まった。ばんばん決まりますわ。相手のカウンターが。馬鹿の一つ覚えかってくらいやられます。悔しいかなうちの妻でもテコ入れするレベルですが、風間監督は全く気にも留めない。「それは我々が起こしてしまったことなんでね」。デタこれ。もはや名古屋の方には定番です。やれなきゃやられます。やられた場面をとやかく言っても仕方なし。だって奪われるのが悪いんだから。あっはっは、飲むよね。飲むに決まってるよね。

はい負けたー。スタジアム出たら行きとは景色が違います。まず単純に外暗い。心も暗いから足取りは重い。会話もテンポ悪い。そもそも話してる内容も覚えてない。帰りの電車がキツい。暇じゃん、携帯付けるじゃん、Twitter開くじゃん。もう地獄のようなネガティブワードがばんばん目に入ってくるわけ。かー!堪える。スタジアムで吐き出せなかった俺の心の声達が躍動している。隣の友人の存在も忘れます。「アレ俺こいつとどれだけ会話したっけ」と別れ際に思いつつにっこり。ちなみに帰りは居酒屋行きません。もう私喋る気力がありません。あんなに自宅を飛び出したかったのに今は自宅が恋しい。早くトイレに行きたい早くお風呂に入りたいあーていうかもう寝たい。こうやって1日が終わります。

おはようございます、週が明けました。あら不思議。もう週末を待ち焦がれるおじさんここに居ました平和。でね、試合近づいてくると監督会見あるじゃないですか。読みます。なんかまたそれらしいこと語ってます。あ、なんだこれ、不思議と勝てる気がしてきたぞおおおあおおおお!!!!!!!

病気じゃん。サポーター、ちょっと病気じゃん。

そこにあるのは「愛」(米津玄師が言ってた)

この繰り返しなんですサポーター。名古屋では「ファミリー」なんて言ってますけどね。あれだけ勝て勝て言うのにさ、結局負け続けても観に行くじゃん。混乱。自分が分かりません。そりゃあ皆勝ってほしいに決まってます。勝利ほど幸せなことなんてございません。でも負けてても楽しいもんは楽しいんですよ。そこにそれさえあればね。

たまたま最近、米津玄師のインタビュー読んでいたら、彼は今フットボールに夢中らしい。「愛」だって。フットボールからは「愛」を感じるって。ああそうだなあって思った。最近ずっと考えていたのは、これだけ勝てないチームで、でもこのチームを理解したいとお節介にも発信までして、時に喧嘩売られて。Twitter見ればいつも誰かが怒ってて、擁護派だ否定派だの対立構図でバトルしてて。なんてアホらしい。やりたい人で勝手にやってて欲しい。あー自分はなんでこんな気持ちになるんだろうとか、それでもなんで期待して、スタジアム行って、裏切られて、また期待するのかと。風間監督、実は超がつく優秀なホストで俺貢がされてんのかな。

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いやおっさん。紛れもなくおっさん。ここ理由違う。

とするともう「愛」なんですよ。それ以外説明出来ない。

最近Netflixで「サンダーランドこそ我が人生」を今更ながら一気見しました。あれは皆さんに見てほしい。もう、愛しかない作品です。愛で出来た作品、そうとしか説明出来ない。

www.netflix.com

もちろん愛なんて人それぞれの解釈や形があります。僕にとっての愛とはなんだろうと考えてみると、「相手を理解して、尊重し、常に想うこと」ですかね。うわ気持ち悪いですね。どの口が言ってんだとこの口をぶん殴りたい。

何かと話題に事欠かない風間監督にしたって、何故この2年半応援し、自分なりに彼のフットボールを考えてきたかって、そりゃ名古屋の監督だからです。我々のフロントがチームを託した人間を深く知りたいから。理解したいと思うから。期待したいから。動機なんてそれだけです。それでは飽き足らず、その気づきや自分なりの想いもシェア出来たらもっと楽しめるなあなんて調子乗って今がありますが。

これだけ勝てないと言われるじゃないですか。「風間、お前が成長しろ」って。いつまでやってんだと。でもね、僕はこう思うんです。「ブレたら、終わりでしょ」って。僕が知る限りにおいて、もうその時点でこの人じゃなくていいんですよ。その道なら多分もっと優秀な方いらっしゃるでしょう。これだけ好き勝手やってさ、今更「勝てないからもう少し常識的にやります」って、言葉悪いけどクソダサいから。

僕から見ても非常識なことだらけです。毎回言ってる意味全然分からないし。でも2年半応援してきて、多分この方の魅力は、我々誰しもが非常識だと思っていることを覆してくれるんじゃないかって、そう期待させるところなんでしょうね。理屈を超えた先に、何か面白いものが観れるんじゃないか、そう思わせる力。彼には見えているんだけど、僕たちには見えていないもの。それをピッチ上で、選手達のプレーを通じて見てみたい。彼に課せられた使命って、ほんとはそこなのだと思う。だからその道から降りた瞬間、彼にもう価値はない。彼はどうしても「止める蹴る」とか、その理論に目が行きがちなんだけど、実は監督としての彼の魅力はそこじゃなくて。まともになったら終わるなって、そう思う。

でも見えないわけだから我々は不安になるし、成功する保証もなくて。最後の総括は「やっぱり非常識は非常識だな」って、馬鹿笑えねーよって結論になるのかもしれない。

あえて誤解を恐れず書きますが、僕はそれならそれでいいって思ってるんです。駄目だったね、あいつ口だけだったねって。どこかでそれでいいと思ってる自分がいて。だってさ、我々がそれを自分の信じるものに従ってどれだけ否定しても、ぶつかっても、悲しいかな何も変わらないから。そこまでの権力もなければ、そんな立場にもない。そもそも自分の常識、正義なんてどこかでちっぽけだと思ってるから。我々は愛するクラブから毎日多くの歓びと哀しみをもらいながら、彼らが信じ進む道に「応援する」「ともに闘う」そんな形でそっと背中を押してあげることしか出来ない。それで駄目でも見放さず、「また頑張るか」って。そう無言で寄り添って懲りずに応援を続けるしかないんです。多分それが「ファミリー」なんだ。もちろん前述の通り、愛には様々な形がある。誰もがこうであれなんてこれっぽっちも思わない。かくいう僕も、「おい流石にそれ駄目だろ」って思うこと、そりゃある。腹立つこともある。全然文句だって言う。でも結局さ、現実に我々が出来ることなんて、そうやってわーわー言いながら彼らを見放さず応援することだけなんです。

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だから風間監督が正しいと思うことを貫いて、それを信じて選手達が日々頑張っている内は、例え綺麗事だと言われようが僕は応援し続けます。いや、J2は落ちたくない!当たり前でしょ。落ちたくないけど、その道の先の結末が仮にそうなら、仕方ないと思う。上手くいかなかったねって、またやり直すしかないじゃん。仮に残留出来たとして、その戦いをクラブが評価しなければ、「まあ風間監督の理想では結果がついてこなかったですね」って、その尽力に感謝しつつ、お別れすればいいんじゃないですか。クラブが進む道が正しかろうが間違っていようが、僕たちは好き勝手声を上げながら、それでも応援して、その行く末を見守ることしかできないのだから。そうやって喜びと悲しみを共有しながら、一緒に歳を重ねられればそれでいいんじゃないでしょうか。

悲しいかな常に己の理想通り進むことも、己の常識がクラブの常識になることもない。彼らが進む道を共に歩むだけ。

愛が深ければ深いほど、真剣であればあるほどそれは自分ごとで、その分歓びも、もちろん悲しみも大きなものになる。仲間でも意見は異なる。でも「こいつ意見違うな」そう思っても、普通に笑って話せる人達とずっとわーわーやってたいなとは思う。それで罵り合うのではなく、意見は違っても、そんなの違って当たり前だとどこかで思いながら、まあでも俺たちこのクラブが好きだから仕方ねーなって。一緒に笑って泣いて楽しめる仲間がね、いいなって思う。

思い出そう、学生時代のあの黄色い声援を

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クラブが最終的にどこを目指しているか。どのルートからそこを目指すのか。そもそもどの山を登ろうとしているのか。僕たちには決められないんです。俺が考える理想の頂、理想のルートがあって、その通りに行けと喚いても、それで進路は変わらない。彼らが進もうとするルート、その先にある目的地をイメージしながら、その背後に立ち、ともに歩んでいくしかない。ときに支え、ときに鼓舞し、その道を理解し、ともに笑い、ときに泣いて、隣にいる奴とべちゃくちゃ文句言いながら、一緒になってついていくしかないんだ。

だからね、文句言いながらでも応援はしたいんです。今誰よりも苦しいのは選手達だから。きっと持っている常識からすればありえないって思うこと、なんでここを直さないんだって歯を食いしばってること。あるに決まっていて。勝てなくて、自信が揺らぐこともあるでしょう。それでも前に向かう選手達を僕らが期待してあげれなければ誰が期待するのか。いいじゃないですか、それで駄目なら「よく頑張ったな」って、心の中で背中さすってあげようよ(触れられないし)。「学生長距離走理論」思い出して。ツラい長距離、罵声浴びながら走れないよツラいもの。男は暑苦しい輩でも応援されたら嬉しいし、それが女性ならその三倍走れるんです。

あぁ、無償の愛って、忍耐、忍耐、時々の幸せですね。

ちなみに直近の夢、いつか風間監督が次のクラブに移った際、「取説だと馬鹿やろう。この長いブログ全部読め」と吐き捨て、この何年間の心の揺れ動き具合で全て悟ってもらうこと。このブログのトリセツ書きましょうか。悲しいくらい長文です。西野カナみたくポップな曲にも仕上げてません。

どろどろのノンフィクション。これだけは永久保証。

貫いた先に待っているものとは

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保育園で購入した娘の写真を眺める僕に妻は言いました。

「何か気づくことある?」

可愛い。気づきました可愛い。娘可愛いです。遠足でお友達と楽しそうに写ってます。ん?どうやらそこじゃない。

「レジャーシート、買ってあげないとね」

え?なんでですか?

「!!!!!!!!!!!!!!!!!」

僕があげたグランパスくんのレジャーシート。裏返して敷いています。1人だけ、たった1人我が娘だけが裏返して、おにぎり食べながらカメラ目線でにっこりしています。

「好きな柄だったら絶対にそんな使い方しないからね」

気を使ってんのよと笑いながら語る妻。絶句する僕。

またしても敗戦

娘に父の趣味は裏返され、一方で父に目を向けますと、こちらも裏返して消し去りたい敗戦が続いております。

誰が「鯱の大失態」だ。我が家か。我が家のことですか。

現在の我が家は父の魂が不在ですが、名古屋はといえば今回の東京戦、主力が4名不在でした。代わりにチャンスを掴んだのがアカデミー卒の成瀬、そして藤井。試合の中でどんどん変化する彼らのプレーは純粋に楽しめました。というか、それくらいしか楽しめるものがなかった。残りは裏返します。

チームとしての出来は厳しかったですね。流石に主力が4枚も欠け、誤魔化しは効かなかった。それは決してアカデミーの選手達を問題視しているわけではありません。純粋に、この日のチームの機能美とでもいうのでしょうか。あまりに継ぎ接ぎで、誰もが悩みながらプレーしている様子が手に取るように伝わりました。ボールを受けてから次の手を考える。またはボールを受ける前から次の手を打つ余裕がない。

端的に「目が揃っていなかった」ですね。揃わないからボールも流れない。流れないから、チームの繋がりを感じない。あのメンバーで、あの形で、どう相手ゴールに迫るのか。そのゴールから逆算した道筋がどうにも見えませんでした。期待はマークを瞬時に剥がすジョーだけ。ボールが前に進まないから、シャビエルもアーリアも中盤に戻って四苦八苦。裏に抜ける選手は皆無、唯一ゴールから逆算した動きを続けるジョーだけが、得点の香りを醸し出す希望でした。

「キャスティング至上主義」

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こう言ってしまうと極論が過ぎるかもしれませんが、「技術という手段をもって、ピッチ上の選手達を繋ぐこと『だけ』に注力する」。風間監督のそのポリシーが変わることは此の期に及んでも尚ありません。誰を使うか、彼らを繋ぐにはどの形(システム)が最適か。与えられた選手が変わろうとも、その発想が変わることはない。だからこそ選手の質は当然ながら重要で、なにより彼らを繋ぐ上で個々の質はそれなりに近いものでなければなりません(目を揃える必要性)。

この日の名古屋は目がばらばらでした。これまでに何度も語ってきましたが、このチーム、それでは話になりません。攻守においてチームで意識的にデザインした形があるわけではなく、あくまで目が揃った選手達がボールを握ることで始めて、全ての機能が健全に循環するわけですから。

おそらく風間監督は分かっていたはずです。このメンバーでは目が揃わない、と。それでも期待してピッチに送り出し、またも期待通りとはいかなかった。決まった形がなく、技術を駆使することで選手間を繋いでいく。それは一見するとシンプルで、自由で、それでいて美しい。ただ同時に、それだけ難題を要求しているとも解釈出来ます。出来ることを目一杯やるわけでなく、出来ないことに期待し挑戦する。どんな状況でもそれを貫くことだけは変わりません。

主力が1人でも欠けるとチームが大きく揺らいだ昨年の反省を踏まえ、今年は各ポジションに高いレベルの選手達を擁し、競争させることでチーム力の底上げを図りました。しかし案の定、今年も夏のマーケットで出番が少ない選手達がチームを去っていった。ただしこれは仕方ありません。風間監督のチーム作り、またその上でのマネジメントを考えれば。

migiright8.hatenablog.com

必要だったのはその分の補強です。競争の中で出番を失った選手が他クラブに活路を見出す。クラブはその選手のキャリアに配慮し、意思を尊重する。であるならば、大事なのはその分選手を仕入れることです。この競争サイクルを機能させる上で、これはマストと言ってもいい。ただしこの点に関して、昨年と状況は異なりました。一つはクラブが求める選手のベースが上がったこと。そしてもう一つ、出て行った選手の質が高かったこと。真相は分かりかねますが、結果的に今夏は菅原含め7名の選手がチームを去り、代わりに2名の新しい選手が加わりました。ただ残念ながら現状は頭数も足りなければ、新加入選手でレギュラーを掴み取った選手もいない。残念ながらチームの競争力は落ちた印象が拭えません。

この試合に限っていえば、その現実を突きつけられた試合ともいえます。後半から流れを変えられる選手がいないため、前田をベンチスタートにする。チームが機能しなければ途端に足かせとなるネットの代わりもいない。それらを今のチームは「若手を育成すること」で解決する腹づもりです。その方向性を反対するつもりは全くありません。問題は2年半で積み上げた「選手層」の部分において、レギュラークラスの選手達とそれ以外の選手達で改めて差がついてしまったことです。このチーム作りにおいて、これも必要なサイクルの一つだったのか。はたまたこのマネジメントの限界なのか。

ACL」は目標か、ただの願望か

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もう一点。この状況において尚、風間監督のスタンスが全く変わらないことも見逃せません。シーズン前、チームは今年の目標を明確に「ACL出場」と宣言し、我々は期待を抱きました。ただし現実はここ14試合でたった1勝。これまで述べた通り、チームの状況もこの半年でまた変わりました。

それでも彼がやり方を変えることはありません。今ピッチで起きていることは、あくまで「やるべきことが出来ていないが故に起きている結果論」です。目を向けるべきは出来ていないことであり、その結果起きている現象に取り立てて意味などない。何故ならそこはそもそも考慮していないからです。結果を求めるために出来ることから手をつけていく。そんな現実的な手段もまた、この期に及んで持ち合わせてはいない。いや、分かっていてあえてこの手段を取り続けている。もちろんそれがチーム力の向上、つまりこのチームの場合、個々人のレベルアップに繋がるのでしょう。同時に目先の結果を担保する十分なキャスティングが出来ない今、そのやり方に固執することで果たして結果は得られるのか。

勿論シーズンはまだ9試合ありますから、ここでの総括は時期尚早です。いま目を向けるべきことは、このチームビルディングで求めていた結果が得られるかどうか。その目標に対し風間監督の試合での采配、彼のマネジメント、それらを踏まえた上での強化部の働き。これらがその目標に足るものかどうか。そもそもそんな目標は願望で、必達でなかったのなら話は変わります。ただしそうであるなら、ファミリーにはこう宣言すべきでした。「目標はACL出場だが、現実的には最低でも5年かかる。何が起きても我慢して欲しい」と。

では仮にこの目標がチームに課せられたものであったのなら。残りの9試合で帳尻を合わせられるかが焦点です。

惜しむらくは、今この時点で「ACL出場」の目標がどこまで本気だったのか、我々ファミリーには誰一人知る由もない大風呂敷となっていることです。つまり、何をもってこのチームの取組みを評価していくのか、その指標がどこにあるのか分からないのは、我々ファミリーにとって残念な点です。

何故ならその掲げたハードルを知ることでしか、結果的に年間を通した風間監督の采配がそれに足るものだったのか、ひいては彼のマネジメント、それをフォローするバックアップ(補強)が満足出来るものだったのか理解することには繋がらないからです。我々にジャッジを下す権利はなくとも、クラブの取組みを知る上でこれはとても重要なことです。

何度も指摘した通り、このチームの生命線は「選手層」と「競争力」です。中堅どころの準レギュラークラスの選手達を手放したことは、果たしてこのチームのサイクルにおいて不可避な出来事だったのか。それともこれまでのマネジメントにそもそも大きな問題があったのか。その文脈において、現在の風間監督の采配は身を結ぶのでしょうか。

「おい丸山!やる気あるのか!」

試合後、スタンドからは多くのヤジが飛んでいました。おそらくいま誰よりも悩み苦しんでいるのは、やる気だけではなんともならないピッチ上の選手達でしょう。

サポーターっつうのは大変なんですよ

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先日は沢山の「娘が可哀想だ」の声、ありがとうございます。翌日、長良川にいたサトミキをすっ飛ばして遠方まで娘を連れて行きましたので、「あぁ素敵なパパさんやなあ....」の印象でお願い致します。

今回は、この記事を書いて皆さんからいただいたお声、また最近のSNSTwitter)の様子を見て感じたことを、もう少しだけ綴りたいと思います。

migiright8.hatenablog.com

それにしても試合が終わって尚、名古屋界隈盛り上がっております。ここまで一週間ネタに事欠かないのも逆に凄いんじゃないか、いい感じに麻痺してきました。八宏ありがとう。

前回のブログはあえて自虐っぽく書いたんですが、あそこに込めたメッセージは凄くシンプルだったんです。あの横浜戦での一日で、僕自身、率直に感じたこと。それはとにかく、とにかく娘だけは大切にしようぜなあみんなと。

ち が い ま す。

僕があのブログを通じて伝えたかった想い。それはサポーター(以下、名古屋目線でファミリーとします)の実態。個人の価値観と、おそらく誰しもが持つ共通の想いとでも言いましょうか。それが同居したこの複雑な感情を伝えたかった。

個人の価値観とは

ファミリーたる者、誰しもが理想のクラブ像があります。なって欲しい姿、求める理想、ありますよ。そしてそれは多くの場合、バラバラです。不思議なことに、同じクラブを応援しているのに、そこに求める姿はバラバラなんです。

なのでそこを議論するならともかく、例えばその価値観を持って誰かを言い負かそうなんて無駄なんです。そりゃあ居酒屋でも行けば「俺の理想が正しいんじゃあ!」って、つい酔った勢いで言うこともあるでしょう。許す!酒の力借りる可愛さ許す!だって誰だって自分の意見は少なからずとも正しいものであって欲しいじゃないですか。でも公の場でその正しさを証明しようなんて実は野暮なことで。絶対に皆がアグリーすることなどない、それを教えてくれたのがSNSTwitter)じゃないのかと。皆が皆、同じ意見なんてあり得ないですよ。そこにあるのって結局は「共感(「発見」も含まれる)」があるかどうかだけ。「あ、この人の考え方好きだな」とか、「俺この人の考え方近いわ」とか、「この人の考えは新鮮だな」とか。勿論そこに共感を呼ばないと、何故だか嫌われることだってあります。そりゃ出来ることなら嫌われたくないけれど、中にはそうなることだってありますよ人間なんだから。僕のことが嫌いな人もそれなりにいます。その自覚くらいはあります。だから以前にはこんなブログも書きました(自分を慰めるために)。

migiright8.hatenablog.com

誰しもが持つ共通の想いとは

でも例え意見が合わなくとも、「勝ったら嬉しい」「負けたら悔しい」そこだけは一緒なんです。だから必死で毎試合応援するんです。もうね、そこだけ一緒ならええやん!僕はそう思うんですよ。あとは好きでも嫌いでもさ。同じクラブを応援する、その醍醐味これなんじゃないかって。皆価値観バラバラで、ぶっちゃけファミリーと言いつつ「こいつ嫌いやわあ....」って感じる相手いるでしょ絶対いるでしょう(二回言った)。でも不思議と試合中は「勝ってほしい」って、同じように願うんです。おかしな話ですよね。そんな風に誰しもが無条件に応援しようなんて思える存在、この世の中にいくつあるでしょうか。ファミリー、ファミリーって何を根拠にこんな名前付けたんだって考えたりもするんですけどね。血なんぞ繋がってねえ勝手にファミリー扱いすなっ!ってさ。でもなあ、もうこの関係性こそがファミリーだろうと。

「勝ち点3こそ正義」。僕はこの考え方、正直あんまり得意じゃなかったんです。多分元々がサッカーオタクだから、サポーターと言いつつもどこかでそのフットボールを冷静に観てる自分もいて、「勝利だけが全てじゃない」って。そう感じていた自分がいたと思います。それはまさに僕の価値観で。

でもファミリーがおそらく唯一繋がれる(共感出来る)部分、やっぱり「勝ったら嬉しい」「負けたら悔しい」この感情だけであって、その意味においての「勝ち点3は正義」、これ正しいんだと思う。大正義ですよ。だって勝ったら誰だって嬉しいもん。負けたらめっちゃ気落ちするもん。その意味においてなら、これ正義だなって。そう思うし。

一方で勝てないとき、「議論」なんて都合良い言葉を使って誰かを言い負かそう、ないしは異なる考えの持ち主にレッテル貼って優越感に浸るとか、ほんと無駄じゃん。だってそれは各々の価値観の話だから。その気持ちは自分で処理しないと駄目です。なんて言うんだろう、その「やり場のない己の価値観を人にぶつけることで精神を保つ行為」って、物凄く人に甘えてると思うんです。例えばそうだな、そもそも議論なんてもの自体も、顔見知りとまでは言わなくとも、お互いに「ある程度この人とならやり取りが出来る」、そんな信頼関係が前提になければ成立しないんじゃないか。少なくともTwitterという場において、最近はそう感じるんです。その前提がないやり取りは、殆どが「価値観のぶつけ合い」ではないですか。それはただの自己満足。せめてそれやるなら相手もそのつもりじゃないと駄目で、ノーガードの相手に勝手にぶつかりに行くのは煽り運転と同じで一番駄目だと思います。本当にハタ迷惑でしょ、煽られる側は。

今のファミリー可哀想でも幸せ(はっ!?)

なぜ名古屋界隈が毎度お騒がせで揉めるかってね、いや勿論揉めるのが好きな人もいるかもだけど....少なくない理由として、その唯一ファミリーが拠り所にできる「目先の勝敗」に、監督である風間八宏が徹底的にこだわって、何してでも掴み取ってやろうとする人ではないことが、一つ要素としてあるとは感じます。勿論負けず嫌いだと思いますよ。でも彼が考える「強いチーム」は、その「目先の勝敗にとことん拘るやり方」ではなることが出来ない、きっと彼はそう考えているから僕達にそんな印象が残るんです。それはあの無策っぷり、普段の練習、試合後の彼の言葉から。だから好き嫌いも分かれるし、いつもそれが揉める原因の根底にある部分なんだと改めて思った次第で。ただ繰り返しになるけれど、それを肯定する人もいれば否定する人もいるわけで、そこを対立構図とするのは不毛なんですよ。正解なんかそこにはなくて、実際は正解と「思いたい」から生まれる構図なんです。

一方で、これっぽっちも未来に目が向いた話なんかなく、ただなんとなく目先の勝敗に一喜一憂するサポーターライフってのも、なんだか寂しい気がするんです。それが例え「あんな野郎にゃ名古屋は預けられねー」でも、「止める蹴るに未来はない」でもいいんです。そういう我々が各々考える、夢見る「名古屋の未来」を語れるその環境こそが、実は一番大切なんじゃないかって。そんな各々の「なって欲しい姿」を語れていること自体は、決して悲観することもなく、全然悪いことなんかではないと。我々のクラブが前に進もうとするから、何かを作ろうとするから起こることなんだって、そう思う。それをピーチクパーチク好き勝手言ってるのが何よりの醍醐味で、同時にその土俵で誰かを言い負かしたって、クラブがその通りに変わることは残念ながらありません。

こんな時期は時に応援するのがツラいときだってあるでしょう。いいじゃないですか、休みましょそんな時は。頑張りたくとも頑張れないときはあるんですから。自慢になりますが僕も仕事のモチベーションは全然上がりません(あっはっは)。本当は応援したいのに、どうしても気乗りしない時、あるある。頑張れ頑張れが重てえぞと。全然問題ないです。僕も最近久しぶりにバルセロナの試合観たんですよ。技術レベルちょー高いの。風間ストレスなんてイチコロですわ。

こんな綺麗事が嫌いだって人がいるのも分かってます。偉そうに今更何言ってんだと、面白くない人がいてもおかしくないと思いますよ。これを読んで腹が立つ人だっているかもしれません。誰からも好かれたいなんて、そんな夢見がちなおっさんでもありません(傷つきたくないけれど)。

でもこれ僕のツールなので。僕はこう思うぞと、改めて伝えたいと思いました。誰に向けてでもなく、自分の気持ちを。

最後に締めの一言を。

トップ画像は、僕が(貴方が)喰いつかれたイメージです。